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4月, 2025の投稿を表示しています

【No.1420】親としての「愛着形成のヌケ」

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親御さんと手をつなぎ、玄関から入ってくる。 次の瞬間からその子の探索が始まる。 見て、触って、嗅いで、この場所は安全なのか、安心できる場所はあるのか、を確かめる。 親御さんは持ってきた荷物を下ろし、衣類や洗面道具、日用品を職員と確認しながら、今日の体調や様子、注意事項などの引継ぎを行う。 そして別室に移動し、契約の書類にサインする。 いざ親御さんが帰る時間になっても、探索を行っている子もいれば、自分の空間を見つけ、自分の世界に没頭している子もいる。 「じゃあね、また迎えに来るね」と涙を流す親御さんをちらっと見るだけで、特段変わった様子は見せない子どもの姿。 4月は新入所の子ども達がやってくる時期です。 施設で働いていた当時の私は独身で子どももいませんでした。 だから、親御さんの涙は幼い我が子を施設に入所させる罪悪感と寂しさだと思っていました。 でも、自分も親になり、家族支援という仕事を続けていく中で、もっと深くて複雑な想いがあったのでは、と思うようになりました。 幼い子が親御さんと離れることになれば、激しく抵抗し、涙を流すことでしょう。 しがみついて離れない子だっているはずです。 でも入所してくる子の多くは、そういった感情表現をしません。 むしろ、家庭で暴れてどうしようもなかった子が入所初日から落ち着き、夜もぐっすり眠ることもあるのです。 こういった我が子の姿、様子を聞き、親御さんはどう思うか。 当時の私は「〇〇君は元気にやってます」「他害や自傷も出ていません」と電話口で”安心”を伝えているつもりだった。 でも、それを聞いた親御さんは大いに傷ついたと今は思う。 入所し、親御さんが帰るときになっても感情表現しなかった子どもさんですから、赤ちゃんの時から愛着形成を築くのが難しかったのでしょう。 子どもを授かり、「あんなことをしたい」「こんなことをしてみたい」と想像していたのが一転、自分になつかない、愛情をかけてもそれが返ってこない、同年代の子とは違った発達をしている。 今の仕事をしていても、「ずっと自分はダメな母親だと思っていた」「ずっと自分が否定されている感じがする子育ての日々だった」と話される親御さんが多くいます。 発達相談で1,000家族以上の相談にのってきましたが、生んだだけで愛情が溢れてくる、我が子を愛おしく思える、無償の愛、なんていうのは違うと思うのです。 ...

【No.1419】「集団が苦手」は「集団が必要ない」ではない

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「まずは20かける20でいくべ」 「もうちょっと上げてくれや」 「今日もゆるくねえなぁ~ガッハッハ」 数日前から家の前のマンションの改修工事が始まり、元気なおじさん達の声が聞こえてきます。 朝の7時半過ぎから作業員さん達が集まってきて、『あんぱん』が始まるころには重機のゴゴゴーンという音が鳴り響きます。 ピタッと静かになるのがお昼の合図。 夕方の作業が終わるまで、とても賑やかな一日。 いくつになっても、「働くって楽しい」と教えてくれているような気がします。 「人と関わるのが苦手」 「一人が楽で良い」 という人達がいます。 どちらかといえば、そう思っている大人のほうが多いかもしれません。 そこに「ASDの特性」という大義名分が加われば、おのずとそちらの方向へと子ども達を誘っていく。 確かに子ども達も「集団がきつい」という。 でも、「集団がきつい」と「集団生活が必要ない」はイコールなのでしょうか。 園生活や学校生活など、集団の中で生活、学習することが辛いと感じる子ども達はいます。 だから個別対応があって、特別支援教育がある。 まず大事なのは安心できる環境で、学びや成長を積み上げていくことだから。 しかし、それは「集団生活が辛い」という根本原因を解決するまでの一時的な避難でしかないと思うのです。 よっぽど才能があって、一人で芸術的な絵や曲を捜索することができる。 よっぽど資産があって、一人で何不自由することなく生きていくことができる。 そんな人は一握りの中の一握りであって、発達障害があろうとも、自閉症で特性が強かろうとも、人と関わり、集団の中で生きていかなければなりません。 そんなことは支援者だって、医師だって、先生だって、親だって、知っている。 もっといえば、当事者の人たちだって知っている。 だってみなさん、私にそういうから。 「いつかは集団の中で生活したり、働いたりしなきゃならない」 「いつかはみんなと一緒に勉強したり、遊んだり、働いたりしてみたい」 一人が楽だけれども、できるなら誰とも関わらず生きていきたいけど、それじゃあいけないのは百も承知。 支援者は「苦手」を「不可能」と変換する。 「できないこと」は「できるようになりたい」ということに気づけないでいる。 「辛い」は「楽になりたい」という希望の言葉、未来に向けた前向きな言葉であることがわからないことがある。 感覚...

【No.1418】開業13年目を迎えて

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「事業とは社会の一歩先を歩くもの」 そんな想いで起ち上げた事業も、今日から13年目に入ります。 当時は家庭で行うとすれば、絵カードか、衝立&構造化でした。 あとはでき始めた児童デイ、療育に一生懸命通うだけ。 「これでよくなるのだろうか」という想いと、「これしか選択肢はない」という想いのはざまで揺れ動いていたお母さんたちの姿が印象的でした。 ただただ支援を受けるだけの日々ではもったいない。 発達や知的に遅れがあろうとも、学び、成長することはできる。 家庭でできること、発達を後押しすることができるのではないか。 きっと既存の支援、療育に疑問を持ち、我が子のためにできることを求める親御さんが増えていくはずだ。 そうやって社会の一歩先を見据えた発達相談、援助サービスを始めたのです。 その一歩先の現在はどうなったのでしょうか。 変わらず発達の遅れに悩む家庭は多くあります。 しかし、支援や療育に依存するだけではなく、様々な取り組みを家庭で行う人達が増えました。 診断が外れ、支援が必要ないくらまで育った子も珍しくなく、元発達障害児は一般社会の中で自立して生きていく。 主観メインの診断から脳波測定による客観的な問題、課題、特性の把握へと変わり、直接的なアプローチも可能になったのです。 「治るか、治らないか」ではなく、「知っているか、知らないか」「行動するか、しないか」の時代。 てらっこ塾という事業も、次の一歩先を考えないといけません。 相変わらず1歳代、2歳代、3歳代のお子さんを持つご家庭からの相談が中心になっています。 そしてこの年代から発達援助を始めた家庭は、本来の発達の流れに戻るのも早いですし、同世代のお子さん達よりも優秀なくらいまで心身が豊かに育つ場合も多くみられるのです。 自閉症の特性も、知的障害の状態もとても重い方たちの支援から始まった私のハッタツの世界。 そこから家庭支援を始め、多くの子ども達、ご家庭と関わり、その子たちも成人していきました。 良くなった家庭だけではなく、そうならなかった家庭も多く見てきた私だからこそ、小さい子ども達と親になったばかりの親御さん達のためにできるアドバイスがあるのではないかと思っています。 さらに将来的にはまだ子を持つ前の若者たち、若い世代のご夫婦への予防の仕事がしたい。 発達障害を治すのではなく、なる前に治す。 そんな思いを胸に本日、2...