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【No.1479】嫌いな人から褒められるのはrewardになるのだろうか

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子ども時代、母親に尋ねたことがある。 「お母さんはどうして褒めないの?」 テストで100点を取っても「当たり前たい」 運動会で1位になっても「当たり前たい」 絵画展や作文コンクールで入賞しても「当たり前たい」 ちっちゃなことでも、とにかく褒めてくれた父親とのギャップを感じ、質問した答えは「たまに褒められるけん、そんことは忘れんくなる」と。 そのとき、妙に納得した思い出があります。 確かに母から褒められたことは今でも覚えているし、父から褒められた内容はなにも覚えていない(笑) いまは学校でも、なんと職場でも「叱らない」「ほめて伸ばす」ということらしい。 息子のテストの答案に「very good!」って大きく書いてあるから100点取ったんだと思ってみたら何問も間違っていた(笑) 間違ったところは丁寧に説明が書いてあり、そこにも「こうすれば完璧!」と書かれていた。 大きくペケだけを書いたら、クレームが来るのだろうか。 「間違いは間違いだから」は間違いな世の中なのか。 いま、教員免許を使って私が小学校の先生になろうもんなら、1学期も持たずにクビですね(笑) 当然、特別支援の世界も、カルピスの原液のような甘々な世界が広がっています。 とにかく褒める。 褒め倒す。 その子が理解していようがいまいがお構いなしに褒める姿は、褒める教ですな。 一応、褒めていれば親からクレームはこない。 褒めていれば、自分のスキルのなさを隠すことができる。 まさに褒める者が救われる世界。 そんな様子を見ていたら、昔いたABAの人たちの姿を思い出します。 あの人たちは、問題が起きれば無視し、(支援者側が)望ましい行動をしたら褒めて、お菓子をあげる。 彼らは本気でお菓子や賞賛に教育的効果があると信じていた。 だけど、考えてほしい。 嫌いな人から褒められるのは、ご褒美になるのだろうか、と(笑) やっぱり好きな人から褒められるのと、嫌いな人から褒められるのでは受け取る側の感じ方も変わってくるでしょう。 でもABAの人達はそこを考えないですね。 だって、彼らは「見えている行動のみ」で判断する人達だから。 気持ちや体調、今日その行動をするまでの流れ、昨日までの生きてきた物語はすべて観察できないことなので切り捨てる。 だから、ABAに傾倒する支援者というのは子ども時代、機械やおもちゃをいじくりまわしていた人が多いの...

【No.1478】教祖と信者 教祖と子ども

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支援者の集団の中にひょいっと石を投げる。 すると、ほぼ100%愛着障害を持っている人に当たります。 それくらいこのギョーカイ、対人援助の世界は愛に飢えた人で溢れかえっています。 自らを助けるために。 ずっと抱えてきた「この世の生きづらさ」に答えを出すために。 その集団の中で“有名支援者”になる人たちがいます。 そういった人たちは子ども時代から「生きづらさの正体はなにか?」「それをどうしたらいいか?」と考え続けてきた人でしょう。 そしてその中で知的に優秀な人が独自の理論や体系を作り、有名支援者になっていく。 もちろん、ただの優秀な人が作り上げた理論ではありませんので、その理論は一風変わっています。 自分は生きづらさを抱え、愛着障害の当事者でありながら、それを隠して作った理論だからです。 隠すためには美辞麗句が必要になります。 有名支援者というのは、誰にとっても耳触りの良いキャッチフレーズを作る天才です。 そんな前向きで、愛に溢れたキャッチフレーズのもとには、有名になれなかった愛着障害の支援者、援助者たちが集まってきます。 みんな、同じように愛着障害を隠し、同時に誰かを癒す存在になると思えることで自らを癒そうとする。 教祖と信者の完成です。 教祖は信者が集まってくると、蓋をして押し込めていた愛への飢えを開いてしまう。 治すから有名になったのに、有名になったら治せなくなるのは歌舞伎の型のようなものです。 最初の一口を食べて、あとはご馳走さんが、賢い利用者のコツになります。 ここまでは今までに私が何度もお話してきたことでおさらい。 で今日のメインはこちら。 有名支援者はもちろんのこと、支援者、援助者、学校の先生は、お子さんとの関係に苦労している人、子育てに悩んでいる人が多い。 何度も顔を合わせるような関係になると、「実はうちの子、不登校で」「実は家で大変で」と打ち明けられることも数知れず。 離婚率が高いのは暗黙の了解の世界。 いつの時代も定番な陰口「まず自分の子をどうにかしたら」というママ友達の会話は的を射てると感心する(?) この原理はとっても簡単。 本能に近い愛情への渇望と、幼少期からずっと、中には胎児期から続く愛着障害を抱えて生き抜くためにはヒトの脳、頭で抑え込むしかなかった人が多い。 ちなみにそれができなかった人は、症状として重篤になり、患者側になる。 患者側になら...

【No.1477】無意識のアセスメント

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子どもの「おはよう」という声を聴くだけで今日の体調がわかる。 玄関で靴を脱ぐ様子を見るだけで学校でなにがあったかわかる。 みなさんも子ども時代、「母に見透かされている…」と感じたことはなかったでしょうか。 とくに女性は小さな変化に気が付きやすいという特徴をもっています。 無意識のアセスメントです。 たまにですが、支援者に対する助言や指導、育成のようなこともやっています。 そこでもやっぱり筋が良いのは女性です。 男性は見たもの、聞いたものをそのまま受け取り、過去の経験や学んだ原則などを用いて論理的に解釈しようとします。 ですから、刻一刻と移り変わる生の子どもとの間にタイムラグが生まれ、すぐに置いていかれます。 そして迷子になって、「もういいや」と匙を投げたり、「俺には別の道がある」と論理の世界である資格獲得へと向かったりするのです。 女性が持つ不満の一つである男性の「共感不足」は、そもそも掴んでいる情報量に大きな格差があることも影響しているかもしれません。 良い支援者、女性のような豊かなアセスメントは表面的な情報に引っ張られません。 難しい人は「言葉や行動は真実ではないこともある」と自分に言い聞かせる必要があるでしょう。 ときに言葉(や行動)は真実を隠すための道具になる。 子どもがなにか言葉を発したとき、それを言葉として聞いているようではダメです。 まず言葉ではなく、動物のさえずり、鳴き声という側面に注目します。 そうすると、その言葉からその子の体調や気分を読み取ることができます。 またやりとりで生じた反応時間を観察することで、その子の脳の状態、脳機能を確認することができます。 どのくらいでレスポンスがあるか。 耳から音が入ってすぐに返事、リアクションがあるか。 ちょっとした間があるか。 その間はどのくらいあるか。 そういったことを感じ取ることで、脳の神経伝達の状態を確認するのです。 また言葉以外のリアクションを観ることで、神経同士の繋がりの状態を確認できます。 言葉、口や喉以外に、身体のどういった部分が動員されているのか。 表情が変わらず、手足のジェスチャーが見られない子と、目や頬が動き、手であれこれ指し示す子では違いがあります。 さらに感情が乗った言葉か、一つひとつの音の羅列か。 発する言葉の種類や使い方によって、どのくらい概念理解があるか、抽象的な理解があるかな...

【No.1476】子の自立、親の自立、援助者の自立

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もう久しくFacebookを開いてない。 通知は来ているけど。 「私が勝手に呟きます」「どうぞご自由に」というXやインスタ。 一方でFacebookにはそんな雰囲気がなくて、会ったこともない人からの友達申請に邪気を感じてしまう(笑) 職歴でいえば、福祉職員と教員で、いまの自営業の3つだけど、やたらめったら繋がろうとする職場はなかった。 いや、私自身が避けていたのかもしれない。 いい大人がわざわざ集まって何が楽しいのかわからない(笑) 時々、こんな私でも「繋がりたい」「コラボネガイマス」と言ってくる人がいるけど、ほぼ断ってきた。 私が関わりを持とうとするのは尊敬できる人、学びたい人、協働することでその子、その家族、その地域が今よりも良くなる、と思えた人に限っているから。 「なぜ、人は群れるのか?」なんてことを想像してみる。 たぶん、それは生存戦略の一つなのでしょう。 この人と組むことで、売り上げが上がる、確保できる。 事業がピンチになったとしても、(仲良くしていれば)助けてもらえるかもしれないというリスク管理。 あと、このギョーカイで多いのは、強い不安と愛着障害を持った人が多いということ。 みんな、何かあるたびに集合写真を撮りたがる。 集合写真が美しいのは高校生まで。 おじとおばの…以下自粛(笑) ここからはまじめな話で、ひとを援助するというのは孤独じゃないとできない仕事だと考えています。 別の言い方をすれば、孤独に耐えうる土台がないとできない。 援助の対象者は困っている人。 その困った状態から抜け出したいと願っている。 彼らが援助者に求めているのは問題の抱え込みではなく、問題からの自立です。 いまは困難、生きづらさを抱えているけど、いつかそこから解放され、自らの足で歩んでいきたい。 そんな願いを後押しするのが援助者の役割。 いつかは去っていく存在で、援助者の存在を忘れたとき、その人は真の自立に繋がるといえるのです。 新年度が進んでいくと、「先生の指導方針がかわった」「昨年度の先生の方が良かった」「担任同士の引継ぎができていない」などという悩み、相談が多くなります。 もちろん、指導や学習の継続性は重要ですが、違う視点から見れば、先生、援助者が変わるくらいで影響を受けてしまうこと自体が問題なのです。 誰が先生で、援助者だろうが、自らで考え、行動し、学んでいける人を育てて...

【No.1475】発達に凸凹がある子が学習するために必要な援助とは

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「発達に凸凹がある子はまず凹への援助が中心」 というのが昨日のブログの話でした。 そして気づかれた方もいると思いますが、全体的な認知機能が低下している子、知的障害が重い子に対してはそのように言っていません。 そういった子ども達は現実的な問題として、援助者とともに決まったトレーニングをすることが難しかったり、トレーニングの意味や意図を理解することが難しかったりします。 そうなると特定の発達の課題、未発達の部分を育てることが難しく、できることが「発達全般に良いこと」「子ども、ヒトにとって共通して良いこと」になります。 整理しますと、「発達が遅れている幼い子」「発達に凸と凹がある子」「ある程度、理解する力を持っている子、援助者と共同作業ができる子(大人も含む)」は、凹の部分の苦しさが減るような援助とトレーニングが優先される。 「全体体的な発達の遅れ」「認知機能の遅れ」「トレーニングの意図を理解するのが難しい」「共同作業に困難がある」子の場合は、凹の部分を狭く捉えることも、ポイントを絞ったトレーニングも難しいため、発達全般に良いこと、その中でもできることを行っていくのが現実的な話になります。 ここからは今日の話に移りますが、「発達に遅れや凸凹がある子を集団の中に入れるのはどうか」です。 幼児さんの親御さんからは「一般の保育園、幼稚園に通わせようか。療育施設、児発に通わせようか」と、就学前の親御さんからは「普通級か、支援級か」「支援級か、支援学校か」という悩みを伺います。 そういった親御さん達に共通する考えの一つが「集団の中に入ることで社会性が身につく」になります。 反対に定型の子との関わりを制限することで、小集団になり特定の子しか関わることがなくなることで、「社会性が育ちづらく、身に付きづらくなるのでは?」という点を心配されています。 結論から言えば、定型の子の集団の中に入れても、というか入れるだけでは社会性は育ちません。 育つんだったら、すべての子を普通級、一般の幼稚園&保育園に入れればよいわけです。 定型発達の子ども達のようにはいかないのです。 定型発達の子ども達は、園生活や学校生活、遊びや習い事、日常生活などのあらゆる場面で、自ら試行錯誤を行い、また模倣することで社会性、対人スキルを学習、習得していきます。 しかも子ども達は「さあ、社会性を身に付けよう」「この場面に必...

【No.1474】凹を育ててから凸

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「発達障害の人は特別な才能を持っている」という人たちがいる。 その内訳をみれば、そのように言うことで絶望感をもっている親御さんに希望を持たせようとする偽善者と、古くは映画『レインマン』、ドラマや漫画などから得た知識をそのまましゃべっている傍観者になるでしょう。 そこから派生して「才能」までとは言わないけれど、「その子の長所に目を向けましょう」「長所を伸ばしましょう」というような支援方針を掲げる支援者は少なくありません。 私自身も発達相談の中で、長所やその子の持っている資質を活かし、伸ばしていくようなアイディアをお伝えすることはあります。 しかし、そこには段階、タイミングがあります。 長所や資質を伸ばす前段階があるのです。 それは当事者、本人たちの言葉から教わったことです。 発達に凸凹がある人達がいくら才能、長所の部分を伸ばそうとも、凹んだ部分の苦しさは消えないと言います。 いくら瞬間的な記憶ができても、いくら丁寧な作業ができても、いくら文章や創作活動が上手でも、寝られなければ辛いし、過敏性は生活に支障と制限が出てします。 発達障害の人達が苦しむのは社会参加ができないことでも、友達ができないことでも、学校で同級生と同じように学べないことでもありません。 それ以前に、自分自身の身体に苦しんでいる。 「合理的な配慮」は機会均等には役立つでしょうが、身体で生じている苦しさをなだらかにすることはできないのです。 発達障害の人の才能を活かせる場所はあるかもしれない。 でも場所は変えることができても、自分の身体はずっとついて回る。 ですから私たち支援者、援助者はまず彼らについて回る身体に対するアプローチ、凹の部分への援助が必要です。 その課題は多岐にわたり、また複雑に絡み合っていることが多いので、ターゲットを細かく分けてトレーニング、リハビリ、発達援助をしていきます。 当然、その取り組みの段階では本人の凹の部分に負担がかからない環境づくり、環境設定も大切です。 日常生活がその人にとって楽なものになることも心身に余裕を生み、脳の発達を促すことに繋がります。 そして苦しみの中心である身体の課題が弛み、改善したあと、長所を伸ばす方向へと進むことができるのです。 「個別指導」「一人ひとりに合わせた学習、指導」を否定する人はほとんどいないでしょう。 しかし上記のような身体の不具合、凹の部分...

【No.1473】個性を埋没させる測定からテーラーメイドの測定へ

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ずっと昔は「脳の機能障害」というざっくりな表現でしたが、いまは科学技術の発展により脳機能の状態を画像で確認することができるようになりました。 どこの部分が低下していて、どこの部分が平均、または平均以上か。 そしてどこの部位とどこの部位の繋がりが強いか、弱いか。 つまり、発達障害は脳のシナプスの結合が少なかったり、逆に多すぎたりすることが原因だと考えてよさそうです。 そのつながりの部分が各個人によっても違いますので、行動など目に見える形での表現は無限です。 これが一人として同じ人がいない「個性」としてみられる。 同じ自閉症、ADHD、LD、知的障害といわれる神経発達症のグループであっても、その出方は一人ひとり違っています。 だから本来なら、一人ひとりのものさし、指標、検査が必要だといえます。 いま、世の中で実施されているもののほとんどは、共通のものさしでの測定です。 個性的な障害に対して、個性が隠れてしまう測定を行っている。 「より多くの加算、支援を得るために、知能検査の前日は遅くまで起こしておく」というのは、そのことを象徴している話だといえます。 測定が「重度」というカテゴリーに入れるためのもの。 「重度の自閉症」と言われても、その子の顔が浮かんできません。 当然、顔が見えないのですから、育て方もみえてこない。 「重度」も、「自閉症」も、「IQが56」も、子育てには関係がない。 「私たちが聞きたかったのは、この子の育て方だったのに」という感想を投げかけられても、検査機関は困るのです。 個性を埋没させる測定しか行っていないのですから。 子育てに必要なのは、テーラーメイドの測定です。 この子が育った、成長した、ポジティブな変化が起きた、と確認できる指標を作っていくことが望ましい。 たとえば、「縄跳びを1回跳ぶ」→「縄跳びを〇回跳ぶ」→「他人が回した縄跳びを1回跳ぶ」→「他人が回した縄跳びを〇回跳ぶ」→「自分が回した縄跳びをママが1回跳ぶ」→「自分が回した縄跳びをママが〇回跳ぶ」→GOAL「友達との身体的な距離感が適切になる」 みたいな感じです。 わかる子だったら、こういった指標を本人に説明して理解しながらやってもらうのが良いと思います。 私は成人の方の相談の際には、こういった指標づくりを一緒にしています。 そうすることで、共通の話題になって、「その目標に向かって頑張りま...

【No.1472】親御さんが認知している子ども

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昨日の 頑張るに関する記事 に「良かった」「わかりやすかった」「納得できた」というリアクションが多くありました。 感想をくれた方、いつも読んでくださっている方、大変励みになります。 自分では多くの方に共感してもらえたんだと解釈しています。 このブログで大切にしていること、いや、私自身が行っているすべての活動で大切にしていることは、言語化することです。 昨日の記事でもそうですが、「そうそう。私がひっかかっていたのは、そのことなの!」というようにすでに気づいていたけど、言語化できずにモヤモヤしていたことを言葉にすることを中心に考えています。 日々、子どもを見ている親御さん達がアセスメントできていないなんてことはありません。 「私、子どものことをちゃんと見れていない」という悩みを相談される親御さんは多いですが、見れていないのではなくて、感覚的に捉えていることに対する適切な言葉を持っていないだけです。 ほとんどの親御さんは子どもさんの本質的な課題、その行動の背景に気が付いています。 「アセスメントができていない」と思わせるのは、アセスメントを売ろうとする専門家の営業戦略です。 「子どもを見る」「その行動を観察する」という誰もが自然に行っていることを「アセスメント」という横文字を使い、親御さんの手から取り上げようとしている。 「アセスメント」と聞けば、「なにか特別なことを」「なにか専門家にしかわからないことを」と連想してしまう。 その習性や親御さんの不安を刺激するために、アセスメントに限らず、ギョーカイは専門用語を作り、それを専門家しか扱えない高度なものに仕立て、売ってきた。 で結局治らないし、普通の子育てを諦めさせる結果を生みました。 ギョーカイは障害を持つ子の"親"ではなく、障害を持つ子の"支援者"を大量に作り出していきました。 愛着障害のたまり場であるギョーカイが、新たな愛着障害を生産していく。 いろんな検査、アセスメントがありますが、それは人工的に作られたものさしを使って、長いか短いか、多いか少ないか、当てはまるか外れているか、を見ているだけです。 でも親御さんは時間的にも、空間的にも、環境的にも、その子を多面的で立体的に捉えることができています。 この力を活かさずして、その子の発達を後押しすることができるのでしょうか。 日々接...

【No.1471】その療育、トレーニングが「マッチしているか?」の見分け方

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「療育機関でトレーニングを受けている姿を見てほしい」とお願いされることがあります。 たしかに成長はしている。 事実、地域の評判がよくて、利用の待機者もいる。 でも、そこで行われている専門的な療育がこの子に合っているのか、この子のどんな発達に寄与しているのか、わからないから、判断がつかないから「第三者の視点で見てほしい」という依頼があるのです。 療育機関に限らず、児童デイや児発、学校を見学するときも、いや、家庭での取り組みを見るときも私は子どもの反応に注目します。 そのトレーニング、活動に「没頭している」「熱中している」姿が確認できればOKです。 その取り組みとその子の「今育てようとしている発達(課題)」とマッチングが良いと判定できます。 反対にその取り組みから「逃げよう」「避けよう」としていれば×です。 これはとてもシンプルで、特別な話ではないでしょう。 しかし、一つ判断が間違いやすい子どもの反応があります。 それは「頑張っている」です。 頑張って身体を育てるリズム運動をしている。 頑張ってコトバの練習をしている。 頑張って細かい手の動きを練習している。 親御さんとしては我が子が頑張る姿をみるのは喜びでもあり、ポジティブな評価をしてしまいがちです。 当然、スタッフも「〇〇くん、今日のトレーニング、とっても頑張っていましたよ」と笑顔で報告してくれます。 もちろん、できないことをできるように“頑張る”というのは素晴らしいことですし、成長や自立のために必要なことです。 でも、発達に限って言えば、「頑張る」は×です。 子どもの視点に立てば、自分の興味関心から“ズレている”から頑張ろうとします。 身体や感覚に必要な刺激とズレているから頑張って立ち向かい、刺激を受け入れようとしている。 赤ちゃんが手足を動かすのは、手足を育てようと頑張っているわけではなく、手足を動かすことで得られる刺激が心地よくて没頭しているのです。 自分の持っている手札の中から組み合わせを変えたり、総動員したりしながら挑戦する頑張りは応援です。 でも、発達の遅れやヌケ、凸凹の凹の部分に関していえば、頑張らせるのは危険です。 発達を促しているつもりが、学習を促してしまう危険性があるからです。 コミュニケーションとしてのコトバの発達を伸ばしたかったのに、りんごをみたら「リ」と「ン」と「ゴ」を続けて発声するスキルを...

【No.1470】必要なのは守られる空間?

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私は素朴な疑問として 「こうやってゲームや好きなことだけをして過ごしていて大丈夫なのでしょうか?」 「こうやって自由な環境を作り、こちらから働きかけをしないのはどういった理由からでしょうか?」 とフリースクールのスタッフの人に訊いたことがあります。 面白いことに、複数のフリースクール、不登校支援に関わっている人たちから同じ答えが返ってきました。 「彼らは休むことでエネルギーを回復している」 「エネルギーが溜まったら、自ら動き出すので、それを待つ」 これが全国的な不登校支援の考えなのか、それは定型発達の子だけに当てはまるのか、はわかりません。 しかし児童デイや相談支援、医師、支援級を進める特別支援コーディネーターからのアドバイスで、このような「休む」「傷ついた心を癒す」という言葉が聞かれることもあります。 私達も落ち込むことがありますし、精神的な疲労から動き出せないことがあります。 ですから心地よい環境の中で回復を図るのも良いと思います。 でも、それはあくまで回復するまでの“一時的なもの”ではないでしょうか。 フリースクールや不登校支援の教室をのぞくと、年単位で通っている子たちが多いことに気がつきます。 心身を休める回復する場所が、いつしか心地よい場所に変わっている気がします。 変わらぬ環境、変わらぬスタッフ、変わらなぬ自由な時間。 予定調和な空間は疲労した脳には刺激が少なく休むには良い環境。 しかし、脳の育ち、脳への刺激を考えると問題が出てきます。 とくに発達障害の子ども達にとっては。 脳はたくさんのエネルギーを使いますので、省エネを目指します。 身体や感覚に不具合があったり、食事や睡眠で問題があったりすると、その傾向がより強くなります。 発達障害の子ども達は疲れやすい、心身のダメージを受けやすい、回復しづらい、という場合が多いので、そうなるとより刺激の少ない、脳を働かせなくて良い環境を求めます。 長期化する不登校、ひきこもりの背景には、そもそもキャパが少ないゆえに刺激が少ない環境から抜け出せない、一歩踏み出せないということがあると思います。 そういった背景のある発達障害の子ども達に必要なのは休息よりも、脳のキャパを増やすこと。 本来なら身体や感覚が受け持つ部分までも、頭、脳が働き、処理してしまうため、新しいことに挑戦ができないでいる。 だったら援助の方向性としては...

【No.1469】専門家のアセスメントのアセスメント

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アセスメントは大事。 そのアセスメントの中でも ①見たものをある基準に当てはめるアセスメント →検査、評価など ②症状を見るアセスメント →「これはこだわりですね」「ADHDの衝動性というものですね」 ③症状や行動の背景を見るアセスメント →「ひきこもりの原因は不安から」「愛着形成がうまくいかないのは触覚の問題」  「ノートがとれないのは、動きの発達がまだ同側の段階だからですね」 ④遅れの始まりのアセスメント →「ハイハイを飛ばした。呼吸やおっぱいを吸うことに問題はなかった。ただ“抱っこがしにくい子”だった。背中、背骨に課題があるかもしれない。首のあたりに過敏さがある。首の過敏さが始まりで、うつ伏せ、首すわりに影響し、結果的に運動発達全般に遅れが出て確認できたのが“ハイハイを飛ばした”だった」 というような違いがあり、私が発達相談で行っているアセスメントは④になります。 当然、発達の仕方、資質などは遺伝もしますので、また育った環境の影響を受けるのもヒトなので、親御さんの成育歴や祖父母の代の方たちからの話、今住んでいる環境、妊娠前後の生活などの様子も含めてアセスメントしていく必要があります。 同じように幼少期、テレビや動画などを観て過ごした子でも、言葉に遅れが出る子、出ない子がいます。 そこには三代を辿っていくと、ことばに関して脆弱性を持っていると考えられる人がいる、といったような遺伝的な要素も関係している場合があります。 また学校や園で人とうまく関われない子の親御さんも他人と関わるのが苦手で、よく聞けばおじいさんも地域で有名なキャラが濃い人だったという話もあります(笑) そういった場合は身体の不具合や未発達の部分は育て治したほうが良いですが、対人関係はその子の受け継いだ資質、キャラとして“伸ばす”または“活かせる場所”を作る方向が良いと思います。 「遅れているところはすべて治療対象ではない」というのがわかるのも、④のアセスメントだからです。 いろんな場所、専門機関、専門家のアセスメントをたくさん受けてきたご家族は多いと思います。 しかし、95%くらいのご家庭はアセスメントは受けたことに満足し、丁寧にファイリングし、棚の中に大切にしまい、数年間熟成させます(笑) 私がこの仕事をはじめたのも、そういった活かされないアセスメント問題に気が付いたからです。 2日間の検査、ア...

【No.1468】1.2万年前と変わらない身体機能を持つ

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基本的に縄文人と私たち現代人の身体の機能は同じです。 いまはビルの中で生きている私たちも、身体は森や草原、自然の中で生きるために作られています。 ですからヒトが運動するとき、それはすなわち生命維持に直結するものになるのです。 生命維持のための運動と言えば、「獲物を捕る」と「天敵から逃げる」の2つ。 獲物や植物、貝など食べ物を採集するために運動します。 そして自分の身に危険が生じる場面、熊やイノシシなどと出くわしたときに逃げるために運動します。 そんなとき、身体はどういった機能を発動しているのでしょうか。 まずは正しい姿勢、負担がないような安定した姿勢を維持する必要があります。 その目的に即した姿勢が取れなければ、食べ物を採集することはできませんし、自分が動物の食べ物になってしまいます。 また姿勢と同じように目の機能を維持することも大事です。 身体の動きに合わせて視点がブレるようでは目的は達成されません。 日頃、ほとんど意識していませんが、私たちの目には補正機能があり、動いているものを捉えたり、距離感を把握したり、視点を移動させたりすることができるようになっています。 そしてこれは実感しやすいと思いますが、運動時の体温調整、発汗、消化、ホルモン、呼吸等の調整が行われたり、脳を働かせ(覚醒)、集中力を高めたりもしています。 ひと言でいえば、自律神経に関連する機能です。 このように私たちの“運動”には様々な機能が発動されているのです。 自閉っ子と運動の関係でいえば、家の中でほとんど動かないおとなしい子がいたり、反対にせわしなく家の中を動き回る子がいたり。 おとなしい子は動きが少ない分、覚醒状態が低くなるため、ボーとしていることが多いと思います。 背景には運動発達のヌケなどがあり、十分に運動できるだけの身体が育っていないことが影響しているといえます。 つまり、うちの子、「いつもボーとしている」「集中力がない」「新しいことをする意欲がない。学習しようとしない」というのは運動に関連する機能が発動される機会が少なく、そのためにそれらの機能に発達の遅れが出ている状態と考えられます。 活発に動き回る子はこういった機能が発動される場面が多いと言えます。 しかし、この子たちの問題は「発動の機会がない」ではなくて、「発動する機会はあるけれども、うまく発動していない」ということが考えられます...

【No.1467】発達の遅れにははじまりがある

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「そんな“発達が遅れた原因”に目を向けようとするのは、大久保さんが愛着障害がないからだね」 以前、ある人から言われたことがあります。 たしかにそれもあるでしょうが、やっぱり「治る」と主張するからにはそこは避けては通れません。 「改善するけど、治らない」おうちの中には“症状が重い”以外に、阻害要因をそのままにしている、または阻害要因を考慮した子育てができていない場合が多いといえます。 ハイハイを抜かした子には、ハイハイを抜かす理由があるのです。 サークルの中に入っていたため、自由にハイハイができなかったかもしれません。 動画を観ている時間が長かったため、赤ちゃん用の椅子に座っていることが多かったため、ハイハイをする必要性がなかったかもしれません。 足の指が育っていなかったため、ズリバイがやりきれず、結果的にハイハイを飛ばしたのかもしれません。 触覚の過敏さがあり、うつ伏せが嫌でできなかったのかもしれません。 背骨、首の未発達があり、うつ伏せになって頭を持ち上げられなかったのかもしれません。 不安が強く、母親の愛情を受け取れる身体の状態ではなく、自ら動き出すことができなかったのかもしれません。 お母さんのおなかの中でうまく動くことができず、または動き回る練習をしないまま生まれたため、自分の身体を両手両足で支えられるだけの前庭感覚が育っていなかったのかもしれません。 へその緒が首に絡まっていたため、首にトラウマがあり、運動発達の始まりの呼吸から遅れが始まり、結果的にハイハイまでたどり着かなかったのかもしれません。 ハイハイ一つとっても、環境面、資質面、成育歴と様々な要因が考えられ、それも複数が絡み合っています。 言葉の遅れや対人面の遅れなど、より高次な能力となれば、その土台となる発達課題は多く、その遅れた背景まで考えるとかなり多様なパターンとなります。 同じ言葉の遅れがある子でも、遅れた理由は一人ひとり違います。 発達障害の発達の遅れ方は多様です。 私が発達が遅れた理由、背景にこだわるのは、そこに治るヒントがあるからです。 胎児期の栄養状態が発達の遅れにつながっているのなら、身体アプローチよりも、栄養や食事の見直し、そこから丁寧に育てていくことが優先順位が高いといえるでしょう。 右脳が優位に育つ0歳から2歳の間にデジタル刺激に偏った生活をしていた子なら、まずはそういった刺...

【No.1466】自動販売機のようなアセスメントとアプローチ

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ひと昔前は発達障害の子ども自体を変えようとすること、症状自体にアプローチすることに否定的な意見が多かったと思います。 それは脳の障害ということを信じていたからかもしれませんし、症状を改善、治療する方法を知らなかったからかもしれません。 時代は進み、身体アプローチが標準化し、発達障害自体が固定化されたものではない認識が広まりました。 それは書店に並ぶ特別支援系の本をパラパラッとめくっただけでもわかります。 この頃はめっきりTEACCHも、ABAも、棚に並ばなくなりました。 症状は改善できること、発達障害は治療の対象であること。 身体を通した神経を育てるアプローチが広まったことは嬉しく思います。 だけど、私は物足りないのです。 私にはそのほとんどが対症療法にしか見えないのです。 神経を刺激し、育てようとするアプローチを謳っているのに、発達の遅れの原因は「脳の障害」とひと言で終わっている支援者や本の数々。 「アセスメントが大事」と言っている割に、それは表面的なレベルのアセスメントで終わっているな、と思うことばかり。 たとえば、授業中に大きな声を出してしまう子のケース。 その子をアセスメントすると 「姿勢保持ができていない」 「机や子どもの声に反応する」 「掲示物が揺れるとそちらのほうに意識が向いてしまう」 「字を枠内に書くことができない」 「友達との距離感が近い」 などが確認される。 で、その理由が前庭感覚の未発達だったり、聴覚過敏だったり、ハイハイを飛ばしたなどの運動発達のヌケだったり。 これでアセスメントは終了で、じゃあ、感覚を育てましょう、運動発達をやり直しましょう、となるのが一般的な流れ。 でも、これって薄いアセスメントだと思う。 たぶん、私が発達相談、レポートでこういったレベルのものを提示したら文句を言われると思う。 もちろん、私のお客さんは良い人ばかりなので、そういったことは直接言わないと思うけど、私だったら許されないレベルだと思います。 聴覚過敏がある子に聴覚の未発達があるから、耳を育てましょう、で良いのか。 それで世の中の親御さん達は満足なのでしょうか。 感覚の問題や運動発達の問題など、ともに生活している親御さんなら聞かなくてもわかっているものです。 わざわざ支援者、専門家が偉そうにやるアセスメントなのでしょうか。 私が親だったら、聴覚の未発達もわかるし、...

【No.1465】右脳が育っていないケースが多い

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発達障害の子は「発達が凸凹している」と言われる。 この凸凹とはどういうことだろうか。 できるところとできないところの差が大きい。 同年齢の子と同じように発達している部分もあれば、大きく遅れている部分もある。 人はだれしも得意なところと不得意なところがあるものだから、みんな、多少なりとも発達が凸凹している。 全領域が直線的な発達なんてことは考えにくい。 とすれば、発達が凸凹していることが問題なのではなく、できない部分が足を引っ張って生活や自立に支障が出ていることが問題なのだろう。 発達の凸凹でいえば、圧倒的に多いのが「左脳>>>右脳」 左脳が優位に育っていて、右脳の発達が遅れている。 左脳は育っているけれども、右脳の遅れが顕著にみられている。 右脳は感情や直感。 ちなみに左脳は言語や論理。 どっちも人間社会で生きていくために必要なので、その左右差が大きくなると生きづらさに繋がっていく。 ロゴや数字、文字を覚えるのは早かったけれど、人の顔を描くことができない。 言葉は話すけど、感情のやり取りのようなコミュニケーション手段としては使えない。 計算問題は得意だけど、文章問題はさっぱり。 勉強はできるのに、社会的なルールや規範は理解できない。 0歳から2歳までは右脳が優位に育つ時期になります。 この時期はいろんなものを触り、口に入れ、全身を使って様々な刺激を浴びる時期でもあります。 この時期にそれらを十分に満たすだけの環境が得られなかったり、それよりも反対側の左脳を刺激するようなデジタルな情報で生活が埋まっていたりすると、右脳が育たないまま過ぎてしまう。 3歳から4歳になると、左脳が優位に育ち始めます。 中には0歳から4歳までずっと左脳ばかり育つ環境で過ごしたと思われる子もいます。 「スマホにこもりをさせてしまった」と後悔の念をおっしゃる親御さん達が多いのも事実です。 発達障害が遺伝的な障害だとすれば、宮古島で起きた「8年間で44倍」といったことは起きないでしょう。 やっぱり生まれつきの障害ではなく、後天的な影響が大きい“現代病”の一つだと考えられます。 生まれつきの障害が良いという人もいるようですが、私は後天的なほうがずっと良いと思っています。 後天的だったら、治る可能性、障害自体がよくなる可能性があるのだから。 このように左脳と右脳の育ちのバランスが崩れてしまった子には、...

【No.1464】模倣する力を育てよう

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ことばの発達において、「模倣」は大事です。 聞いた音を模倣することで学習していくからです。 しかし、ことばの模倣はもちろんのこと、模倣自体、ほとんどしない、できない、という子も少なくありません。 発達検査や知能検査で「模倣の項目が低く出た」というご家族も多いのではないでしょうか。 定型発達といわれる子ども達は身近にいる家族の動きを見たり、言葉を聞いたりして文化的な行動を身に付けていきます。 靴下を履くというのを目の前で見せると、同じようにやってみようとする。 最初はできなくても、繰り返していくうちに指の動き方を覚え、自分で靴下が履けるようになる。 しかし、自閉っ子は靴下を履いているママを静かに見ている、といった感じです。 そうなると、なにかを教える手段がすべて動作誘導、つまり、手をもってあげて一緒に動かしてみるということがメインになり、それだと感覚過敏や多動傾向のある子は難しくなります。 で結局、身辺自立が遅れ、それもまた“発達の遅れ”と認識されてしまう。 「模倣する力はどうやって育てたらいいんですか?」という相談はよくあります。 「簡単な模倣から始めましょう」とアドバイスをもらうそうなのですが、私は模倣の練習よりも、模倣を知ることが先なのではないかと考えています。 模倣しない子、目の前の人の行動に反応しない子は、そもそも模倣、真似という存在に気が付いていない。 私が提案するのは、「まず親御さんがお子さんの真似をしてみましょう」ということです。 子どもさんがやっている動き、遊び、声をそのまま真似をする。 もちろん、最初は見向きもされないでしょうが、突然、「自分と同じかも」と気付く瞬間がきます。 それはことばを覚えるプロセスの一つと同じように、最初は「あー」とか「ピー」とか身体のままに発声した子が、それを真似する母親の声にハッとなり、お母さんの声と自分の声を一致させていくのです。 どういった行動を真似するのが良いかと問われれば、いろんなご家庭をみていると、やっぱり子どもさん自体が好きな遊び、繰り返している動きや声などが良いと思います。 そういった熱中する行動は快の感情と結びついていることが多く、快の感情は神経に強い刺激として伝わっていくからです。 先ほどのことばを覚えるプロセスでも、人間特有の人から反応があると嬉しい(「共感の快」)という能力がありますので、声を出して...

【No.1463】「言葉の遅れ」とひと言ではいえません

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「言葉の遅れ」とひと言でいっても、その状態、発達段階によって育て方は変わってきます。 『発声の段階』は何かを伝えようと意図をもって発しているというよりも、感情が高ぶって「あー」と言ったり、手を動かすように喉を動かして遊んだりしている状態(赤ちゃんに共通してみられます)です。 動物に広く見られる“運動”に近いかもしれません。 ですから運動の段階の子には運動が必要になります。 内的な変化に対して発声を通して反応している。 発声を続けていくことで、周囲から見ればやりきらせてあげることで、運動機能としての喉や口、そして鼻も、肺も、育っていきます。 育っていく中で発声にバリエーションが増え、同時に発声をコントロールする力も身に付けていきます。 この段階の子ども達に必要なのは、内的な変化への反応の段階から自らでコントロールできる段階へ進むことなのです。 自分の意思で発声することができ、かつ複数の発声を使いこなせることが、コミュニケーションとしての言葉の土台になります。 明確な言葉はいえないけれど、意図をもって「あー」とか、「うー」とか発している段階。 そういった子ども達に必要なのは認知機能の向上になります。 自分の発した言葉に対する周囲の反応、その場面や状況といったパターンを覚えていく必要があるからです。 「あ、あ」と言ったら、お母さんが来てくれた。 お母さんを呼びたいときは「あ、あ」と言ってみよう。 最初は偶然発した言葉に対する偶然の一致の対応かもしれませんが、それを少しずつ覚えていきます。 施設で働いてきたときもそうですが、やはり知的障害の状態がこの段階でとどまるか、次の段階へ進むか明確に出ていました。 ではこの段階の子に必要な認知機能の向上とは? それは文字が読めるとか、書けるとかといったものではなく、運動機能を高めることになります。 言語中枢といわれる脳の部位は運動機能を司る部位と関連しています。 身体を大きく使う動き、それはすなわちいろんな身体の部分を連携させて動かすということ。 動きのバリエーションを増やすこと、いろんな動きをすること自体が脳を刺激し、認知機能を向上させます。 さらにコミュニケーションとしての言葉は、なにかを使える道具でもありますので、ボールを転がしたり、ティッシュをとったり、スコップでモノを叩いたりというような道具の操作が脳を育てますし、機能として...

【No.1462】支援が足りないから強度行動障害になる?

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時々、行動障害を持ったご家族のもとへ伺うことがあります。 強度行動障害の人達が住む施設で働いていた経験があるからかもしれませんし、そもそも相談にのってくれる機関が少ないからかもしれません。 訪問すると、「支援機関は相談には乗ってくれるけれども、実際に家まで来てくれるところはなかった」とおっしゃるご家族もいました。 推計ではありますが、強度行動障害を持つ人は全国に2.5万人もいて、その多くの人が家で過ごしている状況です。 グループホームも増えてはきていますが、行動障害を持つ人は断られる場合がほとんどなのが現実なのです。 強度行動障害まではいかなくとも行動障害を持っている人、また大人だけではなく子どもさんもいます。 そういったご家庭に伺ってみると、気づくこと、共通することがあります。 親御さんが言う「突然のパニック」の多くは、フラッシュバックが起きていると考えられます。 それまでご機嫌に過ごしていたのに、急にパニックになって暴れだす。 きっと嫌なことがあったんだろう。 ストレスが溜まっていたんだろう。 見通しが持てずに混乱したんだろう。 ペースやこだわりを崩されて爆発したんだろう。 言いたいことが伝わらず怒りで表現したんだろう。 もちろん、こういった背景、周囲の解釈が当てはまることもありますが、その場合は暴れ方が違います。 持続時間が短いですし、こちらの指示や言葉が伝わる接点がある。 しかし、フラッシュバックが背景にある場合、混乱状態が長く続きます。 こちらの言葉が届かなくて別の世界に行っているかのよう。 目の焦点が合わないですし、苦しみから逃れようとしている姿が映し出されます。 自傷の雰囲気、味わいが苦しいという訴えではなく、自らを滅ぼそうとする行為にみえるのです。 今の支援の中心は 混乱させないように見通しを持たせよう コミュニケーションの代替手段を使えるようにしよう 刺激を減らしてストレスを減らそう また自分や他人を気付ける行為、問題となりえる行動を事前に止めてできなくさせよう ということになります。 そうです。 これはフラッシュバックに対する支援ではありません。 強度行動障害の研修で展開されている内容は自閉症支援と同じなのです。 行動障害を持つ人が家を出て、入所施設やグループで暮らし始めると、パニックが減るということは珍しくありません。 その理由は家の中にフラッ...

【No.1461】「賢いお子さんだな」と感じるとき

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「賢いお子さんだな」と感じることは発達相談の場面でたくさんあります。 言葉は発しないけれど、知的には重度とされているけれど、周りが想像している以上にいろんなことがわかっていて、できる能力を持っている。 だけれども、そこが気づかれていない子が少なくないと思います。 親御さんと話をしていても、「本当はうちの子、もっとできると思うんです」「結構、わかっていると思うんです」という言葉はよく聞きます。 親御さんは我が子の力に気が付いているんですよね。 でも診断は自閉症だったり、知的障害だったり。 確かに同年齢の子と比べてできないことが多い。 だから、そんな素直な想いに蓋をし、モヤモヤした気持ちを抱えて子育てを続けていく。 でも、本当に専門家の言うことは正しいのでしょうか? 親御さんの見立ては素人の見立てで、常に間違っていると言えるのでしょうか? 人の知能をすべて測定することはできません。 ましてや、その子の成長する力、可能性、未来を測定することはできないのです。 検査結果に一喜一憂する親御さんは多いですが、それはあくまで現時点での限られたポイントに対する評価です。 検査結果がその子のすべてでも、将来を決めるものではありませんね。 「そういう面もあるよね」くらいか、「サービス申請のための資料作りの一つ」というくらいの認識で良いのです。 事実、専門家の見立てとは異なる将来を歩んでいる若者たちがいます。 専門家の見立て通り、たとえば「この子は生涯、支援が必要だ」「言葉は出ない」「仕事や進学なんて無理」と言われたことがそのまま事実になるケースの多くは、専門家の言葉をそのまま鵜吞みにする家庭だといえます。 いや、鵜呑みにしている風で諦めた家庭、専門家に丸投げ、自分のせいじゃないからと割り切った家庭といえるかもしれません。 幼いときから専門家の言う通りに支援し、選択し、受け入れてきた。 そういった家庭の子は、みんな、支援の世界から出ることなく生きていく。 でも冒頭で紹介した通り、周囲が気づいていないけど、検査結果に表れないけど、「賢い」と感じる子ども達がたくさんいます。 そういった子は、「首から下の未発達&未接続」と「代償による凸凹発達」の2パターンが考えられます。 「首から下の未発達&未接続」とは、頭は活発に動いているけれども、身体が育っていなくてうまく能力が発揮できていない状態。 ま...

【No.1460】親の熱量 子の熱量

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スポーツ少年団でもそうですし、ピアノなどの習い事もそうですが、「親の熱量が子どもを上回ってはダメ」というのがありますね。 時々、公園などで親御さんのほうが向きになってスポーツを教えている場面を見かけます。 最初は好きで始めたスポーツや習い事も、いつしかやるべき“作業”になったり、親御さんの機嫌をと取るための“手段”になったりする。 いろんなアスリート、一芸に秀でた子を育てた家族の調査研究では、やっぱりそのものが「好き」「楽しい」という子どもの気持ちを阻害しないような配慮と環境があったことがわかりましたね。 だからこそ、子どもの「好き」を親御さんの熱量が上回ってはならないのです。 ちなみに中学、高校年代くらいになると、指導者の熱量が移ることもあるため、一概に成長を阻害するとはいえないようです。 それでも、そのものが好きで続けている子には敵わないようですが。 これは子どもに共通する特徴であり、子どもらしい発達の仕方だといえます。 発達相談でいろんなご家庭と関わりますが、「この子を発達させてやるんだ」という熱量が高くなると、あまり良い結果がでません(笑) 時々、目やテレパシーで私に「うちの親、どうにかしてくださいよ、大久保さん」と訴えてくる子もいます(笑) 一時期話題にもなりましたが、「はい、ハイハイ、5往復!」「はい、揺れる動き、左右で50回!」「はい、トランポリン、3分連続!」というような感じ。 一方で、私がよく言っている「子どもが育てたいところ、今、育てているところを育てる」という方針のご家庭は伸び始めたら一気に伸びるといった感じです。 このポイントは「意識」だと考えています。 対象の刺激に意識が向いているとき、意識が集中しているとき、強い電気信号が神経に流れます。 子どもの様子でいうと、そのモノ以外目に入っていない状態です。 子どもの発達の仕方の特徴として「繰り返す」「没頭する」があります。 とにかく(私たちから見れば意味が分からなくても)その行動を繰り返す。 ご飯やほかの活動があったとしても、お構いなしに没頭している。 「時間を忘れて」がまさにその状態です。 子どもが繰り返し行っている動作に対して、「自閉症の特性」「常同運動」「こだわり」などと捉えられてしまう場合があります。 そうすると、それは止める対象になり、注意を別のモノへと移そうとします。 これは私が学生...

【No.1459】「自己肯定感」と「チャレンジ」

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発達障害の人は「自己肯定感が低い」と言われていますね。 だからその自己肯定感を下げないように「否定語を使わない」「無理させない」 自己肯定感が上がるように「褒める」「できることだけをやらせる」という支援が奨励されています。 確かに彼らの自己肯定感は低いといえます。 でもそういった“いい子ねよちよち”で自己肯定感は下がらないのでしょうか。 それで上がるのでしょうか。 そもそもなぜ、自己肯定感が低くなるのでしょうか。 それこそ発達障害なので、「生まれつき自己肯定感が低い」というのでしょうか。 私は自己肯定感が低い赤ちゃんなどいないと思います。 生まれたときから「俺ってダメだな」と思っている子などいないでしょう。 赤ちゃんは今だけの世界で生きている。 過去もなければ未来もない。 あるのは今だけで、そこに集中して生きているので自己がうんぬんという段階ではありませんね。 そして自分の意識がはっきりし、周囲の環境、刺激に気が付いた乳幼児の子ども達は自信にあふれたような行動をします。 気になるものに手を伸ばし、どこでもここでもまっしぐらに進んでいく。 私が思うに、人は自信をもって生まれてくる。 結果や他者の評価なんて関係なく、自分は何でもできると思って行動するのが本来の子どもの姿。 ということは、発達障害の子ども達、人たちの自己肯定感を下げるのはチャレンジの機会の喪失ではないでしょうか。 挑戦したけれども、挑戦できない、行動できない。 発達障害の子の挑戦を奪うものは何でしょうか。 第一に自分の身体に生じている不具合でしょう。 動きたいけども、運動発達のヌケがあってうまく身体を操作、連動することができない。 感覚過敏があって刺激に圧倒されているから、動こうにも動けない。 母親の愛情を身体が気づけないから安心よりも不安が大きくなって動けない。 そしてもう一つ大きいのが他者評価による機会の取り上げです。 発達に遅れがあるから〇〇は難しい。 そういってチャレンジの機会が奪われることが多いのも事実。 支援や療育を受ける結果、同年齢の子たちが得る体験に参加することができない。 喧嘩しようとしても、なにかトラブルが起きようとも、間に支援員が入って事前に止められる。 支援級の子は6年間、「同じドリルをやるだけ」という話もいまだにあります。 支援学校に至ってはほとんどの子が教科書さえ配られない。 ...

【No.1458】「無人島に行きたい」と親御さんが言ったら

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インスタでフォローしている児童デイさんの投稿を見るのが私の楽しみになっています。 とにかく子ども達がキラキラしているんです。 活動内容も、自然豊かな場所でたくさん遊んでいる様子があったり、芸術活動をしている様子があったり。 スタッフの皆さんも心から楽しんで子ども達と、子ども達の成長と関わっている様子が伝わってきます。 地域の資源、その土地全部を使って子ども達の成長を後押している感じ。 もしてらっこ塾が立ち行かなくなったら、私が就職したいくらいです。 本当に素晴らしい施設というのは「お金を払ってでも利用したい」と思うようなところで、この児童デイさんは国からの給付金なくてもやっていけるくらいなポテンシャルと質を持っているでしょう。 でも本来はそうでなくちゃ。 給付金前提のサービスしかできないところに何かを期待すること自体が無理な話ですから。 私が学生だった頃、自閉っ子のお母さん達は「無人島に住みたい」とよく言っていました。 その意味は「刺激の少ない環境だと自閉症の人は落ちつくから」といったものでした。 確かに無人島に行けば、注意を奪う目に入る刺激や不快に聴こえてしまう人工音がありません。 当時、頻繁にパニックになる子が多かったので、また支援自体も「環境調整+刺激を減らす」ばかりでしたので、私も無人島のような環境が彼らにとって幸せじゃないかと思っていました。 しかし発達援助という仕事をしていく中で、また発達障害自体が改善し、治っていく人たちを見ていく中で、無人島のような環境はむしろ刺激が多くて、積極的な意味で自閉っ子たちが育つ環境だとわかるようになりました。 施設の中で支援や療育を受けている子よりも、環境的にも、子育て的にも自然な方が刺激が多くて伸びていく子が多い。 理由はとても簡単です。 自然界に四角や直線はありません。 すべての刺激が不規則で、かつ常に作られては壊されている。 つまり、この刺激の揺らぎ、多様性、無限性が豊かな刺激となって子ども達の身体に、脳に、届いていくのです。 早期診断、早期療育に頑張ってきた家族が、その支援の枠から抜け出し、「全部やめた」とした途端、子どもさんがググっと伸びる、大きな変化がみられることは珍しくないことです。 むしろ支援をしてきたことが子どもの発達する力を妨げていたのでは、と感想を述べられる親御さんもいるくらいです。 それは支援自体が...

【No.1458】開業14年目です

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4月2日を開業日にしたのは、理解ばかり叫ぶギョーカイの青いお祭りへの当てつけでした(笑)決算報告書をみれば募金のほとんどをライトアップに支出。 いいように代理店にやられたのでしょう。 まあ結局、自分たちのお金じゃないし、ローカルメディアに取り上げられれば良いのでお構いなしといった感じ。 たった一日、建物を青くするのは打ち上げ花火と一緒で宣伝なのです。 彼らは本気で理解を求めていない。 でも親たち、当事者たちは本気で理解されれば今の生活が逆転できると信じている。 社会の理解がないから自分たちが不幸なんだと自らにも言い聞かせている。 私達がダメなんじゃなくて、社会がダメなんだということにしたい。 問題の本質は当事者たちの発達の悩みに対して答えを持ち合わせていないこと。 いや、「治らない障害」にしておくことで、公金で儲けられる仕組みを構築したギョーカイそのものなのです。 理解し、共感し、「あなたのせいじゃなくて、障害だから。社会の理解が乏しいから」とささやく。 うまくいったら(支援している)私たちのおかげで、問題が大きくなっても障害のせい。 有名支援者、教授、医師たちが講演会で「現状維持だけでも儲けもの」と主張を繰り返す。 そして「彼らに必要な支援」と言いながら、やっているのは介助であり、目的が将来、介護しやすい人に育てること。 これがギョーカイ真っ只中で働いてきた自分が見てきた世界。 身体障害など、ほかの障害を持った子ども達、親御さん達とも関わった経験があるけど、発達障害の人達、関係者ほど「理解」「理解」と言っていない。 いや、発達障害だけ突出して理解を叫んでいる。 他の障害は周囲から見てわかるから? いや、十分、発達障害の人も見てわかる。 ちょっと変わった行動をしている子、人をみれば、「あの人、発達障害かもね」と周囲は気が付く。 逆になんでもかんでも発達障害にしている感じすらある。 他の障害の人達は、もっと社会で働きたいから、勉強がしたいから、自立したいから支援とその機会を求めている。 だけど、発達障害の人達はずっと自分たちを理解してほしいと言っている。 発達障害という認知の面では社会の理解はずいぶん進んだといえます。 利用できる社会資源、支援、そして国など行政からの予算もかなり増えました。 だからあとは支援を利用して自立していってください、というメッセージが送られて...

【No.1457】「治らない」という意見と、「治る」という意見

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お母さんが仕事から帰ってきたら「お父さんが死んだ」と言おう。 そういえば今日はエイプリルフール。 今も昔も、新年度初日を愉しんでいるのは子ども達のようです。 でも息子よ、どうせならもう少しハッピーな嘘にしてくれないかな(笑) 大人の世界では「フェイクニュース」や「陰謀論」など、噓か実か瞬時に判断できない情報で溢れていますね。 ある個人や集団にとって都合の悪いものをそういった言葉で打ち消そうとしたり、逆に都合のよい方向へ誘導しようと捏造し情報戦を仕掛けたり。 人間は「最初に見た情報」と「多数派の意見」を信じてしまう傾向を持っていて、しかも日本人は「権威に弱い」ので真実かどうか確かめるよりも先にコロッといってしまう。 「最初に見た情報」「多数派の意見」「権威に弱い」 まさにハッタツの沼の正体です。 最初に「生まれつきの障害で治らない」という情報に触れ、「育て方のせいじゃない」「支援が必要」「受容が必要」という多数派の意見を信じ、非科学的な問診と行動観察のみの診断名を医師という権威がつけたということだけで受け入れる。 冷静に見れば、ハッタツのギョーカイで言われていることのほとんどが“意見”です。 新生児の脳を調べて、「この子は自閉症ですね」と診断された子も、診断した医師もいない。 育て方は関係ないというけれども、成育環境によって脳や神経発達に影響が出ることは明らかになっている。 支援や受容が必要な子や場合はあるかもしれないけど、それよりも発達の遅れを育て直すことが必要な子、育てなおすことが可能な子もいる。 同じ“意見”だったら、「発達障害が治る」も、「治らない」もその人が信じるほうを選択すればよいのです。 まあ、「治らない」と思って子育てしていると治らないので、その人にとっては「治らない」が真実になるのでしょうが。 この特に親御さんがどう捉えるか、考えるか、は子どもさんの予後に大きな影響を与えると思います。 たとえば、音に強く反応することを「聴覚過敏」と捉えるか、「耳の未発達」と捉えるかで大きな違いです。 なんでもかんでも「特性」と言っちゃうのもそうですね。 「これは自閉症の特性なんです」と言っている家庭のお子さんを見れば、それはまだ学習できていなかっただけだったり、別の課題があってうまく行動がつながっていなかっただけだったり。 多いのは同年齢の子と比べて数年遅れて出てい...

【No.1456】効果があった子に共通する方法が見いだせないだろうか?

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言葉が出るようになった。 おしっこがトイレでできるようになった。 文字が書けるようになった。 夜、寝られるようになった。 かんしゃくがおさまった。 服を噛むのがなくなった。 支援級から普通級へ転籍できた。 知能指数が上がった。 発達のヌケが埋まった。 いろんな“できた”と出会ってきました。 だけれども、「これをやればOK」というような共通した方法はありませんでした。 「言葉が出ない子にはこれをやったらいい」みたいな。 ある子には言葉の発達を促す方法だったとしても、別の子にはまったく効果、変化を生まないことだって多々あるのです。 それは当然ですね。 同じ発達の遅れ、課題に悩む子だったとしても、一人ひとり違いますから。 もちろん、家族だって。 私も以前は効果があった子に共通する方法が見いだせないだろうか、と考えた時期もありました。 もう四半世紀くらいこの世界で支援に携わっているので。 でも関わる家庭、子ども達が増えれば増えるほど、その目標は遠のくばかり。 知れば知るほど、育ち方、治り方には多様性があって、唯一無二の方法など存在しないと現実が見えてくる。 自分の強みは関わってきたケースの数だと思っていたのに。 しかし私はあることに気が付きました。 育ち方、治り方に共通した方法はないけれども、逆にうまくいかなかった方法、環境には共通点があることを。 こういった状態だと、子どもさんの発達はなかなか進んでいかない。 この課題がクリアされていないと、全体的な発達につながらない。 言葉が出るよりも、出ない家庭に共通する環境がある。 認知の面、とくに概念理解が進んでいかない子には共通した課題がみられる。 やっぱり「呼吸・栄養・刺激」が発達の条件で極端に欠けていると影響が大きい。 やっぱり「快食・快眠・快便」の上に育ちがあるから、ここが整っていないとうまくいかない。 睡眠の課題でも寝るのが遅いよりも、途中覚醒や起床時の不機嫌さがある子のほうが心配、など。 うまくいかないケース、なかなか課題がクリアされない、発達の遅れやヌケが育っていかない家庭には共通した状態があると思います。 ですから発達相談においても、この点を確認して、まずはそこから手を付けていきましょう、という方向でお話しています。 施設職員、学校教諭、相談員という経歴の中で、私自身、たくさん失敗したし、そういった人たちを見てきた...

【No.1455】「他人の気持ちがわからない」は特性か?

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相手の気持ちがわからない子がいます。 いや、相手の気持ちに気が付いていない子。 じゃあ、その“気が付かない”根っこは? そうです、自分の気持ちに気が付いていない。 自閉っ子に共通する特徴として、この気持ちを読む、察する力の弱さがあげられます。 場にそぐわない言動や一方的な関わり方。 これは園や学校などの集団生活の中でも問題になりますし、一緒に暮らす家族としても困るところ。 しかし、それがギョーカイ的には「特性の一つ」として定義しているので、向かう先がちぐはぐになる。 周囲が我慢するか、間に支援者が入って転ばぬ先の杖になる。 または丁寧に「〇〇ちゃん、嫌な気持ちになっているよ」と何度も説明する。 もっとアクロバティックになると、「もしあなたが同じことをされたらどう思う?」という視点の切り替えという複雑な脳機能を通して理解を促そうとしたり、無限にある場面から1つ取り出して「この場面ではこう振舞います」と暗記させたりする。 他人の気持ちに気づけない、理解できないという表面的な現象に対して、「とにかく絆創膏しなきゃ」「とにかくマスクしなきゃ」とやられてきた子たちが相談にやってくると、教え込まれたパターンで突き進む姿が確認できます。 たぶん、本人たちからすれば、意味も分からず、「指導者が一旦、落ち着くから」という想いで指示されたリアクションをしているだけ。 でそれが染みつく。 でもその場にいた指導者以外の場所に行くと、新たな問題行動して「場面に関係ない一方的な関わり方」とみなされ、重い自閉症としてレッテルの張替えが行われます。 「これだから自閉症は…」と非難の目にさらされる本当の原因は、そういった固定観念から抜け出せない指導者、支援者の貼った絆創膏だったりするのです。 こういった後天的に教え込まれ、身に付けた行動はなかなかとることができません。 だって、その行動を身に付けることは自分の身を守ること、安心へと繋がってきたから。 たとえパターン学習で応用の効かない行動だったとしても、そのときの指導から逃れるためには役に立ったのです。 「他人の気持ちに気づけない」 「一方的な関わり方をする」 そういった子の多くは自分自身の気持ちに気づいていません。 自分の内側で起こっている変化に気づけていないのです。 だから支援するのは「〇〇ちゃんが嫌な気持ちをしているよ」という他人の内側ではなく...