2022年9月14日水曜日

【No.1308】「バイパス」の話をもう少し

前回のブログ『言語発達とバイパス』を読んで下さった方たちから
「もっと話が聴きたい」
「自分もそんなふうに感じていたんです。やっと言語化できました」
など、好意的なリアクションをいただきました。
実はこれはずっと前から思っていたことで、実際、神田橋先生が書籍の中でも使っていた表現でしたし、自分の内側で温めていた話でした。
ただ、「まだ公で表現するのは早いかな」「中途半端な段階でブログに記すのは誤解を生むかな」なんて思っていので、時期を見ていた感じです。


通常、「治った」と聞くと、二人の姿をイメージされると思います。
同年齢の子どもと変わりないような「普通の子」になったという意味での治った。
数々の困難が幼少期からあったけれども、1つずつその課題がクリアされていき、親御さんから見ても、「あ~、うちの子はたくさん治ってきたな」という意味での治った。
そもそもが感覚過敏も、季節の変わり目の不調も、知的障害も、一度診断や特性が確認できれば、「生涯治らないもの」と言われていましたので、たとえ普通の子にならなくても、大いに「治った」と言えるでしょう。


「バイパス」について考えだしたのは、ある程度、大きくなってから言葉を話すようになった人達がどうも通常の言語脳と別のところを使っているのでは、と感じるようになったからです。
前回のブログで紹介したように、言葉を話すとき、身体の別の部分が連動して動くのが気になりました。
あともう一つあって、普通の子にはなっていないけれども、治っている人たちの発達の進み方を見て、そう思うようになったんです。


なかなかこの辺りの様子を言語化するのは難しいのですが、"根っこ"からじゃなくて、その上の辺りから部分的に治ってきている感じがあります。
具体的に言えば、脳から首、腕まで治っている(?)、神経発達ができているんだけれども、手首から先が育っていない感じ。
あとは、ハイハイのやり直しは終わったけれども、それで左右交互の動きができるようになったけれども、左半身と右半身を連動させた動きがぎこちない。
他人との距離感が掴めるようになったけれども、心身のコンディションによって波が生じる、といった感じです。


今のところ、この背景には三つのことが考えられます。
まず「ある程度、年齢が上がってから育て直しを始めた」ということ。
育て直しのアプローチを後から知ったり、幼少期は育て直しができる状態ではなかったり。
生後、生まれ出た環境に合わせて、それに適応する形で身体、神経ができていきますので、その時期に刺激されなかったこと、反対に自然とは異なる刺激を強く受け偏ってしまったことで、あとから通常とは異なるプロセス、場所において繋がりが生じるのだと思います。
神経側から見れば、適応の中で構築されるか、あとから必要になって構築されるか、といった感じです。
後者の場合、ぎこちなさや「意識してならできる」、私達通常の発達の人よりも、最短ではない分、エネルギーを使いやすい(疲労する)といったことが想像できます。


二つ目は、上記と似ているのですが、課題の根っこじゃない方から育てなおしていったこと。
たとえば、言葉の遅れだったら、運動発達のヌケを育て直すことや呼吸を育てることの方が根っこからの育て直しになりますが、言葉だけに注目したアプローチ、言語指導をした。
平衡感覚を育てようと、トランポリンをたくさんやったが、本当は跳んでも内耳が刺激されない、刺激が神経発達として積み上がっていないことであった。
姿勢を直すために頑張って椅子に座らせたけれども、それで座れるようにはなったけれども、課題の根っこは腰の育ち、足の育ちだった。
この前も、教室の椅子にきちんと座れるようになったんだけれども、二足歩行ができていない子がいました。
その子は寝がえりからやり直しをやり、一通りの運動発達をやり切りましたが、「意識しないと、疲れたりすると、姿勢が崩れる」と言っていました。
もちろん、「以前よりは、だいぶラクになった」とも言ってましたが。


3つ目は、器質的な背景になります。
出生後の運動発達や感覚の早い段階で、既に遅れが確認できた子ども達は、胎児期ですでに課題があったと推測でき、器質的な理由をもって生まれてきたと考えられます。
そういった子ども達の場合、脳神経の柔らかい時期に適切な刺激と育ちを行っていけば、同年齢の子ども達と同じように育っていける子もいますが、そうやっても同じようには、普通の子のようには最終的に育っていかない場合もあると思います。
普通級にいたり、進学したり、就職したりする人で、周囲から見て「普通なんだけれども、なんか変わっている人」という方は、そういった器質的な背景をもって生まれてきたけれども、後天的に治してきた、という人のように感じます。
そういった人達と接すると、やっぱり通常とは異なる脳の部位、身体、感覚、運動を使っているな、と思うことが多々あります。


また知的障害を持つ子の場合、周囲がある意味、限界を決めて諦めてしまった結果、必要な刺激が与えられなかったり、年齢を重ねてから乳幼児が育てる運動を始めたりすることがあり、それが通常とは異なる神経ネットワークづくりへと繋がっていることもあるように感じます。
当然、その子の器質的な理由として、脳の部位によってネットワークづくりが難しい箇所がある、といったこともあるでしょう。


私のところに相談に来てくださるご家族は、一番は「我が子に治ってほしい」「自分自身治っていきたい」という想いを持たれています。
で以前は、どの親御さんも「普通の子」になるイメージでの"治った"を願っていましたが、この頃の親御さんの希望の中心が、「親としてできることを1つでもしたい」「我が子が少しでも成長できることを、少しでもラクになれることを」という願いに変わってきたように感じます。
ですから、通常とは異なる部位に神経ネットワークを作り、バイパスを通すようにして課題をクリアしていく、治す子ども達もいます、というお話をしました。
また裏の意味としましては、今年一年、赤ちゃんの相談が増え、器質的な理由を持っているのでは、と思うことが増えたからです。
脳の可塑性を信じて、たとえ通常の発達、神経ネットワークとは異なったとしても、治っていくし、治していくことを目指していかないといかない時代なのかもしれませんね。




☆『ポストコロナの発達援助論』のご紹介☆

巻頭漫画
まえがき
第1章 コロナ禍は子ども達の発達に、どういうヌケをもたらしたか?
〇五感を活用しなくなった日本人
〇専門家への丸投げの危険性
〇コロナ禍による子ども達の身体の変化
〇子どもの時間、大人の時間
〇マスク生活の影響
〇手の発達の重要性と感覚刺激とのソーシャルディスタンス
〇戸外での遊びの大切さ
〇手の発達と学ぶ力の発達
〇自粛生活と目・脳の疲労
〇表情が作れないから読みとれない
〇嗅覚の制限 危険が察知できない
〇口の課題
〇やっぱり愛着の問題
〇子ども達が大人になった世界を想像する
〇子どもが生まれてこられない時代
〇子育てという伝統

第二章 コロナ禍後の育て直し
〇発達刺激が奪われたコロナ禍
〇胎児への影響
〇食べ物に注意し内臓を整えていく
〇内臓を育てることもできる
〇三・一一の子どもたちから見る胎児期の愛着障害
〇胎児期の愛着障害を治す

第三章 ヒトとしての育て直し
〇噛む力はうつ伏せで育てよう
〇感覚系は目を閉じて育てよう
〇身体が遊び道具という時期を
〇もう一度、食事について考えてみませんか?
〇食べると食事の違い
〇自己の確立には
〇右脳と左脳の繋がりが自己を統合していく
〇動物としての学習方法
〇神経ネットワーク
〇発達刺激という視点

第四章 マスクを自ら外せる主体性を持とう
〇なぜマスクを自ら外せることが大事なのか
〇快を知る
〇恐怖を、快という感情で小さくしていく

第五章 子どもの「快」を育てる
〇「快」がわかりにくいと、生きづらい
〇快と不快の関係性
〇子どもの快を見抜くポイント
〇自然な表情

第六章 子ども達の「首」に注目しよう
〇自分という軸、つまり背骨(中枢神経)を育てる
〇首が育っていない子に共通する課題
〇なぜ、首が育たない?
〇首が育たない環境要因
〇首が育つとは
〇背骨の過敏さを緩めていく
〇首を育てるには

第七章 親御さんは腹を決め、五感を大切にしましょう
〇子育て中の親御さん達へのメッセージ
〇部屋を片付ける
〇子どもと遊ぶのが苦手だと思う親御さんへ
〇ネットを見ても発達は起きません
〇発達刺激という考え方
〇五感で子どもを見る
〇特に幼児期は一つに絞って後押ししていく

第八章 自由に生きるための発達
〇発達の主体を妨げない存在でありたい
〇大人が育てたいところと子どもが育てたいところは、ほとんど一致しない

あとがき
こういう本を読んできました
巻末漫画

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