【No.1324】発達援助に必要な"体感"

文科大臣が「必ず"黙食"することを求めているわけではない」と言い逃れをするのは当たり前で、「私がわるぅ~ございました」なんていう責任を認める人間が政治家なんかやるわけはないですね。
ワクチンの薬害だって認められたとしても、10年、20年も先で、きちんと当時(今)の責任担当者がすべていなくなったあと、それこそ、今、青春を奪われた青少年たちが官僚になり、「もう2度と過ちは犯しません」と会見するのでしょう。
まあ、10年後に日本が今の形であるかはわかりませんがね。
私の息子達には…
「今の大人たち、日本は腐り切っているから、もう一度、ぶっ壊れないとわからない」
「大人の言うことは、お前たちが大人になったときの非常識だから聞かなくていい」
「ぶっ壊れたあとの社会を作っていくのは、お前たちだから今のうちに歴史を学び、自分の頭で考え、行動できる人間を目指せ!」
と言っています(笑)


私は、子どもがマスクをつけている姿を見かけると、気持ち的にも、体感的にも、「苦しいな」と感じます。
というか、みんな、そういった感覚を持っていると思っていたのですが、そうじゃない人が多いみたいですね。
だから、エビデンスがどうとか、専門家がこう言っていたとか、新聞だテレビだと体感以外の外からくる情報に反応してしまう。
目の前にマスクをつけた子がいたら、エビデンスとか言う前に、「ああ、苦しいよな」「外してあげたいよな」と我が子とのように感じ、思えることが哺乳類としてのヒトの姿だといえますね。


コロナ騒動の前から自閉症の親御さんの子は治りにくい、治らないな、と感じていました。
それは遺伝的な話という前に、親御さん自身の体感が乏しいから。
象徴的なのが子どもさんの「心地良い」がわからないということ。
神経発達に必要な条件に、子どもの内的な「心地良さ」があります。
その心地良さを感じているとき、それに動員されている神経に強い興奮が表れ、それが神経ネットワークを構築していく。
だから、訓練とか、「はい、身体アプローチの時間ですよ」「あと5分後から金魚体操始めます」みたいなことをやっている限り、いつまで経っても治っていかないのですね。


私達は自分の身体を通して、他人のことを想像し、感じています。
ですから体感の乏しい人は、他人の体感を想像することが難しく、当然、他人の気持ちを察し、それに応じた振る舞い、言動の選択でミスが生じます。
これが子育てにも当てはまり、発達援助の場面においては、「何分」「どのくらいの角度」「何g」「何回」などの具体的な情報がないと、行動ができない。
子どもさんを見て、「ああ、この加減は"心地良い"みたいだな」「今のちょっと嫌だったかな」とか、瞬時に体感として理解ができ、それに合わせてやり方を調整する、といったことができるかできないかが重要なポイントになります。


あとこれは脱線になってしまうかもしれませんが、能面のような表情が乏しい親御さんは、我が子の笑顔の認識も難しいケースがあります。
「泣く」に関しては、具体物である涙もありますし、子どもの顔の変化がはっきりしていて、かつ特徴的な声もでますので、わかりやすい。
けれども、体感として"心地良い"がわかっていなかったので、「子どもさんの笑顔を見て、アプローチを調整しましょう」とお話ししたのですが、それもピンとこなかったこともあります。
よくよく話を伺えば、「泣く」と同じように、「笑う」も表情だけでの判断が難しく、そこに楽しそうな声とシチュエーションが加わった場合に、やっと「笑う」がわかるという方もいましたね。
結構大変でしょ、発達相談の仕事って(笑)


体感が乏しいことの弊害は他にもあって、外的な情報から我が子の行動を障害という風に認識してしまうこともあります。
よくあるのが、何気ない「発達の遅れでは」という発言や母子手帳などに書かれている「運動発達と月齢」とのズレを見て、親御さん自身の内的な感情として不安が高まる。
そもそも体感が乏しい人は、不安でいっぱになってしまい、不安だからこそ、情報を得ようと行動してしまう。
今はスマホがあれば情報は取り放題なので、どんどん自分の内的な不安という感覚に合致する情報を集め、まずます我が子の障害が確実なように、とても重いように思えてくる。
で、そのまま病院に行けば、親御さんが重いように問診で答えるため、きちんと診断が付き、ベルトコンベヤーの上に乗せてしまう。
でも実際、発達相談でアセスメントしてみると、「いや、それはどの子もやる行動だし」「いや、お父さんの幼少期と一緒でしょ」「そもそもそれで子どもさん自身、困っていないでしょ」ということがあります。
体感として子どものことがわからないと、それが異常なのか、正常なのか、本人が辛いのか、辛くないのか、その辺りがわからなくなっちゃうんですね。


さらにこれは書くべきか迷った部分ですが、「心地良いがわからない」「子どもの感覚が体感として掴めない」というご家庭の深刻なケース。
それは何かといえば、先ほどお伝えした通り、そもそも障害ではないものを障害だと思い、医療に行った結果、診断がついちゃった。
もっといえば、親御さんが我が子に診断をつける、ということ。
また、そもそも治すべき対象ではないものを治そうとすることで、発達や脳が歪んだり、親子の関係性が崩れたり、愛着障害を作ったり、問題行動が作られたりする場合があるのです。
残念なことですが、嫌がる子ども達に半ば強制的にアプローチをしているご家庭もあります。
重度の子や言葉のない子の場合、その嫌がっていることを表現出来ずに、なすがままにやられてしまっていることもあって、「まずはそのアプローチをやめることから始めましょう」というお話をすることも少なくないのです。


身体アプローチも、その他のアプローチも、「すれば治る」と思っている人が想像以上に多い印象があります。
でも実際は、その子が求めている刺激、心地良いと感じている刺激を提供するための考え方にすぎません。
別の言い方をすれば、その子が求めていて、心地良いと感じている刺激だったら、どんな刺激でも良いのです。
それを専門家に訊かなきゃ、エビデンスのある方法を、誰々さんもやっているアプローチなどと、外面ばっかりに気に留めるから治らない。
大事なのは、子どもさんの体感を察しながら、それに合わせて刺激ややり方を変えること。
その積み重ねが、子どもの神経発達を後押しし、結果的に治った状態になるのだと思います。


子どもの体感がわかるようになるためには、それを感じるための自分の体感を整えていくことだといえます。
だから私は、仕事の前にはほとんど食事をしない。
それは満腹だと体感が鈍くなるし、人工的なものを摂取すると感覚にズレが生じるから。
もちろん、親御さんに断食を求めているわけではありません。
だけれども、食事一つをとっても、インスタント麺を食べていたり、化学物質まみれの食事をしたり、袋に入ったパンを食べたりしているようではダメですね。


心身を整えておくのは必要なことで、ご自身に発達のヌケや遅れがあるのなら、まずは子どもさんの前に自分自身を治していく必要もあるでしょう。
「子どもさんの前に、お母さん、治さなきゃ」
「子どもさんは苦しんだ様子がないけれども、お母さんのほうが心配になるくらいしんどそうですよ」
ということも多々。
そして、我が子と自分が繋がるためには愛着障害を治しておくことも大事ですね。
「子どもの心地良さが分からない」ところから治しましょう!




☆『ポストコロナの発達援助論』のご紹介☆

巻頭漫画
まえがき
第1章 コロナ禍は子ども達の発達に、どういうヌケをもたらしたか?
〇五感を活用しなくなった日本人
〇専門家への丸投げの危険性
〇コロナ禍による子ども達の身体の変化
〇子どもの時間、大人の時間
〇マスク生活の影響
〇手の発達の重要性と感覚刺激とのソーシャルディスタンス
〇戸外での遊びの大切さ
〇手の発達と学ぶ力の発達
〇自粛生活と目・脳の疲労
〇表情が作れないから読みとれない
〇嗅覚の制限 危険が察知できない
〇口の課題
〇やっぱり愛着の問題
〇子ども達が大人になった世界を想像する
〇子どもが生まれてこられない時代
〇子育てという伝統

第二章 コロナ禍後の育て直し
〇発達刺激が奪われたコロナ禍
〇胎児への影響
〇食べ物に注意し内臓を整えていく
〇内臓を育てることもできる
〇三・一一の子どもたちから見る胎児期の愛着障害
〇胎児期の愛着障害を治す

第三章 ヒトとしての育て直し
〇噛む力はうつ伏せで育てよう
〇感覚系は目を閉じて育てよう
〇身体が遊び道具という時期を
〇もう一度、食事について考えてみませんか?
〇食べると食事の違い
〇自己の確立には
〇右脳と左脳の繋がりが自己を統合していく
〇動物としての学習方法
〇神経ネットワーク
〇発達刺激という視点

第四章 マスクを自ら外せる主体性を持とう
〇なぜマスクを自ら外せることが大事なのか
〇快を知る
〇恐怖を、快という感情で小さくしていく

第五章 子どもの「快」を育てる
〇「快」がわかりにくいと、生きづらい
〇快と不快の関係性
〇子どもの快を見抜くポイント
〇自然な表情

第六章 子ども達の「首」に注目しよう
〇自分という軸、つまり背骨(中枢神経)を育てる
〇首が育っていない子に共通する課題
〇なぜ、首が育たない?
〇首が育たない環境要因
〇首が育つとは
〇背骨の過敏さを緩めていく
〇首を育てるには

第七章 親御さんは腹を決め、五感を大切にしましょう
〇子育て中の親御さん達へのメッセージ
〇部屋を片付ける
〇子どもと遊ぶのが苦手だと思う親御さんへ
〇ネットを見ても発達は起きません
〇発達刺激という考え方
〇五感で子どもを見る
〇特に幼児期は一つに絞って後押ししていく

第八章 自由に生きるための発達
〇発達の主体を妨げない存在でありたい
〇大人が育てたいところと子どもが育てたいところは、ほとんど一致しない

あとがき
こういう本を読んできました
巻末漫画

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