2021年12月31日金曜日

【No.1215】2021年暮れのご挨拶

大晦日の函館は、最高気温がマイナス7℃という素敵な数字を叩き出しました。
ジムに行くのも寒いし、帰ってくるのも寒い。
お礼参りも激さむでした
そんな中で今、やっと雪かきが終わり、パソコンの前に座っております。


2021年を振り返ると、まさか呼んでくださるとは思わなかった沖縄のご家族からの出張の依頼がありました。
何度も「よろしいんですか?」「私は北海道ですよ」「2000キロくらい離れていますよ」「台湾、中国のほうが近いですよ(笑)」「函館からはロシアのほうが近いですよ(笑)」とお尋ねし、「それでも」というお話でしたので伺いました。
親御さんの想いは、南国の陽射しよりも熱かったですね。
他にも、福岡、広島、関東はほぼ毎月でちょくちょく、今年は道内も結構回りました。
たまたまではありますが、札幌出張とオリンピック競歩の日が重なり、目の前でオリンピアンの競技する姿を見られたことはよい思い出になりました。


18歳のとき、初めて手にした障害系の本が花風社さんの『自閉っ子、こういう風にできています!』でした。
それから20年ほど経ち、花風社さんの25周年記念事業の『医者が教えてくれない発達障害の治り方』の出版に携わらせていただきました。
共同著者としてこの世に本が出たことは私にとって嬉しいことではありましたが、私以上に周りの人達が喜んでいることにびっくりしました。
妻、息子たち、両親はもちろんのこと、てらっこ塾を始めたときに応援してくださった方たち、利用したことがある親御さん達、今利用している親御さん達、そして自分自身で治していき、自分の人生を歩まれている若者たち、お子さん達。
函館蔦屋書店で開催させていただいた出版記念イベントにも、懐かしい方たちも来てくださり、さらに大きく成長した姿を見せてくれました。
また「本、買ったよ!」と連絡をくれた方たちもいました。


出張の依頼と同じように、出版というお仕事も社会に求められた結果だと思っています。
私自身、まだまだ反省ばかりで、もっとアセスメントの力を磨かねば、もっと親御さんが前向きになるような後押しを、もっといろんなアイディアが浮かんでくるようなヒントを、もっと子育てが楽しいと思ってくれるような話を、と思い続ける日々です。
ただ今回、出版のお声がけがあったのは、私のように全国各地に出向き、しかも家庭の中に入っての発達相談をやっている者がいない、緊急事態宣言下でも、自由自在に出張して仕事が続けられたのも、この発達の分野では私くらいなものということが大きいと思っています。
他の支援者がしない体験、経験をみなさんと共有することは、私の役目だと考えていますし、支援から発達援助、発達援助から子育てへと親御さんを中心とする社会のニーズの流れとシンクロしたのだと思います。


私以上に、今回の出版を心から喜んでくださった方たち。
家庭で、子育ての中で治したい、治ってほしいと願う親御さん達。
そういった方達の姿を見ると、本は読んでくださる方達のために、私の発達相談という仕事は利用してくださる方達のためにあるのだと改めて感じることができました。
そして私個人の感想としては、努力の方向性を間違っていないことが分かったというのが大きかったといえます。
仕事をして、自分の技術、知見を磨くのは当たり前です。
しかし事業として、それが正しい方向へ進んでいるのかどうかは、自己評価ではわからず、社会から評価されなければ確かめることができません。


25年前、同じように事業を起こした花風社の浅見さんから著者に選んでいただけたことは、社会に必要だと認められたと思っています。
またコロナ禍でも変わらず、出張の依頼、発達相談の依頼をくださったご家族が大勢いてくれたことが、このサービスは親御さん達と子ども達にとって必要なんだと認められたと思っています。
もちろん、現時点で「認められた」というのであって、来年以降も同じだとは思っていません。
社会のニーズに合わせて事業を展開していくというよりも、社会のニーズの変化に応じられるようなサービスの質と私自身の知見、スキルを深めていきたいと思っています。


ご利用頂いた皆さま、応援してくださった皆さま、貴重な知見を学ばせていただいた皆さま、誠にありがとうございました。
2022年も、親御さんが子育てを「楽しい」と思い、家庭の中でよりよく育てていけるように、一人でも多くの子ども達が発達障害を卒業し、ご自身の人生を豊かに、そしてより自由に歩んでいけるように、と後押しをさせて頂きたいです。
新しく来る年が皆さまにとって幸せな一年となりますことを心よりお祈り申し上げます。

令和三年十二月三十一日 てらっこ塾 大久保悠




【先行予約のお知らせ】
12月3日より出版元である花風社さんで新刊の予約の受けつけが始まりました。
花風社さんで直接お申込みいただけると、特製のミニクリアファイルがついてきます。
書店で並ぶよりも早く読むことができますので、是非、ご利用ください。
ご予約はこちらから→https://kafusha.com/products/detail/56

前著『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』もどうぞよろしくお願い致します(花風社さんのHPからご購入いただけます)。全国の書店でも購入できます!帰省、ご旅行の際、書店を覗いてみてください♪


2021年12月28日火曜日

【No.1214】『発達障害の壁』

養老孟司氏の新刊『ヒトの壁』が出たので読もうと思っているものの、なかなかたどり着けないくらい未読の本が積み重なっています。
『バカの壁』から始まり、『死の壁』『超バカの壁』『「自分」の壁』と壁シリーズが続いているのを見て、ふと『発達障害の壁』というものを連想しましたので、その辺りの話をしたいと思います。


のちに強度行動障害と呼ばれる人達、症状や認知の面で重度と言われる人達は、出生後すぐの時点で、その不具合が生じているようです。
共通しているのが、睡眠と情動の乱れ。
赤ちゃんは一日のほとんどの時間を眠るものですが、なかなか寝られない、ちょっとした物音、衝撃ですぐに覚醒してしまう、ということがあります。
これは眠れないから情動が乱れるのか、情動が過敏だから眠れないのか、そのどちらかはわかりませんが、とにかく一日中泣いていた、ぐずってばかりいた、という話もよく聞きます。
赤ちゃんにしては珍しいくらい激しく泣くという話もちょくちょく伺いますので、出生した時点で、既に何らかの神経発達的な不具合が生じていると推測されます。
眠るという動物としての本能行動に困難がある。
これが『新生児の壁』


次に訪れる壁は、『運動発達の壁』です。
腰坐りが遅かった、立位までが遅かった、という"遅れ”と、ハイハイを飛ばした、すぐに立ってしまった、という"ヌケ"があります。
そしてもう一つ留意しなければならないのが、非定型の運動パターンで、寝返りの方向が片方のみ、肩膝立ちのずりばい、後ろにしか進まないハイハイなど、特徴的な動きをする場合もあります。
こういった特徴的な動きは、代々続くことが多く、「お父さんもそうだった」「おばあちゃんも」「従兄弟も」など、引き継いだ運動パターンだといえます。
もちろん、そういった遺伝的な話ではなく、原因があって、そういった偏った動きしかできないからやっちゃう、という場合も多いです。
その原因に関しては、新刊『ポストコロナの発達援助論』に詳しく書きましたので、お読みください(宣伝w)。
こういった運動発達の壁は、現れた時点で定型の動きに戻してあげることが重要で、そのままスルーしてしまうと、あとから育て直しが必要になりますし、時間も倍以上かかることになります。
私の感覚では、動きの偏りは神経発達の偏りとなり、「ああ、言葉が出ないな」と気づいた頃には、あらゆる面で偏り、凸凹が生じているような印象を受けますし、就学後、なかなか勉強の面でうまく積み重なっていかない子が多いと思います。


同じような時期ではありますが、『折れ線型の壁』もあります。
赤ちゃんのとき、好意的な関わりに対して笑って返したり、運動発達もとくに気になることはなし、喃語も出ていたし、なんなら初語も出ていた。
だけれども、あるときを境にして、急に表情がなくなり、言葉も出なくなった、という子ども達がいます。
この原因はまだ特定されていませんが、発達障害の子の1割くらいはいるのではないでしょうか。
私の聴き取り、見立てでは、離乳食のタイミングで生じるケースが多い気がしますので、栄養の面でガス欠状態になり、神経発達がガクンと落ちるような感じがします。
ヒトの赤ちゃんは脳神経を育てるために、まるまると脂肪を蓄え生まれますが、その蓄えが少なかったり(赤ちゃん側の内臓の課題で)、そもそも母体が貧血でおっぱいからもあまり鉄を中心とした栄養が得られなかったりすると、母乳から離乳食に変わり、綱渡り状態で神経発達が進んでいたものが止まってしまうのかもしれません。
栄養が限られると、緊急事態となり、神経発達のための栄養も生命維持の方へ回さざるを得なくなるのだと思います。
内臓の発達を含む、栄養面からのアプローチがポイントになるようです。
でも、なかには頭を強くぶつけたなどがきっかけになるケースもあるので、とくに生後1年間の強い衝撃にはお気を付けください。


みなさんが発達の遅れに気がつきやすいのが言葉の遅れになりますので、『言葉の壁』がありそうですが、言葉の発達は進化的に言えば最近の話なので、言葉の遅れが生じている場合、上記のいずれかの壁が超えられていないのだと考えられます。
ですから、次の壁は『社会性の壁』だと思います。
公園デビューや親戚の子ども同士の関わり、幼稚園や保育園生活で集団活動が始まると同時に表立つ壁です。
『新生児の壁』『運動発達の壁』『折れ線型の壁』をクリアしているのに、ここで初めて目の前に立ちはだかるといった場合は、遺伝の面が強いといえます。
お父さんが自閉症、おばあちゃんがADHDなど、家族内に、親族内に同じような子ども時代、また現在もそのような特徴をもった個性的な人生を送っている方がいる場合が多いと感じます。
「うちの子、友達とうまく関われないんです」と言っているお母さんがコミュ障だったり、「俺も小さいときは、幼稚園からよく脱走していた」とお父さんが言っていたり(笑)
これは時代の変化、社会の変化によって、発達障害の範囲がずれたことによる人工的な壁だといえます。
ですから、治すというよりも、そういった親御さんの人生を振り返りながら、よりよく育てる、その子にあった子育てをしながら、ときに成長するまでは親御さんが防波堤になることも大事かもしれません。


あと忘れてはならないのは、『歪みの壁』です。
本来、そういった器質は持って生まれてきていないのに、生後1年の間からスマホを見せた、長い時間、デジタル音を聞かせていた。
また8歳までの脳神経が不安定な時期に、長時間のテレビ、タブレット視聴をさせた、添加物や砂糖などが多い食事を続けていた、誤った英才教育などで、脳や神経発達が歪む場合があります。
これは現代病ですし、コロナ禍の2年間で後天的な発達障害が増えたのは確かでしょう。
親が、社会が、発達障害の壁を作ってしまう感じです。
ここには親子間の愛着形成不全も入るでしょうし、外遊び、自然な感覚刺激の制限も入ると思います。


年長さんの『就学の壁』は、そこを超えられるだけの準備が整っているか、幼少期にどこまで育ちきったかを確かめるための機会だといえます。
就学後の『小3の壁』は、概念理解がどこまで育っているかを確かめる機会。
低学年はパターン的な作業、理解で乗り切れますので、本当の意味で教科学習ができるのか、その準備が整っているかをここで確認する時期となります。
幼少期、いくら課題があろうとも、ここの壁が飛び越えれば、あとはその子のペースで学び続けていけるので、発達障害、発達援助とはおさらばです。
もし『小3の壁』が大きく立ちはだかるようでしたら、もう一度、10年間の発達を見返し、育て直すべきところを育て直す。
またどうしてもやっぱり超えられそうもないということになれば、支援や資源、サービスを利用しながらより良い人生を目指していくことも考えていかなければなりません。
一般の人達がイメージする自立は、小学校4年生レベルの習得になりますので、概念理解、概念学習の出来具合がポイントなのです。


2021年も多くの子ども達、若者たち、親御さん達と関わりを持つことができました。
そんな中で、子ども達の成育歴を振り返ったとき、いくつかのポイント、壁があるような気がしていました。
それぞれの壁が生じたとき、すぐにそれに応じた子育て、発達援助ができれば、現在が変わっていただろうと思うのは正直なところです。
「発達障害」と一言でいっても、それは何も言っていないのと同じです。
大事なのは、どの時点で発達に課題が生じたのかを知り、その課題をクリアできるように行動することなのですから。


ここでは取り上げませんでしたが、『胎児期の壁』もあるでしょうし(愛着、トラウマ、栄養、遺伝など)、『父親・母親になる壁』もあるでしょう(生物としての健康、環境からの影響)。
「三つ子の魂百まで」というのは、受精する前の一年間、受胎した約一年間(十月十日)と、生後の一年間を指すのだと思います。
改めて綴ってみますと、普通に育つということがどんどん難しくなってきているような気がしてきます。
『コロナ禍の壁』が加わった令和の子ども達は、いくつの壁を乗り越えないといけなくなるのでしょうか。
私達大人たちに求められる発達の後押しの責任は増すばかりです。




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2021年12月27日月曜日

【No.1213】発達障害を子育ての領域に取り戻す

実質、濃厚接触者になった受験生の試験不可が取り消されました。
これは最初から織り込み済みで、「試験不可の通知→世論からの反発→首相の指示で撤回」が一つのストーリーになっていたと推測されます。
日本は共産主義の独裁国家ではありませんので、憲法、法律を超えて、このようなことなどできるわけがありません。
それに大学共通テストまで約三週間前のタイミング、年末で公官庁が休みに入るタイミングで、「じゃあ、そのように試験体制を準備しなきゃ」なんて物理的にもできるわけがありませんね。


ですから、このストーリーで何を得ようとしていたのか、裏の意図を想像することが大切です。
南アフリカはワクチン接種率も26.6%で、すでにピークアウト。
現地の専門機関からの報告では、重症者も、死者もほぼいない。
一方で日本はブースター接種が始まりますが、秋くらいからずっと地を這うような陽性者数。
全国の重症者が38人で(一つの県に一人もいない計算!)、医療崩壊の心配はない状況。
ちなみにイギリスがこの頃、毎日10万人(日本の人口で考えたら20万人)を超えていますが、医療崩壊していませんね。
つまり、濃厚接触者の試験不可の茶番劇は、ターゲットが若者、受験生と家族。
どうして、ここまで接種の流れを作るのかの背景は分かりませんが、デルタよりも症状が軽いものに変異したので喜ばしいことだと思います。
ほとんどの人が無症状で、亡くなる人がいないのなら良いのでは??
そういえば、去年の分までインフルエンザが大流行する設定だったのでは??


信頼し合える人間同士なら考える必要はないと思いますが、たいていの場合は表の意図と裏の意図があるものです。
ですから、この仕事をしていて医師や専門家、支援者、学校の先生などの話をそのまま受け取ってしまう親御さんが多いことに対して、私は驚くばかりです。
どうしてその日、初めて会った医師の言葉を無条件に信じることができるのでしょうか。
ましてや、他の疾病とは異なり、発達障害の生物的なマーカーは存在していません。
どう頑張っても、その医師の主観が入りますし、人間ですから当然間違うこともあります。
さらに、その日の子どもさんの状態だって、いろんな条件によって変化するものです。
診察室で見える姿は、その子の一部分でしかありませんね。


「生まれつきの障害」と支援者たちが好んで使うのは、そういうと親御さんが傷つかないからです。
もっといえば、自分が親御さんを傷つけたくない、そういった発言を避けたい、自分が批判されたくない、というだけです。
「生まれつきの障害」というのなら、その証拠を出してみなさい。
破水したとき、赤ちゃんがオギャーと生まれるとき、「はい、この子は発達障害」「はい、この子は定型発達」と産婦人科医の他に、発達障害専門の医師が立ち合い、出産したのでしょうかね(笑)
そもそもが自閉症、発達障害を客観的な指標で証明することができないのですから、生まれつきと言うのも嘘八百です。


支援者が好んで使う「生涯に渡る支援」というのは、本人にそれが必要だからではなく、「長く御贔屓に」「末永くご利用を」という意味です。
本当にその人の臨む支援をしようとするのなら、本人の生きづらさをクリアし、できるだけ支援が必要ない状態まで変わっていけることです。
学校が言う「支援級へ」という提案は、どうなったらまた普通級に戻っていけるかという見通しとセットなら子どもさんの学習、成長を考えてになりますが、行ったっきりでその後の見通しがないのならそれは姥捨て山のように思われても仕方がありません。
支援級に行くのは、普通級で学ぶよりも、より豊かに学習や成長ができるから、であるはずです。
「支援級へと言われちゃいました。どうしましょう」とうろたえる前に、そこは親として、保護者として、学校に確認すべき点だと思います。


コロナ騒動により不登校の児童、生徒が増加し、その結果、支援級や支援学校への転籍を勧められるケースが増えています。
学校に行けない=なぜ、発達の問題になるのでしょうかね。
交流がある現場の人達の声では、「家庭の問題を指摘しずらいから、発達の課題として受診を提案する」「30日ルールがあるから、不登校数にカウントしなくて済むように、特別な事情があります(発達の課題)としてしまう」などです。
管理職としては在校生の不登校数は、なにかと気になるご事情があるようで…ね。


為政者、組織、専門家など、相手との間に持っている情報の差を感じれば、自然と相手を自分の望むべき方向へ背中を押そうとするものです。
自分が理想とする人になってもらうようにコントロールしようとする場合もあれば、自分の意のままにコントロールしたいという場合もあるでしょう。
純粋に「目の前の人が幸せになってほしい」とただその一点のみで、我が身を投げ打ってもと行動できる人は、家族などの身内か、よっぽどの信頼関係を築いた人だけだと思います。
この2年間で国も、専門家も、国民一人ひとりの幸せなんか、考えていないのはよくわかったでしょう。
ハッタツの世界だって、本気で一人ひとりの幸せを願っていたら、支援漬け、福祉漬けなんかにはしないはずです。
いまだに「生まれつきの障害」「社会に理解をー」なんて言っているのが、何よりもその証拠です。
本人の内側にある違和感、生きづらさ、不便さを改善しようとしないのですから。


2022年は児童デイサービスの大きな見直しが予定されています。
サービスの質の問題が挙げられていますが、結局、増加の一途を辿る児童デイとそれに関わる予算で、これ以上出せない、これからは投入する税金を減らしていく、という意思だと考えられます。
表だって、「予算が増えすぎたので減らします」と言うと、「障害児の福祉を減らすのか」「この子達の放課後の権利は」などと言う声が上がり、左系の人と一緒に要望書の連発が目に見えています。
ですから、事業者のせいにしつつ、お金を減らしていくだけ。


このように国の意思は示されました。
なので、今まで通り、のほほんと支援を受けていればいいや、というおうちから一気に大変なことになっていくでしょう。
発達障害児にとっては、福祉が面倒見てくれる時代は終わったといえます。
メッセージとしては、家でしっかり育てなさい、もしサービスを受けたいのなら地域にある民間のサービスを実費で使いなさい、ということ。
医療的ケア児がここ10年で2倍に増えたのですから、どう考えても、この子達への支援のほうが必要度、切迫度が高い。


2022年は今までのツケを払う年であり、個人的には大掃除の年だと思っています。
緊急事態宣言下で、療育などに行かなくても、家庭で伸びることが明らかになりました。
ギョーカイの「理解をー」という啓発も、ほこりのかぶった療育法の講習会も、この社会的な緊急事態では助けにもなりませんでした。
この2年間で、診断を受けた親御さんは、実践的な講演会には参加できていないでしょう。
なので、ギョーカイが、支援者が、「我が子の役に立った」という実感がない親御さん達だといえるのです。
中途半端にギョーカイと関わる親御さんのほうが、なかなか抜けられず、ずるずる治らない道を歩む傾向がありますので、この点は良かったと思っています。


発達障害は医療が専門の分野ではありません。
もちろん、専門的な支援、療育を受けなければならないものでもありません。
発達障害児を育てるのではなく、発達に遅れやヌケがある我が子の子育てにすぎないのです。
コロナでいろんなものを得た専門家たちが騒動を終わらせたくないように、発達障害というブームで儲けてきた人たちも終わらせたくないと抵抗するでしょう。
しかし、この2年間で白昼にさらされたのは揺るぎない事実。
ちょうど良いタイミングで、児童デイの見直しが行われます。
従来の専門家、療育、支援が退場する2022年。
「発達障害を子育ての領域に取り戻す」のが私の目標、願いでもありますので、来年から始まる新たな年を楽しみにしています。




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2021年12月25日土曜日

【No.1212】「親バカ」の意味

『言葉がない子と、明日を探したところ』を読んでいる最中から湧き上がった連想を数日綴ってきましたが、今日のブログを書くための前振りでした。


就学前に治った子ども達と親御さん達がいます。
だからといって、その子が軽かったと一概に言えるわけではなく、親御さんにとっては心配で大変だった事実は変わらないわけです。
長い期間でなかったかもしれませんが、親御さんには重度に見えたり、将来に希望が見えないこともあったはず。
そういった親御さん、子どもさん達を見て、私は心から良かったと思います。


就学までに治らなかった子ども達と親御さん達がいます。
だからといって、その子が重かったと一概に言えるわけではなく、またその子の親御さんの子育て、発達援助のやり方に問題があったともいえません。
もちろん、親御さんにとっては心配な時期はできるだけ短いほうが良いと思いますが、就学時までに治っていないからと言って、その子本人が不幸だと感じているわけではないはずです。
中には、あとから本人が振り返って話してくれることがあるのですが、「僕のために、一生懸命やってくれていたのが分かって、そのとき、嬉しかった」と言う若者たちもいるのです。
こういった若者たちの言葉を聞けば、就学後も親子で治る道を歩むこと自体が、幸せな時間といえるかもしれないと思います。
就学前に治った親子よりも、濃密な親子の時間を過ごせている場合もあるのです。


ですから、他のご家庭で「治った」ということを見聞きしたら、是非、一緒に喜んでほしいと思います。
たとえ、その時点で我が子が治っていなかったとしても、社会に治った子が一人増えたのですから。
その子が治ったことで、他の誰かが支援を受けられるかもしれません。
その子が治ったことで、より良い未来、社会を作ってくれるかもしれません。
そして、その子の親御さんは治った喜びをより感じられるようになります。


治った子の親御さんは、将来、我が子が孫を連れてきたとき、子育ての経験を、治した体験を次の世代に伝えることができます。
それは次の世代をよりよく育てる力になり、次の世代の子ども達を治す後押しにもなります。
これは縦に繋がる「治る」です。
そして今、治ったと喜ぶことは、他の親御さんの希望になります。
子育て世代の親御さん達も、あと5年もすれば、立派な先輩になり、その背中を若い世代の親御さん達が見ることになるのです。
そのとき、若い世代から「あんな親子になりたい」「あそこのうちの子のように育ってほしい」と思ってもらえれば、それが横に繋がる「治る」になると思います。


理解啓発活動がことごとく失敗してきたのは、支援者も、親御さん達も、まったくもって楽しそうではなかったからだと思います。
青いお祭りが象徴的で、親御さん達はお金と無償の労働を奉仕する。
主催する支援者たちも、決まった人しか来場せず、始まった当初の注目も浴びなければ、宣伝効果もない。
あちこちで支援者たちが主催を降り、地域の学校の先生や福祉関係の人などに丸投げしだした姿からもよく分かると思います。
親御さん達がいくら奉仕したとしても、我が子が感じている不具合、不便さは良くなることはないので、そのやるせなさが顔に出ているのです。
「あんな親御さんになりたい」と思ってくれなければ、ひとはついていかないものです。
だから、同じメンバーが滞留し、不幸の循環が続くのです。


治った子の親御さんも、今まさに治ってほしいと子育てをされている親御さんも、他の誰かの希望になり、治すきっかけになると思っています。
もちろん、その条件として子育てに前向きで、楽しそうな雰囲気を持っていることがありますが。
『言葉がない子と、明日を探したところ』に出てきたお母さん、お父さんから悲壮感を感じませんでした。
もちろん、内面では辛い想いをたくさんされていたと思いますが、文章から伝わってくる姿は前向きで、その大変な日々の中にも家族としての幸せ、子育てをする幸せが漂っていました。
きっとこの本を読んで、「うちも頑張ろう」と新たな気持ち、エネルギーをもった方も多いと思います。


私のような支援者が「治る」と関われるのは、ごくわずかです。
しかし、親御さんは子の世代、孫の世代というように、縦に治していく力になります。
またその親御さんの姿勢が、同じ時代を生きる他の親御さん達の希望になり、子どもさんが治るきっかけにもなるのです。
これだけ発達障害が増えた社会ですから、親御さんの縦にも、横にも、治す力は大きいと思います。
どうしても、我が子を中心に、我が子の治った、治らないで一喜一憂してしまうと思いますが、我が子以外を治す力にもなっていることに気がついてほしいと思います。


『言葉がない子と、明日を探したところ』を読んで一番強く思ったことは、「親バカ」というのは、「ああ、うちって幸せだな」「私って幸せだな」とあけっぴろげにすることではないか、ということでした。
他人から見れば、どう考えても大変でしょ、辛いことばかりでしょ、という状況の中でも、その当事者である私は幸せを感じている。
もっと親御さん達は「幸せだぁ~!!」と言って良いと思います。
たとえ、まだ発達のヌケがたくさんあったとしても、まだいろいろな心配事、課題があったとしても。
その親バカが、誰かのステキな親バカへと繋がっていくかもしれませんので。




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2021年12月24日金曜日

【No.1211】「治る」よりも、自立に必要なことは

昨日のブログに対する反響が多く、何名かの方からご感想のメールを頂戴しました。
たぶん、心に突き刺さるものがあったのだと思います。
まあ、このブログを読んでくださる方は、忖度を望み、いい子いい子してほしくてはやってきていないと思いますので、今日も連想の続きを綴っていきたいと思います(笑)


一言でいえば、よそのおうちの「重度」とか、「治ったとか」に心が乱されるようではいけませんね、ということ。
私から見れば、すべて脳みそ、エネルギーの無駄遣いです。
よそのおうちが治って、うちがまだ治っていないと、なぜ、落ち込むのでしょうか。
我が子とはまったくの別人です。
治る人数が決まっていて、椅子取りゲームをしているのなら、プレッシャーを感じても仕方がないですが、他人と関係なく、治る子は治るし、治らない子は治りませんね。
やることは変わらないわけです。
またご自身で「我が子は重度」と思い込み、勝手にいろいろなことを諦めては、お子さんが可哀想ですし、親が我が子の可能性を狭めてしまう危険性がありますね。
「勝手にぼくのこと、"重い"って決めないでね」


プレッシャーと言えば、「年が明ける」が親御さんにとって大きなプレッシャーになることが多いと感じます。
年長さんのご家庭は、就学先の最終リミットが1月末だったり、2月まで待ってもらったりしていて。
年中さんのご家庭は、来年度から始まる就学相談に、「いよいよか…」という気持ちになるのだと思います。
希望する就学先を考えたら、まだ治っていない、育っていない。


この世代のご家庭の発達相談を行うと、「あと半年あれば」「あと一年あれば」、普通級などの希望の就学先に行けるのになあ、と思うことばかりです。
この調子で発達が進んでいけば、就学の準備ができるのに、その前に就学の日が来てしまう、という感じ。
つまり、就学というリミットが先に決まっていて、子どもの発達とは別の時間軸があるということです。


よく「治る家庭と、治らない家庭の違いはなんですか?」と尋ねられます。
その答えはとてもシンプルで、「治るまで続けるかどうか」のほかにありませんね。
私が関わってきた働く若者たちは、中学まで支援級でそこから通信教育や私立に進学した方もいますし、支援学校卒の方もいます。
卒業後も、福祉的な支援を受けていましたが、そこから変わっていき、少しずつ自立していった方もいます。
一方で、ずっと普通級で大学まで出て、福祉を頼って生きている方たちもいますし、引きこもりやニートのようになっている方たちもいます。


私は発達援助という仕事をしていますが、治ることは目標ではありません。
目標は、その人が幸せな人生を送ること。
そのためには、できるだけ自分のことは自分ででき、また選択できる能力と環境を手に入れられるようにすることが求められます。
で、その幸せで、自由な人生を送るための手段として「治る」があるのですが、大事なのは「治る」ことよりも、その人が治り続けること、つまり、発達成長し続ける姿勢を身につけることだと考えています。
それこそ、治り切るまで、本人の意思と行動によって発達、成長し続けようとしていればいいのです。
6歳で治らなくても、20歳で治ればいいですし、20歳で治らなくても、30歳、40歳、50歳…で治ればいい。


私はキャリアの初めで、捨てられるようにして入所してくる子ども達の姿を見てきました。
そして今の発達援助という仕事の中でも、いくら子どもにとって必要なアプローチだったとしても、現実問題として継続ができる親御さんは少ないということがわかりました。
「もう少し後押しを続けていれば」というところで、「まだ本人がやり切った感が味わえていないのに」というところで、やめてしまったり、別のアプローチ、専門家のところに尋ねていってしまうことも少なくありません。
親御さんの心身の状態もありますし、事情もあるでしょう。
「やり切る」というまさにゴールや期日が見えないものを辛抱強く待ち続けるのもしんどいと思います。
そういったところに、よそのおうちが「治った」と喜んでいる姿を見て、共に嬉しい気持ちにはなれないこともある。


親御さんも、親になっていくプロセスの中にいると思います。
子どもさんが一人ひとり違うように、親御さんだって一人ひとり違います。
子どもはどんどん成長し、親はどんどん衰えていくものです。
気力、体力を失い、継続すること自体に息が上がってしまうこともあるはずです。


じゃあ、すでに社会に送り出してきたご家庭の親御さん達はどういう方たちだったのか。
今の子育て世代とは、一回り以上、違いますので、まだ誤診が少ない時代でしたので、簡単に比べることはできませんが、いくつかはっきりしていることがあります。
それは、当時の親御さん達は「就学までに」とは言っていなかったこと。
みなさん、長いスパンで考えていたように感じますし、「きっと将来は施設だろう」なんて言っていた親御さんも、中学、高校ぐらいからググッと成長し、「もしかしたら一般就労も」といった選択肢が見えてきたご家庭も少なくありませんでした。


振り返れば、「自立」に力を入れていたご家庭が多かったと思います。
せめて身の回りのことが一人でできるように。
施設に入所しても、できるだけ職員の手を借りないで済むように。
そういった想いが強かった親御さん達は、できないながらも幼いときから辛抱強く身辺面のことを教え続けていたと思います。
たぶん、その「せめて身の回りのことだけでも」というシンプルな目標が親御さんの継続した姿勢に繋がり、また本人も同じことを根気強く繰り返す中で、自分自身ができるようになる、変わっていくという体験を積んできたのだと思います。
それが社会に出たあとも、就職した先でも、コツコツと続ける、うまくなることを目指すという姿勢の土台に繋がっているように感じます。
またトライ&エラーを繰り返し続けること、試行錯誤を行うことは、そのまま、ご自身の発達のヌケを育てきることに般化できますので、結果的に社会の中で、人生の中で治っていくのでしょう。
過去にも再三申し上げているように、「治ったから社会出る、働ける」のではなく、治っていなくても社会に出て、働き、自立していけるのです。


いつヌケが埋まるか、育ちきるか、治るのか、は人それぞれです。
就学までに治った方がいいのは、本人都合と言うよりも、社会都合、親都合です。
就学前に治ったから軽かったとも、誤診ともいえませんし、就学以降も治らないからと言って重いとか、生涯治らないとか、もいえません。
違いはただ治る時期が人ぞれぞれ違うということ。
さらに治り方も人それぞれですし、治る=自立でもありません。


親御さんの資質として諦めが悪い人(笑)、体力気力に満ち溢れている人、コツコツと継続することが得意な人は、そのまま突き進めばよいと思います。
息子が、娘が治り切るまで、とことん付き合うから!という感じで。
もしそうではない場合は、我が子、本人自身に継続、コツコツ続ける、試行錯誤、失敗したあと立ち上がる、という体験を積んでもらうようにすることです。
多少、ネタバレになってしまいますが、今度出版させていただく『ポストコロナの発達援助論』にも書きましたが、向上心こそ、自閉っ子の強みです。
「どうにかしたい!」という想いが人一倍強い人達ですので、その想いを活かしながら、何か一つでも良いので、どんな内容、活動でも良いので、継続、継続、継続の体験を、できれば子ども時代に。


今日が終業式という学校も多いと思いますので、明日からの冬休みの子育て、発達援助のご参考になれば。




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2021年12月23日木曜日

【No.1210】「重度」という言葉

「重度」という言葉は、本人ではなく、周囲の人のための言葉です。
「重度だから」と使えば、諦める決心ができたり、「自分のせいじゃない」とその瞬間は、自分自身を傷つけなくて済みます。
「重度だったのに」と使えば、今に対する感謝の気持ちを、本人の成長を感じる喜びを、一方で自分自身をアゲルために、想定した誰かをサゲルために発せられることもあるでしょう。
ですから、「重度」という言葉の使い方は難しいと私は感じています。


ところでいろいろな人が使っている「重度」とは、どんな状態を指すのでしょうか。
知的障害が「重度」?
症状が「重度」?
問題行動が多いのが「重度」?
ある程度、年齢が上がっても症状が変わらない人が「重度」?
生活面で介護を受けている人が「重度」?
たぶん、その人その人で重度が意味していることは違うでしょうし、その重度は上記で言えば知能検査の値しか客観的なものはないので、かなり主観的なものだといえます。
しかも、その主観は発している人が実際に見聞きしてきた発達障害の人の範囲での話になりますので、同じ「重度」でも、ある人には軽度に見え、ある人にはかなり重度に見えることもあると思います。


親御さんがいう「重度」と、医師がいう「重度」と、学校の先生がいう「重度」と、施設職員がいう「重度」は、まったくもって異なるのは無理もないことです。
当然、子どもを中心に見ている人と、大人を中心に見ている人、学習面を中心に、生活面を中心に見ている人でも全然違うはずです。
そういう私も偏りがあるわけで、てらっこ塾を始めてから一度も重度と思うような方とは出会っていないのです。
キャリアの初めが、当然、家で過ごすことができず、それでいてその地域にある入所施設に入っても、そこで生活ができないくらいの人達が全国から集まってくる施設での生活支援でしたから。


知能検査は測定不能、こだわりなどの症状はコントロール不能レベルで、行動障害も強度と判定される入所者たち。
精神科薬の量は、それだけでおなか一杯になるのではないか、というくらいで全国各地からやってきていました。
確かに、このような方達は誰がどう見ても「重度」の人達でしょう。
しかし、この「重度」の人達も、多くは環境を整え、捻じれた糸をほどいていくと、徐々に落ち着き、安定した生活を歩めるようになっていきました。
つまり、こういった人達も、本当に「重度」なのか、一時的に「重度」に見えるだけ、特に周囲からは、ということが往々にしてあるのです。


当時、研修先の教授に尋ねたら、「私の国では95%の自閉症者が地域で暮らしている」と言っていました。
ただ「残りの5%の人は不可能だから、入所させる」と。
米国人らしい合理的な考え、政策だと感じましたが、その背景には生物学的にいっても、支援や薬ではどうしようもない人もいる、という話だと私は解釈しました。
私が働いていた入所施設でも、半数以上の人が入所後、安定的な生活を取り戻せていたので、誤学習で、また周囲の解釈の間違いで「重度」っぽくなってしまったためのだと思います。
「重度」と感じる人は、自分自身で制御不能の状態になっており、自ら消滅の方へ向かう姿に、それが私の唯一の安寧という雰囲気がありました。


このように本人の「重度」と、周囲の「重度」は違います。
そして忘れてはならないのは、発達障害は障害ではないということ。
百歩譲って障害というカテゴリーに入ったとしても、障害の中ではかなり軽度なのが発達障害ということです。
一日一日、生きられるか、この瞬間、息を吸って吐くだけでも難しい障害の人もいます。
自ら移動することも、意思を表出することも、なにかを知覚することも、難しい障害の人もいます。
こういった子を持つ親御さん達、親の会とも交流があった時期がありますが、「どうして発達障害の子しか利用できない児童デイばかりが増えるんだ」「軽々しく”うちの子は重度です”と言ってほしくない」というお話を伺い、そりゃそうだなと私も思っていました。


本人ではなく、誰からか言われた「重度」、自分自身がそう解釈している「重度」という言葉によって、その子の将来を諦めることにつながったり、育てるよりも支援という名の介護に向かってしまったりするのでしたら、それはもったいないことだと思います。
とくに幼児期は、一つの発達のヌケがその子にとって大きな混乱を招いたり、発達全般に影響を与えることはよくあり、家を中心とした環境、どのような刺激を受けるかによって、状態はガランと変わるものです。
「我が子が重度」と絶望されていた家庭も、テレビ視聴を止めて数か月経つと、自然と目が合うようになり、言葉が出てきた、なんてこともしょっちゅうです。


たとえば、言葉があって、普通に生活していたのに、小学校になってから急に言葉を失い、排泄も自立してできなくなった、というのでしたら、重度になったと落ち込むのは自然ですが、言葉を習得していく前の過程で、なかなか言葉が出ないのは重度ではなく、育っていないだけの場合が多いといえます。
また感覚系の未発達は、周囲の状況を認識する際、刺激を受け取る際、いわゆる情報処理のプロセスで頭や全身で混乱を招きますので、終始泣きじゃくる、落ち着かない、ということがあります。
我が子が泣き続ける姿を見て、心を痛めるのは自然な感情ですが、だからといって、「=重度」にはならないと思います。


が一方で難しいのが、私に対し「重度」と言ってほしい、という親御さんの気持ちが伝わってくるときです。
親も子も、パニック状態なとき、もう親として心がこれ以上落ちるところまでないくらいなとき、私がいつもの調子で忖度せず(笑)、「いやいや、全然重度じゃないっすよ。発達が抜けているだけ」なんて言うことが、はたして明日の子育ての力につながるだろうか、と迷うことがあります。
「あれだけ大変だった子が、大久保さんの助言で、一般の幼稚園、普通級に行けたんです」と喜んでいる親御さんに、敢えて「ただ他の子と比べて発達がゆっくりだっただけ」と言う必要があるのか、と思うことがあります。
目指すべきことは、子ども達が発達のヌケを育てきるまで、親御さん達に後押しを続けてもらうことであり、その後方支援が私の役目ですから。


今年も多くのご家族、子ども達と関わりましたが、生まれてくる時代が20年ほど早ければ、ほとんどの子が診断されず、一般の幼稚園、保育園、小学校普通級に行き、小学校高学年くらいまでに自然と治っていたと思います。
つまり、そもそもが障害でもなく、必要なのはその子が足りていない発達の時間だけなのに、2000年以降、発達障害という商品化が進んでしまったため、医療、福祉、教育の食い物にされてしまったのです。
さらに、この先、コロナ禍のヌケを抱えて発達障害っぽく見える子がプラスされていく。。。


発達障害とは、「子どもが育つ環境の危機」ということだと思います。
その背景には、コロナ禍のような人災もありますし、東日本大震災のような自然災害もあります。
そして、食と空気、土の汚染もあれば、大人のために最適化された社会が子ども達の発達を阻害している場合もあるでしょう。
もちろん、家庭環境、養育力の問題もあるはずです。
本来、そういった根本的な原因に目を向けなければならないことを、「発達障害」という言葉で覆い隠しているような気がします。


社会や自然を変えることは難しく、時間がかかることです。
しかし、家庭という環境、子育て・発達援助という関わり方は、今日から自分の意思で変えることができます。
その変わろうとするエネルギーを萎めてしまうのが、「重度」という言葉であり、「発達障害」という言葉であるように思います。
一時的にその言葉で心が救われたとしても、根本が変わらない限り、問題は解決しません。
私が作成する報告書に「自閉症」「発達障害」「重度」などの言葉を使わないのは、いつかこれらの言葉が無くなってほしいと願っているから。
我が子の子育てに、発達のヌケを育て直すのに、本人が治っていくのに、そういった言葉たちは必要ありませんね。





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2021年12月22日水曜日

【No.1209】『言葉のない子と、明日を探したころ』を読んで

今から16年前の2005年の12月。
私が大学を出て、福祉施設で働き始めた年の暮れにあたります。
新卒一年目はその激務に慣れるだけで精いっぱいで、休日は泥のように眠り続けていました。
ですから、書店に行く回数も少なかったんだと思います。


そのときの私が、この本を読んでいれば、きっと当事者である英司さんが子ども時代を振り返り、コメントするところに意識が向いていたことでしょう。
お母さんからしたら、我が子の言動の意味がわからず、まさに暗中模索、四苦八苦して子育てをされてきた当時の意味を、成長された英司さんがそのときの心のうちを丁寧に解説されています。
たぶん、駆け出しの施設職員だった私は、「自閉症の人はこのように世界を捉えているんだ」という理解を深めるための一冊になっていたと思います。


しかし今は2021年。
しかも、もとになった手記は、1982年に出版されたものです(1982年は私が生まれた年!)。
そのときは既に養護学校の高等部生になっていた英司さん。
ですから実際の子ども時代、行動が落ち着かず大変だった頃はさらに10年以上前になりますので、物語の舞台は1970年代です。
今から50年ほど前に、当然、今のような理解も、知識も、資源もない中、重度の自閉症の子の子育てを懸命に行い、そして働く大人として社会に送り出した親御さんの姿に、私の意識は向けられました。


この本には、お母様の姿勢には「子どもをよく見る」ということがどういうことなのか、気づかせてもらえると思います。
2000年を過ぎた頃より、自閉症、発達障害に関する理解啓発活動が盛んになりましたが、そういったことのほとんどが薄っぺらく、表面的な理解に終始しているのがわかります。
自閉症の特性、三つ組がどうだとか、視覚優位だとか、こだわりがどうだとか、そんなものは理解したことになりません。
英司さんのお母様は、英司さんの内面、内側の世界を知ろうとされていた。
そしてそこに気がついたとき、「じゃあ、そのままやらせてみよう」「別の代替手段を試してみよう」「ここに注目できるのなら、こんな活動をすれば、成長に繋がるのではないか」という子育てのアイディアを生み、実際に行動されました。
確かに自閉症の子のことが書かれているのに、自閉症の特性などの記述は出てきません。
つまり、お母様が自閉症児ではなく、英司さんという我が子として見て、子育てをしてきた表れだと思います。


自閉症や発達障害に関する知識、情報をたくさん取り入れることが、理解することだと勘違いされている親御さんは少なくないように感じます。
私のところにも、自閉症の勉強の先に私の発達相談、援助を受けたいという方もいらっしゃいます。
しかし、自閉症という視点から、知識から、子どもさんを見ている限り、子育ても、必要な発達援助もできないでしょう。
そういった親御さんには、まず始めに「自閉症という言葉を使わず、お子さんのことを離してください」とお願いします。
そうすると、多くの親御さんは言葉に詰まるのです。
自閉症の知識、情報はたくさん持っているのに、我が子の情報を持っていない。
自閉症や障害という言葉を使わず、我が子のことを説明できない。


学校の先生でも、支援者でも、専門家でも、自閉症や専門用語を使わないで説明ができる人ほど、ちゃんと子どものことを見て、また適切な発達援助ができるものです。
自閉症マニア、療育マニアには、子どもの発達を促すことはできません。
通り一辺倒な支援、療育を行うため、発達の芽を摘むことばかりです。
その子の持つ自閉症という特性は、何一つ、その子のことを説明できるものではありませんね。


今と異なり、1970年代は誤診はほぼゼロだったと想像します。
子ども時代の英司さんも自閉症で言えば、重度に当たるお子さんだったと思います。
しかし、そういった子ども時代を経て、企業に就職し、働き続け、お父様から引き継いだ土地に新築の家を建てたのです。
きっとお母様も、このような未来がやってくるとは思っていなかったと思います。
そして当然ですが、「6歳までに治らなきゃいけない」などとも考えていなかったはずです。
自立させるために治すのではなく、英司さんの内側を想像し、そこから試行錯誤しながら、一つずつ成長を後押ししていった結果、自立した人生になっていったのだと思います。


50年のときを経ても、親心に勝る発達援助、支援、療育は現れなかったことがわかります。
むしろ、何もないほうが、頼れるものが親の勘だけ、身体だけ、行動だけのほうが、子どもさんのことがよく見え、適切な後押しができるようにも感じました。
2021年の今、読んでも、この本の素晴らしさ、お母様の子育ての姿勢に多くのことを学ばせてもらえると思います。
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2021年12月17日金曜日

【No.1208】他人に期待しない、自分に期待する

昨日、学校評価を提出したところで、どんなお返事、ご回答がいただけるか楽しみにしているところです。
再三、「子ども達の命を守るため」「大切な人を守るため」という具合に、根拠のない精神論で子ども達に選択の機会、考える機会を封じ込めようとしているため、客観的なデータをお付けしました(笑)
重症化を予防するといわれているワクチン接種が、高齢者&基礎疾患のある人でほぼ完了した現在。
しかも、市内の入院患者、自宅待機者はゼロ。
当然、陽性者は何週間もゼロ。
緊急事態宣言も出ていなければ、マスク等の感染対策の命令などの法的根拠もゼロ。
ゼロゼロづくしなのに、どうしていつも学校は偉そうなのか、どうしていつも子どもたち自身に考えさせようとしないのか、はなはだ疑問です。


私が小学生の頃は、学校からあまりうるさく言われた記憶がありません。
記憶がないというか、私自身が守っていなかったのかもしれませんが、うちの子が学校から持ってくるプリントを見ると、いつも驚かされます。
百歩譲って学校内、授業中のルール、お願いなら分かりますが、いついつから自転車の乗って良い&悪い、放課後遊んで良い公園、行って良い範囲はここからここまで、公園に持っていっていい物、悪い物、友達の家では〇〇は良いけれども、〇〇はダメ…。
親である私が見てもうんざりする内容です。


結局、このようなルールの一つ一つは、学校側の責任回避のためでしかありません。
たぶん、過去に問題になったものを明文化していったのでしょう。
だから、とにかく細かい事例、特殊な事例が加わっています。
人間、保身になると、やることは一緒で、「県境またぐな」と同じように、「校区外に行くな」は、何か問題が起きたとき、どこの児童生徒かすぐにわかるように、また他校の子ども同士のトラブルは双方の学校が出ていかないといけなくなるので大変ということだと思います。
放課後は、子ども達が生きるための土台を作り、生き抜く力を地域、社会の中で育む時間です。
私なんか、友達と何駅も先の公園まで遊びに行っていましたし、夕焼け小焼けのメロディーと共に「良い子は帰りましょう」というアナウンスを聞いてからが遊びの本番という感じで、「俺たち、良い子じゃないからね」と真っ暗になるまで遊んでいたものです。


GHQが戦後、今後絶対に歯向かうことがないように、ということで手を付けたものの一つに学校教育があるといわれています。
戦時中、捕まっていた左の人達を東大のトップや教育行政の中に送りこみ、自分たちの歴史を否定する教育、そして一人ひとりが考え”ない”教育を展開していきました。
見事に私達は考えられない国民、誰からか指示を出されないと動けない国民になりました。
いくら文科省がアクティブラーニングなどと言っても、教えている先生たちが指示待ちの人ばかりではただのお題目にしかなりません。


それはこの2年間、「子ども達からマスクを外そう」「例年のような教育活動、学ぶ機会を守ろう」という声が上がってこなかったのを見れば、わかります。
個人としては、そういった考えを持ち、行動している先生がいたのを何人か存じ上げていますが、大部分は黙ったまま。
中には、これを機に、教育活動を省略しラクをしようとしているような空気感を出している先生、管理職もいたくらいです。
そもそもあんな布きれ一枚、口に付けたくらいで、感染が防げるのなら、マスク義務化の国でとっくの昔に終息しているでしょう。
こんな当たり前の科学的な思考を持ち併せず、教壇に立てるのは、学校教育が学力よりも、集団生活や模範的な行動など、精神的なもの、統一性に重きを置いている証拠だと思います。
それまた左の影響かもしれませんね。


私は他人に依存する、頼るということをしてきませんでしたので、正直、学校や支援機関、先生や支援者に対して一喜一憂する人の気持ちがわかりません。
コロナ前からですが、担任の先生がどうだとか、あそこの療育機関、通所施設はどうのこうのとか、意味不明です。
他人が自分の想い通りに動いてくれると思っている時点で、その子は伸びないし、治りませんね。
そして何よりも自分の頭で考えて生きていけるだけの本当の意味での自立から遠のいていくでしょう。
近頃、治らないギョーカイにい続けるから治らないのか、そもそも誰かに我が子の子育て、発達の主体を預けてしまうという親の姿勢だから治らないのか、わからなくなります。


うちに遊びに来る我が子の同級生を見ていると、はっきりわかれたと感じます。
2020年からマスクをつけていた子は顔の一部かのようにつけ続け、「苦しくないの?」「外しても良いよ」と言っても、「もう慣れたから大丈夫です」と言います。
子どもは良い意味でも神経発達が盛んな時期で慣れるのも、環境に適応するのも早い。
苦しいとか、煩わしいとか、感じられなくなっているのも問題ですが、やはり思考停止のほうが問題です。
去年は、「早くマスクしなくて良くならないかな」「なんでマスクしなきゃダメなんだよ」と言っていた同級生たちも、疑問を持たないくらいまできてしまいました。
この子達は学校の先生が「外しましょう」と言わない限り、もう外そうとはしないでしょう。
それは心身の健康、発達だけの影響に収まらず、思考停止&受け身という負の遺産まで引き継いでしまう結果になりました。


親御さんによってはキャパシティーの違いがありますので、なんでも自分で、家族の力だけで子育て、発達のヌケの育て直しができない人もいるでしょう。
そういった場合は、いろいろな人の力を、地域資源を利用するのが良いといえます。
しかし、他人を頼るにしても、子育ての主体であるという心構えを忘れてはならないと思います。
支援者はよく「頼るのも大事な力ですよ」などと言いますが、これは勘違いさせやすい言葉です。
そもそもが考え、自分の意思で選択し、行動するのが苦手な日本人です。
そういった訓練、姿勢が身についている方が少数派。
そんなとき、「頼る」は「依存」になります。
依存するから、他人に期待し、一喜一憂するのです。
一喜一憂していると、軸がブレブレなので、子育て・発達援助が定まらず、子どもがやり切れず、育てきれずに。
そして親という環境の揺らぎが不安定さを生み、落ち着いて本人が育めない悪循環となります。


就学したら終わり、発達のヌケ、未発達が育ったら終わり、ではありません。
そう感じたとしたら、それは親御さんからみた視点です。
子どもにとっては、就学、治るは、人生の通過地点。
特に「治った」というのは、あとから本人が振り返り、「ああ、自分は治ったんだな」と実感するものだと思います。
案外、親御さんが「治った」と思っていても、本当の意味では治っていなかったり、「まだ治っていない」と思っていても、本人の実感では治っていることもあるものです。


私も治るのは通過地点だと考えています。
本人も、家族も、意識することなく、自然と治っているのが理想です。
だから、治るということよりも、よりよく育つ、育ち続けることのほうが大事なのです。
育ち続けることを妨げる要因になるから、治すといった感じです。
私がコロナ騒動による子どもの影響に対して怒りの感情を持つのは、単に発達に影響を及ぼしただけではなく、子ども一人ひとりの人生に重い影を落とすからだと思います。
生涯を通して学び、成長し続けられない人、自らの頭で考え行動できない人は、不自由な未来が待っている。
他人ではなく、自分自身に期待できる人間に育てるのが、私達大人の役割ではないでしょうか。


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2021年12月8日水曜日

【No.1207】予防と根本治癒

平日の午前中、仕事の合間に本を読んでいる自分に気がつく。
もし私が「会社勤めをしていたら」「あのまま施設職員として生きていたら」、こんな日々は送っていないと思います。
私は起業前から「自分が好きな仕事を作る!」「心からしたい仕事のみを行う!」という決意をもって始めていますので、直接お会いする発達相談もそうですし、日々の研鑽のために読む本や研修も仕事という雰囲気がなく、愉しいという心持ちです。
ですから、他の人達が思いっきりできない分、私が勉強に励み、それを親御さん達や社会に還元していくことが役割だと捉えているわけです。


今度、出版される書籍『ポストコロナの発達援助論』の原稿の中に、今まで蓄積してきた情報を出しきったという感覚があります。
ですから、原稿提出が終わってからは無性に今までとは異なる情報を自分の中に入れたくて、本をむさぼるように読み続けています。
書店に行くたびに、本を購入し、せっかく年末で片づけた部屋の床の上にタワーができてしまうくらいです。


今は農業についての勉強をしています。
次の職探しの意味もありますが(笑)、ある農家さんの話が衝撃だったことがきっかけです。
日本の農業はかつて人や動物が出した糞尿を土に撒き、肥料として使っていました。
しかし、今はそれができなくなったそうです。
何故なら、ある地域で行政が家庭のトイレからの排泄物を集め、農家さんに売り、土に撒くということを推進していたところ、撒いた土地では農作物が育たなくなったのです。
その理由を調べたところ、大量の化学物質が検出され、土の菌や微生物などが死滅していたことがわかりました。
つまり、そういったものが人から排出されたということは、それだけ危険なものを私達は日頃食べ続けているという意味でもあります。


有機栽培とは異なり、まったく肥料も、農薬も使っていない農作物を作っている農家さんがいるので、早速、注文してみました。
届いたミカンは、緑色のまだら模様があり、大きさも、皮の固さもバラバラでした。
そして食べてみると、懐かしい酸っぱさが口の中に広がりました。
今は甘いミカンに慣れてしまっているけれども、子どもの頃のミカンはこんな感じだったな、なんて記憶が蘇る。
色がきれいで、形も一緒。
食べれば、どれも美味しい果物たち、そして年中食べられる野菜たち。
私達消費者のニーズが、「自分たちが食べる分と出荷する分は別のモノ」というような農業を作ってしまったのでしょう。


プライベートでお世話になっている人がこんなことを言っていました。
「子ども達を見ていたら、おかしい(大声を出す、急にキレる、目が合わない、言葉の遅れなど)と感じる子が増えた」
「自分の友達や知り合いの子が”診断を受けた”という話を、今年になって何回も聞いた」と。
知り合いの保育士さんからも同じような話を聞いていたので、コロナ禍を機に子ども達の発達の問題が噴出しているような感じがします。
過剰な感染対策や当たり前の発達の機会が奪われたこと、家で過ごすことが多くなりメディア視聴も増えた影響もあるでしょう。
そして私が今勉強している食べものの影響も。


相変わらず1歳代の子ども達にも診断がつけられています。
ちょっとでも発達に遅れがあれば、すぐに診断が付く時代です。
普通級にいた子だって、なにか問題があれば、すぐに「一度、専門の病院に」「支援級に転籍は」などと言われてしまいます。
理由や背景は問わず、本人以外の主観が障害を決めてしまうことが往々にして起きるのです。
コロナ禍によって、子どもの発達を歪ませる要因がググッと増えました。


コロナ禍という要因が増え、診断はコロナ前と変わらずガバガバ。
で、どんどん発達障害という診断を受ける子が増える一方です。
「診断は一瞬」だけれども、「治る」には時間がかかる。
第三者から見て「発達が遅れてるな」と気づくということは、本人の内側ではそれ以前の何年もの間、不具合が生じ続けていたということです。
だから、長年の蓄積の結果を整えていくには、同じくらいか、それ以上のときがかかるのです。


根気よく我が子が治るまで後押しし続けられる親御さんは心配ありません。
しかし、こういった親御さんは少数派です。
そして発達障害の引き金になる環境要因は増えるばかり。
今、私は基本的に発達の遅れが確認できたあとの子ども達、ご家庭への援助を行っていますが、なったあとの援助だけでは社会全体としてはもうどうにもならない状態まできていると感じています。
ですから、何年も前から考えていることですが、なったあとではなく、なる前からの援助が大事なのです。
その一つとして、私達が口にしている食べ物がどのように作られ、どんな課題があり、どこが発達障害と繋がっているかを学んでいるところです。


今は私も子育て世代なので、家庭訪問、家庭支援はまだいけると思います。
しかし、あと10年くらいすると、相談される親御さん達とは年齢が開いてしまい、今のような形態での仕事は難しくなるはずです。
今はざっくばらんに話せていますが、若い親御さんからしたら自分よりもグッと年齢の高いおじさんが家にやってくるのは嫌でしょう。
だから、自分のオジ度を勘案しながら、徐々に発達障害の予防のほうに仕事をシフトしていきたいと考えています。
どういった仕事になるかはまだわかりませんが、そのときの準備のためにも、そして今、ご相談がある子ども達が根本から治っていくためにも、何がその子の発達に影響を及ぼしたのか、根っこの部分を一人ひとり読みとれるだけの力を養っていきたいです。
そう考えると、やはり私はアセスメントが生きる道ですね。
他の素晴らしい実践家の方たちのような技術は持ち併せていませんので、見立てを磨き、また親御さんに伝える技術を向上させていかなければならないと思いました。
キーワードは「見立て」「伝える(教える)」「予防」「根本治癒」


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2021年12月3日金曜日

【書籍出版のお知らせ】『ポストコロナの発達援助論~発達の機会を奪われた子ども達に今からできること~』

最近になってやっとこの異常な社会が子ども達の心身の健康と発達に与えた影響について、ちらほらと発信されてきたように感じます。
これは陽性者の状況が落ち着いている状況が続いているのと、2年という長い月日の中で蓄積されてきた問題が表に出だしたというのがあるのだと思います。
子どもの2年って、大人の2年とはぜんぜん違いますよね。
とうとう目に見えるくらいになってきてしまいました。
発達障害もそうですし、問題行動もそうですが、周囲から見て確認できるようになる前には、その子の内側ではじわりじわりと課題が進んできた過程があるのです。
健診で「発達に遅れがあるかも」と指摘されたのが1歳半でも、1年前、2年前、胎児期から既に発達の遅れが生じていたといえます。


このたび、緊急出版という形で一冊の本を書かせていただきました。
花風社の浅見さんから原稿づくりのお話をいただいたのは11月6日で、11月30日には提出した原稿の直しが終わり、表紙や目次等が決まっていました。
『医者が教えてくれない発達障害の治り方②』の出版準備が進んでいる中での作業です。
それだけ浅見さんの中でも強い想いがあり、私と同じように強い危機感とこういった状況に子ども達をしてしまった大人たちに対する怒りがあるのだと感じました。
ですから、このような「緊急」出版になったのだと思います。


しかしいくら想いがあっても、ボランティアや無料のブログとは異なります。
本を一冊作るためにも、多くの人達、多くのプロフェッショナルが関わっています。
商業目的の出版ですので、読みたいと思い、買っていただく方がいなければなりません。
そのように考えると、とんとん拍子で本が出来上がり、世に出していただける機会をいただいたのは、社会のニーズや流れと共鳴したからだと解釈しています。
親御さんを中心に気づいた人が多くなってきたのではないでしょうか。
子ども達の心身の健康に、発達に、取り返しのつかないことが生じてしまったのではないか、と。


『医者が教えてくれない発達障害の治り方①』では怒りが原動力の中心でした。
でも今回は、怒り以上に、申し訳なさの想いが中心になっています。
こういった状況を作ってしまった大人の一人として、心から申し訳なく思っています。
どう頑張っても、彼らの代わりに発達をやってあげることはできません。
どう謝っても、この2年間の時間を返すことはできません。
ですから、この2年間も変わらず、全国を飛び回り発達援助という仕事をしてきた私が見聞きし、感じていたことを、そしてそこで生じたヌケをどうやったら育て直していけるか、親御さんが後押ししていけるか、を想いと一緒に原稿にぶつけました。


ただ問題を指摘するだけでは責務を果たした問いはいえませんので、「こんなアイディア、視点で発達を後押しするのが良いと思います」という部分を強調したつもりです。
発達に遅れがある子もない子も、ほぼ同じように発達に影響を及ぼしたコロナ禍。
私の懸念が外れ、「元の生活に戻ったら、みんな元気になった。すくすく育っていった」というのが私の願いですが、10年後の未来から見れば、「すぐに気づき、行動できていれば」ということもあるでしょう。
はっきり言って、すべての子ども達を救うことはできないと思っています。
でも、一人でも多くの子ども達と親御さん達に気づいていただき、できるだけ早く本来の発達の流れに戻ってほしいと願っています。
この本の出版を機に、気づいた人の後押しができれば、と思います。
どうぞよろしくお願い致します。


【先行予約のお知らせ】
12月3日より出版元である花風社さんで新刊の予約の受けつけが始まりました。
花風社さんで直接お申込みいただけると、特製のミニクリアファイルがついてきます。
書店で並ぶよりも早く読むことができますので、是非、ご利用ください。
ご予約はこちらから→https://kafusha.com/products/detail/56

前著『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』もどうぞよろしくお願い致します(花風社さんのHPからご購入いただけます)。




2021年12月1日水曜日

【No.1206】緊急出版が決定しました!

日本では流行しなかったし、子どもも、若者も、もっといえば健康な大人たちをも殺さない弱毒のウィルスだということがわかったので、コロナ騒動も2021年で終わりだろうと思っていたのが一年前の暮れ。
それが2021年も残り1ヶ月になったのに、まだ「オミクロン」などといってバカ騒ぎをしている。
慌てて入国禁止などをしたって、ウィルスは日本中に、この空気中だっているわけで、南アフリカで見つかった変異と同じような変異が日本のどこかで起っていても不思議ではありませんね。
というか、いまだにウィルスが海外から飛行機に乗ってやってくると思っているおめでたい人なんているのかいな、と思うのが正直なところ。
強毒性で感染した人が動けなくなるくらいのウィルスだったとしたら、「その人を入国させない!」水際対策でどうにかなるかもしれませんが、ほとんどが軽症、無症状のウィルスなんて抑えようがないでしょ、これだけ往来しているのですから。
オミクロンよりも、幽霊病棟で不適切なお金を得ていた、そしてこの日本の経済と人々の人生をハチャメチャにした尾身黒んのほうが大問題です。


というわけで、ここ数か月、下げ止まり状態の陽性者数でも、一向に余計な感染対策を止める気配のないジャパン。
どこまで子ども達を苦しめるんだ、と思いますね。
この2年間でよくわかったのは、この国は子ども達のことを考える人が少ない、子ども達の優先順位は低いということです。
子ども達の発達、成長、学びや青春など、ほとんどの大人たちにとってはどうでもよいのでしょう。
せめて小児科の医師や発達専門医、学校の先生や幼稚園&保育園の先生たちから大きな声が挙がるだろうと思っていたのですが、単発で発信したかと思えば、すぐにダンマリです。
これは、こういった子どもと関わる仕事をしている人達までもが死んだふり&保身まみれなのか、そもそも他の大多数のように子どもの発達に興味がないのか。


3.11の子ども達のように、ある程度、大きくなってから問題が表出することもあるでしょうし、そもそも誰にも気づかれない生きづらさを抱えてここまでやってきてしまっているのです。
早めに気づき、そこの課題をクリアしておけば、もっと違う幼児期があり、小学校生活があったと思います。
この国の大人たちは、そして日頃、子ども達と関わっている人間ですら、子ども達の内なる生きづらさ、発達の不具合に気がつけないのです。
そんな環境で、子ども達は自分の資質を伸ばし、そして活かして生きていけるのでしょうか。
子ども達の視線の先にある「自分が大人になった世界」は輝いて見えるのでしょうか。


今までに何人もの人から、いくつかの支援組織から、私の考え、発達援助の仕方を教えてほしい、学びたいというお話を頂いています。
しかし、どうもやる気が出ないと言いますか、ほぼ断っています。
何故なら、本気じゃないでしょ、みんな。
私の言う”本気”は、我が子を想う親御さん達のような本気さです。
今回のコロナ騒動の影響、学校などの過剰な感染対策による影響について、本気で考えているのは親御さん達ばかりです。
たぶん、専門家、支援者の多くは、ともに生活していないので実感としてわからないのでしょう。
自分たちが見ているのは、ちょん切った生活の場面の一部ですから。
働いている自分たちのように、「マスク付けるのメンドクサイよね」というくらいなものなのでしょう。
ですから、私は基本的に親御さんに対してしか、私の発達援助の方法を直接お教えすることはしていないのです。


新コロの致死率は0.002%ですが、ヒトの死亡率は100%です。
20億年前、もともと細菌であったミトコンドリアを体内に取り入れてから、私達は多細胞生物に変化していき、有性生殖という道に進んでいきました。
人類はDNAと文化を次の世代に引き継いでいくことで700万年歩んできたのです。
次の世代のことを本気で考えられない人は、まだ単細胞生物のままですかー。
インフルエンザ並みに国民の10%、20%が発症するような病気なら、そして子どもも、若い人もバタバタと死んでいく病気なら、今のような対策も必要でしょう。
しかし、とっくの昔に未知のウィルスではなくなった病気に対して、大人たちはビビり、子ども達は犠牲になり続けている、ほぼ人災です。


次世代の子ども達の幸せを願い、より良い環境と希望のある社会を残していくのは、先に生きる者の務めだと思います。
だからこそ、今の社会の、大人たちの、そして日頃専門家を名乗っている者たちの体たらくに癖癖していますし、怒りが湧いています。
そういった気持ちを共有することができた花風社の浅見さんのご尽力により、このたび、緊急出版という形で本が出ます。
タイトルは『ポストコロナの発達援助論~発達の機会を奪われた子ども達に今からできること』です。


子ども達が受けた影響が本格化するのは、表面化するのは、これから5年、10年経ったのちになると思います。
しかし、そのときになって慌てて対処するよりも、今から先を見据え、既に内側に生じている発達への課題をクリアしていくべく進んでいく方が、子ども達のためになると思い、原稿を書きました。
当然、まだ先のことなので、私の捉え方が間違っていることもあるでしょう。
でも、たとえ間違っていたとしても、この危機感を共有し、その危険性やリスクを捉えながら日々の子育てに活かしてもらえる人がいれば、意義のあることになると思っています。
あとから笑われることよりも、いま、世に問いかけるほうが重要。
本の目次はこちらからご覧になれます。
今後、詳細が決まり次第、ブログ等でも発信していきます。
どうぞよろしくお願い致します。




花風社の浅見淳子さんとの共著【医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう】の詳細のご確認・ご注文はこちらからできます→ http://kafusha.com/products/detail/55
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2021年11月30日火曜日

【No.1205】普通級に入ることは、治った"結果"

「気づかれないまま、大人になった発達障害の人達」と言われることがあって、だからこそ、「大人の発達障害を診れる専門医を増やそう」という結論で結ばれることがあります。
しかし、気づかれないまま大人になった人達を精神科医は救うことができるのでしょうか。
別に医師オンリーのディスりではなく、私だってそういった大人の人達に何ができるのか、できることは限られているな、もっといえば、ほとんど無力だなと思いながら仕事をしているわけです。


世の中にヘンな人はたくさんいて、だけれども、ほとんどの人がそれなりに生活し、自分の人生を歩んでいます。
こういった人が発達障害なのか、そうではないのかはどうでもいい話で、結局、発達障害があるかどうかではなく、自活できているかどうか、になります。
めちゃくちゃヘンな人で、持っているのがとても共感できるような趣味でなかったとしても、誰に迷惑かけることなく、社会の一員として生活できていれば、決められた時間に出勤し、求められる仕事を行い、給料を貰って、今日眠りにつくことができれば、何も言われないのが今のニッポン。


そう考えると、「治る」という意味を厳密に捉える必要はないのだと思います。
職場では上司と円滑なコミュニケーションがとれ、同僚とは協力しながら、一つのプロジェクトを完成させていく。
プライベートでは友人や恋人と一緒に楽しい時間を過ごす。
学歴で言えば、できれば大卒かな。
それが治った姿だと思うのなら、100%子育て、発達援助は間違った方向へ進むでしょう。
といいますか、こんな理想を掲げた子育てをしようもんなら、どんな子も潰れてしまいます。
親の理想はあくまで親が生きてきた人生の中で作られた価値観によるもの。
令和の子ども達が、昭和から平成を生きた私達と同じような価値観で歩むわけはないでしょ。


よく言う「快食快眠快便」は、発達がググッと進んでいく土台であり、条件の一つになりますが、大人になっても、ここができていない人は働けないし、自立した生活も難しくなります。
どんなに優れた医師や支援者がいたとしても、本人の代わりに良質な睡眠をとってあげることはできませんし、代わりによいウンチをしてあげることもできません。
つまり、本人という環境、身体を整えるということは、そのまま自立した人生へと繋がっていくのです。
どうも身体アプローチというと、神経発達の側面だけで捉えられがちです。
しかし、3歳の子だろうが、20歳の若者だろうが、30歳の大人だろうが、みんな、身体だけは代わりがいないし、代わってもらえないもの。
だから、その身体に生じた不便さ、発達のヌケ、未発達は育て直しておいた方が良いのです。


学校で求められている能力と、社会で求められている能力、自立した人生を送るための能力は違います。
「先生の指示に従う」
「級友と仲良くする(喧嘩しない)」
「望まれる答えを早く、適切に出す」
あとは小4レベルの学力が付けば、それ以降は趣味嗜好、本人の気持ち次第。
「良い高校、大学に行き、良い会社に就職する」なんていうのは、いつの時代の話でしょうか。
そんなくだらない価値観で生きてきたから、いい大人がマスク一つも自分の意思で外せないのです。


発達障害の専門医や支援者をいくら増やしても、発達障害の人達は自立しないし、今の困難から抜け出すことはできません。
生きづらさの根っこは、本人の内側にあるのですから。
そして、その本人の内側にある発達のヌケ、未発達から始まる不具合は、その身体が変わらない限り、続いていきます。
いくら「この人達、苦しいんです」と社会に対し訴えても、その人の持っている発達の凸凹は埋まっていかないのです。


だから、すでに不具合が生じ、心身に不調をきたしている発達障害の人に他人がやってあげられることはありません。
あるとすれば、本人が変わろうとする行動に対して、励ましたり、後押ししたりすることぐらい。
共に伴走できる人ならば、発達障害の知識があろうとなかろうとどうでもよいのです。
常時、何名か継続してやりとりをしている大人の発達障害の人達がいますが、私は支援者などという気持ちではなく、本人の変わろうとする力が継続できたらいいな、という想いで一人の社会人として、少しだけ彼らよりも長く生きている者として関わっています。


発達障害の専門医や支援者、心理士などを見ていると、よっぽどこの人たちのほうが社会性がないと思うことばかりです(笑)
たぶん、こういった肩書を抜かせば、一般の仕事は無理だろうな、いや、そもそも患者さんを診る前に、あなたの心身の健康を診てもらった方が良いのではと思うこともあります。
つまり、こういった人も、変人枠として専門家を名乗り、どうにか生活をしているわけです。
どうにか専門家、支援者をやっている人に、ひと様の自立支援は無理ではないでしょうか(笑)
経営者、起業家のところに行って勉強した方が、よっぽど自立できると思いますし、実際、そうやって福祉的な就労相談支援から抜け出し、職場に飛び込んでから自立していった若者もいます。
「福祉的な就労支援を通って一般就労」というのは、典型的な誤学習です。


小学校、普通級に行くことが目標なら、「治る」の意味するところは狭くなります。
言葉がしゃべれるようになる、友達と遊べるようになる、先生の話が聞けるようになる、漢字が書けるようになる、はどちらかといえば、治った結果です。
その子の内側にある不具合、その子が感じている不便さ、その子が人生を生きていく上で支障となる生きづらさを解消していくことが、解消することが「治る」であり「治った」だと思います。
どうも、普通の子になることが治っただと勘違いしている人、また普通級に行くことが治っただと捉えている人が多いような気がします。


ある女の子は、身体のヌケを抱えたまま、それこそ勉強ができるだけの準備が整っていない身体で、必死に塾や家庭教師をつけて中学校の勉強をしていました。
さすがに私は、親御さんに本人の内側にある苦しさを伝え、真っ正面から注意しました。
彼女は椅子に座り続けることがしんどい。
先生の話を聴くだけで必死。
ノートに板書するのは、とても授業中にはできない。
そんな状態で学校から帰ってきたあと、勉強についていけていないから、と毎日勉強をさせられる。
授業が分かること、ついていけることは大事だけれども、その子の不便さに気づき、そこを解消することがもっとも重要だと思います。
その子がラクに座れて、授業が受けられるようになったら、それこそ治った状態です。
子どもの内なる声、何に生きづらさや不便さを感じているか、それに気づけることが発達援助の始まりであり、「治る」道だと思いますね。




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2021年11月26日金曜日

【No.1204】治ったら終わりではなく、治ってから始まる次の発達援助

アメリカに移住した小室夫妻の動向をいまだに追いかけているメディアがいるみたいで、ビックリしました。
皇室を離れ、一般人として歩んでいく選択をしたのですから、もういいでしょう。
それを楽しんでみている読者、国民がいることも、私には理解できませんね。
みんな暇なのか、それだけ自分の生活が満たされていないのか。
男系男子のままで行くのか、それとも女系天皇の道を探っていくのか、その辺りに関心があるならまだしも。


日本の優れているところの一つに権威と権力の分離が挙げられると思います。
天皇は権威を持つけれども、権力は持っていない。
戦国時代の信長も、武力を持たない天皇の元に行き、頭を下げていた。
ほとんどの世界の国が権威と権力を同一にしているため、トップが倒されるとすべてがひっくり返ってしまうことが生じ、その都度、滅び、滅ぼされの道を歩んできましたが、日本は2000年以上続き、そのほとんどを平和に過ごしてきました。
ですから将来、愛子内親王が天皇として歩まれていく道を目指していくのは良いと思いますが、権威のもとになっている天照大神の子、つまり、男系男子が繋いできたY染色体の部分はどうするのかといった課題があるといえます。
ちなみにミトコンドリアDNAは母から子へ継承されますね。


昨年は通院や検査を控える人が多かったため、一時的に減りましたが、それでも戦後ずっと医療費は上がり続け、40兆円を超えています。
また「医師不足」と言われているものの、医師の人数もずっと右肩上がりで増え続けています。
医療費と医師の数は増えているけれども、患者さんは減る気配がありませんし、むしろ同じように増え続けている。
一般的にお医者さんの数が増えれば、健康な人が増え、患者さんは減るはずなのに、40代から80代の死因のトップは悪性新生物(ガン)のままです。
ここから考えられるのは、日本の医療は病気への対処が中心ということです。
病気にならないように、また再発などが生じないように、根本から治すということはメインではないのだと思います。


ですから、いろんなところで聞かれる「医師を増やせば、病気がなくなる」というのは成り立たないはずです。
むしろ治せる医師がいるのなら患者さんは減っていくはずで、医師が増えるというのは治せる医師よりも治せない医師が増えているということにもなります。
それはハッタツの世界だって一緒で、長年、「支援があれば」「支援者がいれば」「支援機関があれば」と親御さん達は言っていましたが、当時よりも増えたのは支援という名の介護と、教わった型にこだわる支援者たちです。
みなさんが求めていたのは、ただ御守りをしてくれる人たちだったのでしょうか。


そうはいっても、医師が、専門家が「どうにかしてくれる」と思っている人が多数なのが現実です。
なので、近頃、発達障害にならないためのほうに私の意識があります。
胎児期の愛着障害や鉄、栄養不足という指摘から、女性に対する指摘が多いように見えますが、男性のほうが気を付けなければならないと思います。
卵母細胞は三代(祖母→母→子)が影響し合いますが、精子はもろそのときの男性の生活、健康状態そのものが出ます。
女性だけが食事に気を付けていても、男性が添加物まみれの食事や睡眠不足、運動不足といった不健康では問題になります。
精子は男性の体内で作られるものですので、女性以上にその人の状態がそのまま表れるのだと思います。


海外では、男性が精子の状態をよくするためのエクササイズや食事指導という取り組みが行われています。
発達障害の予防という観点からも、近い将来、日本でもそういった取り組みが行われるはずです。
特にこれから元発達障害の子ども達が成長し、社会の中で自立して生きていく時代になっていきますので、そういった子ども達、若者たちに対する食事、睡眠、運動、健康などの教えが大事になっていくと思います。
発達障害が治ったあとの生活を整えること、健康を維持する習慣、力を身につけていくことも重要だと私は考えているのです。


発達のヌケや遅れを育て直す上でも、日々の生活を整えていくことは重要です。
しかし本来は、発達援助のみではなく、未病という観点から、成人後、次の世代を産み育てるという観点からも、発達に良い環境づくりは大切だと思います。
ヒトの発達とは、受精した瞬間に始まり、発達のヌケが育ちきったあと終わるのではなく、父母の代、祖父母の代、そして孫の代、ひ孫の代までの流れで見ていく必要があります。
近頃、治った子ども達、若者たち、そのご家族と関わる機会が増えましたので、そういった方たちへの次の発達援助として、こういった話をさせていただいております。




2021年11月25日木曜日

【No.1203】エクササイズをマジメに行えば治っていくと思う段階からもう一つ先へ

今年の函館の初雪は遅く、もう11月も終わろうかというのに、さらっと降った雪がすぐに溶けてしまいました。
最高気温が1ケタ台になりましたので、寒いのは寒いのですが、着替える時間がもったいないので、半袖&半ズボンのトレーニングウエアのまま、車に乗り込み、ジムへ直行。
マイルールは「積雪したら上着を着ていく」(笑)


どう考えても乾燥していてウィルスさん達が活発な時期、ヒトの免疫が下がる時期に入ったのに、北海道、もちろん、東北も一向に陽性者が増えていきません。
あれだけ「寒くなったら第6波」と言っていたのに、どうしたことでしょう。
考えられることとしては、デルタ株のような大きな変異が起きていないことと、ある程度、みんながデルタ株に暴露して集団免疫が成立したことが挙げられます。
ワクチン頼みの欧米は相変わらず収まる気配はなく、接種が進んだ韓国でも爆上がり状態。
「それは感染対策が素晴らしい日本だから」という声も聞こえてきますが、RSウィルスや手足口病は例年以上に増えているわけで、「コロナウィルスに対する感染症対策だけがバッチリ」とは言えないでしょう。
結局、第一波前にすでにある程度の日本人はコロナに感染していて、変異が起きるたびに自然免疫+獲得免疫で対処、集団免疫の成立となっていたのだと思います。
そう考えると、コロナ禍でもまったく関係なく、全国を移動し暴露し続けた私が風邪の症状一つ出なかったのも納得できます。


1400万人都市の東京で昨日の陽性者が5人。
神奈川、埼玉、千葉などから毎日300万人くらいが往来する東京。
どうして陽性者が減ったままなのか、それを分析するのが専門家のはずですがどうしたことなのでしょう。
増えることや苦しむことには興味があるけれども、減ること、みんながよくなることには興味がない。
または陽性者の増減はウィルス次第の自然現象のため、人為的にできることはないことがバレないようにダンマリなのでしょうか。


日本人の2人に1人はガンになると言われています。
しかしなぜ、人間はガンになるのでしょうか。
どうして日本人だけガンの患者さんが減っていかないのでしょうか。
既にアメリカではガンになる人、ガンで亡くなる人が減少傾向になっています。
日本人は長生きだから、ガンは遺伝だから、と言われますが、本当にそうなのか疑問です。
小児ガンの子どもは?
遺伝なら、どうしてガン患者が減っている国がある?
ガン細胞は日々体内でできているもので、それを免疫細胞が退治している。
つまり、その人の生活習慣によっても左右されるということだと思います。
だったら、どういった生活習慣がリスク要因になるのか、研究ができると思いますし、明らかになった要因は、専門家の人達によって積極的に発表してもらいたいものです。


ハッタツの世界が長くなりますと、どうして発達障害の予防、未病について意識が向かわないのか、そういった研究結果がなかなか公にならないのか、疑問に思います。
発達障害に関するリスク因子については、多数明らかになっているのに、そういったことを発言すると、トンデモ扱いになってしまいます。
ギョーカイの専門家だって、自分たちでリスク因子を研究している一方で、親御さん達にはいまだに「生まれつきの障害」と言っている。
本気で生まれつきの障害と信じているのは、専門家の話を盲目的に信じてしまっている親御さん達だけだと思います。
「生まれつき」だったら、妊娠期や出生の様子、成育歴など、根掘り葉掘り聞く必要はないのですから。


どんなときも被害をこうむるのは、真実を知らない当事者です。
物事には必ず二面性があり、また良い悪いというようにスパッと答えが出るようなものはほとんどありません。
世の中すべてが複雑系で、常に揺らぎが生じています。
コロナワクチンだって、まだ明らかになっている部分が少ないから今、走りながら治験を進めているのだといえます。
しかし、ハッタツの世界は「生まれつき」が強く、固定化されたものになってしまっています。
ですから、改善や治す、予防や未病の方向へと進んでいけないのです。
「生まれつき」というのは、親御さんを傷つけないための忖度であり、その忖度にかこつけて現状維持と支援という名の介護で手抜きをしている人達に気がついた方が良いと思います。


どうも日本人は、弱い方に意識が向きやすいようです。
ガン患者に、「そんな添加物まみれ、砂糖まみれの食事をしていたらガンになるのは当たりまえ」とは言わないで、さっさと抗がん剤治療と部位の切除が行われる。
そして生活習慣が変わらないもんだから再発し、また同じ治療が行われる。
同じように、環境要因から神経発達に影響が出たんだとはいえず、「はい、診断」「はい、療育」「はい、支援」となる。
それは親御さんの中で傷つく人がいるからだと思います。
ハナから傷つく人前提で、どんどんソフトな方向へ、どんどん軟弱な方向へと行ってしまう。
で、結局、最後には本人が良くない方向に行き、日本全体としても不幸になる人が多いから没落していく。


徒競走で「一番遅い子と一緒に手をつないで、みんなでゴール」みたいなことが氾濫し、どんどん取り返しのつかないところへ向かっている日本。
発達障害だって、このままのペースで増え続けたら、福祉も、医療も、教育も、立ち行かなくなり、障害の程度で言えば軽い発達障害の人達が一番に切り捨てられていくのは目に見えています。
どう考えても、医療ケア児や身体障害を持つ子ども達への支援のほうが必要なのですから。
小学生くらいから健康教育を行い、高校生ぐらいではきちんと神経発達症の予防やリスク要因について学んでいく必要があると思います。


「我が子の発達障害は生まれつきだけれども、改善したい、治したい」というのは、正直、どうなのかなと思います。
といいますか、そこの段階から抜け出せないと、真っ正面からリスク要因と向き合えないと、発達障害は改善しないし、治っていかないと思います。
なにかトレーニングや訓練、特定の動きや遊びをすれば良いと捉えているご家庭は、なかなか治っていかないものです。
何故なら、子どもが育っていく環境、神経発達が進んでいく環境づくりという視点が抜けているから。
いくらその子に必要なエクササイズをしても、2時間も3時間もメディア視聴やゲームを続けていたら、菓子パンやコンビニ飯を食べていたら、夜遅くまで起きていて睡眠のリズムが整っていなければ、神経発達にもっとも重要な酸素が十分に体内に取り入れられていなかったら…。
子どもが育つ環境づくり(内側と外側)がベースにあって、そこが整って初めて発達援助が始まるのです。


専門家が親を下に見ているのも、家庭での子育て力を信じていないのも問題ですし、専門家から言われたことをそのまま聞いてしまっている親御さんも問題です。
大事な我が子の一生がかかるものを、専門家という肩書だけの他人の意見で決めてしまうなんて、どんだけお花畑なのでしょう。
医師は医師免許を持った人であり、その人の技量とは別の話です。
運転免許を持っている人、すべてが運転がうまいわけでも、事故を起こさないわけでもないのと一緒です。
教員免許だって、持っていても教え方がまずい人はたくさんいます。
これだけ情報に溢れている時代なのですから、情報を取捨選択できる力が必要です。
「専門家が、テレビが言っていたから」という人から羊へと変わっていくのだと思っています。




2021年11月22日月曜日

【No.1202】発達援助の前に、悪影響を及ぼしている要因を減らしていく

このウィルスは年代によるリスクが大きく異なっています。
別の言い方をすれば、どの人にとっても等しく脅威になるウィルスではないということ。
世界的に見ても、どの国の子ども達も重症化する人数は少なく、日本に至っては重症化もしなければ、死亡もしない。
ですから、高齢者や基礎疾患のある人、健康上不安のある人のリスクを下げられるような体制づくりができていれば良いわけで、しかもその人達のワクチン接種がほぼ完了している日本ですので、いつまで子ども達を苦しめれば気が済むのだろうと思います。
結局、目に見えない子どもの「発達」を、そしてその子達の未来に与えるネガティブな影響を、想像して行動できる大人がいなくなったのでしょう。
そんな社会に新しい命が生まれてこようとしないのは、当然だと思います。


未だに児童デイや発達相談、療育を行っている施設で、子ども達にマスクをつけさせているところがあるそうですね。
「子ども達の発達を」と謳っているところが、マスクの弊害に気がついていないのか、気がついていても自分たちの保身のために発達を犠牲にしているのかわかりませんが、とにかくそういったところはしっかり覚えておいた方が良いですよ、みなさん。
この二年間で、公教育のひどさはよくわかったと思いますが、こういった日頃、専門性を謳っているところが、マスクや過剰な感染対策によって、子ども達の心身の発達にどういった悪影響を及ぼしているかがわかっていないのです。


マスクをした状態でサーキット運動。
マスク越しの言語指導。
子ども同士、大人と子どもの触れ合いがない環境での社会性の指導。
すべて「型」をこなしているのでしょう。
結局、彼らの言っていた発達とは、型を覚えることであり、パターン学習であり、大脳皮質に向けたアプローチなのです。
発達って大脳皮質だけのことを言うのではありません。
むしろ、発達障害と言われる子ども達は、胎児期から言語を獲得する2歳前後に生じた発達のヌケによって、それ以降の発達がうまく進まない、凸凹してしまうというのが課題の本質だといえます。
ですから、アプローチするにしても、大脳皮質以下の部分であり、それだったら彼らはそもそもが発達を表面的にしか捉えていなかったと見えるのです。
そう考えると、マスクの弊害とか、酸素と神経発達の関係とか、完全に無視というのがよくわかります。


最近、「三つ子の魂百まで」の"三つ”は、生まれてからの3年間ではなく、胎児期を含めて生後2歳まで、という話を聞きました。
確かに胎児期も生きていますし、発達していますので、さらにそこの影響が誕生後の発達に大きな影響を及ぼしているという実態があるので、私も胎児期の1年+生後2年だと思いました。
実際、科学技術の進歩により、胎児の様子、神経発達の様子を確認することができるようになっていますので、今後胎児としての環境と発達にもさらに注目が集まっていくと思います。


目に見えるもの、数値化されたものしか、認識できないというのは、現代人の劣化を表しているといえるでしょう。
子どもの発達とは、ヒトの発達とは、数値化できるものでも、決まった型があるわけでもありません。
ですから、感じることでしか捉えることができません。
ハイハイを数値化して、「腕の角度が90度で、手の開きは…、一回の移動距離は、継続時間は」という具合に発達はならないのです。
つまり、発達援助、子育てに必要なのは、捉える側の感覚であり、想像する力、行動力。
それを発揮するための心身を整える方法なのだと思います。


医師も、専門家も、支援者も、自分自身が不健康な人は、発達を捉えることができない人です。
ですから、大脳皮質で捉えたアプローチ、方法を相手の発達を見ることなく、相手の状態と共感、共鳴することなく、提供するのです。
そういった人達にとって、マスクの弊害、過剰対策の弊害、酸素不足の弊害、発達の機会が奪われた二年間の弊害は、感覚的に掴めないのだと思います。
彼らが掴めるようになるときは、誰かが研究し、データとして示してくれるとき。
数値しか捉えられない人に、発達援助は無理なのです。


コロナ騒動の二年間で、多くのことに気がつくことができました。
それまで見えなかった部分が表に出た二年間だったと思います。
学校教育がどれほど、子どものことを考えていないのか、保身のためなら子どもの学びの機会を奪うのか。
コロナ前まであれほど偉そうに言っていた発達障害の専門家たち、行くのが当たり前かのごとく言っていた療育機関が、子ども達の発達を多面的に捉えることができていなかった。
今まで良い専門家、支援機関、療育機関の見分けるコツを訊かれることが多かったのですが、コロナ騒動のおかげで、シンプルな答えが決まりました。
「子ども達にマスクをつけさせていたか、どうか」です。
せめて発達の後押しができなかったとしても、発達に悪影響を及ぼす人、ところは選んではいけませんね。
そんな行ってはいけないところ、信じていはいけない人が明確になった二年間だったと思います。
発達を後押しする前に、発達の足を引っ張る要因を減らしていく方をまずやらなくてはならないことです。




2021年11月18日木曜日

【No.1201】専門家が専門化して視野狭窄

遺伝子解析を行った結果、2019年の夏頃には中国の国内で新コロが存在していたそうですね。
2020年の3月までは中国人が日本の全国各地を移動し、食べ、遊び、買い物し、どんちゃん騒ぎしていたわけですから、日本国内でも新コロが現れてもう丸二年になります。
2年が経ちましたが、いまだに日本国内で流行する気配はなく、累計で人口の1%しか陽性にならない。
毎年のインフルエンザは、人口の10~20%くらいが"発症"しますので、あと20年くらいですかね、インフルエンザ様と肩を並べるまでは(笑)
しかも無症状と軽症者が中心ですので、日本人にとっては弱毒のウィルスだったわけです。
毎年130万人が亡くなる日本なので、基礎疾患のある人、高齢者の人にとっては、リスク要因が一つ増えたに違いないと思います。


インフルエンザは毎年、子ども達の命を奪いますが、新コロはそんなことをしませんでした。
子どもに優しいウィルス、新コロ。
子どもにとっては単なる風邪の一種にすぎません。
ですから、接種しても感染し、排出するウィルス量は変わらなくて他人にうつす、強いていえば、回復までの日数が若干早まるくらいのワクチンなど打つ必要がありませんね。
もちろん、基礎疾患やその他の病気で自然感染もまずいというお子さんは打つ理由があるかもしれませんが、健康な子どもには必要が無いのです。


命の問題を言うのならリスクがある人だけ接種すればいい。
病床数がというのなら、それは政府と厚労省と医療側の話であって、子ども達の話ではありません。
そもそも大人の病床と子どもの病床って違うでしょ。
重症になったのが19歳以下で1人ですから、小児病棟が足りなくなるわけでも、もっといえばコロナ専門病棟に子どもさんが入院することになったとしても、重症症のベッドに影響は及ぼさないはずです。
こんなことは、誰にでもわかることです。


でも、子どもの接種を勧める医師や専門家がいます。
そういった医師などに対して、「F社から多額のお金を貰っているからだ」などという人達もいますし、陰謀論のようなことを言う人もいます。
そうでもいわなければ、辻褄が合わないからでしょう、子どもに接種させる意味が。
しかし私は、このハッタツの世界に身を置き、20年ほど経ってわかることが、ワクチン接種を勧める医師や専門家たちは、統計が分からないわけでも、副反応のリスクがわからないわけでもないとの認識がある、ということです。
むしろ、分かったうえで、推奨しているのだと私は捉えています。


専門家の中には「科学の進歩には多少の犠牲は仕方がない」「犠牲の上に科学の進歩がある」と考えている人が少なからずいるように感じます。
ですから、先日、厚労省に5~11歳の摂取の申請がされましたが、それは子ども達その子自身のためというよりも、データ収集が中心だと考えられます。
アジア人の子どものデータをとることで、今後、中心になっていくだろう遺伝子治療の実用化、多様化に繋げていくのでしょう。
接種後、子ども達の身に何かが生じれば、それは事例報告、データとして蓄積され、改良するために用いられるはずです。
彼らからすれば、「そうやって失敗を繰り返しながら、人類、科学は進歩してきただろう」と言うでしょう。
その犠牲の上に、「救える命が未来にある」という具合に。


私はこういった考え、思考を持った人を否定しませんし、彼らの言う科学技術の進歩には犠牲がつきものだと思います。
私たち自身も、そういった犠牲のもとに発展してきた医療技術の恩恵を受けているでしょう。
しかし、私には共感する力がありますので、今回のワクチンの子ども達の接種は決して同意できません。
ワクチンは健康な人に打つものです。
子ども達の尊い命をたくさん奪うようなウィルスに対してなら違いますが、いまだに子どもは新コロで亡くなっていません。
もし接種によって、重大な障害が起きてしまったら、万が一、一人でも亡くなる子がいたら、どうするのです。
一人の子の命は、死亡者数「1」という数字、データではないのです。
その子の人生があり、悲しむ家族がいる。
接種会場に連れていった家族は、生涯苦しみ、後悔し続けるでしょう。
そういったことを想像できない人の中に、それかそういった共感に心や考えが引っ張られない脳を持つ人が、研究者、専門家、医師を志す人がいるのかもしれません。
無責任に子ども達のワクチン接種を勧めている人達を見ると、そのまま私には「人でなし」に見えるのです。


同じような感覚は、ハッタツの世界で嫌というほど味わってきました。
夏休みに研修で習ったばっかりの療育法を、二学期から取り入れ、ガラッと指導法を変えてしまう教員(子どもは研修結果を確かめるモルモットではない)。
子どもの顔や様子を数分診ただけで、「この子は、自閉症」「生涯、支援だね」「普通級?ムリムリ」という医師。
症状を聞いただけで、どんどん服薬量を増やしていく医師。
目の前にいる子の内側にある感情やその子の未来に想像ができない人達は少なくなく、そういった人に限って患者をデータにし、論文発表などを行っています。
「薬が効いた、効かない」「療育法に効果があった、ない」
そこにその子の幸せ、より良い成長、自立した人生といった尺度はありません。
何故なら、「そんなもん、数値化できないから」


コロナに関して発表されるデータを見ても、その薄っぺらさが目立ちます。
全国で陽性者〇名。
その陽性者は、何歳で、どんな健康状態で、性別は、基礎疾患は、既往症は、国籍は、身長、体重は、BMI、生活習慣は、喫煙は。
これだけ国による陽性者数の違いがあるのに、そもそもデルタ株の発症のインドではすぐに陽性者数が減ったのに、そんな大事な情報には目もくれず、ただ数字を羅列しているだけ。
本来、ヒトという個体差のあるものとウィルス、病気との関係性ですので、一つ一つ見ていく必要があるはずです。
でも、無限にあるその人の特徴や状態をすべて確認できないから、「年齢」「性別」くらいでデータ化してしまっている。
「年齢」と「性別」だけでは、なにも分析できないでしょう。
いつになったら「ファクターX」の分析、研究が始まるのでしょうか。
「マスク」と「人流」という要因は、否定されたので、次の要因を早う。


その人の複雑性を見抜けないから、見ようとしないから、「自閉症だから構造化」「知的障害だから福祉的就労」「ADHDは、はい、お薬」となるのだと思います。
いつまでそんな自動販売機みたいな支援?療育?を続けるのでしょうか。
1970年代ならわかりますが、それから50年も経っているのです。
50年前の支援のままで良いのでしょうか。
なぜ、衝動性の特徴が出ているのか、なぜ、字を書くことが難しいのか、集団指示が通らないのか。
行動の背景には必ず理由があり、それを見ていくにはその子の発達で通ってきた道、育ってきた環境、遺伝として受け継いだものなどを確認していく必要があります。


感染症の専門家たちは、コロナさえ罹らなければいい、他の病気で死ぬのはどうでもよい、といった感じで、視野狭窄に陥っている人が多かった気がします。
視野狭窄は、医療の過度な専門化の弊害だといえるでしょう。
人の健康は、総合的に診る必要があるので、専門家の医師から健康の話と、発症に至らないためのアイディア、その人らしい生活、人生が送られるためには、というものが出てこないのも当然です。
100年前よりも医療が発展し、受診できる病院、医師の数も増えたのに、どうして不健康な人が増え続けるのでしょうか。
国民皆保険の日本で、どうして病気が治り、健康な人が増えていかないのでしょうか。


ですから、こういった視野狭窄という名の専門家に頼っても、期待しても無駄です。
出てくるのは、この人達が専門にしているとってもニッチな話題だけ。
総合知からの見解は聞けません。
「ワクチン接種後に子どもに副反応が見られた、死亡した」と聞いて、その子と家族の無念さと苦しみに気持ちがいく人と、「この事例は、外れ値かな」「統計的に意味があるかな」と考えがいく人の違い。
良い悪いではなく、そういう人がいる、という認識を持つことが大事だと思います。
ハタッツの世界にも、目の前にいる人を数値で見る人、個人の幸せよりも介入方法とお薬に興味がある人がいますので、お気を付けくださいませ。
ハナから治す気のない人のところに行って「治さない人だ!」というのは、行く方が悪いのです(笑)
マスク着用と一緒で付けるから終わらない、行くから治せない専門家がはびこり続けるのです。




2021年10月26日火曜日

【No.1200】「共同作業ができるできない」は、勝手に決められたチェックリストの一つにすぎない

うちの子ども達がお世話になっていた、なっている保育園は、基本的に自由です。
発達段階上、クラス単位で行動する場面はありますが、ほとんどの時間は遊びたい場所で、遊びたいことをそれぞれの選択によって行っています。
新しく入園した子や兄弟児などがいると、年上の子ども達がお世話をしたり、一緒に遊んであげたり、また年齢も関係なく、遊びたい相手と遊ぶという感じで、異年齢同士でもよく遊んでいます。
当然、一人で遊びたい子はそれでOKで、周りで鬼ごっこしている中で、絵を描いたり、虫を観察したりしてる子もいます。
今回の新刊の中には、この保育園、また保育士さん、そして自由に伸びやかに遊ぶ子ども達の姿から教わり、着想を得た部分もたくさんあります。


大型恐竜が跋扈していた時代、私達のご先祖様は小さなネズミのような生き物でした。
そのご先祖様は、卵で子どもを産んでいましたが、途中からウィルスの力を借り、胎盤を形成し、現在のような出産に変化しました。
それは新しい命を守る戦略だったとも言われています。
そして人類700万年、生まれた赤ちゃんを集団で守りながら、命のバトンをつないできたわけです。
今でも原始的な生活をしている部族、また先進国以外の国では、集団での子育て、保育が行われています。


ヒトも動物の一種ではありますが、他の動物は生殖能力を失う=死・寿命になることがほとんどです。
しかし、ヒトの場合、そうではありません。
ヒトは生殖能力を失っても、生きる意味があるのだと思います。
それはまさに次の世代を育てるために必要だということ。
ヒトの特徴は、その大きな脳です。
単純に幼い命を守るために祖父母の代がいるというよりも、よりよく子どもを育てるために、高齢者がいるのだと思います。


コロナ禍で学校や園が休校の中、「毎日、地域の子ども達と遊んでいました」というご家庭が多くありました。
ある団地では、高校生、中学生が中心になり、そこに住む小学生や幼児さんを集めて一緒に遊ぶというところがありました。
ある地域では、家の扉がオープンになっており、いろんな年代の子ども達がそれぞれの家に行ったり、庭で遊んだりして過ごしていたところがありました。
昨年の段階では、親子の濃密な時間、一対一の関係性の中で大きく育ったと思っていましたが、このように異年齢間での集団が存在している地域の子ども達の姿を見ていますと、こういった多様な刺激が大きな発達に繋がったことも多いのではないかと思いました。
普段は学校等で忙しい子ども達も、休校は却って幅広い刺激を味わえる貴重な時間になったのでしょう。
他にも、仕事が休めず、休校中、やむを得ず祖父母の家に預けたら、ぐんぐん伸びたというお話もありました。


近頃、なんとかの一つ覚えのように「多様性を」などと言わています。
しかし現実は、定型発達の子と発達障害という診断を受けた子の学習の場、遊びの場は明確に区別されています。
これからの時代、国やバックグランドが異なる人同士で地域や社会を共にしていく時代ですし、人種の違いと比べれば、神経発達の違いなんて微々たる違いだとも思います。
ですからギョーカイの言う「多様性を」は、「私たちを受け入れろ」「特別扱いしろ」という本音を隠す建前でかつ綺麗事なのでしょう。
本気で多様性のある社会を目指そうとしたら、「治さない」という方向性はあり得ませんので。


発達障害の人は共同活動が苦手と言われていますし、実際、そのような場合が多くあります。
でも、だからといって集団活動をさせない、すべて個別対応、小集団はよくありません。
何故なら、刺激のバリエーションが乏しくなるからです。
私は、私達がヒトである以上、集団はとても大事だと考えています。
しかし、その集団は、必ずしも集団活動をする、という意味ではありません。
うちの子が通う保育園のように、集団という場を共有しながらも、個人活動して良いと思いますし、それが自然な姿だと思います。
衝立の中で個人活動をしているのと、集団という場を共有しながら個人活動をしているのでは、発達の仕方が違うのと同じです。


言葉が出ない子、知的障害がある子、集団活動ができない子でも、地域や園によっては一般的な保育を受けられる場所もあります。
そういった場合、もちろん、先生や保育士さんは最初の頃、大変なこともありますが、やはり卒園児の成長の大きさが違います。
ある地域では専門的な療育園があり、行列をなしているところがありますが、見事に通ってもほぼ変化がありません。
しかし、同じ地域でその療育園を辞め、一般の幼稚園、保育園に転園すると、ガラッと変わることがあります。
その療育園のスペシャルな先生から、「この子は一生言葉が出ないし、普通の幼稚園は無理」と言われた子も、親御さんの決断によって転園したら言葉が出て、支援学校と言われていたのに、支援級へ通えるくらいまで成長しました。
ちなみに今は、文字の勉強、簡単な計算ができるまで育っています。


専門家の予言は、朝の番組の星座占いくらいの的中率です(笑)
そして一見すると、言葉もないし、集団活動もできない子でも、多様な刺激のある場所で過ごすと、様々な刺激を受け取っていることがわかります。
だいたい発語がないだけで、「支援が必要な子」という判断は化石みたいな支援者です。
発語は発達の結果であり、それがすべてではありません。


ヒトの子育ての形態は、共同保育です。
今のように我が子だけをその親御さんだけで育てているというのは、本来の子育ての姿ではありません。
子が育つためには、様々な大人の手が必要であり、そして脳の発達にはおじいちゃん、おばあちゃんの世代からの刺激と文化の継承、異年齢の子ども同士でじゃれ合い、遊び、場を共有することが必要だと思います。
異年齢間での遊びは、心身を育てるだけではなく、将来の狩りや生活に必要な協働作業を学ぶ準備の側面も大きいはずです。


この2年間で、学校行事、園行事、地域の行事、お祭りがことごとく中止になりました。
現代の子ども達にとっては、すべて異年齢との貴重な共有の場という意味合いがあります。
神経発達と共同作業の土台作りである場を失った子ども達への影響は、これまた数年、数十年後に表れると思います。
マスクをつけろと言うジジババは、子ども達にとって有害以外の何者でもありませんが、いろんな世代の大人やお兄ちゃん、お姉ちゃんは発達を後押ししてくれる存在です。
一緒に活動ができる以前の発達段階は、「場を共有できる」になります。
必ずしも同じ活動を行うのではなく、違う人間同士が場を共有できることが多様性のある社会だと私は考えています。
同じ活動ができるできないは、勝手にギョーカイが決めた診断基準のチェックリスト1項目にすぎませんね。




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11月6日(土)午後1時よりzoom講演会『コロナ禍のヌケも育て直せる!』で講師を務めさせていただきます。主催は花風社さんです。講演内容やお申し込み方法はこちらをご覧ください。当日リアルタイムで参加できない方は、後日配信も行っております。


2021年10月25日月曜日

【No.1199】出版記念講演会を終えて

12時45分ごろ、会場につきますと、既に数名の方が待っていてくださいました。
その中には、半年に一回くらいのペースで訪問させていただいている方で、私もびっくりするくらい大きな成長を見せてくれるお子さんのママさんがいました。
若い世代のママさんで、素晴らしい行動力と何よりも深いお子さんに対する愛情を持った方。
皆さんにもご紹介したいくらいのステキなお子さんとママさんです。
やはり知っている方が来てくださるのは心強く、嬉しいものです。
他にも、以前、私が関わっていたご家族がお子さん達を連れて来てくださって、小学生の子も、成人した若者も、ご自身の人生を伸びやかに歩まれている姿を私に見せてくださいました。
援助者としてではなく、一人の大人として、先を生きる人間として、輝いている若者、子どもの姿を見ることは何よりも喜びです。
きっと私は、こういった姿、また親御さん達を見ることができるからこそ、今の仕事を信じて進んでいけるのだと思います。


空の上とジムの筋肉ゾーン以外、ほとんどノーマスクの私ですので、講演中のマスクで酸欠状態になりました。
途中、息が苦しくて、気を付けていた「早口」になってしまったり、一瞬ボーとしてしまうことがあり、聞き苦しいところがあったかもしれませんが、一番お伝えしたかった「発達を援助することの大切さ」に共感してくださった方が多くいらっしゃったようですので、良かったです。
イベント会場は蔦屋書店の2階でオープンスペース。
しかも、レンタルコーナーのすぐそばでしたので、一般のお客さんも大勢歩いていました。
ですから、刺激的な言葉は少なめで(当社比)、でも我慢できず、施設の給料と労働環境、尾身喰いとシャンパーニュは専門家に頼るとろくでもないという例えで使用させて頂きました(笑)


講演会後、昭和のお姉さまたちが列をなして私のところに来てくださり、「これが平成のお姉さん達なら」と一瞬よぎることもありましたが、みなさん、お孫さん、娘家族を心配されているおばあ様たちでした。
実は、おばあちゃん世代からのご相談も全国的に多くあります。
そしてほぼ共通しているのは、「私は普通の子、一般的な子に見えるのだけれども、"発達障害”と診断された」「娘は支援を受けなければならない、というのだけれども、本当にそれで良いのだろうか、と疑問に思う」というお悩みです。


祖父母の代の方たちからお話を伺うと、たぶん、おっしゃっていることは正しく、またお孫さんのことをちゃんと見れている方達だと感じます。
決して親の一方的な想いだけでは言っていないのもわかります。
当然、おじいちゃん、おばあちゃんの子ども時代は、発達障害などの概念はなく、共に学び、共に社会の中で生きていったと思います。
平成時代、学校生活を送った私達、今の子育て世代も同じようなもので、クラスに勉強や運動が極端に苦手な子もいましたが、放課後一緒に遊んだり、勉強も一緒にしていました。
また発達相談でお宅に訪問しても、「お父さんの子ども時代とそっくり」というように、ずっとしゃべれなかったお父さんが、授業がチンプンカンプンだったお母さんが、今、こうして親になっているという事実もあります。
つまり、変わったのは社会のほうであり、その根幹は過剰診断、過剰支援、商業化したギョーカイそのものです。


しかし一方で、今の子育て世代の中には、様々な面で余裕がない方が多くいらっしゃいます。
もちろん、同じような条件、状況だったとしても、動ける人はいるのですが、大部分の方は日々の生活で精一杯の状態だと感じます。
それは言われるがまま、自分で考えることをシャットダウンし、マスクを付け続けている日本人の多さからもわかります。
今の日本では、自分の頭で考えるだけの余裕を持った人が少ない。
自分で情報を調べて考えるくらいなら、マスクをつけて、子にもマスクをつけて、淡々とその日をやり過ごしているほうが楽だということです。


そういった状況の子育て世代の娘に対し、おばあ様の「支援はいらないのでは」「支援よりも普通の子育てでは」という投げかけは、受け入れられないことが多いと思います。
我が子のことを、子育てのことを顧みるだけの余裕がないのです。
日本人の学力で言えば、冷静に考えれば、発達障害を障害と言うことのおかしさ、生まれつきの障害という矛盾、むしろ「治らない」という方が意味不明ということがわかると思います。
ということは、必要なのは日々の余裕、心身の余裕です。


「娘は"治らない”と言って聞く耳を持たない」というおばあさまからのご相談もあります。
そういった場合は、娘と闘うのは余計に余裕を無くすだけですし、却って頑なにさせてしまう危険性があります。
ですから、そういった場合には、娘の話し相手になったり、協力できるところでお手伝いすること。
そしておばあちゃんとお孫さんの間で、その一対一の関係性の中で、昔遊んでいた身体を使った遊びや外遊びをご一緒にやられることを提案しています。


ヒトの子育ての特徴は異世代での子育てです。
700万年ほぼ異世代で集団生活を行い、みんなで子育てを行ってきました。
脳が大きくなったヒトですから、異世代での子育て、関わり合いは、それだけ脳の刺激になるということだと私は解釈しています。
実際、祖父母との交流、異年齢、異世代間での交流があるおうちの子のほうが、刺激にバリエーションがあり、神経発達に有利だという研究もありますし、私もそのように感じます。
なので、娘が、または息子がなんといおうとも、孫をかわいがり、一緒に遊ぶことが神経発達には有効と思います。
感覚的な話になりますが、やっぱり日頃から祖父母世代、異年齢との交流があるお宅の子どもさんは、発達の伸びやかさ、愛着形成の豊かさで違いを感じます。


冒頭でご紹介した若い世代のママさんもそうですし、若い世代の援助者さんもご来場いただけました。
自分が主張していること、行っていることのすべてが正しいとは思いませんが、発達援助という考え方、視点は次の世代に繋げていきたいと考えています。
今回の出版が次の世代、そして今の子ども達の将来を明るくするためのきっかけになってもらえたらと思っております。
昨日、ご来場いただいた皆さま、誠にありがとうございました。
また志を共にし、全国で応援してくださった皆さまにも心より感謝申し上げます。




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2021年10月22日金曜日

【No.1198】親が親になることを妨げるハッタツの世界

いよいよ今度の日曜日は函館蔦屋書店さんでの出版記念講演会です。
函館はホームといえばホームですが、現在は道外の仕事が多くなっていますし、どのような人がいらっしゃるかもわかりません。
例えると、五輪中、東京ドームで主催ゲームをしたスワローズみたいな感じでしょうか。
基本的に函館ではアウェーなのは変わっていませんので(笑)、そういった状況の中でどういった話ができるのか、どういった部分に共感を持ってもらえるか、が個人的な楽しみでもあります。


若いときから比較的、人前で話す機会があったのですが、どうも事前に原稿を作り込むとうまくいかないことが多い気がします。
本来、どんな場であろうとも、事前の準備は大切で一生懸命行う必要があると思うのですが、あらかじめしゃべることを決めておくと、途中で自分が飽きてしまい(ごめんなさい)グダグダになったり、決められた通りしゃべることに意識が向いて窮屈な感じがしてしまいます。
ですから、ある程度、大枠だけは決めておいて、あとは当日の雰囲気でしゃべるようにしています。
やっぱり誰かを前にして行うのですから、綺麗に話すよりも、ライブ感が重要な気がして、また当日ギリギリまで鮮度が良いもの、その瞬間連想したことのほうが面白いと思っています。
ということで、スライドは完成しているので、あとは当日の雰囲気でって感じです。


昨日の続きになりますが、「生まれつきの障害」という言葉が誰かの気持ちをラクにしたり、それ自体が救いになったりするのもわかります。
しかし、それが拡大解釈され、過剰になっていることの弊害が大きくなっていると私は感じています。
端的に言えば、「親の育て方、関わり方によって、予後が変わる」ということが禁句のような扱いになっている点に問題があると考えています。


昨年の第一回目の緊急事態宣言の際、親子で濃密な時間を過ごした家庭が大きな発達、成長が生じたというのは、発達援助の本質的な部分だといえます。
発達障害の子ども達は、既に誕生時、または乳幼児期の初期に発達のヌケや遅れが生じています。
再三申し上げますが、胎児期から2歳前後に生じる課題です。
とすれば、胎児期はそのまま母子の1対1関係ですし、0歳から2歳も中心は近しい人との1対1関係になります。
つまり、最初の対人関係である1対1関係で生じた課題は、やはり1対1関係の中で育つ部分が大きいということになります。
だったら、親御さん、家族の育て方、関わり方で予後が変わるのは当たり前です。


しかし、何故だか、そんな当たり前のことがタブーになっているのが発達障害の世界です。
あれだけ「あの療育施設は良い、悪い」「あの先生はいいけど、あの先生は悪い」などと言っているわりに、「あの親は」とは表だって言わない。
親御さんが相談に行くと、「〇〇ちゃんのためには、療育を増やした方がいい」「あの療育園に行った方が良い」「やっぱり支援学校のほうが伸びますよ」などと言う。
どうして「お母さん、お母さんが頑張ったら、〇〇ちゃんは上手に成長できるよ」と言ってあげないのか。
同年齢の診断を受けていない子でしたら、幼稚園でも、保育園でも、学校でも、当たり前のように家庭での子育てについて指摘されるのに。
もちろん、そういった助言を聞く聞かないは親御さん次第ではありますが、決して「お子さんに習い事させてないから」「学校の担任が悪いから」などとは言わないはずです。
それは子ども時代は、家庭での育ち、家庭の環境が重要なのはみんな、わかっていることだからでしょう。


私も二人の子を持つ親ですが、「お父さん次第で、子どもさんがよりよく伸びますよ」と言われた方が頑張れる気がします。
実際、保育園の先生方からはいろいろな助言を貰い、それが二人の子の子育てに変化をもたらしたと思っています。
もし保育士さんに、「家庭は関係ありませんよ。個性を持って生まれている子どもですから、放っておいても育ちます」と言われたら、とくにお腹を痛めたわけでもない父親ですから、今のように子育てに意識が向いていたかはわかりません。
ここ数年、1歳、2歳、3歳の子ども達の相談が増えているということは、親御さんだって親になって1年、2年、3年しか経っていないわけで、親になって数年しか経っていない親御さんが「生まれつきの障害で、できることは専門家、療育機関に行くこと」と言われれば、親としての成長も、心情の変化も乏しくなってしまうのではないか、と思います。


ある人は「母親脳」と言っていますが、そういった母親脳に変化できなかった親御さんが増えてるような気がします。
年端もいかないうちから、専門機関に通うということは、親子の愛着の面で支障が出るのは自然な流れです。
同時に、特にお母さんは我が子との触れ合いが減ってしまうと、「我が子」という認識が身体的に感じられなくなり、どこか我が子なのによそよそしい感じ、壊れ物に触るかのような感じを漂わせることがあります。


こういった姿は、強度行動障害を持つ子の親御さんと重なる部分です。
赤ちゃんのときからほとんど寝ない、四六時中泣いている、自傷や他害、異食などがひどかった子の親御さんも、当然、関わりたくても関われない状態で、しかもどうしたらよいか分からず、我が子に気を使いながら生活せざるを得ない環境ですので、自分がこの子の母親であるという実感が育たないまま、月日が流れてしまったという場合が往々にしてあります。
施設職員時代、我が子を送ってくるとき、別れに対する感情の変化がまったく見られない親御さんや、我が子から見えないように隠れて、まさに置いていくように去っていた親御さんは少なくありませんでした。
こちらから寮でのお子さんの様子を電話しても、ほとんど興味を示すことなく、一方的な情報伝達のみで終始してしまうこともありました。


発達障害の子を持つ親御さん達の内側には、「家庭の違いで子の予後も変わる」というのは認めたくない心があるのかもしれません。
しかし、実際は親御さん次第で伸びる部分が大いにあります。
もちろん、親御さんにも生活環境の違いやセンスの部分での違いもありますので、みんながみんな、上手な子育てが最初からできるとは思いません。
でも、私も含め、どの親御さんも同じように、子の年齢とともに親としての年齢も重なっていく。
子が1歳なら、親も親になって1歳です。
だからこそ、先輩や専門家から助言を貰いつつ、我が子の親になっていくのだと思います。


それなのに発達障害の世界は、「子どもにとって良いことは専門的な療育、支援を受けさせること」としてしまう。
これだから、愛着形成がうまくいかない子が増えるし、親御さんだって親になる機会が奪われてしまう。
結局、頭でっかちで、支援者のセミプロみたいな親御さんが増えるだけで、発達のヌケは埋まっていかないし、プラスで愛着障害も抱えるようになり、どんどん本来の発達の流れから遠のいてしまう。
私が「もう一度、子育ての領域へ」と主張しているのは、子どもさんだけではなく、親御さんにとってもネガティブな影響が大きくなっているからです。


といったことは、秋の日曜日の午後、おしゃれな蔦屋書店でしゃべれません(笑)
ですから、この場で吐き出してみました。
この道南、函館は今も昔も、生まれつきの障害で、家庭の違い、親の違いによっては差がでませんよ~の地域です。
一度、吐きだせば、満足するので当日は口を滑らせないと思います。
私の本音吐きにお付き合いいただき、誠にありがとうございましたm(__)m




花風社さんの新刊【医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう】の詳細のご確認・ご注文はこちらからできます→ http://kafusha.com/products/detail/55
すでに全国の書店に並んでおります。


10月24日(日)13:30~15:00 函館蔦屋書店2階イベントスペースにて出版記念講演会を開催いたします。ご予約不要で入場は無料ですが、先着30名になっております。詳細は函館蔦屋書店HPよりご確認いただけます。当日、本を購入してくださった方には、特製ミニクリアファイルをプレゼントいたします。


11月6日(土)午後1時よりzoom講演会『コロナ禍のヌケも育て直せる!』で講師を務めさせていただきます。主催は花風社さんです。講演内容やお申し込み方法はこちらをご覧ください。当日リアルタイムで参加できない方は、後日配信も行っております。


2021年10月21日木曜日

【No.1197】発達障害の世界は差別だらけ

新刊のタイトルであり、花風社さんの創業25周年記念出版の共通タイトルである『医者が教えてくれない発達障害の治り方』は、個人的にもとても気にいっています。
何故なら、タイトルというのは端的にコアな部分を伝えられるメッセージ性が重要で、そのままストレートに伝わってくる言葉になっているからです。
一目見ただけで、何を伝えたいか、どんな想いを持っているかなどの連想が浮かんできますね。
既にタイトル、表紙から本は始まっている感じがします。


タイトル通り、発達障害に関する医療従事者は「治り方」を教えてはくれません。
それは大前提として「生まれつきの障害」と「脳の機能障害」を引きずっているからです。
かつて「育て方の問題」と言われていた時代があり、そこを否定するために「生まれつきの障害」、つまり、「親の育て方で発達障害になるわけではない」という啓蒙を行っていました。
この国の発達障害をリードしてきた人達は医者であり、発達障害の子を持つ親でした。
30~40年前の当時の空気感を想像するに、医療従事者の中でも我が子が発達障害である人くらいしか、この領域に関心はなかったでしょうし、発達障害の子を持つ親御さんも、そういった医師でもあり、親でもある人を頼るしかなかったと思います。
有効な支援方法もなく、根本的な解決方法がなかった当時の親御さん達にとっては、唯一の救いが「生まれつきの障害」だったのかもしれません。


しかし、時代は進み、もう令和の時代です。
「生まれつきの障害」で良かった昭和の時代から平成の時代に移ったとき、平成は早期診断、早期療育、その他の支援サービスなどが整備され、同時に脳から神経発達の障害へ変わった時期でもあります。
ですから本来は、その環境整備と同時に、もう一度、子育ての中心であり、発達の基盤である家庭に意識が向けられるべきだったと思っています。
傍から見てきた感想ではありますが、あまりにも親御さんに遠慮し過ぎ、家庭での養育力を低く見過ぎ。
「生まれつきの障害」がいつしか、親御さんたいして否定的なことを言ってはならない、家庭に何かを求めてはならない、という空気感を作りだしていたように感じます。
「親御さんを否定してはならない。だって生まれつきの障害だから」


確かに重度の知的障害や症状、行動障害を持っている子ども達には専門的な支援が必要だと思います。
しかし、その一方で本来、自然な子育て、家庭生活、同年代の子ども達が育つような環境の中で育っていっていた子達までもが、親御さんの手から離され、支援の世界へと囲まれてしまっている現状があると思います。
現代科学の力では、客観的に、生物学的に、発達障害やその重症度を確認することはできません。
ましてや、その子が将来、どのくらい発達、成長するかなんて、誰にもわからないのです。


そうなると、必要になってくるのは親御さんの姿勢です。
親御さんがどのように育てたいか、育ってほしいか、がそのまま子ども達の生活、人生に直結するのです。
ある程度、大きくなれば、自分自身で変えられる部分もありますが、乳幼児期なんて親御さんが頑張らなくて、誰が頑張るのです。
現状の発達障害の子ども達は、95%くらいが未発達な子、発達にヌケがある子だと思いますので、とにかく今、発達に遅れがあったとしても、我が子のより良い発達のために試行錯誤しながら頑張っていく必要があるのではないでしょうか。
そこを一生懸命頑張ったうえで、残ったものがあれば、そこは支援サービスを求めればいいと思います。
育ててもいないのに、やることをやってもいないのに、ハナから支援者にお預けでは、家庭はただご飯を食べさせ、寝せる場所、親はそのお世話役ってことにはなりませんかね。
それは医師も、支援者も、育児放棄を幇助しているように見えますし、親御さんを一段低く見ているようにも、私には見えてならないのです。
人を能力の違いで差別する人が、発達障害の人達の支援を叫ぶのは矛盾していませんかね。


同じように、「医師でもないくせに」という人も、差別する人だと私は思います。
医師というのは、医師免許を取得した人であり、それは国が定めた資格の一つです。
資格を持っているから偉いわけでも、資格を持っていること=腕がいい、名医である、とはならないはずです。
免許は医療行為をして良いという資格が与えられたということのそれ以上でも、それ以下でもありません。
教員だって、弁護士だって、建築士だって、気象予報士だって、うまい人もいれば、下手くそもいて当然です。
ある程度の知識の習得は試験で確認できますが、試験の点数をとる能力と、実際にその現場で適切に振る舞える能力とは異なります。
よって「医師でもないくせに」という人は、テストの点数で人の価値が決まると思っている人であり、それだったら発達障害の子、知的障害を持つ子はダメなのか、となって差別の心があるともいえます。


日本は天皇以外は、皆平等、人に上下がないという文化で2000年以上歩んできた国です。
そういった歴史に目を向けると、「医者が言ったから」「専門家が言ったから」というのは、そういう発言をする人、個人の問題だといえます。
自分の人生に責任をとるのは自分自身。
そしてある程度大きくなるまでの子の人生に責任を持つのは親御さん。
発達障害の世界において、どうも支援者側は親御さんを下に置きがちだし、親御さんのほうもヘンに自分を下に置き、支援者側に責任の所在をうつしがちなような気がします。


今の子ども達が社会に飛び立つ令和の時代は、様々なルーツを持つ人、他の国で育った人、そしてAIなど、ごちゃまぜで働き、生きていく時代です。
発達の違いなんて言うのは、それらに比べれば、微々たる違いでしょう。
診断を受けた子は支援学級、放課後児童デイ、福祉的作業所…なんていうのは時代に逆行もいいとこです。
過ごす環境を区別するというのは、大人たちの内側にある差別が形になっているだけなので、まずは親御さんが「我が子の子育ての主体は私達なんだ」と思うところから始める必要があると思います。
もう一度、発達障害を子育ての領域に戻していきたいですね。




花風社さんの新刊【医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう】の詳細のご確認・ご注文はこちらからできます→ http://kafusha.com/products/detail/55
すでに全国の書店に並んでおります。


10月24日(日)13:30~15:00 函館蔦屋書店2階イベントスペースにて出版記念講演会を開催いたします。ご予約不要で入場は無料ですが、先着30名になっております。詳細は函館蔦屋書店HPよりご確認いただけます。当日、本を購入してくださった方には、特製ミニクリアファイルをプレゼントいたします。


11月6日(土)午後1時よりzoom講演会『コロナ禍のヌケも育て直せる!』で講師を務めさせていただきます。主催は花風社さんです。講演内容やお申し込み方法はこちらをご覧ください。当日リアルタイムで参加できない方は、後日配信も行っております。


2021年10月11日月曜日

【No.1196】本に込めた想い

今朝、ジムで上半身をイジメてきたあと、家に着くタイミングで佐川のお兄さんが大きな段ボールを抱えてやってきました。
お兄さんが軽やかに段ボールを持つ上着の袖から出たその上腕は素晴らしい張りをしていて、羨望の眼差しで見ていると、送り主のところに「花風社」の文字が書かれているのに気がつきました。
今回、新刊の制作に携わらせていただいたため、お世話になった方達にお贈りしようと思い、まとまった数をお願いしていたのです。


午前中は、まだ私が何者でもなかった頃、そしてほとんどの人が起業することを、起業したことを鼻で笑っていた時期に応援してくださった方たちへ感謝の気持ちを込めて、新刊の発送を行っていました。
午前に郵便局から郵送しましたので、明日、明後日にはお手元に届くと思います。
もし水曜日頃までに届かず、「私も散々世話したのに!」という方がいらっしゃいましたらご連絡ください(笑)
即、郵送いたします。


今回、初めて本の制作に携わらせていただいたのですが、1冊の本ができるまでに、これほど多くの方達の力と専門性が注がれているのだと実感することができました。
本をめくりながら、携わってくださった皆さまの顔が思い浮かびます。
本は好きで、子ども時代からたくさん本を読んできた私ですが、何気なく手に取り、読んできた本一つ一つに多くの人が携わり、たくさんの想いが詰まっていることに改めて気づくことができました。
いろんな人が携わり、いろいろな考えや体験を元に出来上がった本ですので、全面的に同意していただく必要はなく、「ここはそう思う」「いや、ここは違う意見だ」「これってどういうことだろう」など、読んでくださる皆さまが主体的に考え、そしてより良い明日に繋がるようなきっかけになれば、と思っております。
本を読んでくださった前と後で、何かが変わるのでしたら、それがその人の幸せに近づけるのなら、私は心から嬉しく思います。


そんなこんなで、新刊の発売と同時に、いろいろなことが動き始めて、急にバタバタと忙しい日々を過ごしていました。
そしてやっとのことで、先週の金曜日の「おかえりモネ」を録画で観ました。
鈴木京香さん、お母さんが家族が集まる中、震災当時の出来事を語る場面は良かったですね。
あれこそ、まさに心の傷を癒していく自然な人間の姿だといえます。


震災当時、いろいろな葛藤や悲しみ、心の傷を負った人は多いと想像します。
そこで政府はカウンセラーの派遣を早々に決め、東北各地に派遣していました。
しかし、これまた今と同じで「やっている感」だけなんです。
想像すればわかります。
震災から間もないときに、目の前にカウンセラーが現れる意味、そしてその人がどのように感じるのか。
ショックがまだ生々しいとき、カウンセラーの一言一言がその瞬間を思い出させてしまうことを。
かさぶたさえできていないのに、その傷に触れようとする感じです。
カウンセリングは追体験の要素があるので、逆効果だと私は考えています。


その人が抱えた心の苦しみ、心の傷を癒していくには、その人が自分自身で向き合えるための時間が必要なのです。
それがモネのお母さんは6年かかった、いや、6年という月日が必要だったわけです。
ああやって自ら家族に打ち明けることができるまできたことが大事であり、それを他人が「早く楽になれ」というのは間違いなのです。
あの場面にいたのは、カウンセラーではなく、家族でした。
あの場にいた家族は、お母さんの内側に合った自らで傷を癒そうとする力を後押しする雰囲気を作っていたのだと思います。
お母さんの中での時間の経過と家族の雰囲気が協応したとき、傷を癒し、また前に進むための一歩を踏み出せることになります。


良い思い出も、悪い出来事も、いろんなものを抱えて生きるのが人間という生き物だといえます。
他の動物なら、悪い出来事は反射で対処し、決して抱えて生きようとはしないものです。
辛い出来事に対しても、それが自分の人生の中に起きた意味を見出そうとし、また前に進むための力に変えることができるのが人間らしさとも言えるのではないでしょうか。
そしてそのような人達が最後のお父さんのセリフのように、「子どもの笑う顔ってのはぁ、やっぱりいい、いいもんだな~」と、次の世代に対する愛へとつながっていく。
10分間、我が子を想ったお母さんと、島の子ども達の笑顔のための塾を作ろうと言ったお父さん。
まさに人間が人間として成長、成熟していく姿、前を向いて生きていく姿が表現されていたと感じました。


今回、新刊の制作に携わった皆さんは、次の世代への愛をもった方達だと私は思っています。
我が子だけ、自分の親族だけ、大切にしている人だけ、ではなく、次の世代、特に今の子ども達、これから生まれてくる子ども達のために、自分たちの持っている力を注ぎたいという方達です。
ですから、今の子ども達の仕打ち、保身まみれの大人たちからの理不尽な対応に、心から怒ることができているのだと思いますし、私もその一人だと思っています。


より良い社会とは、子ども達がよりよく生きることができる社会のことをいうのだと思います。
私が20年間、発達の世界で見てきたこと、感じてきたこと、そして得た知識や情報が、今の子ども達と未来の子ども達のために1つでも役立てる点があるのなら、今回本の制作に携われたことを心から嬉しく思います。
ぜひ、我が子のより良い未来のため、そしてこれから生まれてくる子ども達の明るい未来のために行動できる大人たちを増やしていきましょう。
私も今までと変わらず、コツコツと自分にできることを行っていきます。


まるでその場にいたかのように、私がお伝えした発達相談の場面を描いてくださった小暮画伯さん。
一度見たら忘れないようなイラスト、ロゴを制作してくださった廣木さん。
私と浅見さんがもっとも伝えたかった「親心に自信を持とう!」というメッセージをそのイメージ通りのイラストで表現してくださったおーちゃんさん。
今の実力よりも、未来へのバトンとして私を著者に選び、私が得てきたものを1つの形にして世の中に送りだしてくださった浅見さん。
貴重な知見を教えてくださった花風社の著者の皆さま、全国にいる実践家の皆さま。
本を構成し、印刷し、全国の書店へ流通、送り届けてくださっている皆さま。
そして実際に本を注文し、購入してくださった皆さまに感謝申し上げます。
誠にありがとうございました。
一緒に仕事ができて嬉しかったです。




花風社さんの新刊【医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう】の詳細のご確認・ご注文はこちらからできます→ http://kafusha.com/products/detail/55
一般書店では15~18日頃より購入できる予定です。


10月24日(日)13:30~15:00 函館蔦屋書店2階イベントスペースにて出版記念講演会を開催いたします。ご予約不要で入場は無料ですが、先着30名になっております。詳細は函館蔦屋書店HPよりご確認いただけます。


11月6日(土)午後1時よりzoom講演会『コロナ禍のヌケも育て直せる!』で講師を務めさせていただきます。主催は花風社さんです。講演内容やお申し込み方法はこちらをご覧ください。当日リアルタイムで参加できない方は、後日配信も行っております。


2021年10月9日土曜日

『医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう!』出版に伴うご案内

【本の出版のご案内】

既に昨日より花風社さんに直接お申し込みいただいた方には本が届いております。
一般書店では10月15日から18日くらいに購入できる予定です。
この本は花風社さんの25周年記念事業の第一弾として出版されました。
本の「まえがき」「あとがき」「目次」はこちらからご覧いただけます。



【出版記念イベントのご案内】

10月24日(日)13:30~15:00 函館蔦屋書店にて出版記念講演会を開催させていただけることになりました。
事前のお申し込み、参加費は必要ありませんが、会場の都合上、先着30名になっております。
1時間ほど、実際のエピソードを交えながら本の紹介をさせて頂き、30分ほど質疑応答の時間をとりたいと考えております。
詳細は函館蔦屋書店さんのHPでもご確認いただけます。



【zoom講演会のご案内】

11月6日(土)13:00より『コロナ禍のヌケも育て直せる!』という講演をさせて頂きます。
主催は花風社さんです。
当日リアルタイムで参加できない方には、後日録画を視聴することも可能です。
お申し込み方法、講演の内容はこちらをご覧ください。
コロナ禍において子ども達の発達には既に影響が出てきているといえますが、本格的な影響が出るのはコロナ後になると感じています。
この1年半の発達相談において気づいたことと、それに対する発達援助のアイディアをご紹介したいと考えております。


2021年10月5日火曜日

【No.1195】ひっくり返して考えてみる

緊急事態宣言が終わり、市内での陽性者もZEROが続いているのに、自主的にマスクをつけている人達がいます。
もちろん、私がマスクをつけない自由があるように、その方達にもマスクをつける自由があるわけです。
だけれども、どうしてマスクをつけようとするのか、どうなったらあの人達はマスクを外すようになるのだろうか、と疑問に思います。
戦時中のように「欲しがりません、勝つまでは」「外しません、ゼロコロナまでは」という具合に必死にコロナが全国からいなくなるまで、はたまた岸田首相が「みなさん、マスクを外しましょう」と言ってくれるまでつけ続けるのかもしれません。


「マスクをつける」という行為は、他者である私から見れば、みなさん、同じように見えます。
そんな人たちと指さして「おかしい奴」とレッテル貼りをするのは、脳みその省エネで、考えることを放棄したのと一緒です。
ですから、「マスクをつける」という行為、つまり結果をひっくり返して考えてみます。


マスク→同調圧力→主体性の未確立(他人軸)→愛着障害
マスク→同調圧力→集団の和から離れることの不安→その人にとっての適応の形態(学校適応、会社適応、社会適応)
マスク→思考停止→心身に余裕がない→生活の苦しさ
マスク→思考停止→心身に余裕がない→考えることの放棄(マスクをつけないことの説明がメンドクサイ、説明を省くため)
マスク→思考停止→本能的な恐怖→感情的なショック(有名人の死、身近な人または自分の体験、テレビからの視覚情報)
マスク→思考停止→自ら考えるという習慣のなさ・とくに自分の考えはない
マスク→お守り→自分自身の健康不安
マスク→飛沫の防止→身近な人の健康不安
マスク→不快を感じない→長年の身体不調に対する慣れ
マスク→経済的な理由→雇用主から求められている
マスク→義務感・正義感→不安のひっくり返し
マスク→ポジティブな感情→小顔に見える、化粧しなくて良い、綺麗に見える


このように他人から見れば、みんな同じようにマスクをつけている人にしか見えませんが、そこに至るまでの過程は様々、背景も様々だということです。


では「マスク」を「感覚過敏」に変えてみましょう。
感覚過敏といっても、どの部位にどのくらいの強さ、または弱さ、まったく感じない、そしていつ頃から顕著になったか、その波は?という具合に、様々な症状の表れ方があります。
当然、その表れ方一つ一つに個人としての理由や生物学的、神経学的な理由も、環境的な理由もあるわけです。
で、しかも「2重マスク」「店内に入るたびに消毒液」「鼻マスク舌打ち」となれば、コロナ脳という診断がつくように(笑)、発達障害の診断は「感覚過敏」「こだわり」「言葉の遅れ」など、どういった症状が目に見えて確認できたか、によって決められていきます。
ですから、同じ診断名になっても、一人ひとりが全然違うというわけです。


一つひとつの症状にバリエーションと複雑な背景がある。
しかも、その症状の背景は問わず、確認できた症状の数で診断が決まる。
そして大問題なのは、その診断名によって「〇〇療法だ」などとアプローチの仕方を決めてしまう支援者、支援機関が多いということです。
「自閉症」→「構造化」、「学習障害」→「タブレット学習」、「多動」→「栄養療法」という具合です。
でも、本来、どういった療法、アプローチが必要か、は結果である診断名からは決められないのです。


診断名というのは、そもそも専門家同士のコミュニケーションのために作られた共通言語であり、利用者からすれば、福祉や教育的なサービスを受けるためのチケットです。
そういった場面においては、「こだわりが頻繁に見られ、言葉が単語で数個レベルで、聴覚過敏があり、知能的には1歳遅れくらいで、ハイハイを飛ばした〇〇くんです」と細かく説明するのは適切ではありません。
しかし、我が子の子育てにおいて、また教育においては、このような細かい症状が必要であり、それぞれの症状の背景を確認していく必要があります。
それができていないのに、子育ても、支援も、療育も、教育もできっこないからです。


たとえば、「口に過敏がある」というのでしたら…
哺乳時の様子はどうだったか?
嚥下や滑舌、舌の動かし方は?
脳幹の育ち全般に遅れがないか?
手の感覚は?指の動かし方は?
皮膚の張り、色はどうか?
水は飲めている?
おしっこの感覚は?量は?
毎日、うんちが出ている?
汗はちゃんとかけているかな?
ずりばいやハイハイ、ちゃんとやり切ったかな?
手づかみ食べは?
表情のバリエーションは?


など、「発達障害」←「感覚過敏」←「口の過敏」ではなく、「口の過敏」→「嚥下の問題」→「首の未発達」→「ハイハイのヌケ」→「脳幹の課題?」という流れになります。


「マスク」の例もそうですし、「口の過敏」の例もそうですが、物事は単純に1対1にはなっていませんし、いろんな理由・背景が複雑に絡み合ってその人の行動として表れているわけです。
なので、私がアセスメントをするときも、「正しく理解することは、捉えることはできない」という意識を持って行っています。
そもそも人間の行動の背景をシンプルに表そうなんて無理な話です。
よって、自分の中のルールとして1つの症状だったとしても、必ず複数のベクトルで確認していく、聴覚過敏だからといってすぐに前庭神経の課題と決めるのではなく、他の可能性、本当に前庭神経に未発達があるのかを別の行動から確認するようにしています。


ただし、単なるアセスメントなら上記のようにクドクドと全部確認し、すべての可能性を書き記せばよいのですが、私が行っているのは発達援助であり、家庭支援サービスです。
つまり、お客様であるご家族やご本人が利用できなければ、意味がない。
いろんな機関で行われたアセスメントシートを拝見させていただくことがありますが、執筆者の自己陶酔のような、読んでいて「で、だから、どうやって育てたら良いの?」という答えがないものが少なくないですよね。
だから、様々な背景の中からより根っこに近いものを、そこから育てれば芋づる式に全体的な発達に繋がっている部分を強調してお伝えしています。
やる気の出ないアセスメントは、報告書はただの紙切れっていう想いです。
是非、皆さまも、我が子を見るとき、担当している子を見るとき、症状からアプローチの仕方を考えるのではなく、症状から背景の向きに考えを巡らせてからアプローチを選択していってほしいと思います。
目に見える症状からは、対処法しか出てきませんので。
対処は育てていることにはなりませんね。


花風社さんの新刊【医者が教えてくれない発達障害の治り方 1 親心に自信を持とう】の詳細・ご予約はこちらからできます→ http://kafusha.com/products/detail/55


11月6日(土)午後1時よりzoom講演会『コロナ禍のヌケも育て直せる!』で講師を務めさせていただきます。主催は花風社さんです。講演内容やお申し込み方法はこちらをご覧ください。当日リアルタイムで参加できない方は、後日配信も行っております。