【No.1488】感情の交流としての会話に癒しの効果がある
私のキャリアの始まりは、言葉をもたない子ども達、自閉症の人達との関わりでした。 彼らが発するのは赤ちゃんのような「バババ」だったり、唸り声や奇声に近いものばかり。 私からの言葉掛けもどこまで理解できるのか、そもそも理解できているのか、わかりません。 20年ほど言葉中心で生きてきた私は、ひたすら彼らの行動を観察する日々を過ごしました。 あるとき、彼らが発している声から感情が読み取れるようになりました。 「そうか、言葉には意味を伝える面と、感情を伝える面があるのか」 無意味な発声としか認識できなかった私が、彼らの豊かな感情表出に気が付いた瞬間でした。 私が今も支援者、援助者でいられることの核には、この気づきがあります。 施設を退職し、今の仕事をしている中で、言葉を話す自閉症の子ども達、人達と関わるようになりました。 そしてどの子も例外なく、言葉による傷つき体験を抱えているのがわかりました。 大学に入学するような人でも、言葉は不便なもので、できれば使いたくないものであり、「外国語のようなもの」でした。 私達は言葉に情報だけではなく、感情を乗せることも行っています。 しかも場面や目的、相手に合わせて、情報を強くして感情を抑えたり、反対に情報を限りなくゼロに近づけ感情を中心に表現したりといったことを無意識に行っています。 この微妙な加減を瞬時に読み解くことが苦手なのが自閉症の人達です。 ですから、彼らが表現するときも、情報伝達の側面しか持たない言葉だったり、言葉にほぼ意味はなく感情を表出するためだけの言葉だったりするのだと思います。 言葉の意味だけの側面を見ても、発する人の体験や知識が意味の範囲を決めますので、受け取る側はそこを想像しつつ解釈する必要があります。 幼少期から運動面での不具合、感覚を中心とした体調面での不具合を抱えていることが多いため、自閉症の人達の体験や知識に偏りが生じています。 ですから知的障害がない人であったとしても、話をしていく中で、言葉の意味の範囲が狭いと感じることが多々あります。 とても限られた意味の範囲でその言葉を使っている。 そうすると、友達同士の会話にズレが生じたり、親や先生からの言葉を狭い範囲でしかとらえられていないので、いつも「聞いてない」と怒られたり。 さらに言葉には皮肉があったり、たとえ話があったり。 またもう一つの側面である感情を伝え...