【No.1491】彼らの声を聴く
やまゆり園の事件が起きて今日で10年。 被害に遭われた方たちのご冥福をお祈りいたします。 そして加害者側の植松死刑囚は10年経った今も、当時と同じような言動を繰り返しているとのこと。 やはり「異常者が起こした異常な犯罪」となるのでしょうか。 「異常者が起こした異常な犯罪」となれば、たまたまその場に居合わせた、防ぎようがなかった、諦めざるを得ない、といった言葉が続いていきます。 また自分たちとは違う異質な存在、狂人、モンスターと切り分けることで、ほとんどの人間にとって事件は自分たちと繋がらない、ごく限られた世界の、限られた人たちに起きた他人ごとになってしまう。 もしあの事件が地域の小学校で起きたら。 もしあの事件の被害者が健常者だったら。 もしあの事件が人里離れた郊外ではなく、中心街で起きていたら。 きっと多くの人達の受け止め方も、社会に与えた影響も違って、これを機に社会システムは大きく変わったと思う。 障害を持った人たちに「生産性がない」と発言するのは間違い。 でも仕事では人に対して生産性が高い、低いというものさしが使われている。 で、それは若者、子ども達にも広がり、「コスパ」「タイパ」という言葉はこの10年間で当たり前に使われるようになった。 私達の社会は低コストで、より多い利益を求めている。 このように考えると、やまゆり園の事件は我々の社会と陸続きになって自分事になる。 ここ数年、療育、支援、様々なアプローチの中にも、「コスパ」「タイパ」の流れ、傾向が強くなってきていると感じます。 できるだけ短期間で成果を出したい。 できるだけ手をかけず、子どもの成長や発達を感じたい。 以前の親御さん達から感じていた親心、「この子の辛さを少しでも早く和らげたあげたい」との違いです。 発達障害は治ったほうが良い。 じゃあ、発達障害は早く治った方がいいの。 できるだけ手をかけず、効率よく治したほうがいいの。 みなさんはどう考えるでしょうか。 「発達障害」ならできるだけ早く、効率的に、となるでしょう。 でも、「発達障害を持った子」なら、どうなるでしょうか。 じゃあ、「我が子」なら、「〇〇くん」「〇〇ちゃん」なら。 やまゆり園の事件では被害に遭った方たちの名前の公表がされないことがありました。 被害に遭われた「Aさん」「Bさん」「Cさん」…。 「治りたい」「成長したい」「できるようにな...