2022年8月7日日曜日

【No.1296】怒りの正体

子育てをしていれば、落ち込むことがあるし、悲しいこともある。
だけれども、「怒り」という感情はなかなか出てこない。
テストの点数が悪ければ、その準備が足りなかったことに対して小言をいうことはあるかもしれないが、テストの点数が悪いといって怒りはしない、普通。
同じように、発達のヌケや遅れがなかなか埋まっていかないことに対して、焦りや不安の感情が出たとしても、「どうしてできないんだ」「育っていかないんだ」という怒りの感情は湧いてこない。
でも、そういったご家庭は少なくないのです。


怒りの感情というのは、自分自身が理不尽な扱いをされたとき、またはその場面に遭遇したとき、湧いてくるのだと思います。
親御さんだったら、大切な我が子に対して、そのようなことをされても、怒りの感情は湧くでしょう。
私達も動物ですので、主に子ども達という弱い存在を守るためにも、怒りという感情のスイッチが入ることもあります。
ではなぜ、我が子や家族、パートナーに怒りの感情が湧くのでしょうか。


相手からひどいことをされれば、怒るのは当然です。
しかし、そうではない場面で、さらに自分ではコントロールできないくらいに、反射的な怒りの感情が湧く。
それは、その子だったり、その人だったりに怒りが湧いているのではなく、本当の怒りの対象は他にいるということです。
私は家庭支援を行っていますので、親子の関係、パートナーとの関係に投影された怒りの対象の存在を感じます。


我が子の発達がうまく進んでいかないことに怒りの感情が湧く。
でも本当は、我が子に怒っているのではなく、自分の親に怒っている。
自分が子どもの頃、自分の親から親が思い通りに動くことを強要されてきた経験がある。
それが嫌で嫌で仕方がなかった、意識レベル、無意識レベルを問わず。
だから、発達のヌケが埋まっていかないことに怒っているのではなく、自分の親に怒っているのであり、自分は親の思い通りに生きてきたのに、我が子は"思い通りにいかない”で生活できていることに怒っているのです。
特に発達の「順序・順番」が発達援助の基本知識になっていますので、そこから外れることは、親の想いから"外れることができなかった自分"を連想させるため、反射的に怒りが湧いてしまう。


同じようにパートナーとの関係性を悩む親御さんも少なくありません。
それは子育ての方向性の違いに悩んでいるというよりも、パートナーを通して自分の親との関係性を見ている。
子育てに無関心な夫に、自分に無関心だった自分の親を重ね合わせ、「愛してほしかった」という想いを横にいる夫にぶつけている。
家事ができない夫に、いつも母親を困らせていた父親を重ね合わせ、そこまで言わなくていいんじゃないですか、というくらい怒りの言葉を言ってしまう。
中には、我が子を溺愛する夫に怒り狂うお母さんもいて、それは「なぜ、自分は愛されてこなかったのに、この子はこんなにも愛情を貰っているんだ」ということだったりします。
かなり深刻な状態になると、自分の家族、パートナーだけではなく、見ず知らずの他人に対して、自分の内側にある誰かを重ね合わせ、怒りをぶつけるような場合もあるのです。


発達援助の観点から言えば、また私に求められている役割としては、本人にどのような発達のヌケや遅れがあり、それはどうやって育てなおしていけばいいか、をお伝えすることです。
しかし、このような課題を残したままでは、親御さんが「なんで怒りの感情が湧くのだろうか」ということに気がつかなければ、本人は治っていけないのです。
これも一種の愛着障害になりますので、親御さんが根っこから治っていかなければ、それは次の世代、子どもの世代に引き継がれていきます。
それこそ、夫婦のいざこざ、家庭の雰囲気の悪さを感じて育った子ども達は、同じようなことを自分が築いていく関係性の中に投影しようとします。
しかも、ほとんどが無意識レベルで行いますので、なんだかわからないけれども、無性に我が子にいらつく、無性に旦那に怒りが湧く、ということが出てきます。
いま、我が子の発達障害をきっかけに、愛着障害の視点を知ったために、気がつくことができたという状態の親御さん達。
それが20年後、30年後の我が子も気がつき、それを自力で解決できるかどうか。


我が子との関係性の中に、パートナーとの関係性の中に、はたまた全然別の他人に対して、どうしようもない怒りを感じたとき、本当にその怒りはその相手にぶつけたものだろうか、を冷静になって考える必要があると思います。
そして真に怒っている相手に気づき、その相手に対しての何に怒っているのか、と向き合うことが必要です。
そうやって親御さんの課題を解決していくことが、子どもにとってより良い発達の環境づくりにつながりますし、子どもの世代に親の愛着障害を引き継がないための行動になります。
真に怒っている相手が分かり、自分の子育て、我が子との関係性と分けて捉えられるようになったあとから、子どもさんが「なんだか治り切らない」という状態から「治り切った!」と思える状態へと変わることができた、という報告をいただくことは少なくありません。


再三申し上げているように、発達援助とは身体アプローチをすることだけでも、栄養を整えることだけでもありませんね。
子どもが発達していけない状況、環境が問題なので、親御さんを含めた家庭をよりよく変えていくことも重要です。
親御さんの課題は、子どもさんの課題とも連動するものですから。
伸びやかに成長していくための環境としての家庭ですね。
子どもが変わってほしいのなら、まずは大人が変わる方が先です。





【福岡・九州出張のお知らせ】
8月25~28日の日程で福岡に行きます。
ただいま、ふた家族の訪問が決まりました。
もしこの機会に発達相談をご希望される方がいらっしゃいましたら、お問い合わせください。
内容はこちらのブログでご確認ください。


2022年8月5日金曜日

福岡出張のご案内(8月26日・27日)

毎年1回伺っている九州、福岡出張の日時が決まりましたのでお知らせします。
もしこの機会にご希望される方がいらっしゃいましたら、お問い合わせください!


【日程】
8月25日(木)移動日
8月26日(金)AM『  』 / PM『福岡』
8月27日(土)AM『  』  /  PM『福岡』
8月28日(日)移動日 

*ご希望が重なった場合は、先着順とさせていただきます。
*ひと家族でも多くの発達相談を行いたいので、移動時間が短いスケジュールを優先させていただくことがあります。


詳細を確認したい方は【出張相談問い合わせ】と件名に書き、お問い合わせいただければ、ご説明いたします。

出張相談についての内容は、てらっこ塾ホームページをご覧ください。
ご依頼&お問い合わせ先:メールアドレス




2022年8月1日月曜日

【No.1295】『発達障害、治った自慢大会!』を読んで

明日から出張なので、帰ってきてから読もうと思ったんですよ。
でも、ちょっとだけ、ちらっと、ぱらぱらっと見るだけと思ったのですが、夕食を挟んで一気に読んじゃいました。
それくらい面白い本で、魅力的な本でした。
やっぱり私は、人が好きなんだと思います。
それぞれの家庭の物語のお話を聞かせていただき、人が育つ素晴らしさと家族の大切さを改めて感じることができました。


今回の新刊に登場するご家族は、みなさん、年代が違います。
私は支援者としては、味噌ぴさん、いぬこさんが歩まれてきた時代が、そのままハッタツの世界との関わりと重なり、一人の親としては今まさに子育て中のたにしさん、智くんのおうちと重なり合います。
「そういえば、こんな雰囲気だったな、ハッタツの世界は」というような10年、20年前を思い出し、一方で今の時代によりよく子どもを育てていくには、親である自分自身も腹を据えて子育てしていかなければならないと、同じ子育て世代の親としての想いに共感します。


発達障害が治らないと言われていた時代の子育て。
発達障害が治ると言われるようになった時代の子育て。
今は猫も杓子も発達障害とされてしまう時代ですので、発達援助と子育ての境目が無くなった気がしています。
ましてや、コロナ騒動の過剰な対策によって、子ども達の自然な発達は抜けっぱなし。
どの子もみんな、発達のヌケの育て直しが必要で、どの子もみんな、もう一度、愛着形成のやり直しが必要。
だから、どの子も必要なのは、ヒトとしての自然な発達を辿り直す発達援助の視点なんだと思うのです。


4名の治っていった子ども達、若者たちの話を本にしようと考える出版社は、花風社さん以外いないし、そもそも思いつきもしないでしょう。
20年以上、ずっと本人たちの目線に立ち「ラクになってほしい」「治ってほしい」とまっすぐ突き進んできた集大成といえるような書籍だと感じました。
たぶん、花風社の浅見さんが願っていた未来が、4家族の「治った!」と喜ばれている姿に表れていたと思います。
そしてこの書籍を手にとり、読まれていくみなさんは4家族の物語から希望の種を受け取ることでしょう。


花風社さんが「治る」なんていう言葉も、考えもなかった時期から蒔いていった種が芽を出し、花を咲かせ、次世代へと繋がる新たな種をたくさん作ってくれました。
支援者として、親として、大人として、受け取った種が大きく育っていけるような環境づくりをしていくのが私達の責任です。
水をあげ過ぎても、陽に当てすぎても、肥料をあげ過ぎても、大きく育つことはできません。
同じように、ただ甘えさせるだけ、与えるだけの子育ても、芽を枯らしてしまうことになるでしょう。


子ども一人ひとりに合った子育て、発達援助。
そのためには、しっかり子どもから目を離さないことだといえます。
子どもの変化に気がつき、その変化に合わせて、育つ環境と後押しの仕方を変えているご家族。
そして何よりも我が子の発達する力を信じている姿に、私達は大いに学び、参考にできることがたくさんあると思います。
これまでもたくさんの「治った」に関わってこられた愛甲修子さんの解説、視点が、目の前にいる我が子の子育てとを結び付けてくれます。
花風社らしい書籍であり、花風社さんだからこそ生みだせる書籍であり、希望と読んで「楽しい!」と心から思える書籍だと思いました。


ご購入:花風社直販はこちら。Amazonはこちら



『発達障害、治った自慢大会!』
治そう!発達障害どっとこむ 著 愛甲修子監修 / 花風社 


2022年7月30日土曜日

【No.1294】「8歳までに治らなければ」

脳科学者の澤口氏は、「8歳までに治す」「8歳以降は治らない」と著書の中で主張されています。
確かに神経発達が盛んなのはそのくらいまでの年代ですし、8歳以降、神経発達のスピード、育ちきるまでの時間が長くなっていくのを感じます。
ですが、8歳以降治らないかといえば、そうではないと私は思います。


私が直接かかわった方で、治った記録、最年長は50代のお姉さんです。
もちろん、時間は年単位で掛かりましたが、生活を見直し、環境と身体を整え、コツコツと続けていった結果、それまでの課題が解決し、「充実した毎日を過ごせています」とおっしゃっていました。
昨日も、20代の方からメールがあり、「お蔭さまで、片づけができるようになりました」「仕事上のマルチタスクができるようになりました」という報告をいただいたところです。
ですから、子ども時代と比べれば、何倍も時間がかかりますが、大人になっても「治る」を実感できるわけです。
50代のお姉さんに比べれば、今の子ども達はまだ人生始まったばっかり。
「治る」を諦める理由はありませんね。


ただ実際、「8歳までに治らなければならない」と思っている人もいますね。
だけれども、そういった人たちも、敢えて引き離そうとしているアンチを除いて、8歳を過ぎたら本当に治らないとは思っていないはずです。
もし本気で8歳がリミットだと思っているのなら、それは知らないだけか、澤口信者(笑)
みんなわかっているけれども、そうやって言っているのは、保険をかけているんですね。
もし取り組みを行っても治っていかなかったとき、それは「8歳を過ぎたから」「8歳より前に始めなかったから」と自分の外に責任をおくことができる。
コロナ騒動を見ても分かりますが、世の中の多数派は「自分のせい」を過度に恐れている。
それは不安の裏返しでもありますし。
本来、ヒトの保育は共同保育ですので、今のようなワンオペ、夫婦だけの育児で不安を感じないほうが珍しい。
だから、そういった人を責めちゃダメ(笑)


「8歳までに治らなければ」というのは、別の言い方をすれば、まだ発達援助の準備が整っていないということ。
親御さんが不安に思うことが問題なのではなく、その不安を解消できないことが問題なのです。
だから、私は全国どこでも家庭に伺い、顔と顔を合わせて、時間と場所を共有し、親御さんが主体的に行っていける子育て、発達援助の準備をお手伝いしているのです。
不安は我が子のことだったり、未来のことだったり、親御さん自身の課題だったり。
実際に発達相談を受けた方は分かると思いますが、子どもさんのこと以上に、親御さんの課題、発達についてお話ししていますよね(笑)


私は常々、今診断を受けている子の90%は誤診、と言っています。
ただその時点で発達が遅れているだけ、発達のヌケがあるだけ、そもそも発達がゆっくり、環境側の要因によって発達が阻害されているだけ、という場合が大多数だといえます。
そういった子ども達は、年齢に関係なく、その根っこが解決できれば、本来の発達の流れに戻っていけます。
この戻った状態を「治った」というのは、個人的に微妙だと思いますが、ほとんどの子ども達はちゃんと根っこから育てれば治っていきます。


一方で10%の子ども達は、8歳を過ぎても発達の凸凹があれば、一般の人達がイメージするような「普通の人になる」という意味での治ったは難しいと感じます。
学生時代を含めれば、この世界に入って20年以上になりますが、自立していった人達を見ても、凸凹は残ったまま、ということばかりです。
完全に治ったから自立というよりも、凸凹を抱えたままでの自立という感じ。
周囲から見れば、変わった人に見えるけれども、子ども時代から見れば、発達の課題は解決していて、本人の実感では「生きやすくなった」。
発達相談の場面でも、親御さん自身に発達の凸凹があることも少なくありません。
だけれども、こうやって家庭を持ち、自立した生活を送っている。


しかし90%に入る子ども達にも、8歳を過ぎると治りづらい子がいます。
それは特殊な環境に脳と身体が適応してしまった子です。
ひと言でいえば、早期診断&療育の弊害。
誤診→特殊な環境(自然な刺激の制限)→脳が歪む。
こういった子ども達の場合、8歳までには生まれ出た環境への適応がひとまず完了するので、パーテーションで区切られた部屋、絵によるコミュニケーション、同世代の子ども達との触れ合いの欠如、過度なメディア視聴などが、その子にとっての当たり前の環境になり、脳がそれに適応してしまうのです。
そういった状態から、自然な空間、自然な人とのコミュニケーション、人との関わり合いに脳を戻そうとしても、なかなか難しい。
特殊な環境に対する適応によって障害者っぽくなっている子は少なくありません。
作られた障害者は治すのが難しく、それも環境に順応し終わった8歳を過ぎると大変になっていきます。
過剰な感染対策によって作られた障害児たちも、8歳を過ぎると元に戻るのは難しくなっていくでしょう。


端から治そうと思っていないし、治ると思っていない人は、「8歳までに治さなきゃ」とは言わないはずです。
大事なのは「8歳までに」と言っている親御さんが何に対して不安を感じ、どういった課題を持っているかだと思います。
親御さんだって一人ひとり違いますし、置かれた状況も違います、腹落ちするまでの時間も。
せっかく我が子に「治ってほしい」「治る道はないかな」と同じ想いを持っているのですから、私は応援したいと思います。
我が子とかは関係なく、同じ時代を生きている子ども達、次の社会を担っていく子ども達が一人でも多く治るというのは嬉しいことでしょ。
実際、発達相談でも同じようなことをおっしゃる方も少なくありませんが、焦りの根っこは別にあり、対話を通して腹落ちしたら、どんと構えてお子さんの発達の後押しができるようになっていくものです。


まとめますと、90%の子だろうが、10%の子だろうが、いつからでも治していけるし、いわゆる普通の人みたいにならなかったとしても、一つでも課題がクリアされれば、その子の明日は生きやすくなり、より豊かなものに変わっていけます。
成人した人達は課題がクリアし、治っていると実感できたとき、みなさん、このようなことをおっしゃいます。
「治って初めて自分がどれだけ大変な状態だったかと実感できた」
「治ったら、世の中の見え方がこんなにも変わるのかと思った」
「これからの自分の生活、人生が楽しみです!」
治って後悔する人に出会ったことはありませんね。
治ることを目指すのに遅すぎる人にも出会ったことがありませんよ。
大丈夫、今日から始めても遅くはありませんし、手遅れもないのです。




【福岡・九州出張のお知らせ】
8月25~28日の日程で福岡に行きます。
26日(金)は福岡を中心に、27日(土)はご希望があれば、福岡県内にこだわらずお受けしようと思っています。
もしこの機会に発達相談をご希望される方がいらっしゃいましたら、お問い合わせください。
内容はこちらのブログでご確認ください。


2022年7月28日木曜日

【No.1293】触れることで我が子と繋がる

学生時代、木曜日の夕方は決まって盲学校にいました。
生徒さんの放課後の活動、マラソン伴走のボランティアです。
お互いが一つの輪っかを手に持ち、その状態で走りだすのですが、最初は息を合わせるのが大変。
どうしても目が見える私は、視覚に頼ってしまい、生徒さんの動きを確認しながら走るペースを調整します。
が、それだと走りづらいんですね、生徒さんのほうが。
自分の動きを見られているのも感じるらしく、私が合わせようとする行為自体が却ってぎこちなさを生みます。


盲学校のボランティアは3年間続けました。
その中で、いつしか生徒さんの動きを見ないほうが、どのように走りたいのか、わかることに気がつきました。
視覚ではなく、手に持っている輪っかに意識を向ければいい。
その持ち方、力の入れ方、そして息づかいまでをもが一つの輪っかを通して私の手に伝わってくる。


手というか、触れることは、相手の感情、内側との繋がりを生む。
子どもと手をつなげば、その子がどちらに行きたいのか、どんな気持ちなのかが伝わってくる。
「病院、へっちゃら」と言っても、その手に力が入っていれば、その手に汗を感じれば、言葉とは違った感情を知ることができる。
「ママ嫌い」と言っても、その手に柔らかさや温かさ、ギュッと指を握ってくる感じがあれば、子どもからの愛を感じることができる。
だから、触れる、触れ合うという行為は、相手を知るためのコミュニケーション、やりとりでもある。


私はもっと親子で触れ合いの機会を持った方が良いと思っています。
スキンシップは小さいときだけ、というのが日本的な考え方、文化なのでしょうが、それにしても親子の触れ合いが少なすぎるような気がします。
特に胎児期から2歳前後の間に発達のヌケを持つことが多い発達障害の子ども達には、その触れ合いがとても重要です。
視力の発達から言っても、2歳くらいまでは視覚よりもその他の感覚のほうが先に機能していて、手や足、皮膚を通した感覚刺激が発達の土台を培っていくといえるのです。
皆さんが行っている金魚体操も、意識は揺らす、揺れるに向かいがちですが、本当はその手で子どもさんの足に触れることのほうが意味深いこともあるような気がします。
この時期の愛着形成に関しても、目や耳、モノや言葉ではなく、やはり肌と肌とが触れ合うことで培われていきますね。


親御さんだけではなく、支援者の中にも、子ども達が感じている快・不快が「わからない」とおっしゃる人は少なくありません。
たぶん、その多くは目で見て快・不快を感じようとしているからだと思います。
ですから、「楽しそうにやっているから」という理由で、それが快であると判断してしまう。
でも、子どもさんによっては、やることがないからやっている子もいるし、そのようにやれと教わったからやっている子もいる。
本当に快か、不快かは、見ただけでは分からないものです。


日々、親子での触れ合いがあれば、「触れるようにして見る」ことができるようになるものです。
私達支援者は、他人ですので、安易に子どもさんに触れることはできません。
だから、「触れるようにして見る」を訓練し、身につけていきます。
だけれども、親子なら自然に触れ合えるのですから、その触れ合いを通して子どもの内側と繋がり、その体験の積み重ねが見ただけで、まるで触れているかのように感じられるようになるのです。
難しい訓練も必要なく、ただ純粋に我が子を抱きしめ、触れ合いさえすれば良い。


そうはいっても、親御さんによっては、ご自身が「触れる」ことが苦手な人もいます。
触れて相手の内側を感じられないというのは、自分自身が子ども時代、親から触れられた経験が少ないから。
または自分の親に抱きしめてもらいたかった想いを無意識下に追いやった結果、なんだかわからないけれども、子どもに触れたくない、子どもに触れる行為自体がぎこちない、違和感がある、そもそも触れたいとは思わない、という状態になっている人もいるように感じます。


視覚に偏った生活をしていると、首から下の感覚が乏しくなっていくものです。
それもまた我が子との触れ合いを妨げる原因の一つになるでしょう。
快・不快も、治ったという感覚も、目で見ただけではわからない。
当然、ネットや本にも、それがどういった状態なのか、どうなったらそうだといえるのか、記されているわけでもありません。
そもそもが同じ身体の子はいないのですから。
個別に感じ撮るしかないのです。


やっぱり自分の身体を通して感じること。
そのためには親御さん自身の身体を整え、ヒトとして、動物として本来の感覚を撮り戻していく必要があると思います。
そして日々、我が子に触れ、我が子の内側と自分とが繋がっていることが大事。
この夏、外遊びも大切ですが、子ども達との触れ合いも大切にしていただければと思います。




【福岡出張のお知らせ】
8月25~28日の日程で福岡に行きます。
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内容は一つ前のブログでご確認ください。


2022年7月26日火曜日

【No.1292】『身体アプローチ』という言葉がフラフラと歩き出したように感じる

『身体アプローチ』という言葉は、しっかり市民権を得ましたね。
5年前までは、そのような言葉もなかったですよ。
今みたいに多くの人が「身体アプローチ」を使い、しかも花風社クラスタ―と思われないような人達までもがフツーに使っている様子を見ると、たった5年くらいの月日ではありますが、ハッタツの世界も大きな変化が起きたのだと思います。
こういったものは、そのときは感じないもので、後から振り返ると、「おお、革命的な出来事だったんだな」「あれが分かれ道だったんだな」とわかるものです。


そもそも『身体アプローチ』とは、身体から整え、育てていくことで、発達障害の課題を解決していこう、という話だったと思います。
長年といいますか、始まりが発達障害を持った人たちの身体的な不具合をどうにかしたい、というところから花風社さんの出版活動ですから、身体への働きかけが中心だったといえます。
そして2013年より脳の機能障害から神経発達症になり、その神経は全身に張り巡らされていることからも、約20年間、花風社さんが提言し続けられてきた身体面からの働きかけの有効性が明らかになったのです。


で、それ以降、『身体アプローチ』という言葉が定着し始めました。
薬や療育、支援ではなく、頭の表面、大脳皮質に働きかけるSSTやナントカトレなどのアプローチではなく、運動や遊び、感覚への刺激を通して働きかけていく。
シンプルに言ってしまえば、旧来の療育の対比としての身体アプローチだったと思います。
それは治らない特別支援と、治る花風社クラスターという意味合いもあったでしょう。
治すを目指すなら、身体アプローチみたいな。


言葉は生き物です。
時間の経過とともに、使う人たちの捉え方によって、どんどん意味が変わっていきます。
コロナ騒動を2年あまり行っている間、2019年まで偉そうにしていた発達障害の専門家たち、支援者たちがみんないなくなってしまいました。
というか、いなくても困らないことが親御さん達にはわかったのでしょう。
ですから、旧来の療育&支援、治らない信仰の人達、生まれつきの障害説と対比としての身体アプローチの図式が崩壊。
ここ数年、まったく公的な療育や支援を受けずに、直接、私のところに相談があり、その後、そのまま家庭で治っちゃった子が珍しくなくなりました。
そこで身体アプローチが一つの方略へと変化した。
「うちは栄養療法と身体アプローチやってます」とおっしゃる親御さんが増えたのは、その表れだといえます。


で、ここからが本題で(相変わらず前段が長いww)、身体アプローチの概念の広がりが誤解を招いているようにこの頃、感じるのです。
発達に遅れがあり治そうとすると、多くの親御さんは栄養を整え、遊びや運動など身体面からの働きかけを行います。
栄養に関しては副作用、副次的な問題もありますが、遊びや運動、身体への働きかけにはほぼ副作用なしといえます。
ですから、身体への働きかけはどんどん行ってもらいたいのですが、身体アプローチをしたからって、すべてが治るわけではありません。


身体からアプローチして効果があるのは、主に運動発達のヌケ(ハイハイを飛ばしたなど)、感覚系の未発達、原始反射の統合、脳の分化、身体のバランスを整える、胎児期から乳幼児期の愛着形成といった感じでしょう。
裏を返せば、それ以外が原因になっている発達障害は効果が期待できない。
テレビやタブレット、早期教育の結果、脳が歪んだ場合、まずやらなければならないのは、スイッチを消すこと。
夫婦の考え方の不一致、不仲が伸びやかな発達を阻害しているのなら、まずは夫婦で話し合い、理解を深めることをやらなければなりません。
親子で似た特性があり、祖父母の代にも同じような人がいれば、そこは身体から働きかけるよりも、どうやってその特性のポジティブな面を伸ばしていくかを考える必要があります。
子どもの愛着障害を治す前に、親御さん自らの愛着障害を治す必要があるのも同じでしょう。


「自閉症、発達障害は生まれつきの障害」というのは童話の世界です。
「脳の機能障害」というのは、「気の弛みで感染爆発」というくらい非科学的で専門家側に都合よく作られた話。
そこから、自閉症、発達障害の人たちの身体に注目し、身体面からアプローチして治していこう、とより実態にあった、というかやっと当事者の視点に立った話が出てきたので、とても素晴らしいことだと思います。
だけれども、また当事者目線のアプローチから離れようとしているのが、私が気になっているところです。
正直、身体アプローチが一つの療法、方略の一つになってはいけないと思う。
療法、方略になったら、やる側とやられる側ができちゃうでしょ。
療法、方略になったら、アセスメントが荒くなり、その療法、方略側に本人を合わせようとしちゃうでしょ。


今まで数々の療法、方略が生まれては消え、を繰り返してきたのを見てきた私からすれば、身体アプローチの誤解がせっかく良かった理念、今までにはなかった当事者の視点に立った"後押し"をも消してしまうのではないかと思うのです。
「発達に遅れがあった→じゃあ、身体アプローチ」では治りません。
なぜ、発達に遅れが出たのか、そこに目を向けない限り、根っこから解決はできませんし、何よりも身体アプローチを"やらされて"しまう子ども達が出てきてしまいます。


身体面からアプローチしていく支援者が増えましたが、じゃあ、全員が全員、治るための知見を持っているか、もっといえば、ちゃんとアセスメントができるか、課題の根っこを掴めるか、といえば、話は違います。
どうも、身体からアプローチしていれば、すべてが良い、効果があると思っている人がいるようにも感じます、支援者側も親御さん側も。
身体からアプローチしても、そこが課題の根っこじゃなければ、解決していかない。
とにかく「発達障害児は、運動やらせて、栄養を盛って」というのは、「自閉症だから視覚支援」「問題行動にはABA」と同じ構造でしょ。
アセスメントも、クソもなく、ただ診断名でアプローチを決める。
まるで自動販売機のような療育、子育て。
「うちは身体アプローチやってます」という児発、児童デイの看板。
「冷やし中華始めました」を連想するのは私だけ(笑)


発達障害を持った人達が抱える身体的な不具合を想像することが大事で、そこを改善、解決するための働きかけが身体面からのアプローチになる、ということ。
同時に現在の発達障害は、90%が環境側の要因によって作られたものだと感じますので、身体アプローチの前に、発達を阻害している環境要因を取り除くことがまずやらなくてはならないことです。
「発達障害児には身体アプローチ♬」ではなく、「こういった身体的な不具合、課題があるから、身体面から働きかけるのが良い」という話ができるのが理想です。
私は「身体アプローチの人」ではなく(笑)、課題の根っこを辿り、どういった子育てが発達の後押しになるかをご家族と一緒に考える人、基本的に家庭支援が私の仕事。
なので、子どもさんが変わることよりも、親御さんに変わってもらうことを目指しているのです。
一見さんお断りではなく、一見さんこそ、ウエルカムです!




☆『医者が教えてくれない発達障害の治り方』のご紹介☆

まえがき(浅見淳子)

第一章 診断されると本当にいいことあるの?
〇医者は誤ることはあるけど謝ることはない
〇早期診断→特別支援教育のオススメルートは基本片道切符
〇八歳までは障害名(仮)でよいはず
〇その遅れは八歳以降も続きますか?
〇未発達とは、何が育っていないのか?
〇就学先は五歳~六歳の発達状況で決められてしまうという現実
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのメリット
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのデメリット
〇療育や支援とつながるほど、子育ての時間は減る

第二章 親心活用のススメ
〇親子遊びはたしかに、発達に結びつく
〇変わりゆく発達凸凹のお子さんを持つ家庭の姿
〇学校は頼りにならないと知っておこう
〇安定した土台は生活の中でしか作れない
〇支援者が行うアセスメントには、実はあまり意味がない
〇親が求めているのは「よりよくなるための手がかり」のはず
〇人間は主観の中で生きていく
〇専門家との関係性より親子の関係性の方が大事
〇支援者の粗探しから子どもを守ろう
〇圧倒的な情報量を持っているのは支援者ではなく親

第三章 親心活用アセスメントこそ効果的
〇子育ての世界へ戻ろう
〇その子のペースで遊ぶことの大切さ
〇「発達のヌケ」を見抜けるのは誰か?
〇いわゆる代替療法に手を出してはいけないのか
〇家庭でのアセスメントの利点
1.発達段階が正確にわかる
2.親の観察眼を養える
3.本人のニーズがわかる
4.利点まとめ
〇家庭で子どもの何をみればいいのか
1.発達段階
2.キャラクター
3.流れ
4.親子のニーズの不一致に気を付けよう

第四章 「我が子の強み」をどう発見し、活かすか
〇支援と発達援助、どちらを望んでいますか?
〇子ども自身が自分を育てる方法を知っている
〇親に余裕がないと「トレーニング」になってしまう
〇それぞれの家庭らしさをどう見つけるか
〇親から受け継いだものを大切に、自分に自信を持とう

あとがき(大久保悠)


『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』をどうぞよろしくお願い致します(花風社さんのHPからご購入いただけます)。全国の書店でも購入できます!ご購入して頂いた皆さまのおかげで二刷になりましたm(__)m


2022年7月22日金曜日

【No.1291】ヒトという動物としての躍動した発達を

人というのは、つくづく「外のことはよくわかるんだな」と思いますね。
裏を返せば、自分のことはよくわかっていない。
まあ、わかっていないから、他人のことをズケズケと言えるんだなとも思います。
私の仕事なんて、その最たるもので、ひと様のおうち、お子さんのことだから、客観的に見え、あれこれと言えているんだと思います。
違うのは、その自覚があるかと、他の療育機関、支援者と異なり、忖度&接待をしないところですかね(笑)
妻に訊けば、子ども達に訊けば、理想の父親とは程遠いでしょう。
だからこそ、あまりしゃしゃり出ずに、子ども達の生きる力、伸びる力をただただ信じようと私は思っています。


この仕事を続けていくと、多くの人達と出会います。
そして何よりも自分のことがよく分からないという人間の習性が見えるのです。
私はよく「発達障害のうち、90%以上は誤診」と言っています。
でも、勘の良い人はお気づきの通り、これは「90%以上の人は、環境側の要因によって発達障害に"されている"」と言っているわけです。
もし単純に、本人だけの問題で、本人が抜かした発達とその遅れが原因だとしたら、私が施設を起ち上げて、そこでセッションをすれば良いわけです。
遠方の人なら、一週間から1ヶ月くらい来てもらって、そこで毎日、プログラムをこなしてもらえばいい。
でも実際は、そんな施設を作っても無駄でしょ。


一応、私は日本に3施設しかなかった自閉症児の専門施設にいましたが、いくら専門的なスタッフが24時間、365日、計算されたプログラムを行っても、根本からの改善はできませんでした。
きっと今のような知識があったとしても、治るは無理。
まあ、リアルな自閉症の人、最重度から測定不能の知的障害を持った人、強度行動障害を持った人だったというのもあるけれども、そこまで問題をこじらせ、知的発達が進めなかったのは、本人側というよりも、環境、家族、成育歴の中に問題があるから。
そこから治していくためには、施設では限界があり、やはり家族、成育歴の中に立ち返り、戻っていくしかないのです。


「私は治った側です」というけれども、実際は「治っていないでしょ」と思うことがある。
反対に「私は治っていない側です」というけれども、実際は「治っているでしょ」と思うこともある。
そして「治った」と見える人の中にも、当然、治っていない部分があり、「もう少し行えばもっと治るんだけどな」「治り切ってはないよな」と思うこともあります。
たぶん、これは私が三代にわたる視点で、治ったを見ているからでしょう。


面談をすると、親御さんの中に発達障害の面影を見ることがあります。
このように働き、自立した生活をし、家族を持っているので、世間一般から言えば、治った人だといえるでしょう。
しかし実際には、我が子にも発達の課題が表れ、こうやって子育てに悩まれている。
親御さんの悩む根っこを辿っていけば…
・感覚的に「治った」「成長した」「良い方向に進んでいる」が分からない
・遊び方が分からない
・子どもとの関係性がうまく作れない
・マニュアル通りにはできるんだけれども、アプローチを創意工夫して変化させることができない
・続けることができない
・そもそも自分の身体を自由自在に動かせない
・よって日々の生活で精一杯で子育ては無理
・"愛する"が、"心地良い"が実感としてわからない
・自分の親への恨みが、してほしかったことが、子どもに、自分の子育てに乗り移る


で、これらの問題はどこで生じたかといえば、親御さんの子ども時代、その親御さんが育った環境、さらにいえば、親の親との関係性に始まっている。
親御さんが胎児だった頃から幼少期、子ども時代を通して作られていった問題が、いざ、自分が親になり、子育てとして向き合ったとき、我が子の「発達障害」という形で現れる。
ですから、三代続くといえますし、子どもの発達障害を治していくには、まずは親である自分の課題と向き合い、解決する必要があるのだといえます。
そこでけりをつけておかなければ、目の前にいる子を自立、治ったまで後押しできないし、その次の世代、我が子が親になったとき、自分と同じような状況と向き合うことにもなる。
小さいお子さんの場合、祖父母の方が同席されることもありますが、これを実感しますね。


自分自身の課題、そして我が子に発達が遅れた原因、その要因と向き合うことは、とても辛いことだと思います。
だけれども、大人である私達がそこから逃げてはいけないと思います。
何故なら、今の子ども達だけではなくて、その次の世代にも関わってくるからです。


日本の乳幼児、子ども達の死因で多いのは、先天性の障害・病気でも、不慮の事故でも、ガンでも、自殺でもありません。
この国では、一年間で15万人前後の人工妊娠中絶が行われ、命を失っているのです。
そのほとんどが若年層、10代、20代の若い世代の人。
つまり、妊娠適齢期があり、私達も動物であるということです。
平均寿命が50歳を超えたのは、戦後1950年代になってから。
人類700万年、祖父母の世代までは10代、20代で子を産み、我が子が子を持てる歳まで育った頃に、人は死んでいたのです。
もし妊娠に関する医療技術が向上しているというのなら、今頃、ベビーブームが起きているはずです。


祖父母の世代までは、「元気な子どもを産めるように」と食べ物や運動、姿勢やどういった刺激を受けるかまで、きめ細かく教えられてきたものです。
それが「時代錯誤だ」「人権侵害だ」などと言われますが、ヒトはどう頑張っても動物なのです。
自然の流れから逸脱したとき、動物としての生命に不具合が生じるのは当然の結末。
私達は、食べたいときに食べたいものを食べ、遊びたいときに遊びたいことを行ってきた。
そのときの欲求、欲望のままに生きてきてしまったのではないでしょうか。
そして誰も、それが問題だと、未来に繋がる問題だと教えてくれる大人たちがいなかった。
だから、今の子ども達が苦しんでいるのだと思います。
私達今の子育て世代は被害者でもあり、加害者でもある。


放射能もそうですが、「ただちに」は人体に影響を及ぼさないものです。
しかし、添加物、化学物質、石油由来の薬は、月日をかけて体内に蓄積される。
もちろん、親子の愛着形成の不全さ、トラウマ、脳や身体の歪みは、蓄積の形が思考や行動となって表れる。
だから、「発達障害を治す前に、まずは自分でしょ」と言っているのです。
「流産したあとの次の子は健康な子が生まれる」と言われているのは、体内に溜まった悪い物を全部子どもが持っていってくれるから。
動物としての解毒の形なんですね。
正直、発達障害児における解毒治療というのは、そこじゃないよなって思います。


今までの人生を振り返れば、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、東日本大震災というような大きな出来事がありましたが、今がもっとも不安定な時代だと感じています。
そしてまだ底を打っていない。
本当に大変な時期は、これからやってくると思っています。
ですから、チャンスは今しかない。
特にコロナ騒動で、みんなが「おかしいな」と気がついた今に。
日々生きるだけで精一杯になったら、自分のことを冷静に考え、変わろうと動けはしないはずです。
私達は、子どもに生じた不具合、発達障害という問題を通して、自分自身を顧みて、自分のダメさに向き合う必要があると思います。
大いに反省し、そして我が子と次の世代の子ども達に、動物として、日本人として大事なことを伝えていく責任があります。


「今だけ、カネだけ、自分だけ」で生きてきた戦後生まれの先輩たち。
そんな先輩たちを、GHQの占領政策を、政治家たちを「悪い」「あいつらのせいだ」とののしっても、何も生まれない。
わたしたちには、発達障害を治す責任があるし、これ以上、発達障害の子ども達を生まないように行動していく必要がある。
自分の寿命が尽きるとき、今が時代の分岐点だったと思うことでしょう。
私は発達援助という仕事をしています。
だから、発達援助という仕事を通して、より良い社会と未来を創っていくために行動しなければなりません。


今まで通り、「診断受けて、自分のせいじゃないって安心して、療育に通って、特別支援を受けて、進路指導の先生が勧めてくれる福祉事業所に行って、はい、親としての務めはおしまい」なんて無理。
子どもの発達はお金では買えないという当たり前の現実と向き合わなければなりません。
お金が無くなったとき、もう一度、日本が貧乏になったとき、本当の発達、ヒトという動物としての躍動した発達が起きるのだと思うのです。
そういった意味では、これからやってくる未来が楽しみでもあります。




☆『医者が教えてくれない発達障害の治り方』のご紹介☆

まえがき(浅見淳子)

第一章 診断されると本当にいいことあるの?
〇医者は誤ることはあるけど謝ることはない
〇早期診断→特別支援教育のオススメルートは基本片道切符
〇八歳までは障害名(仮)でよいはず
〇その遅れは八歳以降も続きますか?
〇未発達とは、何が育っていないのか?
〇就学先は五歳~六歳の発達状況で決められてしまうという現実
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのメリット
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのデメリット
〇療育や支援とつながるほど、子育ての時間は減る

第二章 親心活用のススメ
〇親子遊びはたしかに、発達に結びつく
〇変わりゆく発達凸凹のお子さんを持つ家庭の姿
〇学校は頼りにならないと知っておこう
〇安定した土台は生活の中でしか作れない
〇支援者が行うアセスメントには、実はあまり意味がない
〇親が求めているのは「よりよくなるための手がかり」のはず
〇人間は主観の中で生きていく
〇専門家との関係性より親子の関係性の方が大事
〇支援者の粗探しから子どもを守ろう
〇圧倒的な情報量を持っているのは支援者ではなく親

第三章 親心活用アセスメントこそ効果的
〇子育ての世界へ戻ろう
〇その子のペースで遊ぶことの大切さ
〇「発達のヌケ」を見抜けるのは誰か?
〇いわゆる代替療法に手を出してはいけないのか
〇家庭でのアセスメントの利点
1.発達段階が正確にわかる
2.親の観察眼を養える
3.本人のニーズがわかる
4.利点まとめ
〇家庭で子どもの何をみればいいのか
1.発達段階
2.キャラクター
3.流れ
4.親子のニーズの不一致に気を付けよう

第四章 「我が子の強み」をどう発見し、活かすか
〇支援と発達援助、どちらを望んでいますか?
〇子ども自身が自分を育てる方法を知っている
〇親に余裕がないと「トレーニング」になってしまう
〇それぞれの家庭らしさをどう見つけるか
〇親から受け継いだものを大切に、自分に自信を持とう

あとがき(大久保悠)


『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』をどうぞよろしくお願い致します(花風社さんのHPからご購入いただけます)。全国の書店でも購入できます!ご購入して頂いた皆さまのおかげで二刷になりましたm(__)m