【No.1479】嫌いな人から褒められるのはrewardになるのだろうか
子ども時代、母親に尋ねたことがある。 「お母さんはどうして褒めないの?」 テストで100点を取っても「当たり前たい」 運動会で1位になっても「当たり前たい」 絵画展や作文コンクールで入賞しても「当たり前たい」 ちっちゃなことでも、とにかく褒めてくれた父親とのギャップを感じ、質問した答えは「たまに褒められるけん、そんことは忘れんくなる」と。 そのとき、妙に納得した思い出があります。 確かに母から褒められたことは今でも覚えているし、父から褒められた内容はなにも覚えていない(笑) いまは学校でも、なんと職場でも「叱らない」「ほめて伸ばす」ということらしい。 息子のテストの答案に「very good!」って大きく書いてあるから100点取ったんだと思ってみたら何問も間違っていた(笑) 間違ったところは丁寧に説明が書いてあり、そこにも「こうすれば完璧!」と書かれていた。 大きくペケだけを書いたら、クレームが来るのだろうか。 「間違いは間違いだから」は間違いな世の中なのか。 いま、教員免許を使って私が小学校の先生になろうもんなら、1学期も持たずにクビですね(笑) 当然、特別支援の世界も、カルピスの原液のような甘々な世界が広がっています。 とにかく褒める。 褒め倒す。 その子が理解していようがいまいがお構いなしに褒める姿は、褒める教ですな。 一応、褒めていれば親からクレームはこない。 褒めていれば、自分のスキルのなさを隠すことができる。 まさに褒める者が救われる世界。 そんな様子を見ていたら、昔いたABAの人たちの姿を思い出します。 あの人たちは、問題が起きれば無視し、(支援者側が)望ましい行動をしたら褒めて、お菓子をあげる。 彼らは本気でお菓子や賞賛に教育的効果があると信じていた。 だけど、考えてほしい。 嫌いな人から褒められるのは、ご褒美になるのだろうか、と(笑) やっぱり好きな人から褒められるのと、嫌いな人から褒められるのでは受け取る側の感じ方も変わってくるでしょう。 でもABAの人達はそこを考えないですね。 だって、彼らは「見えている行動のみ」で判断する人達だから。 気持ちや体調、今日その行動をするまでの流れ、昨日までの生きてきた物語はすべて観察できないことなので切り捨てる。 だから、ABAに傾倒する支援者というのは子ども時代、機械やおもちゃをいじくりまわしていた人が多いの...