【No.1312】対症療法にも、根本治療にも
子ども達にバンバン精神科薬を処方している医師が、同じように子ども達のワクチン接種を推奨しているのは見ていてスッキリします。 その根っこに一貫性があるからです。 科学の力を信じているのかもしれないし、たとえ目先の利益だとしても短期的な効果に価値を見出しているのかもしれません。 はたまたとにかく現代の医療制度の中では、いかに薬を出すか、何度も通ってもらうか、治さないかが商売としての利益につながりますので、医師という個人が自分のため、経営のため、雇用しているスタッフのためにそういった行動に出るのもわかります。 一方でスッキリしないのは、我が子に精神科薬を飲ませることを拒否していたのに、ワクチン接種させてしまう親御さんです。 化学物質を成長期の子どもの体内に入れることを、将来的なリスクを、ベネフィットとリスクのバランスを、気にして拒絶していたのではないのでしょうか。 「精神科薬とワクチン接種は異なる」と言いたいのでしょうが、私にはいくら「子どもの命を守るため」と綺麗事を言おうが、結局、子どもをコントロールしたいだけでしょと思ってしまいます。 そうです、表では一貫性のないことに見えたとしても、深い部分、人間のドロドロした部分では一貫性を持っているんですね。 私は「ことば」「言語」の勉強をしていて、時々思うのです。 「ヒトは真実を隠すために"ことば"を発達させてきた」と。 もちろん、道具として情報伝達という意味もあるのでしょうが、現代の私達は本心を隠す道具として使っている場合が主になっていると感じます。 SNSなんて、まさに偽りだらけの言語空間です。 私は一般的な人と比べれば、他人の話を多く聞いている人間だと思います。 しかし実際は、ほとんど聴いていません(笑) もっと詳しく言えば、言葉で表現されている内容よりも、タイミングや間、口調や音程の変化、言葉のチョイス、表情や仕草、雰囲気のほうに意識を向けています。 なぜなら、そちらのほうに真実が現れているから。 ひと言で「我が子の言葉の遅れが心配なんです」と言っても、どのくらい心配しているのか、本当に心配しているのか、言葉の遅れは表面的なことであって本当の悩みはどんな背景、根っこと繋がっているのかは、人それぞれ違います。 実際には「言葉の遅れ」はカモフラージュのこともあり、実は別のことに悩んでいることもあれば、自