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5月, 2019の投稿を表示しています

手づかみ食べは、単に手先の使い方の練習のみならず

以前にもブログに書いたような気がしますが、とても重要なことなので、私はそう考えているので、改めて「手づかみ食べ」について書こうと思います。 実際、私とのセッションを行ったご家族の中には、「手づかみ食べしていましたか?」ですとか、「手づかみ食べが足りなかったようですね」「今からでも、手づかみ食べを」という具合にお話しさせていただいた方達がいらっしゃると思います。 必ず確認するわけではありませんが、特に口や手で情報を得たがっている、味わいたがっている雰囲気を感じた場合に、そんな話をさせてもらっています。 (*このあたりの話は 『口の時期、手の時期、足の時期』 をご覧ください) では、何故、手づかみ食べが重要なのか。 いきなり結論ですが、手づかみ食べは、口の時期と手の時期を結ぶ懸け橋だからです。 胎児期2ヶ月から口の周りの触覚を発達させていきます。 それ以降、お母さんのお腹の中で、羊水を飲んだり、自分の手や指をしゃぶったりして育てていく。 誕生後も引き続き、おっぱいを吸い、自分の手足指をしゃぶり、いろんなものを口の中に入れて感覚、機能を育てていきます。 そうやって自分の口で、いろんな刺激、情報を味わい尽くし、探索しつくしたあと、今度は手でいろんな刺激、情報を味わい、探索する時期に移行していくのです。 その移行を助けるのが、いや、口で得た情報と手で得た情報を連結させるのが、手づかみ食べだといえます。 イメージで記せば、「刺激→口→脳」から「刺激→『口↔脳↔手』」という感じです。 食べるという行為は、本能的な行動ですので、大いに脳を刺激し、育てます。 1歳半前後まで、主に口周辺の触覚や口の中の感覚で、食べ物の形状や状態などを捉えていました。 しかし、手足が動かせるようになり、自分で食べ物を口に運ぶことができるようになると、本能的な行動ですので、自らどんどん行うようになります。 これが手づかみ食べ。 自分の手で触ったり、掴んだりすると、その情報、刺激が手を通して脳に運ばれます。 グチャッとする感覚や固い感覚、大きい、滑りやすい、掴みやすいなど、とにかく多様で複雑な感覚。 同時に、その食べ物を口に運ぶと、手で感じた情報、感覚が、口の中でも生じるのです。 手で感じた刺激と口で感じた刺激の結びつき。 そうなると、脳内でネットワー

「治るか治らないか」よりも大切な親心

おもしろいことに、ある意味当然だといえるのですが、私のところに相談、アクセスしてくる人の中には、「治る」と思っていない人もたくさんいます。 いろんな場面で、私は「治る」と発信していますが、それでも、「そんなわけはないよね」と思いながらも、相談にいらっしゃるのです。 「治る」と発信している私のところに、「治る」を信じられない人が訪ねてくる。 本来なら、その方達は治らないと思っているのですから、別のところに行けば良いものを。 じゃあ、何故、わざわざ相談先に選ばれるのか。 それは、皆さん、特に親御さん達の多くは、我が子を支援や配慮ではなく、育てたいと思っているから。 それに、全部が全部治らなくても、部分的には、ある点に関しては、育んでいけるし、治っていけると思っているから、だと感じます。 ですから、「治る」という表現には共感できないけれども、「発達を後押ししていく」「支援ではなく、子育ての中で発達を促していく」という考え方とそのアイディアに共感されるのでしょう。 最初に扉を開けたとき、「治らない障害」という言葉に衝撃を受けるとともに、なんだか腑に落ちない感情が残ると思います。 本当に、我が子に見られる状態や行動が、すべて特性であり、その子の持って生まれた資質なのだろうか、と。 特に、2歳や3歳など、幼い頃に診断名を告げられた親御さんは、そのように思うはずです。 実際、いろんな親御さんから、そのような当時の疑問、モヤッとした気持ちについてお話を聞きました。 しかし、現実問題として、その子の状態や行動の理由が特性なのか、未発達なのか、生活や環境の影響か、脳や身体、内臓の課題なのか、を見極めることは、とても難しいといえます。 現在の診断は、医師の問診と視診で行われています。 血を採るわけでも、脳波を撮るわけでもなく、今、目の前の状態と行動から判断する。 ガンなどの病気や、染色体、身体的な障害とは異なり、それくらい曖昧なものなのです。 客観的なデータではなく、主観の入る余地のある曖昧な診断。 だからこそ、本当なら、その告知も、その後の特別支援の世界での捉え方も、もっと曖昧なものであるはずです。 でも、何故だか、最初から「治らない障害」と告げられてしまうし、その後の療育、支援、学校も、「治らない障害」前提で進んでいく。 もちろん

侵食する自閉症の概念

「生涯に渡る支援が必要」だと告げられた人が、「その症状は、障害特性だから。治るとかの次元じゃないから」と告げられた人が、その告知を覆すように治っていく。 そうすると、決まって偽物説が出てきます。 私は、その様子を見聞きし、いつも怒っています。 そうやって本人には、より良くなるための可能性があったのに、それ自体を否定した人間がいたことに。 そして何よりも、まず先に口から出てこなかった「良かったね」の一言に対して。 悩みを抱えている人が目の前にいる。 その悩みを抱えている人をサポートする仕事を私はしている。 だったら、人工的な、便宜上の診断基準に乗っかるかどうかよりも、目の前の人が喜んでいれば、今までよりも良い方向へ進んでいけるのなら、心から「良かったね」「私も嬉しいよ」という言葉が出てくると思うのです。 エビデンスや診断基準のために仕事をしているのではないでしょう。 そういったものを守るために、目の前にいる人が良くなっていく姿を共に喜べないのなら、そもそも人を支援する仕事に適していないのだと思います。 どんな方法でも、私が直接関わりのない人でも、「良くなった」「治った」という話を聞けば、嬉しくなりますし、それ自体が励みにもなります。 世の中に良くなった人がいて、治った人がいる。 それだけで、私が関わらせてもらっている人達も、同じように可能性があるのだと思えるのです。 だからこそ、ますます関わっている人達が良くなるように、治るように、自分も頑張ろうという意欲が湧いてきます。 時折、私が関わった人で「治った」というと、冒頭のように「もともと違った」「偽物だった」という人がいます。 しかし、私に対するその言葉は、褒め言葉だと感じています。 だって、「治る」は肯定しなかったとしても、良くなったことは認められているのだから。 私にとっては、目の前にいる人が本物(?)でも、偽物(?)でも、どうでもよいのです。 「一年前より良くなったね」「〇〇ができるようになったね」「この部分はとても成長したね」 それだけで、私が果たす役割は十分なのですから。 極端なことを言えば、治った人は、みんな偽物で良いと思います。 偽物をどんどん治していけば良いのですから。 そして何よりも、自分たちが言う偽物すら治せない人よりも、ずっと良い。 本

土台の発達が満たされた結果、次の発達が始まる

身辺自立の遅れや運動発達の遅れは、どちらかと言えば、周囲の対応が遅くなりがちです。 お漏らしやおねしょは、小学校に上がってもしている子はいますし、幼児の場合は親が、大人がささっと対応してしまえば、大事になることはありません。 同様に、「運動が苦手」「手が不器用」に関しても、個性の範疇に見られがちです。 しかし、言葉の遅れは異なります。 やっぱり、どこかで、「言葉が遅いのは、この子の個性」と思うには難しくなる時期がきます。 だからこそ、相談でいらっしゃるご家族の半分くらいは、「言葉の遅れ」に関することです。 「言葉の遅れ」に関して、家庭で何も気にせず、何もせず、ということはありません。 皆さん、読み聞かせを一生懸命やられたり、「〇〇ちょうだいは?」などの促しをやられたりしています。 当然、身近な方たちから助言も貰っていて、「いっぱい話しかけたらいい」ですとか、「顔を見合わせて口の動きを見せたらいい」ですとか、言葉が出るような促しをされています。 でも、なかなか思うような変化が見られないから、相談に至るという場合が多いといえます。 当然、言葉の遅れですから、言葉や音声、口に注目が行きがちです。 私も、若手の頃は、同じように思っていましたし、支援の方向性もそのようなものでした。 でも、いろんな方達と関わらせてもらう中で、言葉の遅れに言葉で対応しても、なかなかうまくいかない、ということに気が付きました。 むしろ、言葉ばかりに注目するのではなく、それ以外の部分、発達こそが言葉、発語につながると考えるようになったのです。 主に施設で働いていたときですが、自閉症の特性だけではなく、知的障害の程度も大変重い方達と関わってきました。 確かに、身辺自立に関しても、身につく年齢が高かったり、身につくまでの支援や練習の回数、年数が長かったりすることがありますが、大人になっても未自立、まったく身につかない、という方はほとんどいませんでした。 発語はなかったけれども、教科学習などは困難だったけれども、ちゃんとトイレで排泄し、ちゃんと自分でごはんを食べ、夜になったら自分で寝ている人はたくさんいました。 しかし、発語はあるけれども、身辺自立がまったくできていない人はいませんでした。 発語がある人は、身辺自立もできている。 つまり、何が言いた

口の時期、手の時期、足の時期

今朝、下の子がお兄ちゃんのちっちゃなオモチャを引っ張りだして、遊んでいました。 以前ですと、なんでも口の中に入れてしまっていたので、飲みこんでしまえる形態のモノは、すぐに取り上げていたのですが、今はその心配はありません。 口で情報を得る時期は完了したようです。 口の周りの触覚は、胎児期の2ヶ月目より発達し始めます。 そして、何でも舐める時期が治まってくるのが、生後1か月半くらいから。 ということは、だいたい2年間をかけて、口の周り、口の内側や舌の感覚を育てているともいえます。 胎児期の初期から発達し始める感覚であり、誕生後も、物事を把握する主として、じっくりじっくり育てていく部分。 こういったところからも、ヒトの中には爬虫類の記憶があり、何よりも“食べる”生き物なんだと感じます。 口の時期を卒業すると、次は手の時期になります。 とにかく手を使い、手の平、指先、手全体で情報を得る。 危険なもの、汚いものは関係なく、とにかく何でも触って確かめようとする。 まさに、その姿は、なんでも口に入れるが、なんでも手で触るに変化しただけ。 でも、脳や神経の発達からいえば、とても大きなステップ。 ヒトは、手を使うようになったから、脳が大きくなったとも言われているし、言葉や言語を使えるようになったとも言われています。 そして、いろんなものを触って、手で情報処理する時期を卒業すると、足の時期になる。 手で情報を得なくても、他のもので情報を得られるようになれば、手は自由になります。 手が自由になったということは、地球との接点は足だけに。 足で地球を感じる。 歩きまわれるようになった頃の幼児さんは、水たまりを見つければ、引き寄せられるがのごとく、突入していきます。 あれは、ピシャッという水しぶきを見ているようで、本当は足から感覚を得ようとしているようにも見えます。 何故なら、この時期の幼児さんは素足でも、水や泥を見つければ、突入していくから。 それに、足の裏についたちょっとの砂や土に大きく反応しますし、足で親の身体に触れたり、モノを触ったりするので。 足の裏で情報を得ようとする時期が完了すれば、足は重力との唯一の接点へと変わっていきます。 足は、重力で地球と繋がる。 このように、「口から手へ」「手から足へ」と情報を感じとる部

神経がむき出た状態

周産期医療に関する本を読んでいますと、「神経がむき出しの状態」という表現が度々出てきます。 特に、課題があって産まれてきた赤ちゃんや、予定よりも早く生まれてきた赤ちゃんに対して、このような捉え方をしているのがわかります。 「神経がむき出しの状態」という表現を見て、私が関わっている子ども達の中にも、「感覚過敏」「感覚の未発達」というよりも、まさに「むき出している」という表現の方が近いような子もいます。 よく特別支援の世界では、「適応させる」「適応力をあげる」などと言われますが、それ以前の課題として、神経が出ちゃっているんだから、そのまま晒されてしまっているんだから、適応云々じゃあうまくいかないといった感じです。 本当は、何か指導や支援して適応力をあげるよりも、刺激を調整しながら、温かくそのむき出しの神経を育てていく必要がある。 赤ちゃんは、お母さんのお腹の中で、感覚機能を育てていきます。 胎児は羊水の中で成長し、その胎児と羊水を3層の卵膜が包んでいます。 当然、卵膜の外はお母さんの身体があり、何重にも包まれているわけです。 そういった守られた環境の中で、変化や刺激の少ない環境の中で、じっくりじっくり感覚機能を育てていきます。 だけれども、何らかの理由で、神経がむき出しのまま、生まれてくる赤ちゃんがいます。 もちろん、実際に神経がぴろっと外に出ているわけではないですけれども。 そういった場合、まずは刺激を統制する必要があると思います。 胎内の環境と比べて、出生後の世界は、比べられないほど、強い刺激と様々な刺激、そして変化に溢れています。 もし、胎児期の育ちが足りなかった子が、そのまま外の世界で生活しようとすれば、刺激に圧倒され、その刺激の意味を捉える、認知する段階までいけないはずです。 自閉症の人達に見られる“こだわり”の中には、自分なりに刺激を統制し、圧倒されないような自己防衛をしている場合もあると感じます。 脳内の情報処理の関連で語られることもある“こだわり”でもありますが、まさに「むき出しの神経」がそうさせている、そうせざるを得ない身体を持っている、とも考えられます。 実際、施設でも強いこだわりを持つ方は、強い感覚過敏を持っていた、ということがありました。 知的障害も重い方達が多かったですが、今思えば、本能的に胎内

専門家が思う最適な方法であって、『答え』ではありません

偉大な記録を樹立し続けたイチロー選手。 そのイチロー選手の打撃理論を否定する人もいます。 当然、イチロー選手と同じことをしても、メジャーで活躍できるとは限りません。 それくらい、野球のバッティングは、個人差があるということ。 私も高校時代、監督、コーチ、OB達から、バッティングについて指導を受けましたが、皆さん、言うことが違いました。 一人ひとり体型も違いますし、筋力も違います。 打席に立った感覚やボールの見え方だって違う。 だからこそ、指導する側も、自分の身体、感覚を通して感じたこと、考えたことを伝えているわけです。 どう頑張っても、自分の身体を軸に物事は展開するのです。 親子ですから、似ているところがあるのは自然だといえます。 でも、どう頑張っても、我が子と同じ身体、感覚にはなれません。 へその緒でつながっていたとしても、胎児期からすでに別の独立した個体同士です。 我が子とは言え、別の身体、感覚を持った他人ですので、自分に良かったこと、効果があったことがすべて当てはまるとは限りません。 だからこそ、子どもさんをしっかり見ることが重要です。 すべての答えは、そこにあります。 「良い表情になった」「自ら求めてきた」「変化があった」 それが答えであり、我が子からのメッセージです。 我が子を愛するが故、子育てを頑張ろうとするが故、専門家から一生懸命学ぼうとされます。 そして学んだことを、子育てに取り入れ、実際に行ってみる。 そうすると、我が子が応じなかったり、うまくいかなかったりすることもあります。 子どもは日々、変化するものですし、何より生きていますので、それは当然だといえます。 しかし、「すごい先生から習ってきたんだから」という想いから、教わった通りにできるように、と自分を変えようとする。 「私のやり方がまずかったんだ」「私がちゃんとできていないから、我が子は応じないんだ」 そんな想いが積み上がっていくと、いつしか、真正面に見ないといけない我が子の姿から、視点が徐々に自分に、そして教えてくれた専門家の方へ移っていきます。 すると、子育てが支援になり、親が支援者となる。 専門家というのは、一言で言えば、原理原則を知っている人だといえます。 発達の流れや順序、身体、神経の繋がり、といった原理原則

「うちの子も、治ったんだから」

ありがたいことに、数年に渡って、交流させていただいている方達がいます。 定期的にお会いしたり、メールでのやりとりを通して、お互いの近況報告や、ときに一緒により良い方法を考えたりしています。 交流させてもらえる時間が長くなるほど、子ども達の変化だけではなく、親御さん達の変化にも気がつきます。 最初の頃は、切羽詰まった感じ、将来の不安で苛まれている感じがしていて、我が子、いや、正直、自分のことしか見えていなかった親御さんもいらっしゃいます。 それは当然ですし、自然な姿だと思います。 でも、少しずつ頭と気持ちが整理されてきて、そして何よりも、我が子にちょっとでも良い変化が見られてくると、親御さん自身も定まってくる感じがします。 表情や雰囲気、声や文面に、「定まり」を感じると、そこから一気に進んでいくような印象を受けます。 子どもさんが季節や変化に翻弄されたり、良くなる⇔悪くなるを繰り返すのは、発達の土台が不安定だから、という理由もありますが、親御さん自身が定まっていない、という場合もあります。 案外というか、それが自然だといえるのかもしれませんが、親子はやっぱりシンクロします。 「子どもが大変なんです」と言っている、その親御さんの方が大変だったりするのは、よくあることです。 私は、家庭支援を中心に仕事をしていますが、親御さんが定まれば、ほとんど仕事は終わったようなものです。 上記のように、親御さんが不安定だと、お子さんも不安定になることもありますが、反対に、親御さんが「これだ!」と定まったあとの凄まじさはありません。 他人の子がどうだろうとも、専門家がとやかく言おうとも、「私は信じる道を行く」「私は、この子の成長と自立と幸せのために、なんだってする」と腹が決まる。 そうすると、不思議と子どもさんも落ち着いてきたりするのです。 本人を抜かして、一番側にいる環境である親御さん、家族。 その親御さんが定まると、子も定まり、共により良い方向へ向かって走りだします。 親御さんが後押しし、それにお子さんが応える。 子どもの成長を感じられるから、ますます後押しが頑張れる、そういった良い歯車が回りだす。 でも、最初の最初、不安定な親御さんには、ちょっとでも良い変化を感じられることが大事です。 そのとき、子どもさんの力を信じるのも良

良いものをパクり、パクったものをお渡しする

「大久保さんから教わったこと、お友達のお母さんに教えちゃいました」と言われることがあります。 このようなことをおっしゃる親御さんは、なんだか申し訳ない感じがしているのかもしれませんが、全然気にしません。 むしろ、大歓迎です。 もちろん、「その知識や情報は、〇〇さんのお子さんに合わせたものなので、他の方に合うかどうかはわかりません」と伝えるようにしていますが。 私が書いたレポートやメールを、他の親御さんや先生、支援者たちに見せるのも、問題ありません。 なにかヒントや考えるきっかけになるのでしたら、嬉しい限りです。 事業を起ち上げたときの願いは、家庭で、子育て、親子の関わり合いの中で、より良く子ども達を発達、成長させてもらいたい、ということ。 ですから、間接的にでも、たとえお会いすることがなくても、同じ時代を生きる子ども達がより良く育ち、将来、社会の中で自分の資質を活かしながら生きていってもらえたら、それで良いのです。 「こんな話、情報、知識を教えてくれる人はいなかった」などと言われることもありますが、元を辿れば、私の知識、技術は、素晴らしい実践家や先輩ママ(パパ)達、そして本人たちから教えてもらったこと、気づかせてもらったことです。 一瞬、「自分のオリジナル」なんて錯覚することがありますが、それはただ自分が過去を忘れていただけだと思っています。 私にオリジナルの知識や技術などありません。 ほとんどが教えていただいたことであり、ほとんどがパクリです。 パクリはパクりなりに、一生懸命パクろうと思っています。 方向性は、治る、治す、社会の中で資質を活かす。 その方向性はブレずに、いろんな視点から発達援助と向き合っています。 パクる対象は、発達障害、特別支援に限りません。 むしろ、その外側にある様々な発達との向き合い方、その視点が、多くのことを教えてくれるように感じています。 もちろん、論文等も読みますが、それ以外の書物、ブログ、講演会でのお話、生の声などからも大いに学ばせてもらっています。 いろんな情報と向き合っていますが、誰が書いたか、どんな媒体、形式で書かれているか、は意識から無くすようにしています。 何故なら、そんな表面的なことでは、内容、そのものの価値は測れないからです。 時折、「論文しか読まね~」「専門家

発達障害が生じる3段階

私は、相談者と初めてお会いするとき、まず遺伝の部分を確認します。 子どもさんに見られる特徴の中に、ご両親、または親戚に似たいような特徴を持った方がいらっしゃらないか。 当然、親子なのだから、遺伝する部分があるはずです。 親御さんが子どもだったとき、今の我が子と似た様子があれば、それは受け継いだものであり、大きくは変わらない部分でしょう。 その場合、それ自体を変える、治すというよりは、活かす方向へと導きます。 同時に、親御さんは、その特徴と折り合いを付け、また生活に支障がないくらいに、ときには長所として活かすくらいになっているわけです。 ということは、親子で重なる部分があれば、親御さんの歴史の中にその特徴を育み、活かすアイディアがあるはずです。 遺伝の部分は、親御さんに勝る援助者は存在しないわけです。 だからこそ、まず遺伝の部分を確認する。 そして同時に、明確になった部分以外は、「育てられる」と希望、可能性を見出すことができます。 治せる部分、治せない部分をはっきりさせるのは、発達援助の一歩だと考えています。 発達障害が生じる段階は、3つあるといえます。 胎児期、出生時、出生後。 低出生体重児、早産児と発達障害の関連性は、調査、研究によって明らかにされています。 身体が小さければ、胎内にいる時間が短ければ、それだけ胎内での動きが制限され、結果として発達に影響が出ると考えられます。 また背景には、母体からの栄養、または胎児の吸収の課題があるはずです。 母体の受けたストレスが、胎児の動きを制限することもあるでしょう。 しかし、胎児期の運動、刺激の問題で生じた発達の遅れは、やり直すことによって育むことができます。 現在の日本では、無事に生まれてくるのが普通のような感覚がありますが、出生時はいろんな危険がはらんでいます。 出生時の脳の神経細胞の数と大人の神経細胞の数は変わらず、同じ数ですので、もし出生時に発達障害が生じたのなら、神経細胞自体へのダメージが考えられます。 しかし、この場合も、8歳までの脳は特に柔軟性に富んでいますので、環境と刺激を整えることで、どんどん神経細胞同士の繋がりを生むことはできますし、たとえ大きなダメージを受けたとしても、そこを迂回して新たなバイパスを通すことができます。 出生後に生じる

胎児の育みのような発達援助

胎児は、お腹の中でお母さんの声を聞いたり、外の明暗がわかったりします。 ということは、感覚の始まりは、お腹の中。 じゃあ、具体的には受胎後、どのくらいから感覚の発達が始まるか、を調べました。 すると、触覚が妊娠2ヶ月より口の周りの触覚が発達。 20週までに、全身に皮膚の受容器細胞がみられ、24週には皮質の体性感覚やが発達することがわかりました。 やはり、口の周りが触覚の始まりで、重要な部分。 しかも、妊娠2ヶ月という早い時期から発達が始まる。 他にも、前庭感覚、味覚&嗅覚、聴覚、視覚という具合に、それぞれ発達の始まる時期と流れがわかります。 この中で、視覚が最後に発達を始めるのですが、それでも23~25週目に始まり、30~32週目には自分で眼を開いたり、開けたりするようになります。 このように感覚機能の発達は、妊娠2ヶ月くらいから始まり、胎児期にある程度の土台を作るわけです。 こういった事実を知ると、お腹の中で生じた発達のヌケも、ちゃんと後から育てられる、と思うのです。 だって、胎児自ら感覚を使い、感覚機能、神経を育てているのですから。 これがもし、胎児に動きがなく、ただ胎内で受け身の状態だったとしたら、それこそ、生まれつきの障害になるだろうし、出生後、あとから育てるのは不可能だといえます。 でも、そうじゃない。 そこに希望がある。 相談にこられる子ども達を見ると、やっぱり課題の根っこは、感覚の未発達、発達のヌケに繋がっていることが多くあります。 じゃあ、その感覚の始まりは、といったら、胎児の頃に繋がっている。 口の周りが過敏な子がいます。 肌感覚が過敏だったり、反対に情報が掴めなかったりする子がいます。 うまく食べ物を飲みこめない子がいます。 揺れや重力との付き合い方が苦手な子がいます。 味覚や嗅覚、聴覚や視覚が過敏だったり、反対に鈍麻だったりする子がいます。 当然、胎児期の感覚機能の発達は順調で、準備万端で出生しても、その後の刺激や環境によって、発達に遅れやヌケが生じる子もいるでしょう。 でも、胎児期の準備の時点で、足りなかった、十分じゃなかった子もいると考えるのが自然です。 だからこそ、胎児期の発達を学び、胎児の姿を想像することが、あとからその発達を育て直すヒントになると思うのです。 まだ具

「治らない」という前提が揺らぎ始めている

GWに放送されたNHKの番組(再生医療や人体Ⅱ)などを観ていると、特別支援の医療は、本当に医療なのか、と思いました。 発達障害が疑われる子を診断する。 衝動性や心身の安定、睡眠に対症する薬を処方する。 確かに、これらは医師にしか認められていない医療行為です。 でも、そこには医療としての大事な視点が入っていないような気がするのです。 それは、「治す」という視点。 脊髄損傷やエイズなど、現在医療では治せない病気は、たくさんあります。 しかし、治せないと言われている病気に対し、懸命に治そうとしている人達がいます。 それが医療関係者。 今までにも、治らないと言われてきた病気が医療の発展により、治るようになりました。 もし、当時、治らないと言われていた病気に対して、「どうせ治らないんだから、研究しても無理。治そうとするなんておかしい」と、治すこと自体を諦めていたら、今も多くの病気が治らないままだったといえます。 医療機器、技術の向上、iPS細胞などの再生医療などによって、治せなかった病気に対して、日夜立ち向かっている人達がいます。 その人達は、「今は治らないけれども、きっと治す方法がある」と思い、心血を注いでいるのだと想像します。 その人達に対して、誰一人、おかしいとは言わない。 むしろ、それが自然な姿だと思う。 何故なら、医療の出発地点は、「治したい」という想いだから。 医学が確立されていない時代も、医療行為はなされていました。 それが時代と共に、科学的な意味の医学に変わっていった。 医学の始まりは、目の前の一人の患者さんだったはずです。 その患者さんが良くなった、治った。 そして、その理由を探っていった。 その積み重ねが、医学へ進歩させたのだと思います。 今まで治らないと言われていたけれども、治った人がいた。 だったら、その人と徹底的に向き合い、何故、治ったのか、理由を見つけるのが医療だと思うのです。 それなのに、特別支援の世界の医療は、最初から「治らない」と言い切ってしまう。 現代医療では、発達障害になった原因を特定できないのにも関わらず、年端もいかない子どもを前に、言い切ってしまう。 せめて、「今は治らないけれども、将来、治せるようになるかもしれない」と言ってほしかった、とおっしゃる親御さん達は少なく

神経細胞の数ではなく、繋がりを変えるという戦略

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新生児の脳の重さは400gで、大人の脳は1,400g。 1歳になる頃には、800gになると言われています。 1年間で、脳の重さが2倍になったのだから、神経細胞が2倍に増えたと感じるかもしれません。 でも、神経細胞の数は、生後増えることはありません。 つまり、新生児も、1歳児も、大人も、みんな、同じ数。 ちなみに、ヒトの脳の神経細胞は、生まれたときに全体で1,000憶個あり、そのうち、大脳新皮質には140憶個の神経細胞があります。 じゃあ、脳はなぜ、重くなるのか? それは、神経細胞と神経細胞の間を連結するシナプスが増えるから。 生後、外の環境からの刺激によって増えていくのです。 繋がりを増やすことで脳は大きくなり、繋がりが増えるということは、感覚、動作、認知の発達だといえます。 生後、1年間は、もっとも脳が育つ時期だといえるでしょう。 その最も脳が育つ時期、劇的な発達を見せる時期に、「なんの問題もなかった」「特に変わったことはなかった」「むしろ、順調に育っていた」と言われる子ども達が少なくありません。 「おっぱいを吸うのが難しかった」となれば、胎児期の発達に根っこがあると考えられます。 早産や未熟児だったとなれば、当然、お腹という環境の中で行うべき発達や栄養が足りなかったとなるので、その影響が生まれたあとに出るのは自然だといえます。 明らかに「ご本人さまですね」という親御さんなら、遺伝の影響が考えられます。 おっぱいを吸うのも、運動発達も、親との交流も、順調に育っていた。 特に、胎児期、出生児にトラブルがあったように思えない。 親御さんや家族、親戚に、同じような特徴を持った人がいるわけではない。 でも、「1歳を過ぎたあたりから…」「2歳になっても言葉が出ず…」という子ども達がいます。 それも珍しい話ではなく、よく聞く話なのです。 順調に1歳、2歳まで発達する子ども達に遅れが出る。 この子達は、確かに発達に遅れが出るので、発達障害の子ども達なのだと思います。 しかし、じゃあ、先天的な障害か、と言われれば、そうではない可能性が高いといえます。 だって、先天的な障害だとしたら、少なくとも、新生児、赤ちゃんの時点で、何らかの課題が生じているはずだから。 超早期診断というのもありますが、そのマーカーに引っかからない

親次第で子は変わる

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中学生の親御さんとお話したら、塾に行っている子と、いない子では、いない子の方が成績が良いということでした。 実は、以前にも同じことを学校の先生から聞いています。 塾に通っている子は、通っているだけで満足している。 その点、自宅で家庭学習をコツコツやっている子は、自分で考えること、自分で積み上げていくことの大切さを知っているから、きちんとした学力がついていく、と。 結局、中学生くらいになってから、「いざ、家庭学習」「いざ、自分で計画立てて勉強」といっても、できるようにはなりません。 ということは、もっと小さいときからの取り組みが大事。 小学生の頃から、親御さんが手をかけ、目をかけ、学ぶ姿勢を育んでいく。 最初からできるわけはないのですから、ある意味、親次第といえるのだと思います。 ちなみに、運動系の部活をやっている子の方が成績が伸びる、とも言っていました。 これは当然ですね。 神経は全身に張り巡らされているのですから。 考える土台は、神経の育ち。 こんな話をしていると、塾が児童デイに聞こえてきます。 児童デイに通わせていることだけで満足してしまう親御さん。 療育に通っていることだけで満足してしまう親御さん。 有名支援者とつながっていることだけで満足してしまう親御さん。 療育や児童デイにびっしり通っている子ほど、状態像が変わらないのは、支援者の腕もあるでしょうが、目的がはっきりしないまま、受け身的に通う、通わせていることに課題の根っこがあるような気もします。 発達障害になるのは、親御さんのせいではないかもしれないし、そもそも我が子が発達障害になってほしいなど、望む親御さんはいないでしょう。 しかし、なるのが親御さんのせいではなくても、その予後、発達、成長には大いに影響し、関係があるといえます。 だって、本人を抜かせば、一番側に存在する環境は親御さんだから。 神経の発達には、栄養と刺激が関係する。 その栄養を提供するのは(胎児期から)親御さんだし、一番の刺激も親御さん。 1970年代までは、両親のNICU(新生児特定集中治療室)への入室に厳しい制限がありました。 しかし、退院が近づいても子どもを連れて帰りたがらない親御さんや、退院後の育児放棄や虐待が多いことがわかり、それから徐々に親と子の関わりを重視する方向へ

支援そのものを問う

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私が20代の頃、自閉症支援の創成期の人物と関わりのあった時期がありました。 その人物は、それまでの介護を支援へと変えていった中心の一人であり、いわゆるレジェンドと呼ばれるような人でした。 そして近頃、そのレジェンドから言われた言葉、教えられたことを思いだしています。 「大久保くん、排泄の自立を教えていくのは、私達、支援者が行うべき支援なのか」 「食べること、身辺自立に関わること、生きていくことに必要な基本的なスキルを身に付けさせるのは、本当に自閉症支援なのか」 いつからか、自閉症支援の名の元に、家庭が担う部分、子育ての範疇のことまで、支援者が手を出すようになってきた。 それと同時に、親の方も、子育ての部分まで支援者に丸投げしようとする姿が見られるようになってきた。 このレジェンドから教わった時期は短かったですが、このままでは家庭の養育力を奪ってしまいかねない、自閉症者の自立を促すための支援が、反対に自立を妨げる危険性がある、と繰り返し言っていたのが印象に残っています。 また海の向こうのレジェンドと直接、お話しさせていただく機会があり、そのときも、「日本人のあなたにも聞いてもらいたいことがある。アメリカでは最近、どんどん自閉症の範囲を広げ、増やそうとしている動きがある。本当に嘆かわしいことだ。普通の人として育つ子ども達まで障害者、支援の対象者になってしまっていく」と仰っていました。 奇しくも日米の最前線で、自閉症介護から支援へと押し上げてきたレジェンドが同じことを嘆いていたのです。 本人が困っていることに対してサポートするのが支援であり、その支援の目的は、本人の自立である。 家族と支援者は協力し、チームとして役割を果たしつつ、本人の自立を後押ししていく。 自閉症支援を作った人達は、支援が増えていくことも、支援対象者が増えていくことも、望んではいなかった。 一般社会の中で、自立して生活していけるために、それまでの隔離、介護から支援へと変えていったのです。 このようなレジェンドたちの想いは、その姿と共に、見えなくなりました。 今の特別支援は、どうでしょうか。 レジェンド達が危惧していた方向へと進んでいないでしょうか。 早期発見は、良いことだと思います。 しかし、2、3歳の子ども達に発達障害という診断名をつけたあと、本当に

子どもの発達を守り、促している最前線の人達

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近頃、産科医が書いた本や、周産期ケアや新生児医療に関する医学雑誌等を読んでいます。 医師や看護師が、どういったところを気にかけ、確認し、どういった治療とケアを行っているのか。 特に、早産児や低出生体重児への治療、ケアについては興味深い内容ばかりでした。 医療従事者でもない私が、せっせと医療従事者向けの専門誌を集め、読んでいるのは、そこに神経発達を後押しする知見があると思ったから。 私が仕事で出会うお子さん達の中には、食べ物を呑み込むのが苦手な子、口周辺の感覚が過敏な子、口がぽかっと開いているような子が多くいます。 こういった様子を見ていますと、おっぱいを吸う姿を連想します。 胎児期は、お母さんの胎盤から栄養を貰っていた子が、出生後からは口から栄養を摂ることになる。 ここの切り替えがスムーズにいかなければ、当然、発達に影響は出ますし、何よりも、生命維持に関わる重大な話になります。 ですから、胎児期には、おっぱいを吸う練習、そのための発達が行われている必要があるのです。 実際、胎内での吸啜運動の芽生えは胎齢3週に始まり、胎齢17週には嚥下運動も始まるそうです。 そして出生のときまで、羊水を飲むことを通して、口や舌、喉の筋肉や感覚を育て、おっぱいを吸う準備を行う。 さすがに出生後の命にかかわることなので、このような胎齢3週目から胎児でいる間の時間を目一杯使って育てるのだと感じました。 そのため、産科医や看護師にとっても、新生児のおっぱいの吸いは、重要なチェックポイントになっているそうです。 おっぱいの吸いがうまくできなければ、栄養面でのケアをしなければなりません。 それと同時に、どうしておっぱいが上手に吸えないのか、その原因を調べていくとのこと。 当然、おっぱいの吸いが悪いということは、出生自体に問題がなければ、胎児期に何らかの原因の芽があったと考えられます。 おっぱいを吸うための練習が足りなかったのか、胎児期の神経発達に課題があったのか。 ちなみに、触覚や前庭感覚、味覚、嗅覚、聴覚、視覚といった感覚は、早いもので妊娠2ヶ月より発達が始まります。 発達障害を持つ子ども達は、いろんな感覚に偏りや未発達の部分があります。 その感覚の発達は、胎児期に始まるのです。 でも、出生後、それこそ、大きくなってからでも、感覚は育てら