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9月, 2021の投稿を表示しています

【No.1193】場所が変わってもできるくらいまで育てるのが発達援助

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この時期、年長さん達が一通り就学相談を終える時期であり、支援学校の高等部3年生たちが就職実習や卒後の入所施設への体験を終える時期でもあります。 実習のあとは、受け入れ側の支援員さんと学校の先生たち、そして親御さんを交えての反省会があり、そこで決まって言われるのは「〇〇を行う際、指示や手助けが必要だった。入所するためには、〇〇ができないといけない」という指摘になります。 その〇〇というのは、歯磨きや着替え、入浴などの身の回りのことであったり、仕事に関する態度であったりします。 しかし必ずと言っていいほど、「家ではできているんだけれども」「学校ではできているんだけれども」となる。 そしてその原因は、施設側の関わり方、支援の仕方に始まり、最後は特性として「場所が変わるとできなくなる」で結論付けられます。 でも、果たしてそうでしょうか。 ずっと昔から、私が学生時代からずーーーと「場所が変わってできなくなるのは、障害特性だ」と言われてきました。 しかし、場所がかわってもできることはあるわけです。 たとえば、認知症の方のように家から施設に変わった瞬間、全部、なにもかもできなくなったというのならわかりますが、余暇だったり、コミュニケーションの仕方だったり、身の回りのことでもすべてができなくなるわけではないんですね。 ということは、単純に「できる」と評価されていたことが本当はできていなかった、身についていなかっただけでしょ、と思うのです。 今までの経験から、「場所が変わるとできなくなる」は特性でもなんでもなく、支援者側にとって都合の良い落としどころだったんだと私は考えています。 そういった子ども達、大人たちと関わってきて感じるのは、そうやって場所が変わっただけでできなくなる場合のほとんどが、「パターン学習だった」ということ。 なぜ、その行為を行うか、どうなったら適切か、終了かという認識がなく、ただ型だけを覚え、大脳皮質を通すことなく、一連の活動を行っていただけ。 だから、場所が変われば、その「一連」に変化が生じるので、何をすべきかを見失ってしまうのだと思います。 ではなぜ、どこでもここでも、「場所が変わるとできなくなる」と言われ、そういった状況が生まれるのか。 もちろん、その子本人の認知的な面とも関係していて、重い知的障害を持つような子ども達は、大脳皮質の育ち、働きがうまくいかず、...

【No.1192】表現活動と神経発達

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花風社さんの浅見さんが 「表現活動によって資質が開花していく」 ことについてお話ししてくださっています。 言葉のプロフェッショナルである浅見さんの文章を拝読すると、私も改めて気づかされ、考えることがありましたので、みなさんと共有したいと思います。 自閉っ子の表現活動に注目したのは、私が学生時代です。 支援学校にいたある子が、「素晴らしい絵を描く」と評判だったことがありました。 私も拝見しましたが、確かに上手な絵を描く子でした。 ちょうどその頃は高機能ブームがあり、ギフテッドなどが支援者間、一部の親御さんの間で盛り上がっていた時期でもあります。 ですから、教員も、支援者も、「将来は絵を仕事に」などといって、学校の行事や地域の催しもの、刊行物の挿絵などに絵を発表し続けていました。 親御さんも、小さいときから絵が好きで描いてきた我が子が、その絵をみんなから認められて嬉しかったようです。 しかし、本人はどうだったでしょうか。 もちろん、本人の心情は本人しかわからないので、客観的な事実を述べます。 その若者は、学校を卒業後、一切絵を描かなくなりましたし、絵に関係する仕事にも就いていません。 私はこの子の絵を拝見したとき、現実の世界を描いているようで空想の世界を描いているのがわかりました。 その空想の源流は本人の頭の中にあり、そこには誰も邪魔されない「自由」があったんだと思います。 この子は現実世界で感じていた不自由、そして自分のイメージと実際にできることのギャップに苦しんでいるような感じがありましたので、絵というツールを通して自由になっていたのでしょう。 それが周囲から「あれ描け」「これ描け」「次の〇〇に載せるから」と求められるようになり、本人にとって絵が自由から不自由なものへ、心地良さが感じられないものへと変わっていったんだと思います。 では、ヒトはいつから表現活動をするのでしょうか。 二足歩行が完成したのち、つまり、手が自由になったあと、だいたい1歳半くらいからクレヨンなどを持つと、手を動かし、何かを描こうとします。 もちろん、最初は点だったり、線だったり、何か形を描くことはありませんが、それでも自分の手が生みだしたものを見て喜び、何度も繰り返します。 これは学習や文化というよりも、本能的な活動だといえます。 ヒトは何かを生みだし、自分の内側を表現したい動物なんだと思いま...

【No.1191】不安で促す専門家ではなく、希望で行動を後押しする発達援助者でありたい

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下の子が通う保育園は、昨年から一度たりとも子どものマスク着用は求められていません(しかも子どもは誰一人していません)。 今朝も送りに行くと、秋晴れの中、園庭で遊ぶ子ども達は元気よく声を出し走り回っています。 子どもが風邪などの病気になるのは当たり前。 何よりも遊びと食事で生きていくための土台を築いていく方が大事。 そんな考えのもと、園の先生たちは素晴らしい保育をされています。 一方で上の子は公立に通う小学生。 定期的に「子どもを感染から守るため」「子どもの命を守るため」というもっともらしいことを言いながら保身まみれのプリント、要望をしてきます。 子どもの命を守るというのなら、下の子が通う保育園のように自然に免疫訓練をし、また貴重な子ども同士の学び合い、遊びを尊重してたくましい人間を育てていく方がよっぽど子どもの命、100年時代を生きる子ども達の健康と人生を大切にしていると思います。 現在の日本の状況は保身まみれの政治家、専門家と、それに従う自らの頭で考えられない大人たちが招いている人災です。 その本質がわからず、また子ども達に考えることを放棄させるような学校教育がなされいるのです。 我が子には自分の頭で考え、判断することが大事だと伝えていますので、決して「先生がいったから」「お父さんが言ったから」というだけでは行動してはならないと言っていますので、適宜マスク等を外し今の生活を送っているようです。 とにかく北海道の子ども達の学力が低い理由がよくわかります。 保身まみれのバカ教育委員会、学校ばかりなのですから。 近頃では相談メール、発達相談の依頼の際、「新刊、注文しました」とおっしゃってくれる人が多くなりました(誠にありがとうございます!)。 このような親御さん達は新刊を読んでくださったあと、実際の発達相談を受けられる流れになりますので、私が伝えたいこと、また発達援助、子どもの発達状態を見抜く視点をより深く理解できると思います。 もちろん、過去に私の発達相談を受けた方にとっては、発達相談+報告書+新刊となりますので、我が子の発達・成長の意味を理解し、更なるアイディアに繋がるきっかけになると思います。 浅見さんとの対談、新刊制作の過程の中でお話しさせていただいたことでもありますが、この仕事の始まりは、学生時代にふと思った疑問です。 どうして同じ子を育てる親なのに、障害を持...

【No.1190】どっちに転んでも

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例年、インフルエンザワクチンは流行期の前に、今年度流行すると思われる型を生産、秋から冬にかけて5,000万人ほど接種しています。 当然、流行する型が外れることもあり、ブレークスルー感染とは言われず、普通に罹る人がいます。 でもその場合、違った型をもう一度、接種してきたでしょうか。 A型を接種したけれども、B型が流行し、インフルエンザに罹った。 「だから、A型のワクチンを3回目打とう」とはしてこなかった。 いま、デルタ株が中心なのに、武漢株で作ったワクチンを3回打つ話が出ていて、イスラエルは既に3回目を接種してしまった。 そして新規感染者数が急激に増加している。 デルタ型のワクチン製造は始まっているようなので、在庫処分なんてことはないでしょうが…。 遺伝子ワクチンを接種した人も感染しています。 ですから「感染を防ぐ」とはいえないでしょう。 そうなれば、もう一つの理由、「重症化を防ぐ」はどうでしょうか。 確かにデルタ株が中心になって、重症化率は下がっています。 しかし、それはデルタ株自体の弱毒性の可能性も否定できません。 またワクチンを接種した高齢者が重症化しなくなったから、「重症化率が下がったんだ」ともいえますが、相変わらず重症者の中心は60代以上で、亡くなっている人も70代以降です。 ワクチンを接種し、無症状、軽症、中等症だった人は、ワクチンを接種したから重症にならなかったのか、そもそも罹っても中等症以下だったのかは、誰にも分かりません。 とにかく未接種の若者たち、20代以下は重症者ゼロ、死亡者ゼロ。 そして多くの人がワクチンを2回以上接種したイスラエルで死亡者が一定数出ていることからも、必ずしも「重症化を防ぐ」とは言い切れませんね。 ではいつものように、特別支援の世界に置き替えてみましょう。 私のところに来る親御さんの中には、早期から診断を受け、早期から療育に通っている方達が多くいらっしゃいます。 そして私に相談するのですから、結果が芳しくないわけです。 そうすると決まって親御さんはこう言います。 「専門家が言うように療育や支援を受けてきたのに、良くならないというのは、それだけ我が子が重いんだと思っていました」と。 そりゃそうです。 年端もいかない、そして親御さんだって親になって数年しか経っていない段階で、療育を受けようとするのは、専門家の言った「療育を受けると予...

【No.1189】「どんな遊び・運動?」から「どんな動きが必要か?」「どんな刺激が必要か?」へ

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昨日のブログでもチラッと書きましたが、現代社会で求められる活動の多くは、狩猟生活をしていた頃に発達させた脳を代用しています。 数学脳があるわけでも、社会脳があるわけでも、プログラミング脳があるわけでもありません。 「身体があって文化が生まれる」です。 人類の歴史、700万年のほとんどは自然の中で狩猟生活をしながら生活していたわけで、狩猟生活で発達させ、使っていた脳を汎用させ、現在社会を生き抜いているのです。 発達相談において、「どのような遊び・運動をしたらよいですか?」というご質問が多くなった気がします。 これは様々な方達が、「発達障害は身体から治っていく」という姿を示してきた成果だと感じています。 私も先輩たちから学び、身体からのアプローチを中心にお伝えしていますので、こういったご質問を多くいただくのでしょう。 長らく「支援」の時代が続いていましたので、やっと「身体」がベースに、「身体」から始められるようになったことを嬉しく思っています。 しかし一方で、その先を目指さなければならないとも思います。 「どのような遊び・運動を?」というのは、まだ本質的な部分に気づかれていない状態だといえます。 確かに子どもさんのアセスメントを間違わなければ、発達に繋がる遊びや運動はあるものです。 ただまだそれだと「治る」「治っていく」までは進まない気がします。 身体からのアプローチは、特定の手段、療法ではないのですから。 栄養アプローチがうまくいっていないのは、「食べるからのアプローチ」という本質的な意味をはき違えているから、に似ていると思います。 神経発達に遅れがある子ども達、といいますか、神経発達が盛んなどの子ども達も食事は大事です。 でもだからといって、どの子もサプリを飲めばよいのか、そもそも栄養とは栄養素のことだけなのか、を考える必要があると感じています。 食事とは単なる栄養素を吸収するための行為ではありません。 特に子ども達にとっては、噛む力、飲みこむ力、舌の動き、嗅覚・味覚、消化吸収の内臓機能、手の動き、目と手の協応を育てるのも、食事において行っています。 また食べ物を取りこむ行為を通して、唾液を分泌させ、認識力や防御システムを育ててもいるのです。 当然、噛む、飲みこむ、消化吸収する、も運動です。 ですから身体からのアプローチでは、こういった運動にも注目し、発達機会の保障...

【No.1188】誰でも言えること、言えないこと

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日曜日、羽田空港を歩いていると、不快な音声が聞こえてきました。 「公共機関ではマスクをつけましょう」 「4人以下の会食を」 7月の羽田空港では流れていなかったはずなのに、8月お盆くらいからが流れ始めたのかもしれないと思いました。 まあ、見事に誰も聞いていないし、私の他にもノーマスクの人もチラホラ(笑) 飛行機で各地に飛ぶ人達は、空港内にいても、せいぜい2時間くらいなもの。 だから、空港内で働くスタッフが毎日、何時間も会長の声を聴き続け、「私達はどこにも行っていないのに、こんなに利用客がいて」と、ただ分断とストレスを与えているだけで効果は無い、というか、最初から効果なんて狙っていないんだと思います。 夏休みやお正月休み、お盆や連休の前に、「人流を抑える」「ステイホーム」と言うのは、専門家の仕事でしょうか。 言ってくれれば、私が代わりに言ってあげます(笑) つまり、誰でも言えることを、誰でもできることを行うのは、専門家の仕事、プロの仕事ではないんですね。 また見事に連敗記録を更新した京大の教授は、「みんなに嫌われても、オリンピックを止めるために動けば良かった」とご発言されていました。 「みんなに嫌われても」の部分はご心配なく。 あと、終わったあとなら何とでも言えます。 事前に法則性を見つけ、対策を提言するのが専門家の役目。 オリンピックは都とIOCの契約であり、一般の人がどんなに嫌われようとも、止めることはできない次元の話です。 ということは、結局、8月末の予想(予言)も大幅に外したエクスキューズであり、人々の関心を逸らすためのいつものパターン。 もし会長が本物のプロフェッショナルなら、どうやったら人流を止めずに、以前に近い生活が送れるか、具体的な方法を提示するはずです。 もし数理モデルのプロフェッショナルなら、オリンピックをどうしたらより安全に行えるのか、安心して帰省や旅行、子ども達が夏休みを過ごせるのかを予測を元に提示するはずです。 一言で言えば、「どうすればみんながより幸せになるか」というポジティブな未来を提示するのが専門家の仕事だと思うんです。 しかし、この1年半、出てきた専門家は、主に人々を脅すだけ。 しかも、言いっぱなしで検証も、反省もしない。 あれだけ散々、「二週間後には欧米に」と言っていたんだから、規制を完全撤廃したイギリスや独自の路線を進んだスウェーデ...