【No.1321】それは発達の遅れではなく、生活環境に適応した結果ですね

「今の生活に満足している」
「なんの不便さも、不幸さも感じていない」
そんな子ども達がいるのは、前回のブログでお話しした通りです。
発達に遅れがあるからと言って、どの子も不便さを感じ、不幸を感じているとも限りませんね。
若者たちとお話ししてても、「ずっと自分は発達障害で不幸な人間だと思っていました」なんてのもよくあることで、ルサンチマン系の支援者による実害だといえます。


発達相談の中で、「ハイハイを飛ばした」「椅子に座れない」「走るのが苦手」「箸が使えない」などといった悩みを伺うことがあります。
でも、これは親御さんの悩みであって、本人の悩みではないことが多いのです。
発達障害と呼ばれる子ども達の中には、少なからず「適応の結果としての発達の遅れ」も確認できます。


どういうことかというと、「ハイハイを飛ばしても良い環境にあった」ということです。
考えてみてください。
動物は「なぜ、移動するか?」ということを。
それは危険から回避するためであり、食べ物を得るためであり、興味関心のある対象に近づくためであり、いろんな刺激を体感するためです。
今の子ども達、赤ちゃんが育つ環境として、本当にハイハイをする必要があるのかな、と思うことがあります。


赤ちゃん時代、十分にハイハイできるような環境だったでしょうか。
ベッドの柵の中にいたら、ハイハイする必要はないでしょう。
どこの床もツルツルで、得られる刺激が同じなら会えて移動する必要はないでしょう。
自分で移動しなくても、モノがあっちのほうからやってくるのなら自分でハイハイしてそこまで行きたいとは思わないでしょう。
ずっと靴下を履いていたら、足の感覚がわからず、当然のように動かそう、動かせるとは思わなかったかもしれません。


同じように椅子に座れないのは、椅子に座らなくても十分楽なソファーやクッションがあるからかもしれないし、赤ちゃん時代から自分の筋力を使わないで自動的に座れる椅子に座らされていたからかもしれない。
運動機能の未発達も、それを使う環境がなければ、室内にいる時間が長く、よじ登ったり、走り回ったりできなければ、多彩な動きは身につかないし、それは必要ではない動きに分類されてしまう。
「箸が使えない」というご家庭の多くは、補助箸を使っているし、食べさせているし、手づかみ食べをさせていないでしょ。
栄養不足の子は偏食というのがあるかもしれませんが、そもそも消化吸収に課題がある子が多い。
そんな消化吸収の悪い子、内臓の発達に遅れがある子に精製され栄養素を凝縮したものを食べさせ続けたら、ますます内臓は育たないですよね。


「みんなは"発達障害"とぼくのことを言うけれども、いまの生活に必要ないものはやっていないだけ」という声が聞こえてきます。
なんでも便利になり、効率化が最優先され、子育てすら計画通りに進めようとしてしまう時代。
器質や遺伝的な問題、後天的なショックで発達障害になった子以外、つまり、そもそもが普通の子だった子ども達の多くは、環境がそうさせたといえませんかね。
幼少期から強い刺激、早い場面展開に接していれば、脳はそのような世界に適応し、自然な動きを遅く感じてしまう。
だから一般的な授業展開を遅く感じてしまい、足りない分の刺激は動いたりして埋めようとする。
これはADHDではなくて、そういった世界に適応させた結果でしょ。
8歳までの脳は、生まれ出た環境に適応することが最優先。


十分に運動発達ができる環境にしてこなかったら、運動発達が遅れるのは当然の結果。
手づかみ食べを止めていたのなら、手や口の発達に遅れが出ても仕方がありません。
結局、動く必要がない環境の中では運動発達が育っていかないし、自分で手足を使う必要がなければ育っていかない。
それを「発達障害なんです、どうしましょう?」も違うと思うし、「生まれつきの障害なんです」は意味不明。
子ども達は素直に生まれ出た環境に適応しているとも言えるんです。
身体を使ったダイナミックな動き、大きな動きをする必要がなければ、いろんなところを見る目、奥行きを感じる目が育たないのは当たり前ですね。


生まれ出た環境に適応した結果の「発達の遅れ」という指摘だったら、本人たちは不便さも、不幸さも感じていないのは当然だと言えるでしょう。
今まで過ごしてきた環境の中で、本人たちが、本人たちの身体や感覚が「必要」だと感じていなかったのですから、それができなくてもなんとも思わない。
だけれども、周りが「問題だ」「問題だ」と言っているから、本人も「そうなのかな~」と思う感じ。
なので、適応した結果のもともと普通の子ども達は、なかなかアプローチに乗ってこないし、そもそもそれをやる必要性を感じていないからモチベーションが低い。


一生懸命取り組みをしているご家庭があるけれども、「なかなか伸びません」「身についていきません」「積み上がっていきません」ということありますよね。
それはアセスメントが間違っているという場合もあるし、器質的な問題からきているということもあるけれども、「一度適応したものから作り変えるのが大変です」ということもある。
早い段階で、脳が環境に適応することを最優先にしている時期に軌道修正できればいいんだけれども、一旦適応で落ち着いちゃっている段階だと結構、大変。
本人のモチベーションもあるし、だから続かない、強力な援助がなければ毎日できない、ということもありますね。


親御さんとしたらそういったつもりはなかったでしょうが、結果的に育てたように育った、ということがあります。
で、現代社会では結構、それが多いですよね。
社会全体が効率化の方向で作られてしまったのもありますし、親以外の子育ての参加、両親共働きで余裕がない、そもそも親世代が育ってきた環境が乏しかった、というのもあります。
でも、それを嘆いていても仕方がありません。
だから、気づいた人から変えていけばいいし、これからの親世代は親になるための勉強をする必要がある。


端的に言えば、動物の子育てから離れれば離れるほど、「問題が凝縮され、子どもに現れる」ということでしょう。
祖父母の代が、それよりも前の世代の人達が、日本人が、原始人が、動物がどのような子育てをしてきたか。
そういったものを知れば、今の人たちよりもずっと素晴らしい子育てをしてきたのがわかりますよ。
冷たいようですが、子ども達の発達に問題が出るのは、自然な成り行きだと私は思うのです。
そしてだからこそ、もう一度、子育てという基本から発達援助を捉え直す必要があると考えています。




☆『医者が教えてくれない発達障害の治り方』のご紹介☆

まえがき(浅見淳子)

第一章 診断されると本当にいいことあるの?
〇医者は誤ることはあるけど謝ることはない
〇早期診断→特別支援教育のオススメルートは基本片道切符
〇八歳までは障害名(仮)でよいはず
〇その遅れは八歳以降も続きますか?
〇未発達とは、何が育っていないのか?
〇就学先は五歳~六歳の発達状況で決められてしまうという現実
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのメリット
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのデメリット
〇療育や支援とつながるほど、子育ての時間は減る

第二章 親心活用のススメ
〇親子遊びはたしかに、発達に結びつく
〇変わりゆく発達凸凹のお子さんを持つ家庭の姿
〇学校は頼りにならないと知っておこう
〇安定した土台は生活の中でしか作れない
〇支援者が行うアセスメントには、実はあまり意味がない
〇親が求めているのは「よりよくなるための手がかり」のはず
〇人間は主観の中で生きていく
〇専門家との関係性より親子の関係性の方が大事
〇支援者の粗探しから子どもを守ろう
〇圧倒的な情報量を持っているのは支援者ではなく親

第三章 親心活用アセスメントこそ効果的
〇子育ての世界へ戻ろう
〇その子のペースで遊ぶことの大切さ
〇「発達のヌケ」を見抜けるのは誰か?
〇いわゆる代替療法に手を出してはいけないのか
〇家庭でのアセスメントの利点
1.発達段階が正確にわかる
2.親の観察眼を養える
3.本人のニーズがわかる
4.利点まとめ
〇家庭で子どもの何をみればいいのか
1.発達段階
2.キャラクター
3.流れ
4.親子のニーズの不一致に気を付けよう

第四章 「我が子の強み」をどう発見し、活かすか
〇支援と発達援助、どちらを望んでいますか?
〇子ども自身が自分を育てる方法を知っている
〇親に余裕がないと「トレーニング」になってしまう
〇それぞれの家庭らしさをどう見つけるか
〇親から受け継いだものを大切に、自分に自信を持とう

あとがき(大久保悠)


『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』をどうぞよろしくお願い致します(花風社さんのHPからご購入いただけます)。全国の書店でも購入できます!ご購入して頂いた皆さまのおかげで二刷になりましたm(__)m


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