「やり切りたい」という想いを晴らす
「やり切りたい」と思っているのは、子ども達だけじゃない、親御さん達も。 私のところにいらっしゃる親御さん達からは、「我が子のためにできることをしたい」という想いの"強さ"を感じます。 この想いの強さは、「動物の本能」から出発している。 でも、その本能に何かが覆いかぶさったとき、想いがより強くなるのだと感じます。 「我が子のためにできることをしたい」という言動の背景に、やり切ることを否定された過去が見えます。 ある人は、診断と同時に「一生治りません」と。 ある人は、「この子が普通学級に行くことはありません」と。 ある人は、「頑張らせるのはかわいそうです。無理させたら二次障害になりますよ」と。 ある人は、「将来は作業所でゆっくり働き、施設で過ごすのがこの子の幸せです」と。 ある人は、「あなた達、親が亡くなったときのことを考えているんですか」と。 「私達は、お母さんの味方です」 「困ったことがあれば、何でも言ってください」 「一緒に、この子の成長と幸せのために頑張りましょう」 支援者の甘い言葉は、やり切ることを否定したあと、ささやかれます。 そして、親御さんは無意識に、彼らの敷いたレールの上に乗ってしまうのです。 敷かれたレールの上を進むのは、ラクなことです。 だから、そのまま歩み続ける人もいます。 一方で、そのレールから降りる人もいます。 降りた人は主体性と選択肢を取り戻せます。 でも、降りる際、レールの上にいた分だけの「やりきれなさ」を抱えている。 私が関わっている親御さんで、「やりきれなさ」を両手いっぱいに抱えてきた方がいます。 この方は、10年以上、ずっと敷かれたレールの上を歩いてきた人です。 子どもの成長と将来の可能性のために動きたかったという想いに蓋をして、ずっと環境調整と「理解をー」に力を注いできました。 でも、レールの上から外を見ると、治っている人達が見える。 直接、子どものために力を注いでいる親御さん達がいる。 そして、レールの先には支援者が待ち構えている終着駅がおぼろげに見えてきた。 この親御さん、お子さん(もう青年ですが)と2年ほどの付き合いになりますが、10年分の「やりきれなさ」を二人とも晴らしているような姿が見えます。 私は、本人への援助だけではな