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【No.1331】過剰な感染対策が子ども達の発達を阻害した

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世の中は「"黙食"の記述が消えた!」と喜んでいますが、昨日の文科省の通知【「 新型コロナウィルス感染症対策の基本的対処方針」の変更等について 】の一番目は「オミクロン対応ワクチンを打ちましょう!」です。 児童生徒、保護者への周知・広報を実施するようですよ、奥様。 「黙食を解いてやるかわりに接種しろよ」かな。 どうしても打たせたい、何かがあるのでしょう。 私はキャラ的に闘う系の人間ですが、そうじゃなくても子ども達を守るには大人が学び、情報を更新していく力が必要だろうな、と思いますね。 私達の子ども時代のように、ただ学校に行き、習い事に行き、塾に行き、では子どもは育っていけない。 「普通に育つ」がとても難しい時代になったんだと感じています。 この春、就学した子ども達で半年が経った今、「学校から発達障害を指摘された」という相談が続いています。 椅子に座れなかったり、先生からの指摘で感情を爆発させたり、友だちと一緒に活動できなかったり、けんかや争いが絶えなかったり。 学校の先生からお話を伺えば、「クラスの中で気になる子が一人、二人じゃない」「授業以前の問題で、幼児さんのような言動の子が多い」とのことでした。 小学校高学年から中高生の相談では無気力、感情の起伏の大きさ、衝動的な言動の話が多く、就学前の子ども達の相談では落ち着きのなさ、給食を立ち歩きながら食べる、手足の不器用さ、身体の動きのぎこちなさ、友達と遊べない、人の絵が描けない、ぽかん口、よだれなどが目立っています。 相変わらず、 「おっぱいを飲みたがらない赤ちゃん」 の話を聞く。 ある小児科の先生の話では、「こんなにも、健診がまともにできない状態の子が多いのは初めてだ」とおっしゃっていましたね。 この3年間、子ども達がおかれていた状況は、発達・成長にデメリットのほうが大きかったわけで、つまり、そのまま状況に流されていたのでは3年分のダメージが生じているといえます。 酸素の低下はIQの低下を招きますので、マスクをつけなかった子とつけ続けていた子では、認知的な発達に差ができて当然ですね。 去年ですが、「幼稚園でマスク着用が義務なんですが、これって発達に影響が出ますか?」と相談がありました。 そこで私はリスクをお話しし、発達に遅れがある子はより問題が起きやすいとお伝えしたところ、マスクフリーの幼稚園に転園

【No.1330】他人は自分ではない

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昨日に限って下校時刻が早かったというのも、意味があるんだなぁと思いますね。 私が 『「新型コロナワクチン接種と死亡事例の因果関係を考える」勉強会』 を観ていたら、そこに小学生の息子が帰ってきて一緒にリアルタイムで視聴しました。 日本史上、最悪の薬害であり、人類の汚点の一つを。 まさにその歴史の真っ只中にいる人間であり、将来的に事実を知る世代の子ども達ですから、しっかりそのとき、何が起っていたか、少しでも見ておくことが必要だと思うんです。 あと、表には出てこないけれども、保身だらけの大人達だけれども、そんな中で真剣に怒り、闘っている大人もいるんだというのも見せたかった。 だって、悲しいじゃないですか。 大人になって、子ども時代にやらされていたことの意味を知ったとき、思い出すのが子どもを守ってくれなかった大人たちの姿しか思い出せなかったら。 「真実」というのは、ある意味、バイアスがかかっている言葉だから、「事実」といったほうがいいと思いますが、いろんな事実は見聞きしておいた方が良いと思います。 特に自閉っ子達は。 コロナ騒動でわかったのは、高機能やアスペルガーと言われるような知的障害のない自閉症の人でも、わかっているようで、わかっていない、ということ。 結構、過去の経験や自分の思考パターンに引きづられていて、難しいことを言っているようだけれども、そこに複雑さがない感じ。 もっといっちゃえば、薄いんです、言っていることが。 そんなに白黒つかないよな、見えてくるのは氷山の一角で、海面の下のほうがずっと大きいはず、というのが苦手だと感じることが多々ありました。 たとえば、論文という見える形のデータがあったとしても、現実社会はもっと複雑ですし、何よりもその論文だって、誰がどんな目的で書いたのか、という人間臭さも入ってくるものです。 論文審査している人だって、お金や名誉で釣られて、みんなグルってこともあるでしょう。 たぶん、定型と言われる人達は、こういった数値や文字から漂っている"人間臭さ"みたいなものを嗅ぎ分ける感覚があると思うんです。 でも、自閉症の人達は幼少期から感覚面での違いがあるから、こういった感覚を持っていないか、ズレているのかもしれません。 ある若者は、「文章にその人の"匂い"なんてするんですか!?」と驚いていました。 文字は

【No.1329】就学前に治っておいた方が良い理由

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就学前に治っておいた方が良いというのは、子どものためというよりも、親御さんのため。 だって、入学後は交渉しなければならないから。 交流級はどうするか? 教科学習はどうするか? 教科書は使うのか? 宿題はどうするのか? 補助の教員は? 登下校は地域のグループで行くのか、単独で行くのか、親がつき添うのか? そして支援級から普通級といった転籍となると、担任だけではなく、管理職から地域の教育委員会まで交渉相手となるのです。 もともと交渉する力がある人、ちょっとやそっとで言いくるめられない人なら、就学後、子どもさんの発達、成長に合わせて話し合いをしていけばいいですね。 でも、多くの親御さんはそういったことが苦手であり、学校側から言われる矛盾点をつくだけの情報を持っておらず(集められていないとも言う)、前例を作るだけの行動力と周囲をまきこむ交渉力をもっているわけではありません。 本来、その子に合ったベストな教育環境を用意するのは学校の務めですから、子どもさんのニーズが変われば柔軟に対応すべきです。 しかし現実はそうなっておらず、むしろリスクを取りたがらない性質がある学校行政においては、親御さんからの現行変更を伴う要求は、なるべく受けたくない雰囲気がありありなもの。 もちろん、先生個人で言えば熱心で柔軟な人もいますが、現場の先生で答えられる部分は限られており、やっぱり管理職次第、その地域の教育委員会次第というところが大きいと感じます。 また就学後、「発達障害になるかどうか」も親御さん次第だと思います。 発達相談でも多いのが、なにか不登校や友達のトラブル、勉強の遅れや授業態度の問題があると、担任・管理職から「校内のカウンセラーに相談してみては」と勧められ、そこで「ちょっと発達の気が」という話になって病院を紹介され、診断名が付くというパターンですね。 まずこの矛盾点に気がつくかどうかです。 なぜ、なにかトラブルがあると、すべて「発達障害」なのでしょうか。 最初に取り組まなければならないのは、学校側の努力、授業の改善、指導という介入だと思うのです。 そこを飛ばして、「どうしてそのようなトラブルが起きたか」の背景分析ができずに発達の問題と結びつけてしまうのは誤りだと思います。 だからこそ、この時点でしっかり学校側の改善を要求できるか、どうしてトラブルが起きたかの原因分析を訊きだすことがで

【No.1328】精神科薬について疑問に思っていること

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「エビデンス」がどうのこうのという人を見かけると、「それはあなたが研究して導きだしたエビデンスですか?」と思ってしまいます。 偉そうに言っているけれども、それは他人様が汗水たらして出した結果を見て言っているだけでしょ、ほとんどの人は。 SNSで目にした論文の要約、結果の部分だけを見てるだけの人も多いはず。 権威や専門家が発信しているからといって、無条件で信頼して「エビデンスが―」と言うのは、結局、自分の頭で考えていない依存体質丸出しってことですね。 大事なことは、エビデンスなどの情報を集めて、知っているだけじゃないと思うんです。 今回のコロナ騒動でも、いろんな情報が出てきましたね。 当然、同じ事象を見ていても、正反対の意見や研究結果があるわけです。 根本的に人は間違い、科学は時間の経過とともに否定されることで発展していくものですから。 科学が明らかにできることは、想像している以上に狭い範囲である、というのは有名な言葉です。 なので、肯定側も、否定側も情報を集め、そしてそこから自分で考え、自分の答えを導きだしことが大切だと考えてます。 論文だって、誰が、どんな組織、所属の人が書いているかも重要で、利権のために強調された結果だってあるでしょう。 発達相談において、精神科薬のことを訊かれることがあります。 でも、私は医者でなければ、医学に深い理解があるわけではなりません。 ですから、いつも「信頼できる医師やご自身でお調べになってください」とお伝えしています。 ただ上記でお話しした通り、自分で情報を集め、考え、自分なりの答えを出すことは行っています。 私が施設職員だった頃、毎日、毎食のように精神科薬の服薬の補助を行っていました。 当然、管理も行っていたわけで、いろんな種類の精神科薬を見てきました。 そこで思ったのですが、今の親御さん達から聞く薬の名前、お子さん達が服用している薬の名前がほとんど当時から変わっていないんです。 施設にいたのが20年くらい前だったので、どうしてその時代から新しい薬が出ていないんだろうと疑問に思います。 2000年前後って、急激な発達障害の診断の増加と連動するように、新しい精神科薬が出ていましたので。 そこで調べてみると、やっぱり精神科薬の開発(発達障害、うつ病、統合失調症など)は下火になっている。 そして今、新しいのは認知症の薬くらいで、不気味な

【No.1327】依存心丸出しでは治るもんも治らない

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私は時々、ギョーカイの闇(笑)みたいなことを発信します。 それは別に私がギョーカイを恨んでいるからでも、商売敵、ライバルだと思っているからではありません。 結局、このギョーカイの仕組みを知らないと、治っていける親御さんにはならないから、敢えて発信しているのです。 この辺りを詳しく知りたい方は、一年前に共著で出版した 『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』 をお読みください。 お子さんが治っていっている親御さんの多くは、今回の茶番デミックに乗らなかった人達です。 どうして「治る」と「ひっからない」と繋がるの? それはどちらも「自分の頭で考え、行動できた」結果だから。 逆に言えば、政府や医師、専門家が言っていたことを、「テレビで言ってたから」「新聞に書いてあったから」というだけで、ハイハイと鵜呑みにして、3回も、4回も、ワクチンを打っちゃうような人は依存心丸出しで、そりゃあ、治せないよなって思います。 ワクチンは対症療法であり、根本はその人の免疫状態の話であり、何をすべきかは1枚10円くらいのマスクをつけることでも、あほみたいにアルコールを手に振りかけることでも、歩いて着た子どもを避けるようにしてよけることでもなく、自分の体調を整えることでしょ。 発達障害も、それが対症療法なのか、根本治癒なのか、わかっていない人は治っていきませんね。 同じように、医師や専門家、支援者の言うこと、どこの誰か会ったこともない子に効果があった方法をそのまま鵜呑みにしてしまうのも、治っていかない人に共通していることです。 誰かに依存している限り、目の前にいるその子に合わせたテーラーメイドの子育て、発達援助はできません。 誰かに依存している限り、いつまで経っても他人にコントロールされ続け、子どもを見ることができません。 誰かに依存している限り、大人が自立できていないんだから、子どもが自立できるわけがないのです。 この依存心は、戦後教育のなれの果てでしょう。 日本人の大人に共通した問題です。 だからこそ、そのことに気がつき、まずは自分でやってみよう、試行錯誤してみよう、という人に変わることが必要になってきます。 その一歩として、食事を中心とした生活を見直し、改善することから始めましょう。 だいたい「答えクレクレ」の人は、甘いものが大好きです。 お菓子や菓子パン、あまい飲料水

【No.1326】そこで言っている「自閉症」は、どこのどなたのことですか?

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もう1000人以上の発達障害を持つ人達にお会いしてきましたが、一人として同じ「発達障害者」はいませんでしたね。 いつから発達の遅れが始まり、どこに発達の遅れがあるのか。 発達障害になった背景も当然、様々で、考えられる要因もかなり複雑に絡み合っている感じがします。 ですから、一言で「発達障害」といっても、対応や根本解決の仕方、どこを育て直し、どんな風に発達を後押ししていけばいいか、はその人でまったく異なるわけです。 こんな当たり前のことがあるのに、どうしてみんな同じ「発達障害」だったり、「自閉症」「LD」「ADHD」「知的障害」なのでしょうか。 よく「〇〇は効果的なアプローチです」「エビデンスのある療法です」みたいなことが言われますね。 でも、そのアプローチは発達障害者、万人に有効なのでしょうか。 というか、その対象となる「発達障害者」「自閉症者」はどこの誰なのでしょうか。 基になった研究、論文を見ると、欧米での研究が主ですが、その研究対象になった子が「自閉症」という診断を受けた子だったとしても、その子と目の前にいる我が子とは別人格であって、人種も、生活環境も違うわけです。 さらにいえば、その有効性の根拠となる論文は、すでに何十年も前に書かれたものであり、当時の診断基準と今の診断基準の違いもあるわけです。 まあ、こんなにぐちゃぐちゃと言わなくても、「(効果が得られた子)それは我が子じゃない」ということですね。 専門家の講義や医師の説明の中に、「発達障害者は〇〇だ」という話が出てきます。 そして支援者や学校の先生の会話、また親御さん同士の会話の中にも、「ああ、自閉症だからね~」みたいな言葉が出てきます。 でも、みなさんが言っている「発達障害者」って誰のことでしょうか? 自閉だ、アスペだ、というその自閉症の人、アスペルガーの人はどなたのことでしょうか? ツッコミを入れればわかるのですが、どの人も具体的な発達障害者が見えているわけではありませんね。 みなさん、漠然とした発達障害者像、自閉症者像を思い浮かべて話をしている。 一人として同じ発達障害者、自閉症者がいないのに、おかしいと思いませんか。 ではどうして実態のない「発達障害者」を思い浮かべ、そういった言葉を使うのでしょうか。 それは使う人、一人ひとりで異なるといえますが、発信者の意図を反映するための言葉になっているのは確

【No.1325】「掴めない実態を見える化したい」という欲求

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マスクをつけている人がみんな、感染しないのであれば、わかりやすい。 遺伝子ワクチンを打った人がみんな、重い副反応が起き、接種した国にだけ、その月だけ超過死亡が急増すればわかりやい。 だけれど現実は、マスクをつけていても感染するし、つけていなくても感染しない人もいる。 ワクチンを打ってなんの副反応が起きない人もいれば、超過死亡がすべてワクチン接種だともいいきれない。 私はマスクもしないし、接種もしないが、ネット上で繰り広げられているこういった単純な論争に対して冷めた目で見ていて、本当の目的は何が正しいかではなく、こうやって人々が争い、分断してき、結果的に日本という社会、世界という仕組み、それぞれの家族、コミュニケーションが崩壊することなんじゃないかな、なんて思っています。 話を単純化したい人に共通するのは、「掴めない実態を見える化したい」という欲求だといえます。 発達障害は発達の経過とともに徐々に明らかになっていくものなので、親御さんは違和感から不安、そして確信、悲観へというようなプロセスを通ることが一般的です。 なので、徐々に発達が遅れ出した我が子に対して、「なぜ!?」「どうして!?」という想いを持たれることが多い。 たとえば、交通事故などが起きたあと、麻痺や記憶障害などが起きれば、原因と結果がわかりやすく、同時に納得できる面もありますが、それがないのが発達障害の特徴ともいえます。 どうして発達障害が起きたのか、我が子が発達障害になったのか、がわからない。 ゆえに混乱の時期が長いということがあるのだと感じます。 中には「とにかく動こう」という親御さんもいて、そこにはその親御さんのキャラクターもありますが、金銭的な余裕、生活のすべてを後回しにしてもOKな環境などの条件があって、はじめて成り立っているわけで、「とにかく一心不乱に突き進んでいたら、気がついたとき、治っていた」というのが実態になるでしょう。 ですがやっぱり大部分の親御さんは、原因と結果が明確じゃないと動けないくらい余裕がないといえます。 ですから相談でも 「忘れ物をなくすには、なにをすれば良いですか?」 「普通級にいくためにはどうしたらいいですか?」 「発達のヌケを埋めたら治りますか?」 「息子の問題は、私の愛着障害のせいですか?」 「栄養が整ったら、知的障害が治りますか?」 というようなご質問が多く、そう

【No.1324】発達援助に必要な"体感"

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文科大臣が「必ず"黙食"することを求めているわけではない」と言い逃れをするのは当たり前で、「私がわるぅ~ございました」なんていう責任を認める人間が政治家なんかやるわけはないですね。 ワクチンの薬害だって認められたとしても、10年、20年も先で、きちんと当時(今)の責任担当者がすべていなくなったあと、それこそ、今、青春を奪われた青少年たちが官僚になり、「もう2度と過ちは犯しません」と会見するのでしょう。 まあ、10年後に日本が今の形であるかはわかりませんがね。 私の息子達には… 「今の大人たち、日本は腐り切っているから、もう一度、ぶっ壊れないとわからない」 「大人の言うことは、お前たちが大人になったときの非常識だから聞かなくていい」 「ぶっ壊れたあとの社会を作っていくのは、お前たちだから今のうちに歴史を学び、自分の頭で考え、行動できる人間を目指せ!」 と言っています(笑) 私は、子どもがマスクをつけている姿を見かけると、気持ち的にも、体感的にも、「苦しいな」と感じます。 というか、みんな、そういった感覚を持っていると思っていたのですが、そうじゃない人が多いみたいですね。 だから、エビデンスがどうとか、専門家がこう言っていたとか、新聞だテレビだと体感以外の外からくる情報に反応してしまう。 目の前にマスクをつけた子がいたら、エビデンスとか言う前に、「ああ、苦しいよな」「外してあげたいよな」と我が子とのように感じ、思えることが哺乳類としてのヒトの姿だといえますね。 コロナ騒動の前から自閉症の親御さんの子は治りにくい、治らないな、と感じていました。 それは遺伝的な話という前に、親御さん自身の体感が乏しいから。 象徴的なのが子どもさんの「心地良い」がわからないということ。 神経発達に必要な条件に、子どもの内的な「心地良さ」があります。 その心地良さを感じているとき、それに動員されている神経に強い興奮が表れ、それが神経ネットワークを構築していく。 だから、訓練とか、「はい、身体アプローチの時間ですよ」「あと5分後から金魚体操始めます」みたいなことをやっている限り、いつまで経っても治っていかないのですね。 私達は自分の身体を通して、他人のことを想像し、感じています。 ですから体感の乏しい人は、他人の体感を想像することが難しく、当然、他人の気持ちを察し、それに応じ

【No.1323】"今"のリスク、"未来"のリスク

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相談には2種類あって、『"今"のリスク』の悩みと、『"未来"のリスク』の悩みです。 『"今"のリスク』というのは、今まさに起きていることで、たとえば「夜、なかなか寝ることができない」「自傷がある」「友達を叩いてしまう」といったもの。 一方で『"未来"のリスク』とは、このままの状態で行けば、今後問題が生じるかもしれない、という類になります。 で発達相談の中で、圧倒的に多いのがこっちの『"未来"のリスク』ですね。 偏食というのは、今まさに起きているリスクだと捉えがちです。 しかし実際は、偏食でも生きているわけですし、衰弱しているわけではない。 だけれども、このまま、偏食が続くと、思春期を迎えたときに栄養不足や体調不良になるかもしれないし、今後の人生で食べられるものが少ないというのは食糧危機などが起きた場合、生き抜けないかもしれないというリスクになります。 言葉がしゃべれないのも、親御さんにとっては非常事態であり、大きな悩みだと言えますが、今のリスクではなく、今後未来起きるであろう不都合や「このまま一生しゃべらないかも」という親御さんの内側にある不安から招いているものです。 つまり、何を言いたいかと申しますと、私達人間は、起きていないことを想像し悩む生き物だということです。 発達障害を持った子の子育てに限らず、幼少期から英語教育を始めたり、お受験させたり、親がせっせとドリルを買い我が子にやらせたりするのも、すべて未来のリスクを想像し、不安になり、行動しているのです。 「もしかしたら、良い大学にいけないかもしれない」 「もしかしたら、就職できないのかもしれない」 「もしかしたら、英語教育についていけないかもしれない」 そうやって常に起きていない未来を頭の中で描き、ある意味、勝手に不安になって、知らず知らずのうちに選択してしまっている、ということ。 もちろん、こういった人間の行動はすべて否定されるようなものではありません。 このように起きていない未来を想像することにより、アフリカの大地から世界へと進出し、今まで人類という種を繋いでこれたのですから。 「あの草むらの中にライオンが隠れているかもしれない」 「あの先には崖があるかもしれない」 そんな風に危険を予知することで生き抜いて

【No.1322】「どのくらいで治りますか?」

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月日が経つのは早いもので、私の車は夏から冬タイヤへ替わりました。 花風社さん主催の「身体アプローチも発達する 勝手に発達する身体を育てよう」(講師は松島さん!)に参加したのもついこの間かと思っていたのに。 日本シリーズは第4戦目以降、記憶にありませぬ。。。 講座の中で「おやっ」と思ったのが、松島さんの「90日続けてみてください」という言葉でした。 詳細は動画を視聴してもらえばわかりますが、この期間って大事なんですよね。 私も「3ヶ月」はよく使う数字、期間だったので、この言葉にひっかかりました。 もしかしたら「90日」の根拠があるのかもしれませんが、松島さんの今までの経験の中からその辺りが一つの変わる目安になるのだと、私は解釈したのです。 期間については、どの親御さんも興味があることで、発達相談の中でも質問されることが多くあります。 「どのくらい続ければ、治りますか?」は、みなさん、知りたいですよね。 裏を返せば、それだけ続けることが苦手な人が増えたという表れだと思います。 発達相談後、一週間したら「まだ変化がないんですけど、やり方が間違っていますか?」「うちの子、重いのですか?」「治らないんですか?」というお問い合わせはしょっちゅうです。 だから、その親御さん自体の問題というよりも、現代人に共通する課題なのでしょう。 私はあまのじゃくですので、「いつ治りますか?」と尋ねられれば、却って期間に関することは一切話しません、みたいな対応をしていました(笑) ですが、それじゃあ、結局は子どもさんのためにはならないと思って、考えを改めたんです。 「まずは麺じゃなくて、スープから飲め!それができないのなら、うちの店に来るな!!」みたな頑固おやじのラーメン屋方式は令和の時代に馴染まない。 やっぱりお客さんがいての商売だし、偉そうに思われてしまうかもしれませんが、そのお客さんである親御さんを育てるのも、より良い道へ導くのも私の仕事だなって思うんです。 なので、ここ数年は、数字の解禁をしています。 まず誤解がないようにしなければならない前提があって、神経発達を促す、育てることの時間と、その子の発達を阻害している要因を取り除くこと、環境を整えることの時間の2つがあるということです。 ここが混同してしまうと、「やり始めてすぐに効果があった!」というツイートに惑わされてしまいます。 短期間

【No.1321】それは発達の遅れではなく、生活環境に適応した結果ですね

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「今の生活に満足している」 「なんの不便さも、不幸さも感じていない」 そんな子ども達がいるのは、 前回のブログ でお話しした通りです。 発達に遅れがあるからと言って、どの子も不便さを感じ、不幸を感じているとも限りませんね。 若者たちとお話ししてても、「ずっと自分は発達障害で不幸な人間だと思っていました」なんてのもよくあることで、ルサンチマン系の支援者による実害だといえます。 発達相談の中で、「ハイハイを飛ばした」「椅子に座れない」「走るのが苦手」「箸が使えない」などといった悩みを伺うことがあります。 でも、これは親御さんの悩みであって、本人の悩みではないことが多いのです。 発達障害と呼ばれる子ども達の中には、少なからず「適応の結果としての発達の遅れ」も確認できます。 どういうことかというと、「ハイハイを飛ばしても良い環境にあった」ということです。 考えてみてください。 動物は「なぜ、移動するか?」ということを。 それは危険から回避するためであり、食べ物を得るためであり、興味関心のある対象に近づくためであり、いろんな刺激を体感するためです。 今の子ども達、赤ちゃんが育つ環境として、本当にハイハイをする必要があるのかな、と思うことがあります。 赤ちゃん時代、十分にハイハイできるような環境だったでしょうか。 ベッドの柵の中にいたら、ハイハイする必要はないでしょう。 どこの床もツルツルで、得られる刺激が同じなら会えて移動する必要はないでしょう。 自分で移動しなくても、モノがあっちのほうからやってくるのなら自分でハイハイしてそこまで行きたいとは思わないでしょう。 ずっと靴下を履いていたら、足の感覚がわからず、当然のように動かそう、動かせるとは思わなかったかもしれません。 同じように椅子に座れないのは、椅子に座らなくても十分楽なソファーやクッションがあるからかもしれないし、赤ちゃん時代から自分の筋力を使わないで自動的に座れる椅子に座らされていたからかもしれない。 運動機能の未発達も、それを使う環境がなければ、室内にいる時間が長く、よじ登ったり、走り回ったりできなければ、多彩な動きは身につかないし、それは必要ではない動きに分類されてしまう。 「箸が使えない」というご家庭の多くは、補助箸を使っているし、食べさせているし、手づかみ食べをさせていないでしょ。 栄養不足の子は偏食というの