【No.1506】対処行動は治ったら、どう変化していくか
症状に見える行動を“対処”として捉えてみましょう、というのが前回の話でした。 で今日は、その“対処”として捉えた行動がどのように変化していくか、どうなったら理想的な形か、という部分について話をしたいと思います。 結論から先に言っちゃえば、対処行動自体は消えていきます。 そしてその対処行動を本人が作り出すためにいろんな能力を使ったと思うんだけど、それらの能力が日常生活の中で、生きていく中で有益なパターンとして発揮されるようになります。 たとえば、対処行動としての多動が「良く働き、良く遊ぶ」として使われるようになったり、頭でっかちでいろいろ考えを巡らせて対処していたのが治ったらクリエイティブな方面へと能力が発揮されたり。 他害をしていた子が適切な拒否を身に付けることで、今度は筋肉活動としてその力を使ったり、攻撃性を膠着状態を突破する、組織を改革する、といった方面へ活かせるようになったり。 物事へのこだわりが治ったら、几帳面な仕事、職人気質な作業や「正しさへのこだわり」から警察官や裁判官を志すことになったり。 同じ自傷でも、同じこだわりでも、同じ感覚過敏でも、その対処の仕方、様相は一人ひとり異なっていますね。 そこにはその人の資質が現れているんだと思います。 資質が苦しみ、生きづらさから逃れるための対処として発揮されている。 だけど、その生きづらさが治れば、より適切で豊かな対処の方法が見つかれば、そちらに使われていた資質が別の方面へと使われるようになります。 さらに生きづらさに対する対処行動を行っていたとしても、そこには絶え間ない「行動→刺激→調整→行動」といった学習、脳や神経発達への刺激が繰り返されていますので、単に「対処してました」ではなく、豊かな発達と成長があるんです。 だから、これは自閉症の症状だ、知的障害だからやる特異的な行動なんだ、で、「じゃあ、その症状とやらを抑えてしまおう」とやるのがとってもまずいんですよ。 その人の資質まで抑え込んじゃうことにつながるからね。 ギョーカイでは「二次障害」なんていわれるけど、私は医原病、支援者が支援することで作り出す病じゃないかって思ってる。 想像してみてほしいんだけど、自分の資質、能力が発揮できないことって辛いし、それは伸びやかさを奪うことだと思うんだ。 言い換えれば、内なる自由を奪う行為。 心に自由を奪われた人は、みんな...