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【No.1524】「良いアプローチ、やめたほうが良いアプローチの見分け方ってありますか?」

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昨日相談があった親御さんから「良いアプローチ、やめたほうが良いアプローチの見分け方ってありますか?」って聞かれたんです。 少し前だったら、「直感で」とか、「我が子の伸ばしたいところから、まずはそれに合うものを選んでみては」とか言ってたんですけど、いま、かなり選択肢があるでしょ。 ネットで検索してもそうだし、SNSとかおススメでどんどん流れてくるし。 書店に行っても、発達障害のコーナーはいつも新刊が出ているし。 だから、ある程度、絞ることも大事かなって思っています。 良いアプローチはその子の発達や成長に繋がれば、どんなアプローチも良いわけです。 支援者だってベテランとか、有名だとか、そんなもんまったく関係なく、それこそ、近所の人が、人じゃなくて海や川などの自然が子どもの成長を後押ししてくれるってことも大いにあります。 で、良いアプローチはそれぞれだけど、やめといたほうが良いアプローチは明確なのが一つあります。 それはマニュアル化されているもの。 「手順がこうで」「教わった通りやってください」というようなアプローチはまず選択肢から外していいですよ。 世の中、結構、この「マニュアル化」「教わった通り」というアプローチがありますね。 それこそ、私がTEACCHから離れたのも、この理由からです。 この話って過去にしてましたっけ。 まあ、良い機会なので続けますが、TEACCH自体の理念に「個別化」があります。 でも、ライセンスビジネスが始まった頃から、支援者が独自にアプローチを変化させ、実践することが禁止になりました。 もちろん、現場ではどんどんアレンジしていたのですが、そういった声明、指示が出るようになった時点で、私は「もう終わったな」「ここが限界だな」と思ったんです。 今もそうなっているかわかりませんが、認定者以外はTEACCHを語った支援をやってはいけない、メソッドを他の人に教えてはならない、と誓約書まで書かせてからトレーニングの受講が始まってましたね。 で現在はどうですか。 もうひと昔のように「TEACCH、視覚支援、構造化」って言わなくなったでしょ。 たとえば、金魚体操だって、子ども一人ひとりやり方は違うわけです。 ただ揺らせばいいってもんじゃない。 子どもの反応(呼吸や筋肉の状態、子どもの表情やしぐさなど)を観察しながら、変化に合わせて加減を変えたり、時間を変えたり...

【No.1523】信じるのはアプローチか、支援者か

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私はアプローチに関しては信頼したり、信用したりします。 かつてギョーカイのど真ん中にいたとき、TEACCHだって、ABAだって、SSTも、PECSも、全国各地、ときに海外に行き、そこで学び、当然、実践もしてきました。 今思えば、「遠回りしたな」と感じますが、当時、私は必死に学びましたし、その当時としては、私が関わった子ども達、成人した人達において効果を感じていました。 そのアプローチが生まれ、広がるということは、その時代、その社会においては意味があったと考えています。 もちろん、まったく効果がない、合わないような人もいましたが、それはその人にアプローチが合わなかっただけ。 そしてどんなアプローチも万人に効果がある魔法のようなものはありません(もし万人に効果があるアプローチがあったのなら、それは個別化が難しくなり、効果が限定的、薄くて広いものとなる)。 古今東西、当時の有名支援者、専門家の生(なま)の実践と、実践を受けた子ども、家族の様子も見てきましたが、評判ほど当てにならないものはない、というのがわかりました。 肩書だったり、初めに言いだした人だったり、腕よりも口、宣伝がうまい人だったり、テレビやメディアに出た人だったり…。 つまり、アプローチは信用するけど、専門家、支援者を信用することはない。 アプローチは嘘をつきません。 アプローチはアプローチ自身の利益のために動きません。 アプローチは愛着障害も、名誉欲も、承認欲求ももっていないのです。 だけど、支援者は人間で、そういったものを持っていることがある(多い?)。 「障害を持った人と関わるんだから、それを生業にしているだから、きっと心の綺麗な人だろう」というイメージが一般的にはあるかもしれませんが、清廉潔白な支援者、そういった人間ができた人なんてそうそういません。 いても、ただ優しいだけの「無益無害な支援者」もいる。 「腕が良くて、清廉潔白で、真摯に耳を傾けてくれる誠実な支援者」 支援者に依存していく親御さん達を見るたびに、「そういった人として、その支援者のことを見ているのだろうか」「よくもまあ、支援者のことを信じられるものだ」と私は思っています。 みなさん、知らないのです、特定の支援者にどっぷりはまった家族の末路を。 最初は有意義な情報、支援を提供してくれていた、得られていた。 だけど、支援には限界があるから、あ...

【No.1522】思ったような効果が得られない理由

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今日は朝から雪が舞う函館。 とうとうやってきました、北海道の冬が。 寒さと雪かきに耐える4か月が始まります。 先週行った徳島は気温が25度を超えていたので、気温差でいえば20度くらい。 「徳島は気候も、人も、温かかったな~」なんて思いながら完成した報告書を郵便局で出してきたところです(土日を挟むようなので月曜日にお手元に届く予定です)。 今回、訪問した徳島のご家族に限らず、「初めての専門家、支援者が大久保です」というケースはほぼゼロです。 すでに家庭で取り組みを行っていたり、地域の専門家、療育や相談機関を利用されています。 ですから、私のところに相談の依頼があるご家庭は「やってるんだけど、期待される効果、変化が見られない」ということになって、当然、私はさまざまなアプローチの結果を含めて、アセスメントすることになるのです。 ニーズは「どうして伸びないのか?」「ほかにやるべきところがあるのではないか?」「アプローチの取捨選択を含めた家庭での取り組み、子育て全般への助言」の3つが中心。 では、なぜ、良いと言われるアプローチをやっているのに期待するほど伸びないのか、効果が得られないのか。 まずアプローチ側の原因としては、「そもそもそんなもん」というのが多いですね。 その効果を謳う根拠が曖昧で、多くは利用した当事者の声になります。 劇的に良くなった人もいるのでしょうが、それは100人中1人か、2人くらいなもの。 あとの99人は声を上げないで、次を探すのです。 治したい親御さんは1つの場所に留まっている暇はありませんからね。 また最近のアプローチはどんどん細かくなって、「目の発達を促す」とか、「口を育てる」とか、まるで身体を切り刻むかのような印象を受けます。 大人ならまだしも、子どもってそんなターゲットにした部分だけ育つことってありますか。 神経はさまざまなところと繋がっているのですから、育つなら全体が育っていくはずです。 この頃よく見かけるのが、特定の身体の部位、特定の動きだけやたらうまい子です。 「土台となる発達から育てていく」という視点が抜けているのもあるでしょう。 これに関連して、アプローチを効果的にするための前提となる発達が抜けていたり、アプローチを行うために必要な発達や能力が抜けていたりすることもあります。 アプローチを選択する親御さん側の原因としては、専門家、先生...

【No.1521】それまでできていたことができなくなったとき

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この前、相談があった家庭の子どもさんは、学校から帰ってきたらずっとゲームと動画視聴するとのこと。 でも、それだけなら「学校で頑張ってきたんだし」「我慢してきたこともあったろうし」と思うんだけど、片付けとか、身辺面のこととか、勉強とか、できていたことがどんどんできなくなっている、だから心配なんです、という相談でした。 みなさんは、どう考えるでしょうか。 結構、あるあるの話ではないでしょうか。 ゲームや動画を観るのが好きな自閉っ子は多く、それ自体は否定するような話ではないと思います。 でも、「できたことができなくなる」という状態は気になるところで、こういった状態から推測するに本当に好きでゲームをやっているのだろうか、という疑問が浮かびます。 好きなことに没頭できているのなら、脳はリフレッシュすることはあっても、退化することはないですよね。 発達障害を持つ子の脳は凸凹や遅れがあっても、常に「前進あるのみ」で脳が発達し続けることには変わりがありません。 「それまでできていたことができなくなる」 ということは、“その頃”と“今”に違いが生じている可能性が高い。 その違いはなんだろなと確認してみたらわかりましたよ。 時々、突拍子もないことを言ったり、うまく友達と関係が築けなかったり。 それでもまじめに普通級で頑張って勉強していました。 その姿を見て、担任の先生が2学期から役割を任せてくれるようになったんですって。 で、学芸会でも大きな役割が与えられて…。 まあ、これを「プレッシャー」「ストレス」とひと言でいってもいいんだけど、もうちょっと説明すると、情報や刺激が増えたことに対する防御策でゲームに没頭、という感じです。 それまで大きく変わることなかった学校生活において、急にやること、求められることが増え、脳内に過剰な情報と刺激が流入してきたのでしょう。 そこへの対抗手段としてゲームの世界に没頭することで、これ以上、いろんな刺激が入ってこないようにした。 いろんなポイントがあったけど、ゲームをやっているとき、全然楽しそうじゃないのが大きかったですね。 きっとこの子なりの工夫だったんだと思った。 学校の先生は期待を込めて、いろんな役割を任せてくれたんだと思ったし、きっとこの子なら乗り越えられる、成長に繋がるという考えが親御さんと一致したから、「家の中で工夫しましょうね」って話をしまし...

【No.1520】過去からの、未来からの発達援助

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発達障害、発達の遅れというのは、アプローチや援助の仕方によって改善することができる。 というのは希望だけど、同時に後悔の念を強くするね。 私のところに相談にくる親御さん達は「発達障害は治る」という希望だけをもってきている人はいなくて、大きな希望と同じくらい大きな後悔をもっている場合がほとんど。 「介入や環境によって発達の仕方が変わる」というのは脳神経に可塑性があるということで、それは良い方向に変わることがあれば、悪い方向に変わることもあるってだからね。 「発達障害は治る」というからには、そういった大きな後悔を抱えていることまで受け止め、援助する覚悟が必要だと思ってるんだ、私は。 だから「発達障害は治らないけど、よくなる」という主張をしている支援者はたぶん、そういった親御さんの持つ後悔を抱えるだけの覚悟がないんだと思うな。 つけこんで信者化させるのは言語道断だし。 「親御さんは悪くない。 発達障害はたまたま、偶然、天から舞い降りてきたようなもの。 だから、育て方のことはいわないで、後悔しないで、関係ないから」 それは一時的な助けや癒しになるかもしれないけどね、一方で親御さんの育てる力、養育力を暗に否定していることにもなってるよ。 支援者が提示する援助が「ちょっと改善するけど、物足りない。根本的な解決には至らないなぁ~」と感じるのは親御さんを参加させずにうわべだけいじくるから。 一言でいえば、「親受けする見栄えの良い療育」だな。 「妊娠前に自分の身体をもっと大切にしておけばよかった」 「赤ちゃんの頃、テレビをつけっぱなしにしなければよかった」 「小さいとき、動画を見せ続けていたのが後悔」 「もっと眠ること、食べること、排泄することを大事にしておけば」 「親子の関わり、スキンシップを大切にできていれば」 たくさんの後悔の言葉を聞いてきたし、これからも聞いていくんだと思う。 いくら悔やんでも過去に戻れない。 でもね、現在が変わることで、過去が変わることがある。 発達援助の視点を子育てに取り入れ、子どもの成長を感じるようになると、過去の後悔が消えていくことがあります。 でも、それは後悔が消えてなくなったということではなく、過去の見え方が変わるんだと思うんです。 「あんなことしなければよかった、避ければよかった、もう少し良い子育て、関わり方があったかもしれない。 だけど、その親...

【No.1519】バチッとはまる方法を探し求めるのか

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いろんな療育、アプローチが現れては消え、現れては消えを繰り返してきたね。 長年、この世界にいるけど、誰にでも、万人に効果がある方法などなかった。 時折、バチっとはまる子がくれば、絶大な効果を上げる。 でも、それはだいたい100人に1人くらいなものだったでしょう。 その100人に1人の恩恵があった人が「この方法は素晴らしい」「とてもよい先生だ」「ぜひ、あなたも受けてみて」と宣伝し、支援者は喜び、どんどん肥大化させていく。 客観的に見れば、成功したのが1人で、変わらない、効果なし、逆に悪くなったケースが99人いたとしても。 ひとは都合よくできていて、自分が欲しい情報、自分が思い描く理想と合致するものを実態以上に大きく受け取ってしまうんだな。 どんな支援者、専門家も、癖があって、生きてきた人生の中で形作られたその癖を肥大化させて〇〇療法、アプローチが生まれているように私には見えてきた。 特定の方法を創始者の言うまま行おうとすると、違和感を感じるからね。 きっと私の中に生じた違和感は、その創始者の“癖”の部分なんだと思う。 だから私はこうしてきたんだ。 どんなに優れていると言われる方法であったとしても、そのまま全部、受け入れることはしなかった。 創始者の癖と私の癖がぶつからないようにするために。 だけど、その方法が持つ“型”には注目したよ。 その型を学んで、型を自分のモノにできるよう努める。 型はいくつあってもいい。 型どおりにやることは実践では役に立たないけど、長年で染みついた自分にある“癖”を整え、その癖から自由になることができるからね。 これは支援者、援助者の一人としての見解だから、じゃあ、選択する側の親御さんはどうしたらいいかってところが気になるでしょう。 1%のドはまりを目指して、いろんな方法、専門家をあたるのも選択の一つ。 もう一つは、親御さんが「良いな」と感じる方法のエッセンスだけを抜き取っていくこと。 「良いな」という直感があるのは、その方法か、創始者の癖と自分の癖が近いということで、その創始者のように自在にアプローチを変化させることができる可能性が高いという意味。 そんな方法から良いと思うエッセンスを抜き取り、自分の子育て、我が子の発達援助に活かしていくんです。 習った通り、教わった通り、書いてある通りにやろうとする人が多い。 まじめで、失敗できないと思う...

【No.1518】支援はすべて“あやつり”に

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診断や検査、テストを受けると、支援者側から「あなたにはこういう特徴があって、こんな課題があって、こんなんしたほうが良い」というようなことを言われるね。 これは当たり前に、どこでも行われていること。 疑問に思う人も少ないんじゃないかな。 だけど、これって支援者が「当事者のことを知るために情報を得る」「得た情報を当事者に教えてあげる」「知った情報をもとに支援を提供する」という形になっていることが多いと思う。 言い方が悪いかもしれないけど、当事者が支援者の材料、飯のタネになっている感じがするよ。 本来、検査やテストは当事者、本人のためのものでしょ。 結果を受け取って満足ではいけないね。 結果を実生活に活かしていくことも大事だけど、それよりも検査を受けるプロセスのほうがずっと大事だと私は思うんだ。 だから、「自分を知りたいな」「客観化された自分というものを、データ化された自分を見てみよう」という意欲が育ってからテストは受けたいね。 その意欲があると、テスト項目の一つひとつが自分を知るための作業になって、検査者は本人が自分を知るための作業を手伝う者になる。 そうなると、テスト自体が、その時間、機会すべてがとっても価値があるものになると思うな。 ほとんど意味も分からない中、連れてこられて、一方的に提供される検査、テストを受ける。 そうなると、検査をする側とされる側、情報を持っている側と持っていない側という図式になってしまう。 だから、検査後の実生活にその結果が活かされていかない、いけないんだと思うな。 「行政的なサービスを受けるために必要なんだ」と言いたいんだろうけど、こういった姿勢が変わらない限り、支援の枠から出ることはできない。 主導権が支援者側にある間は、提供されるサービス、支援はすべて“あやつり”になっちゃうからね。 残念ながら入り口が診断、検査、テストになっているのがこのギョーカイです。 年端もいかない子どもに「自分を知りたい」と意欲を育てることは難しいでしょう。 そうなると、意欲を育て、高めるのは親御さんになる。 手続き上必要だから来ているのか、我が子を知るために来ているのか。 この入口、どっちから入るか、スタートするかで、その後の子どもの歩みが変わっていく。 やっぱり検査結果より、どんな姿勢で受けるか、受けるまでのプロセスが大事だね。 ▶発達相談の内容・お問い合わ...