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【No.1516】チャッピーが支援目標を立てる時代

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個別支援計画とか、個別支援目標とか、もうすでにだいぶチャッピーが書いてるんじゃないかな。 非の打ち所がないきれいな文章が目立ってきたからね。 公文章としては完璧みたいな。 普通の親御さんなら、それを見ただけで「もうお任せします」ってなっちゃいそう。 一字一句、AIが作成した通りの文章を載せる人はまだ少ないだろうけど、障害名と子どものプロフィール、あとは「コミュニケーションの目標を立てて」なんて打ち込んで出てきたものを参考にしている人は多いと思うね。 「目標を立てるのがうまくなって、臨床の力が落ちる」という時代がやってくるでしょう。 パソコンの文字を見ていても、アセスメントの力とか、援助技術は上がっていかないからね。 臨床の場面ではノンバーバルな情報の割合が圧倒的に多いといえます。 とくに発達に凸凹がある人や子どもさんの場合はそうなるね。 言葉を話す子だったとしても、何を言っているかよりも、音程の高低、リズム、なめらかさ、反応の時間のほうがずっと意味があるアセスメントになります。 そして私たちは目を使って、表情の変化、態度、行動、しぐさ、呼吸の状態(リズム、深さなど)を絶え間なく観察してるんです。 そうやって子ども達から発せられるあらゆるノンバーバルな情報から、今の発達の状態や課題、今後、どのような援助が発達を後押しすることに繋がるかを考えていきます。 だからAIばかり使っていると、どんどん言葉ばかりでっかくなって、大事なノンバーバルな情報を捉える力が衰えていくと思うんですよ。 子ども達のリアルタイムの変化に応じて、パパっと支援や援助、指導が出せないといけないんだけど。 支援者には誰でもなれる時代になるから、その子の成長に繋がる支援ができる人を探すほうが大変になると思うね。 「チャッピー、ちゃんとした支援者を教えて」なんてAIに訊く時代がくるかも(笑) 支援者もランク付けがされて、一覧になったら便利だね。 あとAIでいえば、出てくるのは過去の情報が整理されたもので未来じゃないよね。 「行動障害に対する援助法は?」と尋ねれば、過去、ギョーカイの先生たちが言っていた内容が羅列されるだけ。 「自閉症児に対する支援で良いのは?」といえば、視覚支援やABAって回答があるみたいな。 だけど、それは過去に良いと言われていたものであって、現在じゃない。 ましてや、目の前にいるその子に...

【No.1515】×失敗したときの原因探し 〇成功したときの原因探し

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子育てをしていて「うまくいったなぁ~」と思えることは少なくて、「失敗したな」「まずかったな」「よくなかったな」と思うことのほうがずっと多いよね。 発達相談の中でも、「ほんとうまくいかなくて…」という話を聞くことが多い。 まあ、うまくいってたら、そもそも相談しようとは思わないでしょうけど(笑) 発達に凸凹のある子の子育ては、毎日が失敗の連続だと感じるくらい四苦八苦しながら、みんなやってるんじゃないかな。 で、そういった親御さんの悩み、相談を支援者側は受けることになる。 まじめで、素直な支援者ほど、親御さんの失敗談に真摯に向き合い、「どうしてでしょうかね~」「なにが原因でしょうかね~」とやる。 いや、やってしまう。 私はそれはやらないんだ。 なんでかといえば、うまくいかなかった理由って、いくつもあるから。 単純に「〇〇がよくなかったから」なんてことにはならない。 いろんな悪条件が重なり合って、よくない結果、失敗だと感じる状況が生まれるもの。 親御さんの関わり方としてはよかったけど、その子の体調が悪かったり、ほかの刺激に意識が奪われていたり、発達の順序的に前後がズレていたり、タイミングよく(悪く?)お父さんが帰ってきたり(笑) 行動療法系の人達が好むようなA(原因)→B(結果)みたいなきれいな図式は作れないの、うまくいかないときって、現実世界ではね。 「先行条件→行動→結果」なんてきれいすぎるでしょ。 つまり、これはお勉強するための机上の空論(笑) 一方で「今の関わり、今日の関わりはうまくいったなぁ~」と思うことがあるでしょ。 そんなに多くないかもしれないけど、どんなおうち、親御さんにもあるはず。 そっちのほうは「なぜ?なぜ?」って聞くことが大事。 それはいいこと、うまくいったことって、原因が1つか、2つくらいしかないから。 トイレでおしっこが成功したのは、水分量とか、トイレの照明の具合とか、遊びの内容とか、時間帯とか、気温の暑さ寒さとか、「すべての条件が整いましたので、初めてトイレでおしっこできました」なんてことはないでしょ。 お母さんの声掛けのタイミングが良かったとか、尿意に意識が向くような言葉掛けだったとか。 そんな感じで原因がシンプル。 そこを「なぜ?なぜ?」と掘り下げていくと、「そうかタイミングが合えばできるんだ」「じゃあ、前兆を捉えるのがポイントだね」「前兆っ...

【徳島出張のご案内】10月24・25日

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徳島にお住いのご家族から出張相談の依頼がありました。 遠方からのご依頼の場合、まずは花風社さんから出版していただいた書籍を読んでみてください、メール相談を利用されてはいかがですか、という提案をしています。 やっぱり遠くなると、日帰りでというわけにはいかず、交通費や滞在費がかかってしまいますから。 ですが、今回、ご依頼があった方はすでに書籍は読まれていて、ブログ等のSNS等もチェック済み。 「たとえ自分たち、ひと家族になったとしてもお願いしたい」という強い意思を伺いました。 ご家族からの強い意思は、そのまま我が子への強い想いの表れなのだと思います。 数多ある相談先、援助者の中から、「私を選んでくれたことに応えなくては!」と私も強い想いをもちました。 てらっこ塾開業14年目にして初めての徳島、四国出張。 今まで出張の問い合わせがなかった地域ですので、他のご家族から依頼があるという自信はありません。 が、躊躇なく私が出張できる一番早い日程で航空券を押さえました。 函館からですと、羽田経由で徳島空港なのですが、都合のよい時間、便がなかったため、伊丹空港を利用し、あとは高速バスで徳島に行くことに。 まずは徳島で募集して、ニーズがなければ、四国か、大阪、兵庫あたりに広げてみようかなと思っています。 それかいっそのこと、なかなかいけない四国なので、一日、個人的な観光ということにしてもいいかなとも。 そうすれば、滞在費を大久保個人にでき、相談の料金を減らせますので。 10月23日(金)は午後、伊丹到着。 もし夕方から夜の時間でもよければ、大阪、兵庫にお住いの方の発達相談お受けできます。 10月24日(土)は未定。 10月25日(日)は午後の便で函館に戻りますので、ご依頼くださった徳島のご家族の訪問にするか、大阪に戻って発達相談を行うか…。 ということで、ここは皆さまのお力が必要です(笑) リツーイト、拡散、よろしくお願いします<m(_ _)m> ひとまず週末まで問い合わせがくるのを待とうと思います。 お問い合わせ、ご依頼は こちら から てらっこ塾HPは こちら

【No.1514】子どものことを語ろうとすれば、まとまらなくなるもの

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メール相談の件数も以前より落ち着いてきて、一日3件程度、多いときで10件くらいになりました。 それでも開業当初から数えれば、相当な件数の相談、メールでの助言を行ってきたことになって、我ながらよく続いたな、続けてきたなと思います。 このブログを読んでくださっている人たちの中で、メール相談をやってますという方は少ないかもしれませんが、今日はそんなメール相談から得た発達援助のコツについてお話ししますね。 自分自身の相談は全体の1割くらいで、ほとんどが我が子の発達についての相談内容になります。 そしてそういった親御さんのメールには必ずといっていいほど、「文章がわかりづらくてすみません」「うまく伝えられない文章でごめんなさい」といった言葉が綴られていますよ。 これは「文章(書くこと)に自信がない」がないというよりも、息子や娘のことを詳しく書こうとすれば文章がまとまらなくなってしまう、ということだと思うんです。 日々、子どもと接し、誰よりも子どものことを見ていて、気づいている親御さんだからこそ、書こうと思えばうまく表現できなくなるのでしょう。 一方で、とても詳細に、かつわかりやすい文章で子どもの様子を綴り、相談内容もバシッと書いてあるメールもあります。 で、みなさんがご想像の通り、こちらの親御さんのほうが心配なんですね。 子どもという日々変化し、躍動する生である一人の人間のことを文章で表すなんて到底できることではありません。 同じ行動だとしても、外から見るのと、内から見るのでは違いますし、状況や状態、環境によってその行動の意味も違ってきます。 ですから、わかりやすいきれいな文章というのは、いろんなものが切り捨てられた結果なんです。 我が子に発達の遅れ、悩みが生まれた瞬間、親御さんはいろんな専門家といわれる外部の人間と関わることになります。 その際、必ずといっていいほど、成育歴や日々の子どもの様子、どんな点に困り、悩んでいるかを聞かれます。 「同じ内容なら共有すればいいのに」と思うのも当たり前で、機関が変われば、また同じ期間内であったとしても担当が変われば、学年が変われば、同じ話をしなくてはなりません。 そんなことを繰り返していくうちに、どんどん曖昧な部分、表現できない部分が削られていき、親御さんのほうもプロの語り部になっていく(笑) 気が付かないうちに、まとまった“話”ができて...

【No.1513】価値ある“こだわり”

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“こだわり”が強い子を傍でじーと見ていたら、なんだか同じところをくるくる回っているイメージが伝わってきました。 たぶん、この子の場合は、脳にその“こだわり”に関係する神経回路があって、そこを電気信号がグルグルと回り続けているんじゃないかと思ったんです。 しかも、一般的な人の脳とは違って、その興奮がなかなか醒めない。 そういった体質かもしれないし、後天的に、まあ、学習によってその神経回路に電気信号が流れ続けている状態が心地よいとなっているのかもしれないね。 “こだわり”というのは周囲から理解されないことも多く、「できればやめてほしい」「やめさせたい」といった相談も多く受けますよ。 でも、それが体質だったり、器質だったりすれば、完全にこだわりをなくすことはできないですね。 こだわる対象を変えたり、こだわる場所を変えたり、「こっちは都合が悪いけど、こっちなら良いです」みたいに、こだわりの矛先を少しずつ変えていくのが現実路線となります。 こだわること自体に価値を持っている人は、自分でもこだわりの形を変えていくことがあるから、子どもさんの場合、成長していくにつれ、環境と折り合いがつくような適当なこだわりになっていくことがありますね。 こだわりを資質として伸ばしていくイメージが持てると良いでしょう。 一方で「やむにやまれぬ」みたいな雰囲気が漂っているこだわりについては、それがたとえ周囲にとって受け入れがたいものであったとしても、対応は難しいです。 こだわることが、それこそ、その特定の脳神経回路の中を電気信号がグルグルと回ること自体がご褒美になっている。 こだわり行動をしているときは、その間だけは辛い何かから逃れることができる。 特定の神経回路を興奮させることで、させ続けることで、ほかの刺激から逃れることができているかもしれない。 「こだわり方を変えろ」と言われても、私にとってはこれが命綱であって、編み出したサバイバル術なんです、ってこともあるでしょう。 「不安&生きづらさがある→こだわることで対処→脳神経回路が強化」を繰り返すと、その行動の形自体を変えることは難しくなりますね。 生活に支障が出るくらいの強いこだわりを持っている人は施設内にたくさんいて、私たち支援員ができるのは、その特定の神経回路を興奮させるきっかけ、刺激を遠ざけることくらいでしたよ。 一度、スイッチとなる刺激が...

【No.1512】観察すると関係は切れる

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「観察」という言葉を使うときは気を付けているつもりでした。 あくまで観察する対象は症状や特性であって、子ども自身ではない。 しかも、その観察は「注意深く見る」という意味で、変化や経過を含めてしっかり見ましょう、ということで使っていたんです。 が、先日、相談者の親御さんが「大久保さんが言う通り、娘のこと、しっかり観察することを意識して過ごしました」と言って、ありゃ、まずいと思った。 その場で謝りましたよ、ごめんなさい、説明が足りませんでしたって。 もちろん、症状も、特性も、その子に出ていることだから、大きく言えば、子どもを観察していることには違いない。 でも、「観察」っていうのは「客観的に見る」ということになるから、関係が切れちゃうの。 子どもは親との関係の中で生きてるよね。 だから親から観察されると、子どもは寂しい気持ちになるんだ、独りぼっちの感じが出るから。 子どもについて詳細に語ることができる。 引き継ぎの資料作りも上手だし、SNSでの発信も手に取るように子どもの様子がわかるくらい素晴らしい。 だけど、子育てがうまくいっていないっていうのが典型的なパターンだね。 観察する側とされる側。 これは物事を教えるのには良い関係。 親御さんが子どもの宿題なんかを傍で教えようとすると、感情が乗ってうまくいかない(笑) 最初は優しく教えていたのに、途中から「なんでわからないの」「何度言ったらわかるの」と怒りがこみ上げ、いつの間にか喧嘩に発展している。 他人の子を教えるときはキレずに優しく教えられるのに。 それは子どもに対する期待などの感情があって、それに応えたいと思う子どもの気持ちと繋がっているからね。 でも、それは勉強の妨げになる。 学習っていうのは単純に言っちゃえば、新しい情報やパターンを記憶することで、「ここまでわかってて、ここが躓いている」というのを瞬時に把握して、「ここに注目」とか、「こうやってみて」と気付かせ導くこと。 そこに感情の交流は必要ないよね。 子育てって、なにかのパターンを教え込むことじゃないね。 親子で感情のやり取りを通して、お互い育ちあう、共に育っていくということが大事だと思うんだ。 さっき言ったような宿題を見てもらってたけど、いつの間にか親子げんかになった日常の一コマは勉強、テストの点数にはつながらないかもしれないけど、親子の成長、豊かな情緒を育て...

【No.1511】素の息子のときと、自閉症の息子のときの関わり方

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昨日のブログを読んだ方から「素の息子のときと、自閉症の息子のときで対応や育て方に違い、コツがあるのでしょうか?」という質問を受けました。 確かに見方について書いたけど、対応の仕方については書いてなかったよね。 いま、目の前にいる我が子はその子本来の素の姿。 じゃあ、そんなときは、どうやって関わったらいいのだろうか、と疑問に思うのは自然な流れ。 こうやってわからないところ、疑問に思ったところがあったらすぐに訊こうとする。 結構、これができない人が多いと思うな。 「こんな質問したら…」「それくらい自分で考えな」と言われそうだな…とか、これはあらゆる年代、場面で見られるよね。 でも、それはまだ自分主体で考えている段階で、本気じゃないといえる。 治す親御さんは“なりふり構わず”になれるね。 というか、全部投げ出して我が子の生きづらさをどうにかしたい、少しでも楽にしてあげたい、と思えるくらいにならないと、そしてそこに行動が伴わないと、その子が辿ろうとしている発達の流れを変えることはできないでしょう。 話を戻すと、素の部分が出ているとき、険しい表情や固い表情から一転して、柔和で自然な表情、しぐさ、身体の動きになったとき、本来、その年代、その子がやっているだろうなと思うことをやってほしいな。 たとえば、一緒にままごとをしたり、本の読み聞かせをしたり、ギュッとスキンシップをしたり、親子で出かけたり、自然な会話を楽しんだりね。 そういったときの子どもさんを見ていると、脳に神経のごちゃごちゃとか、葛藤が見られないんだ。 ニュートラルで、開いている状態。 そのときなら刺激も、関わりも受け入れられますってなっていることが多い。 だから自然な交流、親子の関わり合いをやってほしいな。 これはその子の心身の安定、発達に繋がるし、それ以上に親御さんのずっと抱えてきた「ああ、普通の子だったらあんなことをしてみたかったな」という想いを解放することにも繋がると思うんだ。 口にする人は少ないけど、親なら思う自然な気持ちだから、ないことにし続けるのは心身に良くないね。 一方で「自閉っぽいな」と感じるようなぴょんぴょん跳ねたり、独り言をいったり、せわしなく動き回ったり、関わりを拒絶すような状態だったりするときは、まさに閉ざされた状態だね。 頭の中がごちゃごちゃしていて、もう苦しくって、放っておいてくれよ、辛い...