2022年5月24日火曜日

【No.1277】不登校と待てない大人たち

不登校には30日ルールがあって、病気や経済的な理由ではない年間30日以上欠席した児童生徒が不登校となる。
だから、学校は30日のラインを気にしていて、何故ならそれが学校の評価であり、報告や対応
する必要が出てくるからであって、それを超えそうになると、「一度、病院に行ってみては?」なんて話が出てくる。
だって、病院に行ったら病欠で欠席数のカウントがされないから。
そしてお決まりのパターンとして、起立性調整障害or発達障害が疑われるからなんて理由づけがされる。


病院に行けば、なんらかの診断名はつき、それで投薬などの治療が開始される。
病院は患者さんゲット、学校は「病気が理由の欠席」となって不登校のカウントを減らせ、親御さんも不登校という曖昧で何も手出しができない感じから一応の原因が見つかり気持ちがラクになる。
でも、その子はそれでラクになるだろうか、課題がクリアできるのだろうか。
私のところにも、不登校をきっかけに発達障害の診断を受けた子ども達からの相談がきます。
まさに大人の都合で作られた発達障害ですね。


確かにお会いすると、発達にヌケや遅れがあったり、自閉症っぽい子どもさんもいることにはいます。
でも、実際のところは、精神科薬を飲み始めてから元気がなくなり、閉じこもりがちになったり、幼少期は発達の遅れがなく、学校に行ってから徐々にコミュニケーションがむずかしくなった、友達と遊ばなくなった、トラブルを起こすようになった、といったことばかり。
専門家はよく「学校という集団が大きくなったから」「学校では共同する活動が多くなるから」なんていって、「気づかれないまま就学した発達障害」とするように持っていきますが、このご時世、どこでもここでも何かあるとすぐに「あの子は発達障害では?」となる子どもを取り巻く環境の中で、就学までスルーということは、違うんじゃないのって思います。
また幼稚園や保育園、学校もそれまで通えていたのなら、たとえ発達障害があろうとも、そこが問題の中心ではないと思いますね。


不登校の子ども達は、「どうして学校に行かなくてはならないの?」と親御さんに言うことがあります。
で、親御さんのほうは、またそれを聞いた専門家も、「将来のために」「友達と学ぶことは大事だ」など、そのままの意味で、しかも言葉で返してしまいます。
本当に賢いお子さんで哲学的な思考を持った子なら、こういった疑問が出るでしょうが、ほとんどの場合は、尋ねているんじゃなくて、「行きたくないよ」「寂しいよ」「家、お母さんから離れたくないよ」というのをストレートに言えなくて、歪曲した表現で伝えているんですね。
学校は行かなくてはならない場所だという無言のプレッシャーと、親御さんの空気を読んでって場合が多いと思います。


根本に発達のヌケや遅れがあり、それで周囲と同じ活動ができず、さらにそれを本人が気にしていて、また周囲から叱責されて、辛くなって学校に行けなくなる、ということがあれば、「発達障害ゆえの不登校」になるかもしれません。
でも、周囲と同じ活動ができないことをモニタリングでき、また自分事として悩むっていうことは障害と言えるくらいの課題があるとはならないでしょう。
またたとえ根っこに発達障害があろうとも、周囲の友達や先生が支え合えるような状況ならそのまま学校生活が送れるわけです。
もちろん、いじめや先生による強い叱責、罰などによることが原因なら、それは発達障害とは関係ない話。
さらにいえば、そういったネガティブなことがあったとしても、良い先生や仲間、安心できる家庭があれば起き上がって進んでいけるのですから、根本はトラウマを癒せない今の生活環境ともいえるのです。


結局、不登校にしろ、体よく「発達障害」というレッテルが使われているんじゃないか、ってことを思うのです。
ろくなものを食べていなければ、元気が出なくて学校に通えなくなったり、すぐにカッとなってしまうのは当然です。
夜も遅くまで自由にネットやゲームをしていれば、朝起きられず、学校に行くことができないのは当然です。
時々、専門家の先生も「それって親の問題では、生活の問題では」って思っていても、それが言えないから「発達障害かもしれませんね」なんて診断を付けているような雰囲気を感じることもあります。
幼稚園でも、保育園でも、母子分離がうまくいっていない子は普通にいて、だましだまし行っていたけれども、それが学校生活の中で表に出た子が不登校になっているような場合が少なくないと思います。


発達というのは満たされると自然と動きたくなるものです。
母子関係が満たされるから、外の世界、別の人への興味関心が発動する。
いつまでも親の周りから離れないでいれば、親が死んだとき、子も息絶えることになる。
だからこそ、自分の身体を使って動けるくらいまでは親が育て、それ以降は親元を離れて食料を獲るようになっていくのです。
それが動物としての本来のヒトの姿であり、発達の原型です。
なので、本来、親元から離れた世界は魅力的で、本能的に求めていくのが自然な流れ。
学校という作られた環境はつまらなくても、親から目が届かない場所に行き、同世代の仲間たちと活動すること自体が興奮に繋がる。
そうでないとしたら、まだ自由自在に動けるだけの身体、運動発達が整っていないか、母子間の愛着が満たされていないか。


発達援助というか、子育てというか、動物としてのヒトを育てるというかわかりませんが、私達大人が行うことは、子ども達が満たすまで待つことであり、満たしきれる環境を用意することではないでしょうか。
運動発達でも、ある発達段階をやり切ると、自然と自ら次の発達段階へと進み始めます。
愛着形成でも、抜かした発達段階をやり切ると、自ら外の世界へと飛び出していくものです。
愛着形成のヌケをやり切ったら、突然、自分から「学校に行く」と言って登校を始めた、なんてことはよくある話です。
「自分から動きだせない」が不登校の原因なら、いくら引っ張っていっても、ご褒美でつっても、スケジュールを視覚提示しても無理。
保健室登校を勧める人もいますが、場所の問題じゃないんですね。
ただ保健室の先生が母性的な人で、子どもさんが「退行できるから行く」というケースもあります。


世の中全体が待てなくなっているように感じます。
言葉が出ない子が小学校高学年くらいから話し始めるなんて話は普通にある話です。
そこがその子の満たしきれる時期だっただけのことでしょう。
700万年の人類の中で、ハイハイを飛ばした赤ちゃんは数え切れないくらいいて、でも成長していく中で自然とそのヌケを埋めていったはずです。
つまり、抜かしたことが問題というよりも、抜かしたまま満たされないのが問題。
早く満たしてあげたいと思うのは自然な親心。
でも、その子が不幸かといったら、今の生活に不満があるかといったら、また別の話。
大人になってからも、少しずつ治っている人、治している人がいます。
彼らを見ていると、不幸には見えません。
どうも今は治すことも競争になり、待てなくなっているようにも感じます。


もう少し子ども達のペースと育つ力を信じて、満たしきって自ら次のステップへと進み始めるのを待っても良いかなと思います。
不登校の子ども達だって、人生をトータルで見ればそこに意味があり、決して不幸を感じているわけではないと思います。
不幸にしているのは、本人が満たしきるまで待つことのできない周りにいる大人たちかもしれませんね。




2022年5月19日木曜日

【No.1276】治り方は子どもの数だけあり、それぞれが自由に治っていく

「屋外ではマスクが必要ない」とか、「就学前の子ども達にマスク着用を求めない」とか、ホントにどうでもいい。
どちらも意味がないことなんて、0.00001秒くらいでわかるし、むしろ、子どもの発達に悪影響が出るなんて動物としての本能でわかりきった話。
どこの世界に、マスクをつけて子育てをする人々がいますか?
人類700万年の歴史の中で、顔が半分隠れた状態で生活したことがありますか?
というか、マスクをつける動物なんている??


もういい加減、バカにされているのに気がついた方が良くないですか。
政府だって、メディアの中の人だって、「こんな報道をしたら、国民がこんな反応する」なんてわかっているでしょうに。
むしろ、報道とは何が報道されているかではなく、何が報道されていないかが重要なんで、「やったー、政府もようやくマスクの弊害に気がついてくれた」と思うのはお花畑で、「いや、マスクの害などエビデンスがない」なんて言うのは自らの身体と頭で考えることを放棄した人。


マスクをつけるのも、つけないのも、ワクチンを打つのも、打たないのも、一人ひとりが考え選択すれば良い話で、政府や専門家、他人がとやかく言う話ではありません。
どうして自らこうも自由を差し出す人がいるのか意味不明。
「無言の圧力ガー」「世の中の空気ガー」だって、結局、他人のせいにしているだけで、自分に跳ね返すだけの勇気と行動力がないだけでしょ。
子ども達ならまだしも、大人がそんなことを言っているのは大丈夫かと思います。


人間にとって一番大切なものは「自由」です。
その自由がなければ、それは奴隷であり、家畜と同じなのです。
人間は自由に移動し、自由に食べ、自由に寝て、自由に生きる存在。
そうやって自分たちのように、子ども達にも自由に生きていってもらいたいから、発達障害を治し、一生懸命子育てをしているのではないのですか。


発達の遅れが指摘されると、いつの間にか特別支援の土俵の上に乗せられてしまう。
なぜ、そこに疑問を持たないのか、それが嫌だと拒否しないのか。
「専門機関へ」というのは提案であり、選択肢の一つであり、ただのセールスです。
専門機関に行かなくても子育てはできますし、発達も、成長もしていきます。
走るのが遅いチーターの子をお母さんチーターは、足の速いチーターのところにいって、「うちの子を育ててください」なんてお願いしますか。
その子が少しでも早く走れるように、一緒に伴走しながら、弱った獲物を目の前に見せたりしながら育てるでしょ。
獲物を獲るのが苦手なライオンの子がいたら、「じゃあ、同じように苦手な子ども達を集めて、一緒に育てよう」なんてしますか。
一生懸命、子どもに狩りの仕方を教えようとするはずです。


専門家を頼ったり、本やネット、講演会などから学ぶことは大切だと思います。
でも、それって”始まり”じゃない。
自分で「こうやったらうまくいくかも」「我が子の発達、成長に繋がるかも」、そんな風に感じた遊びや運動、環境づくりをやればいいと思います。
目の前に愛する我が子がいて、困っていることがあるのなら、本能的に「どうにかしてあげたい」と思うでしょう。
その想いのままに、自分が良いと思うことをやればいいのです。


子育てに正解なんてない。
試行錯誤しながら、より良い子育て、より良い成長の道を創造していけば良いだけ。
野生動物が目の前の子どもだけを見て子育てしているのに、いつの間にか専門家の方を、情報の方を見て子育てをしている。
専門家も、知識情報も、自分が行った子育ての意味を確認するくらいの意味でちょうど良いのです。
我が子がなんかぐにゃぐにゃしている。
きっと体軸の問題だろう。
だから、もう一度、ハイハイしてみる。
だから、一緒に木登りをしてみる。
それから専門家を訪ね、「やっぱり体軸、背骨の問題だったね」と確認する。


専門家や専門知識、情報は、本来、子どもの生活、人生を自由にするためのものです。
「できれば、支援が必要ないくらい育ってくれて、自由に自分の人生を歩んでほしい」
「たとえ支援が必要だったとしても、できるだけ一人でできることを増やしていき、より自由な人生を歩んでほしい」
それが願いであり、親心。
そうだったのに、いつの間にか専門家を頼り、依存し、神格化してしまう。
専門家や情報の奴隷には、なってはいけないのです。
それは子どもの自由のために。
親が自由になれないのに、子が自由になれますか。
知らず知らずのうちに、専門家という枠の中に子育てが規定されてしまっているのです。


「誰々さんがこういったから、これをやってみよう」
「ネットにこうやって書いてあったから、同じようにやってみよう」
これは自由な子育てじゃない。
誰一人として同じ人間はいなくて、目の前にいるのはたった一人の我が子。
もし子育てに答えというモノがあるのなら、それは目の前の子を真剣に見て知るしかありません。
野生動物が我が子に獲物の取り方を教えるように、人類が「子育て」も、「教育」も、そんな言葉がなかった時代に子ども達を導き、応援し、後押ししてきたように自由な関わり合いを。


子どものマスクやワクチンには反対しているのに、特別支援の枠の中に収まっている人がいる。
私が子どものマスクやワクチンに反対してるのは単に発達に影響を及ぼすからだけではなく、そこに自由の放棄があるから。
血中の酸素濃度や論文、エビデンスの話なんてちっぽけな話で、こういった法律でも、憲法でも決められていないものを、たとえ決まっていたとしても、誰かの指示に無条件に従い続ける、みんなが同じ格好をして同じ行動をして同じ意見だ、なんて気持ち悪いことを子ども達にはさせたくないだけ。
私達大人は、誰かの言うことをそのまま聞いて行動するような人間を育てたいのですか?
それってコントロールしやすい人間を作るってことでしょ。
障害者福祉って、ずっとそうやってコントロールしやすい人間を作ってきて、しかも今もそれが行われてきて、「そんなの絶対に嫌だ」と言って特別支援の枠を超え、治る道を探求してきたのではないですか。


治るって自由になることだと思います。
誰のためでもなく、目の前の我が子の自由のために、ときに大人たちは闘う姿勢を見せないといけないことがある。
マスクをつけることによって行動が自由になっているような感じがするけれども、実際はマスクに自由を奪われているのです。
既に「屋外でのマスク着用の要請解除」という文字に心が動かされてしまっている。
それは政府やメディア、自分ではない誰かにコントロールされている状態。
だから、たとえ「治る」という専門家、情報にだってコントロールされてはダメ。
目の前の子どものことを想い、一生懸命試行錯誤した結果が、「気がついたら治ってた」という状態になるのですから。
治り方は子どもの数だけあり、それぞれが自由に治っていくものです。
さあ、お母さん、お父さん、我が子だけの自由な子育てを!




☆『ポストコロナの発達援助論』のご紹介☆

巻頭漫画
まえがき
第1章 コロナ禍は子ども達の発達に、どういうヌケをもたらしたか?
〇五感を活用しなくなった日本人
〇専門家への丸投げの危険性
〇コロナ禍による子ども達の身体の変化
〇子どもの時間、大人の時間
〇マスク生活の影響
〇手の発達の重要性と感覚刺激とのソーシャルディスタンス
〇戸外での遊びの大切さ
〇手の発達と学ぶ力の発達
〇自粛生活と目・脳の疲労
〇表情が作れないから読みとれない
〇嗅覚の制限 危険が察知できない
〇口の課題
〇やっぱり愛着の問題
〇子ども達が大人になった世界を想像する
〇子どもが生まれてこられない時代
〇子育てという伝統

第二章 コロナ禍後の育て直し
〇発達刺激が奪われたコロナ禍
〇胎児への影響
〇食べ物に注意し内臓を整えていく
〇内臓を育てることもできる
〇三・一一の子どもたちから見る胎児期の愛着障害
〇胎児期の愛着障害を治す

第三章 ヒトとしての育て直し
〇噛む力はうつ伏せで育てよう
〇感覚系は目を閉じて育てよう
〇身体が遊び道具という時期を
〇もう一度、食事について考えてみませんか?
〇食べると食事の違い
〇自己の確立には
〇右脳と左脳の繋がりが自己を統合していく
〇動物としての学習方法
〇神経ネットワーク
〇発達刺激という視点

第四章 マスクを自ら外せる主体性を持とう
〇なぜマスクを自ら外せることが大事なのか
〇快を知る
〇恐怖を、快という感情で小さくしていく

第五章 子どもの「快」を育てる
〇「快」がわかりにくいと、生きづらい
〇快と不快の関係性
〇子どもの快を見抜くポイント
〇自然な表情

第六章 子ども達の「首」に注目しよう
〇自分という軸、つまり背骨(中枢神経)を育てる
〇首が育っていない子に共通する課題
〇なぜ、首が育たない?
〇首が育たない環境要因
〇首が育つとは
〇背骨の過敏さを緩めていく
〇首を育てるには

第七章 親御さんは腹を決め、五感を大切にしましょう
〇子育て中の親御さん達へのメッセージ
〇部屋を片付ける
〇子どもと遊ぶのが苦手だと思う親御さんへ
〇ネットを見ても発達は起きません
〇発達刺激という考え方
〇五感で子どもを見る
〇特に幼児期は一つに絞って後押ししていく

第八章 自由に生きるための発達
〇発達の主体を妨げない存在でありたい
〇大人が育てたいところと子どもが育てたいところは、ほとんど一致しない

あとがき
こういう本を読んできました
巻末漫画

出版元である花風社さんからのご購入はこちら→https://kafusha.com/products/detail/56
Amazonでも購入できます。


2022年5月16日月曜日

【No.1275】栄養療法から入り、「ヒトはどのような過程を経て、内臓が育っていくか」までたどり着く

栄養療法について私の見解を尋ねられることがあります。
ひと言でいえば、栄養療法は急性期に行うものではないかと思っています。
ヒトとして生きていくための土台である生命活動ですから、根本へのアプローチと捉えがちですが、私が考えるにこれも対症療法だと思います。


普通に考えて、子どもがメガ盛りする必要はないですし、そんな状態を長く続けるのは却って身体、内臓に負担をかけるでしょう。
もし子どもが精神科薬を飲み続けるとしたら、「それはちょっと」と思う親御さんは多いと思います。
じゃあ、サプリは?プロティンは?
自然界にはないほどの高濃度に濃縮した精製物質だといえますので、化学薬品である精神科薬とどのくらいの違いがあるの?というのが私の正直なところです。


ですから、急性期に栄養療法を行うのが適切であり、徐々にそこから食事の見直し、食べるとは?に発展させていくことが大事だと思います。
栄養療法では数値が重要視されます。
たんぱく質10gだったら、鶏肉も、豚肉も、牛肉も、魚も、プロティンも、みんな同じ10g。
必要量を摂取するのはわかるのですが、私は鶏肉の10gとプロティンの10gは同じには見えないのです。
栄養素の単純な足し算で良いのでしょうか。


人間に近い遺伝子で言えば、鶏肉→豚肉→牛肉の順になります。
しかし、そういった私達が日常的に食べているお肉も、牧畜が始まってからであり、日本人で言えば戦後まではほとんど食べていなかったといえます。
人間の内臓をはじめとする身体機能&形状は、だいたい一万年くらいは変化しないというので、今から一万年前の縄文時代はみんな、魚を食べ、穀物を育て、貝や木の実を拾って食べていた頃にできたものだと考えられます。


じゃあ、同じたんぱく質10gでも、肉よりも魚や貝のほうが良いのではないか。
そもそも700万年の人類の歴史から見れば、いつも食べ物があったとはいえませんし、同じものばかりをまとまっては食べていなかったはずですね。
少なからず縄文時代の日本人は、旬のものを食べ、お腹いっぱいには食べていなかったと思います。
そう考えると、西洋科学の限界である個人差、個体差、文化的な違いを「数値」という枠で切り捨ててしまうことに、私達は注意しなければなりません。
そこが栄養療法から食事、食べる行為への発展であり、私達が目の前にいる一人の子どもを育てるということに繋がっていくのだと思います。


目の前に栄養欠乏の子どもがいて、心身の健康、発達に影響を及ぼしているとしたら、それはサプリでも、プロティン食品でも、何でも使って助ける必要があるでしょう。
しかし、その段階を脱したら、徐々に本来の「自然な食」に変えていくことが大事です。
「発達障害だから栄養療法」はとても危険だと感じることが実際の場面で多々あります。
たとえば、腸内環境(第二の脳、神経伝達物質の生成器官)の悪化からの心身の不調、内臓への負担からエネルギー不足、丸のみの癖からの口の発達の遅れ、親子間による愛着障害やトラウマなどです。
食べる行為自体が苦痛になり、家ではまったく食べなくなった子、偏食が却って強くなった子もいます。


現代社会において、食は単純な数値では表されない部分が大いにあるといえます。
サプリやプロティンに入っている添加物、それを作っている牛の乳や大豆などはどういったプロセスで生産されているのでしょうか。
牛は何を食べてお乳を出しているのか?
どういった環境で牧畜がされているのか?
ホルモン剤や抗生物質の入った餌、遺伝子組み換え作物で育てられていないか?
それが濃縮されてお乳になり、プロティンとなって我が子が身体の中に入れる。
同じことは鶏肉、豚肉、牛肉にも言えますし、世界で最も添加物の基準がゆるゆるの日本で、しかも農薬使い放題の日本で、単純に栄養の値だけでは測れないものがあると思います。
豚肉のたんぱく質10gと一緒に望まないものを摂取してはいないでしょうか。


親世代の添加物まみれの食事、農村地における日常的な農薬散布、鉛などが配管に使われている古い浄水施設、高速道路や工場近くの住環境などが背景にある発達障害の場合には、栄養素以上に何を食べるか、どうやって排出するかのほうが重要な場合もあるのではないかと私は感じることがあります。
発達障害の子ども達に腸内環境が悪い子が多いのは、食べ物と環境の影響が大きいといえるのだと思います。


根本から言えば、栄養をうまく吸収できない内臓の発達と腸内環境の問題だと思います。
母体の栄養素不足が子どもの発達に影響を及ぼすと言われていますが、だったら戦前の粗食の時代、縄文時代のマックも、コンビニも、プロティンも、サプリもない時代は、みんな発達障害だったのでしょうか。
どうしてカロリーベースだと全然足りていない時代の人達が元気に過ごしていて、どうして食べ物が豊富で健康食品まで摂っている私達が(しかも毎年健康診断までして!)2人に1人がガンになって、高齢になると毎日、山ほどの薬を飲んでいるのでしょうか。


子どもの発達で言えば、内臓の発達と腸内環境に何らかの問題が生じやすい環境であり、それがヒトとしての発達に不具合を生じさせている。
だから栄養療法は対症療法だといえます。
じゃあ、その対症療法をいつまで続けるのか?
そこが大事で、もっと大事なのは、なぜ、栄養の吸収がうまくいかないのか、腸内環境の乱れに繋がっているのか。
ここまでたどり着くことができれば、あとは食を中心とした環境を整え、内臓の発達を後押ししていくだけ。
「ヒトはどのような過程を経て、内臓が育っていくのか?」ですね。




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第1章 コロナ禍は子ども達の発達に、どういうヌケをもたらしたか?
〇五感を活用しなくなった日本人
〇専門家への丸投げの危険性
〇コロナ禍による子ども達の身体の変化
〇子どもの時間、大人の時間
〇マスク生活の影響
〇手の発達の重要性と感覚刺激とのソーシャルディスタンス
〇戸外での遊びの大切さ
〇手の発達と学ぶ力の発達
〇自粛生活と目・脳の疲労
〇表情が作れないから読みとれない
〇嗅覚の制限 危険が察知できない
〇口の課題
〇やっぱり愛着の問題
〇子ども達が大人になった世界を想像する
〇子どもが生まれてこられない時代
〇子育てという伝統

第二章 コロナ禍後の育て直し
〇発達刺激が奪われたコロナ禍
〇胎児への影響
〇食べ物に注意し内臓を整えていく
〇内臓を育てることもできる
〇三・一一の子どもたちから見る胎児期の愛着障害
〇胎児期の愛着障害を治す

第三章 ヒトとしての育て直し
〇噛む力はうつ伏せで育てよう
〇感覚系は目を閉じて育てよう
〇身体が遊び道具という時期を
〇もう一度、食事について考えてみませんか?
〇食べると食事の違い
〇自己の確立には
〇右脳と左脳の繋がりが自己を統合していく
〇動物としての学習方法
〇神経ネットワーク
〇発達刺激という視点

第四章 マスクを自ら外せる主体性を持とう
〇なぜマスクを自ら外せることが大事なのか
〇快を知る
〇恐怖を、快という感情で小さくしていく

第五章 子どもの「快」を育てる
〇「快」がわかりにくいと、生きづらい
〇快と不快の関係性
〇子どもの快を見抜くポイント
〇自然な表情

第六章 子ども達の「首」に注目しよう
〇自分という軸、つまり背骨(中枢神経)を育てる
〇首が育っていない子に共通する課題
〇なぜ、首が育たない?
〇首が育たない環境要因
〇首が育つとは
〇背骨の過敏さを緩めていく
〇首を育てるには

第七章 親御さんは腹を決め、五感を大切にしましょう
〇子育て中の親御さん達へのメッセージ
〇部屋を片付ける
〇子どもと遊ぶのが苦手だと思う親御さんへ
〇ネットを見ても発達は起きません
〇発達刺激という考え方
〇五感で子どもを見る
〇特に幼児期は一つに絞って後押ししていく

第八章 自由に生きるための発達
〇発達の主体を妨げない存在でありたい
〇大人が育てたいところと子どもが育てたいところは、ほとんど一致しない

あとがき
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2022年5月13日金曜日

【No.1274】ダメ出しだけでは愉しい子育てはできない

GWが始まる前は、「10歳未満の感染ガー」「学校や保育園での感染ガー」と騒いでいたのを覚えていますでしょうか?
最近は言わないですよね。
だって統計を見れば、20代以降の大人の感染者数のほうが多いのですから。
じゃあ、同じように「大人の感染ガー」と騒いでも良いはずなのに、メディアはそこにはほとんど触れていません。
なんで死なないし、重症化しない子ども達の感染は騒ぐのでしょうかね。
時期を振り返れば、5歳から11歳のワクチン接種開始の時期と重なります。


私はそれが陰謀だとか、政府の指示、製薬会社の指示、国際金融資本の指示だとかを言いたいわけではありません。
少なからず子ども達にワクチンを打たせようとする流れがあるとは思いますが、問題はメディアをはじめとする報道のあり方、情報提供のあり方だと思うんですね。
つまり、情報提供とは受け取る人々が考え、判断し、行動するためのものであって、1つの方向、見方しか流さないのは宣伝であり、プロパガンダでしかないと思います。
ワクチンの効果と副反応、メリットとデメリット、世代間同士の違い、海外のワクチン接種状況など、それぞれ報道することで、私達は考えることができる。
今のように2年前の武漢株用のワクチンを打つ意味、どうして使用期限がどんどん延びているのか、そういった点についても報道されませんね。
ウクライナ侵攻にしても、ウクライナだけではなく、ロシアやEU、アメリカの視点も大事あって、今後起きうる日本への影響についても報道されるべきだと思います。


毎年4月に自閉症啓発デーがありますが、どうして「あなたは自閉症かもしれない」「発達障害かもしれない」という視点での情報に偏っているのでしょうか。
本来なら「あなたは自閉症では"ない"かもしれない」という啓発も行うべきではないでしょうか。
だって長年、自閉症や発達障害に関わってきた専門家や支援者、親御さん達が関わっている啓発でしょ。
だったら、その知見と蓄積を、自分が発達障害かもしれないと悩んでいる人に対して、「こういった場合は発達障害だと考えられます」「だけれども、こういった場合は発達障害ではなく、他の原因、背景があると考えられます」という具合に伝えていくのが、それを聞いた本人、家族にとっては有益になるのでは?


悩んでいる人に「あなたは自閉症かもしれない」「そしてそんな人はまず病院へ」「ご相談はこちら」という一方的な情報を伝えるのは、誘導だと思います。
何故なら今、悩みをもって専門病院に行くと、十中八九、自閉症やADHDなどといった診断が付くからです。
「あなたは自閉症ではありませんよ」と言える専門家、医師はどのくらいいるのでしょうか。
これは専門家への半分ディスりであり、半分は仕方がないことだと思うんです。


何故なら、これは精神医学の根本的な課題であるチェックシート方式の診断だからです。
精神医療は画像診断や血液などの数値による診断ができません。
となれば、表に現れている行動や訴えからしか判断することができないのです。
しかもその診断基準を見れば、曖昧な表現が多い。
そしてこの診断基準にはミソがあって、よく読めばわかるのですが、一つの基準にチェックが入ると、同時に別の項目にもチェックが入るようになっているんですね。
たとえば、一番分かりやすいのが「言葉」で、①「言葉に遅れ」があれば、当然、②「友人を作ることが難しく」、友人を作ることが難しければ、一人遊びをすることが多くなり、それが③「反復的な遊び」→④「固執」と評価されてしまう(ASDの診断基準参照)。
これだけで4項目にチェックが入り、あと1つくらい確認できればASDの基準を満たしてしまい、めでたく診断がつけられます。


でも、たとえ診断基準を満たさなかったとしても、「自閉傾向」などの所見が記されることがあり、「発達障害」に至っては明確な診断基準がなく、「(現時点で)発達が遅れていますね」という具合です。
まるで無症状感染みたいで、「PCRしたら陽性になった。検知したウィルスがコロナかどうか、病原性を維持しているものか、ただの死骸か知らんけど」な感じ。
ひと昔前は、それで親子で無理心中といった家族もいましたので、この辺りが精神医療の闇の部分だと思います。


話を戻せば、いま、「発達障害」だとか、「自閉症」だとか言われている、そう医師から言われた子ども達って、ちゃんと「それは発達障害ではない言動」といった部分についても、きちんと説明を受けたのでしょうか?
どう考えても、子ども達の見えている問題、課題は全体のごく一部です。
言葉に遅れがある子だって、別の運動面や遊び、情緒の面、もっといえば感覚や内面、認知、神経発達の部分で同世代と同じように問題なく育っているところもたくさんありますね。


よく親御さんが、「専門家と関わると、ダメ出しされているみたいで、憂鬱になる」と言われますが、ダメ出しするのが今の診断の形式になっているので、そういった視点で(しか)子どもを見れないのは仕方がないことなのかもしれません。
今の診断は、問題や課題がどのくらいあるか、もっといえば、どのくらい見つけられるかで決まっていきますので、中には「他の医師、専門家が見つけられなかった課題を私は見つけた」という点で専門性を示していることもあるくらいです。
ちなみにアメリカでは、「どれだけ早期に診断ができるか」という点で、病院同士、専門家同士が競っていて、「うちのクリニックでは0歳代の診断ができます」というのをセールスポイントしているところもあります。


自閉症やADHDなど、診断基準に当てはまる言動があるけれども、そうではない言動、または同年代の子どもよりも順調に育っているところもたくさんあるはずです。
だから、たとえ発達の悩みがあり、専門機関を訪ねたとしても、そこの専門家はきちんと課題と課題ではないところ、順調に育っているところを確認し、親御さんに伝えるべきだと思います。
というか、それらを伝えることがアセスメントだと思います。
問題があるところばかり伝えるのも、誘導であり、一種の洗脳、プロパガンダと言われても仕方がないでしょう。


大事なのは、親御さんが前向きに、我が子のより良い子育てを行ってもらうこと、そういった方向へと後押しすること。
ただのダメ出しでは、不安をあおるだけで専門家に依存させるだけ。
専門家に依存しても、実際、子育てするのは親御さんであり、育っていくのは子どもさん本人です。
どういった子育てをしていこうかを考え、選択し、行動するのは親御さん、家族ですから。
ダメ出しだけでは、愉しい子育てはできませんね。




☆『医者が教えてくれない発達障害の治り方』のご紹介☆

まえがき(浅見淳子)

第一章 診断されると本当にいいことあるの?
〇医者は誤ることはあるけど謝ることはない
〇早期診断→特別支援教育のオススメルートは基本片道切符
〇八歳までは障害名(仮)でよいはず
〇その遅れは八歳以降も続きますか?
〇未発達とは、何が育っていないのか?
〇就学先は五歳~六歳の発達状況で決められてしまうという現実
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのメリット
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのデメリット
〇療育や支援とつながるほど、子育ての時間は減る

第二章 親心活用のススメ
〇親子遊びはたしかに、発達に結びつく
〇変わりゆく発達凸凹のお子さんを持つ家庭の姿
〇学校は頼りにならないと知っておこう
〇安定した土台は生活の中でしか作れない
〇支援者が行うアセスメントには、実はあまり意味がない
〇親が求めているのは「よりよくなるための手がかり」のはず
〇人間は主観の中で生きていく
〇専門家との関係性より親子の関係性の方が大事
〇支援者の粗探しから子どもを守ろう
〇圧倒的な情報量を持っているのは支援者ではなく親

第三章 親心活用アセスメントこそ効果的
〇子育ての世界へ戻ろう
〇その子のペースで遊ぶことの大切さ
〇「発達のヌケ」を見抜けるのは誰か?
〇いわゆる代替療法に手を出してはいけないのか
〇家庭でのアセスメントの利点
1.発達段階が正確にわかる
2.親の観察眼を養える
3.本人のニーズがわかる
4.利点まとめ
〇家庭で子どもの何をみればいいのか
1.発達段階
2.キャラクター
3.流れ
4.親子のニーズの不一致に気を付けよう

第四章 「我が子の強み」をどう発見し、活かすか
〇支援と発達援助、どちらを望んでいますか?
〇子ども自身が自分を育てる方法を知っている
〇親に余裕がないと「トレーニング」になってしまう
〇それぞれの家庭らしさをどう見つけるか
〇親から受け継いだものを大切に、自分に自信を持とう

あとがき(大久保悠)


『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』をどうぞよろしくお願い致します(花風社さんのHPからご購入いただけます)。全国の書店でも購入できます!ご購入して頂いた皆さまのおかげで二刷になりましたm(__)m


2022年5月12日木曜日

【No.1273】模倣する力を育てる

人類にまだ「教育」という言葉がなかった頃、子ども達はどうやって学び、自立した大人へと成長していたのでしょうか。
きっと子ども達は周囲にいる大人たちがやっていることを「まねる」ことで、食糧を得ること、他人とコミュニケーションすること、踊ること、道具を作ること、協力すること、身の危険を避けることを身につけていったのだと思います。
厳密に言えば、大人から教わる前段階の準備が「まねる」ということだったのでしょう。
大人が木の実を拾っているのを見て、自分も石を拾い集める、みたいな。
その集める行為、遊びに近い模倣が今度、大人から教わるときの土台に。


発達相談においても、「息子に何かを教えようとしても、こっちを見てくれない」「そもそも同じ動きをすることができない」といったお話を伺います。
幼少期の子ども達が主に模倣することで、身の周りに関することを身に付けていっているのを見ると、親御さんは焦ってしまうのは当然で、またそこが同年齢の子ども達とのズレを生じさせる要因の一つだといえます。
「発達障害児におけるミラーニューロンの違い」などとも言われますので、特別支援の中でも模倣スキルに注目が集まっています。


そんなことは今の親御さん達からすれば、当たり前の知識だと思います。
じゃあ、その「ミラーニューロン」とやらをどう育てればいいのか、そこが弱い子ども達にはどうやって物事を教えていったらいいのか、そういった話ですよね。
ですから、私が発達相談で関わったご家庭の中で改善していった子ども達についてお話ししたいと思います。
実際、模倣スキルの改善、向上がきっかけになり、ガラッと変わる場合が多くあります。


我が子が模倣しないとなると、どうしても気持ちは「模倣させたい」というほうへ向かっていきます。
しかし、模倣しない子に、まだ模倣の準備が整っていない子に、「模倣しなさい」と言っても難しい話です。
でもだからといって、「模倣しないのも障害特性なんだ」「それが育つまで待つしかないんだ」というのも違うと思います。


まず模倣しない子には、親御さんのほうから模倣することをお勧めしています。
たとえば、ブロックをひたすら並べている子がいれば、自分も一緒にブロックを並べてみる。
もちろん、その子が並べているブロックに「触ってほしくない!」といってきたら、その子の近くで別のブロックを使って同じように並べていく。
子どもさんがチラッとでも見たらOKです。
理想で言えば、同じブロックを使って、子どもさんと親御さんが順番交代で並べていけると、より「一緒のことをしている」という感じが出て良いです。


しかし、このモノや活動を通した模倣に、子どもさんの興味関心、注目が向かない場合は、身体活動を通した模倣が良いといえます。
子どもさんがジャンプしたら、親御さんもジャンプする。
子どもさんがグルグル回ったら、親御さんも回る(もちろん、目が回るので無理がない程度にw)。
可能なら、一緒に手をつないでジャンプなんかすれば、より一体感が出て同じことをしている感が強く感じられます。
子どもが笑ったら、目の前で一緒に笑うのも良いですね。
できれば、そのとき、子どもさんと同じようなトーン、波長で笑い声を出すのも良いです。


つまり、模倣の前段階、準備には、一体感が必要だと思うんです。
模倣ができない子の脳を見ると、まるでテレビ画面を観ているかのように対象を見ているんですね。
自分と目の前にいるお母さんが切り離されているような。
ですから、まずはお母さんとの一体感を感じることが、それは感覚面(匂いや体温、質感など)でも、身体面(おんぶやスキンシップなど)でも、大事だといえます。


もともとへその緒でつながっていて、胎児期は母子が一体だったわけです。
そこから生まれ出て、肌と肌の触れ合い、授乳、抱っこ、おんぶなどを経過していく中で、徐々に母子の分離が始まっていきます。
そのもともとは一緒だった存在が行う行動に対し、自然と興味や意識が向き、「同じようにやってみたい」という気持ちと繋がるのだと思います。
だけれども、発達障害の子ども達は、とくに感覚面での遅れや違いがあるため、うまく母子一体感を感じられずに、「さあ、一人で生きていきなさい」となってしまう。
模倣が苦手な子ども達は、身近な親御さんに対してテレビの登場人物の一人のごとく見入ってしまいます。
本来、見入ってしまう対象ではなく、「マネしたい!」「同じことをやってみたい!」という対象であり、それが学びの土台であり、他人から教わるための準備になります。


当然、母子一体感を感じるためには、感覚面の課題を育てる必要があります。
感覚過敏などの未発達を育てると、共感する力や模倣する力までもが引っ張られるようにして育っていくのは、こういった背景、繋がりがあるかもしれないと私は考えています。
別の言い方をすれば、感覚面の課題が育たないと、本当の意味での共感や模倣の力は育っていかないんだと思います。
目の前にいる人に共感するためには、まず自分の感覚を通して想像する必要があり、「自分の感覚がよく分からない」「刺激に圧倒されて感覚自体が苦痛だ」という子は相手のことを思えないですよね。
同じように運動発達のヌケがあれば、同じ動きをしようと思っても、自分の身体が同じように動かない。
ゆえに、自分と目の前にいる人はまったく別の存在だとなり、模倣の力が育っていかない。


ヒトの最初の模倣は、お母さんと顔を合わせた瞬間。
目と目が交わり合い、ニコッとお互いが笑顔になる。
相談者の中には、模倣だけガクッと落ちている子がいて、話を伺えば、授乳中、スマホの画面ばかり見ていたというお話もあります。
あと忙しくて、保育園に早く入園させないといけないからと、授乳を早々と切り上げ、母子一体感を味わい切る前に離されていった場合もあります。
そういったご家庭には、もう一度、目と目を合わせること、子どもを包み込むように抱きしめること、おんぶやだっこをすることなどをお勧めしています。
もともと脳に問題があった子どもではない場合、こういったやり直しで発達のヌケが埋まっていくことも多々あります。
この前も、おんぶのやり直しを行ったお母さんから「言葉が出ました」「私を意識してくれるようになりました」と連絡をいただいたばっかりです。
言葉も道具ですから、やはり模倣する力が必要ですね。
感覚&運動発達↔母子一体感↔共感↔模倣↔学習(生活スキル&言葉、社会性)の繋がりを意識されると、目の前にいる子の課題の根っこが見えてくるかもしれません。




☆『医者が教えてくれない発達障害の治り方』のご紹介☆

まえがき(浅見淳子)

第一章 診断されると本当にいいことあるの?
〇医者は誤ることはあるけど謝ることはない
〇早期診断→特別支援教育のオススメルートは基本片道切符
〇八歳までは障害名(仮)でよいはず
〇その遅れは八歳以降も続きますか?
〇未発達とは、何が育っていないのか?
〇就学先は五歳~六歳の発達状況で決められてしまうという現実
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのメリット
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのデメリット
〇療育や支援とつながるほど、子育ての時間は減る

第二章 親心活用のススメ
〇親子遊びはたしかに、発達に結びつく
〇変わりゆく発達凸凹のお子さんを持つ家庭の姿
〇学校は頼りにならないと知っておこう
〇安定した土台は生活の中でしか作れない
〇支援者が行うアセスメントには、実はあまり意味がない
〇親が求めているのは「よりよくなるための手がかり」のはず
〇人間は主観の中で生きていく
〇専門家との関係性より親子の関係性の方が大事
〇支援者の粗探しから子どもを守ろう
〇圧倒的な情報量を持っているのは支援者ではなく親

第三章 親心活用アセスメントこそ効果的
〇子育ての世界へ戻ろう
〇その子のペースで遊ぶことの大切さ
〇「発達のヌケ」を見抜けるのは誰か?
〇いわゆる代替療法に手を出してはいけないのか
〇家庭でのアセスメントの利点
1.発達段階が正確にわかる
2.親の観察眼を養える
3.本人のニーズがわかる
4.利点まとめ
〇家庭で子どもの何をみればいいのか
1.発達段階
2.キャラクター
3.流れ
4.親子のニーズの不一致に気を付けよう

第四章 「我が子の強み」をどう発見し、活かすか
〇支援と発達援助、どちらを望んでいますか?
〇子ども自身が自分を育てる方法を知っている
〇親に余裕がないと「トレーニング」になってしまう
〇それぞれの家庭らしさをどう見つけるか
〇親から受け継いだものを大切に、自分に自信を持とう

あとがき(大久保悠)


『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』をどうぞよろしくお願い致します(花風社さんのHPからご購入いただけます)。全国の書店でも購入できます!ご購入して頂いた皆さまのおかげで二刷になりましたm(__)m


2022年5月11日水曜日

【No.1272】治すだけではなく、繋げていける発達援助

栄養療法から入った親御さんも、必ず身体アプローチに進んでいくものです。
栄養だけでは治らないから。
栄養だけで育つのは植物。
ヒトは動物なので、そこに"動き"が必要になる。
同様に身体アプローチから入った親御さんも、必ず栄養と食事の改善に進んでいきます。
いくら運動や遊びを行っても、生き物としての土台である栄養、「生きる」ということがままならなければ、伸びやかな発達は生じない。
我が子は生きていて、その子を形成している神経も生きている。


生きているからこそ、栄養が大事で、人間だからこそ、食事が大事。
動物だからこそ、運動が大事で、人間だからこそ、遊びが大事。
食事も、遊びも、ヒトから人間として育つためには必要なことです。
「発達障害を治そう」から「我が子によりよく育ってほしい」
そういった想いの移り変わりが、栄養療法や身体アプローチの枠を飛び越えていくのだと思います。


そういった療法の枠を飛び越えていく親御さんは、世代という枠をも飛び越えていきます。
発達援助を考える際も、より良い子育てを考える際も、私は必ず三世代を見ます。
単に動物としてのヒトを育てるのなら、同じモノを食べ、同じ運動をし、同じ遊びをすれば良い。
だけれども、私達は目の前にいる子どもがその子らしく育ち、自分の人生を歩んでもらいたいと願っています。
だから、その子らしさの原点である親御さんの歩んできた道、さらにおじいちゃん、おばあちゃんが歩んできた道により良い育ちのヒントを見つけようとするのです。


「我が子に発達の遅れがあった」
「どうしたら、その遅れを取り戻すことができるのだろうか?」
「栄養療法があるらしい、やってみよう」
「少しずつだけれども、子どもの発達が進んでいく気がする」
「そうか、栄養が大事なんだ、食事って大切なんだ」
「食べるって運動なんだ。噛む、飲み込むって赤ちゃん時代の大切な発達なんだ」
「今の私の食事はどうだろうか、今までの私の食事はどうだっただろうか」
その私の食事の原風景は、幼少期に繋がり、それは自分の家族とどんなものを食べ、どんな雰囲気の中で食事をしていたかに繋がっていく。
そうやって我が子、自分、自分の親の三世代が繋がり、その子らしい育ちと、その子に合った子育てが創られていくのだと思います。


私は発達援助という仕事を通して、「ああ、三世代がようやく繋がったな」と思える瞬間に出会えることがあります。
我が子の子育ての悩みで相談していたのに、いつしか自分が大切に育てられてきた、という想いを感じ、涙を流される親御さんもいらっしゃいます。
反対に、本当はもっと親から愛されたかった、受け止めて欲しかった、無償の愛、「あなたがいるだけで私は幸せだ」というメッセージが欲しかったんだと気づかれ、また涙を流される親御さんもいらっしゃいます。
人間は自分が愛されてきたことを実感することで、我が子を心から愛することができる。
同時に人間は強い生き物なので、自分の内側にある満たされなかった想いに気がつくことで、我が子を全力で愛することができる。


食事、運動、遊び、そして愛情。
これらが揃って初めて、その子らしく伸びやかに育っていけるのだと私は考えています。
やはりヒトは社会性の生き物であり、人と人とが関わること、協力すること、共感すること、ぶつかり合うこと、そういったことが必要な生き物なんだと思うのです。
ただ食べて、運動して、遊んでいるだけではダメで、そこには自分が愛されているという実感が必要。
ですから、愛着形成に課題を持つ子ども達が「発達障害」という診断を受けるケースが後を絶ちません。
彼らは社会性や運動発達に問題があるのではなく、安心感が得られていないために、他人や身の周りに意識が向かず、結果的に関わりと運動の機会の乏しさが育っていかない状態を生み、それを専門家が「発達の遅れ」と言っているにすぎません。


私達親の世代は、当たり前のように核家族化した子ども時代を過ごしてきました。
ですから、私たち自身、親との繋がり、祖父母との繋がりが軽薄です。
さらに地域社会との関わりも乏しいため、いつも孤独を感じながら子育てをしている。
だからこそ、きっかけは我が子の発達の遅れという喜ばしいことではないんだけれども、子育てを通して、また自分が親になっていく過程を通して、自分の親や祖父母との繋がりを感じ、ヒトが700万年続けてきたみんなで子どもを育てる共同保育の雰囲気を感じてもらいたいと思っています。
そうすれば、もっと子育ては楽しくなるし、子どもは伸びやかに育っていくし、今の誤診だらけの発達障害も減っていくと思います。


大人を中心にみれば、自分の親と子ども達をつなぐ存在。
そして子どもを中心にみれば、大人である私たちと未来の子ども達、次の次の世代とをつないでくれる存在。
今の大人たちが頑張ることが、子ども達の幸せと健やかな成長を目指すことが、未来の子ども達をも幸せにすることになるのではないでしょうか。
発達援助とは単に発達障害を治すだけではなく、家族の幸せ、三代にまたがっていく喜びを感じられるような仕事まで高めていけるよう私は頑張っていきたいです。
そして、こういった想い、考えに共感してもらえる人達と繋がっていければ、私の人生も幸せで心豊かなものになっていくと思っています。




☆『医者が教えてくれない発達障害の治り方』のご紹介☆

まえがき(浅見淳子)

第一章 診断されると本当にいいことあるの?
〇医者は誤ることはあるけど謝ることはない
〇早期診断→特別支援教育のオススメルートは基本片道切符
〇八歳までは障害名(仮)でよいはず
〇その遅れは八歳以降も続きますか?
〇未発達とは、何が育っていないのか?
〇就学先は五歳~六歳の発達状況で決められてしまうという現実
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのメリット
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのデメリット
〇療育や支援とつながるほど、子育ての時間は減る

第二章 親心活用のススメ
〇親子遊びはたしかに、発達に結びつく
〇変わりゆく発達凸凹のお子さんを持つ家庭の姿
〇学校は頼りにならないと知っておこう
〇安定した土台は生活の中でしか作れない
〇支援者が行うアセスメントには、実はあまり意味がない
〇親が求めているのは「よりよくなるための手がかり」のはず
〇人間は主観の中で生きていく
〇専門家との関係性より親子の関係性の方が大事
〇支援者の粗探しから子どもを守ろう
〇圧倒的な情報量を持っているのは支援者ではなく親

第三章 親心活用アセスメントこそ効果的
〇子育ての世界へ戻ろう
〇その子のペースで遊ぶことの大切さ
〇「発達のヌケ」を見抜けるのは誰か?
〇いわゆる代替療法に手を出してはいけないのか
〇家庭でのアセスメントの利点
1.発達段階が正確にわかる
2.親の観察眼を養える
3.本人のニーズがわかる
4.利点まとめ
〇家庭で子どもの何をみればいいのか
1.発達段階
2.キャラクター
3.流れ
4.親子のニーズの不一致に気を付けよう

第四章 「我が子の強み」をどう発見し、活かすか
〇支援と発達援助、どちらを望んでいますか?
〇子ども自身が自分を育てる方法を知っている
〇親に余裕がないと「トレーニング」になってしまう
〇それぞれの家庭らしさをどう見つけるか
〇親から受け継いだものを大切に、自分に自信を持とう

あとがき(大久保悠)


『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』をどうぞよろしくお願い致します(花風社さんのHPからご購入いただけます)。全国の書店でも購入できます!ご購入して頂いた皆さまのおかげで二刷になりましたm(__)m


2022年5月10日火曜日

【No.1271】新しい世代の親御さん達

この世界に入って20年ほど経ちますが、「また親御さん達の雰囲気が変わったな」と感じます。
2000年以前は、いかに我が子を入所施設に入れるか、その枠を確保するか。
2000年以降は、いかに有名な支援者、療育機関に通わせるか。
この時代の親御さん達は、有名な支援者を地元に招いたり、反対にその有名支援者を頼り飛行機に乗って通い、中には高額な研修や資格習得に励まれていた方も少なくありませんでした。


そして2010年代には、各地域に発達支援センターができ、児童デイ、療育園は選び放題くらいまで社会資源が拡大していきました。
当然、選択肢が増えるということは、一方で「その中から選ぶ」という選択肢を狭めるということを生み、「診断→療育→特別支援」という流れの中に無意識的に引きこまれていくといった事態を生みました。
だけれども、みんなが同じような枠の中に入ると必ず気づく人がいて、抜け出す人が出てくるものです。


みんなが同じように診断を受け、療育に通い、特別支援教育を利用する。
「7割の人が接種したら、元の生活に戻れますよ!」と同じように、専門家が言っていた流れに乗って利用し続けてきた子ども達が、大人になっても自立していないという現実が目の前に現れてきました。
そうです、2000年代、有名支援者の元に通い、専門的な療育・支援を受けてきた子ども達が成人したのです。
彼らは福祉施設に入所し、または大学を出た若者たちでさえ、障害者就労で月1万円くらいの工賃を貰い障害者年金で生活している。
結局、年端もいかない子ども達を有名支援者の元に連れて行っても、継続した支援といって〇〇療法などを続けたとしても、問題はそのままで治らないし、自立もしなかった。


専門的な支援や療育、特別支援教育が素晴らしいものなら、多くの子ども達は課題を解決し、若者たちは自立した人生を送られるはずです。
でも、支援を受けても、受けなくても、自立しない。
だったら自分たちでより良い方法を探していこう、従来の特別支援の枠にこだわることなく。
そういった親御さんの姿勢がここ5年くらいの栄養療法や身体アプローチ、原始反射統合、メディア制限、カイロプラクティックなど、様々なアプローチからお子さん達が治っていくことに繋がっているのだと感じます。


そして今まさに「変わっている」と感じるのは、アプローチという入り口からより良い子育てへと昇華させている親御さん達の姿です。
行政から提示される選択肢を選んでいる時代よりも、今の親御さん達はより多くの情報の中から選択しなければなりません。
ですから、いろんなアプローチがあったとしても、どれから始めればいいか、また我が子には何が合っているか、わからない状態だといえます。
しかし、とりあえずよさそうだから栄養面からアプローチしてみる、まずはテレビ視聴を止めてみる。
そんな感じで取り組み始め、我が子に良い変化が見られたら、そこから栄養の大切さ、食事の大切さ、食べるといった運動がどのように発達していくのか、とより深く、より多方面へと広がっていく。
私が一貫して目指してきた「専門家の手から親御さんの手へ取り戻す」「発達障害をもう一度、子育ての領域へ」が現実のものになってきた感じがしています。


本来、子どもの成長に関われることは幸せなことです。
自分の子ではなかったとしても、子ども達、若者たちが元気よく、笑顔で過ごしている姿を見るのは喜びです。
それが我が子だとしたら、その喜びはなおのことでしょう。
それなのに私が学生時代、施設職員時代、見てきた親御さん達は子どもの成長を、子育てを楽しめていなかった。
そればかりか苦痛の毎日といったことを言葉と態度で示す人も少なくありませんでした。
親子の無理心中もよく見聞きしたものです。


しかし、今の親御さん達は大変さを感じながらも、同時に希望と子育ての楽しみを感じられているように思えます。
ひと昔前までは、我が子を治したいなんて言ったら非国民化のごとく、専門家、支援者、他の親御さん達から非難されたものです。
親としての当たり前の願いを封印し、ひたすら専門家、支援者の言うようにしてきた時代。
でも今の親御さん達は堂々と「治ってほしい」と言い、また特別支援の枠以外のアイディアを取り入れ、より良い子育てを目指している。


栄養療法は食を通して子育てを見直し、また家族の健康まで発展させていく。
身体アプローチは運動や遊びを通して、ヒトがどのように発達していくのか、そしてヒトが人間として自立するためにどのような神経発達が必要なのかを学んでいく。
原始反射の統合も、胎児期を振り返り、またヒトの進化の過程と愛着形成の重要さに気づかせてくれる。
それは我が子の子育てを通して、自分の親の世代、祖父母の世代と繋がっていくことを感じられます。
そうやって発達障害児を育てているのではなく、大切な我が子を育てているという実感を持てることが子育ての喜び、家族の幸せを感じることと繋がっているのだと思います。
子育てを通して家族みんなが幸せを感じられるような、ひいてはその家族の周りにいる人達が、地域が、社会が子ども達の笑顔を中心に幸せを感じられるような未来を創っていきたいと思っています!




2022年5月9日月曜日

【No.1270】マスクをどのように外していくか注目!

とうとう中国と日本の一騎打ちになったマスク。
中国は抑え付けて付けさせている分、トップの意向が変われば、一気に正常化すると思います。
となると、最後まで続けるのは日本人か。
まあ、つけた人は死ぬまでつけていればいいわけで、私には関係がない話です。
マスクも、ワクチンも、つけた人がつけ、打ちたい人が打つ、それだけの話。


時々、「あんな危険なワクチンを作り、打っている製薬会社が悪いんだ」と言っている人もいますが、私は賛同できませんね。
いくら危険性があろうとも、製薬会社からすれば、完全な毒ではない限り、たくさん商品が売れる方がいいですし、それを目指して研究開発やプロモーションを行っているわけです。
日本のメディアには専門家と広告塔の二つの顔を持つ人達が出ていましたが、それだって営業戦略の一つだといえるのです。
戦後、日本に小麦を普及させるために「米を食べるとバカになる」というキャンペーンが日本人の大学教授によって行われたのも有名ですし、牛乳を飲ませるために母子手帳を導入したのも有名な話。
そうやって小麦と牛乳を売り続けたアメリカだって、1980年代から長くリタリンを売るために診断のチェックシートを配り、専門家と多額のお金を使いメディアで広告し、多くのADHDの子ども達を作った歴史があります。


ですから、勝手に善玉菌と悪玉菌などの言葉を作ってヨーグルトを売っている乳製品メーカーと同じで、ワクチンの効果を宣伝し、いかに多くの国と人々に買ってもらおうとあれこれ手を打つのは企業としては当たり前のことだと思います。
「本当は打ちたくなかったけれども、同調圧力が…」という人もいますが、その同調圧力を誘導したのも広告塔である専門家とメディアですから、まんまと手の上の乗った方が悪いともいえます。


医師が「清廉潔白で、人々の命と健康を一番に考え、身をなげうってもでも病気と闘い、私達を治してくれる人達」というのは、外にいる人間の勝手な希望です。
もちろん、中にはそういった人もいるのでしょうが、「発熱患者お断り」と書かれた町の病院、少なくなかったでしょ。
PCRとワクチン接種はやるけれども、患者は診ない。
そういう医師も少なくなくて、だけれども、それに対して失望するのも、こちら側の勝手な期待が裏切られただけ。
医師だって楽して儲けたい人もいるでしょうし、自分が危険な目にはあいたくない、という人もいるでしょう。
なんとなく代々医師の家系だから、なんとなくお勉強ができたから医学部へ、という人だっているはずです。


医療だって市場の原理が働きますし、開業医なら経営を考える必要があります。
いくら志が高くても、患者がこなければ経営はできません。
逆にいくら志がなくても、患者が押し寄せてくれば経営が成り立つ。
それは街の飲食店と同じで、医師にだけ「儲けを度外視して、患者を助けろ!」というのは違うと思います。


つまり何が言いたいかと申しますと、発達障害だって増えた方がいいという考えの医師や専門家、支援者がいてもおかしくはないということです。
そもそもが何か悩みをもって来院する人達ですから、そこに診断や薬を与える行為はある意味、正しい行為だと思います。
あとから情報を得て「必要なかった」と怒っても、そのとき、歩いて行ったのは本人です。
長く利用してもらいたければ、「生涯の支援」とか、「二次障害が」とかいって固定客にしようとするでしょうし、青いお祭りなんか新しい顧客獲得のためのイベント活動です。
メディアに出る専門家だって、発達障害を減らそうというよりも、増やそう、気づいていない人にも気づいてもらおう、と思って出演しているはずですし、そういった意図をもって仕事として行っている人もいるはずです。
そういった人や行為を勝手に営利目的と切り離し、「障害を持っている人達に関わる人達は善人に違いない」という色眼鏡で見ている自分がいる、といった感じ。


医療も、専門家も、支援者も、みんな発達障害の人がいるから、成り立っている商売です。
しかも、治ったらお金が貰える仕組みではなく、利用したら利用した分、お金が貰える仕組み。
だから何度でも通ってもらいたいし、長く利用してもらいたい。
それに対して利用する者は、ここで何を得たいのか、どうなったら利用を止めるのか、考えるのが当然だといえます。
マスク同様、義務ではない限り、つまり自分の意思で行動している限り、他の誰かが「外していいですよ」なんてはいってくれない。
同じように、発達障害の専門家だって、利用している者の中に卒業しようという意思を感じない限り、「もう来なくていいですよ」とはならないですね。
「病院、療育機関に通っても治らないんです」という人もいますが、「卒業を意識して通っていないから治らないんです」ともいえます。


人間は自分で判断がつかないことに対して、多数派に流れるという傾向があります。
ワクチンも、マスクも、アクリル板も、消毒液も、自分では判断できないから「みんながやっているから私も続けます」という状態なんだと思います。
発達障害だって、90%くらいは誤診で、そもそもが診断も、療育も必要ない子ども達なのに、少しでも気になることがあれば「診断→療育→特別支援教育」という多数派の流れに乗ってしまいます。


保健師も、保育士も、学校の先生も、自分で判断がつかないから親御さんに専門機関への受診を勧める。
それが現在の多数派だから。
そして親御さんも、周りを見て診断という多数派に流れていく。
この問題の根っこは「判断がつかない」という点だといえます。
なぜ、判断がつかないといえば、人間の発達だから。
機械のように何かをしたらどうなったなどはありません。
さらに定型発達などというものもありますが、子ども一人ひとりでその辿り方は異なります。
子育て自体が不確実なものだからこそ、多数派に流れやすい傾向が出てしまいます。
「わからないから、みんなに合わせる」は、自然災害の多い日本人のDNAに刻まれた生存戦略なのかもしれません。


マスクを外せない国は、発達障害を治せない国なのかもしれない。
あんなペラッペラの布すら外せない人達が、子育てという不確実で、しかも長い年月をかけて変化していく行為に対して、覚悟を決めて家族の力だけで進んでいけるのだろうか、とも思います。
でも、そんな中でも家族で試行錯誤しながら治っていた人達がいるわけで、確実にそういった姿は「我が子にも治ってほしい」「治したい」という他の誰かの判断の後押しになっています。


オセロのように一気に裏返しにはならないと思いますが、確実に「治る」という輪は広がっていると感じます。
今は1対99の「治る」と「治らない」だと思いますが、今、治っている人が、治そうとしている人がもう一人の希望になれば、1が2になっていきます。
そして10年、20年と続けていくうちに、2が4になり、4が8になり…未来の親御さん達が判断できるための希望の情報になる。
これから夏に向けて世の中のマスク着用がどのように変化していくか。
そこには日本人らしい過程があると思っていますし、それが発達障害が治るもんだという流れに変えるためのヒントがあると考えています。
どのように日本人がマスクを外していくか、またはどれだけの人が、どういった人が外さずにいるか、注目です。




☆『ポストコロナの発達援助論』のご紹介☆

巻頭漫画
まえがき
第1章 コロナ禍は子ども達の発達に、どういうヌケをもたらしたか?
〇五感を活用しなくなった日本人
〇専門家への丸投げの危険性
〇コロナ禍による子ども達の身体の変化
〇子どもの時間、大人の時間
〇マスク生活の影響
〇手の発達の重要性と感覚刺激とのソーシャルディスタンス
〇戸外での遊びの大切さ
〇手の発達と学ぶ力の発達
〇自粛生活と目・脳の疲労
〇表情が作れないから読みとれない
〇嗅覚の制限 危険が察知できない
〇口の課題
〇やっぱり愛着の問題
〇子ども達が大人になった世界を想像する
〇子どもが生まれてこられない時代
〇子育てという伝統

第二章 コロナ禍後の育て直し
〇発達刺激が奪われたコロナ禍
〇胎児への影響
〇食べ物に注意し内臓を整えていく
〇内臓を育てることもできる
〇三・一一の子どもたちから見る胎児期の愛着障害
〇胎児期の愛着障害を治す

第三章 ヒトとしての育て直し
〇噛む力はうつ伏せで育てよう
〇感覚系は目を閉じて育てよう
〇身体が遊び道具という時期を
〇もう一度、食事について考えてみませんか?
〇食べると食事の違い
〇自己の確立には
〇右脳と左脳の繋がりが自己を統合していく
〇動物としての学習方法
〇神経ネットワーク
〇発達刺激という視点

第四章 マスクを自ら外せる主体性を持とう
〇なぜマスクを自ら外せることが大事なのか
〇快を知る
〇恐怖を、快という感情で小さくしていく

第五章 子どもの「快」を育てる
〇「快」がわかりにくいと、生きづらい
〇快と不快の関係性
〇子どもの快を見抜くポイント
〇自然な表情

第六章 子ども達の「首」に注目しよう
〇自分という軸、つまり背骨(中枢神経)を育てる
〇首が育っていない子に共通する課題
〇なぜ、首が育たない?
〇首が育たない環境要因
〇首が育つとは
〇背骨の過敏さを緩めていく
〇首を育てるには

第七章 親御さんは腹を決め、五感を大切にしましょう
〇子育て中の親御さん達へのメッセージ
〇部屋を片付ける
〇子どもと遊ぶのが苦手だと思う親御さんへ
〇ネットを見ても発達は起きません
〇発達刺激という考え方
〇五感で子どもを見る
〇特に幼児期は一つに絞って後押ししていく

第八章 自由に生きるための発達
〇発達の主体を妨げない存在でありたい
〇大人が育てたいところと子どもが育てたいところは、ほとんど一致しない

あとがき
こういう本を読んできました
巻末漫画

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2022年5月6日金曜日

【No.1269】対処療法があるのではなく、対処療法にしてしまう人がいる

「マスクをしたら感染予防になる」
「ワクチンを打ったら重症化予防になる」
これらも対症療法でしかないのがわかります。
本当に感染を予防しようと考えたら、どういった経路で感染するのか、感染する条件となるウィルス量は、などを知る必要がありますし、マスク以外の感染対策についても理解する必要がありますね。
ワクチンだって新技術なのですから、今までのワクチンとはどう違うのか、そもそもワクチンってどういうものだったのか、そういったことを調べて理解する必要があると思います。


でも多くの人たちは考えるプロセスを省略し、脳の省エネのために「誰かが言ってくれないかな」「権威が言っているから」「みんながやっているから」という具合になる。
そして人間の脳は、最初に入ってきた情報を信じる癖があるため、あとから新たな情報が出てきても受け入れることができない。
さらにそもそもが対症療法に飛びつくこと自体、考える余裕がない人たちなので、新たな情報に対して「それはトンデモだ」「陰謀論だ」とレッテル貼りをすることで、これまた対症療法を行う。
権威に飛びつくのも、対症療法に飛びつくのも、レッテル貼りも、すべては考えることの放棄という根っこでつながっている。


「発達障害児には診断と療育が必要だ」というのも、思考停止そのものだと思います。
当然、我が子に生じた出来事で、親御さんの心と余裕が失われるのは仕方がなく、一時的に考えることができない状態になるのは自然なこと。
しかしその状態からいち早く抜け出せるようになるために相談員がいて、支援者がいるはずなのに、現実は煽る側に立った言動を繰り返す。
「発達障害=早期診断&早期療育」は、立派なプロパガンダ。
だって、世の中にいる多くの発達障害者は診断も、療育も、受けていないから。


世の中見渡せば、みんな、何らかの凸凹を抱えて生きている。
その凸凹だって「発達」である限り、常に変化するし、その可能性を持っている。
ヒトは死ぬまで発達するのだから、大人になってから治っている人達がいるし、治りながら自立した生活を送っている人達がいる。
だから私は、発達の凸凹、遅れ、未発達という状態が問題だとは思っていません。
敢えて指摘すれば、治っていかない環境(自分の内側にある環境と外側にある環境)に問題があるのだと思います。


発達に課題のある状態から抜け出すには、なにかを変える必要があります。
それは習慣かもしれないし、食かもしれないし、家族の関係性かもしれない。
そして私が感じるのは、子どもの周りにいる大人たちの視点、捉え方を変えることが最も有効だということです。
一度、医師という権威から「発達障害」というレッテルを貼られると、そこについては考えることをやめてしまう人が多い。
でも、「本当に我が子は発達障害なのだろうか?」「本当に普通の子育てではダメなのだろうか?」「療育とやらを受けないと成長しないのだろうか?」と、一つ別の視点から物事を捉え、考えてみることが大事だと思います。


現代の発達障害という診断のほとんどは誤診であり、別の言い方をすれば、ほとんどの子ども達は発達に凸凹があろうとも、自立できるくらいまで育っていける子ども達です。
乳幼児期から長時間テレビやタブレットを見せたら脳が歪むのは当然ですし、運動発達を抜かせば、全体的な発達に影響を及ぼすのは自然な成り行きです。
ですから大事なのは、その遅れの原因に気がつくことであり、その事実と向き合うこと。


会って数分、数時間しか経っていない人間が貼ったレッテルを疑い、外すぐらいの勢いが大事です。
もちろん、それには問題の根っこに向き合う意思が必要になります。
子どもの課題が改善していかない家庭を見ると、いつまで経っても発達障害が空から降ってきたような、その原因が自分ではない外にあるような感じから抜け出せていないように感じます。
発達障害は発達が遅れた状態にしたままでいることが問題であり、よりよく育ってけるような環境へと何かを変えていく必要があるというメッセージです。
発達に遅れがある状態が不幸なのではなく、その遅れを育てられない環境のままでいることが不幸なのです。


どの子ども達もよりよく育っていけることを望み、それが彼らの幸せの道だと思います。
そのために親ができることは考えることです。
我が子が幸せで自由な人生を送れるために、よりよく育ってけるための方法、道を試行錯誤しながら作り上げていく。
そのためには一つのアイディア、専門家にこだわる必要はありませんし、特別支援の枠にこだわる必要もありません。


幼い子を連れて療育に通ったり、有名な専門家の元へ行ったりしても治るわけはありません。
だって、原因を外に求めているから。
常に原因を外に求めている限り、内なる課題の根っこに到達することはできません。
診断も、療育も、治ることに寄与していないということは、単に原因を外に作っているだけ。
そして原因が外にある限り、答えは外側にあるという幻想を懐かせ、自分ではない誰かが「教えてくれるはず」という思考停止を生みます。
あくまで専門家は、内側にある課題の根っこに気づかせてくれる存在であり、自分の代わりに問題を解決してくれる存在ではありません。
専門家に丸投げという対処をしているから、いつまで経っても出てきた課題をハンマーで叩くような対処しかできないのです。


特別支援の世界を脱しても、特定の〇〇療法、特別支援以外の専門家に依存していては同じこと。
大事なのは依存先を変えることではなく、自らの頭と覚悟、意思で我が子の子育てを考えていくことではないでしょうか。
大人が自立できていなのに、子が自立できるわけはありません。
栄養療法をやっても、身体アプローチをやっても、治りません。
治ったのは、発達を堰き止めていたストッパーが外れ、その子が伸びやかに育っていける環境に変わったから。
親御さんの試行錯誤と子育てに勝る発達援助などないのです。
この連休をご家族で思いっきり楽しまれた子ども達はまた大きな花を咲かせることでしょう。




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