【No.1211】「治る」よりも、自立に必要なことは
昨日のブログに対する反響が多く、何名かの方からご感想のメールを頂戴しました。
たぶん、心に突き刺さるものがあったのだと思います。
まあ、このブログを読んでくださる方は、忖度を望み、いい子いい子してほしくてはやってきていないと思いますので、今日も連想の続きを綴っていきたいと思います(笑)
一言でいえば、よそのおうちの「重度」とか、「治ったとか」に心が乱されるようではいけませんね、ということ。
私から見れば、すべて脳みそ、エネルギーの無駄遣いです。
よそのおうちが治って、うちがまだ治っていないと、なぜ、落ち込むのでしょうか。
我が子とはまったくの別人です。
治る人数が決まっていて、椅子取りゲームをしているのなら、プレッシャーを感じても仕方がないですが、他人と関係なく、治る子は治るし、治らない子は治りませんね。
やることは変わらないわけです。
またご自身で「我が子は重度」と思い込み、勝手にいろいろなことを諦めては、お子さんが可哀想ですし、親が我が子の可能性を狭めてしまう危険性がありますね。
「勝手にぼくのこと、"重い"って決めないでね」
プレッシャーと言えば、「年が明ける」が親御さんにとって大きなプレッシャーになることが多いと感じます。
年長さんのご家庭は、就学先の最終リミットが1月末だったり、2月まで待ってもらったりしていて。
年中さんのご家庭は、来年度から始まる就学相談に、「いよいよか…」という気持ちになるのだと思います。
希望する就学先を考えたら、まだ治っていない、育っていない。
この世代のご家庭の発達相談を行うと、「あと半年あれば」「あと一年あれば」、普通級などの希望の就学先に行けるのになあ、と思うことばかりです。
この調子で発達が進んでいけば、就学の準備ができるのに、その前に就学の日が来てしまう、という感じ。
つまり、就学というリミットが先に決まっていて、子どもの発達とは別の時間軸があるということです。
よく「治る家庭と、治らない家庭の違いはなんですか?」と尋ねられます。
その答えはとてもシンプルで、「治るまで続けるかどうか」のほかにありませんね。
私が関わってきた働く若者たちは、中学まで支援級でそこから通信教育や私立に進学した方もいますし、支援学校卒の方もいます。
卒業後も、福祉的な支援を受けていましたが、そこから変わっていき、少しずつ自立していった方もいます。
一方で、ずっと普通級で大学まで出て、福祉を頼って生きている方たちもいますし、引きこもりやニートのようになっている方たちもいます。
私は発達援助という仕事をしていますが、治ることは目標ではありません。
目標は、その人が幸せな人生を送ること。
そのためには、できるだけ自分のことは自分ででき、また選択できる能力と環境を手に入れられるようにすることが求められます。
で、その幸せで、自由な人生を送るための手段として「治る」があるのですが、大事なのは「治る」ことよりも、その人が治り続けること、つまり、発達成長し続ける姿勢を身につけることだと考えています。
それこそ、治り切るまで、本人の意思と行動によって発達、成長し続けようとしていればいいのです。
6歳で治らなくても、20歳で治ればいいですし、20歳で治らなくても、30歳、40歳、50歳…で治ればいい。
私はキャリアの初めで、捨てられるようにして入所してくる子ども達の姿を見てきました。
そして今の発達援助という仕事の中でも、いくら子どもにとって必要なアプローチだったとしても、現実問題として継続ができる親御さんは少ないということがわかりました。
「もう少し後押しを続けていれば」というところで、「まだ本人がやり切った感が味わえていないのに」というところで、やめてしまったり、別のアプローチ、専門家のところに尋ねていってしまうことも少なくありません。
親御さんの心身の状態もありますし、事情もあるでしょう。
「やり切る」というまさにゴールや期日が見えないものを辛抱強く待ち続けるのもしんどいと思います。
そういったところに、よそのおうちが「治った」と喜んでいる姿を見て、共に嬉しい気持ちにはなれないこともある。
親御さんも、親になっていくプロセスの中にいると思います。
子どもさんが一人ひとり違うように、親御さんだって一人ひとり違います。
子どもはどんどん成長し、親はどんどん衰えていくものです。
気力、体力を失い、継続すること自体に息が上がってしまうこともあるはずです。
じゃあ、すでに社会に送り出してきたご家庭の親御さん達はどういう方たちだったのか。
今の子育て世代とは、一回り以上、違いますので、まだ誤診が少ない時代でしたので、簡単に比べることはできませんが、いくつかはっきりしていることがあります。
それは、当時の親御さん達は「就学までに」とは言っていなかったこと。
みなさん、長いスパンで考えていたように感じますし、「きっと将来は施設だろう」なんて言っていた親御さんも、中学、高校ぐらいからググッと成長し、「もしかしたら一般就労も」といった選択肢が見えてきたご家庭も少なくありませんでした。
振り返れば、「自立」に力を入れていたご家庭が多かったと思います。
せめて身の回りのことが一人でできるように。
施設に入所しても、できるだけ職員の手を借りないで済むように。
そういった想いが強かった親御さん達は、できないながらも幼いときから辛抱強く身辺面のことを教え続けていたと思います。
たぶん、その「せめて身の回りのことだけでも」というシンプルな目標が親御さんの継続した姿勢に繋がり、また本人も同じことを根気強く繰り返す中で、自分自身ができるようになる、変わっていくという体験を積んできたのだと思います。
それが社会に出たあとも、就職した先でも、コツコツと続ける、うまくなることを目指すという姿勢の土台に繋がっているように感じます。
またトライ&エラーを繰り返し続けること、試行錯誤を行うことは、そのまま、ご自身の発達のヌケを育てきることに般化できますので、結果的に社会の中で、人生の中で治っていくのでしょう。
過去にも再三申し上げているように、「治ったから社会出る、働ける」のではなく、治っていなくても社会に出て、働き、自立していけるのです。
いつヌケが埋まるか、育ちきるか、治るのか、は人それぞれです。
就学までに治った方がいいのは、本人都合と言うよりも、社会都合、親都合です。
就学前に治ったから軽かったとも、誤診ともいえませんし、就学以降も治らないからと言って重いとか、生涯治らないとか、もいえません。
違いはただ治る時期が人ぞれぞれ違うということ。
さらに治り方も人それぞれですし、治る=自立でもありません。
親御さんの資質として諦めが悪い人(笑)、体力気力に満ち溢れている人、コツコツと継続することが得意な人は、そのまま突き進めばよいと思います。
息子が、娘が治り切るまで、とことん付き合うから!という感じで。
もしそうではない場合は、我が子、本人自身に継続、コツコツ続ける、試行錯誤、失敗したあと立ち上がる、という体験を積んでもらうようにすることです。
多少、ネタバレになってしまいますが、今度出版させていただく『ポストコロナの発達援助論』にも書きましたが、向上心こそ、自閉っ子の強みです。
「どうにかしたい!」という想いが人一倍強い人達ですので、その想いを活かしながら、何か一つでも良いので、どんな内容、活動でも良いので、継続、継続、継続の体験を、できれば子ども時代に。
今日が終業式という学校も多いと思いますので、明日からの冬休みの子育て、発達援助のご参考になれば。
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