啓発が進めば、分断が進む

ある啓発活動に熱心な当事者の人に、「一般の人の理解が進めば進むほど、発達障害の人と関わろうとする人と、関わりたくないと思う人とがはっきり分かれてくる」というお話をしました。
理解が広がっていくからこそ、分断される。
これは当然のことです。
「理解する」と「受け入れる」はイコールではありません。
理解したからこそ、近づきたくないと思う人もいるのです。


よく「自分たちが子どもの頃も、発達障害の人はいた。今振り返れば、クラスのあの子がそうかもしれない」という話をする人がいます。
そして決まって、「その頃は、そういう子も一緒に遊んでいたし、受け入れられていた」と続き、「今の社会は、寛容さがなくなっている」などと展開されます。
で、オチが「少数派の人たちが生きやすくなるような社会を目指す」…。
こういったお決まりの話が、発達障害の人達の誤学習の元になるのでしょう。


啓発活動に熱心な当事者の人の多くは、「理解=受け入れられる」という誤学習をしているように感じます。
ですから、なおのこと、その人の周りで一緒に活動している支援者に嫌悪感を抱きます。
何故、真実を教えないのだろうか、と。


特に自閉症の人は、見えないものを想像することが苦手であり、物事を一つの側面でしか捉えられないことがあります。
だからこそ、支援者という仕事があって、その見えない部分、見落としている側面を伝えるのが役割のはずです。
それなのに、「理解=受け入れる」とは限らない、という定型発達の人がすぐに気がつくであろう真実を伝えずにいる。
私には、敢えて真実を伝えていないようにも見えます。
「新規の顧客開拓には、当事者を使うのが一番だ」
そんな薄汚い考えが透けて見えることもあるのです。


啓発活動の壇上に上がる当事者の人で、「仕事は充実してるし、お金もあって、恋人もいて、今度の正月休みは海外旅行に行きます!人生サイコーだぜ~~~」みたいな人はいません。
というか、そういう人にはオファーはいきません。
みんな生きづらい人ばかり。
というか、生きづらいからこそ、理解が進めば、受け入れられると信じているのだといえます。


そう、生きづらいからこそ、今の生活が充実していないからこそ、啓発活動に傾倒していくのです。
だからこそ、再三言うようですが、この誤学習を解くために、理解が進むからこそ、離れていく人もいるし、嫌だと思う人もいる、という真実を伝える必要があると思います。
そして、今、その人が置かれている状況、啓発活動にしかエネルギーを向けられない状況を改善すべく最優先で支援していかなければならないのです。
今、生きづらい人には、啓発活動ではなく、その生きづらさを改善する直接的な支援が必要です。


学校や職場の中でトラブルが起きたり、自分が注意されたりすると、「勘違いされた」「ちゃんと理解してくれなかった」と憤る当事者の人もいます。
そして啓発活動の人と同じように、「もっと理解してもらわなきゃ」と言います。
確かに、知識の面で理解が足りない場合もあると思います。
しかし、知識があるから好きになるわけでも、優しく接してくれるわけでもありません。
好意的に思っている人は、おのずと知識を得ようとします。
ですから、障害を知ったうえで、あなたのことが好きではないのかもしれませんし、周囲の知識量以前の問題として、単純にその場で求められている基準に達していないのかもしれません。
こういった場合、いくら支援者が入り、特性や配慮事項の説明をしたとしても、溝は埋まるばかりか、却って離れていくのです。


好意的な人もいれば、嫌悪感を懐く人もいる。
そして、避けていく人、無関心の人もいる。
これが真の多様性のある社会の姿です。
どうも啓発活動を頑張れば、好意的な人ばかりの社会になる、またそうなることを願っているように見えます。
もし、本気でそう思っている、そう信じている人がいるとしたら、それは誤解です。
一緒に啓発活動をしている支援者が言わないのなら、私が言います。
啓発活動をするからこそ、避ける人も増えていくのです。


理解しない人、無関心な人が悪いのではなく、それが自然な成り行きなのです。
「理解しない人がまだいるから、もっと啓発活動を頑張らなきゃ」は、負のサイクルの兆候。
それでも啓発活動を頑張りたいというのなら、それはその人の人生です。
ただ私は、生きづらさを他人が、社会が解決してくれるとは思いません。
自分の生きづらさを解決するのは、その人自身だと考えています。

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