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【No.1279】今だけの経験にせず、家族だけのエピソードにせず

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高校時代、3年間同じ担任の先生だったのですが、その先生がよく私達に向かって「コンビニの弁当には、また食べたくなる薬が入っているから食べないほうがいいぞ」って言っていました。 もともとコンビニのごはんはまずいと感じていた私ですので、ほとんど食べることはなかったのですが、今思えば、大事な指摘だったと思います。 私も子育て世代の一人ではありますが、私達が過ごしてきた子ども時代は核家族が当たり前で、世の大人たちは忙しく、それが「今だけ、金だけ、自分だけ」の社会を形成していたように感じます。 その象徴的なものが、コンビニであり、ファーストフードであり、冷凍食品であり。 添加物まみれ、農薬まみれの食は、「いかに安くて儲けるか」ということの表れであって、それが人々の健康に、また子ども達やその次の世代にどのような影響を及ぼすかは二の次、三の次になっていたのでしょう。 そう考えると、ワクチンも、マスクも、それと地続きになっているといえます。 いま、食と健康に注目している親御さん達は多くいます。 それは裏を返せば、そういったことを教わらず、学ばずにきた私達がいる、ということでしょう。 不妊だって、発達障害だって、もしそういった知識があれば、今のような日本の状況にはなっていなかったはずです。 というかGHQが計画した通りに日本人の食が壊わされだけなのかもしれません。 というか種子を売る企業と農薬を売る企業と薬を売る企業が同じで、「病気を作って薬を売る」というグローバル企業の戦略に踊らされているだけなのかもしれません。 食と発達障害に対して「それはトンデモだ」と否定する人たちも少なくありません。 そういった人たちの多くは、その人自身の食が乱れているのだと感じます。 食の乱れの根っこは、その人が子ども時代に何を食べてきたと繋がっており、食を大切にしなかった家庭で育ったことが背景にあります。 「我が子に何を食べさせるか」は親から子への愛情の原形。 ですから食を大切にできない人は自分自身を大切にできていない人であり、それは自分の親から大切にされてこなかったことの表れ。 食の改善に入ってこれない親御さんというのは、そこに触れることが自身の愛着形成の傷に触れることとなるからだと思います。 一方で自分たちが食べてきた物で我が子の発達に影響を与えてしまったと深い後悔をされている親御さん達も少なくありませ

【No.1278】100年後の子ども達のためにも

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長い時間待機して、ようやく専門機関での検査、アセスメントを行ってもらったのに、返ってきた資料に「ガッカリした」というお話はよく伺います。 ひと昔前の親御さん達でしたら、情報も限られていましたので、その資料に記されている専門用語にときめきを覚えたのでしょうが、今の親御さん達にはそれはありません。 だって、今の親御さん達の情報量は専門家以上ですから。 専門家とは、いつしか専門バカになり、とても狭い分野の物知り、オタクになってしまっているのは、コロナ騒動で出てきた専門家たちの狭い了見を見ればよくわかります。 「一人の子を育てる」には、食や睡眠、排泄、生物学的な健康と心理的な健康、遊び、ヒトの発達、神経の発達、運動&感覚の発達、環境、どういった園で過ごし、どういった習い事をするか、など幅広い情報と知識、そして何よりも選択が必要です。 いくら発達障害の知識があっても、いくら欧米お墨付きの療法の使い手だったとしても、一人の人を育てるには狭すぎます。 また親御さんが専門機関のアセスメントに「ガッカリ」する理由には、その子だけを見たアセスメントになっていることもあるでしょう。 目の前の子に言葉の遅れがある。 だけれども、その背景を知るには検査室以外の情報を知る必要があります。 家の中では常にテレビがついていないか。 早期から英語教育を行っていないか。 どの程度、その子の周りには言葉があり、どんな種類、人たちの声を聴いて過ごしているか。 そういった環境面からのアセスメントも大事でしょう。 そして目の前にいる子は、突然、この世に生まれたのではなく、二人の親がいて、四人の祖父母がいて初めて目の前に存在しているのです。 だから、アセスメントにはご両親の幼少期の様子、歩んできた道も確認することが必要です。 もちろん、祖父母も。 以前、相談があったご家庭では、社会性の面での発達の遅れについて心配されていました。 親御さんの想いとしてはいち早く育てたいし、治ってもらいたい。 だけれども、お父さんは小学校時代、友達もいなかったし、学校の先生の話もよく聞けていなかったと言います。 だけれども、中学校進学と同時に部活動に打ち込むことで、自然と周りの人が何を考えているかが分かるようになり、授業中の話も耳に入ってくるようになったそうです。 ということは、今、幼稚園でお友達と遊べないのは問題じゃなくて、もっ

【No.1277】不登校と待てない大人たち

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不登校には30日ルールがあって、病気や経済的な理由ではない年間30日以上欠席した児童生徒が不登校となる。 だから、学校は30日のラインを気にしていて、何故ならそれが学校の評価であり、報告や対応する必要が出てくるからであって、それを超えそうになると、「一度、病院に行ってみては?」なんて話が出てくる。 だって、病院に行ったら病欠で欠席数のカウントがされないから。 そしてお決まりのパターンとして、起立性調整障害or発達障害が疑われるからなんて理由づけがされる。 病院に行けば、なんらかの診断名はつき、それで投薬などの治療が開始される。 病院は患者さんゲット、学校は「病気が理由の欠席」となって不登校のカウントを減らせ、親御さんも不登校という曖昧で何も手出しができない感じから一応の原因が見つかり気持ちがラクになる。 でも、その子はそれでラクになるだろうか、課題がクリアできるのだろうか。 私のところにも、不登校をきっかけに発達障害の診断を受けた子ども達からの相談がきます。 まさに大人の都合で作られた発達障害ですね。 確かにお会いすると、発達にヌケや遅れがあったり、自閉症っぽい子どもさんもいることにはいます。 でも、実際のところは、精神科薬を飲み始めてから元気がなくなり、閉じこもりがちになったり、幼少期は発達の遅れがなく、学校に行ってから徐々にコミュニケーションがむずかしくなった、友達と遊ばなくなった、トラブルを起こすようになった、といったことばかり。 専門家はよく「学校という集団が大きくなったから」「学校では共同する活動が多くなるから」なんていって、「気づかれないまま就学した発達障害」とするように持っていきますが、このご時世、どこでもここでも何かあるとすぐに「あの子は発達障害では?」となる子どもを取り巻く環境の中で、就学までスルーということは、違うんじゃないのって思います。 また幼稚園や保育園、学校もそれまで通えていたのなら、たとえ発達障害があろうとも、そこが問題の中心ではないと思いますね。 不登校の子ども達は、「どうして学校に行かなくてはならないの?」と親御さんに言うことがあります。 で、親御さんのほうは、またそれを聞いた専門家も、「将来のために」「友達と学ぶことは大事だ」など、そのままの意味で、しかも言葉で返してしまいます。 本当に賢いお子さんで哲学的な思考を持った子なら、こ

【No.1276】治り方は子どもの数だけあり、それぞれが自由に治っていく

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「屋外ではマスクが必要ない」とか、「就学前の子ども達にマスク着用を求めない」とか、ホントにどうでもいい。 どちらも意味がないことなんて、0.00001秒くらいでわかるし、むしろ、子どもの発達に悪影響が出るなんて動物としての本能でわかりきった話。 どこの世界に、マスクをつけて子育てをする人々がいますか? 人類700万年の歴史の中で、顔が半分隠れた状態で生活したことがありますか? というか、マスクをつける動物なんている?? もういい加減、バカにされているのに気がついた方が良くないですか。 政府だって、メディアの中の人だって、「こんな報道をしたら、国民がこんな反応する」なんてわかっているでしょうに。 むしろ、報道とは何が報道されているかではなく、何が報道されていないかが重要なんで、「やったー、政府もようやくマスクの弊害に気がついてくれた」と思うのはお花畑で、「いや、マスクの害などエビデンスがない」なんて言うのは自らの身体と頭で考えることを放棄した人。 マスクをつけるのも、つけないのも、ワクチンを打つのも、打たないのも、一人ひとりが考え選択すれば良い話で、政府や専門家、他人がとやかく言う話ではありません。 どうして自らこうも自由を差し出す人がいるのか意味不明。 「無言の圧力ガー」「世の中の空気ガー」だって、結局、他人のせいにしているだけで、自分に跳ね返すだけの勇気と行動力がないだけでしょ。 子ども達ならまだしも、大人がそんなことを言っているのは大丈夫かと思います。 人間にとって一番大切なものは「自由」です。 その自由がなければ、それは奴隷であり、家畜と同じなのです。 人間は自由に移動し、自由に食べ、自由に寝て、自由に生きる存在。 そうやって自分たちのように、子ども達にも自由に生きていってもらいたいから、発達障害を治し、一生懸命子育てをしているのではないのですか。 発達の遅れが指摘されると、いつの間にか特別支援の土俵の上に乗せられてしまう。 なぜ、そこに疑問を持たないのか、それが嫌だと拒否しないのか。 「専門機関へ」というのは提案であり、選択肢の一つであり、ただのセールスです。 専門機関に行かなくても子育てはできますし、発達も、成長もしていきます。 走るのが遅いチーターの子をお母さんチーターは、足の速いチーターのところにいって、「うちの子を育ててください」なんてお願いしますか

【No.1275】栄養療法から入り、「ヒトはどのような過程を経て、内臓が育っていくか」までたどり着く

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栄養療法について私の見解を尋ねられることがあります。 ひと言でいえば、栄養療法は急性期に行うものではないかと思っています。 ヒトとして生きていくための土台である生命活動ですから、根本へのアプローチと捉えがちですが、私が考えるにこれも対症療法だと思います。 普通に考えて、子どもがメガ盛りする必要はないですし、そんな状態を長く続けるのは却って身体、内臓に負担をかけるでしょう。 もし子どもが精神科薬を飲み続けるとしたら、「それはちょっと」と思う親御さんは多いと思います。 じゃあ、サプリは?プロティンは? 自然界にはないほどの高濃度に濃縮した精製物質だといえますので、化学薬品である精神科薬とどのくらいの違いがあるの?というのが私の正直なところです。 ですから、急性期に栄養療法を行うのが適切であり、徐々にそこから食事の見直し、食べるとは?に発展させていくことが大事だと思います。 栄養療法では数値が重要視されます。 たんぱく質10gだったら、鶏肉も、豚肉も、牛肉も、魚も、プロティンも、みんな同じ10g。 必要量を摂取するのはわかるのですが、私は鶏肉の10gとプロティンの10gは同じには見えないのです。 栄養素の単純な足し算で良いのでしょうか。 人間に近い遺伝子で言えば、鶏肉→豚肉→牛肉の順になります。 しかし、そういった私達が日常的に食べているお肉も、牧畜が始まってからであり、日本人で言えば戦後まではほとんど食べていなかったといえます。 人間の内臓をはじめとする身体機能&形状は、だいたい一万年くらいは変化しないというので、今から一万年前の縄文時代はみんな、魚を食べ、穀物を育て、貝や木の実を拾って食べていた頃にできたものだと考えられます。 じゃあ、同じたんぱく質10gでも、肉よりも魚や貝のほうが良いのではないか。 そもそも700万年の人類の歴史から見れば、いつも食べ物があったとはいえませんし、同じものばかりをまとまっては食べていなかったはずですね。 少なからず縄文時代の日本人は、旬のものを食べ、お腹いっぱいには食べていなかったと思います。 そう考えると、西洋科学の限界である個人差、個体差、文化的な違いを「数値」という枠で切り捨ててしまうことに、私達は注意しなければなりません。 そこが栄養療法から食事、食べる行為への発展であり、私達が目の前にいる一人の子どもを育てるというこ

【No.1274】ダメ出しだけでは愉しい子育てはできない

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GWが始まる前は、「10歳未満の感染ガー」「学校や保育園での感染ガー」と騒いでいたのを覚えていますでしょうか? 最近は言わないですよね。 だって統計を見れば、20代以降の大人の感染者数のほうが多いのですから。 じゃあ、同じように「大人の感染ガー」と騒いでも良いはずなのに、メディアはそこにはほとんど触れていません。 なんで死なないし、重症化しない子ども達の感染は騒ぐのでしょうかね。 時期を振り返れば、5歳から11歳のワクチン接種開始の時期と重なります。 私はそれが陰謀だとか、政府の指示、製薬会社の指示、国際金融資本の指示だとかを言いたいわけではありません。 少なからず子ども達にワクチンを打たせようとする流れがあるとは思いますが、問題はメディアをはじめとする報道のあり方、情報提供のあり方だと思うんですね。 つまり、情報提供とは受け取る人々が考え、判断し、行動するためのものであって、1つの方向、見方しか流さないのは宣伝であり、プロパガンダでしかないと思います。 ワクチンの効果と副反応、メリットとデメリット、世代間同士の違い、海外のワクチン接種状況など、それぞれ報道することで、私達は考えることができる。 今のように2年前の武漢株用のワクチンを打つ意味、どうして使用期限がどんどん延びているのか、そういった点についても報道されませんね。 ウクライナ侵攻にしても、ウクライナだけではなく、ロシアやEU、アメリカの視点も大事あって、今後起きうる日本への影響についても報道されるべきだと思います。 毎年4月に自閉症啓発デーがありますが、どうして「あなたは自閉症かもしれない」「発達障害かもしれない」という視点での情報に偏っているのでしょうか。 本来なら「あなたは自閉症では"ない"かもしれない」という啓発も行うべきではないでしょうか。 だって長年、自閉症や発達障害に関わってきた専門家や支援者、親御さん達が関わっている啓発でしょ。 だったら、その知見と蓄積を、自分が発達障害かもしれないと悩んでいる人に対して、「こういった場合は発達障害だと考えられます」「だけれども、こういった場合は発達障害ではなく、他の原因、背景があると考えられます」という具合に伝えていくのが、それを聞いた本人、家族にとっては有益になるのでは? 悩んでいる人に「あなたは自閉症かもしれない」「そしてそんな人は

【No.1273】模倣する力を育てる

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人類にまだ「教育」という言葉がなかった頃、子ども達はどうやって学び、自立した大人へと成長していたのでしょうか。 きっと子ども達は周囲にいる大人たちがやっていることを「まねる」ことで、食糧を得ること、他人とコミュニケーションすること、踊ること、道具を作ること、協力すること、身の危険を避けることを身につけていったのだと思います。 厳密に言えば、大人から教わる前段階の準備が「まねる」ということだったのでしょう。 大人が木の実を拾っているのを見て、自分も石を拾い集める、みたいな。 その集める行為、遊びに近い模倣が今度、大人から教わるときの土台に。 発達相談においても、「息子に何かを教えようとしても、こっちを見てくれない」「そもそも同じ動きをすることができない」といったお話を伺います。 幼少期の子ども達が主に模倣することで、身の周りに関することを身に付けていっているのを見ると、親御さんは焦ってしまうのは当然で、またそこが同年齢の子ども達とのズレを生じさせる要因の一つだといえます。 「発達障害児におけるミラーニューロンの違い」などとも言われますので、特別支援の中でも模倣スキルに注目が集まっています。 そんなことは今の親御さん達からすれば、当たり前の知識だと思います。 じゃあ、その「ミラーニューロン」とやらをどう育てればいいのか、そこが弱い子ども達にはどうやって物事を教えていったらいいのか、そういった話ですよね。 ですから、私が発達相談で関わったご家庭の中で改善していった子ども達についてお話ししたいと思います。 実際、模倣スキルの改善、向上がきっかけになり、ガラッと変わる場合が多くあります。 我が子が模倣しないとなると、どうしても気持ちは「模倣させたい」というほうへ向かっていきます。 しかし、模倣しない子に、まだ模倣の準備が整っていない子に、「模倣しなさい」と言っても難しい話です。 でもだからといって、「模倣しないのも障害特性なんだ」「それが育つまで待つしかないんだ」というのも違うと思います。 まず模倣しない子には、親御さんのほうから模倣することをお勧めしています。 たとえば、ブロックをひたすら並べている子がいれば、自分も一緒にブロックを並べてみる。 もちろん、その子が並べているブロックに「触ってほしくない!」といってきたら、その子の近くで別のブロックを使って同じように並べていく

【No.1272】治すだけではなく、繋げていける発達援助

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栄養療法から入った親御さんも、必ず身体アプローチに進んでいくものです。 栄養だけでは治らないから。 栄養だけで育つのは植物。 ヒトは動物なので、そこに"動き"が必要になる。 同様に身体アプローチから入った親御さんも、必ず栄養と食事の改善に進んでいきます。 いくら運動や遊びを行っても、生き物としての土台である栄養、「生きる」ということがままならなければ、伸びやかな発達は生じない。 我が子は生きていて、その子を形成している神経も生きている。 生きているからこそ、栄養が大事で、人間だからこそ、食事が大事。 動物だからこそ、運動が大事で、人間だからこそ、遊びが大事。 食事も、遊びも、ヒトから人間として育つためには必要なことです。 「発達障害を治そう」から「我が子によりよく育ってほしい」 そういった想いの移り変わりが、栄養療法や身体アプローチの枠を飛び越えていくのだと思います。 そういった療法の枠を飛び越えていく親御さんは、世代という枠をも飛び越えていきます。 発達援助を考える際も、より良い子育てを考える際も、私は必ず三世代を見ます。 単に動物としてのヒトを育てるのなら、同じモノを食べ、同じ運動をし、同じ遊びをすれば良い。 だけれども、私達は目の前にいる子どもがその子らしく育ち、自分の人生を歩んでもらいたいと願っています。 だから、その子らしさの原点である親御さんの歩んできた道、さらにおじいちゃん、おばあちゃんが歩んできた道により良い育ちのヒントを見つけようとするのです。 「我が子に発達の遅れがあった」 「どうしたら、その遅れを取り戻すことができるのだろうか?」 「栄養療法があるらしい、やってみよう」 「少しずつだけれども、子どもの発達が進んでいく気がする」 「そうか、栄養が大事なんだ、食事って大切なんだ」 「食べるって運動なんだ。噛む、飲み込むって赤ちゃん時代の大切な発達なんだ」 「今の私の食事はどうだろうか、今までの私の食事はどうだっただろうか」 その私の食事の原風景は、幼少期に繋がり、それは自分の家族とどんなものを食べ、どんな雰囲気の中で食事をしていたかに繋がっていく。 そうやって我が子、自分、自分の親の三世代が繋がり、その子らしい育ちと、その子に合った子育てが創られていくのだと思います。 私は発達援助という仕事を通して、「ああ、三世代がようやく繋が

【No.1271】新しい世代の親御さん達

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この世界に入って20年ほど経ちますが、「また親御さん達の雰囲気が変わったな」と感じます。 2000年以前は、いかに我が子を入所施設に入れるか、その枠を確保するか。 2000年以降は、いかに有名な支援者、療育機関に通わせるか。 この時代の親御さん達は、有名な支援者を地元に招いたり、反対にその有名支援者を頼り飛行機に乗って通い、中には高額な研修や資格習得に励まれていた方も少なくありませんでした。 そして2010年代には、各地域に発達支援センターができ、児童デイ、療育園は選び放題くらいまで社会資源が拡大していきました。 当然、選択肢が増えるということは、一方で「その中から選ぶ」という選択肢を狭めるということを生み、「診断→療育→特別支援」という流れの中に無意識的に引きこまれていくといった事態を生みました。 だけれども、みんなが同じような枠の中に入ると必ず気づく人がいて、抜け出す人が出てくるものです。 みんなが同じように診断を受け、療育に通い、特別支援教育を利用する。 「7割の人が接種したら、元の生活に戻れますよ!」と同じように、専門家が言っていた流れに乗って利用し続けてきた子ども達が、大人になっても自立していないという現実が目の前に現れてきました。 そうです、2000年代、有名支援者の元に通い、専門的な療育・支援を受けてきた子ども達が成人したのです。 彼らは福祉施設に入所し、または大学を出た若者たちでさえ、障害者就労で月1万円くらいの工賃を貰い障害者年金で生活している。 結局、年端もいかない子ども達を有名支援者の元に連れて行っても、継続した支援といって〇〇療法などを続けたとしても、問題はそのままで治らないし、自立もしなかった。 専門的な支援や療育、特別支援教育が素晴らしいものなら、多くの子ども達は課題を解決し、若者たちは自立した人生を送られるはずです。 でも、支援を受けても、受けなくても、自立しない。 だったら自分たちでより良い方法を探していこう、従来の特別支援の枠にこだわることなく。 そういった親御さんの姿勢がここ5年くらいの栄養療法や身体アプローチ、原始反射統合、メディア制限、カイロプラクティックなど、様々なアプローチからお子さん達が治っていくことに繋がっているのだと感じます。 そして今まさに「変わっている」と感じるのは、アプローチという入り口からより良い子育てへと昇

【No.1270】マスクをどのように外していくか注目!

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とうとう中国と日本の一騎打ちになったマスク。 中国は抑え付けて付けさせている分、トップの意向が変われば、一気に正常化すると思います。 となると、最後まで続けるのは日本人か。 まあ、つけた人は死ぬまでつけていればいいわけで、私には関係がない話です。 マスクも、ワクチンも、つけた人がつけ、打ちたい人が打つ、それだけの話。 時々、「あんな危険なワクチンを作り、打っている製薬会社が悪いんだ」と言っている人もいますが、私は賛同できませんね。 いくら危険性があろうとも、製薬会社からすれば、完全な毒ではない限り、たくさん商品が売れる方がいいですし、それを目指して研究開発やプロモーションを行っているわけです。 日本のメディアには専門家と広告塔の二つの顔を持つ人達が出ていましたが、それだって営業戦略の一つだといえるのです。 戦後、日本に小麦を普及させるために「米を食べるとバカになる」というキャンペーンが日本人の大学教授によって行われたのも有名ですし、牛乳を飲ませるために母子手帳を導入したのも有名な話。 そうやって小麦と牛乳を売り続けたアメリカだって、1980年代から長くリタリンを売るために診断のチェックシートを配り、専門家と多額のお金を使いメディアで広告し、多くのADHDの子ども達を作った歴史があります。 ですから、勝手に善玉菌と悪玉菌などの言葉を作ってヨーグルトを売っている乳製品メーカーと同じで、ワクチンの効果を宣伝し、いかに多くの国と人々に買ってもらおうとあれこれ手を打つのは企業としては当たり前のことだと思います。 「本当は打ちたくなかったけれども、同調圧力が…」という人もいますが、その同調圧力を誘導したのも広告塔である専門家とメディアですから、まんまと手の上の乗った方が悪いともいえます。 医師が「清廉潔白で、人々の命と健康を一番に考え、身をなげうってもでも病気と闘い、私達を治してくれる人達」というのは、外にいる人間の勝手な希望です。 もちろん、中にはそういった人もいるのでしょうが、「発熱患者お断り」と書かれた町の病院、少なくなかったでしょ。 PCRとワクチン接種はやるけれども、患者は診ない。 そういう医師も少なくなくて、だけれども、それに対して失望するのも、こちら側の勝手な期待が裏切られただけ。 医師だって楽して儲けたい人もいるでしょうし、自分が危険な目にはあいたくない、という

【No.1269】対処療法があるのではなく、対処療法にしてしまう人がいる

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「マスクをしたら感染予防になる」 「ワクチンを打ったら重症化予防になる」 これらも対症療法でしかないのがわかります。 本当に感染を予防しようと考えたら、どういった経路で感染するのか、感染する条件となるウィルス量は、などを知る必要がありますし、マスク以外の感染対策についても理解する必要がありますね。 ワクチンだって新技術なのですから、今までのワクチンとはどう違うのか、そもそもワクチンってどういうものだったのか、そういったことを調べて理解する必要があると思います。 でも多くの人たちは考えるプロセスを省略し、脳の省エネのために「誰かが言ってくれないかな」「権威が言っているから」「みんながやっているから」という具合になる。 そして人間の脳は、最初に入ってきた情報を信じる癖があるため、あとから新たな情報が出てきても受け入れることができない。 さらにそもそもが対症療法に飛びつくこと自体、考える余裕がない人たちなので、新たな情報に対して「それはトンデモだ」「陰謀論だ」とレッテル貼りをすることで、これまた対症療法を行う。 権威に飛びつくのも、対症療法に飛びつくのも、レッテル貼りも、すべては考えることの放棄という根っこでつながっている。 「発達障害児には診断と療育が必要だ」というのも、思考停止そのものだと思います。 当然、我が子に生じた出来事で、親御さんの心と余裕が失われるのは仕方がなく、一時的に考えることができない状態になるのは自然なこと。 しかしその状態からいち早く抜け出せるようになるために相談員がいて、支援者がいるはずなのに、現実は煽る側に立った言動を繰り返す。 「発達障害=早期診断&早期療育」は、立派なプロパガンダ。 だって、世の中にいる多くの発達障害者は診断も、療育も、受けていないから。 世の中見渡せば、みんな、何らかの凸凹を抱えて生きている。 その凸凹だって「発達」である限り、常に変化するし、その可能性を持っている。 ヒトは死ぬまで発達するのだから、大人になってから治っている人達がいるし、治りながら自立した生活を送っている人達がいる。 だから私は、発達の凸凹、遅れ、未発達という状態が問題だとは思っていません。 敢えて指摘すれば、治っていかない環境(自分の内側にある環境と外側にある環境)に問題があるのだと思います。 発達に課題のある状態から抜け出すには、なにかを変え