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【No.1404】「縄文人を育てる」という視点

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今年度は支援級を選択したご家族が多かったような印象です。 毎年、というか、一年間を通して「普通級にするか、支援級にするか」の相談があります。 数年前までは「なにがなんでも普通級に」という親御さんも多かったですし、私もその方向で応援させていただくことが多かった。 でも、コロナ騒動を経て、うちの上の子も小学生から中学生になり、普通級にこだわる必要はないんじゃないかなという気持ちが大きくなりました。 実際、小中と支援級だった子が、受験して私立の高校に進学したり、不登校や学校にいかなかった子も高卒認定を取って大学に進学したり、通信制の高校で学び、就職したり。 そんな姿を見てきたこともあったかもしれません。 だからといって、「支援級のレベルが上がった」「充実した特別支援教育が受けられるようになった」とは思っていません。 一部の熱心で、自立を目指した教育をしている先生もいるのはわかりますが、それは10年前だって一緒です。 ほとんどは構造化するか、同じプリントするか、「個に合わせた教育」という名のアリバイ的な授業をやっているか。 上記のような私立に進学、高卒認定から大学進学などは、学校の力ではなく、その家の親御さんのサポートがあったから。 学校に任せっぱなしでうまくいくことなんて、普通級に行ってたってあり得ないのです。 結局は家庭次第で、強いて言えば10年前、20年前よりも選択肢が増えたということなのでしょう。 でも決して、それはギョーカイの啓発が功をなしたからではなくて、少子化だからでしょう。 子ども、生徒を獲得するために、門戸が広がったという感じです。 この国の大人は子どもがお金を生むお客さんにならない限り、関心を向けないのですから。 この春は卒業式と入学式に参加しましたが、相変わらずマスクをつけた先生ばかり。 その先生に、一人の人間としてのなにかはないのでしょうか。 そうやって他人からの評価でしか自分の存在が明確にならないのなら、自立した大人とは言えないでしょう。 自分たちの10年後、20年後の姿が10円くらいの布切れ一つ自らの意思で取れないのなら、どうして大人になることを、社会に飛び立つことを楽しみに過ごすことができるのでしょうか。 「普通級が良い」のではなく、普通級も支援級も大差ない、というのが現実に近いと私は思います。 学校で授業を受けている分、家でやることが減るくら

【No.1403】開業12年目を迎えて

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お子さんの、またはご本人の発達の悩みを聞く仕事を続けてきました。 すると、わかるのですが悩みと悩みが繋がっていく感じがします。 ある子の発達の悩みが、また別の子の発達の悩みと繋がっていく。 あるお母さんの悩みが、別のお母さんの悩みと繋がっていく。 ある子の発達の悩みが、ある大人の発達の悩みと繋がっていく。 家族の悩みと子どもの悩みが繋がっていく。 同じ発達に関する悩みだったとしても、一人として同じ悩みや背景はなくて、同じ解決方法も、育てる方法もない。 だけれども、なんだかお互いが繋がっている。 繋がっているからこそ、この子のアイディアが、あの子のアイディアになっていく。 そして目の前の子と家族を全力で援助することが、別の子の発達を後押しすることにも繋がっていく。 日本中にいる発達に悩みを持つ子と家族を援助し、治る後押しをすることはできないけれども、この子が治ると、あの子も治る。 それは場所を超えて、時間を超えて、世代を超えて。 だから、我が子を治すことはただその子だけのためにあるのではない。 我が子を治すことは、別の子を治し、これから生まれてくる子ども達の発達をよりよいものに変えていくエネルギーとなる。 今まで1000人以上の発達相談を行ってきました。 人数から言えば、まだまだ大きな数とはいえませんが、その一人ひとりが繋がり、大きな輪になっている気がします。 お子さんの変化を見た別の親御さんが触発され、「よりよく育てよう」「治してあげたい」と動き、実際に治ったこともあったでしょう。 ですから、みなさんに「ありがとうございます」と伝えたいです。 子ども達がよりよく育つための縁を広げてくれたことに。 函館も雪がなくなり、あと1か月もすれば、一斉に花や木々、植物が顔を出すことでしょう。 皆様にとって新年度がよりよいものとなるようにお祈りいたします。 12年目に入ったてらっこ塾も、応援よろしくお願いします! ======================= ▷てらっこ塾HPは こちら 発達相談の内容、ご依頼方法の紹介、問い合わせフォームがあります ▷YouTubeチャンネル『発達援助のこころ』は こちら 我が子の発達を後押しするコツを動画配信しています ▷『X(旧Twitter)』は こちら その時々で連想したことや出張相談、講演会の告知をしています ▷ラジオ『発達援助のお応

【No.1402】その姿、佇まい、身体から発せられるメッセージ

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神田橋條治先生の書籍の中には「イメージの針」が紹介されています。 その人のどの年齢、時期に愛着形成の課題があるかを診ていく手技ですね。 私も練習して、一応、できるようになったんですが、どうも苦手というか、はっきりした実感が得られないんです。 たぶん、私にはしっくりこない方法なのでしょう。 じゃあ、どうやって愛着形成や精神的な発達の課題を診ていくか、と言われれば、私の場合、イメージなんですね。 たとえば、ある発達相談では中学生の子だったんですけど、3歳くらいの女の子が「私を置いていかないで」と言って泣いている姿が見えてきました。 「なにか、3歳くらいにありましたか?」とお母さんに尋ねると、ちょうどその時期、家族の形態が変わるような出来事があったそうです。 「当時、まだわかっていないと思っていたけど、ちゃんと見て、理解していたんですね」とお母さんがおっしゃっていたのが印象的でした。 またお子さんの発達相談で伺っているのにもかかわらず、親御さんのほうに意識が向いてしまうことがあります。 発達相談でいろいろと話をしているのですが、親御さんに重なって見える(イメージ上の)子どもさんが私に話しかけてくるんです。 「一緒に遊ぼう」 「お兄ちゃん(私:実際はおじさん)、私を抱っこして」 「私、お母さんのこと、許せない」 などなど。 で、無視することはできず、その見えてくる姿から年代を推測し、子どもさんの発達の悩みを聞いている風で、徐々にそっちのほうに話を持っていく。 次の発達相談があるときは、端折って「お母さん、8歳くらいの女の子が泣いているんですけど、なにか思い当たることありますか?」なんて訊いちゃったりする(笑) で、だいたい共通して多いのは、離婚、親の失業や精神疾患発症、DV、虐待、きょうだい間の差、いじめなどですね。 たぶん、その時代、時期、子どもらしく過ごせなかったことの想い残しが、身体に記憶として刻まれるのでしょう。 それがイメージとして伝わってくる感じです。 あと、その人の年齢より上の姿も見えてくることがあって、その場合はその人の親御さんの念だったり、ご先祖様だったりするのかなと思っています。 まだ現代科学では観測できないなにかがあり、そういった情報をそれぞれ人は持って生きているのかもしれませんね。 いつからこんな風に私がなったのかといえば、小さいころからだったと思い

【No.1401】悩みを育てるお手伝い

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治るということは、悩みがなくなることではなく、悩みを忘れていくこと。 そんな風に私は感じています。 悩み自体はなくなるわけじゃないけれど、悩みの種類が成長していく。 相談当初は問題行動や感覚過敏、遅れやヌケをどう育てていくか、など、発達に関わる悩みが中心です。 しかし、そういった悩み、課題が一つずつクリアされていくと、徐々に友達関係や自我の芽生え、進路に関する悩みへと変わっていく。 相談を受けている中で、「それって、同年代のお子さんと親御さんが悩むことですよね」ってことがあると、その子本来の発達の流れに戻っていっている合図になる。 指摘されたお母さんも、「ああ、そういえば、これってどの子も経験する悩みですね」って、パッと明るい顔になる。 若者たちの相談も同じことがある。 疲れやすさや身体の動きのぎこちなさ、トラウマや愛着障害に悩み、苦しみ、私のところに尋ねてくる。 当然、「私は生きづらい」「苦しい」と訴える。 だけれども、それらの課題が解消されていくと、いつしか「どんな仕事があっていると思うか」「面接はうまくいくだろうか」「恋人はできるだろうか」「親のことを許せるだろうか」と悩みの種類が変わっていく。 口では同じように「私は生きづらい」「苦しい」というけれども、そこに空虚感がなくなり、実態を持った重さというか、そこに生きている実感が伴ってくる。 そのことを指摘されると、涙をこぼし、喜ぶ若者の姿がある。 人間、生きている限り、悩みはなくならない。 逆に言えば、悩みがあるからこそ、生きている実感があるのかもしれない。 発達の遅れや凸凹、症状やトラウマなど、振り回される悩みから自分の意思が入る悩みへの成長。 私のところに来れば、悩みがなくなると思っている人も多いが、私自身、悩みを育てるお手伝いをしていると思っている。 お母さんは、我が子の子育ての悩みを愉しめるように。 若者は、自分で決められる悩みが持てるように。 ======================= ▷てらっこ塾HPは こちら 発達相談の内容、ご依頼方法の紹介、問い合わせフォームがあります ▷YouTubeチャンネル『発達援助のこころ』は こちら 我が子の発達を後押しするコツを動画配信しています ▷『X(旧Twitter)』は こちら その時々で連想したことや出張相談、講演会の告知をしています ▷ラジオ『発達援

【No.1400】子ども達の発達の問題は、私達、世代で終わらせる

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花風社さんが主催された「愛甲修子さんに質問する会(2024.2.17)」を録画配信で見たのですが(すでに3回観た)、本当におもしろい! 過去一って言い方が正しいのかわからないけれども、本当に今回の質問会は神回でした。 たぶん、会場に参加者の方たちがいたのも大きいと思いますが、愛甲さんと相談者さんが溶け合い、悩みが課題へと昇華していくような印象を受けました。 実際に悩みを持たれている方はぜひ、次回参加して相談したらよいですね。 治せる人と出会うのは、大谷君と結婚するくらい貴重です(笑) 質問会の助言の一つに「お墓参り」の話がありました。 実際の様子を見ていない人は、「えっ、スピリチュアル!?」と思われてしまうかもしれませんが、そうじゃなくて、私も「そのようなアドバイスをするな」と思ったんです。 このブログを読んでくださっている人の中に、私の発達相談を受けた方もいると思いますが、その中に「同じことを言われた」という人もいると思います。 私も、「お墓参りに行ってみると変わるかもしれませんね」「生まれ故郷に行ってみると、苦しみから解き放たれるかもしれませんね」「ご自身の家のルーツ探しの旅はどうでしょうか」などと助言することがあります。 そして実際にやってみた人からは心身の変化が見られ、長い休職から就職活動→就職となった方や自分の親への執着が取れ、やっと我が子を見て愛情を向けられるようになった方などがいらっしゃいます。 それこそ、「憑き物がとれたようだ」と感じるくらいまで、表情や姿勢、発言が変わるような人もいるのです。 ここからは愛甲さんとの違いについてお楽しみいただければと思うのですが、私がこのような助言をするようになったのは、親子だけではなく、祖父母の代からの3代を通したアセスメントをするようになってからです。 子どもさんだけをアセスメントしていじくってもダメ。 親子という関係性、親、家族という環境の中で生じている(発達の)課題ですので、やはり親御さん自身が先に変わる必要がある。 だけれども、その親御さんが変わるには、「さあ、良い親になろう」などという心持ちの変化を目指すだけでは無理で、その親御さんが持つ歴史を振り返り、辿っていく道をちょっとずつ修正していくようなことが必要。 つまり、祖父母、親、子はみんな、つながっている。 特に子育て中の親御さんは、この3代の真ん中に位

【No.1399】特別支援という幻想

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専門家が「本当の〇〇」と言い出したら、その内容、いや、その人自体がニセモノになる。 「これが本当の自閉症支援だ」 「これが本当の〇〇アプローチだ」 そんな風に言うとき、対象はそれを受け取る子ども達、親御さん達ではなく、自分とは異なる考えで実践している専門家となる。 「あいつが実践している自閉症支援は間違っているから、私が本当の自閉症支援を教えてやる」といった具合に。 これは特別支援の世界に限らず、職場でも、人間関係でも、「本当の」「真実は」「正しいのは」と言っちゃう人はいるでしょう。 特別支援の世界に、「本当」「真実」「正しい」というものはあるのでしょうか。 そもそもあなたのお子さんが、本当に自閉症なのでしょうか、発達障害なのでしょうか? 自閉症という(我々とは異なる)人間がいるのは真実なのでしょうか? そのあなたのお子さんに付けられた診断は正しいのでしょうか? コロナ騒動も、ようやく皆が冷静になり、そのおかしさを口にするようになりました。 注射の危険性、超過死亡、過剰な感染対策、人権侵害、自由の制限など、それらの問題について「間違いだった」という人も増えてきました。 でも、3年間のコロナ騒動の問題は、上記のことではありません。 問題の根本は、PCR検査、その診断なのです。 鼻やのどにウィルスの断片があっただけでも、その検知したウィルスに感染する力がなくても、そもそも医師の所見がなくてもただキットが陽性になれば否応なく「コロナ感染者」としていたことです。 診断がおかしければ、それ以降の対応、出来事すべてが間違ってしまう。 「普通級と支援級、どっちがよいでしょうか?」 「〇〇アプローチの仕方は合ってますか?」 「療育でこんな支援を受けているのですが、これは効果があるのでしょうか?」 「正しい発達援助を教えてください」 様々なご相談を日々、受けています。 でも本当に我が子が発達障害なのか、自閉症なのか、支援が必要な普通の子とは違う子なのか、疑問に思う親御さんは少ないと感じます。 診断名が正しいと思った時点で、どんな子育て、アプローチをしたとしても、ずれが生じてしまうものです。 特別支援の世界の最大の罠は、この診断、診断名だと私は考えています。 人為的に決められたチェックリストに、これまた第三者の主観によって記入がされ、診断名が決まっていく。 だけれども多くの親御さん達は

【No.1398】コピペ医師、コピペ教師、コピペ支援者

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一応、これでも開業して10年なんですよ。 でも、函館市には存在しないことになっている(笑) 開業当初は市内の学校の先生とか、支援者とか、支援機関とか、行政とか、それなりに交流はあったんですね。 だけど、一切交流はなくなった。 まあ、私も紹介しないし、あっちも紹介しない(笑) 「”治す”なんて奇を衒った商売に走っている」なんて批判もあったけど、それもなくなった。 たった30万人くらいの地域で、発達障害というニッチな商売をやっているんだから、どこかで接点ができそうなものも、笑っちゃうくらいなんにもない。 だから、この地域で発達相談を依頼してくださるご家族は、「全国のどこかに的確な助言をくれる専門家がいるはずと探していたら、まさか同じ函館にいるとは思いもよらなかった」と口をそろえて言いますね。 一回、全国に飛んで、函館に戻ってくる感じ。 なんで、医師は、支援機関は「大久保さんを紹介してくれなかったのでしょう」と投げかけてくれる親御さん達も、発達相談が終わるころには自らで答えを出しています。 「ああ、大久保さんを紹介したら、1回で終わっちゃうから。支援機関に通わなくなっちゃうから、か」 10年前は「猫も杓子も発達障害」というくらいに、ちょっとでも悩みがあれば、発達障害にされていました。 そして「少量処方」という名で、就学前の子ども達にも向精神薬が処方されていました。 もちろん、発達障害の人には化学物質が強く出ることが多いから、基本的に「少量処方で進めていく」というのはわからなくない。 だけど、「少量ですから心配ないですよ、お母さん」という意味で、バンバン処方しているのがおかしいってこと。 そもそもその子に向精神薬が必要ですか? 向精神薬がないと生活がままならないくらいのお子さんですか? いやいや、その子、本当に発達障害と言えるようなお子さんなのですか? 向精神薬で発達のヌケや遅れは育ちますか? 服用によって子どもの身体へのネガティブな影響はありませんか? 私はこの疑問を投げかけ続けたけど、10年経っても同じことがされている。 この頃、そんな幼少期から向精神薬を飲み続けているお子さんからの相談が続いていました。 また相変わらず、視覚支援やってる(笑) スケジュール見せて、衝立立てて、向精神薬を飲んで、それ以上でもそれ以下でもない。 これってただのコピペでしょ。 医療も、支援機

【No.1397】YouTubeチャンネルを分析したら明らかになった驚きの事実

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てらっこ塾のYouTubeを開設してから、もうすぐで1年になります。 ブログやエックス(旧ツイッター)などの文字だけじゃなくて、「音声でも発信を」ということでラジオを始め、ラジオのリアクションが良かったので、今度は「音声+動画で」という具合に情報発信のツールを増やしてきました。 すべてに共通しているのは「親御さん」に向けて発信すること。 そうやっててらっこ塾開業とともに10年以上、発信を続けてきたのです。 YouTubeを開設してから、「うちで動画編集しますよ」「視聴者数を増やすための分析と助言をしますよ」「一度、zoomでお話でも」という売り込みが来るようになりました。 いやいや、そんなの外注してまですることじゃないし、自分で分析だってするし。 そんな具合で、「じゃあ、分析データってのを見てみるか」と思って開いてみると、予想外のことが起きていました。 YouTubeの視聴者のデータを見ると、40歳前後が一山ともう一つ60歳前後にもう一山できているのです。 しかも、70代の視聴者さんも多いことがわかりました。 えっ、私、健康と年金、お墓の話してたっけ?? かわいい猫ちゃんとか、昭和の名曲とか流してたっけ? 映っているのは40を過ぎた(イケメンじゃない)おじさんが発達障害の世界について文句を言っているだけ(笑) すべてのコメントに返信できていませんが、「孫が」という書き込みがたびたび、来ています。 たぶん、視聴者の中にはおばあちゃんやおじいちゃんがいるのでしょう。 そして孫に発達の遅れが、それを指摘された、という方がネット検索でたどり着いたように感じます。 いま、70代の人でもスマホを使いこなしてますし、タブレットを持っている人も多い。 私のイメージではこのあたりの人は、朝ドラ見て、朝の情報番組見て、昼の情報番組見て、夕方の再放送見ている感じで止まっていたけど、そうじゃないですよね。 いま、日本の家庭、子育て世代になにが起きているのでしょうか。 実は発達相談やメールでも、おばあちゃんからのものが来るんです。 「孫が発達障害と診断され、いろんな支援機関に通うようになって娘は心身共に疲弊している」 「心配するほどじゃないのに、”この子には障害がある”といって聞かない」 「将来を悲観して、娘がどうにかなってしまいそうだ」 「孫の発達障害を改善するような助言をもらいたい」 子

【No.1396】減薬、断薬からの身体の回復、心の回復

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「医者は向精神薬を処方することを悪いこととは思っていない」 それは私が施設で働いていたときの実感でした。 利用者さんと受診する際、少しでも「寝られていない」「学校で暴れた」「自傷があった」などと口にするものなら、「じゃあ、薬増やそう」と間髪入れずに言ってきます。 ですから、2週間ごとの受診の際、出来事をそのまま言っていては薬は増え続けるばかり。 実際、薬だけでお腹いっぱいになるんじゃないって感じの利用者さんはたくさんいましたね。 幼児さんや小学生の子に、向精神薬を飲ませるのって抵抗あるじゃないですか。 一般的な心があれば、「できれば飲ませたくないな」と思う。 私は親じゃなくて、施設職員という関係性ではありましたが、どの子にも向精神薬を飲ませたくはなかったし、飲んでいた子もできるだけ減薬、飲まなくても安定して生活できることを目指していました。 これが普通の感覚だと思っていたけれども、現実は違いました。 医師はどんどん処方するし、減薬などという言葉は出てこない。 むしろ、職員たちが「減らしたいんですけど」といえば、「大丈夫」「また暴れたらどうするの?」「このまま、落ち着いているほうが良いんじゃない」と言ってくる。 また職員の中にも、ずっと眠っておいてもらった方が良いと思う人もいたし、暴れるのを止めるくらいなら向精神薬でおとなしくしてほしいと思う人もいた。 学校の先生だって同じ。 学校で問題が起きると、「次の精神科受診はいつですか?」「薬増やしてもらえないかいってくれないか」と言ってくる。 これは施設に入所している子だけじゃなくて、普通級でも起きていることでしょ。 「ADHDの子が落ち着ける薬があるみたいですよ。受診してきてください」なんていう越権行為があちこちで起きている。 「薬飲まないなら、普通級にはいられません」などという学校もあるくらい。 みんな同じだよ。 原因を突き止めない。 暴れるには暴れる理由がある。 環境の問題があるかもしれないし、その子本人の発達のヌケや未発達、また誤学習やフラッシュバックだってあるでしょう。 そこを見ないで、暴れる→薬で抑え込む、という機械的な対応をしているだけ。 そして何よりも、自分には問題の本質を見抜く目も、根本解決する腕と気力を持ち合わせていないことから目を背けている。 100歩譲ってこういった人たちは他人です。 その子の人生の責

【No.1395】明日は節分

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1月の下旬あたりから不調に悩まされていました。 なんだか身体が重い感じで、なにかが私に覆いかぶさっているような、頭の上から押し付けられているような感じ。 確定申告の準備などの事務仕事とか、日々の発達相談とかはできていたんだけど、なにか発信しようとすると、急に肩と頭が重くなって動かなくなりました。 こうやってたった数行文字を打っただけでやっぱり肩が重くなってきた、同時に指の力が脱力してくる。 だけど、だいぶ良くなったので、こうやって綴っているのですが、たぶん、気の流れが大きく変わる前兆だからと私は解釈しています。 明日の節分で大きく気が変わる、気が変わっていく次の20年が始まっていく。 例年、節分の前は「変わる感じ」がしているのですが、今年は強烈でした。 いろんな価値観が崩れ、そこで取り残されていく人たちも大勢出てくる。 だけど、旧来の価値観から脱し、新しい価値観とともに一歩を踏み出せた人、その準備ができていた人にとっては素晴らしい20年間が始まるような気がしています。 停滞の20年間が終わり、動き出す20年間が始まる。 民主主義も制度疲労で、終わっていく感じがします。 それが王政になるとか、独裁、共産主義になるという意味ではなく、「多数がすべて」というのがなくなっていくイメージです。 「みんながマスクしているからマスクする」 「みんなが打つから私も打つ」 「みんなが診断をもらいに行くから、療育に行くからうちも行く」 それは思考停止であり、ゾンビのような物体に過ぎない。 多数決は間違うし、その多数決の実態は自由と意思の放棄。 これからは(も)、自らの頭で考え、選択し、行動できる人間が、そういった人間同士が部分的に調和しながらより豊かな人生、社会生活を送っていくのだと思います。 これに付随して、専門家の失墜、科学の失墜も、起きえるでしょう。 医療も、専門家も、お国も、行政も、自らの存続を求めているのみで、私たちを救おうとはしなかった3年間。 他者に自らの選択権を手渡すことがどれほど危険なものかわかった3年間。 医師が治してくれるのではなく、自らの自然治癒力が治すのだ。 国や専門家が自由をもたらすのではなく、自らが自由を手に入れるのだ。 そんなメッセージが改めて伝えられたのではないでしょうか。 ハッタツの話でいえば、「専門家がどうにかしてくれる」というのはないでしょう。

【募集】福岡で発達相談を行います(2024年3月)

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福岡県にお住いのご家族から発達相談の正式なご依頼がありました。 【日程】 3月22日(金)函館→福岡 3月23日(土) AM「  」 /PM「福岡」 3月24日(日) AM「福岡」 /PM:福岡→函館 *予定( 「  」 )が決まり次第、随時更新していきます。 もし福岡県にお住いのご家族で「この機会に発達相談を受けてみたい!」という方がいらっしゃいましたら、お問い合わせください。 現在生じている我が子の発達の遅れや課題にはどのような理由があり、今後どのように育てていけばよいかをお伝えします。 4月からの新年度、新学期に向けて課題を整理し、よりよいスタートを切りましょう。 【今後の流れ】 SNSで募集(一週間くらい)→ご希望やお住まいの地域を踏まえ日程調整→訪問スケジュール決定→各ご家庭に日時と料金の連絡→当日を迎える てらっこ塾HPは こちら 発達相談の内容は こちら お問い合わせ・お申し込みは こちら

【No.1394】アプローチは”結果”である

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プロ野球の監督であった野村克也氏は「プロフェッショナルの”プロ”はプロセスのプロだ」という言葉を遺している。 結果が求められ、結果で評価されるプロ野球の世界でも、よい結果を出すためにはよい過程を踏むことが重要なのは変わりがない。 よい過程があるからこそ、よい結果がある。 それはどの仕事でも、私が行っている発達相談でも、発達援助でも、子育てでも通ずる話だと思います。 いろんなところで、いろんな専門家、支援者がアプローチの仕方や療育法を教えてくれます。 しかし、それをそのまま我が子にやっても、部分的に改善することはあっても、根本から治っていくことは少ないといえます。 また一時的に良くなっても、そのターゲットとしていた課題がクリアされても、「じゃあ、その次は?」というところで立ち止まってしまうことも多いのではないでしょうか。 そして「やっぱり私にはムリ」「やっぱり専門家の先生のところに行って、また改善してもらおう、新しい方法を聞いてこよう」となる。 かくいう私も、「大久保さんだからできる」と親御さんに言われることで悩んでいた時期があります。 商売的にはそう言ってもらえた方が何度も利用してくれるし、継続的な利益確保にもつながります。 でも、私がそれをやってしまっては、敢えて独立し、起業した意味がなくなってしまいます。 目指すところは、その子、その人の自立ですね。 自立を目指して仕事をしているのに、その本人や家族を依存させたらだめでしょ。 「継続的な支援」と「自立」は相反する話。 本気で自立を目指すのなら、本人もそうだし、その家族自身でアプローチできる、そして本人の状態によってアプローチを生み出せなきゃダメなんです。 悩んでいた私が出した答えは、こうです。 結局、アプローチは結果。 各専門家が生み出したアプローチには、それに至るまでの研鑽と試行錯誤の歴史、プロセスがあります。 私でいえば、施設職員や学校の先生、また日本の専門家、海外の専門家から見聞きし、トレーニングした歴史があっての「アセスメント」であり、そのアセスメントから導き出される「こんなアプローチが良いですね」となります。 だからいきなり結果であるアプローチを見せられ、教わっても、再現するだけで、人によってはなんとなくわかった感じで終わってしまう。 そうなると、いつまで経っても、専門家頼みになり、外部に答えを求める姿

【No.1393】発達障害アプローチマニアは、かつてのTEACCHオタク、ABAオタク

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「発達障害」と言われた1秒前と1秒後で、子ども自身はなにも変わらない。 だけれども、その1秒後で親は大きく変わる。 「ああ、これで基準通りの発達ができない」 「ああ、これで普通の子にはなれない」 「ああ、これでいろんなことを諦めないといけない」 子育ての楽しみが「できる」だったはずなのに、その瞬間から「できない」に変換される。 専門家に「発達障害」と言われようが、どっかの誰かが作った診断基準に当てはまろうが、子どもは子どものまま。 だけれども、ここで多くの親御さんが子育ての方向性、方法を変えてしまう。 いや、実際のところは「変えないといけない」と思ってしまう。 本当に変える必要があるのだろうか。 発達の遅れた子と、遅れていない子は同じ方法で育ててはいけないのでしょうか。 別の言い方をすれば、発達の遅れた子と遅れていない子、それぞれ固有の子育てというものがあるのでしょうか。 「子どもは一人ひとり違う」というのはみんな知っていて、当たり前なのに、なぜか普通の子と遅れた子、凸凹している子は分けられてしまう。 それがこの国の特別支援であり、多くの親御さん達も行っていること。 「発達が遅れているのだから、何か特別な方法、関わり、アプローチ、食事や薬によって良くなる」 というのは大きな勘違いだと私は思います。 そういったものを信じちゃう時点で、ここでいうと支援者、専門家に騙されているのです。 そして親御さん自身も思考停止状態だといえます。 一言で「発達が遅れている」といっても、その背景は一人ひとり違いますし、本当にそれが遅れているのか、今後も続くほどの問題なのか、そもそも問題なのか、だからなんなのか、その子の将来の自立や幸せ、生活の質を決めるものなのか、ツッコミどころ満載です。 「発達が遅れているから特別な方法」ではなく、「目の前にいる我が子がよりよく育つ方法」が必要なのではないでしょうか。 どうも全体的に前者を求めている人が大多数である印象を受けます。 それを求め続けている限り、良くなることはあっても、治ってはいかない。 それが私の率直な感想です。 子どもがよりよく育つための環境づくり、後押しを続けていった結果、振り返ると「治っていたね」が実際のところ。 発達障害アプローチマニアは、かつてのTEACCHオタク、ABAオタクと同じでしょう。 この世界に20年ばかりいると、まさに