【No.1504】「自傷あり」と引き継ぎ資料には書かれているけど
8日の講演会の中で、ちらっと話したけど、頭のどこを叩くかで本人の受け取り方、訴えをイメージすることって大事だと思っています。 おでこの辺りを叩くのなら、「情報過多で頭が混乱しているのかな」「フラッシュバックが起きているかもしれない」と想像してみる。 左側頭部の辺りなら「言いたいことが言い表せず、言いたいことが伝わらず、辛い思いをしているのかも」「ミラーニューロンと関係する場所だから、他人との関係で疲弊や失敗を感じているのかも」と。 右側頭部の辺りなら「なにを言われているのかわからなくて混乱しているのかな」「気持ちの高ぶり、乱れが自分ではどうにもできず、困っているのかもしれない」と。 文字で表しちゃえば、それこそ、引継ぎの資料なんかだと、「頭を叩く自傷あり」で終わっちゃうんだけど、それじゃあ、その人、本人の様子やその行動の背景がわからないよね。 一番の問題はどう支援、援助したらいいか、どう改善したらいいかが浮かんでこないこと。 「自傷あり」に対する支援を考えれば、出てくるのは「自傷をさせない」しかなくて、でそうなると、自傷の兆候が見られたらパッと止めましょう、周りに影響を及ぼさないように別室に移動させましょう、となり、どんどん問題の本質から離れてしまいますね。 なぜ、自傷をするのだろうか、という視点がなければ、そこから援助の計画を立てなければ、いつまで経っても“後追い”しかできないでしょう。 これではいつまであっても改善は見られず、支援者のほうが先にお手上げになって、結局、「自閉症だからね」「重度の知的障害があるからね」と自分たちで納得感を出して、「薬漬けもやむなし」にしてしまうのです。 支援者の「打つ手なし」は、支援者側のアイディア不足もあるけど、そもそも出発点のアセスメント、その人のことを、その人の行動を理解しようとする時点で間違っちゃっていることが多いと思います。 自閉症や知的障害を持っている人たちの中には、自分の内面を捉えること、それを表現し、他者に伝えることが難しい人も多くいますよね。 本人からの明確な訴えがないと、周囲が勝手な解釈をしてしまう危険性が常にあると思っています。 もちろん、勝手な解釈がゼロになることはないと思いますが、彼らの行動に「どんな理由があるのだろうか」「どんな意味があるのだろうか」「どんな訴えや気持ちが表れているのだろうか」と考え、知ろ...