2021年9月17日金曜日

【No.1193】場所が変わってもできるくらいまで育てるのが発達援助

この時期、年長さん達が一通り就学相談を終える時期であり、支援学校の高等部3年生たちが就職実習や卒後の入所施設への体験を終える時期でもあります。
実習のあとは、受け入れ側の支援員さんと学校の先生たち、そして親御さんを交えての反省会があり、そこで決まって言われるのは「〇〇を行う際、指示や手助けが必要だった。入所するためには、〇〇ができないといけない」という指摘になります。


その〇〇というのは、歯磨きや着替え、入浴などの身の回りのことであったり、仕事に関する態度であったりします。
しかし必ずと言っていいほど、「家ではできているんだけれども」「学校ではできているんだけれども」となる。
そしてその原因は、施設側の関わり方、支援の仕方に始まり、最後は特性として「場所が変わるとできなくなる」で結論付けられます。
でも、果たしてそうでしょうか。


ずっと昔から、私が学生時代からずーーーと「場所が変わってできなくなるのは、障害特性だ」と言われてきました。
しかし、場所がかわってもできることはあるわけです。
たとえば、認知症の方のように家から施設に変わった瞬間、全部、なにもかもできなくなったというのならわかりますが、余暇だったり、コミュニケーションの仕方だったり、身の回りのことでもすべてができなくなるわけではないんですね。
ということは、単純に「できる」と評価されていたことが本当はできていなかった、身についていなかっただけでしょ、と思うのです。


今までの経験から、「場所が変わるとできなくなる」は特性でもなんでもなく、支援者側にとって都合の良い落としどころだったんだと私は考えています。
そういった子ども達、大人たちと関わってきて感じるのは、そうやって場所が変わっただけでできなくなる場合のほとんどが、「パターン学習だった」ということ。
なぜ、その行為を行うか、どうなったら適切か、終了かという認識がなく、ただ型だけを覚え、大脳皮質を通すことなく、一連の活動を行っていただけ。
だから、場所が変われば、その「一連」に変化が生じるので、何をすべきかを見失ってしまうのだと思います。


ではなぜ、どこでもここでも、「場所が変わるとできなくなる」と言われ、そういった状況が生まれるのか。
もちろん、その子本人の認知的な面とも関係していて、重い知的障害を持つような子ども達は、大脳皮質の育ち、働きがうまくいかず、結果的にパターン学習が主になってしまう場合もあります。
しかし、大部分の子ども達、発達障害の子ども達は、発達がゆっくりだったり、ヌケがあったりするだけで、大脳皮質がどうとかいう話ではありません。
となると、やはり周囲の教え方の問題で、もっといえば、アセスメントを間違えているからだと思います。


いくら高校生とはいえ、発達年齢で言えば、5歳、6歳の若者に対して、「上手に歯を磨いて歯垢をとろう」とか、「もう少し計画を立てて宿題をやれ」とか、「友達と協力して作業を行うときには、助け合いがどう」とか、言っても無理。
たとえ、教わったことを、言われた言葉を理解できたとしても、その背景にある理由がわからなかったり、実感として掴めるだけの身体、感覚、脳機能が育っていなかったりすれば、どう頑張って言われた通りそのままパターンで動くしかなくなります。
実習後、相手先からダメ出しされた先生が、「よーし、もっと教え方を工夫しよう」と意気込む様子がありますが、そんなことしてもただのパターンが増えていくだけ。
つまり、教え方を変えるんではなく、その行為ができるだけの発達段階まで育てなければ永遠に解決しないのです。


「学校ではちゃんとできています」という先生は、ある意味、指導がうまいんだと思います。
学校内で適応しちゃうだけのパターンをいくつも教え込むことができているから。
しかし、そういう子は本当の意味での理解、習得ができていないため、卒業後苦労するのです。
卒業後、施設等で、「学校からの資料では"できる"になっているけれども、全然できないんじゃん」と言われる若者を多く見てきました。
そうすると、私は結局、先生の自己満足じゃんとも思うのです。


先生と言う職業は教えるのが仕事ですから、どうしても教え方にこだわる傾向が強くあります。
問題行動があれば、正しい行動を教えようとし、対人面で幼ければ、どうやって他人と関わっていけば良いかを教えようとする。
問題行動の解決も、コミュニケーションも、社会性も、自立に向けた身の回りのことも、すべてちゃんと教えればできるようになる、と思っているふしがある。
でも、発達援助ってそういうことではありませんね。


私はアセスメントする際、目の前にいる人が実際の発達年齢の姿で見えることがあります。
たとえば、目の前に小学校1年生の男の子がいるんだけれども、よちよち歩きをしているくらいの1歳半の子に見えます。
ちなみに親御さんで発達や愛着でヌケを抱えている人は、「お母さん、8歳くらいの女の子に見えますね」ということもあります。
まあ、オカルト的な話というよりも、私は定型発達を基準にアセスメントをしているという紹介です。
アセスメントするときは常に「認知の面では年少さんくらいで、コミュニケーションは2歳くらい、社会性は3歳くらいで、愛着は年相応」といった具合に、それぞれ定型発達で言えば、どのくらいの子と同じか、といった視点で行っています。
ですから、発達年齢に応じた教え方が分かり、一方で「それを現段階で求めては無理」というのも分かります。


そうやって発達年齢に応じた教え方ができれば、パターン学習は生じないですし、そもそもが発達年齢を実年齢に近づけていくにはどういった刺激、子育てが必要かというのが発達援助になります。
発達援助というのは、スペシャルな教え方でも、身体からアプローチするという意味でもありません。
発達援助とは、特に凸凹がある発達障害の子ども達に対して、どうすれば凹の部分の発達を後押しできるかと考え、後押しすることであります。
教え方を工夫するよりも、自らの身体、感覚、脳で自然と理解できる状態、感覚的に掴める状態まで発達を後押ししようという感じです。
箸の持ち方を工夫して教えるよりも、箸が自然と持てる指を育てよう、みたいな。
自然と箸が持てるようになる指が育てば、割り箸だろうが、プラスチックの箸だろうが、場所が変わろうとも関係ないですもんね。


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2021年9月15日水曜日

【No.1192】表現活動と神経発達

花風社さんの浅見さんが「表現活動によって資質が開花していく」ことについてお話ししてくださっています。
言葉のプロフェッショナルである浅見さんの文章を拝読すると、私も改めて気づかされ、考えることがありましたので、みなさんと共有したいと思います。


自閉っ子の表現活動に注目したのは、私が学生時代です。
支援学校にいたある子が、「素晴らしい絵を描く」と評判だったことがありました。
私も拝見しましたが、確かに上手な絵を描く子でした。
ちょうどその頃は高機能ブームがあり、ギフテッドなどが支援者間、一部の親御さんの間で盛り上がっていた時期でもあります。
ですから、教員も、支援者も、「将来は絵を仕事に」などといって、学校の行事や地域の催しもの、刊行物の挿絵などに絵を発表し続けていました。
親御さんも、小さいときから絵が好きで描いてきた我が子が、その絵をみんなから認められて嬉しかったようです。


しかし、本人はどうだったでしょうか。
もちろん、本人の心情は本人しかわからないので、客観的な事実を述べます。
その若者は、学校を卒業後、一切絵を描かなくなりましたし、絵に関係する仕事にも就いていません。


私はこの子の絵を拝見したとき、現実の世界を描いているようで空想の世界を描いているのがわかりました。
その空想の源流は本人の頭の中にあり、そこには誰も邪魔されない「自由」があったんだと思います。
この子は現実世界で感じていた不自由、そして自分のイメージと実際にできることのギャップに苦しんでいるような感じがありましたので、絵というツールを通して自由になっていたのでしょう。
それが周囲から「あれ描け」「これ描け」「次の〇〇に載せるから」と求められるようになり、本人にとって絵が自由から不自由なものへ、心地良さが感じられないものへと変わっていったんだと思います。


では、ヒトはいつから表現活動をするのでしょうか。
二足歩行が完成したのち、つまり、手が自由になったあと、だいたい1歳半くらいからクレヨンなどを持つと、手を動かし、何かを描こうとします。
もちろん、最初は点だったり、線だったり、何か形を描くことはありませんが、それでも自分の手が生みだしたものを見て喜び、何度も繰り返します。
これは学習や文化というよりも、本能的な活動だといえます。
ヒトは何かを生みだし、自分の内側を表現したい動物なんだと思います。


表現活動が本能だとしたら、それもまた人間脳より深い部分であり、2歳以前の発達だと言えます。
ですから、私は特にノンバーバルな子、言葉で表現するのが十分ではない子に対して、表現活動を提案することが多くあります。
それは絵や工作だけではなく、音楽でも、ダンスでも、作文でも、良いのです。
ただその提案をする際、本人の資質とご両親、また祖父母の資質を参考にしています。
音楽が好きな親御さんの子は、音楽系が良いでしょう。
親御さんが楽しめるということは一緒に楽しむことができ、続けられるし、資質として引き継いだ可能性がある。
さらに、その子を見て、手を動かしたい子なら打楽器系を、全身を動かしたい子はダンス系を、聴くのが好きな子なら自分の好きな曲をアレンジしたり、好きな曲を選び、オリジナルのアルバムを作ったり、批評したりすることを提案していきます。
ちなみに私は母方が代々ずっと海のそばで生活してきた人で、父方が代々山の中で農家を行ってきた人。
ですから、土をいじり形を生みだすことが好きで、そこに必ず水を引いていたのは、何らかの資質か、受け継いだ心地良さがあったのでしょう。
そういえば、母は若いときからずっと陶芸を趣味で行っていましたね。


つまり、表現活動という本能に資質がにじんでいく感じです。
本能というのは快の感情に直結した活動だといえます。
快とは心地良さに言い換えられ、その心地良さを感じているとき、私達はドーパミンが放出されます。
で、そのドーパミンが放出される前に行っている活動の神経回路が強化される。


単に表現活動を行うだけではなく、そこにその人の資質が入っているとき、ようするに自分の資質に合った表現活動をしているとき、豊かな神経発達が生じるのだと思います。
ですから、音楽好きのご家族が一緒に演奏をするようになったあと、お子さんの学力が伸びたり、身体を動かすのが好きなご家族が一緒に運動をするようになったあと、お子さんのコミュニケーションが発達したり、食べるのが好きなご家族が一緒に料理をするようになったあと、社会性の面でググッと伸びたりしたのでしょう。
あるご家庭は、おじいちゃんが陶芸が趣味で、お子さんも一緒に陶芸遊びをしたら、集中力が付いたということもありました。
あと、運動は表現活動に思えないかもしれませんが、自分の身体を使って「動き」という表現をしているように見えることがありますね。


ノンバーバルな子、言葉に遅れがある子、場面緘黙がある子にとって表現活動は、心の解放に繋がるので、心身の安定に重要だと思います。
そして発達障害の子どもだけではなく、すべての子ども達にとって、いや大人たちにとっても、資質に合った表現活動、創作活動は、本能+資質で心地良さと繋がり(ドーパミンの放出)、神経発達を促すことになるのだと私は考えています。
「よく遊ぶ子は、よく育つ子」と言われるのは、子どもの遊びの中にその子にとっての表現活動が入っているからでしょう。
また子どもの「名もなき遊び」の中にも、同様の『本能+資質=心地良さ→神経発達』という流れが生じていると私は連想するのです。


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2021年9月9日木曜日

【No.1191】不安で促す専門家ではなく、希望で行動を後押しする発達援助者でありたい

下の子が通う保育園は、昨年から一度たりとも子どものマスク着用は求められていません(しかも子どもは誰一人していません)。
今朝も送りに行くと、秋晴れの中、園庭で遊ぶ子ども達は元気よく声を出し走り回っています。
子どもが風邪などの病気になるのは当たり前。
何よりも遊びと食事で生きていくための土台を築いていく方が大事。
そんな考えのもと、園の先生たちは素晴らしい保育をされています。


一方で上の子は公立に通う小学生。
定期的に「子どもを感染から守るため」「子どもの命を守るため」というもっともらしいことを言いながら保身まみれのプリント、要望をしてきます。
子どもの命を守るというのなら、下の子が通う保育園のように自然に免疫訓練をし、また貴重な子ども同士の学び合い、遊びを尊重してたくましい人間を育てていく方がよっぽど子どもの命、100年時代を生きる子ども達の健康と人生を大切にしていると思います。
現在の日本の状況は保身まみれの政治家、専門家と、それに従う自らの頭で考えられない大人たちが招いている人災です。
その本質がわからず、また子ども達に考えることを放棄させるような学校教育がなされいるのです。
我が子には自分の頭で考え、判断することが大事だと伝えていますので、決して「先生がいったから」「お父さんが言ったから」というだけでは行動してはならないと言っていますので、適宜マスク等を外し今の生活を送っているようです。
とにかく北海道の子ども達の学力が低い理由がよくわかります。
保身まみれのバカ教育委員会、学校ばかりなのですから。


近頃では相談メール、発達相談の依頼の際、「新刊、注文しました」とおっしゃってくれる人が多くなりました(誠にありがとうございます!)。
このような親御さん達は新刊を読んでくださったあと、実際の発達相談を受けられる流れになりますので、私が伝えたいこと、また発達援助、子どもの発達状態を見抜く視点をより深く理解できると思います。
もちろん、過去に私の発達相談を受けた方にとっては、発達相談+報告書+新刊となりますので、我が子の発達・成長の意味を理解し、更なるアイディアに繋がるきっかけになると思います。


浅見さんとの対談、新刊制作の過程の中でお話しさせていただいたことでもありますが、この仕事の始まりは、学生時代にふと思った疑問です。
どうして同じ子を育てる親なのに、障害を持っている子の親はこんなにも子育てを楽しめないのだろうか、自由に子育てを行えないのだろうか、普通の子育ては否定されないといけないのだろうか、という疑問です。
それからキャリアを重ねていく中で見えてきたのは、専門家、支援者という人達が親御さんに対して不安を使ったコントロールをしている姿になります。


目に見える障害ではない発達障害です。
ですから、単なる個性、発達途上と思える分、発達の遅れや障害を指摘されたときの親御さんの心境を大きく揺れ動くのだと思います。
そういった状況の中、年端もいかない子どもと、親になって数年しか経っていない親御さんを前に、「風邪のようには治らない」「一生支援が必要な子」「すぐに療育を始めないと、後々大変になる」など、さらに不安を煽るような言葉を投げつける専門家。
どうして支援を使いながらうまく育っていく子、発達障害かと思ったけれども、診断が外れるくらい発達成長し普通に育っている子の話はしないのでしょうか。
専門家というのは、親御さんに考えてもらう情報を提供するまでが仕事だと思うのです。
どちらか一方の意見や情報だけを用いて誘導するのは、しかも不安を煽って誘導するのは、専門家とはいえません。
できるだけポジティブな方向へと向かうような手立てを行うのが専門家の役割で、みなを不幸にするのは違います。


診断で将来の不安、幼児期は就学洗濯の不安、就学後は思春期の不安、思春期は進路の不安、卒業後は親なき後の不安。
こうしてみると、ずっと不安を煽られて子育てをしなければならないのが親御さん達を取り巻く状況だといえます。
ですから、私はそんな親御さんの不安を少しでも解消できるような仕事がしたいと思い、今の仕事を行っています。
私の発達相談を受けたあとのお話として、「この子の発達障害がわかって、初めて前向きな気持ちになれました」とおっしゃる親御さんは少なくありません。


私は不安ばかり煽るギョーカイだからこそ、敢えてポジティブな話をしているつもりはありません。
ただ神経発達の知識とこれまでの経験の中から今の課題を見つけ、どうしたら発達を後押しできるか、どのような刺激が発達に繋がるかを客観的にお伝えしているだけです。
私の感覚で言えば、当たり前のことを当たり前に伝えているだけ。
なので、いまだにギョーカイはヒトの発達を知らずに「発達支援」と言っているのか、親御さんの不安に付け込み、支援の利用、継続を狙っているのか。


親御さんにとっては「やりようがある」というのが希望になると思います。
しかしギョーカイは「やりようがない」ゆえに「支援を受けましょう」という論理で誘導しています。
本当にやりようがないのか。
親が課題をクリアしようとするのは、我が子の発達を望むのは親御さんが障害受容していないからなのか。
それは一方からみた視点であり、意見です。


コロナに関する情報も、「これはデマだ」「あれはデマ本だ」「あいつはトンデモだ」などとあらゆる人達がレッテル貼りをしています。
でも、100年後の未来から見たら、今デマと言われていることが正しかったり、今正しいと言われていることが間違っていたりするのではないでしょうか。
少なからず科学と言うものは、そうやって正しいと考えられていたものが否定され発展してきたし、これからも発展していくと思います。
なので、一人ひとりが今、ベストだと思う選択を考え、行動していくことが大事。


そのためには、やはり不安で行動を促すよりも、希望で自らの意思で動くようにしていくことが良いと思います。
私の仕事は、親御さんが子育ての中で、自分たちでできることを伝えていくこと。
それが親御さんの希望になり、そして前向きな子育てのエネルギーとなれば、これ以上嬉しいことはありません。
そんな気持ちを込めて本づくりに携わってきましたので、新刊を楽しみにお待ちいただければと思います。
明日からは東海地方への不要不急の出張なので、新刊同様、お会いする皆さま、どうぞよろしくお願い致します。


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2021年9月6日月曜日

【No.1190】どっちに転んでも

例年、インフルエンザワクチンは流行期の前に、今年度流行すると思われる型を生産、秋から冬にかけて5,000万人ほど接種しています。
当然、流行する型が外れることもあり、ブレークスルー感染とは言われず、普通に罹る人がいます。
でもその場合、違った型をもう一度、接種してきたでしょうか。
A型を接種したけれども、B型が流行し、インフルエンザに罹った。
「だから、A型のワクチンを3回目打とう」とはしてこなかった。
いま、デルタ株が中心なのに、武漢株で作ったワクチンを3回打つ話が出ていて、イスラエルは既に3回目を接種してしまった。
そして新規感染者数が急激に増加している。
デルタ型のワクチン製造は始まっているようなので、在庫処分なんてことはないでしょうが…。


遺伝子ワクチンを接種した人も感染しています。
ですから「感染を防ぐ」とはいえないでしょう。
そうなれば、もう一つの理由、「重症化を防ぐ」はどうでしょうか。
確かにデルタ株が中心になって、重症化率は下がっています。
しかし、それはデルタ株自体の弱毒性の可能性も否定できません。
またワクチンを接種した高齢者が重症化しなくなったから、「重症化率が下がったんだ」ともいえますが、相変わらず重症者の中心は60代以上で、亡くなっている人も70代以降です。
ワクチンを接種し、無症状、軽症、中等症だった人は、ワクチンを接種したから重症にならなかったのか、そもそも罹っても中等症以下だったのかは、誰にも分かりません。
とにかく未接種の若者たち、20代以下は重症者ゼロ、死亡者ゼロ。
そして多くの人がワクチンを2回以上接種したイスラエルで死亡者が一定数出ていることからも、必ずしも「重症化を防ぐ」とは言い切れませんね。


ではいつものように、特別支援の世界に置き替えてみましょう。
私のところに来る親御さんの中には、早期から診断を受け、早期から療育に通っている方達が多くいらっしゃいます。
そして私に相談するのですから、結果が芳しくないわけです。
そうすると決まって親御さんはこう言います。
「専門家が言うように療育や支援を受けてきたのに、良くならないというのは、それだけ我が子が重いんだと思っていました」と。


そりゃそうです。
年端もいかない、そして親御さんだって親になって数年しか経っていない段階で、療育を受けようとするのは、専門家の言った「療育を受けると予後が良くなる」と話を信じたからです。
最初から良くならないものを受けようとはしません。
だから、一生懸命早期から療育を受け、やれることはやったのに我が子にポジティブな変化が起きなければ、「我が子は重いから」という考えになってしまいます。
しかし、本当にそうでしょうか。


「うちの子、重いんです」と言われる親御さんは少なくありません。
理由を尋ねれば、その地域で最も評判の良い専門施設で、専門家の人の指導のもとで何年も療育を受けてきたから、と言われます。
でも、神経発達が最も盛んな時期を過ごす幼児期の子ども達で、1年以上通って変化がなければ、その専門家、または施設が下手くそなだけです。
というか、「1年間も支援、療育していて、子どもさんの発達を促せない方が奇跡です」と私は言います(笑)
子どもの発達を止める、留めておけるなんて、なかなかできるもんじゃありません。


同じように小学生、中学生、高校年代くらいの若者の親御さんに対しても、「療育・支援を受けたから、この状態で収まっている」という誤解を与える支援者達がいます。
二次障害が起きなかった家庭に対しては、「早期から支援を受けていたから、荒れずに済んだ」と言い、二次障害や問題行動が生じた家庭に対しては「早期から支援を受けていたから、このくらいで済んでいる。もっとひどい子は他にいますよ」と言う。
ちょっとうまくいけば、成長が見られれば、「療育・支援のおかげ」
うまくいかなくても、「療育・支援のおかげで、この状態で収まっている」
そして、どうもこうも言えないくらい悪い状態だと、「お母さん、これだけ頑張ってきたんだから、この子は多くの困難を持っている子に違いない」と言う。
どう転んでも、「療育・支援は最高!」「受けるのは正しい」という結論は一緒なんですね。


ワクチンを接種して感染したら、「これくらいの症状で済んだのは、接種してたからだよ」となる。
感染しなかったら「ほら、接種したから」となり、重症化したら「そもそも基礎疾患が、本人の状態が」と本人のせいになる。
そしてワクチンを接種しない人は、感染せず健康に過ごしても「たまたま」「運が良かった」となって、感染すれば「ほら、みたことか」となる。
療育を受けずに治っていった家庭は、「たまたま」「そもそも軽かった」と言われ、少しでも状態が悪くなれば、「ほら、みたことか」となる。
全部、論法は一緒でしょ。


つまり、療育を受けるというのは、「みんなが打つから私も打つ」と同じ。
普通、子ども時代、こんなに発達成長が著しい時期に、何年間も同じ専門家、専門施設を頼ること自体、私には意味が分かりません。
療育というのは、子育ての何でも屋ではないでしょう。
それぞれ特長があり、得られる刺激は限られています。
得られる刺激が決まっているのだから、子どもの成長と共に求める刺激は変わり、それに応じて利用する場所も変わっていくはずです。
同じ刺激を受け続けても、それで成長する部分が完了すれば、あとは慣れとパターン化しか残っていません。


「二次障害ガー」「思春期ガー」というのは、20年以上前から言われていた古典的なキャッチコピーです。
そもそも子ども達は、一人ひとりの人生は、二次障害にならないことが目的ではないのです。
一人ひとりが自立に向けて、子ども時代をより良く発達、成長していけるように後押しするのが大人の役目であり、専門家と呼ばれる人間たちの役割です。
町医者が「発熱者お断り」と言うように、専門家も「二次障害お断り」と言っているだけ。
コロナは診たくない=問題行動がある子は見たくない。
PCRと注射はやりたい=軽度の子ども達は見たい。
楽して儲けたいのは、医者も、支援者も同じです。
本来なら、「たとえ、コロナに罹ったとしても私達が診て治すから、安心して生活を送ってください」というのが医者でしょ。
本来なら、「たとえ、二次障害、問題行動が起きたとしても私達が援助し治すから、安心して子育てを行ってください」というのが支援者でしょ。


私は、発達障害における特別支援、療育などは全部無くなった方が良いと考えています。
子ども達が伸びやかに遊び、主体的に自分に必要な発達刺激を求め、育っていく姿が自然だと思うのです。
私は子育ての中で、地域社会の中で、子ども達がそれぞれのペースで育ち、治っていくのが本来の姿で、目指していく形だと思っています。
支援というのは、あくまで本人に必要性が生まれたときに出ていくものです。
今のようにシステム化されてしまってはいけませんし、それぞれの家族、子どもの人生に侵略してはならないのです。


「接種しないのが非国民」
「療育を受けないのが理解のない親」
「ただの風邪はトンデモ」
「発達障害が治るのはトンデモ」
これは一方的な考え方であり、行き過ぎると洗脳になります。
それに立ち向かうには、一人ひとりが自分で感じ、選択して行動すること。
いくら身体アプローチをしても、いくら栄養療法を行っても、いくら素晴らしい専門家のところに行っても、自分自身で咀嚼し考えることができない人は治っていかない。
そして治っていかないのは、そういったアプローチや専門家がトンデモなのではなく、別のところに答えがあるわけではなく、受け身の姿勢に根本的な課題があるのです。
コロナ騒動は、世界中、平等に考える機会を与えてくれたと思っています。
コロナ後の世界は始まっている。


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2021年9月3日金曜日

【No.1189】「どんな遊び・運動?」から「どんな動きが必要か?」「どんな刺激が必要か?」へ

昨日のブログでもチラッと書きましたが、現代社会で求められる活動の多くは、狩猟生活をしていた頃に発達させた脳を代用しています。
数学脳があるわけでも、社会脳があるわけでも、プログラミング脳があるわけでもありません。
「身体があって文化が生まれる」です。
人類の歴史、700万年のほとんどは自然の中で狩猟生活をしながら生活していたわけで、狩猟生活で発達させ、使っていた脳を汎用させ、現在社会を生き抜いているのです。


発達相談において、「どのような遊び・運動をしたらよいですか?」というご質問が多くなった気がします。
これは様々な方達が、「発達障害は身体から治っていく」という姿を示してきた成果だと感じています。
私も先輩たちから学び、身体からのアプローチを中心にお伝えしていますので、こういったご質問を多くいただくのでしょう。
長らく「支援」の時代が続いていましたので、やっと「身体」がベースに、「身体」から始められるようになったことを嬉しく思っています。


しかし一方で、その先を目指さなければならないとも思います。
「どのような遊び・運動を?」というのは、まだ本質的な部分に気づかれていない状態だといえます。
確かに子どもさんのアセスメントを間違わなければ、発達に繋がる遊びや運動はあるものです。
ただまだそれだと「治る」「治っていく」までは進まない気がします。
身体からのアプローチは、特定の手段、療法ではないのですから。
栄養アプローチがうまくいっていないのは、「食べるからのアプローチ」という本質的な意味をはき違えているから、に似ていると思います。


神経発達に遅れがある子ども達、といいますか、神経発達が盛んなどの子ども達も食事は大事です。
でもだからといって、どの子もサプリを飲めばよいのか、そもそも栄養とは栄養素のことだけなのか、を考える必要があると感じています。
食事とは単なる栄養素を吸収するための行為ではありません。
特に子ども達にとっては、噛む力、飲みこむ力、舌の動き、嗅覚・味覚、消化吸収の内臓機能、手の動き、目と手の協応を育てるのも、食事において行っています。
また食べ物を取りこむ行為を通して、唾液を分泌させ、認識力や防御システムを育ててもいるのです。


当然、噛む、飲みこむ、消化吸収する、も運動です。
ですから身体からのアプローチでは、こういった運動にも注目し、発達機会の保障と発達の後押しが必要です。
時折、栄養療法と身体アプローチという具合に区別して捉えているのでは、と思う親御さん、支援者とお会いします。
でも、本来、栄養も、運動も、身体からのアプローチの一つで別々に存在しているものではありません。
身体からのアプローチなのですから、食事も、排泄も、遊びも、運動も、すべてが入ります。


子どもの神経、脳はまだ未分化な状態なのですから、大人とは違い部分的な発達は適さないのです。
イメージで言えば、噛むことを一生懸命行ったら、感覚が育ち、認知が育ち、運動機能が育ち、手のコントロールがうまくいき、目の合わられるようになり、排便が整い、よく寝られるようになる、感じです。
つまり、発達はあらゆるところと繋がっていますし、あらゆる神経と繋げようとする時期が子ども時代なのですから、まさに芋づる式で発達し、治っていくのです。
よって、〇〇療法というように細分化が進んでいくと、子どもの神経発達の特徴とはズレが生じ、結果的に発達ではなく、パターン学習になってしまうのです。


私が身体アプローチを中心に学び、発達援助の核にしているのは、ヒトの発達に即した考え方だからです。
画期的な療法と言われたTEACCHプログラムだって、高々誕生して50年くらいなものです。
特別支援教育だって20年くらい。
それと比べて、ヒトの進化は700万年。
発達を知るということは、どうやってヒトは進化してきたか、脳や神経系を発達させてきたのかを知ることだといえます。


700万年かけて進化してきた過程には、ヒトの発達の原理原則があります。
文化的な活動はすべて狩猟生活で培った脳を汎用させて行っている。
私が子どもさんの遊んでいる姿に注目するのは、その中に子どもさんの資質、遺伝的に受け継いだもの、そして社会的な活動を行うための土台があるからです。
子どもは最初に【感覚】で世界と繋がります。
【身体を遊び道具】にしたあと、【自由自在に動かせる身体】を育てます。
自由自在に動かせるように身体を使い、【自然と繋がっていく】。
自然で生きていくには単に運動ができるだけではなく、【狩猟採集】、そして自然を【道具として扱う】段階まで育つ必要があります。
現代風に言えば、ジャングルジムなどによじ登る、虫や花、木の実を採取できる。
その状態になって初めて、就学後の教科学習ができる準備が整うのだといえます。


○○式の勉強法などの選択は、こういった身体が育ったあとの選択になるのです。
身体が育っていないのに、いくら勉強法を探してもできるようにはなりません。
同じように○○療法などというのも、本来は身体という土台が育ったあとの選択になるのですが、現状はそうなっていません。
身体が育っていないのに、細分化された療法を行ったり、行わせようとしたりする。
背面が育っていない人に、SSTで他人との距離感を教えようとしても、不可能なのです。
嗅覚が育っていない人に、他人との上手な付き合い方は無理です。
ですから今の療法の多くは、ほとんどがその場だけ、その時間だけ、その人だけ。
つまり、パターン学習を一生懸命させているのみ。


発達障害の子ども達の身体に注目することが標準になったのは喜ばしいことです。
だけれども、もう一歩先に進む必要があると思います。
なぜ、身体からアプローチすることが発達に繋がるのか。
社会生活を送る上で、より良い発達成長へと繋がるのか。
その辺りは私も丁寧に説明し、お伝えしていく必要があると感じています。
もうここ1、2年は、1歳代、2歳代、3歳代の子ども達からの相談が増える一方です。
ということは、親御さんの捉え方、ニーズもどんどん変化しているということです。
親になって数年しか経っていない親御さん達が増えていて、身体が標準になっているからこそ、決して身体療法ではないことをお伝えしなければならないと思っています。
身体療法が効果があるから良いのではなく、ヒトの発達からいえば、身体が育たなければ、社会生活、学習、自立がならない、というお話を。
「どんな遊び・運動?」から「どんな動きが必要か?」「どんな刺激が必要か?」というようになれば、アセスメントとアプローチが一致しますね。


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2021年9月2日木曜日

【No.1188】誰でも言えること、言えないこと

日曜日、羽田空港を歩いていると、不快な音声が聞こえてきました。
「公共機関ではマスクをつけましょう」
「4人以下の会食を」
7月の羽田空港では流れていなかったはずなのに、8月お盆くらいからが流れ始めたのかもしれないと思いました。
まあ、見事に誰も聞いていないし、私の他にもノーマスクの人もチラホラ(笑)
飛行機で各地に飛ぶ人達は、空港内にいても、せいぜい2時間くらいなもの。
だから、空港内で働くスタッフが毎日、何時間も会長の声を聴き続け、「私達はどこにも行っていないのに、こんなに利用客がいて」と、ただ分断とストレスを与えているだけで効果は無い、というか、最初から効果なんて狙っていないんだと思います。


夏休みやお正月休み、お盆や連休の前に、「人流を抑える」「ステイホーム」と言うのは、専門家の仕事でしょうか。
言ってくれれば、私が代わりに言ってあげます(笑)
つまり、誰でも言えることを、誰でもできることを行うのは、専門家の仕事、プロの仕事ではないんですね。
また見事に連敗記録を更新した京大の教授は、「みんなに嫌われても、オリンピックを止めるために動けば良かった」とご発言されていました。
「みんなに嫌われても」の部分はご心配なく。
あと、終わったあとなら何とでも言えます。
事前に法則性を見つけ、対策を提言するのが専門家の役目。
オリンピックは都とIOCの契約であり、一般の人がどんなに嫌われようとも、止めることはできない次元の話です。
ということは、結局、8月末の予想(予言)も大幅に外したエクスキューズであり、人々の関心を逸らすためのいつものパターン。


もし会長が本物のプロフェッショナルなら、どうやったら人流を止めずに、以前に近い生活が送れるか、具体的な方法を提示するはずです。
もし数理モデルのプロフェッショナルなら、オリンピックをどうしたらより安全に行えるのか、安心して帰省や旅行、子ども達が夏休みを過ごせるのかを予測を元に提示するはずです。
一言で言えば、「どうすればみんながより幸せになるか」というポジティブな未来を提示するのが専門家の仕事だと思うんです。
しかし、この1年半、出てきた専門家は、主に人々を脅すだけ。
しかも、言いっぱなしで検証も、反省もしない。


あれだけ散々、「二週間後には欧米に」と言っていたんだから、規制を完全撤廃したイギリスや独自の路線を進んだスウェーデンなど、今こそ「二週間後は、東京もロンドンに」と言えばいいのに。
ぼったくり男爵を批判した人も、ぼったくり男爵(いや、お殿様?)だったなんて笑えませんね。
ベッドは確保したけれども、医師や看護師が確保できず、でも補助金は頂戴する。
自分の病院をマネージメントできない人が、1億2千万人の行動をマネージメントなんてできないと思いますよ。


なぜ、今日は長々とプロについて綴ってきたかと申しますと、この頃、出張が終わるたびに思うことがあるからです。
私の事業としては、離れた場所からでもご依頼や仕事をいただけることはありがたく、嬉しいことです。
しかし一方で、それぞれの地域にいる支援者は何しているんだという気持ちもあるのです。
親御さんからしたら、自分の住んでいる地域に頼れる専門家がいれば、そちらのほうが良いに決まっています。
発達相談が終わるたびに、私は「ああすればよかった」「もっとこういう言い方、具体的な方法を伝えればよかった」などといつも反省しっぱなしです。
全国には私がいつも学ばせていただいている実践家、プロフェッショナルの人達がいらっしゃいますし、そのような方々を見れば、私はまだまだ遠く及ばないと思っています。
そんな私なのに、「地元の支援者よりは良い」というのでは困ることなんです。
税金の使い方としてダメでしょ。


国語や算数などの勉強ができない子に、「こんなドリルをやってみては」「塾や家庭教師はどうですか」などの誰でもできるアドバイスや、「この子は無理ですよ」「それより支援学校に」という脅しは、プロとしてどうなんだろうと思います。
それこそ、やっている感だけですよね。
小学校低学年レベルの勉強ができないのは、内容が難しいからではなく、身体が育っていないから。
もっといえば、幼児期の遊び、運動発達をやり切っていないと、勉強ができる準備が整わないし、そんな状態でいくら教え方や環境を工夫してもできるようになるわけはありません。
せいぜい暗記はできるけれども、そのものの意味の理解まではできない。
だから概念学習が出てくる小学校3年生が一番の壁であり、普通級から支援級への転籍が多いのです。


さらに原理原則がわからないと、助言はできないものです。
ヒトは国語の脳、算数の脳があり、そこを刺激し、育てることで書字や計算、読解などができるわけではありません。
ヒトの進化の過程をみれば、動物的な生活を送っていたときに発達させ、使っていた脳の部位を転用して、現代の国語や算数ができるようになっているのです。
眼球運動と計算は脳活動が似ていますし、「道具を使う」が転用して「言葉を使う」になっているのも有名な話です。
また筆を動かす(つまり、書字・描画)と移動の動きはリンクしていて、概念の理解は数唱と繋がっていて、数は指と繋がっている。
現代社会から見れば、知的な活動はそれ相応の脳が進化したから、大脳皮質が大きくなったからと思いがちでしょうが、結局、ホモサピエンス時代で培った脳を現代風に代用しているだけなんです。
ここがわからないと、身体アプローチの意味を単なる療法の一つと勘違いしてしまいます。


アマゾンでは10月8日出版予定で予約が始まっております。
浅見さんから出版のお話を伺ったとき、そして今もですが、自分の仕事がなくなるのが理想です。
これは起業当初から目指しているところで、本来ならこういったサービスはない方が良いに決まっています。
理想は各家庭で、子育てを通して育っていく、治っていくこと。
その次は補助として地域の支援者、専門家がいて、また学校の先生や保育士さんなどが子ども時代は中心に助言したり、親御さんの背中を押してあげ、子ども達が自立していくこと。


発達援助という仕事を考えたとき、目指すは子どもの自立だけではなく、親御さんの自立も後押しできることだと思います。
そして利用したあとは、ポジティブな変化が生じること。
役目を終えたら、きちんと消えてなくなることが理想的な最後の姿です。
このたび、浅見さんと一緒に出版させていただく新刊を読んでくださった方が、「大久保に依頼しようと思っていたけれども、自分でやってみよう」と思い留まり(笑)、行動して頂けることが私にとっても嬉しいことです。
出版がてらっこ塾としての寿命を短くするものになれば、本望です。
やっぱり親子の子育ての中で、自然と治っていく、自立した人生を歩みだしている、社会に飛び立った、というのが一番ですよね!
ちなみに次は、発達障害とは全然関係のない仕事をしたいなと思っております。


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