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【No.1461】「賢いお子さんだな」と感じるとき

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「賢いお子さんだな」と感じることは発達相談の場面でたくさんあります。 言葉は発しないけれど、知的には重度とされているけれど、周りが想像している以上にいろんなことがわかっていて、できる能力を持っている。 だけれども、そこが気づかれていない子が少なくないと思います。 親御さんと話をしていても、「本当はうちの子、もっとできると思うんです」「結構、わかっていると思うんです」という言葉はよく聞きます。 親御さんは我が子の力に気が付いているんですよね。 でも診断は自閉症だったり、知的障害だったり。 確かに同年齢の子と比べてできないことが多い。 だから、そんな素直な想いに蓋をし、モヤモヤした気持ちを抱えて子育てを続けていく。 でも、本当に専門家の言うことは正しいのでしょうか? 親御さんの見立ては素人の見立てで、常に間違っていると言えるのでしょうか? 人の知能をすべて測定することはできません。 ましてや、その子の成長する力、可能性、未来を測定することはできないのです。 検査結果に一喜一憂する親御さんは多いですが、それはあくまで現時点での限られたポイントに対する評価です。 検査結果がその子のすべてでも、将来を決めるものではありませんね。 「そういう面もあるよね」くらいか、「サービス申請のための資料作りの一つ」というくらいの認識で良いのです。 事実、専門家の見立てとは異なる将来を歩んでいる若者たちがいます。 専門家の見立て通り、たとえば「この子は生涯、支援が必要だ」「言葉は出ない」「仕事や進学なんて無理」と言われたことがそのまま事実になるケースの多くは、専門家の言葉をそのまま鵜吞みにする家庭だといえます。 いや、鵜呑みにしている風で諦めた家庭、専門家に丸投げ、自分のせいじゃないからと割り切った家庭といえるかもしれません。 幼いときから専門家の言う通りに支援し、選択し、受け入れてきた。 そういった家庭の子は、みんな、支援の世界から出ることなく生きていく。 でも冒頭で紹介した通り、周囲が気づいていないけど、検査結果に表れないけど、「賢い」と感じる子ども達がたくさんいます。 そういった子は、「首から下の未発達&未接続」と「代償による凸凹発達」の2パターンが考えられます。 「首から下の未発達&未接続」とは、頭は活発に動いているけれども、身体が育っていなくてうまく能力が発揮できていない状態。 ま...

【No.1460】親の熱量 子の熱量

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スポーツ少年団でもそうですし、ピアノなどの習い事もそうですが、「親の熱量が子どもを上回ってはダメ」というのがありますね。 時々、公園などで親御さんのほうが向きになってスポーツを教えている場面を見かけます。 最初は好きで始めたスポーツや習い事も、いつしかやるべき“作業”になったり、親御さんの機嫌をと取るための“手段”になったりする。 いろんなアスリート、一芸に秀でた子を育てた家族の調査研究では、やっぱりそのものが「好き」「楽しい」という子どもの気持ちを阻害しないような配慮と環境があったことがわかりましたね。 だからこそ、子どもの「好き」を親御さんの熱量が上回ってはならないのです。 ちなみに中学、高校年代くらいになると、指導者の熱量が移ることもあるため、一概に成長を阻害するとはいえないようです。 それでも、そのものが好きで続けている子には敵わないようですが。 これは子どもに共通する特徴であり、子どもらしい発達の仕方だといえます。 発達相談でいろんなご家庭と関わりますが、「この子を発達させてやるんだ」という熱量が高くなると、あまり良い結果がでません(笑) 時々、目やテレパシーで私に「うちの親、どうにかしてくださいよ、大久保さん」と訴えてくる子もいます(笑) 一時期話題にもなりましたが、「はい、ハイハイ、5往復!」「はい、揺れる動き、左右で50回!」「はい、トランポリン、3分連続!」というような感じ。 一方で、私がよく言っている「子どもが育てたいところ、今、育てているところを育てる」という方針のご家庭は伸び始めたら一気に伸びるといった感じです。 このポイントは「意識」だと考えています。 対象の刺激に意識が向いているとき、意識が集中しているとき、強い電気信号が神経に流れます。 子どもの様子でいうと、そのモノ以外目に入っていない状態です。 子どもの発達の仕方の特徴として「繰り返す」「没頭する」があります。 とにかく(私たちから見れば意味が分からなくても)その行動を繰り返す。 ご飯やほかの活動があったとしても、お構いなしに没頭している。 「時間を忘れて」がまさにその状態です。 子どもが繰り返し行っている動作に対して、「自閉症の特性」「常同運動」「こだわり」などと捉えられてしまう場合があります。 そうすると、それは止める対象になり、注意を別のモノへと移そうとします。 これは私が学生...

【No.1459】「自己肯定感」と「チャレンジ」

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発達障害の人は「自己肯定感が低い」と言われていますね。 だからその自己肯定感を下げないように「否定語を使わない」「無理させない」 自己肯定感が上がるように「褒める」「できることだけをやらせる」という支援が奨励されています。 確かに彼らの自己肯定感は低いといえます。 でもそういった“いい子ねよちよち”で自己肯定感は下がらないのでしょうか。 それで上がるのでしょうか。 そもそもなぜ、自己肯定感が低くなるのでしょうか。 それこそ発達障害なので、「生まれつき自己肯定感が低い」というのでしょうか。 私は自己肯定感が低い赤ちゃんなどいないと思います。 生まれたときから「俺ってダメだな」と思っている子などいないでしょう。 赤ちゃんは今だけの世界で生きている。 過去もなければ未来もない。 あるのは今だけで、そこに集中して生きているので自己がうんぬんという段階ではありませんね。 そして自分の意識がはっきりし、周囲の環境、刺激に気が付いた乳幼児の子ども達は自信にあふれたような行動をします。 気になるものに手を伸ばし、どこでもここでもまっしぐらに進んでいく。 私が思うに、人は自信をもって生まれてくる。 結果や他者の評価なんて関係なく、自分は何でもできると思って行動するのが本来の子どもの姿。 ということは、発達障害の子ども達、人たちの自己肯定感を下げるのはチャレンジの機会の喪失ではないでしょうか。 挑戦したけれども、挑戦できない、行動できない。 発達障害の子の挑戦を奪うものは何でしょうか。 第一に自分の身体に生じている不具合でしょう。 動きたいけども、運動発達のヌケがあってうまく身体を操作、連動することができない。 感覚過敏があって刺激に圧倒されているから、動こうにも動けない。 母親の愛情を身体が気づけないから安心よりも不安が大きくなって動けない。 そしてもう一つ大きいのが他者評価による機会の取り上げです。 発達に遅れがあるから〇〇は難しい。 そういってチャレンジの機会が奪われることが多いのも事実。 支援や療育を受ける結果、同年齢の子たちが得る体験に参加することができない。 喧嘩しようとしても、なにかトラブルが起きようとも、間に支援員が入って事前に止められる。 支援級の子は6年間、「同じドリルをやるだけ」という話もいまだにあります。 支援学校に至ってはほとんどの子が教科書さえ配られない。 ...

【No.1458】「無人島に行きたい」と親御さんが言ったら

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インスタでフォローしている児童デイさんの投稿を見るのが私の楽しみになっています。 とにかく子ども達がキラキラしているんです。 活動内容も、自然豊かな場所でたくさん遊んでいる様子があったり、芸術活動をしている様子があったり。 スタッフの皆さんも心から楽しんで子ども達と、子ども達の成長と関わっている様子が伝わってきます。 地域の資源、その土地全部を使って子ども達の成長を後押している感じ。 もしてらっこ塾が立ち行かなくなったら、私が就職したいくらいです。 本当に素晴らしい施設というのは「お金を払ってでも利用したい」と思うようなところで、この児童デイさんは国からの給付金なくてもやっていけるくらいなポテンシャルと質を持っているでしょう。 でも本来はそうでなくちゃ。 給付金前提のサービスしかできないところに何かを期待すること自体が無理な話ですから。 私が学生だった頃、自閉っ子のお母さん達は「無人島に住みたい」とよく言っていました。 その意味は「刺激の少ない環境だと自閉症の人は落ちつくから」といったものでした。 確かに無人島に行けば、注意を奪う目に入る刺激や不快に聴こえてしまう人工音がありません。 当時、頻繁にパニックになる子が多かったので、また支援自体も「環境調整+刺激を減らす」ばかりでしたので、私も無人島のような環境が彼らにとって幸せじゃないかと思っていました。 しかし発達援助という仕事をしていく中で、また発達障害自体が改善し、治っていく人たちを見ていく中で、無人島のような環境はむしろ刺激が多くて、積極的な意味で自閉っ子たちが育つ環境だとわかるようになりました。 施設の中で支援や療育を受けている子よりも、環境的にも、子育て的にも自然な方が刺激が多くて伸びていく子が多い。 理由はとても簡単です。 自然界に四角や直線はありません。 すべての刺激が不規則で、かつ常に作られては壊されている。 つまり、この刺激の揺らぎ、多様性、無限性が豊かな刺激となって子ども達の身体に、脳に、届いていくのです。 早期診断、早期療育に頑張ってきた家族が、その支援の枠から抜け出し、「全部やめた」とした途端、子どもさんがググっと伸びる、大きな変化がみられることは珍しくないことです。 むしろ支援をしてきたことが子どもの発達する力を妨げていたのでは、と感想を述べられる親御さんもいるくらいです。 それは支援自体が...

【No.1458】開業14年目です

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4月2日を開業日にしたのは、理解ばかり叫ぶギョーカイの青いお祭りへの当てつけでした(笑)決算報告書をみれば募金のほとんどをライトアップに支出。 いいように代理店にやられたのでしょう。 まあ結局、自分たちのお金じゃないし、ローカルメディアに取り上げられれば良いのでお構いなしといった感じ。 たった一日、建物を青くするのは打ち上げ花火と一緒で宣伝なのです。 彼らは本気で理解を求めていない。 でも親たち、当事者たちは本気で理解されれば今の生活が逆転できると信じている。 社会の理解がないから自分たちが不幸なんだと自らにも言い聞かせている。 私達がダメなんじゃなくて、社会がダメなんだということにしたい。 問題の本質は当事者たちの発達の悩みに対して答えを持ち合わせていないこと。 いや、「治らない障害」にしておくことで、公金で儲けられる仕組みを構築したギョーカイそのものなのです。 理解し、共感し、「あなたのせいじゃなくて、障害だから。社会の理解が乏しいから」とささやく。 うまくいったら(支援している)私たちのおかげで、問題が大きくなっても障害のせい。 有名支援者、教授、医師たちが講演会で「現状維持だけでも儲けもの」と主張を繰り返す。 そして「彼らに必要な支援」と言いながら、やっているのは介助であり、目的が将来、介護しやすい人に育てること。 これがギョーカイ真っ只中で働いてきた自分が見てきた世界。 身体障害など、ほかの障害を持った子ども達、親御さん達とも関わった経験があるけど、発達障害の人達、関係者ほど「理解」「理解」と言っていない。 いや、発達障害だけ突出して理解を叫んでいる。 他の障害は周囲から見てわかるから? いや、十分、発達障害の人も見てわかる。 ちょっと変わった行動をしている子、人をみれば、「あの人、発達障害かもね」と周囲は気が付く。 逆になんでもかんでも発達障害にしている感じすらある。 他の障害の人達は、もっと社会で働きたいから、勉強がしたいから、自立したいから支援とその機会を求めている。 だけど、発達障害の人達はずっと自分たちを理解してほしいと言っている。 発達障害という認知の面では社会の理解はずいぶん進んだといえます。 利用できる社会資源、支援、そして国など行政からの予算もかなり増えました。 だからあとは支援を利用して自立していってください、というメッセージが送られて...

【No.1457】「治らない」という意見と、「治る」という意見

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お母さんが仕事から帰ってきたら「お父さんが死んだ」と言おう。 そういえば今日はエイプリルフール。 今も昔も、新年度初日を愉しんでいるのは子ども達のようです。 でも息子よ、どうせならもう少しハッピーな嘘にしてくれないかな(笑) 大人の世界では「フェイクニュース」や「陰謀論」など、噓か実か瞬時に判断できない情報で溢れていますね。 ある個人や集団にとって都合の悪いものをそういった言葉で打ち消そうとしたり、逆に都合のよい方向へ誘導しようと捏造し情報戦を仕掛けたり。 人間は「最初に見た情報」と「多数派の意見」を信じてしまう傾向を持っていて、しかも日本人は「権威に弱い」ので真実かどうか確かめるよりも先にコロッといってしまう。 「最初に見た情報」「多数派の意見」「権威に弱い」 まさにハッタツの沼の正体です。 最初に「生まれつきの障害で治らない」という情報に触れ、「育て方のせいじゃない」「支援が必要」「受容が必要」という多数派の意見を信じ、非科学的な問診と行動観察のみの診断名を医師という権威がつけたということだけで受け入れる。 冷静に見れば、ハッタツのギョーカイで言われていることのほとんどが“意見”です。 新生児の脳を調べて、「この子は自閉症ですね」と診断された子も、診断した医師もいない。 育て方は関係ないというけれども、成育環境によって脳や神経発達に影響が出ることは明らかになっている。 支援や受容が必要な子や場合はあるかもしれないけど、それよりも発達の遅れを育て直すことが必要な子、育てなおすことが可能な子もいる。 同じ“意見”だったら、「発達障害が治る」も、「治らない」もその人が信じるほうを選択すればよいのです。 まあ、「治らない」と思って子育てしていると治らないので、その人にとっては「治らない」が真実になるのでしょうが。 この特に親御さんがどう捉えるか、考えるか、は子どもさんの予後に大きな影響を与えると思います。 たとえば、音に強く反応することを「聴覚過敏」と捉えるか、「耳の未発達」と捉えるかで大きな違いです。 なんでもかんでも「特性」と言っちゃうのもそうですね。 「これは自閉症の特性なんです」と言っている家庭のお子さんを見れば、それはまだ学習できていなかっただけだったり、別の課題があってうまく行動がつながっていなかっただけだったり。 多いのは同年齢の子と比べて数年遅れて出てい...

【No.1456】効果があった子に共通する方法が見いだせないだろうか?

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言葉が出るようになった。 おしっこがトイレでできるようになった。 文字が書けるようになった。 夜、寝られるようになった。 かんしゃくがおさまった。 服を噛むのがなくなった。 支援級から普通級へ転籍できた。 知能指数が上がった。 発達のヌケが埋まった。 いろんな“できた”と出会ってきました。 だけれども、「これをやればOK」というような共通した方法はありませんでした。 「言葉が出ない子にはこれをやったらいい」みたいな。 ある子には言葉の発達を促す方法だったとしても、別の子にはまったく効果、変化を生まないことだって多々あるのです。 それは当然ですね。 同じ発達の遅れ、課題に悩む子だったとしても、一人ひとり違いますから。 もちろん、家族だって。 私も以前は効果があった子に共通する方法が見いだせないだろうか、と考えた時期もありました。 もう四半世紀くらいこの世界で支援に携わっているので。 でも関わる家庭、子ども達が増えれば増えるほど、その目標は遠のくばかり。 知れば知るほど、育ち方、治り方には多様性があって、唯一無二の方法など存在しないと現実が見えてくる。 自分の強みは関わってきたケースの数だと思っていたのに。 しかし私はあることに気が付きました。 育ち方、治り方に共通した方法はないけれども、逆にうまくいかなかった方法、環境には共通点があることを。 こういった状態だと、子どもさんの発達はなかなか進んでいかない。 この課題がクリアされていないと、全体的な発達につながらない。 言葉が出るよりも、出ない家庭に共通する環境がある。 認知の面、とくに概念理解が進んでいかない子には共通した課題がみられる。 やっぱり「呼吸・栄養・刺激」が発達の条件で極端に欠けていると影響が大きい。 やっぱり「快食・快眠・快便」の上に育ちがあるから、ここが整っていないとうまくいかない。 睡眠の課題でも寝るのが遅いよりも、途中覚醒や起床時の不機嫌さがある子のほうが心配、など。 うまくいかないケース、なかなか課題がクリアされない、発達の遅れやヌケが育っていかない家庭には共通した状態があると思います。 ですから発達相談においても、この点を確認して、まずはそこから手を付けていきましょう、という方向でお話しています。 施設職員、学校教諭、相談員という経歴の中で、私自身、たくさん失敗したし、そういった人たちを見てきた...