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【No.1371】目に見えない『発達』を捉え、後押ししていく

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前回の更新からちょうど1か月経過してしまいました。 YouTubeを始める前は、3日に1回のペースで更新していましたが、やっぱりパソコンの前に座ってポチっとスタートを押して思ったままにしゃべるほうが楽で速い(笑) だから、ついついYouTubeの方へ気持ちが流れていっていたのでした。 しかし、更新していない間も、このブログへのアクセスは続いており、一度、書いたものは残り続けるので、それはそれで意義のあることかなと自分では思っています。 情報や考えは時間の経過とともに古くなっていくでしょうが、そのキモの部分は変わっていないと思います。 そもそもこのブログを綴っていたのは、もちろん、てらっこ塾を知ってもらうための広告媒体というのが一番ですが、私個人としては「発達」という目に見えないものをどう言語化するか、その技能を磨こうと考えたからです。 一言で「発達」と言っても、それが何を指すのか、どんな行動や変化を言うのか。 はたまた人によってその解釈の仕方も違います。 というか、「発達」って目に見えない。 だけれども、じゃあ、「発達」というものが存在しないのか、感じられないモノか、といえばそうじゃないと思います。 子どもと関わっている人、特に親御さん、ご家族は子どもの発達をかなり適格に捉えているように“見えます”。 発達障害は神経発達症なので、そこには神経が関わっているのでしょう。 でも、その神経は身体中に張り巡らされていて、その数も膨大で、この瞬間にも神経細胞は死に生まれ繋がっている。 そんな神経全体をリアルタイムで観察することはできないし、どことどこがつながったから「発達した」またはどことどこがつながっていないから「発達していない」「遅れている」ということもできませんね。 つまり、誰一人として「発達」を明確に捉えられている人はいないわけです。 目で確認できないけれども、確実に存在しているといえる「発達」 たぶん、それはまだ人類が測定方法を見つけられていないレベルの話。 だから、「確実に測定できるようになるまでは何もしない」なんてことはないわけで、それは「エビデンスが出てから子育てします」と同じような戯言。 私たちは(現時点では)感覚的に捉えている発達を目以外のもので見ながら子育て、発達援助をしていく必要があるのです。 我々人類が700万年行ってきたように。 YouTubeを始

【No.1370】それを対症療法にするか、根本療法にするかは、受け手側の問題

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目指すべきところは、本人のよりよい発達成長であり、自立した自由な人生、幸せな人生を送られること。 とすれば、どんな療法でも、アプローチでも、名もなき遊びでも、地域の習い事でも、日光浴でも、名前のないような関りであっても良いわけです。 ですから、「栄養療法が大事なんです!」「ABAが大事なんです!」「ビジョントレーニングが大事なんです!」って、枝葉末節の話でしょ。 そりゃあ、栄養療法が効く子もいれば、効かない子もいるし、逆にネガティブな反応がある子だっている。 物事には陰と陽があり、時と場合があり、一方的に良いも、悪いもない。 治験中の注射があたかもノーリスクで利点しかない、と言われてきた2年間をお忘れでしょうか。 物事の一面しか述べられないとき、そこには発信者の別の隠された意図があるものです。 発達障害の人に対するアプローチで、みんながみんな、同じ反応があるとしたら、それはその人の資質や個別性を無視できる次元の話になります。 叩いたら痛い。 食事を与えない。 劇薬を飲ませる。 つまり、同じ反応が得られると主張する人も、それを信じてアプローチを続ける人も、対象である個人の人権を無視した行為だということ。 一人ひとり免疫の具合、国や人種による違いがあるのに、一律にマスクしろ、社会的距離を取れ、注射を打て、なんてことは人権侵害だってわかるでしょ。 まあ、ひとは恐怖心をあおられると、冷静な思考や判断ができなくなるもので、最初に入った情報を更新することが苦手という特徴もありますが。 だから、特定のアプローチには、特定の脅し文句がある。 そこに繋ぎとめるためには、恐怖や不安を煽る必要があるから。 「二次障害になる」はそういった類の言葉でした。 ただでも発達の遅れ、知的の遅れがあるのだから、さらに二次障害となれば、不安が増長されるのは自然な反応。 そうやって飲みたくもない精神科薬を飲み、泣き叫ぶ子を連れ家事をほったらかし療育に通い、効果があるかどうかわからないアプローチを必死に続ける。 第一、続けないと維持できないアプローチなんて、問題の本質に迫れていないでしょ。 「栄養療法、1年続けています」 「毎日、サプリを摂って、丸3年」 「金魚体操を始めて2年半」 ビジョントレーニングは1年で、原始反射の統合は1年3か月。 挙句の果てには、療育に通って12年。 「降圧剤を飲んで正常の値で

【No.1369】心から治ってほしいと思っている人はほとんどいない

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YouTubeのおススメ動画にあがってくる発達障害の子を持つママの再生数が数千から1万を超えている。 私の動画は頑張っても300再生なのに(笑) まあ、再生数を稼ぐことを目的としていないので良いのですが、私の見立ては間違っていたのかと思ったりする。 YouTubeってニッチな内容が受けるんじゃないのかな。 一般的な教科書や書籍、講演会で聴けないような話、情報を求めてYouTubeにやってくる。 発達障害の分野でいえば、「本に書いてあることでもうまくいかない」「講演会や支援者の話を聞いてもピンとこない」「療育も、発達相談にも行ったけどよくならない」「だからYouTubeで違った視点、情報が欲しいんです」でYouTubeにアクセス!じゃないんですかね。 教科書に書いてあることを教科書通り動画にしてもつまんないでしょ。 そんな風に思ってYouTubeを始めたんですけど、1か月やってみて私の勘違いだということがよくわかりました。 まず本を読まない、読めないから動画って人が多いってこと。 日本人全体として本を読まないのも知っていたし、Twitterなど、あんな少ない文字数でも読み間違える人がいるのは肌身でわかっていた。 だけれども、我が子の問題ですよ。 そりゃあ、日ごろ、本を読まない人でも、ある程度、本を買って読むでしょ。 でも違うんです。 「大久保さんの本が発達障害の分野で初めてです☆彡」みたいな人もいます(褒めてますw)。 「私、本苦手で、全部ネットで検索して情報集めたんです」というツワモノもいます。 だから、本や講演会代わりにYouTubeって人もやっぱり実際にいるんだなと思いました。 そういった人たちにとっては、ニッチな内容よりも、教科書通りの情報のほうがニーズですね。 あとこれは以前から言ってきたように、治ってほしいと思う親御さんは実は少ないということ。 まあ、一般的に障害と聞けば、治らないと思うでしょうし、そもそもが我が子に根本からは良くなってほしいと思っていない。 これは「うちの子に治ってほしいんです」と言っている親御さんの中にもある話。 なぜ、それがわかるかといえば、ほとんどの人が「(この子だけ)治して」と言うから。 「言葉が出ないんですけど、出るアプローチ教えてくれませんか?」 「発達のヌケが埋まるアプローチを教えてください」 「集団行動ができるようになって

【No.1368】てらっこ塾開業10周年

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ブログ は1368本(閲覧数:52万6632)。 ラジオ は111本(再生数:4万6524)。 YouTube は28本(再生数:3224)。 書籍2冊 (『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!(2021)』『ポストコロナの発達援助論(2022)』花風社)。 発達相談は1000名以上。 出張した都道府県は20県。 てらっこ塾が10年間で積み上げてきたものです。 2013年4月2日に開業したてらっこ塾は、本日丸10年を終え、11年目に突入します。 いま、この景色が見られるのも、多くの方たちが利用してくださったからであり、家族の理解と支えがあったからだと思っています。 心より感謝申し上げます。 開業当初と考えていた形態、仕事の内容とは今はまったく違います。 こんなにも乳幼児さんからの相談があるとは想像していなかったし、こんなにも「治る」方向で援助をするとは思ってもみなかった。 重度の知的障害を持つ自閉症児、または行動障害をもっている人。 そんな人たちが少しでも生きやすくなるように、自立してできることが増えるようにと考え始めた事業です。 しかし今では、自立のための支援、個人や家庭の発達援助の枠を飛び越え、社会問題として「発達障害を予防していくか」に向かっています。 「神経に不具合が生じたから、その神経を整え、育てる」から「神経に不具合を生じさせた原因の除去と予防のための啓発」です。 「モデルや参考になる支援者、事業はないだろうか」 そんなことを考え、開業の準備をしていましたが、同じようなことをやっている人は見つかりませんでした。 ですからこの10年間、その時々で「ベスト」だと思う道、方法を選択し、個人事業ゆえの強みである機動性、柔軟性、独立性をフル活用してきました。 心がけてきたのは社会の3年先を読むことと、自然な流れに身を任せ、自分の直感を信じて判断すること。 「3年間、無給でも大丈夫なくらい」の貯金をして始めたてらっこ塾。 こうやって11年目のスタートを切れたのは、まだまだやるべき仕事、責任があるからだと思います。 起業時、30歳の私も、40歳になりました。 まだ老け込む年齢ではないので新たなことにも挑戦を続け、同時に次の世代、今の子ども達によりよい社会を作って引き継いでいけるような命の使い方をしていきます! 今後とも応援、またご指導のほどよろし

【No.1367】おススメ動画に出てくる涙ぐむママたちを見て

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ユーチューバーになってからというもの、やたらとおススメに発達障害を持つママの動画が流れてきます。 もちろん、今までもそうやって動画をあげてる親御さんがいるのは知っていたけれども、まったく観る気が起きなかった。 だって邪気に溢れているでしょ(笑) それに勝手に「私は障害者として生きます」宣言がよりによって親にされちゃっている子が不憫で仕方がないから。 でもいくつかの動画を観てみました。 そこで気が付いたのは、編集が上手ってこと(笑) つまり、どんなフラクタル構造化と言えば、現実も編集したいという想いなんですね。 私が見た限りですが、全員、我が子の発達の遅れを受け止めることができていない、そして根本から変わっていくことを諦めている。 別に現時点で遅れているからっていって、1年後も、2年後も、遅れ続けているかはわからないのにね。 だけれども、「遅れ=生涯変わらないモノ」なっているから、編集に「変わるものなら変わりたい」「あのときのあの選択をやめたい」という願望を乗せている。 また編集って「見せたいところを見せる」と同時に、「見せたくないところは見せない」なんですね。 これまたフラクタル構造の「表面に目を向け根本を見ない(見れない)」「自分が見たくないところは見ない(=自分は悪くないと思いたい)」が出ている。 どの子も重度と言うけど、脳のダメージは見えないし、「やれば、本来の発達の流れに戻るよな」って感じ。 でも根本に向き合えないご家庭は(本人の問題じゃなくて)治るのは無理だよな~と思う。 まあ、またまたフラクタル構造で、世の中、こんなご家庭ばっかりで治したくない、治ってほしくない親御さんが大多数なのでしょう。 私が「根本」「根本」というのは、治っていかない、本来の発達の流れに戻っていけない、という理由もあるけれど、根っこという土台の部分が治らなきゃ、結局のところ、発達の凸凹が大きくなって新たな生きづらさが生まれるし、人生で出くわす困難がやってきて倒れたあと、ぽきっと折れちゃって立ち上がれない元発達障害児たちを見てきたから。 そして何よりも、次の世代に影響が出ちゃうでしょ。 まあ、頑張れば、対症療法だけで、〇〇アプローチだけで治る子、元の流れに戻る子はいる。 だけれども、「どうして発達が遅れたのか?」「どうして発達が遅れたままなのか、そこから育っていかなかったのか?」がわか

【No.1366】まずは私たち大人が本気にならなきゃ

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悲観する親御さんを慰め、不安をもつ親御さんに「私が支えます」と言う。 「こういったアプローチがありますよ」と伝え、親御さんに手取り足取り教えてお金をいただく。 結果的によくなったり、変わらなかったり。 よくなれば、「ああ、教えてもらったアプローチが効いたんだ」と親御さんが喜び、変わらなければ「うちの子に合う別のアプローチが(どこかに)あるだろう」と外に意識が向かっていく。 そして年月は過ぎていく。 みなさんはこんな支援、援助、サービスをお求めなのでしょうか。 私も一応、大学を出ているので(笑)、世の中の状況を見て、どんな商売の仕方が儲かるのか、想像することができます。 たぶん、上記のような寄り添い、意識を外へ外へと向かわせるようなサービスのほうがお客さんがくるでしょう。 ちまたのなんとかセンターの支援者のように偽善の優しい言葉を掛けることだってできる。 ちまたの心理カウンセラーのように、偽善の仮面をかぶり、笑顔を振りまくことだってできる。 だけれども、私はそんな仕事はしたくない。 そんな自分の信念を曲げるような商売はしたくない。 散々見てきたじゃないですか。 特別支援が始まって20年、このような親御さんを接待するだけの支援を。 親御さんの心は軽くなるかもしれない。 だけれども、その陰で子ども達の発達や成長、彼らの生活、人生が後回しにされてきたのを。 「支援があれば」が本当だったとしたら、今頃、発達障害をもった人たちも自分の人生を歩んでいけているはずです。 なぜ、幼少期から診断と支援を受け、大人になった今も、誰かの庇護のもと、他人の決定に従い生きているの? 私は根っこから治っていくことを目指しているのだから、自動販売機のような「この症状にはこのアプローチ」みたいな仕事はすることができません。 できたとしても、それは急性期の非常事態がその子や家族に迫っているときだけ。 基本的に発達障害は慢性疾患の部類で、発達を遅らせている根っこから改善していかなければならないものです。 「発達障害は親御さんの頑張りで改善します」と言っている一方で、「発達障害は親御さんの過ちによって悪くなることがある」とは言わない。 私と同じような「治る」を目指している援助者の中にも、そこには触れない人もいる。 そういった人を見かけるたびに「あなたも、親御さんの力、家族の力を見くびっているのか、低く見積

【No.1365】身体アプローチと身体育て

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昨日は下の子の卒園式でした。 お兄ちゃんの卒園式の時は「ちゃんとできるかな」と心配であまり周りが見えていませんでしたが、うちの子だけではなく、クラスの友達、全員の顔とリズム体操(毎年、園活動の集大成として跳び箱や側転、太鼓、駒回しなどを行います)を見ることができました。 兄弟でお世話になった保育園で、ここに通う子ども達と保育士さんから「指先、つま先に神経が通るってどういうことなのか」「躍動する動きはどうやって培われていくか」など、多くのことをその姿から教わったと思います。 神経発達は目で見て動きで確認するだけではなく、「音やにおい、体温や肌の質感など五感を通して感じ、伝わってくるものだ」というのは今後も忘れることのない学びでした。 子ども達は縦横無尽に駆け回る。 そこで行う身体活動自体も難易度が高いものなのに、お互いがぶつかることなく、次々と披露している。 20名近い年長の子ども達が一斉にあれだけ走り回ってもぶつからないというのは、我が身を自在にコントロールできるだけの身体が育っているからだといえます。 どこからどの子がやってくるかはわからない。 つまり、周りの環境自体を変えることはできない。 だからこそ、周囲の環境から独立した自分が必要であり、その独立性は身体の自在性によって確保されている。 「身体を育てる」というのは、その子の独立を守るということです。 身体アプローチの本質もここにあると思います。 身体アプローチはただ発達障害を治すだけのツールではないのです。 感覚過敏や感覚の未発達をそのままにしておくのは、外からの刺激によってその個人が左右されることであり、独立性が揺さぶられるということになります。 発達のヌケだってそうで、自由自在に身体が動かせられなければ、首から上は自分のものだけれども、首から下は借り物の付属物となりかねません。 神経発達症の子ども達の身体を見ると、自分が制御できる部位、機能とそうではない部位と機能が混在してるため、自分と他者が混在してる雰囲気があります。 自分の身体なのに、自分ではない部分がある。 ですから彼らは他者との境界線が曖昧ゆえに、他者や環境と対峙するだけの段階にはなく、それが一言で「社会性の問題」と表現されてしまっているのです。 お世話になった保育園では、なにかトレーニングを行ったわけではなく、四季それぞれの遊びをとことんやりき