【No.1326】そこで言っている「自閉症」は、どこのどなたのことですか?

もう1000人以上の発達障害を持つ人達にお会いしてきましたが、一人として同じ「発達障害者」はいませんでしたね。
いつから発達の遅れが始まり、どこに発達の遅れがあるのか。
発達障害になった背景も当然、様々で、考えられる要因もかなり複雑に絡み合っている感じがします。
ですから、一言で「発達障害」といっても、対応や根本解決の仕方、どこを育て直し、どんな風に発達を後押ししていけばいいか、はその人でまったく異なるわけです。
こんな当たり前のことがあるのに、どうしてみんな同じ「発達障害」だったり、「自閉症」「LD」「ADHD」「知的障害」なのでしょうか。


よく「〇〇は効果的なアプローチです」「エビデンスのある療法です」みたいなことが言われますね。
でも、そのアプローチは発達障害者、万人に有効なのでしょうか。
というか、その対象となる「発達障害者」「自閉症者」はどこの誰なのでしょうか。
基になった研究、論文を見ると、欧米での研究が主ですが、その研究対象になった子が「自閉症」という診断を受けた子だったとしても、その子と目の前にいる我が子とは別人格であって、人種も、生活環境も違うわけです。
さらにいえば、その有効性の根拠となる論文は、すでに何十年も前に書かれたものであり、当時の診断基準と今の診断基準の違いもあるわけです。
まあ、こんなにぐちゃぐちゃと言わなくても、「(効果が得られた子)それは我が子じゃない」ということですね。


専門家の講義や医師の説明の中に、「発達障害者は〇〇だ」という話が出てきます。
そして支援者や学校の先生の会話、また親御さん同士の会話の中にも、「ああ、自閉症だからね~」みたいな言葉が出てきます。
でも、みなさんが言っている「発達障害者」って誰のことでしょうか?
自閉だ、アスペだ、というその自閉症の人、アスペルガーの人はどなたのことでしょうか?


ツッコミを入れればわかるのですが、どの人も具体的な発達障害者が見えているわけではありませんね。
みなさん、漠然とした発達障害者像、自閉症者像を思い浮かべて話をしている。
一人として同じ発達障害者、自閉症者がいないのに、おかしいと思いませんか。


ではどうして実態のない「発達障害者」を思い浮かべ、そういった言葉を使うのでしょうか。
それは使う人、一人ひとりで異なるといえますが、発信者の意図を反映するための言葉になっているのは確かだといえます。
実態がない言葉だからこそ、発信者の想いがストレートにその言葉から伝わってくるのです。


ある人は、説明を省くために「発達障害」という言葉を使う。
ある人は、もう深く関わりたくないという想いをもって、「発達障害」という言葉で片付けようとしている。
ある人は、「発達障害」という存在を特殊で難しい存在だとすることで、自分の優位性や専門性を大きく見せようとしている。
ある人は、「発達障害」という大変な存在と関わっている私に注意を集めるために。
ある人は、「発達障害」という困難を乗り越えた私ってすごいでしょという想いを伝えるために。


そしてそのほとんどの場合が、無意識下の想いで、ご自身で気がついていない、自覚できていませんね。
よくSNS等での発言を見聞きして、「あの人は〇〇ですよね」などと客観的な指摘、ネガティブな反応をする人ほど、同じことを課題として持っていることがあります。
他人のことは分かるけれども、自分のことはわからない、というのは世の常です。


このことに気がついたのは、もう10年くらい前で、私自身もその特殊性、特異性を強調するために使っていたことがありました。
また説明を簡潔にするために、一言で「自閉症は~」と言ったりしていたこともありました。
でも、ますます「発達障害」という言葉が世の中に浸透し、市民権を持った時代だからこそ、その受け止め方、捉え方が無限に広がり、そもそも共通言語としての「発達障害」が誤解やギョーカイと迷惑当事者、家族によってネガティブな想いで使い古されて、新しい世代の親御さん達、子ども達にも重く乗りかかるようになってしまったことが問題だと強く思うようになったのです。
発達障害が生まれつきの障害であり、治らない障害である。
その象徴としての「発達障害者」という偶像が出来上がったあと、「発達障害は治ります」という一言では、無意識下に浸透している「治らない」という認識までは治すことができないと感じました。


ですから、困ったことに説明が長くなるのです。
私の発達相談でも、2時間、しゃべりっぱなしです(笑)
当然、聞いてくださる親御さんのほうが疲労困憊でしょう(笑)
自閉症の説明は3分ですが、その子の説明は時間がかかるのです。
冒頭でお話しした通り、いつから発達の遅れが始まり、どこの発達に、どんな風に表れているか、そしてそれらに対してどういった刺激や後押し、環境、子育てが必要かは、一人ひとり異なります。
当然、その子の違いもあれば、家族一人ひとりも違い、遺伝的な関係が強い祖父母まで入れると、子どもさんの他に、父、母、祖父×2、祖母×2の影響があるので、かなり複雑なものになります。
でも、そういった複雑な部分を端折っていては、上辺だけの「(どこの誰か分からない)発達障害者支援・療育・アプローチ」になってしまいますね。


「わからない」のが自然であり、当たり前なのです。
「どうして我が子に発達の遅れが出たのだろうか」
「どうして〇〇という問題が生じるのだろうか」
そうやってわからないことと向き合うこと、疑問を持ち続けること、その答えを求め探求していくことが、子どもさんをよく見ることに繋がり、唯一無二の我が子のことを理解していくことだと思います。
分かった気でいる専門家、支援者、親御さんほど、子ども達を傷つけ、問題を複雑化しているように感じます。
「発達障害」「自閉症」という言葉は、わからない存在をわかったようにするための言葉ですので、まずはその言葉を使わないで、我が子のことを話せるようにしてみてください。
発達相談の中で、そういった言葉が出たとき、「ああ、親御さんはここの部分でお子さんのことが分かっていないんだな」と感じますので。




☆『医者が教えてくれない発達障害の治り方』のご紹介☆

まえがき(浅見淳子)

第一章 診断されると本当にいいことあるの?
〇医者は誤ることはあるけど謝ることはない
〇早期診断→特別支援教育のオススメルートは基本片道切符
〇八歳までは障害名(仮)でよいはず
〇その遅れは八歳以降も続きますか?
〇未発達とは、何が育っていないのか?
〇就学先は五歳~六歳の発達状況で決められてしまうという現実
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのメリット
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのデメリット
〇療育や支援とつながるほど、子育ての時間は減る

第二章 親心活用のススメ
〇親子遊びはたしかに、発達に結びつく
〇変わりゆく発達凸凹のお子さんを持つ家庭の姿
〇学校は頼りにならないと知っておこう
〇安定した土台は生活の中でしか作れない
〇支援者が行うアセスメントには、実はあまり意味がない
〇親が求めているのは「よりよくなるための手がかり」のはず
〇人間は主観の中で生きていく
〇専門家との関係性より親子の関係性の方が大事
〇支援者の粗探しから子どもを守ろう
〇圧倒的な情報量を持っているのは支援者ではなく親

第三章 親心活用アセスメントこそ効果的
〇子育ての世界へ戻ろう
〇その子のペースで遊ぶことの大切さ
〇「発達のヌケ」を見抜けるのは誰か?
〇いわゆる代替療法に手を出してはいけないのか
〇家庭でのアセスメントの利点
1.発達段階が正確にわかる
2.親の観察眼を養える
3.本人のニーズがわかる
4.利点まとめ
〇家庭で子どもの何をみればいいのか
1.発達段階
2.キャラクター
3.流れ
4.親子のニーズの不一致に気を付けよう

第四章 「我が子の強み」をどう発見し、活かすか
〇支援と発達援助、どちらを望んでいますか?
〇子ども自身が自分を育てる方法を知っている
〇親に余裕がないと「トレーニング」になってしまう
〇それぞれの家庭らしさをどう見つけるか
〇親から受け継いだものを大切に、自分に自信を持とう

あとがき(大久保悠)


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