【No.1205】普通級に入ることは、治った"結果"
「気づかれないまま、大人になった発達障害の人達」と言われることがあって、だからこそ、「大人の発達障害を診れる専門医を増やそう」という結論で結ばれることがあります。 しかし、気づかれないまま大人になった人達を精神科医は救うことができるのでしょうか。 別に医師オンリーのディスりではなく、私だってそういった大人の人達に何ができるのか、できることは限られているな、もっといえば、ほとんど無力だなと思いながら仕事をしているわけです。 世の中にヘンな人はたくさんいて、だけれども、ほとんどの人がそれなりに生活し、自分の人生を歩んでいます。 こういった人が発達障害なのか、そうではないのかはどうでもいい話で、結局、発達障害があるかどうかではなく、自活できているかどうか、になります。 めちゃくちゃヘンな人で、持っているのがとても共感できるような趣味でなかったとしても、誰に迷惑かけることなく、社会の一員として生活できていれば、決められた時間に出勤し、求められる仕事を行い、給料を貰って、今日眠りにつくことができれば、何も言われないのが今のニッポン。 そう考えると、「治る」という意味を厳密に捉える必要はないのだと思います。 職場では上司と円滑なコミュニケーションがとれ、同僚とは協力しながら、一つのプロジェクトを完成させていく。 プライベートでは友人や恋人と一緒に楽しい時間を過ごす。 学歴で言えば、できれば大卒かな。 それが治った姿だと思うのなら、100%子育て、発達援助は間違った方向へ進むでしょう。 といいますか、こんな理想を掲げた子育てをしようもんなら、どんな子も潰れてしまいます。 親の理想はあくまで親が生きてきた人生の中で作られた価値観によるもの。 令和の子ども達が、昭和から平成を生きた私達と同じような価値観で歩むわけはないでしょ。 よく言う「快食快眠快便」は、発達がググッと進んでいく土台であり、条件の一つになりますが、大人になっても、ここができていない人は働けないし、自立した生活も難しくなります。 どんなに優れた医師や支援者がいたとしても、本人の代わりに良質な睡眠をとってあげることはできませんし、代わりによいウンチをしてあげることもできません。 つまり、本人という環境、身体を整えるということは、そのまま自立した人生へと繋がっていくのです。 どうも身体アプローチというと、神経発達の側面だけ...