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【No.1068】凸凹がある子?全体的な遅れがある子?

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親御さんにとっては、告げられた我が子の『診断名』が重くて、大きく感じられるのだと思いますが、私達支援者は、その診断名によって助言や援助の仕方が変わったり、変えたりするわけではないので、ほとんど気にしないものです。 診断名とは、行政用語みたいなものですから、子育て・教育と同様に、結局は一人ひとりを見て、オーダーメイドで作り上げていかなければなりません。 「自閉症だから、こう」「LDだから、これ」みたいな支援は、20年前のお話です。     「発達障害」という言葉には、大きく分けて2種類の意味があると思います。 発達が"凸凹"しているという意味と、発達が"遅れ"ているという意味です。 ここが支援を創造していく上で最初のポイントになります。 単に「発達障害」というだけでは、凸凹があるのか、全体的な遅れなのかがわかりません。     凸凹がある子の場合、凹んだ部分に注目されがちですが、凸の部分が重要です。 この凸の部分を確認することで、刺激・発達の極端な偏りなのか、または発達のヌケ、やり残しなのかがわかるからです。 具体的に言えば、凸が同年齢の子以上の発達段階とレベルにあれば、刺激の偏り、脳の使い方の偏り(右脳ばかり使っている、左脳ばかり使っている)だと推測できます。 そうではなく、凸が同年齢の子と同じような発達の範囲にあれば、胎児期から2歳前後の発達にやり残しがあるよねと考えられます。     一方で全体的な発達の遅れがある子の場合は、その子の資質的な理由から発達がゆっくりであるということと、何らかのストッパーがあるために発達していけないということが考えられます。 遺伝的な要因や出生前後のトラブルなど、どう頑張っても、発達がゆっくりであるという子がいるのも事実だといえます。 そのようなお子さんの場合には、長期的な視点をもって、「とにかく小学校4年生の学力を」「とにかく自立した生活を」という具合に、コツコツ積み上げていくイメージが良いと感じます。 大事なのは、ゆっくりなペースを速めるのではなく、ゆっくりでも歩き続けるような後押しだと思います。     ただ、発達障害と言われるお子さんは、何らかのストッパーによって、うまく発達が進んでいかない場

【No.1067】子も、親も、支援者も、自立

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6月21日に予定していました『どこでも治そう発達障害の会』特別講座in函館に参加申し込みを頂いた方、また「6月以降、学校が再開してから」「緊急事態宣言が終了してから」ということでお申し込みを保留されていた方、すべての皆さんへ、中止の連絡をしました。 すると、多くの方からお返しのメールを頂戴し、残念なお気持ちとねぎらいのお言葉をいただきました。 皆さんの中にも、「開催は難しいだろう」という想いがあったようでしたので、オンライン講座への参加等、前向きに変わり、動こうとされる様子が伝わってきました。     コロナの感染者数が落ち着いてきた頃から、予定していた会場が使用できない状況を考え、動いていました。 そんな中で気がついたことは、官民問わず、変わっていこうとする最中なんだということです。 メディア等では、迅速に対応、変化できた地域や組織の話が取り上げられますが、実際、ある程度、大きな組織になればなるほど、地方で交流と財政が乏しいところは、変わるまで時間がかかります。 北海道に関しては長い間、国の中央から「どれだけお金を引っ張ってこられるか?」で進んできた地域ですので、どうしても国や東京などが動いたのを見て、指示を待ってという傾向が強くあるように感じます。 そういった意味では、最初に独自の緊急事態宣言を出した北海道知事は大きな挑戦をしたのだといえます。 ただ、その後は、旧来の勢力に飲みこまれてしまっているようですが。     北海道は、今までのような大型バスで外国からの観光客を集め、その人達に大量に消費してもらう、というモデルから転換する必要があると思います。 とにかく大きなイベントを開催して、「来道してくれる人達を増やす、それで地元にお金が落ちる」というのばかりでした。 中央からの指示と予算、モデルを元に北海道風に変えるのが独自モデルなどと言われていましたが、それではまさに年がら年中、冬の時期が続くでしょう。 知事が独自の路線を打ち出したように、私達も自分達の頭と身体で考え、行動し、真の独自路線を構築していく必要があります。     コロナによって問題が生じたのではなく、コロナによって見えづらかった問題が表に出ただけ、問題が加速しただけ、という意見に、私も同意します。 ですから、これから

6月21日(日)『どこでも治そう発達障害の会』特別講座 in 函館について

開催日時があと1か月と迫った中ではありますが、昨日の北海道緊急事態宣言継続を受けまして、会場の管理責任者と話し合いを行いました。 今回の講座には多数のお申し込みがあり、また座学のみではなく、実際に身体を動かして学び合う時間がありますので、会場の使用が難しいということになりました。 本日、講師を引き受けてくださった浅見さん、栗本さんとお話をさせて頂き、その結果、今回の特別講座の中止が決定しました。     今回の講座は、3月1日の告知からすぐに20名の参加申し込みをいただきました。 参加申し込みのメールの文面には、北海道での開催を喜ぶ声、直接、お二人のお話、指導が受けられることへの期待が綴られていました。 既にコロナの広がりが見られていた時期にもかかわらず、多くの方が期待して申し込んでいただいた事実に、大変うれしく思ったのを覚えています。 函館、道南地方以外の方からも、複数お申し込みがありました。 ですから、その期待に応えられない結果となってしまい、悲しく思っています。 講師のお二人も、函館で開催できないことを大変残念に思われていました。     先ほど、お申し込みいただいた方、お一人お一人にメールを送りました。 ただお一人だけ、お申し込み時からメールアドレスが変更になった方がいらっしゃるようで、送付できませんでした(ご家族皆さまで午前中の講座にお申し込みいただいた方です)。 このブログを読んでくださると良いのですが…。     今回の中止を受けまして、講師の栗本さんより参加を申し込まれた皆さまへメッセージを頂戴しております。     『緊急事態宣言が解除されても以前と同じような生活に戻るのには時間がかかると思います。 今後考えられることとしてオンラインの仕事や授業が多くなるので目の疲労が増えてきます。 そのために睡眠の質が低下することで精神的な問題が発生してくることが予想されます。 今以上に目の疲労をとることが大切になってくると思います』     5年、10年後、今を振り返れば、時代の転換期にあることがわかると思います。 今後の講座は、オンラインが中心になってくるはずです。 花風社さん、栗本さんは、随時、オンラインでの講座や指導を行っておりますので、是非、今回参加をお申し込みいただいた皆様、チェックしてみてください。 お送りしたメールには、情報が更新されるページのア

近畿地方の出張について(7月11・12日)

7月11日(土)と12日(日)に関西方面で出張の発達相談を行います。 既に11日(土)は訪問するご家庭が決まっていまして、12日(日)でしたら最大2家族の訪問が可能です。 もしこの機会に「子どもの発達について確認してもらいたい」「今後の子育ての方向性を一緒に話し合ってほしい」などのご希望がありましたら、【出張相談希望】と件名に書き、メールをください。 また詳細を確認したい方がいらっしゃいましたら、【出張相談問い合わせ】と件名に書き、お問い合わせいただければ、ご説明いたします。 出張相談についての内容は、 てらっこ塾ホームページ をご覧ください。 ご依頼&お問い合わせ先: メールアドレス 今年の2月、関西での出張を終え、肉まん片手に帰ってきたときには、世の中がこんなにも変わるとは思っていませんでした。 世の中が自粛や制限に溢れ、日常生活がガラッと変わってしまった状況でも、「コロナが落ち着いたら」「一息ついた頃に」というような出張のご依頼、お問い合わせをいただいていました。 すでにいくつか夏の予定が決まっており、私はそのことをたいへん有難く思っています。 今後、どんな未来、社会がやってきても、変わらないのはその子の身体であり、奪われないのはその子の学びと発達です。 それを育むご家族のお手伝い、後押しができればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします! *7月11日の午前・午後、7月12日の午前のご訪問先が決定しました(5月22日13時)。 *7月11日・12日のすべての予定が決定しました。3府県4家族のご訪問です(5月23日13時)。    

【No.1066】目は口程に発達を言う

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マスク姿での対面が通常になりつつある現在、「そういえば、目についてのブログはあまり書いてこなかったな」と思い、今、文章を書き始めています。 ヒトの発達の順序から考えると、鼻が大事で、口も大事です。 生きるために必要な空気と栄養を摂取する場所であり、危険をいち早く察知する場所でもあります。 それと比べると、順番から言って次の段階の発達が目、視覚になりますが、それでもその人の目からは重要な気付きを与えてくれるものです。     自閉症や発達障害、また子どもの発達においても、「目が合うか」は重要なポイントになります。 一般的な育児書でも、発達障害に関する本やネット情報でも、もちろん、健診の際にも、目がちゃんと合うかが確かめられます。 言葉の発達の遅れと同様に、目が合いづらいことで違和感を感じられる親御さんが少なくないですし、「カメラ目線ができない」というのも親御さんの気付きとして多く聞かれます。     発達相談の際、お子さんと対面して「もしかしたら、LDがあるかも」と感じることがあります。 何でそう感じるかと言いますと、御察しの通り『目』です。 表現が適切かは分かりませんが、その子の目は私の目を見ているのに、なんだか私の後方を見ている感じがします。 幼少期の長時間のメディア視聴の子も同じように目に違和感が出ますが、それとはまた違った感じもします。 LDの子ども達から感じる「目が合っているのに、焦点があっていない感じ」からは、これじゃあ、文字や数字が見にくいよね、本や黒板などに焦点を合わせるだけで疲れっちゃうよね、という連想が浮かびます。 中には、本人も、親御さんも、この課題に気づいておらず、「自閉症だから、教室の刺激に影響を受けて」「知的障害があるから勉強が苦手で」という解釈で終わっていたケースもありました。     誕生時、赤ちゃんの目は、はっきり物を捉えることができません。 視力もほとんどないですし、物体を目で追う力も育っていません。 それが生後1か月半くらいから物を少しずつじっと見ることができるようになったり、生後2ヶ月くらいから目で追うことができるようなったりします。 嗅覚や味覚、触覚、聴覚などが胎児期から育てられるのと比べて、視覚は生後の環境の中で本格的に育っていくイメー

【No.1065】4種類の動きを通して環境と繋がる

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その子の発達を堰止めてしまう要因には「原始反射が統合されていない」、つまり、胎児期から1歳前後で役目を終える反射が残っていることが考えられます。 実際、子どもさんによっては、2歳を過ぎてもその反射が頻繁に見られていて、それが終わった途端、ググッと発達が前に進むということもあります。 ですから、発達に遅れがある子を見る場合、原始反射がちゃんと役目を終えているかどうかを確認しますし、その重要性をお伝えしています。     このようなお話をすると、「原始反射=赤ちゃんの運動」「原始反射を卒業するっていうことは、次の発達段階に移る」といったイメージを持たれる方がいらっしゃいます。 しかし、そうではありません。 お母さんのお腹の中にいるときだって、胎児は自分の意思で動いたり、学習したりすることがわかっています。 決して胎児だから、赤ちゃんだからといって、反射のみで動いているわけではないのです。     胎児、新生児、赤ちゃんの運動には、原始反射があり、呼吸等の無意識な動きがあり、うつ伏せに寝せると手足をバタつかせるような動きがあり、対象物に手を伸ばすなどの意識的な動きがあります。 大きく分類して、この4種類の運動を通して運動発達、脳の発達を遂げていくのがわかります。 ですから、発達相談において原始反射を確認することは大事ですし、親御さんならそこを育てていくのも大切ですが、他の動きについても確認する必要があるのです。 原始反射はわかりやすく、教科書通りの動きが見られますので、アプローチしやすく、また熱心に取り組まれている親御さんも多いですが、そこだけ育てばいいか、注目すればいいかという話でもありません。     胎児期からすでに上記の4種類の動きがみられるということは、環境との相互作用によって育つ部分が大きいという意味であり、そうやって発達するようにヒトはできているのだといえます。 なので、発達障害、つまり、発達に遅れがある子が「先天性の障害である」と言い切れないですし、彼らの発達の遅れを取り戻すには4種類の動きに注目し、育てていくことが有効だと考えられます。 「発達障害だからこそ、手が打てない、支援や理解しかない」ではなく、「発達に関わる課題だからこそ、4種類の動きを豊かにすることで治っていく」とい

【No.1064】乳幼児期に大切な随伴性を伴う遊び

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 「行動変容」という言葉を目にすると、そういえば、「行動を変えることが支援であり、療育である」と考えていた集団があったよな、と思いだします。 その昔、私が学生だった頃、当地の支援には視覚支援グループと行動変容グループがあり、お互いをライバル視していました。 視覚支援Gは、「椅子に1分座っていられたら、先生が子どもの口の中にお菓子を入れていたのよ。これじゃあ、動物の餌付けじゃないの!」と言い、行動変容Gは、「狭い衝立の中に閉じ込めて、先生は一言も発しないでカードを渡してたのよ。これじゃあ、人間じゃなくてロボット扱いじゃないの!」という具合に言っていたのを覚えています。 私は学生身分でしたので、両方の親御さんとも関わりがありましたし、両方の施設、支援者とも関わりがありました。 今思えば、学生身分をフル活用し、いろんな体験や人達と出会っていたことは今に繋がる良いことだったように感じます。     あれから15年のときが流れまして、全国的にみて、当時のようなゴリゴリの視覚支援、ゴリゴリの行動変容というような雰囲気はほとんどなくなったと思います。 よく言えば、いいとこどりで、悪く言えば、つぎはぎの支援という具合に、今は視覚支援を使いつつ、行動変容を目指し、感覚統合をベースに身体を育てていく、みたいな感じでしょうか。 子どもの数だけ正解があり、適切な支援がありますので、「他のアプローチは許さない」などはおかしな話であり、一つの療法で物事が完結できると考えることが間違いだといえます。 ですから、子どもの成長と共に、そのとき、今必要な支援、アプローチを選択していけば良いというか、それしかないと思います。     昨日は『発達と学習の違い』についてお話ししたので、今日はそれに関連した行動変容について綴っていこうと思います。 今、巷で言われている「行動変容」は、コロナにかからないように、コロナをうつさないように「一人ひとりの行動を変えていきましょう」という意味です。 その一人ひとりの行動を変えるために、変えてほしい側(国・行政)は知識と情報を提供する。 また行動を変えたらこんなメリットがありますよ(給付金)、行動を変えなければこんなデメリットがありますよ(事業者名公表)などを駆使し、変容を促していきます。    

【No.1063】学習は繰り返し、発達は待つ

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発達は誰のものかといえば、それは本人以外ありえません。 その子が刺激を受け取り、感じることができなければ発達は生じませんし、何よりも自分自身で動き、その刺激を取りに行くことが幅広い発達へと繋がっていきます。 植物のように一点に定まり、常に刺激を受け続けることで成長する存在ではないからです。 受け身で育つ部分は限られています。 ヒトとして、動物としてよりよく生きるためには、意識無意識を問わず、とにかくその人が"動く"ことが発達の始まりだといえます。     本人が動くことで発達が生じるのですから、周囲の働きかけは二次的なものになります。 一言で言えば、きっかけの一つであり、数多ある環境の中の一つにすぎません。 当然、周囲の働きかけによって育つ部分もありますが、それは受け身で育つ部分であって、植物の育ちだといえます。 動物としての発達、動物としての豊かな生き方には、直接的な影響を与えることはできません。 周囲ができることがあるとすれば、より良い発達のための準備の手伝いと、本人が思わず動いてしまうようなきっかけ作りと、本人一人で創造できない環境への誘いです。     ですから、周囲が「どれだけ取り組んだか」「時間と回数を費やしたか」ではなく、本人が「どれだけ取り組んだか」「時間と回数を費やしたか」が発達には重要なのです。 時々、発達相談をしていて気になるのがこの点です。 親御さんの中には、自分の取り組みと本人の伸びの差に、感情を乱されている方がいるように感じます。 やったらやっただけ伸びるんだったら苦労はしません。 発達にはタイミングと順序がありますし、当然、遺伝や資質などの内的な要素も関わってきます。 そして何よりも本人が主体となって動かなければ伸びるわけはないのです。 つまり、本人がどれだけ発達の時間、育む時間を過ごせたか、またその時間を豊かに感じられたか、本人のペースでじっくり味わえたかがポイントだといえます。 本人が自分のためだけに育める時間が認められていないご家庭もあるように感じます。     親心としては「何でもやってあげたい」と思うのは自然なことだといえます。 実際、親御さんが頑張ると、伸びる子もいるでしょう。 でも、得てしてそれは発

【No.1062】努力は裏切る、生きているから

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今日も午前中から子ども達の元気な声が聞こえてきます。 場所によっては、「外で遊ぶなんて!」という声があるようですが、私の住む地域では比較的温かく子ども達を見ている大人が多いようです。 厳しい冬のあとの春ですから、十分な陽を浴びながら外で遊ぶことは、免疫力をあげ、心身の健康に繋がるのだと思います。 子ども達にとっては人生の土台作りの時間なので、「コロナにはかからなかったけれども、他の病気に患いやすくなった。発達の土台作りができなかった」なんてことがないようにしてもらいたいです。 「自分は頑張って自粛しているのに、〇〇はけしからん!」という具合に他人が気になる人が少なくように感じます。 日本人は特に輪を乱すこと、乱れることを嫌いますし、「努力が実を結ぶ」「失敗は努力が足りないから」と考える傾向がありますので。 どのように捉え、考えるかは人それぞれであり、別にとやかく言うつもりはありません。 しかし個人の感情と実際の感染リスクは分けて考える必要があると思います。 自粛している人は絶対感染しないか、感染させないかといえばそうではないでしょうし、むしろ外で過ごすほうが三密にはなりづらいといえます。 そもそも家で自粛することができない医療現場の人たちや治安や物流を支えている人達も大勢いますし。 ですから自分の心を乱す根っこは、他人の行動ではなく、自分自身の不安や努力と結果を強く結びつけるような個人の考え方なのだと思います。 発達相談の仕事をしていて、同じような経験をすることがあります。 親御さんが頑張って子育てをされた結果、子どもさんの多くの課題がなくなった、発達の遅れを取り戻すことができた、「一生福祉」と告げられた子が自立して生活するまで育った、などのポジティブな変化が見られる家庭があります。 その一方で、親御さんが一生懸命子育てや取り組みをされているのに、それがポジティブな変化として子どもさんに表れない家庭もあります。 じゃあ、ポジティブな変化が見られない家庭は努力不足か、やり方が悪いのか、愛情のかけ方が間違っているかと言えば、まったくそんなことはなく、むしろ、なかなかポジティブな変化が見られない親御さんのほうが一生懸命行動し、深い愛情をかけていることを感じる場合も多々あるので

【No.1061】シンプルな発達相談、援助を目指して

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子ども達は、大人から見れば「無意味」「無駄」と思えるような行動をするものです。 もしかしたら「名の無い遊び」というのが、それにあたるかもしれません。 大人というのは無意識のうちに行動の意味を問い、その意義を求めます。 何故なら目的を持ってから行動するのが大人であり、無駄なものを排除できるようになることが大人になるということですから。     子どもが何故、その行動をするのかといえば、「やりたいからやるんだ」になると思います。 子ども自身、その活動の目的、意味を見定めてから行動するわけではなく、「ただなんとなく」「気が付いたらやっていた」というのが自然なことだといえます。 そんな姿を見るたびに、子どもが内側から突き動かされているように私は感じます。 そうです、それこそが各々が持つ発達する力。     子どもが内側から突き動かされて行動しているとき、つまり一見すると無駄で意味や目的のない行動をしているときが発達に一番近づいているときだと考えることができます。 発達相談において「この行動は止めさせたほうが良いですか?」と訊かれる行動のほとんどは、その子の発達にとって必要なものです。 自閉症や発達障害というメガネを掛けてみると奇妙で心配になる行動も、今まさにその子自身で育てている最中なのです。 ですから、その子が主体的に繰り返す行動、没頭する行動は止めるのではなく、内側から突き動かす力がなくなるまで発散させたほうが良いと思います。     どんな専門家であったとしても、その子の内側に入ることはできず、「たぶん、これが良いだろう」ということしかいえません。 実際、専門家の言う通りにして子に良い影響が見られたとしても、それがベストであるか、それが本人が今望んでいるものなのかはわからないのです。 大人はどうしても目的が先にあり、効率的に物事を行おうとします。 子どもに良い変化があると、「もっともっと」になるし、「あれもこれも」になる。 そうなると、その子の発達に余白がなくなっていきます。     ある幼児さんのご家庭は毎日、日課のごとく、あれもこれもをやっていました。 実際、その様子を見させてもらうと、親も子も苦しそうにやっているのがわかりました。 そして何よりも、やった

【No.1060】学力に差ができるのは自然なこと

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「地域ごとの学校再開では、子ども達の学力に差ができて不公平だ」 このような発言があることにびっくりしました。 日本は南北に長い国で、地域によって実情は異なるはずです。 リスクが小さい地域、対策がとれる地域から、どんどん学校を再開して勉強することの何が悪いというのでしょうか。 コロナが完全にこの世からいなくなることなどないのですから、どこかで人が判断しなければなりません。     日本人は遺伝子的に周囲と歩調を合わせる、乱れるのを嫌う人達が多いと言われています。 ですから、「ある地域だけ学校が始まるのは良くない」「学力の差ができるのはまずい」などと考える傾向があります。 こうやっていつまで経っても、ある意味、できない人に合わせたラインづくりをしているから、本来伸びる力を持った子ども達がその資質を活かせずに没落していくのだと思います。 学力においては最低限のラインだけ決めておき、あとは各々の興味関心、資質が最も活きるような学びと成長を遂げていけば良いはずですし、これからはそのように変わっていかないといけない時代だといえます。     本来、特別支援教育が率先して個人に合わせた教育をしていなければならないところだと思います。 しかし日本人のメンタリティーがそうさせないのでしょうか、「タブレット学習は他の子に影響が出る」だとか、「一人だけ交流学習の時間を増やすのは無理だ」とか、子のニーズよりも、集団の輪を重視することがあります。 過去には「一人だけ普通級に転籍したら、他の家庭から不満が出るから、小学校のうちは…」などと言われたケースもありました。 支援級においても、みんなが同じプリントで同じペースで学習している様子を見聞きすることが多く、「普通級で行う授業をただゆっくりにしたのが支援級」というのがまだ少なくないように感じます。 これだったらタブレットなどを使い、個人で、家庭で学習を進めていったほうが良いと思いますし、それが可能なら支援級ではなく、普通級に在籍したほうが良いと思います。     以前から私は飛び級と留年に賛成ですし、支援級はいらないと考えています。 これから先の社会を考えても、というか今の社会を見れば、いろんな人が存在し協働しているのが自然な状態です。 幼少期につけられた

【No.1059】環境に適応し、生き残るためにヒトは発達する

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北海道も桜が満開になり、その桜も少しずつ緑の葉っぱが目立つようになってきました。 北海道の春は、桜だけではなく他の花々も一気に咲き始めるので、見るものを楽しませ、やっと心地良い季節がやってきたなと思わせてくれます。 全身に陽を浴び、目や耳、鼻で春の訪れを味わう日々です。 自然の中ほど、子どもの感覚を育てるのに最適な場所はありません。 特に日本には四季がありますので、その四季を感じる行為自体が何よりの発達援助になります。 発達相談において感覚系の発達の遅れ、課題を挙げられる親御さんが多くいらっしゃいますが、ほとんどのお子さんは「自然の中で思いっきり遊びましょう」で私の助言は終わります。 何も特別なことは必要ありません。 子の本能に、発達する力に、自然の持つ豊かな刺激に委ねれば良いのです。 ある意味、委ねきれないからこそ、発達の遅れが遅れたまま、未発達が育たぬままになるのだと思います。 ヒトはどうして感覚面を進化させたか、発達させるかといえば、生き残るためです。 生き残るとは、つまり環境に適応すること。 ヒトが適応する場所とは、家の中でも、学校の中でも、会社の中でもなく、自然の中です。 学校で勉強ができるようになるために進化したわけではありません。 職場で働くために感覚面を発達させるのではありません。 自然という常に揺らぎと変化、五感への刺激、生命への危険が存在する環境へ適応するために、私達はいろんな面を発達させるのです、発達させる必要があるのです。 ですから人間が作った環境では発達が生じにくい。 より効率的に学習や仕事をするために不安定さを排除したからです。 当然、自然の中にある危険も遠ざけていきました。 社会の発展とともに、感覚刺激・発達刺激は乏しくなったのです。 私達の親の世代、その親の世代までは、特別な支援などと言う必要がなく、まさに自然の中で自然に育っていったのだと思います。 現在、発達の遅れが遅れたままの子ども達が増えているのは、まさに自然の中で自然に育っていたという機会を失ったからだといえます。 発達の遅れを訴えられ、相談に来られるお子さんのほとんどは、この機会を失っているだけの子ども達です。 何かかっこよく専門用語などを使いながら、あたかも高尚な技術、助言であるかのごとく示すこともできますが、そ

【No.1058】今まさに我が子の発達が心配になっている親御さんへ

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このブログを読んでいる方の中には、我が子が「自閉症かも」「発達に遅れがあるかも」「なんか他の子とは違う感じがする」といった想いを持つ人がいることでしょう。 そういった人達に向けてメッセージを送りたいと思います。 多くの親御さんはスマホを操作し『目が合わない 自閉症』『言葉が出ない 発達障害』などといった気になるワードを検索画面に入力したと思います。 その結果はすさまじい数のサイトがヒットしたはずです。 専門家やその組織が発信しているもの、先輩ママ達が書いたブログなどが上位に並んでいて、それを喰いいるように読まれたことでしょう。 そして皆さんはどんな想いが湧いてきましたか? 読んでいてどんどん暗い気持ちになっていった人、将来に対する不安が増してきた人、こうしちゃおれないとすぐに公的な機関へアクセスした人が多いのではないでしょうか。 どのサイトも、「受け入れることが大事」といったメッセージが込められています。 しかし、ちょっと待ってください。 知らず知らずのうちに、既に我が子が「自閉症である」「発達障害がある」といった考えで進んでいないでしょうか。 本当に、あなたのお子さんは自閉症?発達障害? 中には1歳、2歳、3歳などという低年齢で既に診断を受けた子もいます。 でも診断の際、脳画像を撮りましたか?採血しましたか?家庭での様子と成育歴をしっかり確認し結論が出されましたか? 現在の医療・科学では、自閉症や発達障害を生物学的に診断できません。 他の病気や障害のように、脳画像や血液の数値ではわからないのです。 ではどうしているかといえば、「こういった症状や行動が見られる」という具合に文章で書かれた診断基準というものがあり、それに当てはまるか、そこに記載されている行動があったかで診断がされます。 ですから、医師の問診と成育歴の確認、診断室での様子によって診断名が決まっていくのです。 「医師が診断したことだから」「専門家が言うことだから」と考えられる人とはここでお別れです。 ほとんど目新しい情報を提供できずに申し訳ございません。 もし我が子が本当に自閉症だろうかと疑っている方、診断を受けたけれども気持ちがモヤッとしたままの方がいらっしゃいましたら読み進めてみてください。 自閉症や発達障害は『脳の機能障害』と言われている時

【No.1057】自閉症"様"と自閉症

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最近やっと「乳幼児期のテレビ視聴による問題」が研究結果として発表されました。 物心つく前のテレビ視聴が脳や感覚系への影響を及ぼすなんて当たり前の話で、現場レベルでは10年も、20年も前から指摘されていたことです。 今回の研究結果では、「テレビ視聴=ASD、ASDになるリスクが高まる」ということではありませんが、18か月未満の子どもがテレビを見ることによって自閉症のような症状が現れるとのことでした。 「自閉症の"ような"症状だったら、自閉症になるわけじゃないし、そこまで問題ないんじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、『ような』だからこそ大問題なわけです。 ここ数年で1歳代の診断なんていうのは当たり前になってきました。 私のところにも、1歳代のお子さんを持つ親御さんからの相談が増えています。 その1歳代で診断を受けた子、発達の遅れを指摘された子の多くは、「本当に自閉症なの?」という子ばかりです。 今後、症状が重くなり、固まってきて将来的に何らかの診断名が付く可能性がないとはいえませんが、それにしても診断を確定するには早すぎるし、症状も部分的に見られるかなっていう程度なのです。 そして共通する点として、0歳代からのテレビ視聴、スマホ、タブレット視聴とその時間の長さ。 上記の研究結果をそのまま引用すれば、早期からのテレビ視聴によって自閉症のような症状が出ている、とも考えられるのです。 もし、そもそもが自閉症ではなくて、障害ではなくて、早期からのテレビ視聴の影響で自閉症っぽい症状や行動が出ているとしたら。 でも、そういった背景があろうとも、現在の診断は基準に当てはまるかどうかなので、『ような』であったとしても行動が確認できれば診断がついてしまうわけです。 しかも日本の常識では、いまだに「障害は生来的なものであり、一生変わることがないもの」となっています。 ということは、そもそもが自閉症ではなく普通の子だったのに、乳幼児期のメディア視聴によって自閉症っぽい行動が出るようになっただけなのに、障害児として特別支援のレールに乗っけられる危険性があるといえます。 本来なら即座にメディア視聴を止め、自然な遊びや親子のスキンシップなどへ切り替えていけば、その症状が緩んでいくのに、「じゃあ、療育を始めましょう」と幼少期から人工