【No.1448】児童デイや療育に期待すること
法人がやっている障害者施設であったとしても、知的に、また症状が重い子よりも軽い子のほうに利用してもらいたいと思っているのです。 それなのにどうして児童デイが重い子を好んで受け入れるでしょうか。 私が関わっている通所施設、児童デイだって、代表や中心となる支援者さんが優秀であったとしても、スタッフさんは専門的な勉強や経験がなかったりする人がほとんどなのです。 田舎は顕著に「割のいい仕事、バイト、パートの一つ」になっています。 公共事業と一緒です。 世の中、性善説というか、悪く言えば世間知らずか、はたまた「見たくないものは見ない」としているのか、福祉、とくに障害児者に関わっている人は「心がきれい」「良い人」「志のある人」と思われているふしがあります。 でも、そういった人はごくわずかで、ほとんどは愛着障害のたまり場であり、無資格、未経験者大歓迎の職場。 他の仕事と違って成果が出なくても「障害のせい」にできますし、問題を起こさなければ行政からお金がやってきます。 行政だって支援の質を評価することはできないのですから、提出書類に不備がなければそれでよし、となる。 「困難がある子や重い子の方に加算がつく」というインセンティブがあるじゃないか、という人がいるかもしれません。 そんな“重さ”なんてどうにでもなるのです。 そもそも診断自体が客観性のない主観的で曖昧なものなのですから。 どこの障害者施設だって軽い子をどうやって書類上重くするか、ニーズが高いようにするかやっています。 逆に重い子、行動障害があるような子、労力やリスクが高い子は「うちでは十分な支援が受けられません」「うちだと事故、その子が怪我をして問題になるかもしれませんよ~」「その子にとってもっと良い施設がありますよ」と、それらしく書類に書いて提出する。 「その根拠は?」と言われれば、私が見聞きした、また上司の指示だったとしてもそういった資料を作っていた張本人だから。 ネグレクトを受けている子や不登校の子を「障害児」として施設利用につなげることだって、昔から行われている常套手段。 全国各地、出張で発達相談に行きますが、児童デイの支援シートを見ると、「これってどこかで見たよな」という文言が書かれています。 年齢と障害名を打ち込めば、あとは自動で作成してくれるソフトが同じメーカーのものだったのでしょう。 こういった現実を知って...