【No.1509】子どもに触れるその手が冷たい
時々ですが、このブログを読んでくれた人から感想をもらうことがあります。 うれしいですね。 感想をもらえると、やりとり、交流が生まれるからね。 それがまったくないと、僕が一人で言葉を並べているだけになっちゃうから。 「この文章で、この部分に注目されたんだ」 「ここをそう解釈、捉えたのか」 新しい気づきもあるし、同じ文章でも読み手によって意味の取り方が違ってくるからおもしろい。 思い浮かべる子、今、関わっている子、一人ひとり資質と体験が異なるから、それが出るんだと思うね。 このように言葉とは曖昧なものだし、伝えたいことがピタッとその通りに伝わることはないと私は思っています、数字以外はね。 このブログだって、あれこれ書いてますが、正確に伝えようとして言葉を並べていけばいくほど、真実から遠ざかっていく感じがあります。 きっと伝わらないんだろうな、でも伝えたいな、という想いで綴ってる。 言葉は道具だから、使い方、使い手によって機能が変わってくるのは当然です。 また言葉はヒトの歴史でいえば、ごく最近から使いだしたもの。 生理現象があって、行動があって、最後が言葉。 実態の順番、信頼度の順番、正確性の順番だね。 つまり、子どものことを観察するにも、この順番が大事ってこと。 生理現象にはウソがないけど、言葉にはウソがある。 行動はその中間。 育てる順番も「言葉から育てよう」とするのは間違いだね。 まずは生理現象から始める。 疲れを感じられるようにする(生理現象)。 疲れを感じたら休むようにする(行動)。 疲れを感じて休みたくなったら「疲れた」「休みたい」と言えるようにする(言葉)。 発達相談のあと、当日、観察できたその子の発達状態や課題、発達援助のポイントと仕方をまとめた報告書を作成して、各家庭にお渡ししています。 この報告書は文章で作成したものだけど、ただ私がアセスメントして、こう育てましょう、というのを文字で書いたんじゃ、ほとんど意味が伝わらないし、活用できないでしょう。 だけど、当日、私がするアセスメントや子どもさんとの関わりを傍で見てもらってる。 気が付いたことがあれば、その場で私がぼそぼそ言って、ああでもないこうでもないと関わり方を変えていく。 こうやって私の言葉には表せない発達援助が、私が汗をかいたり、テンションが上がったり、悩んで困ったりするのを、ああだこうだと手を変...