2021年10月26日火曜日

【No.1200】「共同作業ができるできない」は、勝手に決められたチェックリストの一つにすぎない

うちの子ども達がお世話になっていた、なっている保育園は、基本的に自由です。
発達段階上、クラス単位で行動する場面はありますが、ほとんどの時間は遊びたい場所で、遊びたいことをそれぞれの選択によって行っています。
新しく入園した子や兄弟児などがいると、年上の子ども達がお世話をしたり、一緒に遊んであげたり、また年齢も関係なく、遊びたい相手と遊ぶという感じで、異年齢同士でもよく遊んでいます。
当然、一人で遊びたい子はそれでOKで、周りで鬼ごっこしている中で、絵を描いたり、虫を観察したりしてる子もいます。
今回の新刊の中には、この保育園、また保育士さん、そして自由に伸びやかに遊ぶ子ども達の姿から教わり、着想を得た部分もたくさんあります。


大型恐竜が跋扈していた時代、私達のご先祖様は小さなネズミのような生き物でした。
そのご先祖様は、卵で子どもを産んでいましたが、途中からウィルスの力を借り、胎盤を形成し、現在のような出産に変化しました。
それは新しい命を守る戦略だったとも言われています。
そして人類700万年、生まれた赤ちゃんを集団で守りながら、命のバトンをつないできたわけです。
今でも原始的な生活をしている部族、また先進国以外の国では、集団での子育て、保育が行われています。


ヒトも動物の一種ではありますが、他の動物は生殖能力を失う=死・寿命になることがほとんどです。
しかし、ヒトの場合、そうではありません。
ヒトは生殖能力を失っても、生きる意味があるのだと思います。
それはまさに次の世代を育てるために必要だということ。
ヒトの特徴は、その大きな脳です。
単純に幼い命を守るために祖父母の代がいるというよりも、よりよく子どもを育てるために、高齢者がいるのだと思います。


コロナ禍で学校や園が休校の中、「毎日、地域の子ども達と遊んでいました」というご家庭が多くありました。
ある団地では、高校生、中学生が中心になり、そこに住む小学生や幼児さんを集めて一緒に遊ぶというところがありました。
ある地域では、家の扉がオープンになっており、いろんな年代の子ども達がそれぞれの家に行ったり、庭で遊んだりして過ごしていたところがありました。
昨年の段階では、親子の濃密な時間、一対一の関係性の中で大きく育ったと思っていましたが、このように異年齢間での集団が存在している地域の子ども達の姿を見ていますと、こういった多様な刺激が大きな発達に繋がったことも多いのではないかと思いました。
普段は学校等で忙しい子ども達も、休校は却って幅広い刺激を味わえる貴重な時間になったのでしょう。
他にも、仕事が休めず、休校中、やむを得ず祖父母の家に預けたら、ぐんぐん伸びたというお話もありました。


近頃、なんとかの一つ覚えのように「多様性を」などと言わています。
しかし現実は、定型発達の子と発達障害という診断を受けた子の学習の場、遊びの場は明確に区別されています。
これからの時代、国やバックグランドが異なる人同士で地域や社会を共にしていく時代ですし、人種の違いと比べれば、神経発達の違いなんて微々たる違いだとも思います。
ですからギョーカイの言う「多様性を」は、「私たちを受け入れろ」「特別扱いしろ」という本音を隠す建前でかつ綺麗事なのでしょう。
本気で多様性のある社会を目指そうとしたら、「治さない」という方向性はあり得ませんので。


発達障害の人は共同活動が苦手と言われていますし、実際、そのような場合が多くあります。
でも、だからといって集団活動をさせない、すべて個別対応、小集団はよくありません。
何故なら、刺激のバリエーションが乏しくなるからです。
私は、私達がヒトである以上、集団はとても大事だと考えています。
しかし、その集団は、必ずしも集団活動をする、という意味ではありません。
うちの子が通う保育園のように、集団という場を共有しながらも、個人活動して良いと思いますし、それが自然な姿だと思います。
衝立の中で個人活動をしているのと、集団という場を共有しながら個人活動をしているのでは、発達の仕方が違うのと同じです。


言葉が出ない子、知的障害がある子、集団活動ができない子でも、地域や園によっては一般的な保育を受けられる場所もあります。
そういった場合、もちろん、先生や保育士さんは最初の頃、大変なこともありますが、やはり卒園児の成長の大きさが違います。
ある地域では専門的な療育園があり、行列をなしているところがありますが、見事に通ってもほぼ変化がありません。
しかし、同じ地域でその療育園を辞め、一般の幼稚園、保育園に転園すると、ガラッと変わることがあります。
その療育園のスペシャルな先生から、「この子は一生言葉が出ないし、普通の幼稚園は無理」と言われた子も、親御さんの決断によって転園したら言葉が出て、支援学校と言われていたのに、支援級へ通えるくらいまで成長しました。
ちなみに今は、文字の勉強、簡単な計算ができるまで育っています。


専門家の予言は、朝の番組の星座占いくらいの的中率です(笑)
そして一見すると、言葉もないし、集団活動もできない子でも、多様な刺激のある場所で過ごすと、様々な刺激を受け取っていることがわかります。
だいたい発語がないだけで、「支援が必要な子」という判断は化石みたいな支援者です。
発語は発達の結果であり、それがすべてではありません。


ヒトの子育ての形態は、共同保育です。
今のように我が子だけをその親御さんだけで育てているというのは、本来の子育ての姿ではありません。
子が育つためには、様々な大人の手が必要であり、そして脳の発達にはおじいちゃん、おばあちゃんの世代からの刺激と文化の継承、異年齢の子ども同士でじゃれ合い、遊び、場を共有することが必要だと思います。
異年齢間での遊びは、心身を育てるだけではなく、将来の狩りや生活に必要な協働作業を学ぶ準備の側面も大きいはずです。


この2年間で、学校行事、園行事、地域の行事、お祭りがことごとく中止になりました。
現代の子ども達にとっては、すべて異年齢との貴重な共有の場という意味合いがあります。
神経発達と共同作業の土台作りである場を失った子ども達への影響は、これまた数年、数十年後に表れると思います。
マスクをつけろと言うジジババは、子ども達にとって有害以外の何者でもありませんが、いろんな世代の大人やお兄ちゃん、お姉ちゃんは発達を後押ししてくれる存在です。
一緒に活動ができる以前の発達段階は、「場を共有できる」になります。
必ずしも同じ活動を行うのではなく、違う人間同士が場を共有できることが多様性のある社会だと私は考えています。
同じ活動ができるできないは、勝手にギョーカイが決めた診断基準のチェックリスト1項目にすぎませんね。




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11月6日(土)午後1時よりzoom講演会『コロナ禍のヌケも育て直せる!』で講師を務めさせていただきます。主催は花風社さんです。講演内容やお申し込み方法はこちらをご覧ください。当日リアルタイムで参加できない方は、後日配信も行っております。


2021年10月25日月曜日

【No.1199】出版記念講演会を終えて

12時45分ごろ、会場につきますと、既に数名の方が待っていてくださいました。
その中には、半年に一回くらいのペースで訪問させていただいている方で、私もびっくりするくらい大きな成長を見せてくれるお子さんのママさんがいました。
若い世代のママさんで、素晴らしい行動力と何よりも深いお子さんに対する愛情を持った方。
皆さんにもご紹介したいくらいのステキなお子さんとママさんです。
やはり知っている方が来てくださるのは心強く、嬉しいものです。
他にも、以前、私が関わっていたご家族がお子さん達を連れて来てくださって、小学生の子も、成人した若者も、ご自身の人生を伸びやかに歩まれている姿を私に見せてくださいました。
援助者としてではなく、一人の大人として、先を生きる人間として、輝いている若者、子どもの姿を見ることは何よりも喜びです。
きっと私は、こういった姿、また親御さん達を見ることができるからこそ、今の仕事を信じて進んでいけるのだと思います。


空の上とジムの筋肉ゾーン以外、ほとんどノーマスクの私ですので、講演中のマスクで酸欠状態になりました。
途中、息が苦しくて、気を付けていた「早口」になってしまったり、一瞬ボーとしてしまうことがあり、聞き苦しいところがあったかもしれませんが、一番お伝えしたかった「発達を援助することの大切さ」に共感してくださった方が多くいらっしゃったようですので、良かったです。
イベント会場は蔦屋書店の2階でオープンスペース。
しかも、レンタルコーナーのすぐそばでしたので、一般のお客さんも大勢歩いていました。
ですから、刺激的な言葉は少なめで(当社比)、でも我慢できず、施設の給料と労働環境、尾身喰いとシャンパーニュは専門家に頼るとろくでもないという例えで使用させて頂きました(笑)


講演会後、昭和のお姉さまたちが列をなして私のところに来てくださり、「これが平成のお姉さん達なら」と一瞬よぎることもありましたが、みなさん、お孫さん、娘家族を心配されているおばあ様たちでした。
実は、おばあちゃん世代からのご相談も全国的に多くあります。
そしてほぼ共通しているのは、「私は普通の子、一般的な子に見えるのだけれども、"発達障害”と診断された」「娘は支援を受けなければならない、というのだけれども、本当にそれで良いのだろうか、と疑問に思う」というお悩みです。


祖父母の代の方たちからお話を伺うと、たぶん、おっしゃっていることは正しく、またお孫さんのことをちゃんと見れている方達だと感じます。
決して親の一方的な想いだけでは言っていないのもわかります。
当然、おじいちゃん、おばあちゃんの子ども時代は、発達障害などの概念はなく、共に学び、共に社会の中で生きていったと思います。
平成時代、学校生活を送った私達、今の子育て世代も同じようなもので、クラスに勉強や運動が極端に苦手な子もいましたが、放課後一緒に遊んだり、勉強も一緒にしていました。
また発達相談でお宅に訪問しても、「お父さんの子ども時代とそっくり」というように、ずっとしゃべれなかったお父さんが、授業がチンプンカンプンだったお母さんが、今、こうして親になっているという事実もあります。
つまり、変わったのは社会のほうであり、その根幹は過剰診断、過剰支援、商業化したギョーカイそのものです。


しかし一方で、今の子育て世代の中には、様々な面で余裕がない方が多くいらっしゃいます。
もちろん、同じような条件、状況だったとしても、動ける人はいるのですが、大部分の方は日々の生活で精一杯の状態だと感じます。
それは言われるがまま、自分で考えることをシャットダウンし、マスクを付け続けている日本人の多さからもわかります。
今の日本では、自分の頭で考えるだけの余裕を持った人が少ない。
自分で情報を調べて考えるくらいなら、マスクをつけて、子にもマスクをつけて、淡々とその日をやり過ごしているほうが楽だということです。


そういった状況の子育て世代の娘に対し、おばあ様の「支援はいらないのでは」「支援よりも普通の子育てでは」という投げかけは、受け入れられないことが多いと思います。
我が子のことを、子育てのことを顧みるだけの余裕がないのです。
日本人の学力で言えば、冷静に考えれば、発達障害を障害と言うことのおかしさ、生まれつきの障害という矛盾、むしろ「治らない」という方が意味不明ということがわかると思います。
ということは、必要なのは日々の余裕、心身の余裕です。


「娘は"治らない”と言って聞く耳を持たない」というおばあさまからのご相談もあります。
そういった場合は、娘と闘うのは余計に余裕を無くすだけですし、却って頑なにさせてしまう危険性があります。
ですから、そういった場合には、娘の話し相手になったり、協力できるところでお手伝いすること。
そしておばあちゃんとお孫さんの間で、その一対一の関係性の中で、昔遊んでいた身体を使った遊びや外遊びをご一緒にやられることを提案しています。


ヒトの子育ての特徴は異世代での子育てです。
700万年ほぼ異世代で集団生活を行い、みんなで子育てを行ってきました。
脳が大きくなったヒトですから、異世代での子育て、関わり合いは、それだけ脳の刺激になるということだと私は解釈しています。
実際、祖父母との交流、異年齢、異世代間での交流があるおうちの子のほうが、刺激にバリエーションがあり、神経発達に有利だという研究もありますし、私もそのように感じます。
なので、娘が、または息子がなんといおうとも、孫をかわいがり、一緒に遊ぶことが神経発達には有効と思います。
感覚的な話になりますが、やっぱり日頃から祖父母世代、異年齢との交流があるお宅の子どもさんは、発達の伸びやかさ、愛着形成の豊かさで違いを感じます。


冒頭でご紹介した若い世代のママさんもそうですし、若い世代の援助者さんもご来場いただけました。
自分が主張していること、行っていることのすべてが正しいとは思いませんが、発達援助という考え方、視点は次の世代に繋げていきたいと考えています。
今回の出版が次の世代、そして今の子ども達の将来を明るくするためのきっかけになってもらえたらと思っております。
昨日、ご来場いただいた皆さま、誠にありがとうございました。
また志を共にし、全国で応援してくださった皆さまにも心より感謝申し上げます。




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2021年10月22日金曜日

【No.1198】親が親になることを妨げるハッタツの世界

いよいよ今度の日曜日は函館蔦屋書店さんでの出版記念講演会です。
函館はホームといえばホームですが、現在は道外の仕事が多くなっていますし、どのような人がいらっしゃるかもわかりません。
例えると、五輪中、東京ドームで主催ゲームをしたスワローズみたいな感じでしょうか。
基本的に函館ではアウェーなのは変わっていませんので(笑)、そういった状況の中でどういった話ができるのか、どういった部分に共感を持ってもらえるか、が個人的な楽しみでもあります。


若いときから比較的、人前で話す機会があったのですが、どうも事前に原稿を作り込むとうまくいかないことが多い気がします。
本来、どんな場であろうとも、事前の準備は大切で一生懸命行う必要があると思うのですが、あらかじめしゃべることを決めておくと、途中で自分が飽きてしまい(ごめんなさい)グダグダになったり、決められた通りしゃべることに意識が向いて窮屈な感じがしてしまいます。
ですから、ある程度、大枠だけは決めておいて、あとは当日の雰囲気でしゃべるようにしています。
やっぱり誰かを前にして行うのですから、綺麗に話すよりも、ライブ感が重要な気がして、また当日ギリギリまで鮮度が良いもの、その瞬間連想したことのほうが面白いと思っています。
ということで、スライドは完成しているので、あとは当日の雰囲気でって感じです。


昨日の続きになりますが、「生まれつきの障害」という言葉が誰かの気持ちをラクにしたり、それ自体が救いになったりするのもわかります。
しかし、それが拡大解釈され、過剰になっていることの弊害が大きくなっていると私は感じています。
端的に言えば、「親の育て方、関わり方によって、予後が変わる」ということが禁句のような扱いになっている点に問題があると考えています。


昨年の第一回目の緊急事態宣言の際、親子で濃密な時間を過ごした家庭が大きな発達、成長が生じたというのは、発達援助の本質的な部分だといえます。
発達障害の子ども達は、既に誕生時、または乳幼児期の初期に発達のヌケや遅れが生じています。
再三申し上げますが、胎児期から2歳前後に生じる課題です。
とすれば、胎児期はそのまま母子の1対1関係ですし、0歳から2歳も中心は近しい人との1対1関係になります。
つまり、最初の対人関係である1対1関係で生じた課題は、やはり1対1関係の中で育つ部分が大きいということになります。
だったら、親御さん、家族の育て方、関わり方で予後が変わるのは当たり前です。


しかし、何故だか、そんな当たり前のことがタブーになっているのが発達障害の世界です。
あれだけ「あの療育施設は良い、悪い」「あの先生はいいけど、あの先生は悪い」などと言っているわりに、「あの親は」とは表だって言わない。
親御さんが相談に行くと、「〇〇ちゃんのためには、療育を増やした方がいい」「あの療育園に行った方が良い」「やっぱり支援学校のほうが伸びますよ」などと言う。
どうして「お母さん、お母さんが頑張ったら、〇〇ちゃんは上手に成長できるよ」と言ってあげないのか。
同年齢の診断を受けていない子でしたら、幼稚園でも、保育園でも、学校でも、当たり前のように家庭での子育てについて指摘されるのに。
もちろん、そういった助言を聞く聞かないは親御さん次第ではありますが、決して「お子さんに習い事させてないから」「学校の担任が悪いから」などとは言わないはずです。
それは子ども時代は、家庭での育ち、家庭の環境が重要なのはみんな、わかっていることだからでしょう。


私も二人の子を持つ親ですが、「お父さん次第で、子どもさんがよりよく伸びますよ」と言われた方が頑張れる気がします。
実際、保育園の先生方からはいろいろな助言を貰い、それが二人の子の子育てに変化をもたらしたと思っています。
もし保育士さんに、「家庭は関係ありませんよ。個性を持って生まれている子どもですから、放っておいても育ちます」と言われたら、とくにお腹を痛めたわけでもない父親ですから、今のように子育てに意識が向いていたかはわかりません。
ここ数年、1歳、2歳、3歳の子ども達の相談が増えているということは、親御さんだって親になって1年、2年、3年しか経っていないわけで、親になって数年しか経っていない親御さんが「生まれつきの障害で、できることは専門家、療育機関に行くこと」と言われれば、親としての成長も、心情の変化も乏しくなってしまうのではないか、と思います。


ある人は「母親脳」と言っていますが、そういった母親脳に変化できなかった親御さんが増えてるような気がします。
年端もいかないうちから、専門機関に通うということは、親子の愛着の面で支障が出るのは自然な流れです。
同時に、特にお母さんは我が子との触れ合いが減ってしまうと、「我が子」という認識が身体的に感じられなくなり、どこか我が子なのによそよそしい感じ、壊れ物に触るかのような感じを漂わせることがあります。


こういった姿は、強度行動障害を持つ子の親御さんと重なる部分です。
赤ちゃんのときからほとんど寝ない、四六時中泣いている、自傷や他害、異食などがひどかった子の親御さんも、当然、関わりたくても関われない状態で、しかもどうしたらよいか分からず、我が子に気を使いながら生活せざるを得ない環境ですので、自分がこの子の母親であるという実感が育たないまま、月日が流れてしまったという場合が往々にしてあります。
施設職員時代、我が子を送ってくるとき、別れに対する感情の変化がまったく見られない親御さんや、我が子から見えないように隠れて、まさに置いていくように去っていた親御さんは少なくありませんでした。
こちらから寮でのお子さんの様子を電話しても、ほとんど興味を示すことなく、一方的な情報伝達のみで終始してしまうこともありました。


発達障害の子を持つ親御さん達の内側には、「家庭の違いで子の予後も変わる」というのは認めたくない心があるのかもしれません。
しかし、実際は親御さん次第で伸びる部分が大いにあります。
もちろん、親御さんにも生活環境の違いやセンスの部分での違いもありますので、みんながみんな、上手な子育てが最初からできるとは思いません。
でも、私も含め、どの親御さんも同じように、子の年齢とともに親としての年齢も重なっていく。
子が1歳なら、親も親になって1歳です。
だからこそ、先輩や専門家から助言を貰いつつ、我が子の親になっていくのだと思います。


それなのに発達障害の世界は、「子どもにとって良いことは専門的な療育、支援を受けさせること」としてしまう。
これだから、愛着形成がうまくいかない子が増えるし、親御さんだって親になる機会が奪われてしまう。
結局、頭でっかちで、支援者のセミプロみたいな親御さんが増えるだけで、発達のヌケは埋まっていかないし、プラスで愛着障害も抱えるようになり、どんどん本来の発達の流れから遠のいてしまう。
私が「もう一度、子育ての領域へ」と主張しているのは、子どもさんだけではなく、親御さんにとってもネガティブな影響が大きくなっているからです。


といったことは、秋の日曜日の午後、おしゃれな蔦屋書店でしゃべれません(笑)
ですから、この場で吐き出してみました。
この道南、函館は今も昔も、生まれつきの障害で、家庭の違い、親の違いによっては差がでませんよ~の地域です。
一度、吐きだせば、満足するので当日は口を滑らせないと思います。
私の本音吐きにお付き合いいただき、誠にありがとうございましたm(__)m




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10月24日(日)13:30~15:00 函館蔦屋書店2階イベントスペースにて出版記念講演会を開催いたします。ご予約不要で入場は無料ですが、先着30名になっております。詳細は函館蔦屋書店HPよりご確認いただけます。当日、本を購入してくださった方には、特製ミニクリアファイルをプレゼントいたします。


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2021年10月21日木曜日

【No.1197】発達障害の世界は差別だらけ

新刊のタイトルであり、花風社さんの創業25周年記念出版の共通タイトルである『医者が教えてくれない発達障害の治り方』は、個人的にもとても気にいっています。
何故なら、タイトルというのは端的にコアな部分を伝えられるメッセージ性が重要で、そのままストレートに伝わってくる言葉になっているからです。
一目見ただけで、何を伝えたいか、どんな想いを持っているかなどの連想が浮かんできますね。
既にタイトル、表紙から本は始まっている感じがします。


タイトル通り、発達障害に関する医療従事者は「治り方」を教えてはくれません。
それは大前提として「生まれつきの障害」と「脳の機能障害」を引きずっているからです。
かつて「育て方の問題」と言われていた時代があり、そこを否定するために「生まれつきの障害」、つまり、「親の育て方で発達障害になるわけではない」という啓蒙を行っていました。
この国の発達障害をリードしてきた人達は医者であり、発達障害の子を持つ親でした。
30~40年前の当時の空気感を想像するに、医療従事者の中でも我が子が発達障害である人くらいしか、この領域に関心はなかったでしょうし、発達障害の子を持つ親御さんも、そういった医師でもあり、親でもある人を頼るしかなかったと思います。
有効な支援方法もなく、根本的な解決方法がなかった当時の親御さん達にとっては、唯一の救いが「生まれつきの障害」だったのかもしれません。


しかし、時代は進み、もう令和の時代です。
「生まれつきの障害」で良かった昭和の時代から平成の時代に移ったとき、平成は早期診断、早期療育、その他の支援サービスなどが整備され、同時に脳から神経発達の障害へ変わった時期でもあります。
ですから本来は、その環境整備と同時に、もう一度、子育ての中心であり、発達の基盤である家庭に意識が向けられるべきだったと思っています。
傍から見てきた感想ではありますが、あまりにも親御さんに遠慮し過ぎ、家庭での養育力を低く見過ぎ。
「生まれつきの障害」がいつしか、親御さんたいして否定的なことを言ってはならない、家庭に何かを求めてはならない、という空気感を作りだしていたように感じます。
「親御さんを否定してはならない。だって生まれつきの障害だから」


確かに重度の知的障害や症状、行動障害を持っている子ども達には専門的な支援が必要だと思います。
しかし、その一方で本来、自然な子育て、家庭生活、同年代の子ども達が育つような環境の中で育っていっていた子達までもが、親御さんの手から離され、支援の世界へと囲まれてしまっている現状があると思います。
現代科学の力では、客観的に、生物学的に、発達障害やその重症度を確認することはできません。
ましてや、その子が将来、どのくらい発達、成長するかなんて、誰にもわからないのです。


そうなると、必要になってくるのは親御さんの姿勢です。
親御さんがどのように育てたいか、育ってほしいか、がそのまま子ども達の生活、人生に直結するのです。
ある程度、大きくなれば、自分自身で変えられる部分もありますが、乳幼児期なんて親御さんが頑張らなくて、誰が頑張るのです。
現状の発達障害の子ども達は、95%くらいが未発達な子、発達にヌケがある子だと思いますので、とにかく今、発達に遅れがあったとしても、我が子のより良い発達のために試行錯誤しながら頑張っていく必要があるのではないでしょうか。
そこを一生懸命頑張ったうえで、残ったものがあれば、そこは支援サービスを求めればいいと思います。
育ててもいないのに、やることをやってもいないのに、ハナから支援者にお預けでは、家庭はただご飯を食べさせ、寝せる場所、親はそのお世話役ってことにはなりませんかね。
それは医師も、支援者も、育児放棄を幇助しているように見えますし、親御さんを一段低く見ているようにも、私には見えてならないのです。
人を能力の違いで差別する人が、発達障害の人達の支援を叫ぶのは矛盾していませんかね。


同じように、「医師でもないくせに」という人も、差別する人だと私は思います。
医師というのは、医師免許を取得した人であり、それは国が定めた資格の一つです。
資格を持っているから偉いわけでも、資格を持っていること=腕がいい、名医である、とはならないはずです。
免許は医療行為をして良いという資格が与えられたということのそれ以上でも、それ以下でもありません。
教員だって、弁護士だって、建築士だって、気象予報士だって、うまい人もいれば、下手くそもいて当然です。
ある程度の知識の習得は試験で確認できますが、試験の点数をとる能力と、実際にその現場で適切に振る舞える能力とは異なります。
よって「医師でもないくせに」という人は、テストの点数で人の価値が決まると思っている人であり、それだったら発達障害の子、知的障害を持つ子はダメなのか、となって差別の心があるともいえます。


日本は天皇以外は、皆平等、人に上下がないという文化で2000年以上歩んできた国です。
そういった歴史に目を向けると、「医者が言ったから」「専門家が言ったから」というのは、そういう発言をする人、個人の問題だといえます。
自分の人生に責任をとるのは自分自身。
そしてある程度大きくなるまでの子の人生に責任を持つのは親御さん。
発達障害の世界において、どうも支援者側は親御さんを下に置きがちだし、親御さんのほうもヘンに自分を下に置き、支援者側に責任の所在をうつしがちなような気がします。


今の子ども達が社会に飛び立つ令和の時代は、様々なルーツを持つ人、他の国で育った人、そしてAIなど、ごちゃまぜで働き、生きていく時代です。
発達の違いなんて言うのは、それらに比べれば、微々たる違いでしょう。
診断を受けた子は支援学級、放課後児童デイ、福祉的作業所…なんていうのは時代に逆行もいいとこです。
過ごす環境を区別するというのは、大人たちの内側にある差別が形になっているだけなので、まずは親御さんが「我が子の子育ての主体は私達なんだ」と思うところから始める必要があると思います。
もう一度、発達障害を子育ての領域に戻していきたいですね。




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10月24日(日)13:30~15:00 函館蔦屋書店2階イベントスペースにて出版記念講演会を開催いたします。ご予約不要で入場は無料ですが、先着30名になっております。詳細は函館蔦屋書店HPよりご確認いただけます。当日、本を購入してくださった方には、特製ミニクリアファイルをプレゼントいたします。


11月6日(土)午後1時よりzoom講演会『コロナ禍のヌケも育て直せる!』で講師を務めさせていただきます。主催は花風社さんです。講演内容やお申し込み方法はこちらをご覧ください。当日リアルタイムで参加できない方は、後日配信も行っております。


2021年10月11日月曜日

【No.1196】本に込めた想い

今朝、ジムで上半身をイジメてきたあと、家に着くタイミングで佐川のお兄さんが大きな段ボールを抱えてやってきました。
お兄さんが軽やかに段ボールを持つ上着の袖から出たその上腕は素晴らしい張りをしていて、羨望の眼差しで見ていると、送り主のところに「花風社」の文字が書かれているのに気がつきました。
今回、新刊の制作に携わらせていただいたため、お世話になった方達にお贈りしようと思い、まとまった数をお願いしていたのです。


午前中は、まだ私が何者でもなかった頃、そしてほとんどの人が起業することを、起業したことを鼻で笑っていた時期に応援してくださった方たちへ感謝の気持ちを込めて、新刊の発送を行っていました。
午前に郵便局から郵送しましたので、明日、明後日にはお手元に届くと思います。
もし水曜日頃までに届かず、「私も散々世話したのに!」という方がいらっしゃいましたらご連絡ください(笑)
即、郵送いたします。


今回、初めて本の制作に携わらせていただいたのですが、1冊の本ができるまでに、これほど多くの方達の力と専門性が注がれているのだと実感することができました。
本をめくりながら、携わってくださった皆さまの顔が思い浮かびます。
本は好きで、子ども時代からたくさん本を読んできた私ですが、何気なく手に取り、読んできた本一つ一つに多くの人が携わり、たくさんの想いが詰まっていることに改めて気づくことができました。
いろんな人が携わり、いろいろな考えや体験を元に出来上がった本ですので、全面的に同意していただく必要はなく、「ここはそう思う」「いや、ここは違う意見だ」「これってどういうことだろう」など、読んでくださる皆さまが主体的に考え、そしてより良い明日に繋がるようなきっかけになれば、と思っております。
本を読んでくださった前と後で、何かが変わるのでしたら、それがその人の幸せに近づけるのなら、私は心から嬉しく思います。


そんなこんなで、新刊の発売と同時に、いろいろなことが動き始めて、急にバタバタと忙しい日々を過ごしていました。
そしてやっとのことで、先週の金曜日の「おかえりモネ」を録画で観ました。
鈴木京香さん、お母さんが家族が集まる中、震災当時の出来事を語る場面は良かったですね。
あれこそ、まさに心の傷を癒していく自然な人間の姿だといえます。


震災当時、いろいろな葛藤や悲しみ、心の傷を負った人は多いと想像します。
そこで政府はカウンセラーの派遣を早々に決め、東北各地に派遣していました。
しかし、これまた今と同じで「やっている感」だけなんです。
想像すればわかります。
震災から間もないときに、目の前にカウンセラーが現れる意味、そしてその人がどのように感じるのか。
ショックがまだ生々しいとき、カウンセラーの一言一言がその瞬間を思い出させてしまうことを。
かさぶたさえできていないのに、その傷に触れようとする感じです。
カウンセリングは追体験の要素があるので、逆効果だと私は考えています。


その人が抱えた心の苦しみ、心の傷を癒していくには、その人が自分自身で向き合えるための時間が必要なのです。
それがモネのお母さんは6年かかった、いや、6年という月日が必要だったわけです。
ああやって自ら家族に打ち明けることができるまできたことが大事であり、それを他人が「早く楽になれ」というのは間違いなのです。
あの場面にいたのは、カウンセラーではなく、家族でした。
あの場にいた家族は、お母さんの内側に合った自らで傷を癒そうとする力を後押しする雰囲気を作っていたのだと思います。
お母さんの中での時間の経過と家族の雰囲気が協応したとき、傷を癒し、また前に進むための一歩を踏み出せることになります。


良い思い出も、悪い出来事も、いろんなものを抱えて生きるのが人間という生き物だといえます。
他の動物なら、悪い出来事は反射で対処し、決して抱えて生きようとはしないものです。
辛い出来事に対しても、それが自分の人生の中に起きた意味を見出そうとし、また前に進むための力に変えることができるのが人間らしさとも言えるのではないでしょうか。
そしてそのような人達が最後のお父さんのセリフのように、「子どもの笑う顔ってのはぁ、やっぱりいい、いいもんだな~」と、次の世代に対する愛へとつながっていく。
10分間、我が子を想ったお母さんと、島の子ども達の笑顔のための塾を作ろうと言ったお父さん。
まさに人間が人間として成長、成熟していく姿、前を向いて生きていく姿が表現されていたと感じました。


今回、新刊の制作に携わった皆さんは、次の世代への愛をもった方達だと私は思っています。
我が子だけ、自分の親族だけ、大切にしている人だけ、ではなく、次の世代、特に今の子ども達、これから生まれてくる子ども達のために、自分たちの持っている力を注ぎたいという方達です。
ですから、今の子ども達の仕打ち、保身まみれの大人たちからの理不尽な対応に、心から怒ることができているのだと思いますし、私もその一人だと思っています。


より良い社会とは、子ども達がよりよく生きることができる社会のことをいうのだと思います。
私が20年間、発達の世界で見てきたこと、感じてきたこと、そして得た知識や情報が、今の子ども達と未来の子ども達のために1つでも役立てる点があるのなら、今回本の制作に携われたことを心から嬉しく思います。
ぜひ、我が子のより良い未来のため、そしてこれから生まれてくる子ども達の明るい未来のために行動できる大人たちを増やしていきましょう。
私も今までと変わらず、コツコツと自分にできることを行っていきます。


まるでその場にいたかのように、私がお伝えした発達相談の場面を描いてくださった小暮画伯さん。
一度見たら忘れないようなイラスト、ロゴを制作してくださった廣木さん。
私と浅見さんがもっとも伝えたかった「親心に自信を持とう!」というメッセージをそのイメージ通りのイラストで表現してくださったおーちゃんさん。
今の実力よりも、未来へのバトンとして私を著者に選び、私が得てきたものを1つの形にして世の中に送りだしてくださった浅見さん。
貴重な知見を教えてくださった花風社の著者の皆さま、全国にいる実践家の皆さま。
本を構成し、印刷し、全国の書店へ流通、送り届けてくださっている皆さま。
そして実際に本を注文し、購入してくださった皆さまに感謝申し上げます。
誠にありがとうございました。
一緒に仕事ができて嬉しかったです。




花風社さんの新刊【医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう】の詳細のご確認・ご注文はこちらからできます→ http://kafusha.com/products/detail/55
一般書店では15~18日頃より購入できる予定です。


10月24日(日)13:30~15:00 函館蔦屋書店2階イベントスペースにて出版記念講演会を開催いたします。ご予約不要で入場は無料ですが、先着30名になっております。詳細は函館蔦屋書店HPよりご確認いただけます。


11月6日(土)午後1時よりzoom講演会『コロナ禍のヌケも育て直せる!』で講師を務めさせていただきます。主催は花風社さんです。講演内容やお申し込み方法はこちらをご覧ください。当日リアルタイムで参加できない方は、後日配信も行っております。


2021年10月9日土曜日

『医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう!』出版に伴うご案内

【本の出版のご案内】

既に昨日より花風社さんに直接お申し込みいただいた方には本が届いております。
一般書店では10月15日から18日くらいに購入できる予定です。
この本は花風社さんの25周年記念事業の第一弾として出版されました。
本の「まえがき」「あとがき」「目次」はこちらからご覧いただけます。



【出版記念イベントのご案内】

10月24日(日)13:30~15:00 函館蔦屋書店にて出版記念講演会を開催させていただけることになりました。
事前のお申し込み、参加費は必要ありませんが、会場の都合上、先着30名になっております。
1時間ほど、実際のエピソードを交えながら本の紹介をさせて頂き、30分ほど質疑応答の時間をとりたいと考えております。
詳細は函館蔦屋書店さんのHPでもご確認いただけます。



【zoom講演会のご案内】

11月6日(土)13:00より『コロナ禍のヌケも育て直せる!』という講演をさせて頂きます。
主催は花風社さんです。
当日リアルタイムで参加できない方には、後日録画を視聴することも可能です。
お申し込み方法、講演の内容はこちらをご覧ください。
コロナ禍において子ども達の発達には既に影響が出てきているといえますが、本格的な影響が出るのはコロナ後になると感じています。
この1年半の発達相談において気づいたことと、それに対する発達援助のアイディアをご紹介したいと考えております。


2021年10月5日火曜日

【No.1195】ひっくり返して考えてみる

緊急事態宣言が終わり、市内での陽性者もZEROが続いているのに、自主的にマスクをつけている人達がいます。
もちろん、私がマスクをつけない自由があるように、その方達にもマスクをつける自由があるわけです。
だけれども、どうしてマスクをつけようとするのか、どうなったらあの人達はマスクを外すようになるのだろうか、と疑問に思います。
戦時中のように「欲しがりません、勝つまでは」「外しません、ゼロコロナまでは」という具合に必死にコロナが全国からいなくなるまで、はたまた岸田首相が「みなさん、マスクを外しましょう」と言ってくれるまでつけ続けるのかもしれません。


「マスクをつける」という行為は、他者である私から見れば、みなさん、同じように見えます。
そんな人たちと指さして「おかしい奴」とレッテル貼りをするのは、脳みその省エネで、考えることを放棄したのと一緒です。
ですから、「マスクをつける」という行為、つまり結果をひっくり返して考えてみます。


マスク→同調圧力→主体性の未確立(他人軸)→愛着障害
マスク→同調圧力→集団の和から離れることの不安→その人にとっての適応の形態(学校適応、会社適応、社会適応)
マスク→思考停止→心身に余裕がない→生活の苦しさ
マスク→思考停止→心身に余裕がない→考えることの放棄(マスクをつけないことの説明がメンドクサイ、説明を省くため)
マスク→思考停止→本能的な恐怖→感情的なショック(有名人の死、身近な人または自分の体験、テレビからの視覚情報)
マスク→思考停止→自ら考えるという習慣のなさ・とくに自分の考えはない
マスク→お守り→自分自身の健康不安
マスク→飛沫の防止→身近な人の健康不安
マスク→不快を感じない→長年の身体不調に対する慣れ
マスク→経済的な理由→雇用主から求められている
マスク→義務感・正義感→不安のひっくり返し
マスク→ポジティブな感情→小顔に見える、化粧しなくて良い、綺麗に見える


このように他人から見れば、みんな同じようにマスクをつけている人にしか見えませんが、そこに至るまでの過程は様々、背景も様々だということです。


では「マスク」を「感覚過敏」に変えてみましょう。
感覚過敏といっても、どの部位にどのくらいの強さ、または弱さ、まったく感じない、そしていつ頃から顕著になったか、その波は?という具合に、様々な症状の表れ方があります。
当然、その表れ方一つ一つに個人としての理由や生物学的、神経学的な理由も、環境的な理由もあるわけです。
で、しかも「2重マスク」「店内に入るたびに消毒液」「鼻マスク舌打ち」となれば、コロナ脳という診断がつくように(笑)、発達障害の診断は「感覚過敏」「こだわり」「言葉の遅れ」など、どういった症状が目に見えて確認できたか、によって決められていきます。
ですから、同じ診断名になっても、一人ひとりが全然違うというわけです。


一つひとつの症状にバリエーションと複雑な背景がある。
しかも、その症状の背景は問わず、確認できた症状の数で診断が決まる。
そして大問題なのは、その診断名によって「〇〇療法だ」などとアプローチの仕方を決めてしまう支援者、支援機関が多いということです。
「自閉症」→「構造化」、「学習障害」→「タブレット学習」、「多動」→「栄養療法」という具合です。
でも、本来、どういった療法、アプローチが必要か、は結果である診断名からは決められないのです。


診断名というのは、そもそも専門家同士のコミュニケーションのために作られた共通言語であり、利用者からすれば、福祉や教育的なサービスを受けるためのチケットです。
そういった場面においては、「こだわりが頻繁に見られ、言葉が単語で数個レベルで、聴覚過敏があり、知能的には1歳遅れくらいで、ハイハイを飛ばした〇〇くんです」と細かく説明するのは適切ではありません。
しかし、我が子の子育てにおいて、また教育においては、このような細かい症状が必要であり、それぞれの症状の背景を確認していく必要があります。
それができていないのに、子育ても、支援も、療育も、教育もできっこないからです。


たとえば、「口に過敏がある」というのでしたら…
哺乳時の様子はどうだったか?
嚥下や滑舌、舌の動かし方は?
脳幹の育ち全般に遅れがないか?
手の感覚は?指の動かし方は?
皮膚の張り、色はどうか?
水は飲めている?
おしっこの感覚は?量は?
毎日、うんちが出ている?
汗はちゃんとかけているかな?
ずりばいやハイハイ、ちゃんとやり切ったかな?
手づかみ食べは?
表情のバリエーションは?


など、「発達障害」←「感覚過敏」←「口の過敏」ではなく、「口の過敏」→「嚥下の問題」→「首の未発達」→「ハイハイのヌケ」→「脳幹の課題?」という流れになります。


「マスク」の例もそうですし、「口の過敏」の例もそうですが、物事は単純に1対1にはなっていませんし、いろんな理由・背景が複雑に絡み合ってその人の行動として表れているわけです。
なので、私がアセスメントをするときも、「正しく理解することは、捉えることはできない」という意識を持って行っています。
そもそも人間の行動の背景をシンプルに表そうなんて無理な話です。
よって、自分の中のルールとして1つの症状だったとしても、必ず複数のベクトルで確認していく、聴覚過敏だからといってすぐに前庭神経の課題と決めるのではなく、他の可能性、本当に前庭神経に未発達があるのかを別の行動から確認するようにしています。


ただし、単なるアセスメントなら上記のようにクドクドと全部確認し、すべての可能性を書き記せばよいのですが、私が行っているのは発達援助であり、家庭支援サービスです。
つまり、お客様であるご家族やご本人が利用できなければ、意味がない。
いろんな機関で行われたアセスメントシートを拝見させていただくことがありますが、執筆者の自己陶酔のような、読んでいて「で、だから、どうやって育てたら良いの?」という答えがないものが少なくないですよね。
だから、様々な背景の中からより根っこに近いものを、そこから育てれば芋づる式に全体的な発達に繋がっている部分を強調してお伝えしています。
やる気の出ないアセスメントは、報告書はただの紙切れっていう想いです。
是非、皆さまも、我が子を見るとき、担当している子を見るとき、症状からアプローチの仕方を考えるのではなく、症状から背景の向きに考えを巡らせてからアプローチを選択していってほしいと思います。
目に見える症状からは、対処法しか出てきませんので。
対処は育てていることにはなりませんね。


花風社さんの新刊【医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう】の詳細・ご予約はこちらからできます→ http://kafusha.com/products/detail/55


11月6日(土)午後1時よりzoom講演会『コロナ禍のヌケも育て直せる!』で講師を務めさせていただきます。主催は花風社さんです。講演内容やお申し込み方法はこちらをご覧ください。当日リアルタイムで参加できない方は、後日配信も行っております。




2021年10月1日金曜日

【No.1194】コロナ禍のヌケも育て直せる!

本日より下半期が始まると同時に、2021年もあと3ヶ月となりました。
函館は今日も20度越えで、明日以降も25度前後になる予想。
例年9月はあちこちで運動会が行われるのに、市内で25万分の10人/1日前後という奇病にもかかわらず、全部運動会は10月に延期。
明日から土日は、延期していた分の運動会が行われるので、お天道様はせめてもと子ども達に温かい空気を届けてくれているようです。
私も明日、朝一で道内日帰り出張で、日曜日は下の子の運動会でライン引きと準備片づけがあるので、一緒に汗をかいてきたいと思っています。


私にとっての緊急事態宣言は、出張先のラストオーダー19:30までに店内に入れるかどうかの影響のみで、この1年半ほとんど生活は変わっていません。
皆さまがご遠慮されている分、私は遠慮なく酸素を頂戴していますし(笑)、行きたいところに行き、ご依頼があれば全国どこにでも伺ってきます。
これだけ普通に生活しているのなら、何度もコロちゃんに暴露しているに決まっています。
しかし、今まで体調が悪くなったことはないですし、ちょっと喉が、咳が、熱っぽいな、となってもだいたいその日のうちか、一晩寝れば治っていますから、まだまだ私の自然免疫のほうがコロちゃんより強いということでしょう。
なので、わざわざお注射をする必要性を感じません、副反応で仕事の依頼に応えられない方が嫌なので、私の接種券は既に回収され、灰になりました(笑)


だからといって、他人がマスクを付けていようとも、接種しようとも、特になんとも思いませんし、自分の考えをもって感染対策や接種をされた方はそれで良いのだと思います。
でもまずいのは、「みんながしているから」「職場の同調圧力が」「医者が言うから」とか言っている人間です。
集団免疫仮説が否定された現在、対策も、接種も、また接種しないという選択も、自分の命を守るために行うものです。
でも、自分の体内こそ、最大のプライベートゾーンなのに、その判断を自分以外に委ねているということは、私から見れば命をないがしろにしている感じがします。
TVやネットに出てくる専門家は、あなたの命や健康の選択を委ねて良い人間なのでしょうか。
そこまで信じて良い人間なのでしょうか。
彼らにとっては、あなたは見ず知らずの他人。
なにがあっても、それは「1」という数字でしか認識できないのです。
まさに、これは発達の世界で見てきた状況。
専門家、医師、支援者にとって、あなたの子はたくさん関わってきた発達障害児の「1」にすぎないのです。


今日の午前、市内を移動していると、校外学習に出かけている子ども達の集団を多く見ました(これも9月分の延期??)。
緊急事態でも、まん延状態でもないフツーの10月1日金曜日の午前です。
その中でマスクを付けている子と、つけていな子がいました。
つけている子はどうしたら外すのでしょうか。
先生に言われたら外す。
先生は校長や教頭に言われたら外す。
校長は教育委員会から言われたら外す。
教育委員会は市長から言われたら外す。
市長は知事から、知事は国から…。
岸田新首相が「さあ、みなさん、マスクを外していいですよ」といえば、みんな外すのですか、御上から言われないと自分から外すという選択ができないのですか。
日本人は自分の頭で考えられないバカばっかりになってしまったのでしょうか。
常時マスクをしていて苦しさを感じなければ、不快感を感じなければ、それは既に問題が進行している証拠です。
子どもがそんな状態なら、既に心身の発達に影響が出ていると言えるでしょう。


とはいえ、私は個人事業主で、雇われの身ではない自由な立場なので、これだけ好き勝手言い、行動できているとも思っています。
ですから、このコロナ騒動があった1年半も変わらず動きまわり、あちこちを見てこれた私なので、そこで見聞き、感じた体験や情報を志を共にする皆さまと共有することは大事な役目だと考えています。
そして今回、情報共有する場を花風社さんの浅見さんに作って頂きました。
11月6日(土)zoomを使っての講演会を行います。


コロナというわけではなく、コロナ騒動という保身まみれで、自分の頭で考えることを放棄した大人たちによって作られた人災が、子ども達の発達に影響を与えたのは事実だといえます。
そしてその影響は、その子がどの発達段階、どの年齢で味わったかによって影響の大きさが変わってくると思いますし、本格的な影響はこれから先の5年、10年後だと思っています。
主催してくださる浅見さんに講演のレジュメをお送りしましたが、私の頭の中はグルグルと考えがまとまらない状態になっています(笑)
11月5日の当日まで情報や考えを更新しながらそのときベストなものをご紹介したいと考えています。


先ほど述べた通り、コロナ騒動は人災であり、一番の被害者は子ども達です。
ですから、被害を与えてしまった私達大人が彼らの育ちをフォローしていくのが当然の義務になります。
私が見聞きしてきたこと、全国にいらっしゃる素晴らしい実践家の方たちから教えていただいたことをベースにお話しできればと思っておりますし、このコロナ騒動の中でも、むしろ普段以上によりよく育ったと感じる子ども達の姿も紹介できればと思います。
みなさま、ご興味ある方は今後のご案内をお待ちください。
どうぞよろしくお願い致します。


花風社さんの新刊【医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう】の詳細・ご予約はこちらからできます→ http://kafusha.com/products/detail/55


10月も急遽関東に出張することが決まりました。10月15日(金)の午後でしたら、ひと家族お受けすることが可能です。詳細・お問い合わせはこちら。もしご希望がなければ、久しぶりに寄席に行こうかと思っています(笑)。スワローズのチケットがとれなかったので(涙)