【No.1523】信じるのはアプローチか、支援者か
私はアプローチに関しては信頼したり、信用したりします。 かつてギョーカイのど真ん中にいたとき、TEACCHだって、ABAだって、SSTも、PECSも、全国各地、ときに海外に行き、そこで学び、当然、実践もしてきました。 今思えば、「遠回りしたな」と感じますが、当時、私は必死に学びましたし、その当時としては、私が関わった子ども達、成人した人達において効果を感じていました。 そのアプローチが生まれ、広がるということは、その時代、その社会においては意味があったと考えています。 もちろん、まったく効果がない、合わないような人もいましたが、それはその人にアプローチが合わなかっただけ。 そしてどんなアプローチも万人に効果がある魔法のようなものはありません(もし万人に効果があるアプローチがあったのなら、それは個別化が難しくなり、効果が限定的、薄くて広いものとなる)。 古今東西、当時の有名支援者、専門家の生(なま)の実践と、実践を受けた子ども、家族の様子も見てきましたが、評判ほど当てにならないものはない、というのがわかりました。 肩書だったり、初めに言いだした人だったり、腕よりも口、宣伝がうまい人だったり、テレビやメディアに出た人だったり…。 つまり、アプローチは信用するけど、専門家、支援者を信用することはない。 アプローチは嘘をつきません。 アプローチはアプローチ自身の利益のために動きません。 アプローチは愛着障害も、名誉欲も、承認欲求ももっていないのです。 だけど、支援者は人間で、そういったものを持っていることがある(多い?)。 「障害を持った人と関わるんだから、それを生業にしているだから、きっと心の綺麗な人だろう」というイメージが一般的にはあるかもしれませんが、清廉潔白な支援者、そういった人間ができた人なんてそうそういません。 いても、ただ優しいだけの「無益無害な支援者」もいる。 「腕が良くて、清廉潔白で、真摯に耳を傾けてくれる誠実な支援者」 支援者に依存していく親御さん達を見るたびに、「そういった人として、その支援者のことを見ているのだろうか」「よくもまあ、支援者のことを信じられるものだ」と私は思っています。 みなさん、知らないのです、特定の支援者にどっぷりはまった家族の末路を。 最初は有意義な情報、支援を提供してくれていた、得られていた。 だけど、支援には限界があるから、あ...