投稿

2017の投稿を表示しています

2017年は新たな縁が生まれた一年でした

イメージ
2017年を振り返りますと、新しい縁に恵まれた一年だったと思います。 特に函館以外の方たちからの電話やメールが多かったです。 そして就学前、小学校低学年の子が多かったです。 みなさん、地元の支援者から繰り返される、すでに我が子の将来が決まったかのような言葉に、態度に、雰囲気に、疑問を感じ、傷つき、悩まれていました。 「専門家が言うことだから」といって、自分の内側から湧き出る感情を必死に抑えようとしている親御さん達も大勢いました。 しかし、「本当に自分が感じることは間違っているのだろうか」「本当に子どもが発達、成長する方法はないのだろうか」という親御さん想いが行動となって表れ、ネットを通じて縁を生んだのだと思います。 地元の支援者は無理だというけれども、それは知らないだけか、自分にはできないと言っているだけ。 別の地域に目をむければ、子どもの発達を信じ、後押しする親御さんがいて、実践家もいるのです。 幼い子の親御さんからの相談が増えるたびに、そしていろいろな地域の方からくるたびに、発達障害を持つ子ども達の未来は明るいと思います。 今までは、地元の支援者が子どもを、若者を、大人たちをグルグル巻きしておけましたが、もうそうはできません。 いくら「一生涯支援が必要です」と言っても、発達のヌケを育てなおし、発達の遅れを取り戻している子がいて、親御さんがいます。 発達障害が治り、自分の持っている資質を自分のため、社会のために活かし前向きに生きている大人たちがいます。 そういった姿が、地元では見えなくても、ネットを通して感じることができる今、親御さんの内側から湧き出る我が子への想いを「それは間違っていない」と後押ししているのです。 世の中で偉そうに、また子どもの未来が自分にはわかるかのように語る支援者は、普通に大晦日を過ごし、明日以降、正月休みを過ごします。 でも、その間も、親御さんは我が子の発達を後押しすることができる。 子どもの発達にお正月休みはありません。 今日、この瞬間も、よりよく発達、成長しようという動きが、その子自身の内側にはあるのです。 ですから、信じるべき指針は、その子自身の中と、一番そばにいる親御さんの中にあります。 時代は変わり、若い世代の親御さん達は、支援が当たり前に存在する中で子育てをされます。 な...

福祉と保険は似ている

「保険をかける」と言うと、最初からうまくいかないことを想定しているようで、自分が傷つかないように逃げ道を作るみたいに使われたり、捉えられたりすることがあります。 でも、本来は「うまくいかなかったときに備えて、別の手段を用意する」という意味で、私は積極的な言葉として捉えています。 万が一が起きたとしても保険があるから安心できる。 別の手段があるから、目標に向かって思い切って行動することができる。 保険とは、人に安心感をもたらし、積極性を生むものだと考えています。 私は、福祉も保険のような存在だと思っています。 福祉があることで、本人も、家族も、安心して生活することができる。 安心が得られるからこそ、積極的に挑戦してみようと思うことができる。 それは同時に失敗を味わえること、存分に試行錯誤できることにもなる。 福祉の世界で働いていたとき、自分たちの存在意義は、いかに安心してもらえるかだと考えていました。 あのときはまだ措置制度でしたので、子どもを預けていく親御さんの寂しさの中に安堵した感情をみつけますと、そこに自分たちが頑張らなければ、という想いが湧き上がってきたものでした。 福祉に関する予算が減ったり、福祉施設に対する風当たりが強かったりします。 しかし、ただ単純に提供されているサービスだけではなく、見えないところで安心を得ることに、そして積極的な姿勢を生むことにもつながっていると思います。 福祉は、安心して生活するために、行動するために必要な存在です。 ただ間違ってはいけないのが、福祉は備えであって、目的ではないということです。 私自身、何かあれば、福祉が必要になるかもしれませんし、将来、年を取ったら福祉を利用する確率は高いと言えます。 でも、将来的に福祉を利用するからといって、最初から福祉を利用することを考えて生きているわけではありません。 これは発達障害の子ども達も同じではないかと思うのです。 学生時代、学校の先生が言う「どうせ卒業後は福祉だし」と、親御さんが言う「福祉の中でかわいがられる子にしたい」という言葉に、いつも嫌悪感を懐いていました。 どうして福祉が目的地になっているのだろうか。 どうして本人ではない人間が、福祉という道を選んでいるのだろうか。 そして施設職員だったときも、施設に入れて親としての...

特別支援学校の波と、その正体

「特別支援学校化」なんて書くと、「特別支援学校がダメだと言うのか!」「そこが必要な子もいるんです!」という声がやってきます。 当然、特別支援学校という学びの場が必要な子がいて、そこで成長していく子もいるでしょう。 そして、その陰には、児童、生徒のために一生懸命教育をされている先生たちがいるはずです。 今となっては、仕事で関わらせてもらう方達は知的障害がない人やあっても軽度の人ばかりになりましたが、もともとは知的障害も、特性も、重い子ども達の支援を行っていましたし、強度行動障害と言われる行動障害の中でも特に症状が深刻な人達の支援を行ってきました。 日々の学びの場としての支援学校の重要性と必要性は、子どもや先生との関わりにより見てきたつもりです。 子ども達が学ぶことのできる学校には、普通学級、支援学級、特別支援学校の3つがあります。 それぞれの場に特徴があり、それぞれの場に目的、意義があります。 同じ支援学級でも、学校によって、それこそ、担任によっても大きく異なりますが、普通学級で学ぶか、支援学級で学ぶか、特別支援学校で学ぶか、はより大きな違いがあると感じています。 大きな違いというのは、その子の人生に大きな影響を及ぼすという意味です。 ですから、それぞれが独立しており、それぞれの場所で、それぞれの強みを活かした教育がなされるべきだと考えています。 私が懸念していることは、特別支援学校の波が支援学級、普通学級へ押し寄せていることです。 私が見てきた中では、支援学級は完全に支援学校化しています。 支援学校の縮小版が支援学級みたいな感じです。 当然、特別支援学校の良い部分は取り入れるべきでしょうが、通ってくる子ども達のニーズは特別支援学校とは違います。 支援学級だから学べること、支援学級だから育つこと、それを目的に子どもも、親も通っているのだと思います。 特別支援学校の波は、支援学級を飲みこみ、普通学級まで来ているような印象を受けます。 どの場でも、その子に合った教育は大切でしょう。 しかし、その子に合わせて周囲の環境が変えられてしまうこと、その子に合わせて周囲の子ども達が我慢や譲ることを続けるのは違うと思います。 その子にとっては苦手な環境でも、別の子にとっては適した環境ということもあります。 その子が快適な学校生活が...

ある高等支援学校、現場の叫び

ある高等支援学校の先生が「もう辞めたい」と言っていました。 とてもじゃないけれど、授業ができる状態ではないそうです。 自分は何のために教壇に立っているのかわからなくなるくらいの状況とのことでした。 これが教師の経験、力量の問題だとしたら、「もう辞めたい」という発言に同情はできないでしょう。 しかし、私はその言葉に不憫な気持ちになりました。 まったく教科学習をしてこなかった、またはその力が全然ついていない生徒ばかり。 その一方で、関わりを多く求めてくる、良い関わりも、悪い関わりも。 小学校、中学校と支援学級で学んできた子ども達が、高校でも就職訓練だけではなく、より普通の高校のカリキュラムに近い形で学んでいきたいと思うことは自然なことであり、そういった希望に沿う学びの場が増えることは良いことだと思います。 普通高校には通えないけれど、特別支援学校は…という生徒のニーズに応えるべく、その中間に位置するような高校は増えてきています。 実際、どこの学校も、希望者、入学者が増えているそうです。 このような学校に入ってくる生徒たちの多くは、支援学級で学んできた子たちです。 支援学級ということですので、当然、教科学習もしてきたはず。 しかし、実態は基本的な学力が身についていない。 知的障害がない生徒もいますし、あっても軽度の子ばかりですので、まったく勉強ができない、身につかない子ということはありません。 じゃあ、どこに課題があるのか。 聞いた話ですし、実際に生徒を見たわけではないので、私が想像したことを書きます。 私が関わっている支援学級在籍の小学生、中学生に共通してみられるのが、学校で教科学習に力が入れられていないことが挙げられます。 その一方で、教師との関わりが強いというか、大人がキーになって動いている姿です。 同級生との関わり、集団での関わりへと発達しておらず、対教師、対大人で止まっている印象を受けることが多いです。 こういった子ども達が、普通高校と特別支援学校の中間に位置するような高等支援学校へと進んでいるのではないか。 そして、9年間で基礎的な学力を身に付けていないから、高校で授業をしても意味が分からない。 意味が分からないから授業を集中して受けられないし、少人数の中でより濃い先生との関わりをしてきたから、その関わ...

『支援』という名の介護

『支援』という言葉は、支援者にとって便利な言葉で、親御さんにとっては厄介な言葉です。 支援者は子どもに関係することをやりさえすれば、「支援しました」と言うことができます。 そして親御さんは、我が子に何かしてもらうと「支援を受けた」と認識します。 親御さんの多くは、支援を受けたいと思っています。 その支援が何にかと言えば、子どもの発達や成長に対する支援です。 決して「ただ遊んでくれればいい」「ただ怪我がないように、見ててくれればいい」「ただお世話をしてくれればいい」と思っているわけではありません。 その支援に、学びや教育的な要素が入っていることを多くの親御さんは望んでいるはずです。 ですから、親御さんの思う『支援』とは、教育に近い支援です。 しかし、支援者が行っている支援、支援者が言う支援とは、必ずしも学びや教育的要素が入っているとは限りません。 むしろ支援者が「支援」と言うときには、介護に近いことが多いです。 彼らは何かを教えようとする際、「指導」という言葉を使います。 実際、自分たちがやっていることは介護なんだけれども、学齢期の子ども達や発達障害の人達に「介護」という言葉は使いづらい。 だから、便利な『支援』という言葉を使い、介護をしているのです。 子どもが部屋の隅で、一人で遊んでいる。 それを見守る支援者は、支援していると言う。 しかし、それは見ているだけで、教育的な要素はありません。 見守りという介護です。 パニックが起きたときに、静かな場所に誘導するのも、 トラブルが起きる前に刺激になりそうなものをすべて隠してしまうのも、 外での活動の際、本人が待たないように、事前にすべて手続きを終え、本人はただやるだけにしておくのも、 限りなく介護に近い支援だと思います。 構造化された支援というのも、実態は介護だというものもあります。 本人が迷うことがない完璧なスケジュールを組み立て、提示する。 本人は、それを見て、一日活動をこなしていく。 こうなると、それはスケジュールカードが行う声掛けであり、誘導になります。 スケジュールに選択や考える要素が入っていることや、時間の概念、自ら計画を立てる力を養うことへとつながっていることが大事です。 「〇〇はやってはいけません、バッテンです」「お友達と遊ぶときは、...

試行錯誤の中から、その子に合った方法が生まれる

「この子には、どんなことをやらせたら良いですか?」 発達のヌケを埋めるには、より良く成長するには、将来、自立するためには。 こういった質問をよく受けます。 子どもさんの雰囲気から、「〇〇をやったら良いな」なんて見えることもありますが、見えたものをそのまま伝えないようにしています。 特に、幼い子の親御さんには。 私のアイディアが合っているとも限りませんし、何よりも言われたことをそのままやってほしくないのです。 子どもが成長のために試行錯誤が必要なように、親御さんにも試行錯誤が必要だと思います。 支援者は、その子の人生の一部分にしか関われません。 しかし、親御さんは、その子が土台作りを行っている期間、一番傍で、一番長く関わる人になります。 ですから、子どもの変化に合わせて、その時々で良いと思う発達、成長の後押しができることが望まれます。 そのためには、親御さん自身が考え、実行できる力を養っていくことが大切です。 「どうして、そんなにポンポンと具体的なアイディアが浮かんでくるんですか?」 と訊かれることがあります。 そして、その言葉の裏には、「私にはできない」という雰囲気を感じます。 親御さんは、「専門家だから」「たくさん勉強しているから」などと思われているようですが、いくら勉強しても、知識を得ても、アイディアが浮かんでくるわけではありません。 やはり試行錯誤の結果だと思います。 私が、親御さんに唯一勝てることがあるとすれば、それは直接か関わってきた方の人数です。 年齢も、性別も、環境も、その人が持つ資質も、まったく異なる多くの人達と関わってきました。 それは、私の試行錯誤の歴史とも言えます。 本人が、親御さんが行ってきた試行錯誤をたくさん見させて頂きました。 ですから、直接的にも、間接的にも、多くの試行錯誤を経験してきましたので、アイディアが出てくるのです。 アイディアとは、まったく新しいものがポッと浮かんできたものではなく、経験の中からの組み合わせです。 親御さんは、私のように何百人もの方達の支援を経験する必要はありません。 他人の子のアイディア、具体的な方法を考える必要はないからです。 我が子の、特に土台を作る時期に、その子に合った発達援助ができれば良いのです。 そのためには、親御さん自身がいろい...

その子に合った子育てをされている親御さんに共通してみられる子ども時代の雰囲気

お子さんの発達を上手に後押しできている親御さんというのは、先生から好かれるようなタイプじゃないことが多いような気がいます。 それは教室内で問題を起こす子という意味ではなく、先生の言ったことをうんうんと素直に受け取る子ではないという意味です。 反対に、先生のことをうんうんと素直に受け取り、従順な生徒のような雰囲気を持つ親御さんは、親子共々躓いていることが多いと感じます。 よく冗談で、「連れションに行くような人には、発達援助は難しい」と言っています。 つまり、自分よりも、他人に合わせて行動してしまうような人は、その子に合わせた発達援助ができないという意味です。 「お友達が通っているから、あそこの児童デイに通わせよう」などという親御さんの子は、まず伸びません。 隣の〇〇君が良かった方法が、自分の子には発達を妨げる可能性もあるからです。 自分の目や耳で良し悪しを感じなければなりませんし、「この部分を伸ばしてほしいから」というような目的がなければなりません。 ママ友でも、支援者でも、他人に委ねてしまう人はマズイです。 子育て中には、ママ友の話、同級生の様子、先生や支援者からの言葉、ネットなどからの情報などが次々にやってきます。 しかし、その1つ1つを真に受けていては、我が子に合った子育てはできません。 そうです、学校の教室のように、先生の話は1つの考え、意見くらいの認識でなければなりません。 すべて参考意見であって、採用するしないは、自分の頭で考え、判断する必要があります。 それができなければ、自分の子に合ったオリジナルの子育てはできません。 いつまで経っても、借り物の子育てをやっていては、発達も、成長も、伸びやかに進んでいかないのです。 子ども時代、教室で従順だった親御さんは、特定の支援者、療育にハマりやすい気がします。 あたかも学校の授業のように、教科書に沿って、先生の言うことをしっかり聞いていれば、良い点数がとれると思っている。 しかし、子育てに、発達援助に、教科書はありません。 隣の席の子と同じようなことをやっていても、うまくいかないのです。 子ども時代の担任の先生のように、支援者に対し、答えを言ってくれる人、言う通りにしていれば褒めてくれる人と思ってはいけません。 一人として、同じ発達の過去、現在、未来を持つ人...

我が子の発達、成長に再現性は必要なし

エビデンスのある療育をやっているはずなのに効果が見られないというのは、よっぽど腕が悪いのだと思います。 エビデンスというのは科学的根拠があるということであり、科学というからには再現できることが重要だからです。 効果を再現させることができないとしたら、その人の腕か、そもそもエビデンスが得られたという研究自体に問題があるのでしょう。 専門家と言われる人達は、「何度も研修を受けて、しっかり知識と技能を習得できなければ、きちんとした効果が出ない」と言います。 これが真実だとしたら、専門家がいなくなってしまいます。 効果を出していない人ばかりなのですから。 また別の言い方をすれば、そこら辺の支援者がせっせとその療育をしても、親御さんが家庭で療育をしようとしても「無駄だ」と言っていることになります。 多くの人達が、効果を再現することのできない療育とは、本当に価値のある手段だと言えるのでしょうか。 その療育の免許を持っているような専門家ですら、ほとんどの人が発達障害の人達のことを根本から発達、成長させ、自立させることができていない現状があります。 エビデンスのある療育と言っても、効果は時間も、場所も、スキルも、限定的なのです。 それに効果を出すためには、エビデンスが得られたという研究がそうだったように、当事者の人達を研究用のマウスのような統制され環境の中、条件をコントロールする必要があるのです。 「効果を再現するには、実験室のような条件と環境が必要」というのなら、それこそ、家庭や学校では行うことができません。 私は、この世にエビデンスのある療育など無いと思っています。 何故なら、同じ人間は存在しないからです。 例え同じ人間であったとしても、同じ状態でいることはできません。 受精した瞬間から人は発達を始め、死ぬ瞬間まで変化し続けます。 ですから、エビデンスの元になった対象者だって、その瞬間は効果が得られたとしても、次の瞬間、また同様の方法で効果が得られるとは限らないのです。 刻一刻と変化を続けるヒトに対してエビデンスを得ることは不可能だといえます。 どこまでいっても再現したことにならないからです。 エビデンスがある、つまり、どこかの知らない人で得られた効果を、我が子に再現させることにこだわることはないと思いますし、ほとんどの場合...

試行錯誤を生じさせない診断

「子どもが、診断を受けに行くことを拒んでいる」 「子どもが、自閉症と認めない」 このような話は、ずっと前からあって、今も時々、耳にします。 診断を受けるかどうか、診断名を受け入れるかどうかは、例え親であっても、他人がとやかくいう話ではありません。 本人がより良く生きるために、自分の意思で受けるものであり、受け入れるものだと思います。 それなのに、他人が本人の主体性を奪おうとするからトラブルが生じるのです。 今の世の中、ネットで調べれば、すぐに診断基準が出てきて、自分でも確認することができます。 極端なことを言えば、わざわざ病院に行って診断を受ける必要性はありません。 診断基準だって、脳波を取るとか、血液を採取するとかではなく、ぼやっとした性格占いみたいなものなのですから、自分で「自閉っぽいな」「ADHDっぽな」で良いのです、自分自身を知るだけなら。 結局、病院に行く、診断を受ける、というのは、公的なサービスを使うために必要なだけだといえます。 この公的なサービスも、本人が「この部分でサポートを受けたい」という意思があるのなら、トラブルは起きないでしょう。 本人と家族間でトラブルが起きる場合のほとんどは、家族が公的なサービスを受けさせたいと思っている。 もっと言えば、この子の子育ての主導権を、責任を自分たち以外に渡してしまいたい、という想いが滲み出てしまっている。 それを感じて、本人が「診断を受けること=諦めること」と捉える…。 「診断を受けたくない」という本人の言葉は、「自分の人生、諦めたくない」という言葉に聞こえることがあります。 診断を受けたあと、サポートを受けながら、より良い成長と生活が描けるのなら、このようなトラブルは少なくなるはずです。 しかし、不幸の垂れ流しを続けてきた一部の当事者と大部分のギョーカイのおかげも加わって、自閉症や発達障害が未来を遮断する言葉になってしまっています。 本来なら、自分の特性を知ることは、より良い未来を築くことへとつながっている。 自分を知るからこそ、より良い成長と明日に向かって選択ができます。 現在、病院で診断を受けることの第一の目的が、公的なサービスを受けるため、となっているのがおかしいのだと思います。 明日につながらない診断なら受けない方が良いと思います。 本人...

社会の中で学級会は行われません

学校のクラスの中でトラブルが起きれば、学級会などで話し合いの機会が設けられる。 最初から「クラスの仲間と仲良くする」というゴールが設定されていて、その終着地点に向かって、あーすれば良い、こーすれば良いと進んでいく。 そういった様子を見て、「クダラナイ」と傍観している子がいれば、「〇〇くんは、どうしたら良いと思う?」などと指名されたりする。 ゴールは決まっているし、「全員でそのゴールまで向かう」というルールも決まっている。 全員一致で、「みんな仲良く!はい、おしまい、ジャンジャン」が学校の文化。 小学校の低学年くらいは、本気で「クラスのみんなと仲良くするにはどうしたらよいだろうか?」と考えますが、学年が上がるにつれて、自分たちが求められているゴールが決まっていることに気が付いてきます。 だから、高学年子たちは、早くゴールまで到達しようと阿吽の呼吸で、みんなが模範解答を述べるようになります。 同時に、めんどくさくなりそうな子とは、最初から距離を置こうと思うし、上辺だけ仲良いふりをし始めます。 これが学校という文化の中で適応する方法だから。 私はというと、同級生よりは早い段階で、この学校ルールに気が付いていました。 何故、そう言えるのかというと、学級会が始まった時点で答えが決まっているのに、「どうしてみんなはクドクドと回り道する発言をするのだろうか」と思っていたからです。 ズバッと模範解答を言って、早く終わらせようとしてばかりいる子でした。 社会人になって、すぐに福祉施設で働き始めました。 職員に人権のない職場ではありましたが、職員同士仲が良く、職員間で悪口を言うようなことはなかったです。 しかし退職して、学校で働き始めると、同僚の悪口ばかりで、その違いに驚きました。 でも、一緒に授業をしたり、会議をしたりする場では、そんなそぶりは見せず、むしろお互い信頼しきっている仲間のように振る舞っているのです。 学校の文化なんて、とうの昔に必要がなくなり、忘れていたことだけれども、まさか30になって思い出すとは思いもよらなかったです。 そして、あのとき、学校の先生が教えていた文化は、クラス内でうまく立ち振る舞うためのルールではなく、職員室でのルール、職場での適応の仕方を教えていたのだと思いました。 「嫌いな人とも仲良くする(振る舞う)...

啓発が進めば、分断が進む

ある啓発活動に熱心な当事者の人に、「一般の人の理解が進めば進むほど、発達障害の人と関わろうとする人と、関わりたくないと思う人とがはっきり分かれてくる」というお話をしました。 理解が広がっていくからこそ、分断される。 これは当然のことです。 「理解する」と「受け入れる」はイコールではありません。 理解したからこそ、近づきたくないと思う人もいるのです。 よく「自分たちが子どもの頃も、発達障害の人はいた。今振り返れば、クラスのあの子がそうかもしれない」という話をする人がいます。 そして決まって、「その頃は、そういう子も一緒に遊んでいたし、受け入れられていた」と続き、「今の社会は、寛容さがなくなっている」などと展開されます。 で、オチが「少数派の人たちが生きやすくなるような社会を目指す」…。 こういったお決まりの話が、発達障害の人達の誤学習の元になるのでしょう。 啓発活動に熱心な当事者の人の多くは、「理解=受け入れられる」という誤学習をしているように感じます。 ですから、なおのこと、その人の周りで一緒に活動している支援者に嫌悪感を抱きます。 何故、真実を教えないのだろうか、と。 特に自閉症の人は、見えないものを想像することが苦手であり、物事を一つの側面でしか捉えられないことがあります。 だからこそ、支援者という仕事があって、その見えない部分、見落としている側面を伝えるのが役割のはずです。 それなのに、「理解=受け入れる」とは限らない、という定型発達の人がすぐに気がつくであろう真実を伝えずにいる。 私には、敢えて真実を伝えていないようにも見えます。 「新規の顧客開拓には、当事者を使うのが一番だ」 そんな薄汚い考えが透けて見えることもあるのです。 啓発活動の壇上に上がる当事者の人で、「仕事は充実してるし、お金もあって、恋人もいて、今度の正月休みは海外旅行に行きます!人生サイコーだぜ~~~」みたいな人はいません。 というか、そういう人にはオファーはいきません。 みんな生きづらい人ばかり。 というか、生きづらいからこそ、理解が進めば、受け入れられると信じているのだといえます。 そう、生きづらいからこそ、今の生活が充実していないからこそ、啓発活動に傾倒していくのです。 だからこそ、再三言うようですが、この誤学習を解くた...

見えない障害を敢えて周囲から見えるようにしたいのは誰?

自分の障害をクローズで、仕事の面接に行く人は少なくありません。 そして受かり、そのまま仕事を続け、社会の中で生活している人達がいます。 一方、自分の障害を相手先に伝え、支援者が入り、配慮事項を確認したうえで面接を受ける人もいます。 で、そういう人は、クローズの人とは異なり、ほぼ100%障害者枠が決まっており、障害者として雇われます。 それなのに、なかなか仕事が続きません。 「支援があれば」といって、支援を増やしてきたのに。 「理解があれば」といって、啓発活動をしてきたのに。 あとは、何が足りないというのでしょうか?? 成人の方達から多く訊かれるのが、この障害をオープンにするか、クローズにするか、ということです。 私は、オープンにした場合とクローズにした場合、どのようなことが起こりうるかを一緒に考えます。 すると、ほとんどの方が「クローズで面接を受ける」と言われます。 そのような様子を見て、みなさん、働きたいのであって、障害者として生きたいのではないと感じます。 自閉症やLD、ADHDなど、発達障害の人達は、「見えない障害」と言われています。 そんな「見えない障害」の人達のことを見えるようにしようとするのが、啓発活動に熱心な人達だと思います。 この熱心な人達を見ていますと、見えない障害を敢えて見えるようにすることのニーズは、どこにあるのだろうか、といつも疑問に思うのです。 本当に、発達障害の人達は、周囲から見えていない自分の障害を見えるようにしてほしいと願っているのでしょうか? 私にはそう思えないのです。 もし私に障害があったとして、周囲が気づいていないとしたら、そのまま気づかないままで良いですし、敢えて気づいてもらおうなどとは思いません。 周囲とのズレや困難があったとしても、周囲に気づいてもらうよりも、その困難を解決したい、それが一番の望みになるはずです。 困難があれば、その困難が解決できるのが一番ですし、就職できていなければ、就職できるよう努力したいし、努力の後押しをしてもらいたい。 これは、私が関わらせてもらった成人の方達の想いと同じだと思います。 つまり、就職するのにオープンにした方が良いと考える人は、オープンにしなければ、周囲の配慮がなければ、自分は就職できないし、この人は就職できないと考えているので...

関わってきた人の数が多くなれば、言葉が重くなる

学生時代、大学院の先輩が「私達は障害児教育のエリートなんだ」と言っていました。 障害児教育という専攻の課があり、そこで学べて、その免許、しかも1種免許が取れる大学で学んでいる。 だから、私達は障害児教育におけるエリートであり、リードしていかなければならないんだ。 「社会人経験がなく、狭い世界に籠っていると、人は妄想の中で都合の良い世界を作り上げるものなんだな~」 そのとき、私は思いました。 こういった生活は4年間で十分で、一日も早く社会に出たかった私は、他人とは違った職場を選び、そこでしかない実践と経験をしようと考えました。 相談支援をやっている人で、「なんか具体性がないな」「的のずれた発言しかできないな」と思うと、直接的な支援をやったことがない人だったり、限られた経験しかない人だったりします。 どんなに良いことを言っていたとしても、実践経験のなさは、その言葉の軽さとなって伝わってきます。 学生時代の院生のように、あたかも自分が特別支援を背負っているみたいな上から発言する人には、「今まで、何名くらいの方の支援、教育に携わってきましたか?」と言って、伸びた御鼻を折らせて頂くこともあります。 学校の先生だったとしても、担任し、直接関わる子どもの人数は、1年間で数名程度です。 ですから、20名、30名に対する教育の経験のみで、発言されている場合があります。 とても高い位置からご発言されているなと思った先生に訊いてみると、「普通級で3名の子の担任をしたことがある」という方に驚いたこともあります。 素晴らしい実践家の方は、やはりその数が違います。 特に発達障害と言われている方たちといいますか、人と関わる仕事をしている人は、どれだけ多くの方達と関わったかが問われます。 特別支援教育の先生は、仕事の性質上、何百人もの子ども達と直接関わることは難しいですが、その中でも重みを感じる発言ができる先生というのは、学校以外の場所でも、障害を持った人と関わっている場合が多いと感じます。 学校の中のみであるとか、施設の中のみであるとか、限られた場所で、限られた人としか関わっていない人からは、なかなか素晴らしい実践家は生まれないと思います。 親御さんに「どういった支援者が良い支援者と言えるか?」と質問されることがあります。 良い支援者を一言で...

「その当時、そんな道はなかった」

親御さんの多くは、「支援を受けることが、この子の成長と自立と生活のためにつながる」というところから出発されるように感じます。 親御さんご自身が経験してこなかった世界です。 知識を集めるところから始めなければなりません。 子ども時代にはなかった概念、サービス、選択肢なのですから、自分以外の“専門家”が必要で、どうにかしてくれる、助けてくれると思うのが自然だといえます。 この出発点は、皆さん、同じですが、徐々にそれぞれの道へと分かれていかれます。 まずは、そのまま突き進まれる方。 私はよく「支援の量と、お子さんの成長と自立と生活の質は比例するわけではない」と言っていますが、「いろんな支援を、より多く受けさせることが、この子の幸せになる」と思い、信じ続けられている方たちがいます。 今日は療育機関に行って、明日は病院に行き、支援ミーティングをやって、夜は余暇活動の準備で、週末は親の会、学習会…。 「我が子のためになんでもやりたい」という想いとエネルギーに共感いたしますが、家族全体が疲れて見えることが少なくありません。 また、お子さんが親御さんの想いほど伸びていない、むしろ、こんがらがっているということもあります。 その理由は、端的に言えば、子どもが見えていないから。 子どもの成長と状態を見て、その時々で取捨選択をしなければならないのにも関わらず、あれもこれもと集めることに終始ししてしまった結果、必要のあるものもないものもごちゃまぜ状態になり、子ども自身がこんがらがってしまっている。 支援者は、親御さんはお客様であり、いっぱい利用してくれることが有難いですから、「頑張ってますね、お母さん」「その想い、行動力に、私達の方が頭が下がります」なんておべんちゃらを言いますが、親御さんにそれを真に受けてしまう状況があり、真に受けて育て直す発達のヌケをお持ちなのだと思われます。 いつしか、我が子のために頑張っている親御さんが、頑張っている自分のためにいる親御さんに変わっているなんてこともあります。 支援に対し、疑問が芽生えてくると、分かれ道が出てきます。 このまま支援を受け続けても、希望していた将来に近づいていけない。 または、もう無理かもしれない、そもそもが無理だったかもしれない。 疑問が無念な思いと結びついてしまうと、その無念さが別の...

突然の指摘に、迫りくる選択と手続きの中で

先月くらいから、以前、 就学時健康診断について書いたブログ のアクセスが増えています。 特に今月は、ほぼ毎日、誰かしらが読まれています。 この時期は、全国各地で行われているのでしょう。 先日、息子も就学時健康診断を受けてきました。 生まれてから同じ月日を過ごした子ども達ではありますが、この6年間をどう過ごしてきたのかが随所に表れていたように感じました。 私のブログに辿りつくということは、発達の遅れが指摘された子の親御さんが多いものと想像します。 実際に相談に来られる方たちの中にも、「就学時健康診断で指摘されて」という親御さんがいらっしゃいます。 どの親御さんも、我が子の障害を受け入れるかどうか以前に、初めて障害の存在を知り、そうかと思えば、選択を迫られています。 「支援学級を希望されますか?通常級を希望されますか?」 「お子さんの場合は、支援学級での教育が適していえます。つきましては、なるべく早く診断を受けに行ってください。医療機関で診断を受けたあとは…」 同じように、驚きと戸惑いと不安がごちゃ混ぜになった感情の中、ネット上に情報を求められた親御さんが、今日もどこかにいるのだと思います。 「障害についてわからない」 「どんな教育が良いのかわからない」 「障害を持った人の大人の姿がわからない」 みなさん、「わからないことだらけです」とおっしゃいますが、それは当然のことです。 翌年の4月から特別支援を受けるなら、すぐに動き出さなければなりませんから。 親御さんご自身の気持ちと向き合う暇はなく、やらねばならないこと、選択しなければならないことをこなしていくだけで、すぐに年が明け、入学の時期になってしまうのですから。 「障害を持った子は、放課後、児童デイに通うらしい」 そんな情報を得た親御さんは、いろいろと見学に行かなきゃ、申し込みをしなきゃ、とさらに自分の気持ちと向き合う時間を後ろにやり、翌年の4月に向けて突き進まれます。 当然、福祉の仕組み、特別支援の実態などを知る由もなく、支援を受けることが普通であり、良い支援を受けさせることが、この子にとって良いことになる、そんな思考を作り上げてしまいます。 突然の指摘に、迫りくる選択と手続き。 そんな中で、ゆっくり自分の気持ちと向き合う時間がないかもしれません。 でも、...

障害者をメンドリに仕立てる土壌の正体

イメージ
福祉施設で働いていたときも、支援学校で働いていたときも、同僚の人達は一生懸命で、「利用者、生徒のために頑張りたい」という人ばかりでした。 現場の職員の中に、「この子の障害は重いままで良い」「問題はそのままで、成長しない方が良い」と考えている人はいませんでした。 それは当たり前のことで、支援者は問題がなくて、自立的に生活できる人の方がラクですし、教員は子どもの成長を願う人が就く仕事ですから。 しかし、このように障害を持った人をメンドリにしようとは思っていない現場の職員たちも、知らず知らずのうちにメンドリ化の土壌を育みます。 それは、障害を持った人と関わる仕事を求める人の中には、身内に障害を持った人がいる人が多いこと、愛着障害を持った人が多いことが関係しています。 障害を持った身内(その多くは兄弟児)がいる職員と一緒に仕事をしていますと、どうしても手を貸し過ぎる傾向があります。 そういった様子からは、子ども時代、手を貸すことを求められ、また手を貸すことで家族から有難がられていた姿が見えます。 口では「自立」と言うものの、先に、先にと自然に動き過ぎることがあるため、結局、その人を自立から遠ざけてしまう、介護慣れさせてしまいます。 同様に、愛着障害を持った職員は、自分を頼ってくれる人がいることで自分の存在価値を感じようとする傾向がありますので、その子が自分の手から離れようとすると、急に気分が落ち込んだり、そうさせまいとしたりします。 ですから、これまた無意識のうちに自分の側にい続けてくれることを求め、結果的にメンドリとして籠の中に閉じ込めてしまうのです。 他にも、特に教員は、子どもが障害を持っているから自分が先生であり、その子が生徒になりますので、支援級から普通級へ転籍するのを嫌がったり、自分の力量不足や課題の多いクラスを受け持った場合には、一人ひとりに合わせて伸ばしていくよりも、その日一日を無事に終えられるよう学級適応を目指した指導になってしまったりすることもあります。 福祉の場合は、志を持って就職した人よりも、「仕事がなくて」や転職組が多いですから、もともと知識を持っていない、障害=介護だと思っている、問題なく静かにしててくれればよいと思っているなど、結果的に大人しいメンドリを求めて仕事をしてしまいます。 このように直接かかわる現...

親御さんは、治ってほしいから早期療育に行く

幼い子の親御さんは、みなさん、「治る」を求めていらっしゃいます。 最初から「一生涯の支援」なんて求めてはいないのです。 改善ではなくて、治るが希望です。 「治したい」というのは親として当然の想いです。 そんな当然の想いをもって、早い時期から療育を求めていきます。 ですから、早期療育というのは、治したいという想いを持った親御さんが受けに行くものです。 しかし、早期療育をおこなう方は、親御さんと同じ想いを持ち併せてはいません。 むしろ、親御さんの希望とは正反対の方を向いているのです。 私のところにいらっしゃる親御さん同様、発達障害を治したいと思い、また治ることを期待して早期療育を受けに行きます。 幼い我が子を抱きかかえ、いろんな時間と引き換えに療育機関に行く。 そして辿りついた先が、期待していたもの、希望したものではなく、一生涯の支援コース。 障害があるのだから、より多く支援を受けることこそが、親にできることであり、この子の幸せにつながる…。 そんな風に囁き、特殊な価値観に誘導していくのです。 一生涯の支援が決まっているのなら、年端もいかない子を抱きかかえ、いろんなものを投げ打って、早期療育とやらに行くでしょうか? 親御さんは早期から療育を受ければ、症状は治っていくし、将来の自立につながると思っています。 それなのに、何をやるかと思えば、絵カードの使い方の練習、ごく限られた場所でしか意味をなさないSST…。 これって支援者が支援しやすいような“植え付け”を行っているだけでしょ。 早期から支援を入れておけば、あとあと支援がラクっていうのでしょ。 早い時期からメンドリにしておこうっていうのでしょ。 早期療育というのは、治す方を向いていないといけません。 支援導入期ではなくて、この子が生を受けたそのときから今までにやり残してきた発達のヌケを育て直す時期だと思います。 早期から発達のヌケを育てなおしてきた。 それでも埋まらないものがあれば、そこは上手に支援を受けながらより良く成長と生活の充実を目指していく。 それが自然な姿、流れだと思うのです。 幼い子の親御さんは、いろんな面で余裕がありません。 そんなとき、親なら誰でも思うし、願う「治る」だけをもって早期療育の扉を開けてしまいます。 扉を開けた瞬間から走り...

一回目の個別相談会を行いました

イメージ
今日は一回目の個別相談会でした。 朝から断続的に雨が降り、自分の日頃の行いの悪さを恨んでいましたが、5組のご家族の方達に来ていただきました。 年代も、悩まれていることも、育てたいところも、皆さん、それぞれでしたが、「我が子のためにできることをしたい」「自分たちでしっかり育てたい」という強い想いを感じました。 このような強い想いを持ち続けていれば、子どもさんはより良く成長できると思いますし、このような親御さん達が増えていくことが、地域と社会を変えていくことにつながると思いました。 この相談会には、私のスケベ心があります。 相談にいらした方達の中から、実際の発達援助の利用につながれば良いと思い、またそれを目的としています。 個人事業主は、ボーと指をくわえて待っていれば仕事がやってくるわけはありませんので、いろいろな手段で、お客さんを獲得していかなければなりません。 そうやって試行錯誤しながら5年間、過ごしてきました。 しかし、この相談会にはビジネスの側面だけではない目的もあります。 それは土を耕すということです。 私は、この地域に「本人と家族主体の発達援助」という土壌を作っていきたいと考えています。 「福祉がどうにかしてくれる」「専門家に任せておけば安心」というような長年に渡って培われてきた土壌を変えたいのです。 もちろん、私一人にできることは限られていますし、一変させるような実力はありません。 相談会でも、親御さんのお話を聞いて、100%の答えをお返しすることはできません。 ですから、家庭でできる発達援助を“一緒に考える”というスタンスになります。 相談にいらした方が、診断された瞬間から延びる特別支援のエスカレーター以外の道があることを知ってもらえれば、一番の目的は達成だと考えています。 「そうか、発達の遅れやヌケは、家庭でも育てていけるんだ」 「発達障害は治しやすいところから治していく、治るものなんだ」 そのような事実を知ると、「治ってほしい」と自然な親心が、子どもの発達を後押しする力になると思います。 「発達障害は治らない」「一生支援を受け続ける必要がある」「怒ったり、頑張らせてはならない」「社会の理解があれば、生きやすくなる」そんな情報しかない状況が、本人と家族を迷わせ、誤った選択へと導くのです。 「ネ...

支援を選べるけれど、捨てられない

選挙後、排除発言が話題になりましたが、どうしてそんなに騒ぐのか、私にはわかりませんでした。 あの発言があろうがなかろうが、勝つところは勝つし、負けるところは負けます。 ですから、「排除する」という言葉を強く受け取ってしまう人達が多くいて、排除自体を好まない文化があるのだと思いました。 排除といいますか、捨てるということは、子どもを育てることにおいても大切なことです。 子育てに正解はないのですから、特定の人や方法にこだわる必要はありません。 我が子に必要なもの、合っていると思うものをその時々で選び、カスタマイズしていけばいい。 良いとこどりが基本であり、必要なくなったものは捨てていく、選ばないというのの繰り返しです。 子どもの発達を後押しするのが上手な親御さんというのは、その時々で何を選ぶのか、何を捨てるのかが上手だと感じます。 その一方で、どうも後押しがうまくいっていない親御さんは、選んでいるけれど、捨てることができない、そんな風に感じます。 一度、良いと言われた方法があれば、それをやり続ける。 エビデンスがある、有名な支援者がやっているからといって続けるのも同じです。 「我が子に良いかも」と思った方法をあちらこちらから持ってくる。 だけれども、方法だらけになって、結局、何を育てたいのか、何を育てているのか、本人も、家族もわからなくなってしまう状態に陥ってしまう。 選べるけれど、捨てられない、止められない、という方を見ていますと、自ら選んでいるようで、本当は選べていないようにも感じます。 つまり、その取捨選択に主体性がない。 もし、主体的に選べているのなら、きっと「我が子のここを育てたくて、この方法を選ぶ」というように子ども発信で、具体的な目的があるはずです。 それだと、子どもが育ち、具体的な目的が達成されれば、その方法を捨てることができます。 ですから、選んでいるのも、自分の主体性からではなく、「良いと言われているから」「みんなやっているから」というような他者だったりするのです。 子どもは常に変化し、発達成長しますので、同じ方法で良いということはありません。 以前は良い影響を与えていたものが、却って妨げになるということもあります。 ですから、その時々で、子どもの変化を見ながら、必要だと思うものを選択し、そ...

問題を起こすのは障害くん!?

イメージ
問題が起きたとき、問題を起こしたとき、障害が擬人化されることがあります。 「この子には障害があって…」 「本当は、問題を起こそうと思っていなかったんだけど…」 中には、迷惑をかけられた方に向かって、「あなたの〇〇という言動が、本人に誤って伝わったかもしれない」などと言うことも。 あたかも、障害という本人ではない何者かが、そうさせているような雰囲気を出します。 問題を起こす主体を本人から切り離すこと。 本人ではなくて、障害が問題を起こさせているとすること。 これを支援者がやるのなら、それは接待であり、本人や家族がやるのなら、それは責任転嫁です。 特別支援の世界では、あくまで本人、そして家族は、お客様です。 ですから、加害者側だったとしても、「一番困っているのは、一番苦しんでいるのは、本人なのです」と言います。 いやいや、一番困っているのも、一番苦しんでいるのも、被害を受けた人。 自己肯定感がどうのこうのと言っていますが、結局のところは、お客様の気分を害さないようにしているのです、加害者を障害くんのせいにすることによって。 今までにも、問題を障害のせいにする本人や家族と関わってきました。 そういう人たちに共通しているのは、問題がいつまで経っても直らないこと。 問題を自分から切り離すこと、問題を起こさせているのが自分以外であること。 そう思うことにより、今、ラクでいられることを選んでいるように見えます。 また同時に、「問題を誰かが解決してくれる」というような受け身の姿勢も見られます。 話をしていて、自分の問題なのに、どこか他人事のような雰囲気を醸し出すというのは、主体性が育っていない人であり、接待慣れしている人なのだと思います。 世の中の切り取り方の違い、想像のズレ、衝動性などが、問題とつながることもあります。 しかし、そうだとしても、問題を起こすのは、その人なのです。 問題を本人から切り離してしまうと、問題のきっかけになるようなことを排除する、刺激にならないように配慮するというように、周囲が気を使う対処療法が中心になってしまいます。 対処療法では、問題は解決しないといいますか、もともと問題を根本から解決しようとしていない、できないのです。 ですから、本人や家族が今、ラクのために、自分から問題を切り離したとしても、対...

子育ての主導権をしっかりと握っておく

ヒトとしての土台作りは、家族と家庭生活が中心だと思っています。 特に、発達障害の子ども達は、お勉強が始まる前の時点で遅れやヌケがあり、それも脳の表面ではない深い部分で起っていますので、幼少期からの子育て、親御さんの主体性と選択が重要になってくると思っています。 「支援」や「療育」という言葉は、子育ての主導権を自分たちの方へと移すためのギョーカイ用語です。 職業支援者は、いろんな言葉を使いますが、結局、やっていることは子育てなのです。 子育ては、発達障害という概念が生まれる前から営まれていたこと。 生きていくために治しておいた方が良いことは治す、できないことはできるように教える、遅れている部分があれば発達を促す。 これらは、人だけではなく、動物たちも行っているのです。 私は、ギョーカイが持っていこうとする子育ての主導権を、親御さんに取り戻してもらう、持ったままでいてもらうようにしたい、と思い活動しています。 しかし、それは昔のような子育ての姿に戻そうとしているのではありません。 今、発達障害の人達、家族が利用できるサービスが存在しています。 ですから、子どもの成長や発達に必要なサービスは上手に利用しながら子育てを行っていけば良いと考えています。 ただそこには、親御さんの主体性が必要です。 「早期療育が必要です」「放課後は児童デイの利用が良いでしょう」という支援者の言葉を鵜呑みにしてはいけません。 本当にそのサービスが必要なのか? それを利用することによって、子どものどの部分を育てているのか? そういったことを考えた上で、選択し、利用することが大事だと思います。 「内容には満足していないけれど、利用できるから」と言って、児童デイや相談支援、療育をルーティンワークのように利用し続ける。 確かにお金は使っていませんが、子どもの成長の時間は確実に消費しているのです。 「親の私が、この子の発達の遅れを取り戻させる、発達のヌケを育て直す」という意識が生まれたとき、生活の見直しが始まります。 私が関わらせてもらっている親御さんも主体性が出てくると、児童デイに通う日数を減らしたり、止めたりします。 また相談や療育機関も、必要なものとそうでないものの選択をするようになります。 これは、私が誘導したのではなく、親御さんの考えによる...

個別相談会 @ Gスクエアのご案内

イメージ
この世界に入ったスタートラインは、学生時代の余暇支援ボランティア。 どうして障害を持った子の親御さんは、活き活きと子育てができないのだろうか? 他人に子育てを委ねる必要があるのだろうか? どうして子育てに専門家の力が必要なのだろうか? どうしてそんなにも専門家を有難がるのだろうか? そんな疑問が始まりでした。 それから、障害を持った人の支援をしていくにも、寝食を共にし、生活してみないと本当の理解はできないと思い、入所施設に就職。 そのあと、支援学校の教員になり、訪問支援の仕事を始めました。 私の中心は、常に『家庭での子育て』です。 福祉の未来は、決して明るくありません。 職員の労働環境の問題。 職員の人権が守られていない状況。 「きちんと育っていれば、利用しなくて済んだのに」と思われる人が利用している一方で、本当に必要な人に福祉の手が届いていない状況。 学校の先生がいくら頑張ってもできないことがあります。 きちんとした生活習慣を身に付けることと、勉強できる状態で登校させることです。 「学校の対応が悪いから」 「指導の仕方が悪いから」 「学校で我慢してるから」 と言われることがありますが、学校は子どもを落ち着かせ、安定させる場所ではありません。 新しいことを学び、挑戦し、試行錯誤する場所です。 学校も集団であり、社会なのですから、そこで認められないことは注意され、直されるのは当然のことです。 学校でより良い学びができるのは、先生の力だけではなく、家庭の力も重要なのです。 私は、福祉の中にいた人間だからこそ、本当に必要な人に福祉が届く世の中にしたいと思っています。 それには、家族が主体的に子育てができるようにすることが大事だと考えています。 子育ての主導権を奪おうとする他人と出会う前に。 子育てを諦めさせる他人と出会う前に。 障害の重い軽いに関係なく、発達の遅れやヌケがあるところを育てていく、治しやすいところから治していく。 それを家族が中心となって行えること、行なえる人が増えていくこと。 これが私の目指しているところです。 本気で、私を含めた「支援者」という商売を無くしたいと考えています。 必要なのは、本当にケアが必要な人に寄り添える福祉職員と、子どもの成長と未来のために教え育てる学校の先...

聞きたいのは、エビデンスではなく、エピソード

親御さんは、エピソードトークが始まると、真剣な眼差しに変わり、一言も聞き逃さないようにと耳を傾けられます。 親御さんとお話しして感じるのが、我が子の話と同じくらい、またはそれ以上に、他人のエピソードを知りたがっていること。 我が子と似ている子が、どのように成長していったのか。 どういった取り組みをして、どのように変わっていったのか。 そして何よりも、治った人とその家族のエピソードを聞きたいと思われている。 この仕事をしていると、支援者側の人達から「論文を書いたら良い」と言われることがあります。 「支援級から通常学級へ転籍できた子のケースを」 「取り組みの結果、症状が治まった人のケースを」 確かに、助言をくれた人たちのように、論文を書くことは、治った人達の姿を多くの人達に知ってもらうための手段の一つだと思います。 それによって、新たな縁が生まれ、私がお手伝いできる人が増えたり、「治る」という道があることに気づいてもらえるかもしれません。 しかし、私は、そういった話を貰うたびに、嫌悪感しか出てこないのです。 私は『事例』という言葉が嫌いです。 事例研究、事例発表、事例検討…。 事例という言葉で表された瞬間、その人の命の躍動感を奪うような気がするのです。 大事な一人の人間が、情報の一つになってしまう。 その人の持つ主体性を、事例を扱う人間が奪っていくような気がしてならないのです。 事例の多くは、事例を扱う人間のための“道具”になる、とすら思っています。 私は、主体性のある、本人にとっても、家族にとっても、大切な“人”の支援をしています。 論文を書くために、事例として研究するために、おのれの立身出世のために、この仕事を始めたのではありません。 一人ひとりの人と真剣に向き合うために、この仕事を始めたのです。 だから、その一人ひとりを事例の一つとして情報にしてしまうことなどできません。 ましてや、「あなたを、あなたをお子さんを事例として論文を書かせてほしい」などという言葉は私の内側から生まれてはきません。 論文を書くというのは、エビデンスを示すための方法でしょう。 でも、親御さん達が聞きたいのは、エビデンスがあるという情報ではなく、その人の息吹を感じられるエピソード。 だから、私はエピソードを大切にします。...

発達のヌケを埋めたあと、やり残した発達課題へ戻る

ある親御さんから相談を受けました。 近頃、子どもが「これ何?」「あれ何?」「どうしてなの?」と質問攻めしてくる、と。 こういった質問攻めは、だいたい4歳前後に見られます。 相談を受けた子は、小学生で、しかも高学年。 親御さんは、「急に幼い子みたいになった」と心配していました。 しかし、こういった「幼い頃に戻る」姿は、珍しくありません。 特に、発達のヌケが埋まったあとに、やってくることが多いですね。 簡単に言えば、発達のヌケの育て直しが終わったあと、やり残していた時代に戻り、今度はそっちを育て治すのです、本人が。 上記の子の場合、4歳前後は落ち着いて成長できる、何かを学べるような状態ではなかったそうです。 当然、定型発達の子たちが辿るように、質問攻めは見られませんでした。 数か月間、発達のヌケを育て直し、脳の深い部分が埋まり育ったので、「じゃあ、あのとき、できなかった発達を」ということで、脳の上部の育て直しが始まったのでしょう。 こういった姿を見ると、本当に子どもの身体は賢いし、人間の発達する力は素晴らしいなと思います。 ですから、親御さんには「退行が始まったわけでも、精神的に不安定になったわけでもありません」とお話ししています。 4歳の頃、できなかった発達課題を、今、自ら育て直し始めたんですね。 言語以前の発達のヌケが埋まると、それ以降の発達のヌケを育て治そうとする動きが、子どもの方から見られることがあります。 こういった視点を持つことは大事だと考えています。 大きな子が質問攻めを始めると、問題行動と捉える人もいます。 そして、無視したり、視覚的にルールを教えたり、自分で調べる手段を教えたりします。 もちろん、質問を繰り返す子の場合、想像通りの返事があることを狙って質問を繰り返す他人をまきこんで安定しようとするパターンもあります。 そういった場合には、上記のような対処が必要なこともありますが、相談があった子のように育て直しを行っている場合もあるのです。 そんなとき、無視しても、視覚的にルールを教えても、育て直しは進んでいきませんし、質問攻めはますます激しくなるばかりです。 ですから、「もしかしたら育て直しが始まったのかも?」という視点が大事になってきます。 発達のヌケが埋まると、やり残した時期に...

「治って嬉しい」

昨晩、放送されたNHKスペシャル『人体 神秘の巨大ネットワーク』を観て、革命と言われるくらい医学が発展し、変わっていることを知りました。 以前は、治らなかった病が治るようになっている。 それは技術面の発展とともに、「病気を治したい」「患者さんを救いたい」という想いで、臨床に励み、研究されている多くの医師たちの存在を感じました。 この番組内でもそうですが、いろいろな番組、文章で、山中教授は「治って嬉しい」と発言されます。 とてもシンプルな言葉ですが、こういったシンプルな想いが人を医師にするのだと思います。 治ってほしいから、治したいから、医師を志す。 不治の病と呼ばれている病気、障害を治そうとしている人達がいる。 人類がガンを克服する日のために、挑んでいる人達がいる。 そして、自閉症、発達障害の完治を目指し、原因の特定、薬の開発を目指している人達がいる。 それぞれの道で、それぞれ「治す」というゴールを目指し、歩んでいる。 医学界の中にも、発達障害を治そうとする人達がいます。 でも、臨床医の中には、特にギョーカイ活動をしている医師たちは、「治りません」と言います。 ここで、いつも私は疑問に思うのです。 「治りません」と言う医師は、多くの医師が持っているであろう「治ってほしい」「治したい」という想いを持っていないのだろうか、と。 「現代、医療では治らないけれど、いつかは治したい」と思っているのか、それとも、「これからも治らないし、治ってほしくない」と思っているのか。 どうも、治そうという意志が伝わってこないですし、治らない現状を良しとしている印象を受けます。 医師を志したからには、皆さん、治ってほしいという想いを持っているのではないのでしょうか。 治したいという想いを持ち続ける人が研究者の道へ、治したくない人が臨床の道へ進む、なんてことにはなっていないと思いますが…。 とにかく医師の中で「治らない」とはっきりと言い、治さない、治そうとしない自分自身の診療に堂々としていられる人がわからないのです。 思想や腕の問題で、自分の食い扶持のために「治りません」と主張するのは、想像がつきます。 しかし、治そうと研究している同じ医師に対し、揚げ足とりをしたり、その治そうとする姿勢を否定したりする意味がわかりません。 治そうと...

発達障害が治ったあと、不安定になる親御さん

子どもさんの発達障害を治すことは、親御さんの心を晴れやかにする、と思っていた。 しかし、差し込んだ光に向かって歩み始められる人もいれば、そうではない人も少数ではあるがいる。 相談時、親御さんの心を覆っていた雲は、発達障害が治っていく我が子の姿を見ることで徐々に消えていくが、いざ「もう治りましたね」と言われると、急に雲行きが怪しくなる。 どの親御さんも、始めの雲は「我が子」からできた雲。 我が子の苦しむ姿が、学びが積み重なっていない姿が、将来の姿が、雲となって親御さんの心を覆い、その雲を晴らそうと、「治ってほしい」「治してほしい」と言う。 だから、治り始めると雲が薄くなっていき、治りかけの頃には最初の雲がほとんど見えなくなる。 「空も晴れてきたので、この辺で失礼します」と、次の場所へと私が立とうとすると、「また雲が出てきました。雨も降ってきそうです」と言う親御さんがいる。 「おかしいな」と空を見上げると、確かに雲が空を覆っている。 でも、その雲は、最初の雲とは違う。 そう、親御さん自身から出た、いや、親御さんが出した雲だ。 親御さんの中には、我が子の発達障害が治る、と急に不安定になる人がいる。 最初は、私もどうして不安定になるのか、わからなかった。 治ってほしかった我が子が治ったのだから。 私との関わりの中で依存が生まれ、「ここからは一人で子育てを頑張ってください」ということに不安を感じたのかもしれないと思った。 でも、私は最初から「ずっと支援する気はない」と言い、親御さんにこそ、自立と主体性が大事だと伝えてきた。 一人ひとりの親御さんを見ても、ちゃんと子育ても、発達援助もできる方達ばかり。 じゃあ、そんな方達の中から、いざ発達障害が治ると不安定になってしまう人が出てくる理由は…。 近頃、私はわかった。 我が子の発達障害が治って不安になっていないんじゃないことを。 その雲の正体は、不安ではなく、ラクだったのだ。 親御さんは、「治ってほしい」と言う。 それは本心だと思う。 でも、その一方で、「治らない方がラクだ」という思いがあるように感じることがあった。 「支援級では、一日たった10分しか勉強する時間がないんです」と不満を言っていたはずなのに… 「我が子をギョーカイのメンドリにはさせない」と息巻いて...

選択肢のある人生を歩めるために

「発達障害を治すことが目的じゃなくて、幸せになることが目的です」 私は、この言葉を親御さんに繰り返し言いますし、伝えています。 「えっ、発達障害って治るんですか!?」なんて驚くのは、勉強不足であり、時代遅れ。 「治りません」と言い続ける人は、もはやその人のイデオロギーか、治らない方がラクだから、そう言っているんだろう、と解釈します。 私達が生きている今は、治す実践をされている方がいて、治っている方達がいます。 治せる時代になっていて、これからは治すのが援助の標準にならなくてはいけません。 ですから、私は“治す”を仕事にする一人だからこそ、“治す”を目的、ゴールにしてはならない、と考えています。 冒頭のようなことを言いますと、「どういったことが幸せか?」と尋ねられます。 私は、幸せを「選択できること」と捉えています。 発達障害を治すのは、その子の人生の選択肢を増やすための援助であり、自ら選択できるようになることが理想的な姿だと思っています。 何を食べ、どこに住むのか。 どういった仕事をし、誰と生きていくのか。 こういった1つ1つの選択を自分自身でできることが幸せであって、特に子ども達の育ちに関わる場合には、将来の選択肢を増やせるような成長、発達の促しをしなければならない、と考えています。 このような考えに行った根っこには、施設職員だったときの経験があります。 激しい行動障害が治り、落ち着いた我が子を見て、「この子は、ここに来るのが幸せだった」「ここで暮らすのが幸せなんだ」と言われる親御さんがいました。 このような発言を聞くたびに、経験が浅い20代の私にも、この言葉が本心ではなく、エクスキューズでしかないことがわかりました。 また、例え親御さんはそう思ったとしても、「本人たちは絶対に幸せだと思っていない」と確信できました。 何故なら、誰一人、自ら選択して入所した人がいないから。 それは、入所の経緯から考えても、本人たちに選択する力が乏しかったことからわかります。 私が働いていた施設に限らず、「利用者の幸せを追求する」など理念を掲げているところは多々ありますが、入所者の方が「退所したい」といえば、それをかなえてくれるのか、そもそも選択肢を与えているのか? いくら個人の幸せを高々と掲げようとも、選択肢のない生活の中に、...

責任を味わう

若い世代の方達とお話をしていると、「責任を取らずに、ここまで来たのかな?」と感じる人たちがいます。 いざ、自分で責任を取らないといけない場面がやってくると、その責任の取り方を知らない。 何故なら、彼らは支援、配慮という名の“接待”を受けてきたために、常に責任は誰かが肩代わりしてくれていた。 または、「障害ガー」「社会の理解ガー」ってことで、周りにいる大人すら責任を取らなかった。 そんな姿が、過去が見える人もいます。 責任を取らずに歩んできた彼らも、自分がしたことの“結果”は見てきました。 でも、その結果は、純粋な結果ではなかったのです。 障害の有無に関わらず、成長する過程の中で、多くの失敗をします。 自分がしたことの失敗という結果を見ること、体験することで、失敗という概念を理解し、試行錯誤という生きる力を身に付けていきます。 たくさん失敗したことがある子の方が力強いのは、たくさん試行錯誤をしてきたからだといえます。 しかし、支援という名の接待を受けてきた子たちは、そもそも失敗の経験が多くありません。 それは、定型発達の子たちと同じように失敗したとしても、失敗という純粋な結果を見せてもらえなったと言い換えることができます。 配慮がなされることで、どっかのVIPですか並みに、どこに行っても、並ばなくても良いし、着いた瞬間に始められて、しかも他から影響を受けないような特等席が用意される。 支援がなされることで、失敗しそうになったら、すぐに手が差し伸べられるし、たとえ失敗しても、大きな失敗ではないように見せる支援が展開される。 中には、「一緒に責任を取る」という訳のわからない支援がなされ、本人の代わりに支援者が誤ったり、後始末をしたりすることもある。 情報処理の仕方、世の中の切り取り方、捉え方に違いがある自閉脳の人達に対し、支援や配慮は結果の姿を歪ませることもあります。 本当は、自分がやった行いで、他人を怒らせてしまった。 でも、本人が見えないところで、「あの人は、自閉症という障害があって」「悪気はないんだ、特性でもあるんだ」と説明し、本人が気づかないうちに責任をうやむやにしてしまう。 そういった支援や配慮を想像できなかった場合、本人に残るのは、自分に対し怒ってきた他人の姿だけ。 自分に責任があるのに、「あの人は怖い...

できない理由は、できるまでやっていないから

イメージ
近頃、下の子は、掴んだモノを床に落とします。 身近にあるモノを掴んでは落とし、掴んでは落としの繰り返し。 以前は落としたら、落としっぱなしで見ることはなかったけれども、必ず落ちたモノを確認するようになりました。 まだ生まれて9か月しか経っていない彼は、重力なんて知らないけれど、こうやって「物は地面に落ちる」ということを体験的に学んでいるのだと感じました。 ですから、止めることはしないで、本人が満たされるまで、とことん落とさせています。 上の子は、今週末に運動会があり、障害物競走では逆上がりをしなくてはなりません。 保育園で練習しただけではできなかった息子は、保育園から帰る途中や休日に公園へ行き、ひたすら鉄棒で逆上がりの練習をしました。 何度失敗しても、悔しくて泣いたり、怒ったりしても、私ができることはただ一つ。 とことん付き合うこと。 心の中では早く切り上げて帰りたい日もあったけれど、「できるまで付き合う」と決めたからには、本人が納得するまで見守りました。 決して運動神経が良いとは言えない子だけれども、3連休の間にできるようになりました。 私は子育てでも、仕事でも、とことん付き合うことを大事にしています。 本人が納得するまで付き合う、コツを掴みそうになったら継続できるよう後押しする。 例え約束の時間が過ぎたとしても、例え次の予定があったとしても、一度掴めたら放さない時期を生きる子ども達には、できるだけ付き合います。 こういった私の姿勢は、批判を受けることもあります。 「やりたいことばかりさせていたら、我がままになる」 「時間を守ることも大切だ」 「途中で止めれることも大切だ」 確かに、そういう力、姿勢を身に付けることも大事でしょう。 しかし、神経を育てるのに最適な時期があり、発達には順序があります。 我が身をコントロールするには、まず我が身という土台が育っていなければならないのです。 土台が育っていな子に、大脳皮質から押さえ付け、我が身をコントロールせざるを得ない状況を作るアプローチだったり、「見通し見通し」と言って、本人の主体性の入る余地のない他人が決めたスケジュールで予定を区切ったり…。 私の「とことん付き合う」という姿勢は、大脳皮質系のアプローチから見れば、専門性のない、それこそ、誰にでもできる方法な...

世の中で、唯一、働かないことを推奨してくる大人が側にいるのだから

「忙しいよ~」「辛いよ~」「休みたいよ~」と言う人に限って、あまり働いていない(ブ) 本当に忙しく働いている人は、そんなことは言わず、言う暇もなく、黙々と働いているものです。 「忙しいなう」「休みたいなう」と呟くくらいなら、その時間を休めばよいと思いますね。 このような人は、いくら仕事の量が少なくとも、「忙しい」とか、「休みたい」とか言うでしょう。 きっと彼らは、仕事のことをただお金を得るための手段としか考えていなく、中には仕事をすることが罰のように捉えている人もいます。 だから、「少ない労働で、多くの賃金」を目指している。 「仕事は、お金を得るために行うものである」というのは、真実だと思います。 しかし、それは表面的な捉え方。 仕事を通して成長し、より良い人生と社会のために自分の持っているものを活かす。 それこそが、本来の仕事の意味だと考えています。 成人した方達とお話をしていると、仕事は「お金を得るための手段」という面でしか捉えていない人も少なくありません。 また成人したら「仕事はするもの、すべきもの」という捉えでしかない人もいます。 こういう人は、総じて労働意欲が乏しい。 医師も、支援者も、成人した発達障害の人に対しては、働くことを勧めません。 自立してもらっては困るからです。 そのため、「二次障害ガー」と脅す一方で、「一生涯の支援が必要だ」と説き、働かなくても生きていける方法を教えます。 支援サービスの受け方、障害者年金の額と貰い方、そして、「最後は生活保護を申請すればいいんだから」と言うのです。 結局、生活保護を受けて生きることを勧めるのなら、就労支援はいらないし、早期診断、早期療育もいらない。 そういったサービスを作るんだったら、そういった心持ちで支援者がいるのなら、支援者、支援機関はいらなくて、初めから国が手当てを出し、丸抱えしていくシステムにすれば良いのです。 本人が持つ想像に関する特性と、労働を勧めない支援システム、労働意欲の乏しい支援者が折り重なると、「仕事はお金を得る手段」「仕事は罰のようなもの、できればやらない方が良い」という労働観が本人の中にできあがります。 こうなってしまうと、親御さんがいくら焦っても、就職しようとしませんし、就いたとしても続きません。 仲間集団を作ることが...

支援者は公園一つに勝てない

ある成人の方が言っていました。 「雑談にはノッてくれるんですけれど、相談には乗ってくれないんです」と。 何かチャレンジしようとすると、「無理しないで」と言われ、ストップをかけられる。 「私は、何のために相談機関に通っているのでしょう?わからなくなりました」と言われたので、「それは、〇〇さんのためではなく、支援者のために行っているんですよ」と、私は言いました。 「一生治りません」という前提から出発したシステムでは、「相談して解決できた」という結果はど~でもよくて、とにかく「〇月〇日、〇時~〇時まで相談した」という事実のみが必要。 もちろん、誰にとって必要かといえば、相談に行った本人、家族ではなく、支援者側にとって。 支援機関というのは、無料で、対象者なら誰でも相談できる、という場所のことを指し、効果がある、問題が解決することをウリにしているわけでも、保証しているわけでもありません。 ましてや、支援者側も「一生治りません」と言い、その前提で仕事をしているのですから、何か効果を目的として通われるのでしたら、それは通う方にも、勉強不足という問題があります。 先ほどの成人の方に、私は言いました。 「“無理しないで”という言葉なら、医師免許も、教員免許も、資格も必要ないですよね。どうせだったら、よく知らない人間から言われるより、よく行くコンビニの店員さんから“無理しないで”と言われた方が、よっぽど心地が良いはずです」と。 それを聞いて、成人の方は笑っていました。 医師免許や教員免許、資格などを取得した人は、いくら私が「意味がない」と言っても認められないでしょう。 でも、実際、治らないと思っているんだし、治そうとは思っていないのですから、「じゃあ、なにをしているの?」という疑問が浮かぶのは自然です。 「無理しないで」という言葉に、専門性があるというのなら、どんな専門性があるのか訊いてみたいです。 支援者の「無理しないで」と、家族の「無理しないで」、友人の「無理しないで」、ご近所さんの「無理しないで」の違い(ブ) 私は、日々、発達援助という仕事をしていて思うんです。 私が行っている発達援助は、公園には勝てない、と。 公園には遊具があって、思いっきり走ったり、跳んだりできる空間があって、子どもたちや虫たちがいる。 セッションの中...

人は反射のみで生きているのではないのだから

行動に注目し、行動を変えることを中心に置く支援者というのは、支援者自身の評判がすこぶる悪いことがある。 それは、きっと彼らが“心”を対象から外すからだろう。 その人の気持ち、感情は、外から見ることはできない。 だから、目に見える、外から確認できる行動のみを支援の土台にあげよう。 そういった姿勢が、彼らが冷たい人間で、それこそ、心のない人間のように映してしまう。 彼らが支援のテーブルの上から外すものは、“心”以外にもある。 それは“身体”である。 心を支援の対象から外したのと同じように、身体も、彼らにとっては伺い知れぬものとなるため、除外の対象となる。 彼らは、目に見える“動き”が大好物である。 しかし、 その動きの土台となる身体を大切にしない、または、ないがしろにすることが、行動変容というアプローチの限界を生みだしている、と個人的には思う。 人間性は置いておいて、行動変容を中心にしつつ、効果のある支援ができる人というのは、“動き”とその土台である“身体”を引き離さない、という特徴があるように感じている。 「何か偉そうだ」「上から目線だ」「平気で失礼な態度をする」 そんな風に言われる支援者というのは、行動変容系に多い気がする。 それは、心を外し、身体を外した結果なのだろう。 心と身体性が乏しければ、相手との心地良い交流を生むことも、距離を取ることもできない。 また何よりも、アプローチする際、心が使えない分、相手の身体性が掴めない分、上下関係を作るしか指導を成り立たせるものがなくなってしまう。 行動する主体は、本人である。 本人が変えるから、行動は変わる。 だが、本人がしたい行動と、変えさせたい行動が、いつも一致しているとは限らない。 「なんで、あんたの言う通りに、私の行動を変えなければならないんだ」 というのは、本人の持つ主体性に、無礼な手が触れた瞬間に起きる。 そんなとき、無礼な手を無礼じゃないように見せる方法は、ただ一つ。 「私が上で、あなたが下」という文句。 触れても問題ないでしょ、言うこと聞きなよ、行動変えな、というような態度でくるから、主体性のある本人や家族は、こういった当たり前のように上下を作ろうとする様子に、不快感を示す。 刺激に対し、反射のみで生きる生物にとっては、心を排除...

支援を商売にするためのテクニック

このブログは、支援を商売としている方達にも見て頂いています。 ですから、今日は、その方達のために、私が5年間、商売をやってみて分かったテクニックをお教えしようと思います。 支援というのは、実態があるものではありませんので、どう親御さんに、と言いますか、親御さんの頭の中に支援をイメージさせるかがポイントになります。 そもそも、その子に良い変化が見られたとしても、それが支援の効果なのか、それともいろんな経験をしたからなのか、自然な成長、発達の結果なのか、たまたまなのか、もともと調子がよくなかったのが良くなったからなのか、はわかりません。 つまり、支援というのは、他人からの働きかけの一つに過ぎないのです。 名人と呼ばれるような人でしたら、その名人の働きかけ一つで、流れを良い方向へと一気に変えられるかもしれませんが、ほとんどの支援者にはそんなことできません。 まあ、働きかけの一つとして良い刺激、きっかけになることもありますが、それだけではなく、ほとんど意味がないこともあれば、逆にマイナスに作用することだってあります。 前置きが長くなりましたが、このように実態が掴めない支援というものを、特に親御さんに良い感じでイメージしてもらい、利用し続けてもらうには、テクニックが必要になってきます。 まず簡単なテクニックが、『支援している様子を見せない』ということです。 親御さんは、我が子の発達には直感が働きますので、これは意味がある、ないを瞬時に判断することができます。 そのため、セッション後に、口頭や紙面で仰々しく支援について伝えれば、何か素晴らしいものを受けられたというイメージを懐いてもらいやすくなります。 日頃から持っている資格の話をしたり、専門用語を使ったり、自分の功績などをアピールしていれば、さらに信じてもらいやすくなるでしょう。 他にも簡単なテクニックとしては、『支援グッズを持ちこむ』ことです。 間違えても、家にあるものでセッションをしてはいけません。 「私にもできるかも」と思われてしまうからです。 自作の支援グッズ、一般のお店では売っていない道具などを使えば、それだけで「特別なもの」感が出てきます。 「自分に持っていなものを持っている」というのは、支援というものも特別なものに見せるテクニックです。 オリジナルの支援グッズ...

治らない教

「治ります」と言うと、「インチキだ」「オカルトだ」「宗教だ」と返ってくる。 だから私は、そういった治らないを信じてやまない人達のことを「治らない教」の人々と呼ぶようになりました。 どうせ信じるのなら、治らないよりも、治るという方が良いと思うのですが…。 まあ、何を信じるかは自由です。 「治らない教」と呼ぶのは、ただの当てつけのようでもありますが、そう感じるようになったのには理由があります。 私のところに来る方たちのほとんどが、治らないことを前提とした支援を浴びてからいらしています。 ですから、自然な姿、力を見るためには、その支援を一度洗い流す必要があるのです。 洗い流してキレイさっぱりになると、その人の自然な姿が表れます。 それと同時に、動きが出てきます。 動きというのは、やり残していた課題への挑戦であったり、ヌケている発達段階を育て直したりする動きです。 私が促したわけではなく、誘導したわけではなく、その人自身で自然と動き出す、といった感じです。 そういった動き出しを見て私は、「そうか、この子には、こういったやり残しがあったのか」「こういったヌケがあったのか」と知ることができます。 ある子のセッションでは、この動き出しが確認できましたので、それを親御さんに伝え、「危険がない限り、〇〇の動きを止めないでくださいね」「2週間くらいしたら、変化が感じられると思いますよ」と言って終了になったケースもあります。 つまり、もともと本人の内側には、治る力があり、治ることを目指す動きがある。 その本来の動きが、治らないという前提と信念によって縛られている、というのが、私の実感するところです。 「障害だから治らない」のではなくて、治らないと思うから、治らないのであり、治せないと信じるから治せない、のだと思います。 「治らない教」の人達は、治すことを悪だと捉えていて、なおかつ、戒律のように治さないように、治らないように、と行動に気を付け、制限しているようにも見えます。 「余計なことをしなければ、自然と治る方向へ進んでいくのに」と思うことが少なくありません。 「敢えて治らないように支援しているんでしょ」と思うことだってあります。 構造化にせよ、ABAにせよ、SSTにせよ、それを教える誰かの考えと意思によって、向かう方向とゴールが...

症状の集合体が『障害』になる

私は、治るを信じ、治すことが使命だと思い仕事をしていますが、私が直接かかわっている人の中にも、「本当に治るのだろうか」と思っている人はいます。 例え友達の紹介で話を聞いていたとしても、HPやブログを読んでいたとしても、「治らないから障害なのだ」という摺りこみから離れられない人がいても不思議ではありません。 ですから、お子さんを治すための発達援助を行うのと同時に、私が言う「治す」「治る」という意味をきちんと伝えるのも責務の一つだと考えています。 「障害」と聞くと、何か固定されたものがあるような印象を受けます。 しかし、診断基準を見てもらえば分かるように、症状がある一定以上集まったとき、その人に「障害がある」としているのです。 身体障害の人とは異なり、発達障害には具体的な症状があるわけではありませんので、一言に自閉症、発達障害と言っても、一人ひとりが全然違うのです。 治らないと思っている方には、症状の集合体が自閉症であり、発達障害であるというお話をします。 症状の集合体が"障害"なのですから、症状が減れば、"障害"には当てはまらなくなるということになります。 ですから、支援の考え方はとってもシンプルなもので、この症状の中で治りやすいものから治していく、というものになります。 例えば、聴覚過敏があって学校や生活に支障があるのでしたら、聴覚過敏の根っこを掴み、そこから育てなおしていく。 聴覚過敏が治れば、集中して勉強ができるかもしれない、学校に行くのがそこまで疲れなくなるかもしれない。 以前よりも余裕ができた分、また新たな取り組みや学びができるかもしれません。 そうやって芋づる式に、症状が治っていけば、いつの間には診断名が付かない状態まで治っているようになります。 発達障害を治すというのは、このように障害と呼ばれる症状の集合体の中から治しやすいところを見つけ、そこから一つずつ治していくことを言います。 なにか「発達障害を治す」というと魔法をかけたり、信仰的に聞こえたりするかもしれませんが、障害という塊で見るのではなく、症状の集合体と見てアプローチするということです。 治すための発達援助をしていて面白いのは、最初は治しやすいところを見つけ、一つずつ治していくのですが、一つ治ると別の症状も連なって...

ライセンスビジネスが抱える矛盾

私は、有名支援者が「いいですか、日本の皆さん。これからはライセンスの時代ですよぉ~」と言い始めた瞬間、この療法を学ぶ気がなくなったといいますか、熱が一気に冷めました。 まあ、それよりも前から、「支援は“個別化”が基本です!」と言っているのに、どうして何度も、何度も、講座やトレーニングを受けさせようとするのか、わかりませんでした。 ギョーカイ支援者は、お題目を唱えるように、「知識や技能は、常に更新し続けないといけない」と言って、せっせと国や法人のお金で受講していましたが、真新しい情報が出ることはなく、いつも決まって同じ話。 今考えると、ギョーカイ人は仲間内で「参加しない」という抜け駆けを作らないように、お互いを牽制していたのかもしれません。 まあ、それから数年が経ち、本格的にライセンス制度が始まりますと、参勤交代ルールで定期的に講座を受講しなければ、ライセンス取得も、ライセンス継続もできない、というようになり、講座の内容云々よりも、元締めがつくったポイント制という仮想コインをゲットすることが目的になってしまいました。 当人たちが気が付いているのか、どうせ自分の懐からお金を出すわけではないし~と思っているのかはわかりませんが、〇万円する受講料、旅費、接待費(×参勤交代回数)は、元をたどれば、皆さんから集めた税金ですから、日本で働いて納めた税金が欧米の自閉症の人達と支援者のために使われているということにもなります。 まあ、欧米の支援、支援者にお金が流れようとも、それで彼らの生活を日本の私達が支えようとも、日本の自閉症、発達障害の人達のためになれば、問題はないと私も思いますよ。 でも、ここでひっかるのが「個別化」という原理原則。 つまり、何とか療法のやりかた、ルールを学んだあとは、実際に接する人に合わせて個別化するのが基本ということ。 彼らも言う通り、スペクトラムの人たちなのですから、症状も多様であり、常に変化します。 だから、マニュアルなんか作っても意味がないのです、目の前の人に合わせて変えられなければ。 ここまで読んだ方の中には、ピンとこられた人もいらっしゃると思います。 そうです、彼らは矛盾を抱えている。 「スペクトラムの人達」「個別化が大事」と言っている同じ口で、ライセンスが大事と言っているのです。 ライセンスビジネスを成...

障害は不便なもの

イメージ
「私は障害があった自分で、良かったと思うんです」 「この障害があったおかげで、幸せになれたんです」 と言う当事者の人がいます。 でも、「この人は、心の底から、本心で言っているな」と感じる人には出会ったことがありません。 自分自身を騙すのに精一杯、そう言い聞かせることで保っている、そんな雰囲気を感じます。 その発言と実生活のギャップから負け惜しみに聞こえることもあります。 上記と同じような発言に「障害は不便だけれど、不幸ではない」というものがあります。 こちらの発言には、私も共感することができます。 学生として、施設職員として、教員として、支援者として、障害を持った人達と関わり、不幸な人達だとは思ったことがありません。 しかし、いつも障害とは彼らの生活を不便にするものだと思っていました。 障害があろうがなかろうが、幸せな人もいれば、不幸な人もいる。 だけれども、障害があることで確実に言えることは、そこに不便さがある、ということだと私は考えるのです。 「障害は不便なもの」と捉えているからこそ、私はその不便さを取りたい、と思います。 だから、その不便さを取る方法、治すという方向へと歩んでいます。 本人にも、親御さんにも、育て直し、発達を頑張ってもらうのは、不便さを治したいから。 不便さが治ったあと、何を学び、何を選択し、どう生きていくか、幸せを掴むかどうかは、それこそ障害に関係なく、個人にかかっているのです。 「障害を克服する」ですとか、「障害がある子が頑張る」ですとか、そういうのにネガティブな反応を見せる人達がいますが、私には理解ができません。 不便さを克服するために努力したり、頑張ったりすることのどこがいけないことなのでしょう。 「障害を持った人を頑張らせるのは、かわいそうだ」と言う人もいますが、不便なままで生きろ、という方がよっぽどかわいそうなことだと思います。 「障害があるのだから、周りが理解し、社会が変わることが大事」という主張をする人も多いですが、それだと本人の内側にある不便さは、一向に解消されません。 「障害は本人の内側にあるのではなく、社会との間にあるのだ」と言いますが、過敏性も、疲れやすさも、無意識な動きが難しいのも、社会がどうなろうが変化はないでしょう。 発達の遅れやヌケは、完全に個人の課題だと...

脊髄反射する人が、問題の本質を見えなくする

イメージ
支援学校の高等部の生徒さんが、部活中に熱中症になった、とニュースを見ました。 大会前の練習中と言うことで、出場できない状況になってしまい本人も無念さがあるとは思いますが、一日も早く回復してほしいと願っています。 このニュースを知り、私は違和感を感じました。 何故、ここまで大きく報道されるのでしょうか。 夏の熱中症は、珍しいことではありません。 これは、支援学校で起きたことだから、障害を持った子が熱中症になったから、ここまで大きく取り上げられるのでしょうか。 そうだとしたら、そこにあるのは「障害を持った子を頑張らせるのはかわいそう」「無理させてはいけない」「自分たち(一般の人)より、弱い存在だ」という偏見でしょう。 「障害児は真綿にくるんで」という発想と同じ。 また、「“罰”として追加のランニング」に反応しているとしたら、それも過剰だと思います。 本人が嫌がるのを無理やり走らせた、体調不良を訴えたのに、それでも強要した、というのなら、本当の罰であり、問題だといえます。 しかし、自ら意思表示をして、走ることを決めています。 表現の仕方は「罰」かもしれませんが、苦手な部分を補って練習するのは、どの部活でも、どの年代でも行っていることです。 そもそも、この生徒さんは、運動部を選択しているのです。 ただ先生にまったくの落ち度がなかったとは考えていません。 どこまで、この生徒さんのことを知っていたのか、そこに至らなさがあったと思います。 自ら「走る」と言っているけれど、きちんと自分のことを把握して表現できているのか、また危険が迫ったとき、すぐに表現できるのか、自ら回避することができるのか、体力面ではどうなのか。 それに伴って、目標値より43秒遅れたから43周、という指導の雑さも問題ですし、10キロ走れない段階の体力の人に、走る以外、走るための準備段階の練習、指導も必要だったのでは、と思います。 こういったニュースが流れると、「うちの子も」というように脊髄反射する大人がいます。 またそういった大人によって、大きな問題が起きたかのように、あたかも学校が、ランニング自体が悪いことのようにまき散らされます。 そして、「批判」と「責任」に過敏に反応する学校は、学校内でお達しが出され、「30度以上は、ランニング禁止」「ランニングは、5周...

「諦め」という言葉を解き放つ

イメージ
北海道は、一足早く夏休みが終わり、2学期が始まっています。 今年の夏休みは、例年以上に熱心な親御さんと、伸びたくってウズウズしている子ども達が多く、約1か月間、一緒に汗をかき過ごしました。 学校が始まった数日ではありますが、学校の先生から「〇〇くん、変わったね!」と言われた子が何人もいましたし、新学期が始まっても揺らぎが少なく、土台がしっかりしたような気がします。 お盆中も、お墓参りに行ってからセッション、親戚が集まっている中、自分だけ抜けてセッションなど、まさに「発達に夏休みも、お盆休みもない」といった感じでした。 夏休み中は、特にお盆休みなど、日頃いらっしゃるお母さんだけではなく、お父さんや親戚の方にもそばで様子を見て頂いたり、一緒に発達援助を行ってもらったりしました。 ですから、自然とお話をする機会が生まれます。 みなさん、変わっていく我が子、孫、甥っ子、姪っ子を見て、「こんな風にできるようになるとは思わなかった」と言うのです。 特に驚いたのが、みなさんの口から出てくる「諦めていたけれど」という言葉です。 「一人で外出を」「通常級で学ぶのを」「なんでも食べれるようになるのを」「普通の勉強をするのを」 孫や親戚の子に、自閉症、発達障害があるのを聞いて、祖父母や親戚の皆さんは、言葉に出さないにせよ、「諦める」という言葉が内側から湧き上がり、身体を駆け巡ったのだと感じました。 そして、その想いをずっと内に秘めていたのでしょう。 だから、諦めなくて良い状況を肌身で感じた瞬間、「諦めていたけれど」という言葉を解き放ち、パッと表情が明るくなったのだと思います。 我が子ではないとはいえ、やはりそこには無理があり、固さを生じさせていたのでしょう。 親戚の方達が「諦め」を連想するのは、単純に「障害」という言葉を聞いて、からかもしれません。 でも、私はそれだけではないと思うのです。 何故なら、発達障害が治っていくと、親御さんからも「諦めていたけれど」という言葉が、ポロッと零れ落ちるからです。 私は、今まで、親御さん達から出てくる「諦め」という言葉をたくさん耳にしてきました。 「我が子に発達障害があるとわかってから、『諦める』と向き合うのが親業であった」 そのような親御さんが多いのではないでしょうか。 「障害を持った子の子育...

天才、偉人も治しているのに、あなたは治さずに勝負しますか?

イメージ
今日は、意地悪な文章を書こうと思います。 自閉症というのは、脳のタイプ、使い方の話であり、発達障害とは、発達のヌケ、遅れの話だと捉えています。 ですから、脳のタイプ自体に優秀だとか、劣っているとかはなく、発達障害は個性でもなんでもなく、育て直す対象で、治す方が良いに決まっているものだと思います。 夏休みの宿題をやり残して2学期を迎える子を「個性」とは評価しない。 やり残しがあるのなら、宿題も、発達課題も、やるだけです。 よく「過去の偉人、天才は、自閉症だった、発達障害だった」という人がいますが、自閉症だったから偉人になったわけでも、天才と呼ばれるような功績を収めたわけではありませんね。 過去の偉人たちに、「あなたは、今で言う“自閉症”だから、素晴らしい功績が収められたのです」と言ったら、激怒されるでしょう。 「冗談じゃない!私は、何度も、何度も失敗しても諦めずに努力したのだ」 陰の苦労、努力に目を向けず、「あなたは特別だから」と表ばかり見て判断するのは、偉人に限らず、大変失礼な見方だと思います。 テレビに出てくる芸能人を見て「私にも、同じような容姿があれば」と、陰の苦労、血のにじむような努力を見ず、ブツブツ文句を言っているようなものです。 現在に目を向けても、社会の進歩に、より良い社会のために貢献するような仕事をされている方達はたくさんいます。 じゃあ、その人達の多くが、自閉症か、発達障害か、と言ったら、そうではないでしょう。 もちろん、自閉症や発達障害の人も中にはいるかもしれません。 でも、ほとんどいないと思いますよ。 だって、感覚過敏があったら、仕事をするにも、生活をするにも疲れちゃう。 コミュニケーションがうまくとれなければ、世の中の切り取り方がぶっ飛んでいたら、トラブルばかり起きるでしょうし、起こすでしょう。 結局、自閉症という脳のタイプを持った人であっても、こういった部分は治しているのです。 生活する上で、仕事をする上で、支障になる部分は治し、同時に自分の資質を磨いている。 生まれたままの資質で、資質を活かすための努力をせず、それだけで素晴らしい仕事ができるなんて、世の中、甘くはありません。 掘ってきたばかりの土まみれの野菜を「さあ、食べろ」とは言わないし、食べない人を理解が足りないと非難しない。 丹...

問題行動の先送り

就学前から顔見知りの子達が、次々、成人している。 成人した若者たちの中には、すっかり落ち着いて生活している人もいれば、子ども時代からの、いわゆる問題行動を引きずってきている人もいる。 この世代の若者たちは、多くの人たちが待ち望んだ「支援」「療育」「特別支援」が導入され、その中を通ってきた子ども達である。 だからこそ、問題行動の引きずりは、適切な支援、療育の有無が関係していると思われるかもしれない。 しかし、成人後まで問題行動を引きずるかどうかは、支援の量や質でも、いつ療育を開始したかでも、障害の重さでもない。 就学前から顔見知りの子がいる。 その子は、一時も目が離せない子であり、自傷も、他害も、破壊行為もあった子である。 だが、成人した今、支援を受けながらの生活ではあるが、上記のような問題行動は見られなくなり、落ち着いた生活を送っている。 この子の問題行動を治したのは、親御さんである。 学校の先生や支援者たちが、「この子はADHDもあるし」「知的にも重度だし」「言葉も出ないし」「将来は施設だし」と言うのを、「そうです。そうです。うちの子は、将来福祉のお世話になります」と言いながら、でも、「人としてやってはいけないことは、障害に関係ない」と譲らず、同世代の子の親と同じように、むしろそれ以上に厳しく、問題行動に向き合ってきた。 構造化された支援を取り入れていたが、「やってはいけません。“×”」なんて甘っちょろいことはせず、「ダメなものは、ダメ」と厳しく、毅然とした態度で親として、子どもよりも先に生きる大人として当然の関わりをしていた。 周囲から見れば、特に支援者から見れば、「重度の子に、そこまでやっても…」「かわいそうでしょ」「障害の理解がない」など、白い眼で見られていたが、そして問題行動も続いたが、親御さんはブレなかった。 思春期を過ぎたあたりから落ち着き始め、あれだけ大変だった問題も起こさないようになった。 私は、この姿を見て、親御さんの「他人に迷惑、害を及ぼすような行為は、絶対に許さない」「この子が、将来、支援を受けながら生きる際に、マイナスになる行為は絶対に治す、成人後に問題を先送りしない」という想いが、言葉を超え、支援者を超えたのだと感じた。 こういった親子は珍しく、現実は、子ども時代の問題行動を、成人後まで引き...

信念を持った生き方を

近頃、自分でも“定まった”という感覚があります。 揺らぎはありますが、揺らぎながらも、ある一定の場所に向かって前進している感覚です。 立ち止まっての揺らぎがなくなりました。 私に“定まった”という感覚を与えてくれたのは、「治る」であります。 「治る」という言葉が、治った人たちが、私の仕事人としての生きる道を定めてくれました。 「治る」というのが、私の信念です。 「治る」という信念に向かって仕事をしていく、と表明すると、2つの意味で驚かれることがあります。 「治る」を信念にして仕事をすることに。 そして、信念を持って仕事をすることに。 事業を起ち上げてからずっとですが、「不安はないのか?」と尋ねられます。 5年半が経ちますが、不安を感じながら仕事をしたことはありません。 何故なら、私には信念があったから。 「この地域には、選択肢が必要だ。一生涯、支援者の手の中で生き続ける人生以外の選択肢が」 この信念と「治る」が出会い、私は定まりました。 「治る」という信念に驚かれるのは想像がつきますが、信念を持って仕事をすることに驚かれるのに、私の方が驚きました。 世の中には、信念がないまま仕事をしている人がいるのだろうか。 世の中には、信念がないまま子育てをしている人がいるのだろうか。 世の中には、信念がないまま生きている人がいるのだろうか。 こういった初めての疑問を懐くと、自分はどうして信念を持って仕事をし、生きているのか、それが当たり前だと思っているのか、自分の物語を振り返り、考えました。 すると、私自身が信念をもって育てられたからだと気が付くのです。 数年おきの転勤。 そういった中で子育てをしていれば、住む場所住む場所で、いろんな歴史があり、考え方があり、文化があり、人がいる。 そんな中での子育ては、信念がなければ務まらなかったのでしょう。 周りの価値観にいちいち揺らいでいたら、親子共々、土台から崩れていたはずです。 また同じように父親も、その土地土地の人と文化と歴史と対峙して仕事をしてきた。 ただ単に、その土地土地に合わせて、次の転勤まで仕事をしていたのでは、同じように勤まらなかったはずです。 40年以上も、常に第一線として大変な仕事を勤め上げました。 父親も、信念を持って仕事をしてきた、そ...

「発達障害、治るが勝ち!」(花風社)を読んで

イメージ
私の母は、「その時々で、ベストだと思う道を選択してきた」と言っていました。 父の仕事は、数年おきに転勤があり、北は北海道から南は九州まで、全国各地に行き、そして誰のことも知らない土地で、私と弟を育て上げてくれました。 私も、弟も、転校という不安を感じていましたが、同じように母も転勤という不安を抱えての生活だったと思います。 それこそ、いつ言われるか、どこに行くかわからない中での生活でしたので、「その時々で、ベストだと思う道を選択する」しかなかったのでしょう。 私も仕事柄、本人や親御さんから相談を受けることがあります。 特に、選択肢に関する相談が多いです。 「こちらの道と、あちらの道、どちらを進もうか…」 特別支援の世界は、人生を決めかねないような選択肢が否応なしにやってくるので、またその選択肢同士が両極端なので、そして選んだ結果が人生に大きな影響を与えるのを肌身で感じているので、大いに悩まれます。 自分自身が歩んでこなかった特別支援の世界はわからないことだらけ、という親御さん。 私は、何をやったら変化するか、どう変化するか、どのくらいで変化するか、を見ることはできます。 でも、どの道を選べば、その人が幸せになるかはわかりません。 また、わかる必要はないと思っています。 ですから、選択肢に関する相談を受けたとき、私は必要な情報提供をしたあと、「今、ベストだと思う道を選びましょう」とお話ししてます。 結局、未来は誰にも分かりません。 そのときの選択によって、将来、幸せになることもあれば、後悔することもあるでしょう。 しかし、大事なのは、自分の人生を主体的に歩むことです。 その時々で、自分の腹で、自分がベストだと感じる道を力強く歩んでいくこと。 そういった積み重ねが、自分の人生を色付け、充実した人生を送ることにつながるのだと考えています。 その時々で、ベストな選択をする際、直感だけに頼るのは危険も伴います。 特に、自分が経験してこなかった特別支援の世界で、しかも大事な我が子に代わって選択しなければならない親御さんはなおさらです。 そういったとき、今回、花風社さんから出版された 『発達障害、治るが勝ち!』 が、親御さん達に大きなヒントを伝えてくれます。 私もそうですが、著者の浅見さんのように、ギョーカイの言う「発達障...