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【No.1363】YouTubeチャンネル開設の経緯

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いつも本ブログを読んでくださり、ありがとうございます。 2013年てらっこ塾開業とともに始めたブログも、今回で1363本目の記事。 3日に1回のペースで10年間、自分でもよく積み上げてこれたなと思います。 「よくネタが尽きないね」と言われることが多々あったのですが、むしろネタはあるけれども文章にできないものばかりで(笑)、そういった話は直接お会いした人だけに伝えていました。 なんで、書くことよりも、書かないことを意識するほうが大変だったといえますね。 もちろん、ブログを書くのは、てらっこ塾を知ってもらうためであり、知ってもらったあと、どれだけの人に実際に利用していただけるかが一番の目的です。 どんなに良いことをやっていたとしても、商売として成り立たなければいずれ消えてしまい、それによって利用できない未来の人が生まれてきてしまいますしね。 おかげさまでブログを通して知っていただき、発達相談を依頼してくださった方が多数あります。 その一方で、私の中でモヤモヤした気持ちが大きくなってきました。 それは「伝えたいことが伝わっていない」モヤモヤ感です。 コロナ前から幼児さんが多かったのですが、コロナに突入してからというもの、さらに低年齢化が進み0歳、1歳、2歳くらいの子どもさんの相談が増え続けています。 当然、親御さんの年齢も若くなるわけで、ブログを始めた10年前はまだ20代、なかには「学生でした」などという場合も出てきたのです。 そのような親御さん達はもちろん、10年前からブログを読むわけはないですし、2000年代に起きた高機能ブーム、2010年代の児童デイの乱立、ここ最近の発達障害一大ビジネスも知らないわけです。 最初から身体アプローチはあったし、栄養療法は当たり前だし、「治る」という言葉も自然と受け止めている。 これはいい悪いじゃなくて、20年間ですがこのハッタツの世界にいた者として、きちんとそういった歴史、背景を伝えていく役割があるのだと思ったんです。 その前提がなければ、簡単に発達障害というウソに騙されてしまうし、流さなくてよい涙を流すことにもなる。 挙句の果てには、支援の世界に突き進み、中には就学前の子どもが精神科薬を常用しているなんて状況が起きています。 2000年代は「自閉症の理解を!」「発達障害に支援を」でしたが、理解を広げ、発達障害のハードルを下げ、結局儲

【No.1362】汗をかく子は治りが早い

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この頃、過去のブログの記事をツイートするようになったのは、新作をサボるためでも、ネタ切れなためでもありません(むしろ、ネタはたくさんあるけど、オープンな場で書いちゃいけないことが多くて困ってます)。 一言でいえば、調査目的です。 ずっと同じ内容は避けるようにしていたのですが、私自身も忘れていることが多いし、読んでくださっている方も同じだと思います。 そして時間が経つと、同じ内容でも感じ方や捉え方が変わることもあるでしょうし。 何よりも、ブログを書き始めて10年ですから、今の親御さんの中には「当時10代でした」という人も多くなっています。 なので、過去の内容でもニーズがあるのか、またそのニーズがあるのならもう一度、ブラッシュアップをしつつ、新しい世代の親御さん達、支援者さん達に新たな方法でも紹介できないかと考えていました。 今のところですが、新作と同じくらいプレビューがあるので、もうちょっと続けていきますね。 新ネタといえば、「汗をかく子は治りが早い」というお話。 自閉っ子、発達障害を持つ子で、「汗がかけない」子は少なくないですね。 今日の函館は久しぶりの真冬日ですが、こんな日でも少し身体を動かせば、「暑い」といって汗をたくさんかくものです。 年がら年中、汗がかけるのが子どもの特徴。 ですから、汗がかけないのも、なんらかの発達の遅れであり、身体の不具合だといえます。 で、そんな子が内臓を整えることにより汗がかけるようになってくる。 そうすると、そこからの発達のスピードが速くなる気がします。 「快食快眠快便が整うと、発達が加速する」と言われますが、そこに「汗をかく」をプラスしても良い感じです。 で、そんな私の観察が3年ぐらい経って、その理由がわかった気がします。 もちろん、エビデンスのない私の作り話としてお聞きください。 汗の目的は体温調節と体内に不要になったものの排出です。 近年の発達障害の増加、神経に何らかの不具合がある子の増加は、遺伝だけでは説明できません。 むしろ、環境要因の大きさを物語っているといえます。 アトピーやアレルギー、ぜんそくや腸の問題を抱えている子が多く、親世代、またその前の世代から蓄積された毒が子の神経にダメージを与えた結果、神経発達に不具合をもった子が増え続けているとも考えられます。 実際に子ども達とお会いすると、苦しそうな雰囲気が出ている子が

【No.1361】子育てという非合理的で非効率的な営み

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子どもというのは社会やコミュニティ、集団の中にいればよいのであって、必ずしも自分に、我が家にいなきゃいけない存在ではない。 それは動物を見ればわかることで、群れに子どもがいればみんなで守り、みんなで育てる。 「うちの子だけ、特別な食べ物を与える」 「自分の子じゃなければ、鬱陶しい」 そんなお猿さんも、魚も、虫もいないわけで、人間自体、動物から離れた不自然な存在だといえます。 公園の子どもの声がうるさいと役所に電話を掛けるバカ。 周りのためにといって、子どもにワクチンを打たせるバカ。 ある意味、人間としての完成形なのかもしれません。 子どもは動物本来の姿を持っている存在です。 子ども自体が自然そのもの。 自然というのは非合理的で、非効率的をいう。 天災はあらゆるものを破壊し、飲み込む。 そしてまたそのあとに、それまであった自然が戻ろうと動き始める。 だったら最初から天災などなければよいのに。 そう考えるのはまさに人間の大人であって、東北沿岸にならんだ防潮堤がそれを表している。 人の子も、合理的に、効率的に育てようとする動きがみられるのは当然だといえます。 非合理であり、非効率である自然を体感しないまま、大人になった私たちですから。 当然、社会もそんな大人たちが作ってきたので、学校なんか見ても、一律の授業で、一律のルールで、できるだけ合理的でかつ効率的に子ども達を管理しようとしている。 学校が大人になるための場所だとしたら、不登校が増えても仕方がないと思えてくる。 「クラスに3人くらいは発達障害の子がいる」というのは、それだけ効率性が求められるようになった結果であり、「だから支援級が必要なんです」というのは、それだけ合理的な振り分けがしたいという表れだと思う。 発達障害は医療に作られるが、そもそもは社会全体が合理的、効率的になっているからであり、私たち人間が長らく自然を遠ざけようとして努めてきた結果なのでしょう。 コロナ騒動の3年間を見ても、この日本という社会は子どもという自然な存在が嫌いで、だったら自然さを持ち続ける発達障害の子ども達はなおのことと思うのです。 発達相談を行っていますが、どこかに「一発逆転」を狙っている節があるのを感じます。 なにかスペシャルな方法があって、それを教えてくれるスペシャルな人がいるはずで、私もそれと出会えれば、子どもも劇的に変わり、今まで

【No.1360】「隠れて〇〇問題」に視る構造

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「うちの夫、隠れてテレビ見せているんです」 「うちの夫、決めた時間以上、ゲームをさせているんです」 「うちの夫、子どもと出かけたときは、糖質だらけのお菓子を食べさせているんです、なにしてんねん」 う~ん、何百回も聞いた悩み(笑) 結構、お母さんは一度決めたらストイックにやるけれども、多くの日常生活はお母さんが主で、子どもと二人の時間が長いので、週末限定ルールにイラっと来る。 「せっかく平日は頑張っているのに、週末になると…」 ここにジジババが加わると、カオス状態に。 ジジババはただ目の前にいる子がかわいいだけだから、孫が喜べばテレビは見せるし、お菓子もあげる(で、ごはん食べない)。 そしてこそっと「ママには言ったらあかんよ」と言ったりする(油投下!)。 子どもなんて反応が良いから、実家に行かなくても、どんな時間を過ごしてきたのか、手に取るようにわかるものを(笑) 夫やジジババに対する不満の気持ちは、よくわかります。 でも、「(隠れてテレビ見せているから)発達していかへん」というのは違うと思います。 昔は「一貫性のある支援」とよく言われたもので、家庭で暴れると、「ほら、学校と同じ支援ができないから」と根拠のない責任転嫁がなされていたものです。 それと一緒で、平日はテレビを見せないように頑張っているけれども、週末、私のいないところではテレビを見せちゃっているから…というのは、表面的な理由探しにほかならないですね。 確かにそういったご家庭は発達が進んでいきません。 それは夫が隠れてテレビを見せているからではなく… ●夫婦で子育ての方針がかけ離れている ●夫婦間の理解が足りない、コミュニケーションができていない ●妻(夫)の言葉を理解してくれるだけの信頼がない ●夫のせいにしてしまっている「私は悪くない」という思考 ●自分自身で解決できない、解決に向かえない姿勢 ●パートナーに本音が言えない=自分の親との関係性の問題、愛着のヌケ ●自分ではない他人が解決してくれるという甘え ●「テレビ=悪」という白黒思考による解釈の薄さ ●環境をコントロールできたら、子供の成長もコントロールできると思う傲慢さ ●問題の根っこを見ようとしない、そこから逃げようとしていること ●物事を単純化することで、本当は自分自身も子どもと関わりたくない、責任を持ちたない ●言ってることやってることの一貫性

【No.1359】治るからこそ、治らない人がいる

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この頃、「大久保さんって、ほんとうに優しい人」と言われることが続いていました(笑) 別になにかを変えたわけではないのに。。。 自分のキャラもあるし、90%以上のご家庭が1回の発達相談で終わるし、限られた時間でアセスメントから具体的な援助法までお伝えする必要があるし。 だから言うことは言うし、一切忖度も、お世辞も言わない。 そんな感じで10年間、てらっこ塾をやってきましたが、最近やたらと私の優しさがクローズアップされる。 なんかおかしいなと思って考えてみると、「そうか、ブログの内容が“親御さんのせいでしょ、しっかりしなきゃ」という内容が続いていましたね。 これを見た親御さんは、「どんなことを言われるのか」と思うでしょう。 なので、実際の発達相談を受けてみて、「意外と優しいじゃん」の「意外と」が消えて、「大久保さんって、ほんとうに優しい人」と言われちゃうのでしょう(笑) 意図せず、好印象で終われるのなら、この作戦は続けようかな♪ じゃあ、なんでこの頃、とくに昨年末から1月にかけて「親御さんしっかり!」という内容が多くなったのかと言えば、今年は療育整体の年になるからです。 実際、私も昨年、療育整体を提唱されている松島さんの講座で学ばせていただきました。 今までいろんな療法がありましたが、たぶん、一番即効性があり、見た目にも効果を実感しやすいのが療育整体でしょう。 だから流行るし、これで「治った!」と感じるご家庭も増えると思います。 じゃあ、なんで「治った!」がさらに増える年に、私が親御さんの意識を問うか。 それは治る子どもさんが増えれば増えるほど、治らない家庭が浮き出てしまうから。 今までも神田橋先生の診療、アイディアによって「治った!」人が増えた。 さらに身体アプローチも出てきたし、愛着障害も治るようになったし、栄養療法だって花盛りで、整体やカイロも実績を上げている。 私の感覚では90%以上の子ども達が誤診であり、一時的な発達の遅れなだけなので、このいずれかの療法と巡り会えたら、ほとんどの子の発達の問題がクリアされると思います。 で、今年はさらにそこに療育整体が加わる。 正直、コロナ前から「もう治るアイディアは十分っしょ(北海道弁)」と思っていた私なので、てらっこ塾の役目は治らない、治りにくい10%の子ども達とご家族をどう後押ししていくか、だと考えていたんです。 私のと

【No.1358】体軸が育つ前の子と、育った後の子

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コロナ前までは「学校くらい通えなきゃダメだろ」と思っていた。 特に小中高くらいまでは、とってもシンプルなシステムだし、別に授業を聞いていようが聞かまいがどうってことはないし、テストだって0点取っても命を取られるわけじゃない。 乱暴な言い方をすれば、ただ学校に行って帰ってくれば良いだけの活動なので、ここで躓くのなら成果や責任を求められる社会ではやっていけないよなって。 だから、相談があっても、「学校に行けるレベル」を一つの目標、基準にしていた。 だけれども、コロナ騒動を経て、公教育のダメさ加減をまざまざと見せつけられてしまった。 管理職と話をしても、「道教委が」「国が」という。 挙句の果てには、「外すように言っても、今の子は外さないんですよ」とブチ切れ発言。 だって3年間、ずっと学校にいる間中、下手したら登下校、放課後公園で遊んでいても、マスクをつけてなければ、「マスクつけなさい!」と注意してきたのですよ、教師が。 それをあたかも「子どもが」「主体的に」「外さない」ときたもんだから、こんな学校、教育、教師に自分の子は任せられないと思いましたよ。 多様性と言いながら、個人の事情や意見に耳を傾けない。 「自ら考え、行動できる人間を」と言っている管理職が上からの指示待ちで思考停止。 戦後、GHQが教育の世界に多くの左系の人間を入れたとは聞いていたけれども、まさに学校自体が共産主義体制そのものといえるでしょう。 今までを振り返っても、本気で子ども達のために動いている先生は僻地に飛ばされていましたね。 教員も個性を奪われる世界ですから、学校に通っていては個性的な子が育つわけないのです。 うちの子ども達を見ても、「学校教育は危険だ」と思うくらいですから、発達障害の子、とくに体軸が育っていない子と学校教育の相性は抜群に悪い。 より具体的に言えば、ちゃんと椅子に座れない子は、先生の話を真に受けてしまう。 発達相談で伺っても、軸がない子ほど、かたくなにマスクをし続けようとしている。 一見すると律儀なように見えるが、軸がない分、他人軸で自身の行動が規定されてしまっている。 まあ、最悪マスクくらいなら良いが、社会に出て悪い奴にコントロールされてしまう危険性があるってことにもなります。 幼児期の体軸は、自由自在に動き回れる身体を作る意味を持つ。 一方で小学生の体軸は、自分という人間の軸を作る