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9月, 2024の投稿を表示しています

【No.1410】自己治療を応援する

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「良いところを見つけ、良いところを伸ばす」 特別支援学校の先生も、支援者も、大学の先生も、みんな、口をそろえて言っていた。 だけど、私は一瞬でそれは一種の”慰め”だとわかった。 「あなたに、あなたの子に発達障害はあるけれども、良いところもあるでしょ」 「全部が全部、ダメなわけじゃない」 そんな慰めの言葉はお作法として有難く受け渡しされていた、親と支援者の間で。 「良いところを伸ばす」という実践はどこでどんな風に行われているのだろう? 色のマッチングができる子に、ひたすら色分けされたカードを分別させるのは「良いところを伸ばす」なのだろうか。 ゴミにこだわりがある子に、回収されたペットボトルのラベルはがしをさせるのは「良いところを伸ばす」なのだろうか。 日常生活をルーティン化させる子に、ルーティンで物事を習得させるのは「良いところを伸ばす」なのだろうか。 色に強く意識が向くのは目の未発達かもしれないし、ゴミのこだわりはトラウマから逃れようとしている行為かもしれない。 すべてのルーティン化は洪水のように押し寄せる刺激への対処かもしれないし、脳内の情報処理がうまくいかない”もがき”かもしれない。 私は「良いところ」ではなくて、「資質」なんだと思う。 その子の持って生まれた資質。 それはある程度、年齢が上がったあとに見えるものではなくて。 学校や施設で見える「良いところ」は往々にして環境との折り合いをつけた対処法だったり、作られた学習形態だったりする。 だから、それらをいくら取り入れ、繰り返し、褒めちぎったとしても、治療にはつながっていかない。 発達の課題はその人の内側にあるものであって、だから治すのもその人本人。 発達障害を治すのは自分自身であって、”自己”治療が真実だから。 資質というのは、言葉を獲得する前、2歳くらいまでの時期にどんな動き、遊び、興味を持っていたかで見えてくる。 言葉を獲得したあとは学習するが、それ以前は教わっていない自らで編み出した形のまま。 「心地よい」に突き動かされる行動こそ、その子が引き継ぎ、持って生まれてきた資質。 「”心地よい”を大切にしよう」というのは、その子の資質の表れだから。 そんな資質は、生まれ出た世界で生き抜くための発達のエンジン。 生活の中に資質を活かした活動がある子は、日々治っていく。 仕事の中に資質を活かした活動がある人は、年

【No.1409】”胎児期のヌケ”に新たな視点

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昨日は「制限を取っ払った状況、なにものにも縛られず、自由な環境こそが、その子本来の支援、治療、学習の姿が現れる」というお話をしました。 でも、だからといってみんながみんな、無人島のような環境の中にいれば、「勝手に育つ、勝手に課題をクリアしていく」とは言い切れないと思っています。 いや、確かに現代における「発達障害」という課題の大部分はそれでクリアされるはずです。 ただもう一つ重要なポイント、視点があると考えているのです。 それは「制限も、重要な発達を促す要素の一つ」ということです。 私は胎児期も大事な発達期だと考えています。 お母さんのおなかにいるときも、絶えず刺激を受け、心身共に発達をしている。 だからこそ、想像してほしいのです。 胎児は身体が大きくなるにつれて、動きに制限が加わります。 それまで羊水の中を泳いでいたのに、日に日に大きくなり、妊娠後期にはほぼ動けない状況になります。 だけれども、それがいいのです。 それが必要なのです。 手足は屈曲し、動かせる部位が限られていく。 そうなると、胎児の赤ちゃんは動かせる部位を必死に動かそうとする。 それが手や指、口などの顔の筋肉であり、捻じるというそれまでになかった動きを生むことになる。 いろんな事情により早期に生まれた子ども達は、そういった「制限された環境での発達」を抜かしていることがあります。 そして抜かしているからこそ、欲しているように見えることがあるのです。 自ら狭い空間に入っていったり、私たちから見れば物理的にも、心理的にも、行動的にも不便そうな環境づくりをしたり。 中には自らの身体を縛ったり、固定したり、敢えて動かそうとしなかったり。 環境を変え、身体機能を変えることで、自らに制限を加えている。 それは一見すると、障害児っぽさであり、障害特性であり、その子自身で行う発達援助。 発達相談でお子さんのアセスメントをしていると、このような姿、子ども達からのメッセージを感じることがあります。 「発達のヌケ」には運動発達のヌケ、進化の過程のヌケだけではなく、こういった制限された状況で育つはずのヌケもあるような気がしています。 「胎児期のヌケ」に一つ新たな視点が加わった印象です。 ======================= 【発達相談のご案内】 11月に熊本、12月に宮崎に出張予定です。 もしこの機会に「発達の悩み

【No.1408】発達援助のコツは「無人島」

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「発達援助のコツは?」と訊かれることがあります。 コツと言われても、いろいろあって一言で表現するのは難しいのですが、今日はその中の一つについてお話ししようと思います。 私の発達相談では実際におうちに伺って数時間、お子さんと一緒に過ごします。 そしてその時間の中で私は想像するのです、「もし、なにもない環境で過ごしていたら?」と。 ”なにもない環境”とは、つまり、なにも支援も、援助も、医療も、教育も、受けていない、ということです。 もしそんな環境の中で生きていたら、この子はどうやって自身の困難と折り合いをつけ、対処し、治療していたのだろうか、と想像します。 私たちは発達障害の子がいれば、無意識的に「支援・医療・教育」を連想し、そのために行動しています。 とくにこれだけ特別支援や教育、医療や福祉が整備された現代社会においては、「なにもしない」という選択肢はないようなものです。 一度発達の遅れが指摘されれば、医療⇔福祉⇔教育という無限ループの中にパッケージング化されていく。 だけれども、本当に「支援・医療・教育」は必要なのでしょうか。 それがないと、受けないと、どうにもこうにもならないものなのでしょうか。 受ける前は、子ども自身、何もできていない?していない? そうじゃないと思うんです。 子どもさん自身をよく観察すると、自分で自分を支援し、治療し、学んでいることがわかります。 「偏食」と言われる子は、心地よい食感、匂い、色の食べ物を選択し、不快・不必要な食べ物を自らで取り除いている。 それを支援者が行えば支援となる。 「食べられるものが増えるように」と先生が張り切れば、偏食”指導”となる。 でももしこの子が自然の中で生きていれば、食べられるものを食べ、生きていくだろう。 内なる欲求、判断力で自ら食べるものを狭めたり、広げたりするのは問題なのでしょうか。 部屋の中を動き回る子がいれば、「多動」「ADHD気質」などと問題視される。 だけれども、彼は動き回ることでリラックスしているかもしれない。 情報過多になった頭の中を整理しているかもしれない。 息のあがる運動をすることで、酸素をより多く取り込んでいるかもしれないし、幸せホルモンを放出されているのかもしれない。 きっと彼も無人島にいれば、健康的で幸せな日々を送っていることでしょう。 独り言だって、言葉の学習かもしれないし、リズム