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【No.1001】2019年を振り返り

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今朝、ジム納めに行ってきました。 昨日は上半身だったので、今日は下半身を重点的にトレーニング。 その後、日課のランニングマシーンへ。 いつものNHKのテレビ前ゾーンに行く(空いているから)と、今日は『あさイチ』ではなく、『スカーレット』の総集編。 荒木荘のシーンを見ると、ずっと前の出来事のような気がしました。 午後からは『いだてん』の総集編がやっているようですが、まだ本編が録画一覧になっているのでスルー。 今日の函館は、この時期としては珍しい+5℃以上の気温なので、テレビから年末を感じていたのでした。 今年を振り返ってみますと、幾度となく、「情報の垣根はなくなった」と感じる一年だったような気がします。 発達障害を、改めて“神経”発達障害と捉えることから始まり、OO群の存在が「治っていく人達がいるのも当然だよね」という空気感を形成しました。 発達に遅れがある子がいれば、原始反射の残存を確認するのは当たり前、運動発達のヌケを確認するのも当たり前、愛着という土台の発達を確認するのも当たり前。 それにプラスして、左右の脳の育ちのバランスと、栄養面の過不足の確認が、今年のトレンドだったような印象です。 数年前の「発達障害は治るかな、治らないかな」といったレベルから先に進み、「原始反射」「運動発達」「愛着」「右脳&左脳のバランス」「栄養」から、発達障害という状態を読み解き、育て、治していく段階へ。 発達障害を治す方向へ進んでいる人たちにとっては、親御さんも、専門家も、差はなくて、これらの認識、アプローチが基本となっていると感じます。 ですから、単純に「情報」という観点から言えば、親御さんも、専門家も、違いはありません。 別の見方をすれば、ひと昔前は、専門家は専門家と言うだけで、優位性を持つことができたといえます。 療育や支援、〇〇療法をやっている、というだけで、なんだか専門的なことをやっているように見えたし、それを受けることに価値があったような気がした。 それは、「きっと専門家というのは、私達よりも勉強しているし、専門的だろう」と思っていたし、専門的な知識、情報へアクセスも限られていたから。 でも、今はそんなことはなく、親御さんも、専門家と変わらず、意思と行動力があれば、専門的な情報を得ることができます。 なので、以前の「専門

【No.1000】「発達した」という声は、生きている証、生命そのもの

2019年は、1月、2月、3月と、3か月連続で新大阪駅前の同じホテルに宿泊。 関西と中部地方を行ったり来たりしながら、出張の発達相談を行いました。 そのあと、暖かくなってからは、九州と中国地方への出張。 今年は2ヶ月に1度のペースで、北海道以外の場所の訪問をさせていただきました。 完全に個別対応ですので、観光では行かないような場所に伺えたことが楽しみでもありました。 その土地土地の雰囲気、文化、空気感を感じ、またそれにどのように馴染んでいくアイディアを提供できるか。 単純に、ただ発達を促すだけの発達援助ではなく、その土地の、各ご家庭の文化、雰囲気、空気感に馴染むような発達援助。 そういった、もう一つ先の発達援助を目指し、努力を続けていきたいと思っています。 私は幸か不幸か、師匠と呼べるような存在がおりません。 教員免許は大学の講義で単位が取れたら取得できましたし、療育法に関する免許、資格に関しても、特定の人について学びはしましたが、それもトレーニングの期間だけのお付き合いでした。 ですから、基本的に独学で、その時その時で、必要だと思ったことを、なにか「これだ!」と感じることを、掘り下げていったら、今に至るという感じです。 若い頃は、それこそ、独立を考える前は、誰か特定の師匠について学んでいないことを後悔することもありました。 しかし、今考えると、反対にそれが良かったような気がします。 変なシガラミもなければ、誰の顔色を伺うこともありません。 それに、興味のまま、自分の感覚に従い、より良いものを瞬時に取り入れることができます。 私の仕事は、私が直接治す仕事ではなく、主に親御さんに治すアイディアを提供し、子どもさんが治っていく後押しをすること。 なので、私に特定の“型”がなくて良いのかもしれません。 型なしだからこそ、特別支援教育や療育などの狭い範囲に縛られることなく、少しでも発達に繋がるアイディア、知見を、幅広い世界から吸収しようと動けるのだと思います。 一昔前は、私のような型なし、師匠なしは、独立できたとしても、続かなかったでしょう。 でも、今はネットがあり、素晴らしい知見や視点、技術を持った人とつながることができます。 そういった優れた方達とネットを通して、リアルタイムでつながることによって、日々、自分自身の

治る子、治りにくい子、治り切らない子

重い知的障害を持っている子、言葉がなかなか出ない子。 そのようなお子さんがいるご家族にとっては、「治る」という言葉が、希望よりも、プレッシャーや落胆という意味合いになっている場合があるように感じます。 実際、揺れ動く心のうちを話してくださった親御さん達が一人、二人ではなく、複数いらっしゃいます。 他のお子さんが治っていく姿に喜びや希望を感じるのも事実。 でも、その姿がまぶし過ぎて、また同じように育っていかない現実を受け止められず、苦しく思ってしまうのも事実。 確かに、子どもさんによって、治りやすさに違いがあります。 ポンポンと治っていくお子さん達というのは、「もともと発達障害の器質はないよね」っていう雰囲気があります。 胎児期の栄養、環境、刺激によって、発達に遅れが出た発達障害の子。 出生後、栄養、環境、刺激によって、発達のヌケが出た発達障害の子。 胎児期、また出生後に生じた愛着形成の不全が、主に社会性の部分で発達の遅れを生じさせ、発達障害と見られちゃう子。 トラウマが発達のストッパーになり、同年齢のように育っていかず、結果的に発達障害っぽくなっている子。 腸内環境の問題や脳内の炎症が、不適切な行動、不可解な症状となり、典型的な発達障害と誤解されてしまっている子。 首の育ちの遅れが、末梢神経と脳の行き来を阻み、刺激の目詰まりで順調に発達していけない子。 発達障害と診断された子ども達が、栄養や運動、原始反射の統合などによって治っていくのは、「だって、僕は発達障害ではないもんね」というのが真実のような気がします。 原因があって、結果的に発達に遅れが出た。 ですから、その子の本来の発達の流れを読み、その流れに乗っていけるような育みをすれば、治ります。 もしかしたら、「治る」というよりも、本来の姿に戻ったという表現が、実態に近いかもしれません。 「発達障害が治る」という言葉を聞いて、特に驚きも、高揚感もないのは、現在、診断される子ども達の中心が、遺伝的な要素以上に、その“引き金”の方の問題によって生じているからだと感じます。 一方で、治りにくい子ども達がいるのも事実です。 同じように、発達のヌケがあり、育て切ったとしても、同年齢の子ども達と違いがないくらい治っていく子もいれば、その部分での発達は進んだけれども、やっぱり認

「心理的な自立」で、すぐに思い浮かぶ子

自立には、主に3つの側面があると思います。 身の回りのことが自分でできる身辺的自立。 収入を得て、自分で生計を立てて生活する経済的自立。 そして、昨日、お話しした自分の意思と選択によって生き方を決める心理的自立です。 この3つの自立で順位をつけるとすれば、私は心理的な自立が最も大事なことだと考えています。 「心理的な自立」という言葉で、すぐに思い浮かぶお子さんがいます。 その子は、まだ発語がなく、知的障害で言えば、重度の判定が出るお子さんです。 まだ子ども年代ですので、これからの発達、成長によって、変化していく可能性はあるでしょうが、もしかしたら、完全な自立は難しいかな、と思うことがあります。 実際、ご家族も、そのように仰っていました。 将来、身辺面でも、経済面でも、支援が必要になる可能性が高い。 でも、この子と接していると、悲しげな成人後の姿が見えてこないのです。 それは、心理的な自立ができる子だと感じているからです。 この子は、「好きなものは好き」「嫌いなものは嫌い」というように、とても意思がはっきりしています。 その意思表示も、言葉ではありませんが、しっかり態度や行動で示します。 そして何よりも、その意思表示に対して、家族みんなで、しっかり目や耳、感覚を傾け、ちゃんと分かり合えるまで向き合い続けるのです。 当然、「ダメなものはダメ」ではありますが、叶えられるものなら、時間が許す限り、応えています。 そういった本人、家族の姿を拝見すると、自分の好き嫌い、意思をしっかり表明できる機会があり、それが保障されている。 日々の生活の中に、本人が選択できる機会が自然にあり、その結果を含めて味わえている。 もちろん、本人の持って生まれた資質もあるでしょうが、このような育みが幼少期から将来の心理的な自立に向けた準備になっていると分かります。 たとえ、将来、支援を受けながら生きていくにせよ、この子は、ちゃんと意思表示をし、自らの選択によって生活を決めていくはずです。 「自分の意思と選択によって、今日一日を生きていく」 何の変哲もない、多くの人が意識することなく、当たり前に行っていることであり、保障されていること。 しかし、そんな当たり前のことが、保障されていない人たちもいるのです。 限られた資源で効率的に行おうと

発達障害を治すだけでは、自立できない

児童デイに通っている子が、「今日は、お友達と遊びたい」と言いました。 そうすると、親御さんが「今日は、児童デイに行く日だからダメですよ」と言いました。 その子は友達の誘いを断り、しぶしぶ児童デイに行くのでした。 これは、ノンフィクションです。 この話を聞いて、私は、この子の自立を阻んでいるのは、親御さんだと思いました。 それは、「友達との遊びの方が、児童デイよりも、社会性が培える機会だから」という単純な話ではありません。 自分の一日をどう過ごすか。 それは、プライベートな話であり、本人が決めることです。 当然、家族の事情があり、考えもあって、本人の選択通りに行かないこともあるでしょう。 でも、そういった場合であっても、ちゃんと事情を説明し、納得、または妥協点を見つける作業は必要です。 相手が子どもだからといって、一方的に子の選択の機会を奪うことはやってはいけません。 何故なら、選択できることが、自立するために必要な力だからです。 私は、「選択する力」というのは、自立にとって重要なスキルだと考えています。 と言いますか、選択できない人は、自立できないでしょう。 自立にはいろいろあって、経済的な自立もあれば、身辺的な自立もあります。 しかし、いくら経済的にも、身辺的にも、自立できていたとしても、自分のことを自分で決められない人は、心理的な自立ができないのです。 よく支援者は、「完全に自立して生きている人間などいません。みんな、誰かに頼って生きています。食べ物だって自給自足していないでしょ。だから、できないところを支援を受けながら、生きるのは問題ないんです」と言って、「支援付きの自立」とかいう論理が破綻しているものを売ろうとします。 「うちの支援を受けて、自立した人達がいます」という事業所の話を聞けば、グループホームや作業所に通って支援を受けている。 いやいや、それは自立とは言わない。 24時間のうちの大部分が、支援を受けていることで成り立っているから。 そして何よりも、本人に選択できる場面がほとんどないから。 もう今の親御さん達はわからないかもしれませんが、構造化のアイディアの一つとして、スケジュールというものがありました。 その日の予定を、子どもの認知度に合わせて、絵カードや文字を使い、視覚的に示すアイデ

「生涯に渡る支援」の熱狂を振り返る

まだ小学校教員を目指していた頃の学生時代、障害児教育の講義で海外では「ゆりかごから墓場まで」の支援が、社会のシステムとして実践されていることを知りました。 そういったシステムが構築され、障害を持った人が安心して生きていける社会は、なんて素晴らしい社会なんだと、当時は思ったのでした。 卒業後、就職した自閉症児施設では、アメリカノースカロライナ州で行われていたTEACCHプログラムから学び、それを日々の支援に取り入れていました。 TEACCHプログラムは、視覚支援、構造化のイメージが強いですが、本来は自閉症の人達、また家族を生涯に渡って支援していくための州公式のプログラムです。 10年前くらいで終了してしまいましたが、すべての支援サービスを無償で受けることができました。 学生時代から「生涯に渡る支援」という言葉をたくさん聞いてきましたし、日本でも、そのような仕組みができることが理想だと思っていました。 実際、今でも、その「生涯に渡る支援」を地域で作ろうとしている人たちがいます。 しかし、それは実現するのでしょうか? そもそも必要なのでしょうか? 本当に、障害を持った本人にとって、幸せなことなのでしょうか? いつしか、理想だと思っていた「生涯に渡る支援」に対し、私はネガティブな感情を持つようになったのです。 平成の世、有名支援者も、メジャーなドクターも、「この子達に必要なのは、生涯に渡る支援だ」と言い、特定の支援方法を広め、家族や教員、支援者に支援し続けることの重要性を説いていました。 ですから、一つ上の世代の親御さん達、当時、30代、40代でバリバリやっていた教員、支援者というのは、とにかく「生涯に渡って、この子達を支援していくんだ!」「小さいときから慣れ親しんだ支援を大人になっても使うんだ!」という想いで突き進んでいたように感じます。 ギョーカイを先導する人も、現場の教員、支援者も、各家庭の親御さん達も、みんながみんな、「支援、支援、支援」と口々に叫んでいました。 ある親御さんが言っていました。 「学校に通っていたときは、卒業後も、私達がサポートします、大人になっても支援し続けます、と言っていたのに、当時の先生たちから、誰一人、連絡がない」と。 結局、卒業後は、親が見ることになっている、とも言っていました。 そうです、

捨てる覚悟

大河ドラマ『いだてん』が終わってしまいました。 視聴率が低かったそうですが、それは視聴者層の違いとリアルタイムで観た人が少なかっただけで、とても興味深い作品だったと思いました。 まだ、途中までしか観ていませんけれども(笑) 来年の大河は、萬平さんの明智光秀。 きっと織田信長の配下になるし、きっと12月ごろには本能寺に向かうし、最後はきっと落ち武者狩りに遭うに決まっています。 だから、今年中に最終話までいかない『いだてん』を観ようと思います。 今、関東大震災が起きたあと、国立競技場で運動会をやったところです。 前の国立競技場が建てられた当時は、今とは全然異なる神宮外苑、千駄ヶ谷辺りだったのが、よくわかります。 私は千駄ヶ谷が好きで、子どもの頃、よく行っていました。 スワローズの本拠地、神宮球場がありますし(オリンピック期間中、機材置き場なんてヒドイ!)、通っていた将棋会館もありました。 今は藤井聡太棋士ですが、私が通っていたときのスターは、羽生善治棋士。 大人になってからは、ほとんど指さなくなった将棋ですが、今でも羽生さんのことは応援しています。 そんな羽生さんの言葉で、とても印象に残っているものがあります。 それは、『山ほどある情報の中から、自分に必要な情報を得るには、「選ぶ」より「いかに捨てるか」の方が重要だと思います』という言葉。 どんな世界でも、1つのことを極め、続けてきた人の言葉には、様々な真理へと繋がる深みを感じます。 仕事を通してお会いする親御さんには、この『情報との付き合い方』に段階があるように感じます。 まず、まったく情報を持っていない段階。 「発達障害」という言葉は知っていたけれども、まさか我が子が診断されるなんて…。 そのような状況の親御さんは、限られた情報に飛びつく傾向があります。 ですから、このときの保健師、医師の言葉は絶大。 出会った人によって、「風邪みたいに治るもんじゃない」と言われれば、「そうか、治らないんだ。受け入れるしかないんだ」となりがちです。 反対に、「この時期の診断名は仮みたいなもんだから。子どもは発達するし、診断基準から外れる子もいますよ」と言われれば、「そうか、じゃあ、より良く育つには、どうしたらいいんだろうか」と前向きな情報獲得へと向かいます。 この情報

『診断と投薬』の限界

息子を殺めた元農水事務次官の父親に懲役6年の実刑判決が言い渡された事件。 この判決や事件の状況、それまでの家庭生活などに対し、いろんな立場の人が、それぞれ長男の視点から、父親、家族の視点から意見が述べられていました。 そういった意見を目にするたびに、私は「どうしたら防げたのか?」という疑問が湧くのです。 父親がいわゆるエリートだったから、息子の気持ちがわからなかったんだ、その気持ちに寄り添えなかったんだ、世間体を気にして助けを求めることができなかったんだ。 確かに、そういった側面もあるかもしれません。 でも、それは事件の枝葉にすぎないと思います。 その幹は、「何やってんだ、専門家」 いや、「発達障害に関する専門家の無力さ」でしょう。 発達障害に関する専門家、支援者は、「診断があれば」「支援があれば」「理解があれば」と言います。 でも、本当にそうなのでしょうか。 この3つがあれば、こういった悲しい事件は起きなかったのでしょうか。 この息子さんは、診断を受けており、発達障害を自覚していたといいます。 しかも、服薬も受けていた。 つまり、『診断と投薬』という医療者のみに認められた専門的な援助を受けていたということ。 それなのに、息子さんの症状や生きづらさ、そして家族を心身共に追い詰めてしまう行為がなくならかったのです。 ということは、『診断と投薬』で問題は解決しない、限界があるという意味ではないでしょうか。 医療者が医療について、一般の人よりも専門的な知識、技術を持っているのは当然のこと。 魚屋さんが、一般の人よりも、魚に詳しく、さばくのがうまいのと一緒です。 専門家が一般の人よりも、その分野の専門性があったとしても、それイコール偉いわけでも、あらゆる面で一般の人よりも優れているというわけでもないのは当たり前。 今年も、いろんな地域で、多くのご家族とお会いしてきましたが、未だに専門家、支援者と親御さんが対等な関係を築けていない、もしくは、上下関係を維持しようとする場合が多いのが気になります。 専門家や支援者が、家庭生活のこと、進路に関すること、どんな支援を受けるか、また薬を飲む飲まないまで、口出ししている、指示していることが本当に多くあります。 そんなに発達障害の専門家とやらは偉いのか? その指示に従った後の

発達援助とは、川底にある石を1つずつ拾っていくようなもの

日頃、子どもさんと関わる機会が多いので、ふと、自分の子ども時代を振り返ることがあります。 私は、水が好きな子どもでした。 特に、流れる水を見るのが好きだったように思います。 砂場で山を作り、そこに穴や道を作り、水を流して遊んでいました。 川に行けば、葉っぱや木などを流し、それを眺めているのが好きでした。 川の中に石を置いて堰き止めたり、流れる方向を変えたり…。 海に行っても、泳ぐよりも波の動きを見たり、波打ち際で遊んだりする方が好きでした。 私の思いだす子ども時代の原風景には、水の流れがあるのです。 この仕事をするようになり、「発達の流れ」という言葉を良く使うようになりました。 その子の『本来の発達の流れ』がある。 でも、なんらかの原因によって、その本来の流れから外れたり、停滞したりしてしまっている。 受精から現在に至る流れの中で、どこから流れが変わったのだろうか。 なにが、その流れを堰止めているのだろうか。 どうやったら、本来の流れに戻れるだろうか、そのために私達ができることはなんだろうか。 私が発達障害をイメージするときは、子ども時代に見た川と、私がその中に置いた石が目の前に浮かんできます。 発達の流れを堰止めている石には、大きいものもあれば、小さいものもあります。 一人ひとり、その子その子によって、どんな石がどれくらいあるかは違っています。 大きな石がドンと流れを堰き止めていたり、小さい石が複数積み重なることで、流れに変化を与えっていることがあります。 その石とは具体的には、栄養不足&偏り、原始反射の未統合、感覚系の未発達、運動発達のヌケ、長時間のメディア視聴、環境汚染、人工的な刺激など。 これらがあると、本来の発達の流れを変えたり、発達自体を緩めたりすることに繋がります。 しかし、これらは、取り除くことができるもの。 つまり、発達援助の核が、ここにあるといえます。 定型の子も、発達障害の子も、水は流れている。 しかし、特に上流のところに、大きな石、複数の石があって、本来の流れから変わってしまっている。 そして、上流から中流、下流へと進む中で、水の勢いがなくなってしまっている状態。 それが「発達の遅れ」となって表れている。 私達が行うこととは、栄養や刺激、環境を整え、ヌケの育て直しをし、その子

子育ての喜び、親子の時間の楽しさ

今年、出張で伺ったご家族から丁寧なメールを頂戴しました。 お子さんに大きな変化が見られたこと。 我が子の発達、成長をそばで見て、心から嬉しく思っていること。 そして、診断を受ける前のような子育ての喜び、親子の時間の楽しさを再び感じられるようになった、と記されていました。 『子育ての喜び』『親子の時間の楽しさ』 この二つの言葉を目にしたとき、私は今の事業を起ち上げて良かったと心から思うことができました。 今は、こうして発達障害専門の仕事を起ち上げ、行っていますが、大学に入るまでは、自閉症という言葉すら知りませんでしたし、障害を持った人と関わったこともありませんでした。 しかし、障害を持った子ども達のボランティア活動に参加したことから、自閉症、発達障害を持った子どもさんとご家族との縁が生まれ、今に至ります。 学生時代は、主に放課後の余暇支援ボランティアを行っていたのですが、そこで出会った家族の姿に衝撃を受けました。 全員が全員ではありませんでしたが、私には我が子との時間を苦痛に感じているような家族が多かったように感じます。 「どうやって放課後を過ごそうか」 「今日は、午前授業だ、どうしよう」 「夏休みが近づいてくると憂鬱だ」 顔を引きつりながら、ときに我が子に余所余所しく、中には心身を病む方も…。 当時は小学校の教員を目指していましたし、それまでまったく知らない家族の姿でしたので、とても心が揺さぶられたことを覚えています。 学生時代、そして自閉症児施設で支援員として働き始めたときも、ずっと「何故、障害を持った子の家族は、子育てや家族の時間を楽しみ、喜べないのだろうか」と疑問に思い続けてきました。 その中で、教育の問題、医療・診断の問題、療育の問題、福祉の問題を感じました。 みんな綺麗事は言うけれども、実際、家庭で問題が生じても、誰も本気で向き合おうとしない。 というか、ほとんどアイディアを持っていない。 「家庭でのことに足を突っ込むと、それで解決しなかったとき、責任問題になるから」 そんな教員、支援者達の本音は、幾度となく耳にし、幾度となく憤りを覚えました。 ですから、私は24時間365日の施設職員になり、そこで学んだことを地域に還元したいと想い、家庭支援サービスを起ち上げたのです。 私の事業の理念は、この学生

『我がこと』と感じられているか

発達障害が「栄養で治る!」というと、嘘くさく感じます。 しかし、発達障害と呼ばれている人達の中に、消化器系を含む、栄養面の課題を抱えている人達が大勢いるのがわかります。 そういった人達の場合、栄養面が、その状態、症状と深く関係し合っていますので、栄養が改善すれば、ガラッと変わることもあるのです。 ですから、「発達障害が栄養で治る」のではなく、「栄養面に課題を抱えている発達障害の人達が、その改善によって治っていく」というのが、真実に近いと思います。 同じように、「発達障害が運動で治る」のではなく、「運動発達に課題やヌケを持っている発達障害の人達が、そこを育てなおすことによって治っていく」というのが、真実だといえます。 ということは、「発達障害が栄養で、運動で治るなんて、おかしい!」と叫んでいる人達は、読解力の問題?と思えちゃうわけです。 発達障害は症候群です。 それならば、ターゲットにすべきものは、その人が持つ一つ一つの症状のはず。 現在、なんらかの困った症状が出ている。 だから、その症状の背景、根っこを探っていく。 そうすると、「ああ、うんちに未消化物が多いよね。ということは、うまく消化、吸収できていないんだね。だったら、栄養不足かもね。発達に必要な栄養が足りてないかもね。そりゃ、発達の遅れが出るよね」となる。 で、栄養面からのアプローチによって、症状が改善し、治っていった人達がいるのだから、そこから学び、我が子の子育てに活かしていくのは、親として自然な姿。 このように考えると、栄養アプローチや運動、身体、言葉以前へのアプローチを行う人と、ハナから信じない人の違いは、子どもをしっかり見ているか、細かく見れているか。 その“見れているか”に関わるのは、親御さんや支援者自身の身体性です。 自分の身体的な感覚が乏しいと、それこそ、育っていないと、目の前にいる子に生じている現象を『我がこと』のように感じることができません。 となると、デジタルの情報のみで、頭主導で物事を処理していってしまいますので、発達障害という自分とは全く異なる別個の存在として認識してしまいます。 ですから、自分が睡眠不足になると、イライラするのに、我が子の睡眠障害には、「それも障害だからね」と、自分と分離させた反応をしてしまう。 目の前の我が子が苦しんで

『経過観察』の本来の姿、目的、意義

気が付けば、もう師走。 この一年を振り返ると、2歳とか、3歳とか、本当に小さいお子さんの発達相談が多かったな、と思います。 当たり前ですが、2,3年前まではお腹の中にいた、もしくは姿形もなかった子ども達ですよ。 それなのに、もう診断名が付いて、それに応じた生き方、環境の中を進んでいこうとしている。 脳性麻痺のような疾患を持った子ども達ならわかりますが、「言葉が出ない」「運動発達が遅れている」ということのみで、障害児にされてしまう。 医師が書いている健診に関する専門書をいくつか読みましたが、そこには「言語理解に問題がなければ、3歳まで言葉が出なくても異常とはいえない」とも記されていましたし、「発達の遅れ=障害ではない」「発達の遅れを見つけることは、診断のためではなく、丁寧な経過観察をし、子育て、子の育ちをサポートしていくために」とも述べられていました。 この辺のニュアンスが、同じ医師でも、産婦人科の先生や乳幼児健診を行うような小児科の先生と、ゴリゴリの発達障害専門ですみたいな先生と異なるような印象を受けます。 発達の遅れにも、問題ないレベルや個人差のレベルのものもあれば、即、「障害」「リスク」というレベルのものもあります。 しかし、私の乱暴な解釈かもしれませんが、「即、障害」というレベルのものは、単体ではなく、複数確認できたときに、初めて発達障害というリスクに繋がるのだといえます。 私が勉強した限りでは、「〇〇の遅れのみでは、発達のリスクとは言えない」ですとか、「〇〇の遅れが見られたとき、△△の発達を確認する」ですとか、そういった記述が多かった印象があります。 これは、私が子ども達と接しているときに感じるものと同じだったので、印象に残っているのです。 親御さんから「〇〇の遅れを指摘されて」「これができないんです」という訴えを聞いたあと、実際に確認してみると、「これは問題ないな」「このままにしておくと、まずいな」という感覚があります。 その正体は、発達の遅れの組み合わせであり、もっと言えば、原始的な脳から端を発した問題かどうか、原因の根っこに関するものだと思います。 発達の遅れにもいろんな種類があり、パターン、組み合わせがあります。 ですから、いかに本当のリスクを見つけ、そこを育てられるか、自然な発達、個体差の部分を見つけ、そこを

『発達のヌケ』から一歩先に

『発達の“ヌケ”』という言葉は、初めて聞いた親御さんでも、すぐにピンときます。 「障害と言うよりも、“ヌケ”なんですね!」 「生まれつきでどうしようもないのではなくて、ヌケているから、そこを埋めていけばいいんですね!」 今日まで過ごした子どもとの数年間。 たった数年間ではあったとしても、そこにはその子の歴史があり、物語がある。 突然、現れた『発達障害』 うちの子は、本当に発達障害という存在なのだろうか。 そういった言葉にならない想い、『発達障害』という一言で片づけられてしまう状態に、ピタッとハマるのが、『発達のヌケ』という言葉なんだと思います。 たった二文字ではありますが、多くの親御さん達に前向きな気持ちと、「私がやろう」という行動の後押しをしてくれます。 たぶん、私がこの仕事を続けている限り、『発達のヌケ』という言葉は使い続けるはずです。 親御さんにとって、前向きな力を与えてくれる『発達のヌケ』という言葉。 ですから、親御さんの意識は、我が子のどこが“ヌケ”なのか、に向かいます。 一番分かりやすいのは、「ハイハイを飛ばした」というもの。 ハイハイをほとんどせずに立ったのは、そのときの家族にとってはハッピーな出来事だったかもしれませんが、本人の発達からしたら、アンハッピーな出来事。 こういった飛ばしは、家族の印象に残っていることが多く、そのニュアンスからも、発達のヌケを連想しやすいといえます。 他にも、印象に残っている動き、行動なんかが、そのまま、発達のヌケであることが多いので、親御さんも気づきやすいです。 そこを育て直すと、変わっていくのは確かです。 しかし、発達相談、出張の依頼で多いのが、「発達のヌケがわからないので、一度、確認してもらいたい」というものです。 この理由としましては、ハイハイなど、特別気になる運動発達のヌケはなかった場合と、ハイハイも抜かしていたけれども、他にも抜かしているところがあるという場合だといえます。 前者の運動発達に特別な問題はなかったお子さんの場合は、「本当に発達障害なのか?」という確認をします。 また、ハイハイができていたように見えても、実際、やり方が違ったり、身体の使い方が違ったりする場合もありますので、「本当にできていた?」「やりきっていた?」という確認もする必要があります