支援者のお人形の1つになってはならない
寂しい気持ちを持つ子が、お人形を自分の周りに並べて置くように、主体性のない人をそばに置く。 そんな支援者は少なくない。 支援者というのは、本人も気が付いていないような“寂しさ”を持っている者が多くいる。 その寂しさは、その人が持つ愛着障害からくる。 「愛着障害があるから、支援者になったんだ」 本人の口からは出ないが、身体の奥そこから、そんな声が聞こえてくる者もいる。 支援者にとって、いや、愛着障害を持つ者、基底欠損を抱えたまま大人になった者にとって、主体性ほど、怖いものはない。 何故なら、基底欠損が埋まっていない自分にとって、主体性とは未知のものであるから。 また、主体性のある人は、「No」が言えるからだ。 愛着障害を抱えた支援者というのは、「No」と言われるのを恐れている。 自分が幼い頃、大切な人から発せられた「No」を連想するのだろう。 だから、当事者の方、親御さんが、自分の足で歩もうとすること、「支援はもういりません」と表明することを、「(自分が)拒否された」と捉えてしまう。 一方、充分に愛されて育った人間は、自分が関わった人が自立していくことを心から喜べる。 自分の大切な人から返ってきた反応だから、それを知っているから、身体を通して体験しているから。 有名支援者と呼ばれる人の周りには、いつも並んでいる人形たちがいる。 その人形たちの正体は、主体性のない当事者であり、保護者であり、同じように愛着障害を抱える支援者である。 有名支援者は、そういった人形たちの姿を見て、何も言わずに自分のことを見つめてくれる人形たちを見て、意識の上では「自分が必要とされている」というメッセージを確認し、無意識の上では自分の寂しさを埋めている。 だから、有名支援者にとっては、人形たちがそばにいることが重要なのだ。 口では「自立のための支援」と言うが、欠けのある心は、「自分から離れていってほしくない」と叫んでいる。 自立しよう、自分から離れていこうとする当事者、保護者がいると、反射的にそれを止めようとする。 「私の大事なお人形さんを持っていかないで」と言って涙を流す子どものように。 有名支援者のそばで、お人形として生きるのも、その人の選択である。 しかし、本気で自立を望んでいる当事者、保護者の方は、この事実に気が付いてほし...