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10年先、20年先の函館を見る

現在、私は30歳。 まだまだ勉強が足りません。 コネも、お金もありません。 そんな私が起業を急ぐのには理由がありました。 それは10年後、20年後先を見たとき、今始めるべきだと考えたからです。 私は学校を卒業してからが人生の本番だと考えています。 例えば、3歳で自閉症の診断を受けたお子さんの支援に私が関わったとします。 その子が高等部を卒業し、社会に出るのは15年後。 15年後の私は45歳です。 45歳という年齢は、まだ現場の支援者としていられる年齢です。 それが起業が5年遅くなると私は50歳。 50歳という年齢は、後進の支援者を育て、徐々に道を譲り始める年齢だと思います。 (支援者は経験や知識も大切ですが、それよりもフットワークの軽さが重要だと考えています) 起業することが後になるほど、私も年を取ることになります。 ということは、関わったお子さんが学校を卒業し、社会に出て人生の本番を迎えるときの支援に責任が持てないということになります。 子どもが成人したとき、自分の持っている力を最大限発揮し、自分らしく充実した生活へ歩みだした時点で支援者としての責任を果たしたことになると私は考えています。 成人になったときの生活に責任を持てない状況で、あれこれ支援に口や手を出すことはいけないと自分自身で思っています。 そのように逆算して考えると、30歳の自分は早すぎず、遅すぎずの時期だと考えました。 10年前、私が学生だったとき、障害を持った子どもが学校以外で過ごせる地域の資源は限られていました。 それが今、選ぶことができる数だけ地域資源は増えています。 ある程度増えた地域資源は、今後10年で"数"から"質"へと求められるものが変わっていくと思います。 てらっこ塾は自閉症の人たちの学びをサポートします。 10年後、障害を持った子どもたちも、学校以外の場所で教育を受けることが、当たり前のようになると思います。 そして20年後には、そんな教育の場の"質"が求められる時代が来ると思います。 10年後、20年後、障害を持って生まれた子どもも、家族ももっと住みやすく、子育てしやすい地域、社会にするために今、一歩を踏み出すことが大切だと思い、てらっこ塾を始めるに至りました。

自閉症児の偏食の解決への糸口

息子は離乳食のときから野菜をよく食べます。 人参、じゃがいも、玉ねぎなどは毎日食べています。 でも、近頃料理によって食べたり、食べなかったりするようになってきました。 口の中に入れてから吐き出すこともあれば、野菜を確認してから食べるときもあります。 それが同じメニューだったとしても。 どうして息子は食べたり、食べなかったりするのか? 私は彼がまだ"言葉"を獲得していないことが大きいと考えています。 例えば『人参』 私たちは肉じゃがに入っている人参も、カレーに入っている人参も、お味噌汁に入っている人参も同じ『人参』であることはわかります。 切り方が角切りでも、細切りでも人参は『人参』です。 しかし、『人参』という言葉を知らない息子は、見るか、食べるかでしか人参だと分かる方法はありません。 息子は食事に出た赤いものは同じものであると分かっている様子があります。 切り方や大きさが異なっていたとしても。 でも口の中に入れたあと、吐き出したり、食べたりすることがあるので、息子は食感で食べ物を確認しているのだと思われます。 細切りやいちょう切りの人参は出すことが多いですが、四角く切った人参、すりおろした人参は食べます。 もし息子が『人参』という言葉を知っていて、どのような食感でも人参であることが一緒であると分かれば違った食感でも食べるはずです。 "言葉"というのは言い換えれば"概念"で捉えるということです。 『人参』は"にんじん"という音でしかありません。 私たちは"にんじん"という音を聞いて、人参の共通点(ex.野菜、赤い、味)からイメージをして捉えています。 これが"概念"で捉えるということです。 もし"概念"で捉えることができない場合は、実際に見たり、触れたりすることで一回一回捉えていかなければなりません。 "概念"で物事を捉えることが苦手なのは、自閉症の人たちに共通している特性です。 自閉症の人たちは概念で物事を捉えることが苦手なので、1つ1つ具体的に捉えるということがあります。 自閉症の子どもで偏食のある子がいます。  メニュー、盛り付け方によってまった

高校球児が思い出させてくれた

高校3年生の最後の夏。 地方大会の3回戦で私たちの甲子園の夢は終わりました。 高校3年間は硬式野球ばかりの毎日でいつも暗くなってからの帰宅でしたが、引退してからは夕方のだいたい同じ電車での帰宅する生活に変わりました。 帰りの電車の中。 車掌のアナウンスがある度に、同じタイミングで一緒にセリフを言って笑っている男性がいつも乗っていました。 いつも同じ駅の同じ扉から車内に入り、いつも同じ場所に立って電光掲示板を見ている男性。 卒業するまでの半年間、何度もその男性と一緒の電車で帰りましたが、その男性が自閉症の人かもしれないと思うのは大学に入ってからのことでした。 私は大学に入るまで、"自閉症"という障害について知りませんでしたし、名前すらも聞いたことがありませんでした。 大学へは小学校の先生になるために入りましたし、不登校や虐待などに関心があったため、教育心理学を専攻していました。 実際に4年間、児童相談所のボランティアで不登校の生徒と関わることを続けていました。 障害児教育の専攻だった友人から障害を持った子どもたちの余暇支援ボランティアに初めて誘われたときも、私のイメージする障害を持った人は肢体不自由の人しか思い浮かびませんでした。 「なんでみんな絵のカードを持って歩いているの?」 「たくさん友だちやボランティアの学生がいるんだから、そんな狭い囲いの中にいなくてもいいんじゃない??」 「そんなにくるくる回ったら目が回るんじゃない???」 初めて自閉症の人たちの様子を見た私の頭の中は「?」がいっぱいでした。 そのときの自閉症の人たちの印象は『声をかけてはいけない几帳面な人たち』でした。 そんな自閉症の人たちとの初めての出会いから1年が経った2年生の秋。 私はひょんなことから自閉症の男子生徒の休日ボランティアをすることになりました。 その自閉症の男子生徒は、こだわりが強く、よくパニックを起こす人でした。 初めてその様子を見たとき、正直大変なことを引き受けてしまったと後悔していました。 しかし、一度引き受けたからには責任がありますし、その生徒が落ち着いて過ごせるように頑張らないといけないと思いました。 そこから自閉症についての勉強が始まりました。 障害について書かれた本を生まれて初めて手にした私。 「自閉

それは"解釈"ですよ~

「あなたは今、楽しい気持ちでしょ」 「あなたが顔をそむけたのは怒っているからに違いないね」 他人から自分の気持ちや行動の理由を分かったように言われると、良い気持ちはしないですよね。 他人に自分の気持ちや行動の理由が完全に分かるとは思えないですし、それが当たったとしていても「違うよ」と言ってしまいたくなります。 でも、自分が知らず知らずのうちに他人の気持ちや行動の意味を決めつけてしまっていたら・・・。 支援者は気が付かないうちに自閉症の人に対し、このようなことを行っている場合があります。 支援者の中には、自分が関わっている自閉症の人を見て「このように思っている」「この行動にはこんな意味がある」などと本人が言っているように表現する人がいます。 自閉症の人は、なかなか自分の感情や行動の理由について語ってくれませんので、このような場面が多くなってしまうのは仕方がありません。 しかし、このような場面が日常的になると、特に本人と結びつきが強くなっている支援者は、あくまで本人の代弁であって、それも解釈して表現しているという意識が薄くなってしまいます。 自閉症の人たちは、見えない感情というものを理解したり、表現することが苦手です。 私たちと同じようにいろいろな感情を持っていますが、自閉症の人たちは自分の感情に気づきづらく、複雑な感情を整理することも苦手です。 ですから、自閉症の人本人もうまく表現できない感情や行動の理由を他者が表現するには"解釈"でしかできません。 支援者は自分が"解釈"して表現していることを常に意識しておく必要があります。 客観的に支援を組み立てられなくなったり、自閉症の人の可能性を支援者が決めてしまったりする危険性があるからです。 また支援者と本人との結びつきがどんどん強くなってしまい、他者の意見に耳を傾けられなくなることや支援者が自己肯定観を得るための存在として自閉症の人を見ることも出てきます。 相手が自閉症の人であってもなくても、「相手のことを100%分かっているわけではない」ということを意識し、謙虚に向き合う姿勢が真の他者理解につながっていくと私は考えいます。

『てらっこ塾』のコア・バリュー

『てらっこ塾』の名前は、みなさんのご想像の通り、江戸時代の民間の教育機関「寺子屋」に由来しています。 寺子屋は庶民の子どものための教育機関であり、実生活に必要な知識や技能を一人ひとりに合わせて学ぶ場所でした。 また学びたいと思う子どもは、どのような子どもでも学ぶことができました。 このような寺子屋の姿に共感し、私が目指すべき機関の姿に近かったので『てらっこ塾』と命名しました。 自閉症の人たちは、学んだ知識や技能を応用させることが苦手です。 例えば、紙の上で計算ができるようになったとしても、実際に買い物するときの計算に応用ができないことがあります。 また環境の影響を受けることが多く、興味関心の幅も狭いことが特徴として挙げられます。 ですから、将来必要であると考えられる学習に内容を絞ることも大切であり、一人ひとりに合わせて実生活に必要な知識や技能を実践の中で身につけていくことが有効になります。 『てらっこ塾』では、どんな依頼に対しても「NO‼」と言わないことを目指しています。 もちろん総合的に考えて、別の学習や方法が希望されたことよりも望ましいと思われるときにはそれを提案させていただきます。 しかし、「学びたい」と思う自閉症の人なら、子どもでも、大人でも、困難な状況にいる人でも受け入れ、本人が成長し、生活の質が向上していくことのお手伝いをさせていただくことを『てらっこ塾』の中心的な価値としています。 命名に関して他にもこだわりがあり、それは福祉的な名前にはしたくないというものでした。 "愛"や"夢"、"希望"などは本人や家族の中で育んでいくものだと私は考えていたからです。 あくまで『てらっこ塾』は教育を行う機関であり、教育を行う者の一番の役割は利用してくれる人の未来をより良いものに変えていくことだと考えています。 それには支援者の心情よりも、専門的な知識と教育が前面に出る必要があると考えました。 時々、保護者や本人から「てらっこ塾の名前いいね!」と言ってもらえることがあります。 「てらっこ塾」の名前と理念をみなさんにもっと好きになってもらい、自閉症の人たちを支える地域資源の一つになってもらえたらと思っています。

社会を変えるのは障害を持った人自身

10年前に子育てをしていた親御さんとお話しすると、「今の方が障害を持った人にとって生活しやすい社会になった」とみなさんおっしゃいます。 まだまだ障害を持った人にとって理想的な社会とは言えませんが、確実に前進しているのだと思います。 それでは少しずつですが、社会を変えていったのは誰でしょうか? 家族が子どもの代弁者となり、社会を変えるための大きな役割を果たしたのだと思います。 また障害を持った人たちを支える教育、福祉、医療、行政の人たちの力もあったと思います。 しかし、直接社会を変化させてきたのは障害を持った人たち自身であると私は考えています。 障害を持った人たちの支援を専門に行っている人でも、100%彼らのことを理解することは難しいです。 ましてや障害を持った人たちと関わったことのない一般の人たちはなおさらです。 では、どうしたら一般の人たちの認識が変化していくのでしょうか? それは実際に障害を持った人たちと関わることだと思います。 きっかけは法律だったにしろ実際に雇ってみて、彼らの働く姿から雇い主や同僚の認識に変化が起きたことも多いと思います。 習い事をしたり、公共の施設や保育園などを積極的に利用したりすることにより、地域の人たちは関わる機会ができ、その活動を通して理解が深まったことも多いと思います。 教育の力によって成長していく姿が、支援者の意識を変え、教育の質の向上にもつながってきたことも多いと思います。 「10年前よりも良い社会」は、そんな一人ひとりが作ってきたのだと思います。 今を生きる障害を持った人たちが、今後生まれてくる子どもたちの未来の生活を作っていくのだと考えています。 障害を持った人たちは一人ひとり役目があり、皆、社会を変えていく力を持っていると思います。 障害を持った人たちが自分の持っている力を発揮し、積極的に社会に参加し、自分らしく生き生きとした人生を送ることが周囲の人たちの認識を変えていくのだと思います。 そのためにも、私は障害を持った人たちが様々なスキルを身につけるお手伝いをすることによって、彼らが自分たちで生活しやすい社会に変えていくことをサポートしたいと考えています。

知的障害の程度が子どもの未来を決めるわけではない

私は知的障害の程度で自閉症の子どもたちの未来が決まるとは考えていません。 成人したとき、より自立的で、充実した生活を送れるようになるには、子どものときに受けた教育が大きく影響すると考えています。 知的障害を持っていなかったり、持っていても軽度である自閉症の人たちは、身の回りのことを自分独りでできることが多く、将来、一般就労することや家庭を出て生活することもあります。 しかし、 知的障害を持っていないから就労や自立した生活ができるようになったのではありません。 そこまでできるようになるには、本人の頑張りはもちろん、陰には生活や就労に必要なスキルを教えた家族や教師の姿があります。 自閉症の人は興味、関心の幅が狭く、注目や学習の仕方が私たちとは異なります。 ですから様々なことを教えるには、支援者が興味を引くような工夫や個人の学習スタイルに合わせて教える必要があるのです。 自閉症という障害は個人の思考や学習スタイル、生活パターンにまで大きな影響を及ぼします。 知的障害がないから将来自立できるなどという簡単な障害ではありません。 今の日本では、知的障害を持っている自閉症の人たちは将来、福祉の枠の中で生活していくことがほとんどだと言えます。 しかし、知的障害を持っている自閉症の人の中にも、身の回りのことが独りでできたり、買い物や通勤ができたり、余暇を楽しんで生活している人が多くいます。 私はそんな姿を見ていて、私たちと比べて限られた世界かもしれませんが、持てる力を発揮し、主体的で充実した生活が送られているのではないかと感じます。 やはり彼らの陰にも、家族や教師の教育の力があると思います。 自閉症という障害だけでも困難なことが多いのに、知的障害という部分まで配慮しながら教育を行う必要がある人たちです。 その人たちに生活に必要なスキルを教え、身につけさせるまでには支援者の尽力があってのことだと言えます。 知的障害があるなしに関わらず、自閉症の人たちは一気に様々なスキルを身につける訳ではありません。 「子どもの将来の幸せな生活のためにどんな教育が必要なのだろうか」という視点を常に持ちながら、幼少期から教育していくことが子どもたちの未来を作っていくのだと考えています。

パズルをやってみよう

近頃、2歳になる息子はパズルに夢中です。 パズルを買ったばかりのときは「手伝って!」の連続でしたが、一週間くらい経つと自分独りでできる部分が増えました。 様子を見ていると、1つ1つのピースがどの辺にあるものかを覚えたようです。 時々、パズルと喧嘩をしながらも楽しんで遊んでいます。 自閉症の子どもは、一人ひとりが異なる学習スタイルや注目の仕方を持っています。 その個人が持つ学習スタイルや注目の仕方を調べるには、パズルを行っている様子を見ることが有効だと言えます。 ◎最初にパズルを見せたとき、どのような反応をするか? 新しいものに積極的に取り組もうとするのか、それとも行おうとするまでには動機づけが必要かがわかります。 ◎ピースを置くにはどのようなヒントが有効か? 一緒に手を添えるのが良いのか、指さし、声を掛ければ良いのか。1つずつピースを手渡しすることが有効か。 ◎どんなピースを手に取るか? 手の近くにあるピースを取っているのか、選んで取っているのか。 ◎ピースを選んで取っているなら、どんなピースを取っているか? 角にくるピースから取っているか、特定の絵柄や色か、最初にパズルを行ったときに初めに持ったピースか、右→左、上→下の特定の順番があるか。 ◎何をポイントにしてピースを置いていくのか? 完成図を記憶して、台紙にあるピースの形に合わせて、ピースについている絵を合わせることによって、すべてのピースの置く順番を記憶して。 その他にも、子どもの集中力や集中できる学習環境、繰り返し行うことでの興味の変化や行動パターンの変化を調べることができます。 パズルは支援者に有益な情報を与えてくれます。 また子どもにとっても、パズルのルールはわかりやすく、どうなったら終わりかも見て分かりやすいので、余暇活動の一つとして楽しめると思います。 特に年齢の低い自閉症の子どもにパズルをお勧めしています。

視覚的構造化=水戸黄門の"印籠"!?

「このスケジュールが目に入らぬか~!」 「あ、あれは自閉症の人たちに有効だと言われている"視覚的構造化"では」 「はっはぁ~、スケジュールの通りに動きますぅ~~~」 というようにはなりません。 そもそも視覚的構造化は、自閉症の人の持ち物であって、支援者の懐から出てくるようなものではありません。 また、印籠のように自閉症の人をコントロールするものでもありません。 視覚的構造化はコミュニケーションの受信を助けるもの、つまり"支援者の伝えたいことがわかる"というものです。 他にも、自閉症の人の注意を向けやすくするためや情報を整理することを助けるためという要素もありますが、自閉症の人の理解を助けるものであることが視覚的構造化の包括的な意味となります。 視覚的構造化を提示したとき、自閉症の人がその提示されたとおりに動かないことがあります。 その理由としては、 ①表示の内容、レベルが自閉症の人の理解度と合っていない ②そもそもわかりづらい作りになっている ③示された行動をするためのスキルを自閉症の人が持っていない ④言いたいことはわかるが、やりたくない、他にやりたい行動がある などが考えられます。 特に私が強調したいのは④の理由。 気分が乗らないときだってあるし、他に魅力的なことがあれば、そちらをやりたいのは自然な気持ちです。 定型発達と言われる私たちだって、他人から言われたとおりに動きたくないこともありますよね。 自閉症の人たちの行動を決定するの、自閉症の特性だけではなく、その人が持つ性格や気分、調子など、個人の持っているすべての気質です。 「わかっちゃいるけど、やめられない」ということは、みんなありますよね。 「視覚的に示したんだから、この通りにやりなさい」 「やらないあなたが悪い」など、水戸黄門みたいな支援者になってはいけません。 私たち支援者が行うことは、視覚的構造化で示したことを自閉症の人が魅力的で、やってみたいという気持ちが持てる活動にしていくことだと考えています。 魅力的な活動は、視覚的に示していなくても、みんな飛びついていきますよね!!

障害を持った人たちが行政サービスを担う

函館山や元町周辺、五稜郭公園などの観光スポットを清掃する仕事を障害を持った人たちに行ってもらう。 仕事の時間帯は早朝で人が少ない時間。 人が刺激になる人でも大丈夫。 仕事の内容も行える人が多く、作業も理解しやすい内容。 清掃員は函館市が雇う。 函館市は障害を持った人たちの直接的な雇用対策につながるし、成功すれば対外的なアピールにもなる。 自閉症の人たちは、市の職員として働くことができるし、賃金も保障されやすい。 また、観光の町である函館を直接支える役割を担うことができる。 観光地で商売をしている人にとっても、きれいな街はお客さんを呼ぶことになるし、自分たちで手が回らないことなので大歓迎。 函館を訪れる旅行客もきれいな街は気持ちがいいし、また来たいと思ってもらえれば大成功! こんな仕事を作ってみてはいかがでしょうか? 他にも函館市で障害を持った人たちを雇い、地域の人からの要望に応えていく。 除雪や木の枝の伐採の手伝い、図書館や市役所内の仕事、旅行客向けのガイドなど。 独り暮らしの高齢者のために、家の中の切れた電球を換えたり、買い物のお手伝いをしたり。 高齢者の人たちに喜ばれるし、専門の組織に依頼するよりもお金はかかりません。 「かゆいところに手が届く」ような行政サービスになるのでは。 函館のような地方都市では、これからますます若い働き手が減っていくことが予想されます。 その現実に直面する前に、地域に働く能力を持っているけれども、働く場のない障害を持った人がいますので、その人たちの溢れるパワーを地域のために生かしていくことを検討してみてはどうでしょうか。 併せて市で専門スタッフとして私も雇ってください‼(笑) 地域で障害を持った人を雇ってみたい企業が書き込める掲示板。 または、こんな仕事もできるのではということも地域の人に書き込んでもらう。 名付けて『HAKONIちゃんねる(HA:函館の KO:雇用を NI:担う」 実際に働いている人の声などを載せても良いかもしれません。 そんな交流サイトを作っても面白いなぁ~♪

人生の目的は就労することではない

「目的は個人の幸せ。就労することではない」 この言葉に、ハッとさせられる支援者も多いのではないでしょうか。 この言葉は、アメリカで出会った自閉症の支援を行っている人が言っていたことです。 しかもこの人の仕事は、自閉症者の就労の訓練を行うこと。 つまり、就労の専門スタッフが、目的は就労することではないと言っているのです。 あくまで目的は"個人の幸せ"なので無理や我慢をさせるようなことはせず、支援者側が個人に合わせて柔軟に指導や支援を行っていました。 "人生の目的は働くこと"ではない。 ほとんどの人がそのように考えているはずなのに、実際は働くことが中心になって生きている人が少なくないと思います。 働くことによって、自己実現ができたり、周りから感謝されたり、お金を得て好きなことに使えたりと、働く意義は人それぞれです。 しかし、働く目的の先には、みんな同じで、個人の幸せがあるはずです。 不幸になるために働く人はいないと思います。 これは障害を持った人たちも同じです。 何のために就労支援を行っているのかなと疑問に感じる場を目にすることがあります。 確かに支援者にとっては、障害を持った人たちを就労させることが仕事の中心であり、周囲からも認められることにつながると思います。 自分が担当した人を就労させることができたという事実は、支援者の幸せにつながるかもしれません。 でも、個人から見た就労は人生の一部でしかありません。 働くことは充実した人生、幸せな人生を送るための一つの要素であって、家での生活や余暇活動などと違いはありません。 同じようなことは学校教育でも言えます。 学校教育はたった12年間です。 一日で学校に行く時間は4~6時間、休みは土日に長期休みもあります。 18歳で高等部を卒業してからの人生は60年続きます。 人生をトータルで見ると、学校教育は短い期間であり、学校を卒業してからが人生の本番と言えるのではないでしょうか。 就労支援の場でも、学校教育の場でも、この人がどうしたら幸せな人生を送られるかという視点を大切にしてもらいたいと思います。 目的が別のものになってはいけません。 「今は私たちが支援の中心」と言って、個人や家庭を低い立場にしてはいけません。 仕事も、学校も、家

経営感覚も必要!

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アメリカで自閉症の人たちが働く農場を見学させていただきました。 その農場の経営のトップは、自閉症の専門家ではありませんでした。 あくまで経営が専門の人です。 では自閉症の知識を持った人がスタッフにいないかというとそうではありません。 経営のトップを支える立場として自閉症専門の人がいます。 また現場で実際に自閉症の人たちを支援するのも自閉症の知識を持ったスタッフです。 「福祉の視点のみではなく、経営の感覚も必要である」 農場のスタッフが強調して話されていたことです。 "経営の感覚"は、日本の障害を持った人たちが働く場所でも、もっと必要だと考えています。 商売を行っている以上、お客さんが買いたいと思うものを提供することが大切です。 今の日本では、福祉を前面に出した商売やあまり買う人がいない商売では経営を続けていくことが難しいといえます。 経営が難しい商売は、どのようにして継続していくか? それはどんな商売でも同じで、従業員の給料を下げることです。 結局、最後には弱い立場の人が我慢しなければなりません。 先のアメリカの農場は、きちんと黒字を出しているとのことでした。 ちなみに働く自閉症の人はほとんどが重度の知的障害を併せ持っていました。 自閉症の人、一人ひとりに合った仕事や支援を提供する自閉症専門のスタッフと、経営の観点で商売を行う専門のスタッフ。 この両方のスタッフがいて、自閉症の人たちの適切な労働環境が整うのだと思います。 障害を持った人たちを雇っているから経営がうまくいかないのではありません。 経営がうまくないから商売が成り立たないのです。 障害を持っているからできる仕事がないのではありません。 仕事に障害を持った人たちを合わせているからできないのです。 日本でも経営がうまくいき、適切な賃金が障害を持った人たちに払われる働く場を増やしていかなければなりません。

高等養護学校を作ろう!

今朝の新聞に、14年度の特別支援学校配置案が出ていました。 私は函館から通える範囲内で職業学科のある高等養護を作ったら良いと思います。 函館は、観光と漁業が主な産業です。 水産加工業が盛んで、農業や工業など働く場所もあります。 ですから、この函館の特色にあった職業について学べる高等養護学校があれば、卒業後、地元の企業に就職できる人たちが増えるのではないかと考えます。 定時制や一部の高校に、特別なニーズを持った人たちが通っている場合があると聞きます。 学校側も特別なニーズのある生徒に応えるべく変わろうとしていますが、まだまだ特別支援学校と比べて適切な支援が行える状況とはいえません。 そのような状況で、社会に出る前の大事な3年間を学ぶことになります。 定時制や一部の高校で学んでいる背景には、特別なニーズに気づかれていないで通っている場合もありますが、地域の学ぶ場の選択肢が限られていることも考えられます。 函館の高等養護学校で学んだ生徒たちが卒業後、地元の企業で働く。 地元の企業は、専門的な技術を学んだ若者を雇うことができる。 働く若者が増えれば、地域の活性化と税収の増加が見込まれる。 障害を持った人たちが生まれ育った地域で学び、地域のために働くことができる。 障害を持った人も、企業も、地域も、みんながプラスになる仕組みを作ることが重要です。 誰かが我慢したり、制限されたりする仕組みは長く続きません。 そのためには、ニーズの高まっている職業科のある高等養護学校が、この地域にはもっと必要です。 もし函館の企業で働く障害を持った人たちが増えれば、企業または個人と契約し、お互いが働きやすい職場環境になるようなサポートサービスも行いたいと考えています。 拝啓 北海道の教育行政に関わる皆々様 函館近郊に地域の特色に合った職業学科のある高等養護学校を作ってみませんか??

先入観、固定観念は捨て、柔軟な頭を持つ

昨日に続き、"柔軟"についての話。 今日は、支援者にとっての柔軟性。 自閉症の人たちを支援する人にとって柔軟性は重要な資質になると思います。 同じ自閉症の人だからといって、同じ支援方法が合っているとはいえません。 自閉症が個人にどのように影響を及ぼすのかは、人それぞれで違います。 また、自閉症の人たちの注目や興味、関心は極端に狭いことが多いです。 ですから、支援者が「もしもこうしたら・・・」という視点で、支援方法を変えたり、環境を変えたり、伝え方を変えたりして、自閉症の人たちの注目や興味、関心の幅を広げてあげることが大切です。 「一人の自閉症を知っているということは、一人しか自閉症の人を知らないということだ」 テンプル・グランディン氏の有名な言葉です。 自閉症だからといって、みんなが同じ道順でなくてはならないわけでなく、ミニカーを一列に並べるわけではありません。 「自閉症はこういうものだ」という固定観念を持つことは危険なことです。 そもそも「自閉症はこういうものだ」と具体的に説明することは難しい。 一人の持つ自閉症の特性がすべての自閉症に当てはまるわけではないためです。 一人ひとりの自閉症の人に向き合い、その人に合った支援を行うには、固定観念が邪魔で、柔軟な頭が必要です。 自閉症支援においても、人生においても、先入観は捨て、固定観念を持たず、柔軟な視点で物事を捉えることが大切だと思います。 "自閉症"という言葉の持つステレオタイプのイメージを変えることも、私の仕事の持つ重要な役割だと考えています。

"柔軟"は無理?

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自閉症の人が柔軟な行動や考えを持てないかと尋ねられれば、私は「可能」だと答えます。 自閉症の診断基準にもあるように、同一性を好んだり、変化に対する抵抗があったりと、決して柔軟的な行動が得意とはいえません。 しかし、私が関わってきた自閉症の人たちの中には、小さいときは固執が強く見られた人も、年齢を重ねていくなかで固執的な部分が目立たなくなり、変化に対しても応じられるようになる人が多くいます。 柔軟的な行動には、物事の意味や関連性がわかる必要があります。 いろいろな状況を学習することは、変化があったときに落ち着いて対応できることにつながります。 成長とともに物事の理解が進み、わかる世界が広がったことが、固執的な部分が目立たなくなり、変化に対しても応じられるようになったのだと思います。 自閉症の人たちは柔軟性が欠如しているわけではありません。 柔軟的な行動や考えにつながる物事の背景を捉えることが苦手だったり、物事と物事の関連性を掴むことが苦手だったりするだけだと思います。 丁寧に1つずつ学習を進めていければ、柔軟な行動や考えを持つことも可能だと考えています。 臨機応変に判断し、行動できるようになることは自閉症の人にとって難しいことかもしれませんが、行動や考え方の幅を広げていけることは十分可能だと考えています。  

北海道の春

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本州とは違う北海道の春。 温かくなると色とりどりの花が一斉に咲き始めます。 街を歩いていると、様々な場所に花たちが咲いていることに気がつきます。 どんな場所に咲いていようとも、健気に綺麗な花を咲かせ、見る者に春の訪れの喜びと元気を与えてくれます。 障害を持った人たちが、自分の置かれた状況や現在の社会に対して改善を求めたり、不満を言うことはあまりみられません。 それは、周囲の状況を客観的にみることや他者と比べることが苦手な人が多いからかもしれません。 訴えないというよりは、気が付いていないと言った方が表現として近いのかもしれません。 障害がない人たちからみると、考えられないような賃金で働いていたり、生活する上での制限があったりします。 しかし、私は障害を持った人たちと関わる中で感じることがあります。 みんな自分たちのいる場所で自分らしく精いっぱい生きていると。 「こんな場所で・・・」と思うのは見ている方であって、その場所にいるものはただ一生懸命自分の花を咲かせようとしているだけかもしれません。 今置かれている状況に不満を言うだけではなく、自分の花を咲かせようとすること。 このような生き方から教わることが多いと思います。 私も与えられた状況で、常に太陽の方向に向かって成長できる人間でありたいと考えています。