治るかどうかは、努力できるかどうか
治せるかどうかは、電話口の声が、メールの文面が、会ったときの雰囲気が、家の様子が、教えてくれます。 治せる人には主体性があり、苦労を厭わず、コツコツと努力し続けてきた姿を感じます。 本人はもちろんのこと、親御さん自身も、努力する意義を身をもって理解しているか、が治ると治らないの境目だと考えています。 発達とは積み重ねの成果で、治るとは積み重ねていった結果です。 しかも、積み重ねるのは、自分の手、自分の意思で動かし行わなければなりません。 治るか、治らないかを決めるのは、症状の重さでも、年齢でも、支援の量でもなく、努力できるか、できないか、だと思います。 時折、「お金はいくらでも出すので、どうにか治してほしい」というような親御さんからの依頼があります。 こういった発言、雰囲気が出る時点で、もう治せませんね。 ですから、治すのは本人であり、親御さんであること、本人も、親御さんも努力しなければ治らないことを説明し、親御さん自身が変わらないのなら引き受けないようにしています。 また、私がギョーカイや学校、支援者に批判的な意見を述べることが多いからでしょうか、そういった人達がいかにダメだったか、いかにひどかったかを言い続ける親御さんもいます。 このように、我が子がうまく成長できていない現状を、そういった他人のせいにしている人も治せません。 当然、そういった他人が大きな影響を与えている点もあるでしょう。 でも、それだったら、避けることもできますし、別の方法も考えることもできた。 頼る人がいなければ、「自分でしっかり子育てをしていこう!」と思えばよかったのだと思うのです。 私は、ギョーカイや学校、支援者を批判します。 それは、対等な立場だからであり、別に世話になっていないからです。 私のところを利用したいというお客さんを紹介してくれるなら、私も考えますが、「絶対使うな」「使わない方が良い」という宣伝ばかりですからね。 しかし、こういった愚痴をいう親御さん、またお子さんは、たとえ至らなかったといえ、そういった方達からサポートを受け、いろいろ教わってきたには違いがありません。 学校の先生の80%くらいは、子どものため、成長のため、一生懸命な人ばかりです。 ただ方向性を間違えたり、組織という縛りの中で力を発揮できないだけというのもあ...