【No.1000】「発達した」という声は、生きている証、生命そのもの

2019年は、1月、2月、3月と、3か月連続で新大阪駅前の同じホテルに宿泊。
関西と中部地方を行ったり来たりしながら、出張の発達相談を行いました。
そのあと、暖かくなってからは、九州と中国地方への出張。
今年は2ヶ月に1度のペースで、北海道以外の場所の訪問をさせていただきました。


完全に個別対応ですので、観光では行かないような場所に伺えたことが楽しみでもありました。
その土地土地の雰囲気、文化、空気感を感じ、またそれにどのように馴染んでいくアイディアを提供できるか。
単純に、ただ発達を促すだけの発達援助ではなく、その土地の、各ご家庭の文化、雰囲気、空気感に馴染むような発達援助。
そういった、もう一つ先の発達援助を目指し、努力を続けていきたいと思っています。


私は幸か不幸か、師匠と呼べるような存在がおりません。
教員免許は大学の講義で単位が取れたら取得できましたし、療育法に関する免許、資格に関しても、特定の人について学びはしましたが、それもトレーニングの期間だけのお付き合いでした。
ですから、基本的に独学で、その時その時で、必要だと思ったことを、なにか「これだ!」と感じることを、掘り下げていったら、今に至るという感じです。


若い頃は、それこそ、独立を考える前は、誰か特定の師匠について学んでいないことを後悔することもありました。
しかし、今考えると、反対にそれが良かったような気がします。
変なシガラミもなければ、誰の顔色を伺うこともありません。
それに、興味のまま、自分の感覚に従い、より良いものを瞬時に取り入れることができます。
私の仕事は、私が直接治す仕事ではなく、主に親御さんに治すアイディアを提供し、子どもさんが治っていく後押しをすること。
なので、私に特定の“型”がなくて良いのかもしれません。
型なしだからこそ、特別支援教育や療育などの狭い範囲に縛られることなく、少しでも発達に繋がるアイディア、知見を、幅広い世界から吸収しようと動けるのだと思います。


一昔前は、私のような型なし、師匠なしは、独立できたとしても、続かなかったでしょう。
でも、今はネットがあり、素晴らしい知見や視点、技術を持った人とつながることができます。
そういった優れた方達とネットを通して、リアルタイムでつながることによって、日々、自分自身の知識をアップデートすることができます。
と言いますか、今の時代、国立大学の教授の講義のように、1年前のプリントを出して講義しているようじゃやっていけません。


1年前の知識は、すでに古くなっていて、使えないようになっていることが多々あります。
どこかの派閥で、特定の資格、知識、情報の中だけで完結しようとしても無理。
情報の垣根は、専門家も、一般の人もありません。
専門家だけ知っている知識、専門家しか知らない知識は、限りなくゼロに近づいています。
あるのは専門家との垣根ではなく、アクセスしようと個人が思うかどうか、動くかどうかの違いです。


私もブログを書いていますが、素晴らしい実践家の皆さんは、ブログ等で日々、惜しげもなく貴重な情報、知見を発信しております。
実際にお会いしたことがない方ばかりではありますが、「この部分、この分野における師匠」という想いで勉強させてもらっています。
その中には専門家の方もいれば、一般の方、子育てをされている親御さんもいます。
優れた知見に、肩書は必要ありません。
あるのは、結果のみ。


そういった方々の発信を見聞きし、それをそのまま実践できるわけではありません。
私は、その人の内側にある原理原則を感じ、掴もうとしています。
どんな実践家、親御さんにも、根底に流れる揺るがない信念があるものです。
その信念の中に、原理原則があり、その原理原則から、どのように日々、私が関わる人たちへ応用し、発展していけるか。
そこが一番の核になります。
どんな優れた技術、型を手に入れたとしても、それをそのまま振りかざしては、その人を型の中に押し込めてしまいます。
優れた実践家とは、その技術のことを言うのではなく、根底に流れる信念、原理原則の素晴らしさを言うのだと、私は考えています。


2019年は、相談メールのやりとりが1,000件以上、出張も行かせてもらいました。
そういった活動を通して感じるのは、「住んでいる地域は関係ない」ということです。
治す人は、どんな地域に住んでいようとも治すし、首都圏、都市部に住んでいても、治そうと思わなければ、治らない。
一昔前は、「うちの地域は遅れていて」が言い訳の一つとして通用したけれども、今はそうではありません。
「ずっと福祉でいいや」「ずっと支援でいいや」と思うか、「少しでもラクになってほしい」「より良く育ってほしい」と思うかの違いです。


「私の地域の療育機関の質ガー、支援者の質ガー」という人もいますが、そもそも療育機関に行っても治りません。
必死に療育機関に通っても、障害児として生きる術は身につきますが、その子の本来の発達の流れに戻る発達の後押しはないのです。
赤ちゃんは、どこで発達するか。
受精から2歳まで、言葉を獲得する前までの発達の舞台はどこか。
それは家庭であり、親子の育みの中にあります。
なにか特別な環境、機関に行って、発達させるものではないのです。
自然な親子の交流、遊びや運動を通して、ヒトは発達するのです。


私が日々、目を通し、そこで話されている内容から、発信者の原理原則を学ぼうとしている場所、空間があります。
それは、花風社さんが管理運営されている『治そう!発達障害どっとこむ』というインターネットの交流サイトです。
本当に多くの方達が、自分の実践、子育てで気づいたこと、感じたことを、自由で活発に発信されています。
あるご家庭の治ったという実践が、そのまま我が子に当てはまるかどうかはわかりません。
でも、そこにある原理原則は、どの子にもつながっていると思います。
ですから、多くの実践、生の声、リアルタイムの発信を見聞きすることは、目の前の子どもさんがより良く育つための材料集め、視点集め、アイディア集めです。
材料がなければ、限られたメニューしか作れませんが、材料が豊富なら、その分、自分も、家族も喜ぶメニューが作れるのと一緒です。


今の療育、特別支援は、のり弁みたいなもの。
安いけれども、味はいつも一緒で、栄養は偏っている。
美味しくはないけれども、安いから親子で食べ続けるなら、それでもよし。
でも、やっぱり他の食事も食べたいな、栄養があるものを食べたいな、その時々で必要な栄養を摂りたいなと思えば、自分で材料を集め、料理を作るしかありません。
料理も、子育ても、相手の顔を見て、体調を見て、試行錯誤しながら作り上げていくもの。
その良質で、新鮮な材料、情報の宝庫が、『治そう!発達障害どっとこむ』の空間だと思っています。
この空間は、今この瞬間も、いろんな人達の声により躍動しています。
「発達した」という声は、生きている証、生命そのもの。
だから私は、このサイトに行くと、心地良いのです。


今回のブログで、1,000回更新となりました。
起業したときから書き続け、約6年で28万アクセス。
支援者は言葉の仕事でもあるので、その技術を高めるために始めたのがきっかけ。
あとは、読んでくださった方が、ポジティブでも、ネガティブでも、感情が動く文章、内容にしたいと思い、綴ってきました。
行動しなければ、何も考えていないのと一緒です。
なので、喜びでも、怒りでも良いので、「こうしちゃおれん!」「今日からやってみよう!」と思えるような後押しができたなら、読んでくださった方たちに対しても、書き続けてきた意義があったかな、と思います。


いつか、私が日々、原理原則を学ばせていただいている素晴らしい実践家の方たちのような文章が書けるようになったら、と思っています。
そのためには、日々、精進、日々、アップデート!
無事、年内に1,000号が更新できてよかったです(笑)
今まで読んでくださった皆様、ありがとうございましたm(__)m☆彡

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