2021年10月11日月曜日

【No.1196】本に込めた想い

今朝、ジムで上半身をイジメてきたあと、家に着くタイミングで佐川のお兄さんが大きな段ボールを抱えてやってきました。
お兄さんが軽やかに段ボールを持つ上着の袖から出たその上腕は素晴らしい張りをしていて、羨望の眼差しで見ていると、送り主のところに「花風社」の文字が書かれているのに気がつきました。
今回、新刊の制作に携わらせていただいたため、お世話になった方達にお贈りしようと思い、まとまった数をお願いしていたのです。


午前中は、まだ私が何者でもなかった頃、そしてほとんどの人が起業することを、起業したことを鼻で笑っていた時期に応援してくださった方たちへ感謝の気持ちを込めて、新刊の発送を行っていました。
午前に郵便局から郵送しましたので、明日、明後日にはお手元に届くと思います。
もし水曜日頃までに届かず、「私も散々世話したのに!」という方がいらっしゃいましたらご連絡ください(笑)
即、郵送いたします。


今回、初めて本の制作に携わらせていただいたのですが、1冊の本ができるまでに、これほど多くの方達の力と専門性が注がれているのだと実感することができました。
本をめくりながら、携わってくださった皆さまの顔が思い浮かびます。
本は好きで、子ども時代からたくさん本を読んできた私ですが、何気なく手に取り、読んできた本一つ一つに多くの人が携わり、たくさんの想いが詰まっていることに改めて気づくことができました。
いろんな人が携わり、いろいろな考えや体験を元に出来上がった本ですので、全面的に同意していただく必要はなく、「ここはそう思う」「いや、ここは違う意見だ」「これってどういうことだろう」など、読んでくださる皆さまが主体的に考え、そしてより良い明日に繋がるようなきっかけになれば、と思っております。
本を読んでくださった前と後で、何かが変わるのでしたら、それがその人の幸せに近づけるのなら、私は心から嬉しく思います。


そんなこんなで、新刊の発売と同時に、いろいろなことが動き始めて、急にバタバタと忙しい日々を過ごしていました。
そしてやっとのことで、先週の金曜日の「おかえりモネ」を録画で観ました。
鈴木京香さん、お母さんが家族が集まる中、震災当時の出来事を語る場面は良かったですね。
あれこそ、まさに心の傷を癒していく自然な人間の姿だといえます。


震災当時、いろいろな葛藤や悲しみ、心の傷を負った人は多いと想像します。
そこで政府はカウンセラーの派遣を早々に決め、東北各地に派遣していました。
しかし、これまた今と同じで「やっている感」だけなんです。
想像すればわかります。
震災から間もないときに、目の前にカウンセラーが現れる意味、そしてその人がどのように感じるのか。
ショックがまだ生々しいとき、カウンセラーの一言一言がその瞬間を思い出させてしまうことを。
かさぶたさえできていないのに、その傷に触れようとする感じです。
カウンセリングは追体験の要素があるので、逆効果だと私は考えています。


その人が抱えた心の苦しみ、心の傷を癒していくには、その人が自分自身で向き合えるための時間が必要なのです。
それがモネのお母さんは6年かかった、いや、6年という月日が必要だったわけです。
ああやって自ら家族に打ち明けることができるまできたことが大事であり、それを他人が「早く楽になれ」というのは間違いなのです。
あの場面にいたのは、カウンセラーではなく、家族でした。
あの場にいた家族は、お母さんの内側に合った自らで傷を癒そうとする力を後押しする雰囲気を作っていたのだと思います。
お母さんの中での時間の経過と家族の雰囲気が協応したとき、傷を癒し、また前に進むための一歩を踏み出せることになります。


良い思い出も、悪い出来事も、いろんなものを抱えて生きるのが人間という生き物だといえます。
他の動物なら、悪い出来事は反射で対処し、決して抱えて生きようとはしないものです。
辛い出来事に対しても、それが自分の人生の中に起きた意味を見出そうとし、また前に進むための力に変えることができるのが人間らしさとも言えるのではないでしょうか。
そしてそのような人達が最後のお父さんのセリフのように、「子どもの笑う顔ってのはぁ、やっぱりいい、いいもんだな~」と、次の世代に対する愛へとつながっていく。
10分間、我が子を想ったお母さんと、島の子ども達の笑顔のための塾を作ろうと言ったお父さん。
まさに人間が人間として成長、成熟していく姿、前を向いて生きていく姿が表現されていたと感じました。


今回、新刊の制作に携わった皆さんは、次の世代への愛をもった方達だと私は思っています。
我が子だけ、自分の親族だけ、大切にしている人だけ、ではなく、次の世代、特に今の子ども達、これから生まれてくる子ども達のために、自分たちの持っている力を注ぎたいという方達です。
ですから、今の子ども達の仕打ち、保身まみれの大人たちからの理不尽な対応に、心から怒ることができているのだと思いますし、私もその一人だと思っています。


より良い社会とは、子ども達がよりよく生きることができる社会のことをいうのだと思います。
私が20年間、発達の世界で見てきたこと、感じてきたこと、そして得た知識や情報が、今の子ども達と未来の子ども達のために1つでも役立てる点があるのなら、今回本の制作に携われたことを心から嬉しく思います。
ぜひ、我が子のより良い未来のため、そしてこれから生まれてくる子ども達の明るい未来のために行動できる大人たちを増やしていきましょう。
私も今までと変わらず、コツコツと自分にできることを行っていきます。


まるでその場にいたかのように、私がお伝えした発達相談の場面を描いてくださった小暮画伯さん。
一度見たら忘れないようなイラスト、ロゴを制作してくださった廣木さん。
私と浅見さんがもっとも伝えたかった「親心に自信を持とう!」というメッセージをそのイメージ通りのイラストで表現してくださったおーちゃんさん。
今の実力よりも、未来へのバトンとして私を著者に選び、私が得てきたものを1つの形にして世の中に送りだしてくださった浅見さん。
貴重な知見を教えてくださった花風社の著者の皆さま、全国にいる実践家の皆さま。
本を構成し、印刷し、全国の書店へ流通、送り届けてくださっている皆さま。
そして実際に本を注文し、購入してくださった皆さまに感謝申し上げます。
誠にありがとうございました。
一緒に仕事ができて嬉しかったです。




花風社さんの新刊【医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう】の詳細のご確認・ご注文はこちらからできます→ http://kafusha.com/products/detail/55
一般書店では15~18日頃より購入できる予定です。


10月24日(日)13:30~15:00 函館蔦屋書店2階イベントスペースにて出版記念講演会を開催いたします。ご予約不要で入場は無料ですが、先着30名になっております。詳細は函館蔦屋書店HPよりご確認いただけます。


11月6日(土)午後1時よりzoom講演会『コロナ禍のヌケも育て直せる!』で講師を務めさせていただきます。主催は花風社さんです。講演内容やお申し込み方法はこちらをご覧ください。当日リアルタイムで参加できない方は、後日配信も行っております。


2021年10月9日土曜日

『医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう!』出版に伴うご案内

【本の出版のご案内】

既に昨日より花風社さんに直接お申し込みいただいた方には本が届いております。
一般書店では10月15日から18日くらいに購入できる予定です。
この本は花風社さんの25周年記念事業の第一弾として出版されました。
本の「まえがき」「あとがき」「目次」はこちらからご覧いただけます。



【出版記念イベントのご案内】

10月24日(日)13:30~15:00 函館蔦屋書店にて出版記念講演会を開催させていただけることになりました。
事前のお申し込み、参加費は必要ありませんが、会場の都合上、先着30名になっております。
1時間ほど、実際のエピソードを交えながら本の紹介をさせて頂き、30分ほど質疑応答の時間をとりたいと考えております。
詳細は函館蔦屋書店さんのHPでもご確認いただけます。



【zoom講演会のご案内】

11月6日(土)13:00より『コロナ禍のヌケも育て直せる!』という講演をさせて頂きます。
主催は花風社さんです。
当日リアルタイムで参加できない方には、後日録画を視聴することも可能です。
お申し込み方法、講演の内容はこちらをご覧ください。
コロナ禍において子ども達の発達には既に影響が出てきているといえますが、本格的な影響が出るのはコロナ後になると感じています。
この1年半の発達相談において気づいたことと、それに対する発達援助のアイディアをご紹介したいと考えております。


2021年10月5日火曜日

【No.1195】ひっくり返して考えてみる

緊急事態宣言が終わり、市内での陽性者もZEROが続いているのに、自主的にマスクをつけている人達がいます。
もちろん、私がマスクをつけない自由があるように、その方達にもマスクをつける自由があるわけです。
だけれども、どうしてマスクをつけようとするのか、どうなったらあの人達はマスクを外すようになるのだろうか、と疑問に思います。
戦時中のように「欲しがりません、勝つまでは」「外しません、ゼロコロナまでは」という具合に必死にコロナが全国からいなくなるまで、はたまた岸田首相が「みなさん、マスクを外しましょう」と言ってくれるまでつけ続けるのかもしれません。


「マスクをつける」という行為は、他者である私から見れば、みなさん、同じように見えます。
そんな人たちと指さして「おかしい奴」とレッテル貼りをするのは、脳みその省エネで、考えることを放棄したのと一緒です。
ですから、「マスクをつける」という行為、つまり結果をひっくり返して考えてみます。


マスク→同調圧力→主体性の未確立(他人軸)→愛着障害
マスク→同調圧力→集団の和から離れることの不安→その人にとっての適応の形態(学校適応、会社適応、社会適応)
マスク→思考停止→心身に余裕がない→生活の苦しさ
マスク→思考停止→心身に余裕がない→考えることの放棄(マスクをつけないことの説明がメンドクサイ、説明を省くため)
マスク→思考停止→本能的な恐怖→感情的なショック(有名人の死、身近な人または自分の体験、テレビからの視覚情報)
マスク→思考停止→自ら考えるという習慣のなさ・とくに自分の考えはない
マスク→お守り→自分自身の健康不安
マスク→飛沫の防止→身近な人の健康不安
マスク→不快を感じない→長年の身体不調に対する慣れ
マスク→経済的な理由→雇用主から求められている
マスク→義務感・正義感→不安のひっくり返し
マスク→ポジティブな感情→小顔に見える、化粧しなくて良い、綺麗に見える


このように他人から見れば、みんな同じようにマスクをつけている人にしか見えませんが、そこに至るまでの過程は様々、背景も様々だということです。


では「マスク」を「感覚過敏」に変えてみましょう。
感覚過敏といっても、どの部位にどのくらいの強さ、または弱さ、まったく感じない、そしていつ頃から顕著になったか、その波は?という具合に、様々な症状の表れ方があります。
当然、その表れ方一つ一つに個人としての理由や生物学的、神経学的な理由も、環境的な理由もあるわけです。
で、しかも「2重マスク」「店内に入るたびに消毒液」「鼻マスク舌打ち」となれば、コロナ脳という診断がつくように(笑)、発達障害の診断は「感覚過敏」「こだわり」「言葉の遅れ」など、どういった症状が目に見えて確認できたか、によって決められていきます。
ですから、同じ診断名になっても、一人ひとりが全然違うというわけです。


一つひとつの症状にバリエーションと複雑な背景がある。
しかも、その症状の背景は問わず、確認できた症状の数で診断が決まる。
そして大問題なのは、その診断名によって「〇〇療法だ」などとアプローチの仕方を決めてしまう支援者、支援機関が多いということです。
「自閉症」→「構造化」、「学習障害」→「タブレット学習」、「多動」→「栄養療法」という具合です。
でも、本来、どういった療法、アプローチが必要か、は結果である診断名からは決められないのです。


診断名というのは、そもそも専門家同士のコミュニケーションのために作られた共通言語であり、利用者からすれば、福祉や教育的なサービスを受けるためのチケットです。
そういった場面においては、「こだわりが頻繁に見られ、言葉が単語で数個レベルで、聴覚過敏があり、知能的には1歳遅れくらいで、ハイハイを飛ばした〇〇くんです」と細かく説明するのは適切ではありません。
しかし、我が子の子育てにおいて、また教育においては、このような細かい症状が必要であり、それぞれの症状の背景を確認していく必要があります。
それができていないのに、子育ても、支援も、療育も、教育もできっこないからです。


たとえば、「口に過敏がある」というのでしたら…
哺乳時の様子はどうだったか?
嚥下や滑舌、舌の動かし方は?
脳幹の育ち全般に遅れがないか?
手の感覚は?指の動かし方は?
皮膚の張り、色はどうか?
水は飲めている?
おしっこの感覚は?量は?
毎日、うんちが出ている?
汗はちゃんとかけているかな?
ずりばいやハイハイ、ちゃんとやり切ったかな?
手づかみ食べは?
表情のバリエーションは?


など、「発達障害」←「感覚過敏」←「口の過敏」ではなく、「口の過敏」→「嚥下の問題」→「首の未発達」→「ハイハイのヌケ」→「脳幹の課題?」という流れになります。


「マスク」の例もそうですし、「口の過敏」の例もそうですが、物事は単純に1対1にはなっていませんし、いろんな理由・背景が複雑に絡み合ってその人の行動として表れているわけです。
なので、私がアセスメントをするときも、「正しく理解することは、捉えることはできない」という意識を持って行っています。
そもそも人間の行動の背景をシンプルに表そうなんて無理な話です。
よって、自分の中のルールとして1つの症状だったとしても、必ず複数のベクトルで確認していく、聴覚過敏だからといってすぐに前庭神経の課題と決めるのではなく、他の可能性、本当に前庭神経に未発達があるのかを別の行動から確認するようにしています。


ただし、単なるアセスメントなら上記のようにクドクドと全部確認し、すべての可能性を書き記せばよいのですが、私が行っているのは発達援助であり、家庭支援サービスです。
つまり、お客様であるご家族やご本人が利用できなければ、意味がない。
いろんな機関で行われたアセスメントシートを拝見させていただくことがありますが、執筆者の自己陶酔のような、読んでいて「で、だから、どうやって育てたら良いの?」という答えがないものが少なくないですよね。
だから、様々な背景の中からより根っこに近いものを、そこから育てれば芋づる式に全体的な発達に繋がっている部分を強調してお伝えしています。
やる気の出ないアセスメントは、報告書はただの紙切れっていう想いです。
是非、皆さまも、我が子を見るとき、担当している子を見るとき、症状からアプローチの仕方を考えるのではなく、症状から背景の向きに考えを巡らせてからアプローチを選択していってほしいと思います。
目に見える症状からは、対処法しか出てきませんので。
対処は育てていることにはなりませんね。


花風社さんの新刊【医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう】の詳細・ご予約はこちらからできます→ http://kafusha.com/products/detail/55


11月6日(土)午後1時よりzoom講演会『コロナ禍のヌケも育て直せる!』で講師を務めさせていただきます。主催は花風社さんです。講演内容やお申し込み方法はこちらをご覧ください。当日リアルタイムで参加できない方は、後日配信も行っております。




2021年10月1日金曜日

【No.1194】コロナ禍のヌケも育て直せる!

本日より下半期が始まると同時に、2021年もあと3ヶ月となりました。
函館は今日も20度越えで、明日以降も25度前後になる予想。
例年9月はあちこちで運動会が行われるのに、市内で25万分の10人/1日前後という奇病にもかかわらず、全部運動会は10月に延期。
明日から土日は、延期していた分の運動会が行われるので、お天道様はせめてもと子ども達に温かい空気を届けてくれているようです。
私も明日、朝一で道内日帰り出張で、日曜日は下の子の運動会でライン引きと準備片づけがあるので、一緒に汗をかいてきたいと思っています。


私にとっての緊急事態宣言は、出張先のラストオーダー19:30までに店内に入れるかどうかの影響のみで、この1年半ほとんど生活は変わっていません。
皆さまがご遠慮されている分、私は遠慮なく酸素を頂戴していますし(笑)、行きたいところに行き、ご依頼があれば全国どこにでも伺ってきます。
これだけ普通に生活しているのなら、何度もコロちゃんに暴露しているに決まっています。
しかし、今まで体調が悪くなったことはないですし、ちょっと喉が、咳が、熱っぽいな、となってもだいたいその日のうちか、一晩寝れば治っていますから、まだまだ私の自然免疫のほうがコロちゃんより強いということでしょう。
なので、わざわざお注射をする必要性を感じません、副反応で仕事の依頼に応えられない方が嫌なので、私の接種券は既に回収され、灰になりました(笑)


だからといって、他人がマスクを付けていようとも、接種しようとも、特になんとも思いませんし、自分の考えをもって感染対策や接種をされた方はそれで良いのだと思います。
でもまずいのは、「みんながしているから」「職場の同調圧力が」「医者が言うから」とか言っている人間です。
集団免疫仮説が否定された現在、対策も、接種も、また接種しないという選択も、自分の命を守るために行うものです。
でも、自分の体内こそ、最大のプライベートゾーンなのに、その判断を自分以外に委ねているということは、私から見れば命をないがしろにしている感じがします。
TVやネットに出てくる専門家は、あなたの命や健康の選択を委ねて良い人間なのでしょうか。
そこまで信じて良い人間なのでしょうか。
彼らにとっては、あなたは見ず知らずの他人。
なにがあっても、それは「1」という数字でしか認識できないのです。
まさに、これは発達の世界で見てきた状況。
専門家、医師、支援者にとって、あなたの子はたくさん関わってきた発達障害児の「1」にすぎないのです。


今日の午前、市内を移動していると、校外学習に出かけている子ども達の集団を多く見ました(これも9月分の延期??)。
緊急事態でも、まん延状態でもないフツーの10月1日金曜日の午前です。
その中でマスクを付けている子と、つけていな子がいました。
つけている子はどうしたら外すのでしょうか。
先生に言われたら外す。
先生は校長や教頭に言われたら外す。
校長は教育委員会から言われたら外す。
教育委員会は市長から言われたら外す。
市長は知事から、知事は国から…。
岸田新首相が「さあ、みなさん、マスクを外していいですよ」といえば、みんな外すのですか、御上から言われないと自分から外すという選択ができないのですか。
日本人は自分の頭で考えられないバカばっかりになってしまったのでしょうか。
常時マスクをしていて苦しさを感じなければ、不快感を感じなければ、それは既に問題が進行している証拠です。
子どもがそんな状態なら、既に心身の発達に影響が出ていると言えるでしょう。


とはいえ、私は個人事業主で、雇われの身ではない自由な立場なので、これだけ好き勝手言い、行動できているとも思っています。
ですから、このコロナ騒動があった1年半も変わらず動きまわり、あちこちを見てこれた私なので、そこで見聞き、感じた体験や情報を志を共にする皆さまと共有することは大事な役目だと考えています。
そして今回、情報共有する場を花風社さんの浅見さんに作って頂きました。
11月6日(土)zoomを使っての講演会を行います。


コロナというわけではなく、コロナ騒動という保身まみれで、自分の頭で考えることを放棄した大人たちによって作られた人災が、子ども達の発達に影響を与えたのは事実だといえます。
そしてその影響は、その子がどの発達段階、どの年齢で味わったかによって影響の大きさが変わってくると思いますし、本格的な影響はこれから先の5年、10年後だと思っています。
主催してくださる浅見さんに講演のレジュメをお送りしましたが、私の頭の中はグルグルと考えがまとまらない状態になっています(笑)
11月5日の当日まで情報や考えを更新しながらそのときベストなものをご紹介したいと考えています。


先ほど述べた通り、コロナ騒動は人災であり、一番の被害者は子ども達です。
ですから、被害を与えてしまった私達大人が彼らの育ちをフォローしていくのが当然の義務になります。
私が見聞きしてきたこと、全国にいらっしゃる素晴らしい実践家の方たちから教えていただいたことをベースにお話しできればと思っておりますし、このコロナ騒動の中でも、むしろ普段以上によりよく育ったと感じる子ども達の姿も紹介できればと思います。
みなさま、ご興味ある方は今後のご案内をお待ちください。
どうぞよろしくお願い致します。


花風社さんの新刊【医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう】の詳細・ご予約はこちらからできます→ http://kafusha.com/products/detail/55


10月も急遽関東に出張することが決まりました。10月15日(金)の午後でしたら、ひと家族お受けすることが可能です。詳細・お問い合わせはこちら。もしご希望がなければ、久しぶりに寄席に行こうかと思っています(笑)。スワローズのチケットがとれなかったので(涙)




2021年9月17日金曜日

【No.1193】場所が変わってもできるくらいまで育てるのが発達援助

この時期、年長さん達が一通り就学相談を終える時期であり、支援学校の高等部3年生たちが就職実習や卒後の入所施設への体験を終える時期でもあります。
実習のあとは、受け入れ側の支援員さんと学校の先生たち、そして親御さんを交えての反省会があり、そこで決まって言われるのは「〇〇を行う際、指示や手助けが必要だった。入所するためには、〇〇ができないといけない」という指摘になります。


その〇〇というのは、歯磨きや着替え、入浴などの身の回りのことであったり、仕事に関する態度であったりします。
しかし必ずと言っていいほど、「家ではできているんだけれども」「学校ではできているんだけれども」となる。
そしてその原因は、施設側の関わり方、支援の仕方に始まり、最後は特性として「場所が変わるとできなくなる」で結論付けられます。
でも、果たしてそうでしょうか。


ずっと昔から、私が学生時代からずーーーと「場所が変わってできなくなるのは、障害特性だ」と言われてきました。
しかし、場所がかわってもできることはあるわけです。
たとえば、認知症の方のように家から施設に変わった瞬間、全部、なにもかもできなくなったというのならわかりますが、余暇だったり、コミュニケーションの仕方だったり、身の回りのことでもすべてができなくなるわけではないんですね。
ということは、単純に「できる」と評価されていたことが本当はできていなかった、身についていなかっただけでしょ、と思うのです。


今までの経験から、「場所が変わるとできなくなる」は特性でもなんでもなく、支援者側にとって都合の良い落としどころだったんだと私は考えています。
そういった子ども達、大人たちと関わってきて感じるのは、そうやって場所が変わっただけでできなくなる場合のほとんどが、「パターン学習だった」ということ。
なぜ、その行為を行うか、どうなったら適切か、終了かという認識がなく、ただ型だけを覚え、大脳皮質を通すことなく、一連の活動を行っていただけ。
だから、場所が変われば、その「一連」に変化が生じるので、何をすべきかを見失ってしまうのだと思います。


ではなぜ、どこでもここでも、「場所が変わるとできなくなる」と言われ、そういった状況が生まれるのか。
もちろん、その子本人の認知的な面とも関係していて、重い知的障害を持つような子ども達は、大脳皮質の育ち、働きがうまくいかず、結果的にパターン学習が主になってしまう場合もあります。
しかし、大部分の子ども達、発達障害の子ども達は、発達がゆっくりだったり、ヌケがあったりするだけで、大脳皮質がどうとかいう話ではありません。
となると、やはり周囲の教え方の問題で、もっといえば、アセスメントを間違えているからだと思います。


いくら高校生とはいえ、発達年齢で言えば、5歳、6歳の若者に対して、「上手に歯を磨いて歯垢をとろう」とか、「もう少し計画を立てて宿題をやれ」とか、「友達と協力して作業を行うときには、助け合いがどう」とか、言っても無理。
たとえ、教わったことを、言われた言葉を理解できたとしても、その背景にある理由がわからなかったり、実感として掴めるだけの身体、感覚、脳機能が育っていなかったりすれば、どう頑張って言われた通りそのままパターンで動くしかなくなります。
実習後、相手先からダメ出しされた先生が、「よーし、もっと教え方を工夫しよう」と意気込む様子がありますが、そんなことしてもただのパターンが増えていくだけ。
つまり、教え方を変えるんではなく、その行為ができるだけの発達段階まで育てなければ永遠に解決しないのです。


「学校ではちゃんとできています」という先生は、ある意味、指導がうまいんだと思います。
学校内で適応しちゃうだけのパターンをいくつも教え込むことができているから。
しかし、そういう子は本当の意味での理解、習得ができていないため、卒業後苦労するのです。
卒業後、施設等で、「学校からの資料では"できる"になっているけれども、全然できないんじゃん」と言われる若者を多く見てきました。
そうすると、私は結局、先生の自己満足じゃんとも思うのです。


先生と言う職業は教えるのが仕事ですから、どうしても教え方にこだわる傾向が強くあります。
問題行動があれば、正しい行動を教えようとし、対人面で幼ければ、どうやって他人と関わっていけば良いかを教えようとする。
問題行動の解決も、コミュニケーションも、社会性も、自立に向けた身の回りのことも、すべてちゃんと教えればできるようになる、と思っているふしがある。
でも、発達援助ってそういうことではありませんね。


私はアセスメントする際、目の前にいる人が実際の発達年齢の姿で見えることがあります。
たとえば、目の前に小学校1年生の男の子がいるんだけれども、よちよち歩きをしているくらいの1歳半の子に見えます。
ちなみに親御さんで発達や愛着でヌケを抱えている人は、「お母さん、8歳くらいの女の子に見えますね」ということもあります。
まあ、オカルト的な話というよりも、私は定型発達を基準にアセスメントをしているという紹介です。
アセスメントするときは常に「認知の面では年少さんくらいで、コミュニケーションは2歳くらい、社会性は3歳くらいで、愛着は年相応」といった具合に、それぞれ定型発達で言えば、どのくらいの子と同じか、といった視点で行っています。
ですから、発達年齢に応じた教え方が分かり、一方で「それを現段階で求めては無理」というのも分かります。


そうやって発達年齢に応じた教え方ができれば、パターン学習は生じないですし、そもそもが発達年齢を実年齢に近づけていくにはどういった刺激、子育てが必要かというのが発達援助になります。
発達援助というのは、スペシャルな教え方でも、身体からアプローチするという意味でもありません。
発達援助とは、特に凸凹がある発達障害の子ども達に対して、どうすれば凹の部分の発達を後押しできるかと考え、後押しすることであります。
教え方を工夫するよりも、自らの身体、感覚、脳で自然と理解できる状態、感覚的に掴める状態まで発達を後押ししようという感じです。
箸の持ち方を工夫して教えるよりも、箸が自然と持てる指を育てよう、みたいな。
自然と箸が持てるようになる指が育てば、割り箸だろうが、プラスチックの箸だろうが、場所が変わろうとも関係ないですもんね。


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2021年9月15日水曜日

【No.1192】表現活動と神経発達

花風社さんの浅見さんが「表現活動によって資質が開花していく」ことについてお話ししてくださっています。
言葉のプロフェッショナルである浅見さんの文章を拝読すると、私も改めて気づかされ、考えることがありましたので、みなさんと共有したいと思います。


自閉っ子の表現活動に注目したのは、私が学生時代です。
支援学校にいたある子が、「素晴らしい絵を描く」と評判だったことがありました。
私も拝見しましたが、確かに上手な絵を描く子でした。
ちょうどその頃は高機能ブームがあり、ギフテッドなどが支援者間、一部の親御さんの間で盛り上がっていた時期でもあります。
ですから、教員も、支援者も、「将来は絵を仕事に」などといって、学校の行事や地域の催しもの、刊行物の挿絵などに絵を発表し続けていました。
親御さんも、小さいときから絵が好きで描いてきた我が子が、その絵をみんなから認められて嬉しかったようです。


しかし、本人はどうだったでしょうか。
もちろん、本人の心情は本人しかわからないので、客観的な事実を述べます。
その若者は、学校を卒業後、一切絵を描かなくなりましたし、絵に関係する仕事にも就いていません。


私はこの子の絵を拝見したとき、現実の世界を描いているようで空想の世界を描いているのがわかりました。
その空想の源流は本人の頭の中にあり、そこには誰も邪魔されない「自由」があったんだと思います。
この子は現実世界で感じていた不自由、そして自分のイメージと実際にできることのギャップに苦しんでいるような感じがありましたので、絵というツールを通して自由になっていたのでしょう。
それが周囲から「あれ描け」「これ描け」「次の〇〇に載せるから」と求められるようになり、本人にとって絵が自由から不自由なものへ、心地良さが感じられないものへと変わっていったんだと思います。


では、ヒトはいつから表現活動をするのでしょうか。
二足歩行が完成したのち、つまり、手が自由になったあと、だいたい1歳半くらいからクレヨンなどを持つと、手を動かし、何かを描こうとします。
もちろん、最初は点だったり、線だったり、何か形を描くことはありませんが、それでも自分の手が生みだしたものを見て喜び、何度も繰り返します。
これは学習や文化というよりも、本能的な活動だといえます。
ヒトは何かを生みだし、自分の内側を表現したい動物なんだと思います。


表現活動が本能だとしたら、それもまた人間脳より深い部分であり、2歳以前の発達だと言えます。
ですから、私は特にノンバーバルな子、言葉で表現するのが十分ではない子に対して、表現活動を提案することが多くあります。
それは絵や工作だけではなく、音楽でも、ダンスでも、作文でも、良いのです。
ただその提案をする際、本人の資質とご両親、また祖父母の資質を参考にしています。
音楽が好きな親御さんの子は、音楽系が良いでしょう。
親御さんが楽しめるということは一緒に楽しむことができ、続けられるし、資質として引き継いだ可能性がある。
さらに、その子を見て、手を動かしたい子なら打楽器系を、全身を動かしたい子はダンス系を、聴くのが好きな子なら自分の好きな曲をアレンジしたり、好きな曲を選び、オリジナルのアルバムを作ったり、批評したりすることを提案していきます。
ちなみに私は母方が代々ずっと海のそばで生活してきた人で、父方が代々山の中で農家を行ってきた人。
ですから、土をいじり形を生みだすことが好きで、そこに必ず水を引いていたのは、何らかの資質か、受け継いだ心地良さがあったのでしょう。
そういえば、母は若いときからずっと陶芸を趣味で行っていましたね。


つまり、表現活動という本能に資質がにじんでいく感じです。
本能というのは快の感情に直結した活動だといえます。
快とは心地良さに言い換えられ、その心地良さを感じているとき、私達はドーパミンが放出されます。
で、そのドーパミンが放出される前に行っている活動の神経回路が強化される。


単に表現活動を行うだけではなく、そこにその人の資質が入っているとき、ようするに自分の資質に合った表現活動をしているとき、豊かな神経発達が生じるのだと思います。
ですから、音楽好きのご家族が一緒に演奏をするようになったあと、お子さんの学力が伸びたり、身体を動かすのが好きなご家族が一緒に運動をするようになったあと、お子さんのコミュニケーションが発達したり、食べるのが好きなご家族が一緒に料理をするようになったあと、社会性の面でググッと伸びたりしたのでしょう。
あるご家庭は、おじいちゃんが陶芸が趣味で、お子さんも一緒に陶芸遊びをしたら、集中力が付いたということもありました。
あと、運動は表現活動に思えないかもしれませんが、自分の身体を使って「動き」という表現をしているように見えることがありますね。


ノンバーバルな子、言葉に遅れがある子、場面緘黙がある子にとって表現活動は、心の解放に繋がるので、心身の安定に重要だと思います。
そして発達障害の子どもだけではなく、すべての子ども達にとって、いや大人たちにとっても、資質に合った表現活動、創作活動は、本能+資質で心地良さと繋がり(ドーパミンの放出)、神経発達を促すことになるのだと私は考えています。
「よく遊ぶ子は、よく育つ子」と言われるのは、子どもの遊びの中にその子にとっての表現活動が入っているからでしょう。
また子どもの「名もなき遊び」の中にも、同様の『本能+資質=心地良さ→神経発達』という流れが生じていると私は連想するのです。


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2021年9月9日木曜日

【No.1191】不安で促す専門家ではなく、希望で行動を後押しする発達援助者でありたい

下の子が通う保育園は、昨年から一度たりとも子どものマスク着用は求められていません(しかも子どもは誰一人していません)。
今朝も送りに行くと、秋晴れの中、園庭で遊ぶ子ども達は元気よく声を出し走り回っています。
子どもが風邪などの病気になるのは当たり前。
何よりも遊びと食事で生きていくための土台を築いていく方が大事。
そんな考えのもと、園の先生たちは素晴らしい保育をされています。


一方で上の子は公立に通う小学生。
定期的に「子どもを感染から守るため」「子どもの命を守るため」というもっともらしいことを言いながら保身まみれのプリント、要望をしてきます。
子どもの命を守るというのなら、下の子が通う保育園のように自然に免疫訓練をし、また貴重な子ども同士の学び合い、遊びを尊重してたくましい人間を育てていく方がよっぽど子どもの命、100年時代を生きる子ども達の健康と人生を大切にしていると思います。
現在の日本の状況は保身まみれの政治家、専門家と、それに従う自らの頭で考えられない大人たちが招いている人災です。
その本質がわからず、また子ども達に考えることを放棄させるような学校教育がなされいるのです。
我が子には自分の頭で考え、判断することが大事だと伝えていますので、決して「先生がいったから」「お父さんが言ったから」というだけでは行動してはならないと言っていますので、適宜マスク等を外し今の生活を送っているようです。
とにかく北海道の子ども達の学力が低い理由がよくわかります。
保身まみれのバカ教育委員会、学校ばかりなのですから。


近頃では相談メール、発達相談の依頼の際、「新刊、注文しました」とおっしゃってくれる人が多くなりました(誠にありがとうございます!)。
このような親御さん達は新刊を読んでくださったあと、実際の発達相談を受けられる流れになりますので、私が伝えたいこと、また発達援助、子どもの発達状態を見抜く視点をより深く理解できると思います。
もちろん、過去に私の発達相談を受けた方にとっては、発達相談+報告書+新刊となりますので、我が子の発達・成長の意味を理解し、更なるアイディアに繋がるきっかけになると思います。


浅見さんとの対談、新刊制作の過程の中でお話しさせていただいたことでもありますが、この仕事の始まりは、学生時代にふと思った疑問です。
どうして同じ子を育てる親なのに、障害を持っている子の親はこんなにも子育てを楽しめないのだろうか、自由に子育てを行えないのだろうか、普通の子育ては否定されないといけないのだろうか、という疑問です。
それからキャリアを重ねていく中で見えてきたのは、専門家、支援者という人達が親御さんに対して不安を使ったコントロールをしている姿になります。


目に見える障害ではない発達障害です。
ですから、単なる個性、発達途上と思える分、発達の遅れや障害を指摘されたときの親御さんの心境を大きく揺れ動くのだと思います。
そういった状況の中、年端もいかない子どもと、親になって数年しか経っていない親御さんを前に、「風邪のようには治らない」「一生支援が必要な子」「すぐに療育を始めないと、後々大変になる」など、さらに不安を煽るような言葉を投げつける専門家。
どうして支援を使いながらうまく育っていく子、発達障害かと思ったけれども、診断が外れるくらい発達成長し普通に育っている子の話はしないのでしょうか。
専門家というのは、親御さんに考えてもらう情報を提供するまでが仕事だと思うのです。
どちらか一方の意見や情報だけを用いて誘導するのは、しかも不安を煽って誘導するのは、専門家とはいえません。
できるだけポジティブな方向へと向かうような手立てを行うのが専門家の役割で、みなを不幸にするのは違います。


診断で将来の不安、幼児期は就学洗濯の不安、就学後は思春期の不安、思春期は進路の不安、卒業後は親なき後の不安。
こうしてみると、ずっと不安を煽られて子育てをしなければならないのが親御さん達を取り巻く状況だといえます。
ですから、私はそんな親御さんの不安を少しでも解消できるような仕事がしたいと思い、今の仕事を行っています。
私の発達相談を受けたあとのお話として、「この子の発達障害がわかって、初めて前向きな気持ちになれました」とおっしゃる親御さんは少なくありません。


私は不安ばかり煽るギョーカイだからこそ、敢えてポジティブな話をしているつもりはありません。
ただ神経発達の知識とこれまでの経験の中から今の課題を見つけ、どうしたら発達を後押しできるか、どのような刺激が発達に繋がるかを客観的にお伝えしているだけです。
私の感覚で言えば、当たり前のことを当たり前に伝えているだけ。
なので、いまだにギョーカイはヒトの発達を知らずに「発達支援」と言っているのか、親御さんの不安に付け込み、支援の利用、継続を狙っているのか。


親御さんにとっては「やりようがある」というのが希望になると思います。
しかしギョーカイは「やりようがない」ゆえに「支援を受けましょう」という論理で誘導しています。
本当にやりようがないのか。
親が課題をクリアしようとするのは、我が子の発達を望むのは親御さんが障害受容していないからなのか。
それは一方からみた視点であり、意見です。


コロナに関する情報も、「これはデマだ」「あれはデマ本だ」「あいつはトンデモだ」などとあらゆる人達がレッテル貼りをしています。
でも、100年後の未来から見たら、今デマと言われていることが正しかったり、今正しいと言われていることが間違っていたりするのではないでしょうか。
少なからず科学と言うものは、そうやって正しいと考えられていたものが否定され発展してきたし、これからも発展していくと思います。
なので、一人ひとりが今、ベストだと思う選択を考え、行動していくことが大事。


そのためには、やはり不安で行動を促すよりも、希望で自らの意思で動くようにしていくことが良いと思います。
私の仕事は、親御さんが子育ての中で、自分たちでできることを伝えていくこと。
それが親御さんの希望になり、そして前向きな子育てのエネルギーとなれば、これ以上嬉しいことはありません。
そんな気持ちを込めて本づくりに携わってきましたので、新刊を楽しみにお待ちいただければと思います。
明日からは東海地方への不要不急の出張なので、新刊同様、お会いする皆さま、どうぞよろしくお願い致します。


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