2021年11月18日木曜日

【No.1201】専門家が専門化して視野狭窄

遺伝子解析を行った結果、2019年の夏頃には中国の国内で新コロが存在していたそうですね。
2020年の3月までは中国人が日本の全国各地を移動し、食べ、遊び、買い物し、どんちゃん騒ぎしていたわけですから、日本国内でも新コロが現れてもう丸二年になります。
2年が経ちましたが、いまだに日本国内で流行する気配はなく、累計で人口の1%しか陽性にならない。
毎年のインフルエンザは、人口の10~20%くらいが"発症"しますので、あと20年くらいですかね、インフルエンザ様と肩を並べるまでは(笑)
しかも無症状と軽症者が中心ですので、日本人にとっては弱毒のウィルスだったわけです。
毎年130万人が亡くなる日本なので、基礎疾患のある人、高齢者の人にとっては、リスク要因が一つ増えたに違いないと思います。


インフルエンザは毎年、子ども達の命を奪いますが、新コロはそんなことをしませんでした。
子どもに優しいウィルス、新コロ。
子どもにとっては単なる風邪の一種にすぎません。
ですから、接種しても感染し、排出するウィルス量は変わらなくて他人にうつす、強いていえば、回復までの日数が若干早まるくらいのワクチンなど打つ必要がありませんね。
もちろん、基礎疾患やその他の病気で自然感染もまずいというお子さんは打つ理由があるかもしれませんが、健康な子どもには必要が無いのです。


命の問題を言うのならリスクがある人だけ接種すればいい。
病床数がというのなら、それは政府と厚労省と医療側の話であって、子ども達の話ではありません。
そもそも大人の病床と子どもの病床って違うでしょ。
重症になったのが19歳以下で1人ですから、小児病棟が足りなくなるわけでも、もっといえばコロナ専門病棟に子どもさんが入院することになったとしても、重症症のベッドに影響は及ぼさないはずです。
こんなことは、誰にでもわかることです。


でも、子どもの接種を勧める医師や専門家がいます。
そういった医師などに対して、「F社から多額のお金を貰っているからだ」などという人達もいますし、陰謀論のようなことを言う人もいます。
そうでもいわなければ、辻褄が合わないからでしょう、子どもに接種させる意味が。
しかし私は、このハッタツの世界に身を置き、20年ほど経ってわかることが、ワクチン接種を勧める医師や専門家たちは、統計が分からないわけでも、副反応のリスクがわからないわけでもないとの認識がある、ということです。
むしろ、分かったうえで、推奨しているのだと私は捉えています。


専門家の中には「科学の進歩には多少の犠牲は仕方がない」「犠牲の上に科学の進歩がある」と考えている人が少なからずいるように感じます。
ですから、先日、厚労省に5~11歳の摂取の申請がされましたが、それは子ども達その子自身のためというよりも、データ収集が中心だと考えられます。
アジア人の子どものデータをとることで、今後、中心になっていくだろう遺伝子治療の実用化、多様化に繋げていくのでしょう。
接種後、子ども達の身に何かが生じれば、それは事例報告、データとして蓄積され、改良するために用いられるはずです。
彼らからすれば、「そうやって失敗を繰り返しながら、人類、科学は進歩してきただろう」と言うでしょう。
その犠牲の上に、「救える命が未来にある」という具合に。


私はこういった考え、思考を持った人を否定しませんし、彼らの言う科学技術の進歩には犠牲がつきものだと思います。
私たち自身も、そういった犠牲のもとに発展してきた医療技術の恩恵を受けているでしょう。
しかし、私には共感する力がありますので、今回のワクチンの子ども達の接種は決して同意できません。
ワクチンは健康な人に打つものです。
子ども達の尊い命をたくさん奪うようなウィルスに対してなら違いますが、いまだに子どもは新コロで亡くなっていません。
もし接種によって、重大な障害が起きてしまったら、万が一、一人でも亡くなる子がいたら、どうするのです。
一人の子の命は、死亡者数「1」という数字、データではないのです。
その子の人生があり、悲しむ家族がいる。
接種会場に連れていった家族は、生涯苦しみ、後悔し続けるでしょう。
そういったことを想像できない人の中に、それかそういった共感に心や考えが引っ張られない脳を持つ人が、研究者、専門家、医師を志す人がいるのかもしれません。
無責任に子ども達のワクチン接種を勧めている人達を見ると、そのまま私には「人でなし」に見えるのです。


同じような感覚は、ハッタツの世界で嫌というほど味わってきました。
夏休みに研修で習ったばっかりの療育法を、二学期から取り入れ、ガラッと指導法を変えてしまう教員(子どもは研修結果を確かめるモルモットではない)。
子どもの顔や様子を数分診ただけで、「この子は、自閉症」「生涯、支援だね」「普通級?ムリムリ」という医師。
症状を聞いただけで、どんどん服薬量を増やしていく医師。
目の前にいる子の内側にある感情やその子の未来に想像ができない人達は少なくなく、そういった人に限って患者をデータにし、論文発表などを行っています。
「薬が効いた、効かない」「療育法に効果があった、ない」
そこにその子の幸せ、より良い成長、自立した人生といった尺度はありません。
何故なら、「そんなもん、数値化できないから」


コロナに関して発表されるデータを見ても、その薄っぺらさが目立ちます。
全国で陽性者〇名。
その陽性者は、何歳で、どんな健康状態で、性別は、基礎疾患は、既往症は、国籍は、身長、体重は、BMI、生活習慣は、喫煙は。
これだけ国による陽性者数の違いがあるのに、そもそもデルタ株の発症のインドではすぐに陽性者数が減ったのに、そんな大事な情報には目もくれず、ただ数字を羅列しているだけ。
本来、ヒトという個体差のあるものとウィルス、病気との関係性ですので、一つ一つ見ていく必要があるはずです。
でも、無限にあるその人の特徴や状態をすべて確認できないから、「年齢」「性別」くらいでデータ化してしまっている。
「年齢」と「性別」だけでは、なにも分析できないでしょう。
いつになったら「ファクターX」の分析、研究が始まるのでしょうか。
「マスク」と「人流」という要因は、否定されたので、次の要因を早う。


その人の複雑性を見抜けないから、見ようとしないから、「自閉症だから構造化」「知的障害だから福祉的就労」「ADHDは、はい、お薬」となるのだと思います。
いつまでそんな自動販売機みたいな支援?療育?を続けるのでしょうか。
1970年代ならわかりますが、それから50年も経っているのです。
50年前の支援のままで良いのでしょうか。
なぜ、衝動性の特徴が出ているのか、なぜ、字を書くことが難しいのか、集団指示が通らないのか。
行動の背景には必ず理由があり、それを見ていくにはその子の発達で通ってきた道、育ってきた環境、遺伝として受け継いだものなどを確認していく必要があります。


感染症の専門家たちは、コロナさえ罹らなければいい、他の病気で死ぬのはどうでもよい、といった感じで、視野狭窄に陥っている人が多かった気がします。
視野狭窄は、医療の過度な専門化の弊害だといえるでしょう。
人の健康は、総合的に診る必要があるので、専門家の医師から健康の話と、発症に至らないためのアイディア、その人らしい生活、人生が送られるためには、というものが出てこないのも当然です。
100年前よりも医療が発展し、受診できる病院、医師の数も増えたのに、どうして不健康な人が増え続けるのでしょうか。
国民皆保険の日本で、どうして病気が治り、健康な人が増えていかないのでしょうか。


ですから、こういった視野狭窄という名の専門家に頼っても、期待しても無駄です。
出てくるのは、この人達が専門にしているとってもニッチな話題だけ。
総合知からの見解は聞けません。
「ワクチン接種後に子どもに副反応が見られた、死亡した」と聞いて、その子と家族の無念さと苦しみに気持ちがいく人と、「この事例は、外れ値かな」「統計的に意味があるかな」と考えがいく人の違い。
良い悪いではなく、そういう人がいる、という認識を持つことが大事だと思います。
ハタッツの世界にも、目の前にいる人を数値で見る人、個人の幸せよりも介入方法とお薬に興味がある人がいますので、お気を付けくださいませ。
ハナから治す気のない人のところに行って「治さない人だ!」というのは、行く方が悪いのです(笑)
マスク着用と一緒で付けるから終わらない、行くから治せない専門家がはびこり続けるのです。




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