【No.1472】親御さんが認知している子ども
昨日の 頑張るに関する記事 に「良かった」「わかりやすかった」「納得できた」というリアクションが多くありました。 感想をくれた方、いつも読んでくださっている方、大変励みになります。 自分では多くの方に共感してもらえたんだと解釈しています。 このブログで大切にしていること、いや、私自身が行っているすべての活動で大切にしていることは、言語化することです。 昨日の記事でもそうですが、「そうそう。私がひっかかっていたのは、そのことなの!」というようにすでに気づいていたけど、言語化できずにモヤモヤしていたことを言葉にすることを中心に考えています。 日々、子どもを見ている親御さん達がアセスメントできていないなんてことはありません。 「私、子どものことをちゃんと見れていない」という悩みを相談される親御さんは多いですが、見れていないのではなくて、感覚的に捉えていることに対する適切な言葉を持っていないだけです。 ほとんどの親御さんは子どもさんの本質的な課題、その行動の背景に気が付いています。 「アセスメントができていない」と思わせるのは、アセスメントを売ろうとする専門家の営業戦略です。 「子どもを見る」「その行動を観察する」という誰もが自然に行っていることを「アセスメント」という横文字を使い、親御さんの手から取り上げようとしている。 「アセスメント」と聞けば、「なにか特別なことを」「なにか専門家にしかわからないことを」と連想してしまう。 その習性や親御さんの不安を刺激するために、アセスメントに限らず、ギョーカイは専門用語を作り、それを専門家しか扱えない高度なものに仕立て、売ってきた。 で結局治らないし、普通の子育てを諦めさせる結果を生みました。 ギョーカイは障害を持つ子の"親"ではなく、障害を持つ子の"支援者"を大量に作り出していきました。 愛着障害のたまり場であるギョーカイが、新たな愛着障害を生産していく。 いろんな検査、アセスメントがありますが、それは人工的に作られたものさしを使って、長いか短いか、多いか少ないか、当てはまるか外れているか、を見ているだけです。 でも親御さんは時間的にも、空間的にも、環境的にも、その子を多面的で立体的に捉えることができています。 この力を活かさずして、その子の発達を後押しすることができるのでしょうか。 日々接...