【No.1484】発達障害の「認知と診断」の広がりなら、とっくに頭打ちしているはずですが…
2000年代、高機能ブームが起きました。 そして同じような時期に特別支援教育も始まりました。 「これだけ発達障害が増えたのは、世の中の認知の広がりと、診断を受ける人が増えたからだ」 それがギョーカイが出した結論です。 しかし当時から私はおかしいと考えてたんですね。 だって増加の仕方が、グラフなんか見ると、急激に上がっているんだから。 学生時代、ちょっと統計学も勉強してたから鋭角に上がり続けるグラフを見て、「単なる診断だけの問題じゃないな。もっと根本的なことが起きなきゃ、こうはならないな」なんて考えていました。 数年経過を見ていても、発達障害のグラフは上がりっぱなし。 認知と診断といった外的な要因なら環境が整えば、全国どこでもある程度、診断が受けられるようになったら、頭打ちするはずでしょ。 子どもの数自体は減っているんだし。 だけど、10年が経ち、平成が終わって令和になっても、一向に頭打ちなる気配はない。 というか、まだまだ勢い止まらずに増え続けている。 「スペクトラムだから、あなたも、私も、発達障害」なんていうフレーズもあったが、このままいったら、どの子も発達障害になるでしょう。 発達障害がない子の方が少数派。 1組が普通級で、2組、3組が支援学級となるのが近い将来で、「だったら、みんな、支援学級みたいに教育しなければ」となるのが孫の世代かな、なんてことを想像します。 発達障害が増えることに悲観していてもしようがないですね。 でポジティブな想像をしてみる。 社会の変化に真っ先に反応するのが子ども達だから、その影響が先に出るのが子どもだから、きっと今までの社会構造が土台から壊れ、新しい世界になっていくんだろう、と。 教育でいえば、明治以降、優秀な兵隊さんを作るために、全国どこに住む子も読み書きそろばんができて、指示通りにきちんと行動できるように仕立ててきた。 だけど、そういった均一の教育はもう、いや、とっくの前に役割を終えている。 だから一人ひとりの能力を伸ばすような、もって生まれた資質を最大限伸ばし、活かしていくような教育へと変わる必要があるでしょう。 江戸時代の寺子屋のような、実学を重視した、その子が学びたいもの、将来必要となる知識と技能を得るための教育。 学校という枠もとっぱらい、より自由に学べるようになっていく。 資格はあまり好きじゃないけど、「私はこの知識、...