2021年12月31日金曜日

【No.1215】2021年暮れのご挨拶

大晦日の函館は、最高気温がマイナス7℃という素敵な数字を叩き出しました。
ジムに行くのも寒いし、帰ってくるのも寒い。
お礼参りも激さむでした
そんな中で今、やっと雪かきが終わり、パソコンの前に座っております。


2021年を振り返ると、まさか呼んでくださるとは思わなかった沖縄のご家族からの出張の依頼がありました。
何度も「よろしいんですか?」「私は北海道ですよ」「2000キロくらい離れていますよ」「台湾、中国のほうが近いですよ(笑)」「函館からはロシアのほうが近いですよ(笑)」とお尋ねし、「それでも」というお話でしたので伺いました。
親御さんの想いは、南国の陽射しよりも熱かったですね。
他にも、福岡、広島、関東はほぼ毎月でちょくちょく、今年は道内も結構回りました。
たまたまではありますが、札幌出張とオリンピック競歩の日が重なり、目の前でオリンピアンの競技する姿を見られたことはよい思い出になりました。


18歳のとき、初めて手にした障害系の本が花風社さんの『自閉っ子、こういう風にできています!』でした。
それから20年ほど経ち、花風社さんの25周年記念事業の『医者が教えてくれない発達障害の治り方』の出版に携わらせていただきました。
共同著者としてこの世に本が出たことは私にとって嬉しいことではありましたが、私以上に周りの人達が喜んでいることにびっくりしました。
妻、息子たち、両親はもちろんのこと、てらっこ塾を始めたときに応援してくださった方たち、利用したことがある親御さん達、今利用している親御さん達、そして自分自身で治していき、自分の人生を歩まれている若者たち、お子さん達。
函館蔦屋書店で開催させていただいた出版記念イベントにも、懐かしい方たちも来てくださり、さらに大きく成長した姿を見せてくれました。
また「本、買ったよ!」と連絡をくれた方たちもいました。


出張の依頼と同じように、出版というお仕事も社会に求められた結果だと思っています。
私自身、まだまだ反省ばかりで、もっとアセスメントの力を磨かねば、もっと親御さんが前向きになるような後押しを、もっといろんなアイディアが浮かんでくるようなヒントを、もっと子育てが楽しいと思ってくれるような話を、と思い続ける日々です。
ただ今回、出版のお声がけがあったのは、私のように全国各地に出向き、しかも家庭の中に入っての発達相談をやっている者がいない、緊急事態宣言下でも、自由自在に出張して仕事が続けられたのも、この発達の分野では私くらいなものということが大きいと思っています。
他の支援者がしない体験、経験をみなさんと共有することは、私の役目だと考えていますし、支援から発達援助、発達援助から子育てへと親御さんを中心とする社会のニーズの流れとシンクロしたのだと思います。


私以上に、今回の出版を心から喜んでくださった方たち。
家庭で、子育ての中で治したい、治ってほしいと願う親御さん達。
そういった方達の姿を見ると、本は読んでくださる方達のために、私の発達相談という仕事は利用してくださる方達のためにあるのだと改めて感じることができました。
そして私個人の感想としては、努力の方向性を間違っていないことが分かったというのが大きかったといえます。
仕事をして、自分の技術、知見を磨くのは当たり前です。
しかし事業として、それが正しい方向へ進んでいるのかどうかは、自己評価ではわからず、社会から評価されなければ確かめることができません。


25年前、同じように事業を起こした花風社の浅見さんから著者に選んでいただけたことは、社会に必要だと認められたと思っています。
またコロナ禍でも変わらず、出張の依頼、発達相談の依頼をくださったご家族が大勢いてくれたことが、このサービスは親御さん達と子ども達にとって必要なんだと認められたと思っています。
もちろん、現時点で「認められた」というのであって、来年以降も同じだとは思っていません。
社会のニーズに合わせて事業を展開していくというよりも、社会のニーズの変化に応じられるようなサービスの質と私自身の知見、スキルを深めていきたいと思っています。


ご利用頂いた皆さま、応援してくださった皆さま、貴重な知見を学ばせていただいた皆さま、誠にありがとうございました。
2022年も、親御さんが子育てを「楽しい」と思い、家庭の中でよりよく育てていけるように、一人でも多くの子ども達が発達障害を卒業し、ご自身の人生を豊かに、そしてより自由に歩んでいけるように、と後押しをさせて頂きたいです。
新しく来る年が皆さまにとって幸せな一年となりますことを心よりお祈り申し上げます。

令和三年十二月三十一日 てらっこ塾 大久保悠




【先行予約のお知らせ】
12月3日より出版元である花風社さんで新刊の予約の受けつけが始まりました。
花風社さんで直接お申込みいただけると、特製のミニクリアファイルがついてきます。
書店で並ぶよりも早く読むことができますので、是非、ご利用ください。
ご予約はこちらから→https://kafusha.com/products/detail/56

前著『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』もどうぞよろしくお願い致します(花風社さんのHPからご購入いただけます)。全国の書店でも購入できます!帰省、ご旅行の際、書店を覗いてみてください♪


2021年12月28日火曜日

【No.1214】『発達障害の壁』

養老孟司氏の新刊『ヒトの壁』が出たので読もうと思っているものの、なかなかたどり着けないくらい未読の本が積み重なっています。
『バカの壁』から始まり、『死の壁』『超バカの壁』『「自分」の壁』と壁シリーズが続いているのを見て、ふと『発達障害の壁』というものを連想しましたので、その辺りの話をしたいと思います。


のちに強度行動障害と呼ばれる人達、症状や認知の面で重度と言われる人達は、出生後すぐの時点で、その不具合が生じているようです。
共通しているのが、睡眠と情動の乱れ。
赤ちゃんは一日のほとんどの時間を眠るものですが、なかなか寝られない、ちょっとした物音、衝撃ですぐに覚醒してしまう、ということがあります。
これは眠れないから情動が乱れるのか、情動が過敏だから眠れないのか、そのどちらかはわかりませんが、とにかく一日中泣いていた、ぐずってばかりいた、という話もよく聞きます。
赤ちゃんにしては珍しいくらい激しく泣くという話もちょくちょく伺いますので、出生した時点で、既に何らかの神経発達的な不具合が生じていると推測されます。
眠るという動物としての本能行動に困難がある。
これが『新生児の壁』


次に訪れる壁は、『運動発達の壁』です。
腰坐りが遅かった、立位までが遅かった、という"遅れ”と、ハイハイを飛ばした、すぐに立ってしまった、という"ヌケ"があります。
そしてもう一つ留意しなければならないのが、非定型の運動パターンで、寝返りの方向が片方のみ、肩膝立ちのずりばい、後ろにしか進まないハイハイなど、特徴的な動きをする場合もあります。
こういった特徴的な動きは、代々続くことが多く、「お父さんもそうだった」「おばあちゃんも」「従兄弟も」など、引き継いだ運動パターンだといえます。
もちろん、そういった遺伝的な話ではなく、原因があって、そういった偏った動きしかできないからやっちゃう、という場合も多いです。
その原因に関しては、新刊『ポストコロナの発達援助論』に詳しく書きましたので、お読みください(宣伝w)。
こういった運動発達の壁は、現れた時点で定型の動きに戻してあげることが重要で、そのままスルーしてしまうと、あとから育て直しが必要になりますし、時間も倍以上かかることになります。
私の感覚では、動きの偏りは神経発達の偏りとなり、「ああ、言葉が出ないな」と気づいた頃には、あらゆる面で偏り、凸凹が生じているような印象を受けますし、就学後、なかなか勉強の面でうまく積み重なっていかない子が多いと思います。


同じような時期ではありますが、『折れ線型の壁』もあります。
赤ちゃんのとき、好意的な関わりに対して笑って返したり、運動発達もとくに気になることはなし、喃語も出ていたし、なんなら初語も出ていた。
だけれども、あるときを境にして、急に表情がなくなり、言葉も出なくなった、という子ども達がいます。
この原因はまだ特定されていませんが、発達障害の子の1割くらいはいるのではないでしょうか。
私の聴き取り、見立てでは、離乳食のタイミングで生じるケースが多い気がしますので、栄養の面でガス欠状態になり、神経発達がガクンと落ちるような感じがします。
ヒトの赤ちゃんは脳神経を育てるために、まるまると脂肪を蓄え生まれますが、その蓄えが少なかったり(赤ちゃん側の内臓の課題で)、そもそも母体が貧血でおっぱいからもあまり鉄を中心とした栄養が得られなかったりすると、母乳から離乳食に変わり、綱渡り状態で神経発達が進んでいたものが止まってしまうのかもしれません。
栄養が限られると、緊急事態となり、神経発達のための栄養も生命維持の方へ回さざるを得なくなるのだと思います。
内臓の発達を含む、栄養面からのアプローチがポイントになるようです。
でも、なかには頭を強くぶつけたなどがきっかけになるケースもあるので、とくに生後1年間の強い衝撃にはお気を付けください。


みなさんが発達の遅れに気がつきやすいのが言葉の遅れになりますので、『言葉の壁』がありそうですが、言葉の発達は進化的に言えば最近の話なので、言葉の遅れが生じている場合、上記のいずれかの壁が超えられていないのだと考えられます。
ですから、次の壁は『社会性の壁』だと思います。
公園デビューや親戚の子ども同士の関わり、幼稚園や保育園生活で集団活動が始まると同時に表立つ壁です。
『新生児の壁』『運動発達の壁』『折れ線型の壁』をクリアしているのに、ここで初めて目の前に立ちはだかるといった場合は、遺伝の面が強いといえます。
お父さんが自閉症、おばあちゃんがADHDなど、家族内に、親族内に同じような子ども時代、また現在もそのような特徴をもった個性的な人生を送っている方がいる場合が多いと感じます。
「うちの子、友達とうまく関われないんです」と言っているお母さんがコミュ障だったり、「俺も小さいときは、幼稚園からよく脱走していた」とお父さんが言っていたり(笑)
これは時代の変化、社会の変化によって、発達障害の範囲がずれたことによる人工的な壁だといえます。
ですから、治すというよりも、そういった親御さんの人生を振り返りながら、よりよく育てる、その子にあった子育てをしながら、ときに成長するまでは親御さんが防波堤になることも大事かもしれません。


あと忘れてはならないのは、『歪みの壁』です。
本来、そういった器質は持って生まれてきていないのに、生後1年の間からスマホを見せた、長い時間、デジタル音を聞かせていた。
また8歳までの脳神経が不安定な時期に、長時間のテレビ、タブレット視聴をさせた、添加物や砂糖などが多い食事を続けていた、誤った英才教育などで、脳や神経発達が歪む場合があります。
これは現代病ですし、コロナ禍の2年間で後天的な発達障害が増えたのは確かでしょう。
親が、社会が、発達障害の壁を作ってしまう感じです。
ここには親子間の愛着形成不全も入るでしょうし、外遊び、自然な感覚刺激の制限も入ると思います。


年長さんの『就学の壁』は、そこを超えられるだけの準備が整っているか、幼少期にどこまで育ちきったかを確かめるための機会だといえます。
就学後の『小3の壁』は、概念理解がどこまで育っているかを確かめる機会。
低学年はパターン的な作業、理解で乗り切れますので、本当の意味で教科学習ができるのか、その準備が整っているかをここで確認する時期となります。
幼少期、いくら課題があろうとも、ここの壁が飛び越えれば、あとはその子のペースで学び続けていけるので、発達障害、発達援助とはおさらばです。
もし『小3の壁』が大きく立ちはだかるようでしたら、もう一度、10年間の発達を見返し、育て直すべきところを育て直す。
またどうしてもやっぱり超えられそうもないということになれば、支援や資源、サービスを利用しながらより良い人生を目指していくことも考えていかなければなりません。
一般の人達がイメージする自立は、小学校4年生レベルの習得になりますので、概念理解、概念学習の出来具合がポイントなのです。


2021年も多くの子ども達、若者たち、親御さん達と関わりを持つことができました。
そんな中で、子ども達の成育歴を振り返ったとき、いくつかのポイント、壁があるような気がしていました。
それぞれの壁が生じたとき、すぐにそれに応じた子育て、発達援助ができれば、現在が変わっていただろうと思うのは正直なところです。
「発達障害」と一言でいっても、それは何も言っていないのと同じです。
大事なのは、どの時点で発達に課題が生じたのかを知り、その課題をクリアできるように行動することなのですから。


ここでは取り上げませんでしたが、『胎児期の壁』もあるでしょうし(愛着、トラウマ、栄養、遺伝など)、『父親・母親になる壁』もあるでしょう(生物としての健康、環境からの影響)。
「三つ子の魂百まで」というのは、受精する前の一年間、受胎した約一年間(十月十日)と、生後の一年間を指すのだと思います。
改めて綴ってみますと、普通に育つということがどんどん難しくなってきているような気がしてきます。
『コロナ禍の壁』が加わった令和の子ども達は、いくつの壁を乗り越えないといけなくなるのでしょうか。
私達大人たちに求められる発達の後押しの責任は増すばかりです。




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2021年12月27日月曜日

【No.1213】発達障害を子育ての領域に取り戻す

実質、濃厚接触者になった受験生の試験不可が取り消されました。
これは最初から織り込み済みで、「試験不可の通知→世論からの反発→首相の指示で撤回」が一つのストーリーになっていたと推測されます。
日本は共産主義の独裁国家ではありませんので、憲法、法律を超えて、このようなことなどできるわけがありません。
それに大学共通テストまで約三週間前のタイミング、年末で公官庁が休みに入るタイミングで、「じゃあ、そのように試験体制を準備しなきゃ」なんて物理的にもできるわけがありませんね。


ですから、このストーリーで何を得ようとしていたのか、裏の意図を想像することが大切です。
南アフリカはワクチン接種率も26.6%で、すでにピークアウト。
現地の専門機関からの報告では、重症者も、死者もほぼいない。
一方で日本はブースター接種が始まりますが、秋くらいからずっと地を這うような陽性者数。
全国の重症者が38人で(一つの県に一人もいない計算!)、医療崩壊の心配はない状況。
ちなみにイギリスがこの頃、毎日10万人(日本の人口で考えたら20万人)を超えていますが、医療崩壊していませんね。
つまり、濃厚接触者の試験不可の茶番劇は、ターゲットが若者、受験生と家族。
どうして、ここまで接種の流れを作るのかの背景は分かりませんが、デルタよりも症状が軽いものに変異したので喜ばしいことだと思います。
ほとんどの人が無症状で、亡くなる人がいないのなら良いのでは??
そういえば、去年の分までインフルエンザが大流行する設定だったのでは??


信頼し合える人間同士なら考える必要はないと思いますが、たいていの場合は表の意図と裏の意図があるものです。
ですから、この仕事をしていて医師や専門家、支援者、学校の先生などの話をそのまま受け取ってしまう親御さんが多いことに対して、私は驚くばかりです。
どうしてその日、初めて会った医師の言葉を無条件に信じることができるのでしょうか。
ましてや、他の疾病とは異なり、発達障害の生物的なマーカーは存在していません。
どう頑張っても、その医師の主観が入りますし、人間ですから当然間違うこともあります。
さらに、その日の子どもさんの状態だって、いろんな条件によって変化するものです。
診察室で見える姿は、その子の一部分でしかありませんね。


「生まれつきの障害」と支援者たちが好んで使うのは、そういうと親御さんが傷つかないからです。
もっといえば、自分が親御さんを傷つけたくない、そういった発言を避けたい、自分が批判されたくない、というだけです。
「生まれつきの障害」というのなら、その証拠を出してみなさい。
破水したとき、赤ちゃんがオギャーと生まれるとき、「はい、この子は発達障害」「はい、この子は定型発達」と産婦人科医の他に、発達障害専門の医師が立ち合い、出産したのでしょうかね(笑)
そもそもが自閉症、発達障害を客観的な指標で証明することができないのですから、生まれつきと言うのも嘘八百です。


支援者が好んで使う「生涯に渡る支援」というのは、本人にそれが必要だからではなく、「長く御贔屓に」「末永くご利用を」という意味です。
本当にその人の臨む支援をしようとするのなら、本人の生きづらさをクリアし、できるだけ支援が必要ない状態まで変わっていけることです。
学校が言う「支援級へ」という提案は、どうなったらまた普通級に戻っていけるかという見通しとセットなら子どもさんの学習、成長を考えてになりますが、行ったっきりでその後の見通しがないのならそれは姥捨て山のように思われても仕方がありません。
支援級に行くのは、普通級で学ぶよりも、より豊かに学習や成長ができるから、であるはずです。
「支援級へと言われちゃいました。どうしましょう」とうろたえる前に、そこは親として、保護者として、学校に確認すべき点だと思います。


コロナ騒動により不登校の児童、生徒が増加し、その結果、支援級や支援学校への転籍を勧められるケースが増えています。
学校に行けない=なぜ、発達の問題になるのでしょうかね。
交流がある現場の人達の声では、「家庭の問題を指摘しずらいから、発達の課題として受診を提案する」「30日ルールがあるから、不登校数にカウントしなくて済むように、特別な事情があります(発達の課題)としてしまう」などです。
管理職としては在校生の不登校数は、なにかと気になるご事情があるようで…ね。


為政者、組織、専門家など、相手との間に持っている情報の差を感じれば、自然と相手を自分の望むべき方向へ背中を押そうとするものです。
自分が理想とする人になってもらうようにコントロールしようとする場合もあれば、自分の意のままにコントロールしたいという場合もあるでしょう。
純粋に「目の前の人が幸せになってほしい」とただその一点のみで、我が身を投げ打ってもと行動できる人は、家族などの身内か、よっぽどの信頼関係を築いた人だけだと思います。
この2年間で国も、専門家も、国民一人ひとりの幸せなんか、考えていないのはよくわかったでしょう。
ハッタツの世界だって、本気で一人ひとりの幸せを願っていたら、支援漬け、福祉漬けなんかにはしないはずです。
いまだに「生まれつきの障害」「社会に理解をー」なんて言っているのが、何よりもその証拠です。
本人の内側にある違和感、生きづらさ、不便さを改善しようとしないのですから。


2022年は児童デイサービスの大きな見直しが予定されています。
サービスの質の問題が挙げられていますが、結局、増加の一途を辿る児童デイとそれに関わる予算で、これ以上出せない、これからは投入する税金を減らしていく、という意思だと考えられます。
表だって、「予算が増えすぎたので減らします」と言うと、「障害児の福祉を減らすのか」「この子達の放課後の権利は」などと言う声が上がり、左系の人と一緒に要望書の連発が目に見えています。
ですから、事業者のせいにしつつ、お金を減らしていくだけ。


このように国の意思は示されました。
なので、今まで通り、のほほんと支援を受けていればいいや、というおうちから一気に大変なことになっていくでしょう。
発達障害児にとっては、福祉が面倒見てくれる時代は終わったといえます。
メッセージとしては、家でしっかり育てなさい、もしサービスを受けたいのなら地域にある民間のサービスを実費で使いなさい、ということ。
医療的ケア児がここ10年で2倍に増えたのですから、どう考えても、この子達への支援のほうが必要度、切迫度が高い。


2022年は今までのツケを払う年であり、個人的には大掃除の年だと思っています。
緊急事態宣言下で、療育などに行かなくても、家庭で伸びることが明らかになりました。
ギョーカイの「理解をー」という啓発も、ほこりのかぶった療育法の講習会も、この社会的な緊急事態では助けにもなりませんでした。
この2年間で、診断を受けた親御さんは、実践的な講演会には参加できていないでしょう。
なので、ギョーカイが、支援者が、「我が子の役に立った」という実感がない親御さん達だといえるのです。
中途半端にギョーカイと関わる親御さんのほうが、なかなか抜けられず、ずるずる治らない道を歩む傾向がありますので、この点は良かったと思っています。


発達障害は医療が専門の分野ではありません。
もちろん、専門的な支援、療育を受けなければならないものでもありません。
発達障害児を育てるのではなく、発達に遅れやヌケがある我が子の子育てにすぎないのです。
コロナでいろんなものを得た専門家たちが騒動を終わらせたくないように、発達障害というブームで儲けてきた人たちも終わらせたくないと抵抗するでしょう。
しかし、この2年間で白昼にさらされたのは揺るぎない事実。
ちょうど良いタイミングで、児童デイの見直しが行われます。
従来の専門家、療育、支援が退場する2022年。
「発達障害を子育ての領域に取り戻す」のが私の目標、願いでもありますので、来年から始まる新たな年を楽しみにしています。




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2021年12月25日土曜日

【No.1212】「親バカ」の意味

『言葉がない子と、明日を探したところ』を読んでいる最中から湧き上がった連想を数日綴ってきましたが、今日のブログを書くための前振りでした。


就学前に治った子ども達と親御さん達がいます。
だからといって、その子が軽かったと一概に言えるわけではなく、親御さんにとっては心配で大変だった事実は変わらないわけです。
長い期間でなかったかもしれませんが、親御さんには重度に見えたり、将来に希望が見えないこともあったはず。
そういった親御さん、子どもさん達を見て、私は心から良かったと思います。


就学までに治らなかった子ども達と親御さん達がいます。
だからといって、その子が重かったと一概に言えるわけではなく、またその子の親御さんの子育て、発達援助のやり方に問題があったともいえません。
もちろん、親御さんにとっては心配な時期はできるだけ短いほうが良いと思いますが、就学時までに治っていないからと言って、その子本人が不幸だと感じているわけではないはずです。
中には、あとから本人が振り返って話してくれることがあるのですが、「僕のために、一生懸命やってくれていたのが分かって、そのとき、嬉しかった」と言う若者たちもいるのです。
こういった若者たちの言葉を聞けば、就学後も親子で治る道を歩むこと自体が、幸せな時間といえるかもしれないと思います。
就学前に治った親子よりも、濃密な親子の時間を過ごせている場合もあるのです。


ですから、他のご家庭で「治った」ということを見聞きしたら、是非、一緒に喜んでほしいと思います。
たとえ、その時点で我が子が治っていなかったとしても、社会に治った子が一人増えたのですから。
その子が治ったことで、他の誰かが支援を受けられるかもしれません。
その子が治ったことで、より良い未来、社会を作ってくれるかもしれません。
そして、その子の親御さんは治った喜びをより感じられるようになります。


治った子の親御さんは、将来、我が子が孫を連れてきたとき、子育ての経験を、治した体験を次の世代に伝えることができます。
それは次の世代をよりよく育てる力になり、次の世代の子ども達を治す後押しにもなります。
これは縦に繋がる「治る」です。
そして今、治ったと喜ぶことは、他の親御さんの希望になります。
子育て世代の親御さん達も、あと5年もすれば、立派な先輩になり、その背中を若い世代の親御さん達が見ることになるのです。
そのとき、若い世代から「あんな親子になりたい」「あそこのうちの子のように育ってほしい」と思ってもらえれば、それが横に繋がる「治る」になると思います。


理解啓発活動がことごとく失敗してきたのは、支援者も、親御さん達も、まったくもって楽しそうではなかったからだと思います。
青いお祭りが象徴的で、親御さん達はお金と無償の労働を奉仕する。
主催する支援者たちも、決まった人しか来場せず、始まった当初の注目も浴びなければ、宣伝効果もない。
あちこちで支援者たちが主催を降り、地域の学校の先生や福祉関係の人などに丸投げしだした姿からもよく分かると思います。
親御さん達がいくら奉仕したとしても、我が子が感じている不具合、不便さは良くなることはないので、そのやるせなさが顔に出ているのです。
「あんな親御さんになりたい」と思ってくれなければ、ひとはついていかないものです。
だから、同じメンバーが滞留し、不幸の循環が続くのです。


治った子の親御さんも、今まさに治ってほしいと子育てをされている親御さんも、他の誰かの希望になり、治すきっかけになると思っています。
もちろん、その条件として子育てに前向きで、楽しそうな雰囲気を持っていることがありますが。
『言葉がない子と、明日を探したところ』に出てきたお母さん、お父さんから悲壮感を感じませんでした。
もちろん、内面では辛い想いをたくさんされていたと思いますが、文章から伝わってくる姿は前向きで、その大変な日々の中にも家族としての幸せ、子育てをする幸せが漂っていました。
きっとこの本を読んで、「うちも頑張ろう」と新たな気持ち、エネルギーをもった方も多いと思います。


私のような支援者が「治る」と関われるのは、ごくわずかです。
しかし、親御さんは子の世代、孫の世代というように、縦に治していく力になります。
またその親御さんの姿勢が、同じ時代を生きる他の親御さん達の希望になり、子どもさんが治るきっかけにもなるのです。
これだけ発達障害が増えた社会ですから、親御さんの縦にも、横にも、治す力は大きいと思います。
どうしても、我が子を中心に、我が子の治った、治らないで一喜一憂してしまうと思いますが、我が子以外を治す力にもなっていることに気がついてほしいと思います。


『言葉がない子と、明日を探したところ』を読んで一番強く思ったことは、「親バカ」というのは、「ああ、うちって幸せだな」「私って幸せだな」とあけっぴろげにすることではないか、ということでした。
他人から見れば、どう考えても大変でしょ、辛いことばかりでしょ、という状況の中でも、その当事者である私は幸せを感じている。
もっと親御さん達は「幸せだぁ~!!」と言って良いと思います。
たとえ、まだ発達のヌケがたくさんあったとしても、まだいろいろな心配事、課題があったとしても。
その親バカが、誰かのステキな親バカへと繋がっていくかもしれませんので。




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2021年12月24日金曜日

【No.1211】「治る」よりも、自立に必要なことは

昨日のブログに対する反響が多く、何名かの方からご感想のメールを頂戴しました。
たぶん、心に突き刺さるものがあったのだと思います。
まあ、このブログを読んでくださる方は、忖度を望み、いい子いい子してほしくてはやってきていないと思いますので、今日も連想の続きを綴っていきたいと思います(笑)


一言でいえば、よそのおうちの「重度」とか、「治ったとか」に心が乱されるようではいけませんね、ということ。
私から見れば、すべて脳みそ、エネルギーの無駄遣いです。
よそのおうちが治って、うちがまだ治っていないと、なぜ、落ち込むのでしょうか。
我が子とはまったくの別人です。
治る人数が決まっていて、椅子取りゲームをしているのなら、プレッシャーを感じても仕方がないですが、他人と関係なく、治る子は治るし、治らない子は治りませんね。
やることは変わらないわけです。
またご自身で「我が子は重度」と思い込み、勝手にいろいろなことを諦めては、お子さんが可哀想ですし、親が我が子の可能性を狭めてしまう危険性がありますね。
「勝手にぼくのこと、"重い"って決めないでね」


プレッシャーと言えば、「年が明ける」が親御さんにとって大きなプレッシャーになることが多いと感じます。
年長さんのご家庭は、就学先の最終リミットが1月末だったり、2月まで待ってもらったりしていて。
年中さんのご家庭は、来年度から始まる就学相談に、「いよいよか…」という気持ちになるのだと思います。
希望する就学先を考えたら、まだ治っていない、育っていない。


この世代のご家庭の発達相談を行うと、「あと半年あれば」「あと一年あれば」、普通級などの希望の就学先に行けるのになあ、と思うことばかりです。
この調子で発達が進んでいけば、就学の準備ができるのに、その前に就学の日が来てしまう、という感じ。
つまり、就学というリミットが先に決まっていて、子どもの発達とは別の時間軸があるということです。


よく「治る家庭と、治らない家庭の違いはなんですか?」と尋ねられます。
その答えはとてもシンプルで、「治るまで続けるかどうか」のほかにありませんね。
私が関わってきた働く若者たちは、中学まで支援級でそこから通信教育や私立に進学した方もいますし、支援学校卒の方もいます。
卒業後も、福祉的な支援を受けていましたが、そこから変わっていき、少しずつ自立していった方もいます。
一方で、ずっと普通級で大学まで出て、福祉を頼って生きている方たちもいますし、引きこもりやニートのようになっている方たちもいます。


私は発達援助という仕事をしていますが、治ることは目標ではありません。
目標は、その人が幸せな人生を送ること。
そのためには、できるだけ自分のことは自分ででき、また選択できる能力と環境を手に入れられるようにすることが求められます。
で、その幸せで、自由な人生を送るための手段として「治る」があるのですが、大事なのは「治る」ことよりも、その人が治り続けること、つまり、発達成長し続ける姿勢を身につけることだと考えています。
それこそ、治り切るまで、本人の意思と行動によって発達、成長し続けようとしていればいいのです。
6歳で治らなくても、20歳で治ればいいですし、20歳で治らなくても、30歳、40歳、50歳…で治ればいい。


私はキャリアの初めで、捨てられるようにして入所してくる子ども達の姿を見てきました。
そして今の発達援助という仕事の中でも、いくら子どもにとって必要なアプローチだったとしても、現実問題として継続ができる親御さんは少ないということがわかりました。
「もう少し後押しを続けていれば」というところで、「まだ本人がやり切った感が味わえていないのに」というところで、やめてしまったり、別のアプローチ、専門家のところに尋ねていってしまうことも少なくありません。
親御さんの心身の状態もありますし、事情もあるでしょう。
「やり切る」というまさにゴールや期日が見えないものを辛抱強く待ち続けるのもしんどいと思います。
そういったところに、よそのおうちが「治った」と喜んでいる姿を見て、共に嬉しい気持ちにはなれないこともある。


親御さんも、親になっていくプロセスの中にいると思います。
子どもさんが一人ひとり違うように、親御さんだって一人ひとり違います。
子どもはどんどん成長し、親はどんどん衰えていくものです。
気力、体力を失い、継続すること自体に息が上がってしまうこともあるはずです。


じゃあ、すでに社会に送り出してきたご家庭の親御さん達はどういう方たちだったのか。
今の子育て世代とは、一回り以上、違いますので、まだ誤診が少ない時代でしたので、簡単に比べることはできませんが、いくつかはっきりしていることがあります。
それは、当時の親御さん達は「就学までに」とは言っていなかったこと。
みなさん、長いスパンで考えていたように感じますし、「きっと将来は施設だろう」なんて言っていた親御さんも、中学、高校ぐらいからググッと成長し、「もしかしたら一般就労も」といった選択肢が見えてきたご家庭も少なくありませんでした。


振り返れば、「自立」に力を入れていたご家庭が多かったと思います。
せめて身の回りのことが一人でできるように。
施設に入所しても、できるだけ職員の手を借りないで済むように。
そういった想いが強かった親御さん達は、できないながらも幼いときから辛抱強く身辺面のことを教え続けていたと思います。
たぶん、その「せめて身の回りのことだけでも」というシンプルな目標が親御さんの継続した姿勢に繋がり、また本人も同じことを根気強く繰り返す中で、自分自身ができるようになる、変わっていくという体験を積んできたのだと思います。
それが社会に出たあとも、就職した先でも、コツコツと続ける、うまくなることを目指すという姿勢の土台に繋がっているように感じます。
またトライ&エラーを繰り返し続けること、試行錯誤を行うことは、そのまま、ご自身の発達のヌケを育てきることに般化できますので、結果的に社会の中で、人生の中で治っていくのでしょう。
過去にも再三申し上げているように、「治ったから社会出る、働ける」のではなく、治っていなくても社会に出て、働き、自立していけるのです。


いつヌケが埋まるか、育ちきるか、治るのか、は人それぞれです。
就学までに治った方がいいのは、本人都合と言うよりも、社会都合、親都合です。
就学前に治ったから軽かったとも、誤診ともいえませんし、就学以降も治らないからと言って重いとか、生涯治らないとか、もいえません。
違いはただ治る時期が人ぞれぞれ違うということ。
さらに治り方も人それぞれですし、治る=自立でもありません。


親御さんの資質として諦めが悪い人(笑)、体力気力に満ち溢れている人、コツコツと継続することが得意な人は、そのまま突き進めばよいと思います。
息子が、娘が治り切るまで、とことん付き合うから!という感じで。
もしそうではない場合は、我が子、本人自身に継続、コツコツ続ける、試行錯誤、失敗したあと立ち上がる、という体験を積んでもらうようにすることです。
多少、ネタバレになってしまいますが、今度出版させていただく『ポストコロナの発達援助論』にも書きましたが、向上心こそ、自閉っ子の強みです。
「どうにかしたい!」という想いが人一倍強い人達ですので、その想いを活かしながら、何か一つでも良いので、どんな内容、活動でも良いので、継続、継続、継続の体験を、できれば子ども時代に。


今日が終業式という学校も多いと思いますので、明日からの冬休みの子育て、発達援助のご参考になれば。




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2021年12月23日木曜日

【No.1210】「重度」という言葉

「重度」という言葉は、本人ではなく、周囲の人のための言葉です。
「重度だから」と使えば、諦める決心ができたり、「自分のせいじゃない」とその瞬間は、自分自身を傷つけなくて済みます。
「重度だったのに」と使えば、今に対する感謝の気持ちを、本人の成長を感じる喜びを、一方で自分自身をアゲルために、想定した誰かをサゲルために発せられることもあるでしょう。
ですから、「重度」という言葉の使い方は難しいと私は感じています。


ところでいろいろな人が使っている「重度」とは、どんな状態を指すのでしょうか。
知的障害が「重度」?
症状が「重度」?
問題行動が多いのが「重度」?
ある程度、年齢が上がっても症状が変わらない人が「重度」?
生活面で介護を受けている人が「重度」?
たぶん、その人その人で重度が意味していることは違うでしょうし、その重度は上記で言えば知能検査の値しか客観的なものはないので、かなり主観的なものだといえます。
しかも、その主観は発している人が実際に見聞きしてきた発達障害の人の範囲での話になりますので、同じ「重度」でも、ある人には軽度に見え、ある人にはかなり重度に見えることもあると思います。


親御さんがいう「重度」と、医師がいう「重度」と、学校の先生がいう「重度」と、施設職員がいう「重度」は、まったくもって異なるのは無理もないことです。
当然、子どもを中心に見ている人と、大人を中心に見ている人、学習面を中心に、生活面を中心に見ている人でも全然違うはずです。
そういう私も偏りがあるわけで、てらっこ塾を始めてから一度も重度と思うような方とは出会っていないのです。
キャリアの初めが、当然、家で過ごすことができず、それでいてその地域にある入所施設に入っても、そこで生活ができないくらいの人達が全国から集まってくる施設での生活支援でしたから。


知能検査は測定不能、こだわりなどの症状はコントロール不能レベルで、行動障害も強度と判定される入所者たち。
精神科薬の量は、それだけでおなか一杯になるのではないか、というくらいで全国各地からやってきていました。
確かに、このような方達は誰がどう見ても「重度」の人達でしょう。
しかし、この「重度」の人達も、多くは環境を整え、捻じれた糸をほどいていくと、徐々に落ち着き、安定した生活を歩めるようになっていきました。
つまり、こういった人達も、本当に「重度」なのか、一時的に「重度」に見えるだけ、特に周囲からは、ということが往々にしてあるのです。


当時、研修先の教授に尋ねたら、「私の国では95%の自閉症者が地域で暮らしている」と言っていました。
ただ「残りの5%の人は不可能だから、入所させる」と。
米国人らしい合理的な考え、政策だと感じましたが、その背景には生物学的にいっても、支援や薬ではどうしようもない人もいる、という話だと私は解釈しました。
私が働いていた入所施設でも、半数以上の人が入所後、安定的な生活を取り戻せていたので、誤学習で、また周囲の解釈の間違いで「重度」っぽくなってしまったためのだと思います。
「重度」と感じる人は、自分自身で制御不能の状態になっており、自ら消滅の方へ向かう姿に、それが私の唯一の安寧という雰囲気がありました。


このように本人の「重度」と、周囲の「重度」は違います。
そして忘れてはならないのは、発達障害は障害ではないということ。
百歩譲って障害というカテゴリーに入ったとしても、障害の中ではかなり軽度なのが発達障害ということです。
一日一日、生きられるか、この瞬間、息を吸って吐くだけでも難しい障害の人もいます。
自ら移動することも、意思を表出することも、なにかを知覚することも、難しい障害の人もいます。
こういった子を持つ親御さん達、親の会とも交流があった時期がありますが、「どうして発達障害の子しか利用できない児童デイばかりが増えるんだ」「軽々しく”うちの子は重度です”と言ってほしくない」というお話を伺い、そりゃそうだなと私も思っていました。


本人ではなく、誰からか言われた「重度」、自分自身がそう解釈している「重度」という言葉によって、その子の将来を諦めることにつながったり、育てるよりも支援という名の介護に向かってしまったりするのでしたら、それはもったいないことだと思います。
とくに幼児期は、一つの発達のヌケがその子にとって大きな混乱を招いたり、発達全般に影響を与えることはよくあり、家を中心とした環境、どのような刺激を受けるかによって、状態はガランと変わるものです。
「我が子が重度」と絶望されていた家庭も、テレビ視聴を止めて数か月経つと、自然と目が合うようになり、言葉が出てきた、なんてこともしょっちゅうです。


たとえば、言葉があって、普通に生活していたのに、小学校になってから急に言葉を失い、排泄も自立してできなくなった、というのでしたら、重度になったと落ち込むのは自然ですが、言葉を習得していく前の過程で、なかなか言葉が出ないのは重度ではなく、育っていないだけの場合が多いといえます。
また感覚系の未発達は、周囲の状況を認識する際、刺激を受け取る際、いわゆる情報処理のプロセスで頭や全身で混乱を招きますので、終始泣きじゃくる、落ち着かない、ということがあります。
我が子が泣き続ける姿を見て、心を痛めるのは自然な感情ですが、だからといって、「=重度」にはならないと思います。


が一方で難しいのが、私に対し「重度」と言ってほしい、という親御さんの気持ちが伝わってくるときです。
親も子も、パニック状態なとき、もう親として心がこれ以上落ちるところまでないくらいなとき、私がいつもの調子で忖度せず(笑)、「いやいや、全然重度じゃないっすよ。発達が抜けているだけ」なんて言うことが、はたして明日の子育ての力につながるだろうか、と迷うことがあります。
「あれだけ大変だった子が、大久保さんの助言で、一般の幼稚園、普通級に行けたんです」と喜んでいる親御さんに、敢えて「ただ他の子と比べて発達がゆっくりだっただけ」と言う必要があるのか、と思うことがあります。
目指すべきことは、子ども達が発達のヌケを育てきるまで、親御さん達に後押しを続けてもらうことであり、その後方支援が私の役目ですから。


今年も多くのご家族、子ども達と関わりましたが、生まれてくる時代が20年ほど早ければ、ほとんどの子が診断されず、一般の幼稚園、保育園、小学校普通級に行き、小学校高学年くらいまでに自然と治っていたと思います。
つまり、そもそもが障害でもなく、必要なのはその子が足りていない発達の時間だけなのに、2000年以降、発達障害という商品化が進んでしまったため、医療、福祉、教育の食い物にされてしまったのです。
さらに、この先、コロナ禍のヌケを抱えて発達障害っぽく見える子がプラスされていく。。。


発達障害とは、「子どもが育つ環境の危機」ということだと思います。
その背景には、コロナ禍のような人災もありますし、東日本大震災のような自然災害もあります。
そして、食と空気、土の汚染もあれば、大人のために最適化された社会が子ども達の発達を阻害している場合もあるでしょう。
もちろん、家庭環境、養育力の問題もあるはずです。
本来、そういった根本的な原因に目を向けなければならないことを、「発達障害」という言葉で覆い隠しているような気がします。


社会や自然を変えることは難しく、時間がかかることです。
しかし、家庭という環境、子育て・発達援助という関わり方は、今日から自分の意思で変えることができます。
その変わろうとするエネルギーを萎めてしまうのが、「重度」という言葉であり、「発達障害」という言葉であるように思います。
一時的にその言葉で心が救われたとしても、根本が変わらない限り、問題は解決しません。
私が作成する報告書に「自閉症」「発達障害」「重度」などの言葉を使わないのは、いつかこれらの言葉が無くなってほしいと願っているから。
我が子の子育てに、発達のヌケを育て直すのに、本人が治っていくのに、そういった言葉たちは必要ありませんね。





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2021年12月22日水曜日

【No.1209】『言葉のない子と、明日を探したころ』を読んで

今から16年前の2005年の12月。
私が大学を出て、福祉施設で働き始めた年の暮れにあたります。
新卒一年目はその激務に慣れるだけで精いっぱいで、休日は泥のように眠り続けていました。
ですから、書店に行く回数も少なかったんだと思います。


そのときの私が、この本を読んでいれば、きっと当事者である英司さんが子ども時代を振り返り、コメントするところに意識が向いていたことでしょう。
お母さんからしたら、我が子の言動の意味がわからず、まさに暗中模索、四苦八苦して子育てをされてきた当時の意味を、成長された英司さんがそのときの心のうちを丁寧に解説されています。
たぶん、駆け出しの施設職員だった私は、「自閉症の人はこのように世界を捉えているんだ」という理解を深めるための一冊になっていたと思います。


しかし今は2021年。
しかも、もとになった手記は、1982年に出版されたものです(1982年は私が生まれた年!)。
そのときは既に養護学校の高等部生になっていた英司さん。
ですから実際の子ども時代、行動が落ち着かず大変だった頃はさらに10年以上前になりますので、物語の舞台は1970年代です。
今から50年ほど前に、当然、今のような理解も、知識も、資源もない中、重度の自閉症の子の子育てを懸命に行い、そして働く大人として社会に送り出した親御さんの姿に、私の意識は向けられました。


この本には、お母様の姿勢には「子どもをよく見る」ということがどういうことなのか、気づかせてもらえると思います。
2000年を過ぎた頃より、自閉症、発達障害に関する理解啓発活動が盛んになりましたが、そういったことのほとんどが薄っぺらく、表面的な理解に終始しているのがわかります。
自閉症の特性、三つ組がどうだとか、視覚優位だとか、こだわりがどうだとか、そんなものは理解したことになりません。
英司さんのお母様は、英司さんの内面、内側の世界を知ろうとされていた。
そしてそこに気がついたとき、「じゃあ、そのままやらせてみよう」「別の代替手段を試してみよう」「ここに注目できるのなら、こんな活動をすれば、成長に繋がるのではないか」という子育てのアイディアを生み、実際に行動されました。
確かに自閉症の子のことが書かれているのに、自閉症の特性などの記述は出てきません。
つまり、お母様が自閉症児ではなく、英司さんという我が子として見て、子育てをしてきた表れだと思います。


自閉症や発達障害に関する知識、情報をたくさん取り入れることが、理解することだと勘違いされている親御さんは少なくないように感じます。
私のところにも、自閉症の勉強の先に私の発達相談、援助を受けたいという方もいらっしゃいます。
しかし、自閉症という視点から、知識から、子どもさんを見ている限り、子育ても、必要な発達援助もできないでしょう。
そういった親御さんには、まず始めに「自閉症という言葉を使わず、お子さんのことを離してください」とお願いします。
そうすると、多くの親御さんは言葉に詰まるのです。
自閉症の知識、情報はたくさん持っているのに、我が子の情報を持っていない。
自閉症や障害という言葉を使わず、我が子のことを説明できない。


学校の先生でも、支援者でも、専門家でも、自閉症や専門用語を使わないで説明ができる人ほど、ちゃんと子どものことを見て、また適切な発達援助ができるものです。
自閉症マニア、療育マニアには、子どもの発達を促すことはできません。
通り一辺倒な支援、療育を行うため、発達の芽を摘むことばかりです。
その子の持つ自閉症という特性は、何一つ、その子のことを説明できるものではありませんね。


今と異なり、1970年代は誤診はほぼゼロだったと想像します。
子ども時代の英司さんも自閉症で言えば、重度に当たるお子さんだったと思います。
しかし、そういった子ども時代を経て、企業に就職し、働き続け、お父様から引き継いだ土地に新築の家を建てたのです。
きっとお母様も、このような未来がやってくるとは思っていなかったと思います。
そして当然ですが、「6歳までに治らなきゃいけない」などとも考えていなかったはずです。
自立させるために治すのではなく、英司さんの内側を想像し、そこから試行錯誤しながら、一つずつ成長を後押ししていった結果、自立した人生になっていったのだと思います。


50年のときを経ても、親心に勝る発達援助、支援、療育は現れなかったことがわかります。
むしろ、何もないほうが、頼れるものが親の勘だけ、身体だけ、行動だけのほうが、子どもさんのことがよく見え、適切な後押しができるようにも感じました。
2021年の今、読んでも、この本の素晴らしさ、お母様の子育ての姿勢に多くのことを学ばせてもらえると思います。
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2021年12月17日金曜日

【No.1208】他人に期待しない、自分に期待する

昨日、学校評価を提出したところで、どんなお返事、ご回答がいただけるか楽しみにしているところです。
再三、「子ども達の命を守るため」「大切な人を守るため」という具合に、根拠のない精神論で子ども達に選択の機会、考える機会を封じ込めようとしているため、客観的なデータをお付けしました(笑)
重症化を予防するといわれているワクチン接種が、高齢者&基礎疾患のある人でほぼ完了した現在。
しかも、市内の入院患者、自宅待機者はゼロ。
当然、陽性者は何週間もゼロ。
緊急事態宣言も出ていなければ、マスク等の感染対策の命令などの法的根拠もゼロ。
ゼロゼロづくしなのに、どうしていつも学校は偉そうなのか、どうしていつも子どもたち自身に考えさせようとしないのか、はなはだ疑問です。


私が小学生の頃は、学校からあまりうるさく言われた記憶がありません。
記憶がないというか、私自身が守っていなかったのかもしれませんが、うちの子が学校から持ってくるプリントを見ると、いつも驚かされます。
百歩譲って学校内、授業中のルール、お願いなら分かりますが、いついつから自転車の乗って良い&悪い、放課後遊んで良い公園、行って良い範囲はここからここまで、公園に持っていっていい物、悪い物、友達の家では〇〇は良いけれども、〇〇はダメ…。
親である私が見てもうんざりする内容です。


結局、このようなルールの一つ一つは、学校側の責任回避のためでしかありません。
たぶん、過去に問題になったものを明文化していったのでしょう。
だから、とにかく細かい事例、特殊な事例が加わっています。
人間、保身になると、やることは一緒で、「県境またぐな」と同じように、「校区外に行くな」は、何か問題が起きたとき、どこの児童生徒かすぐにわかるように、また他校の子ども同士のトラブルは双方の学校が出ていかないといけなくなるので大変ということだと思います。
放課後は、子ども達が生きるための土台を作り、生き抜く力を地域、社会の中で育む時間です。
私なんか、友達と何駅も先の公園まで遊びに行っていましたし、夕焼け小焼けのメロディーと共に「良い子は帰りましょう」というアナウンスを聞いてからが遊びの本番という感じで、「俺たち、良い子じゃないからね」と真っ暗になるまで遊んでいたものです。


GHQが戦後、今後絶対に歯向かうことがないように、ということで手を付けたものの一つに学校教育があるといわれています。
戦時中、捕まっていた左の人達を東大のトップや教育行政の中に送りこみ、自分たちの歴史を否定する教育、そして一人ひとりが考え”ない”教育を展開していきました。
見事に私達は考えられない国民、誰からか指示を出されないと動けない国民になりました。
いくら文科省がアクティブラーニングなどと言っても、教えている先生たちが指示待ちの人ばかりではただのお題目にしかなりません。


それはこの2年間、「子ども達からマスクを外そう」「例年のような教育活動、学ぶ機会を守ろう」という声が上がってこなかったのを見れば、わかります。
個人としては、そういった考えを持ち、行動している先生がいたのを何人か存じ上げていますが、大部分は黙ったまま。
中には、これを機に、教育活動を省略しラクをしようとしているような空気感を出している先生、管理職もいたくらいです。
そもそもあんな布きれ一枚、口に付けたくらいで、感染が防げるのなら、マスク義務化の国でとっくの昔に終息しているでしょう。
こんな当たり前の科学的な思考を持ち併せず、教壇に立てるのは、学校教育が学力よりも、集団生活や模範的な行動など、精神的なもの、統一性に重きを置いている証拠だと思います。
それまた左の影響かもしれませんね。


私は他人に依存する、頼るということをしてきませんでしたので、正直、学校や支援機関、先生や支援者に対して一喜一憂する人の気持ちがわかりません。
コロナ前からですが、担任の先生がどうだとか、あそこの療育機関、通所施設はどうのこうのとか、意味不明です。
他人が自分の想い通りに動いてくれると思っている時点で、その子は伸びないし、治りませんね。
そして何よりも自分の頭で考えて生きていけるだけの本当の意味での自立から遠のいていくでしょう。
近頃、治らないギョーカイにい続けるから治らないのか、そもそも誰かに我が子の子育て、発達の主体を預けてしまうという親の姿勢だから治らないのか、わからなくなります。


うちに遊びに来る我が子の同級生を見ていると、はっきりわかれたと感じます。
2020年からマスクをつけていた子は顔の一部かのようにつけ続け、「苦しくないの?」「外しても良いよ」と言っても、「もう慣れたから大丈夫です」と言います。
子どもは良い意味でも神経発達が盛んな時期で慣れるのも、環境に適応するのも早い。
苦しいとか、煩わしいとか、感じられなくなっているのも問題ですが、やはり思考停止のほうが問題です。
去年は、「早くマスクしなくて良くならないかな」「なんでマスクしなきゃダメなんだよ」と言っていた同級生たちも、疑問を持たないくらいまできてしまいました。
この子達は学校の先生が「外しましょう」と言わない限り、もう外そうとはしないでしょう。
それは心身の健康、発達だけの影響に収まらず、思考停止&受け身という負の遺産まで引き継いでしまう結果になりました。


親御さんによってはキャパシティーの違いがありますので、なんでも自分で、家族の力だけで子育て、発達のヌケの育て直しができない人もいるでしょう。
そういった場合は、いろいろな人の力を、地域資源を利用するのが良いといえます。
しかし、他人を頼るにしても、子育ての主体であるという心構えを忘れてはならないと思います。
支援者はよく「頼るのも大事な力ですよ」などと言いますが、これは勘違いさせやすい言葉です。
そもそもが考え、自分の意思で選択し、行動するのが苦手な日本人です。
そういった訓練、姿勢が身についている方が少数派。
そんなとき、「頼る」は「依存」になります。
依存するから、他人に期待し、一喜一憂するのです。
一喜一憂していると、軸がブレブレなので、子育て・発達援助が定まらず、子どもがやり切れず、育てきれずに。
そして親という環境の揺らぎが不安定さを生み、落ち着いて本人が育めない悪循環となります。


就学したら終わり、発達のヌケ、未発達が育ったら終わり、ではありません。
そう感じたとしたら、それは親御さんからみた視点です。
子どもにとっては、就学、治るは、人生の通過地点。
特に「治った」というのは、あとから本人が振り返り、「ああ、自分は治ったんだな」と実感するものだと思います。
案外、親御さんが「治った」と思っていても、本当の意味では治っていなかったり、「まだ治っていない」と思っていても、本人の実感では治っていることもあるものです。


私も治るのは通過地点だと考えています。
本人も、家族も、意識することなく、自然と治っているのが理想です。
だから、治るということよりも、よりよく育つ、育ち続けることのほうが大事なのです。
育ち続けることを妨げる要因になるから、治すといった感じです。
私がコロナ騒動による子どもの影響に対して怒りの感情を持つのは、単に発達に影響を及ぼしただけではなく、子ども一人ひとりの人生に重い影を落とすからだと思います。
生涯を通して学び、成長し続けられない人、自らの頭で考え行動できない人は、不自由な未来が待っている。
他人ではなく、自分自身に期待できる人間に育てるのが、私達大人の役割ではないでしょうか。


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2021年12月8日水曜日

【No.1207】予防と根本治癒

平日の午前中、仕事の合間に本を読んでいる自分に気がつく。
もし私が「会社勤めをしていたら」「あのまま施設職員として生きていたら」、こんな日々は送っていないと思います。
私は起業前から「自分が好きな仕事を作る!」「心からしたい仕事のみを行う!」という決意をもって始めていますので、直接お会いする発達相談もそうですし、日々の研鑽のために読む本や研修も仕事という雰囲気がなく、愉しいという心持ちです。
ですから、他の人達が思いっきりできない分、私が勉強に励み、それを親御さん達や社会に還元していくことが役割だと捉えているわけです。


今度、出版される書籍『ポストコロナの発達援助論』の原稿の中に、今まで蓄積してきた情報を出しきったという感覚があります。
ですから、原稿提出が終わってからは無性に今までとは異なる情報を自分の中に入れたくて、本をむさぼるように読み続けています。
書店に行くたびに、本を購入し、せっかく年末で片づけた部屋の床の上にタワーができてしまうくらいです。


今は農業についての勉強をしています。
次の職探しの意味もありますが(笑)、ある農家さんの話が衝撃だったことがきっかけです。
日本の農業はかつて人や動物が出した糞尿を土に撒き、肥料として使っていました。
しかし、今はそれができなくなったそうです。
何故なら、ある地域で行政が家庭のトイレからの排泄物を集め、農家さんに売り、土に撒くということを推進していたところ、撒いた土地では農作物が育たなくなったのです。
その理由を調べたところ、大量の化学物質が検出され、土の菌や微生物などが死滅していたことがわかりました。
つまり、そういったものが人から排出されたということは、それだけ危険なものを私達は日頃食べ続けているという意味でもあります。


有機栽培とは異なり、まったく肥料も、農薬も使っていない農作物を作っている農家さんがいるので、早速、注文してみました。
届いたミカンは、緑色のまだら模様があり、大きさも、皮の固さもバラバラでした。
そして食べてみると、懐かしい酸っぱさが口の中に広がりました。
今は甘いミカンに慣れてしまっているけれども、子どもの頃のミカンはこんな感じだったな、なんて記憶が蘇る。
色がきれいで、形も一緒。
食べれば、どれも美味しい果物たち、そして年中食べられる野菜たち。
私達消費者のニーズが、「自分たちが食べる分と出荷する分は別のモノ」というような農業を作ってしまったのでしょう。


プライベートでお世話になっている人がこんなことを言っていました。
「子ども達を見ていたら、おかしい(大声を出す、急にキレる、目が合わない、言葉の遅れなど)と感じる子が増えた」
「自分の友達や知り合いの子が”診断を受けた”という話を、今年になって何回も聞いた」と。
知り合いの保育士さんからも同じような話を聞いていたので、コロナ禍を機に子ども達の発達の問題が噴出しているような感じがします。
過剰な感染対策や当たり前の発達の機会が奪われたこと、家で過ごすことが多くなりメディア視聴も増えた影響もあるでしょう。
そして私が今勉強している食べものの影響も。


相変わらず1歳代の子ども達にも診断がつけられています。
ちょっとでも発達に遅れがあれば、すぐに診断が付く時代です。
普通級にいた子だって、なにか問題があれば、すぐに「一度、専門の病院に」「支援級に転籍は」などと言われてしまいます。
理由や背景は問わず、本人以外の主観が障害を決めてしまうことが往々にして起きるのです。
コロナ禍によって、子どもの発達を歪ませる要因がググッと増えました。


コロナ禍という要因が増え、診断はコロナ前と変わらずガバガバ。
で、どんどん発達障害という診断を受ける子が増える一方です。
「診断は一瞬」だけれども、「治る」には時間がかかる。
第三者から見て「発達が遅れてるな」と気づくということは、本人の内側ではそれ以前の何年もの間、不具合が生じ続けていたということです。
だから、長年の蓄積の結果を整えていくには、同じくらいか、それ以上のときがかかるのです。


根気よく我が子が治るまで後押しし続けられる親御さんは心配ありません。
しかし、こういった親御さんは少数派です。
そして発達障害の引き金になる環境要因は増えるばかり。
今、私は基本的に発達の遅れが確認できたあとの子ども達、ご家庭への援助を行っていますが、なったあとの援助だけでは社会全体としてはもうどうにもならない状態まできていると感じています。
ですから、何年も前から考えていることですが、なったあとではなく、なる前からの援助が大事なのです。
その一つとして、私達が口にしている食べ物がどのように作られ、どんな課題があり、どこが発達障害と繋がっているかを学んでいるところです。


今は私も子育て世代なので、家庭訪問、家庭支援はまだいけると思います。
しかし、あと10年くらいすると、相談される親御さん達とは年齢が開いてしまい、今のような形態での仕事は難しくなるはずです。
今はざっくばらんに話せていますが、若い親御さんからしたら自分よりもグッと年齢の高いおじさんが家にやってくるのは嫌でしょう。
だから、自分のオジ度を勘案しながら、徐々に発達障害の予防のほうに仕事をシフトしていきたいと考えています。
どういった仕事になるかはまだわかりませんが、そのときの準備のためにも、そして今、ご相談がある子ども達が根本から治っていくためにも、何がその子の発達に影響を及ぼしたのか、根っこの部分を一人ひとり読みとれるだけの力を養っていきたいです。
そう考えると、やはり私はアセスメントが生きる道ですね。
他の素晴らしい実践家の方たちのような技術は持ち併せていませんので、見立てを磨き、また親御さんに伝える技術を向上させていかなければならないと思いました。
キーワードは「見立て」「伝える(教える)」「予防」「根本治癒」


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2021年12月3日金曜日

【書籍出版のお知らせ】『ポストコロナの発達援助論~発達の機会を奪われた子ども達に今からできること~』

最近になってやっとこの異常な社会が子ども達の心身の健康と発達に与えた影響について、ちらほらと発信されてきたように感じます。
これは陽性者の状況が落ち着いている状況が続いているのと、2年という長い月日の中で蓄積されてきた問題が表に出だしたというのがあるのだと思います。
子どもの2年って、大人の2年とはぜんぜん違いますよね。
とうとう目に見えるくらいになってきてしまいました。
発達障害もそうですし、問題行動もそうですが、周囲から見て確認できるようになる前には、その子の内側ではじわりじわりと課題が進んできた過程があるのです。
健診で「発達に遅れがあるかも」と指摘されたのが1歳半でも、1年前、2年前、胎児期から既に発達の遅れが生じていたといえます。


このたび、緊急出版という形で一冊の本を書かせていただきました。
花風社の浅見さんから原稿づくりのお話をいただいたのは11月6日で、11月30日には提出した原稿の直しが終わり、表紙や目次等が決まっていました。
『医者が教えてくれない発達障害の治り方②』の出版準備が進んでいる中での作業です。
それだけ浅見さんの中でも強い想いがあり、私と同じように強い危機感とこういった状況に子ども達をしてしまった大人たちに対する怒りがあるのだと感じました。
ですから、このような「緊急」出版になったのだと思います。


しかしいくら想いがあっても、ボランティアや無料のブログとは異なります。
本を一冊作るためにも、多くの人達、多くのプロフェッショナルが関わっています。
商業目的の出版ですので、読みたいと思い、買っていただく方がいなければなりません。
そのように考えると、とんとん拍子で本が出来上がり、世に出していただける機会をいただいたのは、社会のニーズや流れと共鳴したからだと解釈しています。
親御さんを中心に気づいた人が多くなってきたのではないでしょうか。
子ども達の心身の健康に、発達に、取り返しのつかないことが生じてしまったのではないか、と。


『医者が教えてくれない発達障害の治り方①』では怒りが原動力の中心でした。
でも今回は、怒り以上に、申し訳なさの想いが中心になっています。
こういった状況を作ってしまった大人の一人として、心から申し訳なく思っています。
どう頑張っても、彼らの代わりに発達をやってあげることはできません。
どう謝っても、この2年間の時間を返すことはできません。
ですから、この2年間も変わらず、全国を飛び回り発達援助という仕事をしてきた私が見聞きし、感じていたことを、そしてそこで生じたヌケをどうやったら育て直していけるか、親御さんが後押ししていけるか、を想いと一緒に原稿にぶつけました。


ただ問題を指摘するだけでは責務を果たした問いはいえませんので、「こんなアイディア、視点で発達を後押しするのが良いと思います」という部分を強調したつもりです。
発達に遅れがある子もない子も、ほぼ同じように発達に影響を及ぼしたコロナ禍。
私の懸念が外れ、「元の生活に戻ったら、みんな元気になった。すくすく育っていった」というのが私の願いですが、10年後の未来から見れば、「すぐに気づき、行動できていれば」ということもあるでしょう。
はっきり言って、すべての子ども達を救うことはできないと思っています。
でも、一人でも多くの子ども達と親御さん達に気づいていただき、できるだけ早く本来の発達の流れに戻ってほしいと願っています。
この本の出版を機に、気づいた人の後押しができれば、と思います。
どうぞよろしくお願い致します。


【先行予約のお知らせ】
12月3日より出版元である花風社さんで新刊の予約の受けつけが始まりました。
花風社さんで直接お申込みいただけると、特製のミニクリアファイルがついてきます。
書店で並ぶよりも早く読むことができますので、是非、ご利用ください。
ご予約はこちらから→https://kafusha.com/products/detail/56

前著『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』もどうぞよろしくお願い致します(花風社さんのHPからご購入いただけます)。




2021年12月1日水曜日

【No.1206】緊急出版が決定しました!

日本では流行しなかったし、子どもも、若者も、もっといえば健康な大人たちをも殺さない弱毒のウィルスだということがわかったので、コロナ騒動も2021年で終わりだろうと思っていたのが一年前の暮れ。
それが2021年も残り1ヶ月になったのに、まだ「オミクロン」などといってバカ騒ぎをしている。
慌てて入国禁止などをしたって、ウィルスは日本中に、この空気中だっているわけで、南アフリカで見つかった変異と同じような変異が日本のどこかで起っていても不思議ではありませんね。
というか、いまだにウィルスが海外から飛行機に乗ってやってくると思っているおめでたい人なんているのかいな、と思うのが正直なところ。
強毒性で感染した人が動けなくなるくらいのウィルスだったとしたら、「その人を入国させない!」水際対策でどうにかなるかもしれませんが、ほとんどが軽症、無症状のウィルスなんて抑えようがないでしょ、これだけ往来しているのですから。
オミクロンよりも、幽霊病棟で不適切なお金を得ていた、そしてこの日本の経済と人々の人生をハチャメチャにした尾身黒んのほうが大問題です。


というわけで、ここ数か月、下げ止まり状態の陽性者数でも、一向に余計な感染対策を止める気配のないジャパン。
どこまで子ども達を苦しめるんだ、と思いますね。
この2年間でよくわかったのは、この国は子ども達のことを考える人が少ない、子ども達の優先順位は低いということです。
子ども達の発達、成長、学びや青春など、ほとんどの大人たちにとってはどうでもよいのでしょう。
せめて小児科の医師や発達専門医、学校の先生や幼稚園&保育園の先生たちから大きな声が挙がるだろうと思っていたのですが、単発で発信したかと思えば、すぐにダンマリです。
これは、こういった子どもと関わる仕事をしている人達までもが死んだふり&保身まみれなのか、そもそも他の大多数のように子どもの発達に興味がないのか。


3.11の子ども達のように、ある程度、大きくなってから問題が表出することもあるでしょうし、そもそも誰にも気づかれない生きづらさを抱えてここまでやってきてしまっているのです。
早めに気づき、そこの課題をクリアしておけば、もっと違う幼児期があり、小学校生活があったと思います。
この国の大人たちは、そして日頃、子ども達と関わっている人間ですら、子ども達の内なる生きづらさ、発達の不具合に気がつけないのです。
そんな環境で、子ども達は自分の資質を伸ばし、そして活かして生きていけるのでしょうか。
子ども達の視線の先にある「自分が大人になった世界」は輝いて見えるのでしょうか。


今までに何人もの人から、いくつかの支援組織から、私の考え、発達援助の仕方を教えてほしい、学びたいというお話を頂いています。
しかし、どうもやる気が出ないと言いますか、ほぼ断っています。
何故なら、本気じゃないでしょ、みんな。
私の言う”本気”は、我が子を想う親御さん達のような本気さです。
今回のコロナ騒動の影響、学校などの過剰な感染対策による影響について、本気で考えているのは親御さん達ばかりです。
たぶん、専門家、支援者の多くは、ともに生活していないので実感としてわからないのでしょう。
自分たちが見ているのは、ちょん切った生活の場面の一部ですから。
働いている自分たちのように、「マスク付けるのメンドクサイよね」というくらいなものなのでしょう。
ですから、私は基本的に親御さんに対してしか、私の発達援助の方法を直接お教えすることはしていないのです。


新コロの致死率は0.002%ですが、ヒトの死亡率は100%です。
20億年前、もともと細菌であったミトコンドリアを体内に取り入れてから、私達は多細胞生物に変化していき、有性生殖という道に進んでいきました。
人類はDNAと文化を次の世代に引き継いでいくことで700万年歩んできたのです。
次の世代のことを本気で考えられない人は、まだ単細胞生物のままですかー。
インフルエンザ並みに国民の10%、20%が発症するような病気なら、そして子どもも、若い人もバタバタと死んでいく病気なら、今のような対策も必要でしょう。
しかし、とっくの昔に未知のウィルスではなくなった病気に対して、大人たちはビビり、子ども達は犠牲になり続けている、ほぼ人災です。


次世代の子ども達の幸せを願い、より良い環境と希望のある社会を残していくのは、先に生きる者の務めだと思います。
だからこそ、今の社会の、大人たちの、そして日頃専門家を名乗っている者たちの体たらくに癖癖していますし、怒りが湧いています。
そういった気持ちを共有することができた花風社の浅見さんのご尽力により、このたび、緊急出版という形で本が出ます。
タイトルは『ポストコロナの発達援助論~発達の機会を奪われた子ども達に今からできること』です。


子ども達が受けた影響が本格化するのは、表面化するのは、これから5年、10年経ったのちになると思います。
しかし、そのときになって慌てて対処するよりも、今から先を見据え、既に内側に生じている発達への課題をクリアしていくべく進んでいく方が、子ども達のためになると思い、原稿を書きました。
当然、まだ先のことなので、私の捉え方が間違っていることもあるでしょう。
でも、たとえ間違っていたとしても、この危機感を共有し、その危険性やリスクを捉えながら日々の子育てに活かしてもらえる人がいれば、意義のあることになると思っています。
あとから笑われることよりも、いま、世に問いかけるほうが重要。
本の目次はこちらからご覧になれます。
今後、詳細が決まり次第、ブログ等でも発信していきます。
どうぞよろしくお願い致します。




花風社の浅見淳子さんとの共著【医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう】の詳細のご確認・ご注文はこちらからできます→ http://kafusha.com/products/detail/55
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