2021年4月16日金曜日

【No.1159】改めて『原始反射』について

2年前くらいからだったと思いますが、産婦人科、小児科、乳幼児健診に関わる本や情報を集め、勉強していました。
たぶん、その勉強の量が一定に達したのでしょう。
今年に入ってからは未診断の子ども達だけではなく、1歳代の子ども達の発達相談が続けてくるようになりました。
個人事業ながらも、事業を起こしてから経営や経営者その人に注目し学び始めると、「適当な人のところに仕事はやってくる」というように感じます。
先ほども、1歳代のお子さんのご家族から依頼がありましたので、これからも当分、続きそうです。


この頃、続いていることと言えば、「原始反射」に関する相談が増えています。
栄養療法が落ちついたように感じていたので、また原始反射のブームがやってきたか、それに関する支援者・療法が生まれたのか、などと思うのでした。


「我が子に原始反射がある、ゆえに原始反射を統合するエクササイズをすれば、今の課題が解決できる」と思うのは自由ですが、あまりにも浅はかな考えだと思います。
それは「自閉症は視覚優位だから視覚支援していればOK」と同質です。
問題の本質が見えていないと言えるでしょう。
もっとも大事なのは、「なぜ、原始反射が残っているか?」です。


原始反射は胎児期から生後1年くらいに出現し、消失するものです。
じゃあ、なぜ、ヒトは原始反射が必要なのかといえば、未成熟で生まれてくる胎児、乳児が生き延びるため。
そもそも大脳、中枢神経が育つまでの、端的に言えば意識して運動ができるようになるまでの反射なのです。
(大脳を介さず)脊髄や脳幹に伝わり、無意識に筋肉などが動きます。


ということは、単にその動きだけに注目し、アプローチしてもダメ。
もちろん、ある程度、大きくなってからは、その動きだけを取り上げ、繰り返し、統合を目指すことは有効だといえますが、特に就学前の子ども達でいえば、そこじゃないし、そもそもその年代の子ども達にエクササイズをさせようというのが、(定型・ヒトの)発達を理解していない証拠。


結局、認知の部分、人間脳の部分が育っていないから、原始反射が残っているのです。
あとは、中枢神経の繋がりが悪くて、認知と運動が途切れてしまっているから別々に運動しちゃっている。
つまり、原始反射のみに注目していても課題は解決できず、やはり全体的な発達を目指すことが中心なのです。
「発達のヌケを育て直す」
「発達の遅れ、未発達を育てる」
発達のヌケが埋まり、人間脳、認知の部分まで育っていけば、意識して身体を動かせるようになるのです。
認知の部分が育っていない子に、いくら統合のエクササイズをしても、それは特定の運動のパターン学習にしかなりません。


「口周辺に何かが当たると、自然とそちらの方を向いてしまう」というのは、そのものが何であるか、を認識できるだけの感覚、脳が育っていないのです。
突然の刺激に身体が勝手にびっくりするのも、予測、周囲の状況判断、適切な刺激の受け取り方が育っていないから。
刺激によって身体がクネクネしちゃうのは、運動発達のヌケ、背骨&背面の未発達。


このように背景にはいろいろなヌケと未発達がありますので、やはり全体的な発達を目指していくことが大事です。
どうしても「〇〇エクササイズ」みたいなのには魅力がありますが、発達って1対1対応にはなっていません。
親御さんはよく「気が付いたら育っていた」「治っていた」「解決していた」とおっしゃいますが、それが自然な発達の姿です。
神経ネットワークというように神経は無数につながっていますので、ある特定の機能、神経をとりだして育てようとするのは無理な話。
特に原始反射を卒業するには、意識のレベルを育てる必要があり、そこに到達するためには原始的な脳の部分、つまり土台から育てていかなければなりませんね。




2021年4月14日水曜日

【No.1158】保身列島ニッポン

道内でもワクチン(?)、新薬(?)の摂取が始まり、高齢者施設での様子が伝えられていました。
摂取したご高齢の方が「これで安心しました」と言っていましたが、その"安心"とは何をもっておっしゃっているのか。
たぶん、2019年まで長い間、mRNAワクチンが認可されなかったという事実も、長期的な効果と副反応についてはまだ明らかになっていないということも知っているわけではなく、ただ施設職員や病院関係者、またマイクを向けてきた人たちから「ああ、よかったね、安心だね、おばあちゃん」と言われたのを素直に受け取り、純粋に「これで安心しました」とコメントしていたのでしょう。


たまたまテレビをつけると、「ワクチンが足りない」と叫んでいるコメンテーターが出ていました。
いつから日本は、「自分さえ良ければそれでいい」というような人間を生むようになったのでしょうか。
どう考えても、欧米に比べればさざ波程度、誤差程度でしかない波と陽性者数なのですから、他国で作ったものを優先して持ってくる必要はないでしょう。
欧米からすれば、また途上国からすれば、「日本よりも我々だろう」と思うはず。
私がこの国の指導者なら、「どうぞお先に使ってください」とワクチンを本当に必要な国に渡します。
それこそ、ワクチン外交ってやつです。


国内の利権争いで勝手に自分たちで医療崩壊を起こそうとしていて、その一方で他国よりも先にとワクチンをもってこようとする。
しかも、その利権争いの中心が、「発熱者はお断り」などと病院の扉に貼る始末。
病気で苦しんでいる人がいるのに、自分がかかったら困るからと患者さんを診ない、なんてことはあり得るのでしょうか。
そんなんだったら「医者を辞めてしまえ」と思うのです。
たとえ自分が病気にかかる危険性があったとしても、患者さんを救おうとするのが医学を志した人間の務めだと思うのです。


学校の一番の目的は、子ども達の学びと成長をサポートすることだと思います。
それがいつの間にか、「子どもの命が大事」とそれらしいことを言い、マスクを強要しているのです。
19歳以下で一人も死者が出ていない病気で、全国2100万人くらいの子ども達、若者たちがもう1年以上も脳神経に悪影響を及ぼす酸欠状態で日に何時間も過ごしている。
神経発達に問題が生じる子ども達は2020年を機に、また増加の一途を辿るでしょう。
それも子ども達の成長を保障すべき学校が後押ししているのです。
「マスクを任意にすると、する子としない子がいて…」が学校の常套句になっています。
これは学校が平等の意味をはき違えている証拠。
平等とは皆が同じ条件、状態になることではなく、それぞれに合った方法を取捨選択できる自由を保障することです。
ただ管理しやすいように、ただクレーマー対策のために、もっといえば、保身のために「一律〇〇」としているだけを「平等」と言ってほしくない。
コロナ騒動を経験し、日本に特別支援教育の理念は根付かないし、実現は不可能だと私は悟りました。


学校同様、子どもの発達を守るべき存在である小児科の医師からぜんぜん声が上がってこないのはどうしてでしょうか。
何度か小児科の組織から声明が出されましたが、そば屋の出前状態で、一向に実物のそばがやってこない。
ただ声明を出すだけではなく、周知徹底できるように啓発しないんでどうするんです。
結局、あんたたちも保身で仕事をやっているのか、と思ってしまいます。


そして日頃、発達障害を専門にしている医師、支援者たち。
この一年間で何をしていたのか。
まったくもって存在感がありませんでした。
やったことといえば、あいも変わらず、決まり切った支援方法のレクチャーと、惰性でやっている青いお祭りくらい。
専門にしているのが「神経発達症」の子ども達なのですから、神経発達の観点からコロナ騒動が及ぼす発達の影響を訴えることができたのに、と思う一方で、やっぱり「神経発達症」と捉えていないから、「自分たちには関係がない」というスタンスなんだと感じます。
手の洗い方の手順書??
家での過ごし方の構造化??
神経発達に注目できない専門家たちに、そもそもが神経発達症の子ども達の課題を解決するアイディアも、知見もなく、期待するだけ無駄だということです。


国民に安心を与えるべきトップが、一年中、不安を煽っています。
専門家は客観的なデータよりも、自己顕示欲にまみれた個人的な意見を述べ、医師は患者を診ることを拒否し、マスコミは切り貼りした情報を垂れ流す。
この日本に、自らの職責を果たそうとする人間、たとえ批判にさらされたとしても真実を伝えようとする人間、我が身よりも世の中全体の幸福のために行動できる人間はいなくなってしまったのでしょうか。


外でマスクをして歩いている高齢者に、「すれ違っただけでうつることはない」というのを伝えてあげる人はいないのか。
あんなペラペラのマスク一枚で得られる安心とはなんだろうか。
そんなものにすがることでしか生きられないほど、この社会の大人たちはだらしないのか、考える力がないのか、と改めて思うのです。


ヒトはいずれ死にます。
長く生きてもたかだか100年くらいなものです。
そうやって700万年の間、ヒトは生まれ死んでいった。
だからこそ、次の世代に何を残すか、少しでもより良いものを渡していけるか、が重要になってくるのだと思います。
自分の仕事を全うするということは、まさに次の世代により良いものを残すための務め。
子ども達はその未来そのものなのですから、発達・成長・命を守るために闘える大人たちがもっと増えなければならないと思います。
そのためには、まず大人たちが学び、考え、行動できるようになる必要がある。
ですから、これからもこの仕事を続けている限り、子ども達のポジティブな変化のための後押しと、特に親御さん一人ひとりが闘っていけるための情報提供を続けていきたいと考えています。




2021年4月6日火曜日

沖縄出張について(6月18日~21日)

6月18日(金)から3泊4日の予定で沖縄に伺うことになりました。

【予定】
6月18日(金)那覇空港14:20着
6月19日(土)9:00~12:00 / 14:00~17:00
6月20日(日)訪問宅決定! / 訪問宅決定!


他県とは異なり沖縄県内のみの募集になるため、ひと家族になる可能性が高い中、「それでも」と出張の依頼をしてくださいました。
出張では初めて伺う沖縄であり、他のご家族の希望があるかどうかはわかりませんが、もし発達相談にご興味ある方が沖縄県内にいらっしゃいましたら、お問い合わせください。
どうぞよろしくお願い致します。


詳細を確認したい方は【出張相談問い合わせ】と件名に書き、お問い合わせいただければ、ご説明いたします。
出張相談についての内容は、てらっこ塾ホームページをご覧ください。
ご依頼&お問い合わせ先:メールアドレス


*4月7日13:00現在、20日(日)の発達相談の予定はすべて決まりました。


2021年4月4日日曜日

福岡出張について(5月14日~16日)

5月14日から3泊4日で福岡に伺うことになりました。


【予定】
5月14日(金)訪問宅決定!
5月15日(土)訪問宅決定! / 訪問宅決定!
5月16日(日)訪問宅決定! / 14:00~17:00


既にひと家族のお申し込みがありましたので、残りは最大で4家族です。
もしこの機会に発達相談を受けたい方がいらっしゃいましたら、お申し込みください。
先着順で4家族が決まり次第、募集は締め切らせていただきます。
*4月5日15:30現在、3家族の訪問が決定しました。
*4月7日15:00現在、4家族の訪問が決定しました。残りひと家族です。


詳細を確認したい方は【出張相談問い合わせ】と件名に書き、お問い合わせいただければ、ご説明いたします。
出張相談についての内容は、てらっこ塾ホームページをご覧ください。
ご依頼&お問い合わせ先:メールアドレス


どうぞよろしくお願い致します!


2021年4月2日金曜日

【No.1157】開業9年目を迎えて

昨日で丸8年が経ち、今日からは開業9年目に突入します。
開業当初は学生時代、施設職員時代に繋がりがあった方達の依頼が中心で、そこから不登校やひきこもり、大学内での相談など、既存の支援の枠に当てはまらない方達の依頼へと変わりました。
それから4年目を過ぎたあたりから、どんどん低年齢化が進み、幼児さんから小学生の子の相談がググッと増えてきました。
そして今は未診断の子どもさんからの依頼が増えてきています。
たった8年間ではありましたが、このような変化がありました。
この変化は社会のニーズの変化だと思います。


ですから9年目のテーマは、「家庭の子育ての中に、発達援助の視点を!」に決定しました。
診断を受ける前に、「あ、ちょっと発達が遅れてきたかも、遅れてるかも」と親御さんが気づいたときに、力になれるような存在になりたいと思います。
子どもさんが小さいということは、親御さんも親になってまだ数年しか経っていないわけです。
そのような親御さん達に発達援助の視点をお伝えすることで、子育てと子どもの発達・成長をより楽しめるように、そして親御さん自身がその家族の子育てのスタイルを確立していけるように、お手伝いしていきたいと考えています。


ありがたいことに、既に遠方のご家族からも出張相談のご依頼をいただいております。
ただ私もまだ小さい子達がいて共働き世帯なので、新年度の日程を調整している最中です。
日程の調整ができ次第、既に正式な依頼をいただいているご家族には連絡差し上げます。
その後、「〇月〇日から、〇〇地方へ出張します」と皆さまにもブログ等でアナウンスをする予定です。
ちなみに「たとえ私達ひと家族の依頼になったとしてもお願いしたい」とおっしゃってくださっているご家族は、福岡と東京にお住まいの方ですので、こちらには出張するつもりでいます。


先ほど、ラジオ配信のほうでも9年目のテーマと皆さまへの感謝の気持ちを述べさせていただきました。
よろしければ、こちらも聴いてみてください。
ラジオ配信『てらっこ塾 大久保の【発達援助のこころ】』ではお便りも募集しています。
改めまして9年目も、どうぞよろしくお願い申し上げます!


2021年4月2日 てらっこ塾 大久保悠




2021年3月31日水曜日

【No.1156】発達援助の浸透と、見えてきた課題

先日、書いたブログ(【No.1153】定型発達の子ども達は教える前に自然とできている)について、ご質問やご感想を多数いただきました。
「どうして身体の発達が道具の操作に繋がるのか?」
「やっぱり道具の中には、教えたり、練習しないと使えるようにならないものがあるのでは?」
「補助箸って、どうなんですか?」
など、身体と道具の繋がりについての疑問や感想が多かったです。
ご指摘の通り、練習しないと使えない道具というものがあります。
しかし、ここでいう幼児期に使う道具は、身体が育てば自然と操作できるようになるものばかりです。
何故なら、スプーンも、箸も、はさみも、クレヨンも、すべて『手の延長』だからです。
「手があって道具」ではなく、「指の先に道具が繋がっているイメージ」になります。


ヒトは二足歩行ができるようになり、手での操作が可能になりました。
その手が自由自在に使えるようになるためには、まず体幹の育ちがあり、肩→肘→手首→指(小指から親指へ)の育ちが必要です。
二足歩行が可能になったあとから、手での遊びが始まります。
手でいろんなものを触り、掴み、つまみ、肩から指先に向けた育ちを行うのですが、この育ちのプロセスの中で触れるものは、子どもにとってはすべて遊び道具になります、おもちゃも、リモコンも、オムツも、タオルも。
その遊び道具の中にあるのがスプーンであり、箸であり、ハサミであり、クレヨンなのです。


ですから、肩から指先を育てている段階で操作するものは手遊びの延長であり、手を育てる延長、つまり手の延長として道具があるのです。
小学生くらいになれば、指先までの発達は完成するため、以降使用する道具はまさに私達がイメージする道具になり、手と道具の関係になります。
よって道具の形状や複雑さというよりも、子どもの目線に立ったとき、それは指先まで育てるプロセスで使う手の延長としての道具なのか、手が完成した後の「手と道具」の関係なのか、そっちのほうが理解しやすいと思います。
ちなみに補助箸は、「補助がないと使えない手の発達段階」なので、補助箸が使えるようになったからといって一般的な箸が使えるようにはならないですね。
ただ定型発達の子ども達は補助箸を使っている間に、自然と遊びを通して指が育ちますので、結果的に箸が使えるようになります。
「補助箸を使ったから箸が使えるようになった」という大人の自己満足のためには良いかもしれませんね。


また絵に関して、「うちの子、絵を描きたがらない」というご相談もありました。
単純に「絵を描く」といっても、そこにはいろいろな発達状態、心身の状態が関わってきますので、子どもさんの状態を確認しなければ「なぜ、描こうとしないのか」がわかりません。
だけれども、案外、盲点というか、これも大事な発達ではあるのですが、子どもさんに「絵を描かせていないか?」ということがあります。
画用紙とクレヨンを用意し、その前に子どもを座らせたあと、「さあ、描いて」みたいな(笑)
描けって言われて絵を描くのは、年長さんか、小学生です。
つまり、幼児さんは描けと言われても描かないのが普通です。


1歳代の子は、遊び道具としてのペンを持つと、どこでもここでも楽しそうに腕を動かし、なぐり描きをします。
それは目で見て変化を楽しんでいるのです。
自分の意思で変化を生じさせることのできる喜びと楽しさ。
ですから、この発達段階で絵を楽しめないというのは、変化に気づくだけの感覚や認知の面での発達が進んでいないか、周りから「描け」と言われ続けて絵自体が嫌になったか。


そして次の段階、2歳前後の子は、対話としての絵を描きます。
グルグルや点々を描き、お母さんを見る。
お母さんは笑顔になったり、「これは"おにぎり"かな」などとリアクションをする。
そうやって対話、コミュニケーションとしての絵を描くのです。
なので、言葉の遅れ、特にやりとりの段階まで発達が進んでいない子は、上記の「なぐり描き」の段階以前に留まっているので、なかなか絵を描くモチベーションが高まらないのです。


で、次の段階は意味を持った絵を描く段階です。
グルグルっと丸を描いたあと、「これは"お父さん"」と言ったり、「次は"お母さん"を描く」といって丸を描いたりします。
この段階は、言葉の発達、概念の発達が必要になりますので、胎児期から言葉以前の段階までの発達がある程度完成している必要があり、かつそれ以降の認知の面での発達も必要になってきます。
ですから、子どもさんの発達を見る上で、何か形は描けなくても、こういった意味を持った絵を描くようになったかどうか、を大事なポイントとして私は確認するようにしています。


そして上記の発達段階は、だいたい1歳から2歳・3歳になりますが、この時期の子ども、内面の発達的にいうと、この時期特有の社会性の発達があります。
それは同じ目線の子ども、「遊び仲間」としての社会性が育つ時期です。
この時期の子どもは、同じくらいの子どもがいるとすぐにそばにいき、同じような行動をします。
公園に行けば、見ず知らずの子でも関わらず、どんどんそばにいき、その子が滑り台を滑れば自分も滑り、その子が石を拾いだしたら自分も石を拾う。
その子が「ママ」と自分の親のところに行けば、自分の親ではないその子の親のところに一緒に駆け寄っていく。
こういった同じ目線と同調する行動が強い喜び、行動の動機付けになる時期です。


なので、幼児期の子どもさんに「絵を描きなさい」はダメ。
「絵を描きなさい」ではなく、一緒に描く、または同じ目線で、同じ方を向き、共に絵を描く活動の中に身をおくことが必要です。
結構、発達相談でも「耳が痛いです」と言われるのですが、遊ばせている親御さん、遊んでいるのを見ている親御さんがいますね。
上記のように、幼児期のお子さん、特に3歳くらいまでの子ども達は一緒に遊ぶ、一緒に活動することが大事です。
それが彼らの発達段階なので。
しかも、発達障害のお子さんなら、やはり胎児期から2歳くらいまでの間に発達のヌケがありますので、たとえ5歳、6歳、小学生だったとしても、「共に遊ぶ」段階が必要な場合が多々あるのです。
ちょうど2歳、3歳の頃は、発達のヌケ、遅れが大きく、そうやって他人と共に遊ぶことができなかった、他人に興味すらなかった、というお子さんがいますね。
だったら、やっぱりその時期の発達のヌケ、その運動発達をやり直すだけではなく、その時期の子ども達が欲している「共に遊ぶ」もやらなきゃダメです。


「ハイハイ、どうやってますか?」と尋ねれば、「ここの廊下を使って、毎朝3往復させている」なんていうこたえが返ってきます。
でも、それって発達のヌケを"育て"ているのではなく、"トレーニング"になっていませんかね。
トレーニングでは発達のヌケは埋まっていかないと思いますよ。
親御さんから見れば、「発達のヌケを育てている」になるかもしれませんが、子どもさんからすれば、「早く日課のハイハイを終わらそう」というような意欲の伴わないただのルーティンワークになっているかもしれません。
神経発達には自主性と意欲が必須条件です。
拝見すると、「それって"廊下を四つん這いで移動する"練習にしかなっていないですよ」と言ってしまうことが少なくありません。
ハイハイを育て直したいなら、親御さんも一緒にハイハイしなきゃ。


明日から新年度が始まります。
改めて「発達のヌケを育てる」とはどういうことなのか、「神経発達を促す」にはどういうことなのか、を考えてみると良いかもしれません。
今年度も全国各地に訪問させていただきました。
「発達援助」は浸透したけれども、大事なところがヌケているようにも感じましたので、私も意識してその辺りを伝えていきたいと考えております。




2021年3月29日月曜日

【No.1155】だましだましやっている

もうすっかり雪が溶けましたので、7月の函館マラソンに向けて外ランを始めています。
冬の間はずっとジムだったので、久しぶりの外ランは気持ちがいいですね。
私の課題は筋力で走ってしまう癖があるので、今期は身体の重心を少し前目にして推進力をつかって走るフォームを目指しています。
そのため、冬のジムでは体幹トレーニングをみっちりやり、シックスパッド(仮)くらいまで腹筋が仕上がりました(笑)
あとは月間200㎞をノルマにし、できれば250㎞を目指して本番を迎えたいと思っています。


子どもさんの中には、今期私が目指している重心移動を使って走っている子がいて、「教えてください、師匠!」と思うことがあります。
しかし、この重心を移動させる走りには別の見方があって、「重心移動を使わなければ、走れない」という場合があるのです。
家庭訪問をすると、家の中を走って移動している子どもさんがいます。
一見すると、「元気がある子」「運動発達的には問題ない子」のように見えますが、しっかり確認すると、運動発達のヌケがあることがわかります。
走ってはいるけれども、「二足歩行ができる段階にない」といった感じです。


いま、ハイハイを抜かす子ども達が多くいます。
そういった子ども達はハイハイをせずに、すぐに立って歩いてしまっています。
で、走るようにもなる。
だけれども、上半身と下半身の連動が見られなかったり、腰がそのまま足だけで走っていたりと、「なんとなく走り方がおかしいよね」という場合があります。
「うちの子、走ることはできるんだけれども、なんか走り方がヘン」と相談される親御さんは少なくありません。
療育機関などに相談すると、「走れているから、問題ないですよ、お母さん」とか言われてしまう。


赤ちゃん時代からの運動発達の積み重ねが、走る姿に表れます。
ですから、その走る姿に違和感があるとしたら、それは運動発達のどこかにヌケがあるということです。
もちろん、それは走るだけに留まらず、認知やコミュニケーションの発達にも影響を及ぼします。
「ちゃんと走れない」というのはそれ自体が問題なのです。
単に「走れているからいい」「走り方は個性」ではありません。
先ほど紹介した重心を移動させて走っている子は、重心移動をしなければ走れない子だといえます。
つまり、「しっかり立つ」「しっかり歩く」が完成していないからこそ、できないからこそ、重心移動を使って走っている、というか移動しているのです。


私達支援者の仕事は、いわゆるこの「だましだまし」やっている行動を見抜くことでもあります。
「運動発達は、一通りちゃんとやっていました」と言われる親御さんもいますが、実際、子どもさんを見ますと、明らかに「ハイハイ、抜かしたよね」「寝がえり、やってないよね」という子がいます。
でも、親御さんが嘘をついているわけでもなく、子どもさんがやらなかったわけでもないのです。


一つひとつの運動発達には、定型のやり方と大事なポイントがあります。
そういった定型のやり方と違った場合が多いですが、勢いでやってしまったパターンも少なくないような気がします。
たとえば、寝返りは下半身主導で捻ることが大事なのですが、上半身の勢い、または足の反動を使ってくるっと回っていた。
またハイハイをするとき、「常に全力で移動していた」という子の中には、できない動きをカバーするために重心移動や勢いを使っていた子もいて、そういう子は動きのパターンが少ないという特徴があります。
早くハイハイをすることもあれば、ゆっくりハイハイをすること、途中で止まったり、方向転換をしたり。
そういった強弱、変化がない子、きちんと静止できない子は、ハイハイをしていたとしても、だましだましやっていたとも考えられるのです。


小学生の子どもさんもそうですが、ダダダッとやってしまう行動、活動は、案外、きちんとできず、苦手なことが多いものです。
反対に、ゆっくりできること、ゆっくりハイハイすることなどは、それだけハイハイに動員させる運動一つ一つがしっかり行えるということでもあります(つまり、バリエーションが大事!)。
昔から発達障害の分野においては、出生時の様子、また運動発達についてはしつこく確認されてきましたので、そこに意識や注目があったのがわかります。
でも時々、「運動発達の中で短いもの、抜かしたものがあったとしても問題ない」というような医師や支援者もいます。
その根拠に、「運動発達をやっていた子の中にも、発達障害の子ども達がいる」というものが挙げられます。


しかし、ここまで読んでくださった皆様はお分かりの通り、そのやり方が重要なのです。
表現が良いかどうかはわからないまま使ってきましたが、子ども達の運動、活動、遊びの中には、案外「だましだましやっている」ものが少なくありません。
私もこの仕事をするようになって、「赤ちゃん時代、ちゃんと運動発達をやった」という子の中に、運動発達のヌケがあることがわかりました。
そして乳幼児の発達を勉強していく中で、ヒトの運動発達にはそれぞれやり方とポイントがあり、それはその前段階や周辺の発達と繋がっていることがわかったのです。
寝返りをするのに勢いをつけなくてはならなかった理由が、足の親指、背骨、首の発達や背中や皮膚の感覚、原始反射の統合も影響するように。


親御さんが子どもさんの運動発達を確認する際のポイントとして、素早くできているような運動でも、「勢いや反動でやっていないか?」「その運動は、一本調子ではないか?特にゆっくり動くことができるか?」を確認してみると、より深く発達を捉えることができるかもしれません。
この前も、「赤ちゃんのとき、めちゃくちゃハイハイが早かったんですよ」といっていた小学生の子に、「おじさんと一緒にハイハイしてみよう」と言ったら、手足をどう動かしていいか分からず、立ち竦んでしまっていたことがありました。
当時のビデオを拝見すると、やっぱり勢いでダダダッとハイハイしていた感じでした。
普通級で学んでいるけれども、なんかうまくいかない、勉強がしんどい、というお子さんでしたので、もう一度、腹這いから膝つきばい、高這いと育てなおすことを提案してきました。
その子がどのように変わるか、また成長されるか楽しみです。