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【No.1076】親にもある赤ちゃんからの積み重ね

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子どもがそうであるように、親御さんもまた赤ちゃんからの積み重ねがあるものです。 ですから、その積み重ねを大事にしてほしいと思いますし、子育ての中でも、ある意味、自己流を貫いてほしいと思っています。 赤ちゃんからの積み重ねを押し込め、後から学んだ知恵で子育てをするのはもったいないことです。 そんな親御さんをたくさん見てきました。 学生時代にお会いしたときは、子ども想いで、どこにでも普通にいるお母さんだったのに、数年後、私が社会人になってお会いすると、学生時代に私が感じていたその雰囲気がすっかり失われてしまっている、なんてことがありました。 最初は愛する我が子のために、と思って始めた勉強も、いつしか勉強のための勉強になり、お母さんという役割から支援者の役割へと変わっていった。 我が子が泣き叫んでいるのに、無表情で絵カードを見せている姿に、ぞっとしたものです。 以前のお母さんなら、我が子に駆け寄り、ぎゅっと抱きしめたはずなのに。 子どもを支援の対象として、つまり、子どもを子どもの内側から見えなくなることが、支援するものになる、ということなんだと思います。 発達相談の依頼をお受けする際、事前に子どもさんの情報をメールで送ってもらうようにしていました。 でも、それはよくないなと思い、リクエストするのをやめました。 何故なら、それだとどうしても、支援する側と支援される側という関係性が築かれてしまうからです。 事前にお子さんの情報を知っていると、知らず知らずのうちに、発達相談が答え合わせみたいになっています。 「うまく走れないんですが。そして、よく躓くんです」 「それは、ハイハイを飛ばしたことが関係してるのでしょう。肩甲骨の動きが固ければ、立体視もできていないかもしれませんね」 「そんなことが影響するんですね」 こんな発達相談は、その場限りで何の役にも立ちません。 大事なことは、親御さんが主体的により良い子育てを考えていくことです。 私とお子さんの関係はその日限り、ほんの一瞬ですが、親御さんと子どもさんの関係は長く続いていきます。 この"長く続く"に子育ての本質があります。 親御さんだって、子の生きた年数しか親になっていないのです。 2歳の子の親なら、親になってまだ2年、10歳の子の親なら、親になってやっと10年。 支援者も2年目の支援者、10年目の支援者とい

【No.1075】「他人の気持ちがわかりません」という自己紹介

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「自閉症の人は、他人の気持ちが分からない」と言われることがあります。 実際、そういった記述も、自閉症・発達障害に関する書籍などで見かけますし、医師から、専門家から、支援者から「そうやって言われた、説明された」とおっしゃる本人や家族とも私はお会いします。 しかし私は、この説明・文言と出会うと非常に違和感を感じるのです。 まるで「人でなし」と言っているような言葉に憤りを感じるのです。 私が施設で関わっていた子ども達、今、仕事で関わっている人達はそんな人達ではない。 確かに現実問題として、他人の感情が読めずに、周囲とトラブルになってしまう人たちもいます。 でも、その人達がまったく他人の感情が読めないか、想像できないか、していないか、と言ったらそうではないと感じます。 ある重度の知的障害を持つお子さんは、お母さんが泣いていたとき、スッとティッシュを差し出しました。 それを見て、意地悪な支援者は「たまたまだ」「泣く→ティッシュというパターン行動だ」というかもしれません。 しかし私は思うのです。 完全にではないが、いつもではないが、他人の感情を察する瞬間がある、と。 自閉症の人達に感情を読む機能の欠落があるとは、私は思いません。 彼らと時間を共有していますと、感情に共感する瞬間がありますし、他人の感情を読もうとしようとすることがあります。 でも、共感の幅が狭かったり、共感したことを表現する手段が限られていたりします。 他人の感情、場の空気感を推測しようとするのですが、解釈の部分でズレていたり、そもそも推測に必要な刺激を受け取る感覚、身体が育っていなかったりするのだと思います。 はじめから感情を持たずに生まれてきた人達ならそうなのかもしれませんが、本人たちに感情はありますし、その感情も成長と共に豊かに育っていきます。 同時に、他人と感情を交わらせ、共感できるようにもなっていく人達も大勢います。 幼少期、「この子は一生施設ね」と言われた若者が今は一般就労し、そこで接客業をしています。 さらに上司から、「〇〇さんは、とても気が利くね」と褒められることがあったそうです。 いわゆる自閉症の人達が得意としているパターン化だけで、接客業は続かないし、他人から「気が利くね」とは言われないと思います。 つまり、「他人の気持ちがわからない」というのは障害特性ではなく、背景には未発達があり、身体と感

【No.1074】未来を認識する力を育む3ステップ

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我が家の下の子も、最近、"未来"がはっきりしてきました。 つい数か月前までは、「また今度」「〇回寝たらね」「明日やろうか」など、大人の言葉を場面と合わせて暗記していただけに過ぎませんでしたが、今ははっきり未来があるのがわかっている様子があります。 カレンダーを見ながら保育園での遠足を楽しみにしたり、出かけるのがわかったら、すぐに片づけを終えたり…。 未来があるのはヒトだけですので、下の子の人間脳も育ってきているのがわかります。 発達相談においても、お子さんに未来を理解する力があるか、どのくらいの未来が認識できているのかを確認します。 この未来を認識する力は、その子の発達段階を知る上で、今後の学習の伸びを予測する上で、とても重要なポイントになります。 未来が理解できるようになり、その認識が育っていくのは、3歳前後です。 ということは、0歳から3歳までの間に、他の動物にはない未来を認識する力を養う課程があるのです。 その最初の芽生えは、いないいないばーだといえます。 大人の顔が手で隠れる。 その瞬間、赤ちゃんはその大人がいなくなったと認識する。 でも、次の瞬間、手が開き、顔が現れ、ホッとする。 このいないいないばーの一連の流れがわかるようになることこそ、未来の芽生えです。 顔が隠れたあと、「また、お母さんの顔が現れるだろう」というほんの1秒に満たない未来が予測できるようになる、が最初の一歩です。 いないいないばーの次のステップは、繰り返し行動だと考えられます。 まだしゃべり始める前のお子さんは、何度も同じ行動を繰り返します。 おもちゃを掴んでは床に捨て、おもちゃを掴んでは床に捨てる。 これは、まるで理科の実験をしているようです。 いないいないばーの段階とは異なり、自分主導で今と近未来を行ったり来たりするのが特徴だといえます。 「僕がこうしたら、〇〇はこうなる」 そして第3のステップは、自分の身体を通した未来予想です。 いないいないばーが視覚を中心とした現在と近未来の行き来、次が視覚とモノを結びつけてだとしたら、五感と身体を結びつけてということになります。 「椅子から飛び降りたら、自分はあのあたりにつくだろう」というように行動してみる。 そうやってモノの変化で感じていた未来を、自分の身体を使って感じようとする。 同時に、身体を動かしますので、感覚のフィ

【No.1073】神経発達症を治すのは、特別なことではない

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2013年以降、発達障害が「神経発達症」に変わってから、世界の流れは確実に「治す」に向かっています。 日本では、まだ「自閉症」や「知的障害」「発達障害」という診断名と言葉が中心ですが、神経発達症という状態には変わりがないのですから、本人が目指すところは、より良い神経発達であり、親御さんの目指すところは、その後押しになります。 より良い神経発達が進んだ先に、診断基準を飛び越える状態があり、治った姿があるのだといえます。 私も、読んでくださる方がわかりやすいように、「自閉症」「発達障害」という言葉を使ってきました。 近頃、これもよくないのかなと思うようになりました。 「自閉症」という言葉には、長らく「脳の機能障害」という言葉がくっついてきました。 「発達障害」という言葉には、もろ「障害」という言葉がついています。 「発達障害を治す」と言うと、「治らないんだから、障害なんだ」という決まった問答が繰り返される。 既に「自閉症」も、「発達障害」も、障害ですらなくなったのですから、障害を連想させる言葉を使わないほうが、これからの人のためになるかもしれないと思いました。 今、現時点で、成育歴を振り返ると、神経発達に滞りがある状態。 その滞りは、人それぞれ違うけれども、同じ人であったとしても、今日と明日では状態が変わっているけれども、神経発達の滞りは、みなさん、同じね。 だから、その人達を「神経発達症」と呼びましょう。 行政的な判断をするのに、決まった言葉があると良いから、といったところです。 神経発達の滞りを環境、刺激、栄養の面から治していくのは当たり前ですし、それによって治る人が大勢いるのも当たり前。 治るものを、「治らないんだ」と言い張り、指をくわえている方が今の世の中、トンデモと言われるでしょう。 義務教育を受ける世代の子ども達に教科を教えないのが「おかしい!」と言われるように、治る部分を治そうとしないのもおかしな話なのです。 親御さんの中には確固たる信念や理解があるわけではないけれども、「我が子は治らない」と思っている人達もいます。 実際、そのような方達の発達相談も行ってきました。 そこで感じるのは、治る部分と治らない部分・治すべきではない部分が一色単になっている、ということです。 たぶん、「治る」というと、一気に同世代の子どもと同じようになり、あれこれができるようになる

【No.1072】with-コロナ時代の発達援助

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星野リゾートの社長さんが「道内の人に来てもらえるホテルづくり」という話をしていました。 既に体制を変え、動き出しているようで、今までのようなインバウンド頼みではなく、国内の、北海道なら北海道内に住む人に向けたホテルに変えていくそうです。 どの世界でも、素早く変化に対応できる人が結果を出していくのだと思いました。 そういう経営者がいる一方で、いまだに「補助金ガー」と言っている人達もいます。 これを機に、with-コロナに向かって走りだしている人もいれば、「保障ガー」「国ガー」と言っている人もいる。 どんなことが起きようとも、国が中小企業、一つ一つの世話をしてくれるわけはないのですから、そんなこと言っている暇があるのなら動き出すしかありません。 だって、自分を救うのは自分しかいないのですから。 誰かに救ってもらえる子どもの特権であり、まさに甘えの一種です。 2月の時点では、「若い人が媒介者になる」「無症状者もうつす」と言われていました。 専門家とはいえ、初めての出来事ですから、限られた情報の中で判断する必要があったのでしょう。 実態がわからないときは、やりすぎるくらいやるというのはリスクマネジメントで重要なことだと思います。 しかし、今は6月であり、あれから比べると、いろんなことがわかってきました。 「無症状者が他人にうつすことは稀である」 そういった実態が見えてきたのですから、2月・3月に言っていたことを撤回すれば良いのです。 時間の経過とともに、言っていたことが、信じていたことが変わるなんて、よくあることですから。 「ごめんなさい。あのときは、無症状者が感染に気づかず、他人と接触することでうつすと考えていました」で済む話だと思います。 しかし、どうも、権威がある人、「間違いが許されない」と認識される仕事の人は、謝ることができないし、それがゆえに前言撤回、素早い訂正ができない傾向があると思います。 身近なところで言えば、学校の先生も謝らない。 謝らないからズルズルいって、結局、取り返しのつかないところにきて、どうしようもないから動き出すパターンが往々にしてあるのです。 2013年、『脳の機能障害』が『神経発達の障害』に変わりました。 別に2013年より前、脳

【No.1071】自らの意思で自らを支援している状態こそ、『自立支援』と言える

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私がまだ「構造化された支援」にどっぷり浸かっていた頃、あるベテランの施設職員がこんなことを言っていました。 「今は、どこでもここでももてはやされているが、日本で根付くことはないだろう」 その理由を私が尋ねると、一言、「コストがかかるから」という答えでした。 金銭的なコストだけではなく、時間的、労力的なコストがかかるという意味です。 そのときは、「そうなのかな~」と思うくらいでしたが、それから15年ほどが経ち、現実となりました。 私も視覚支援を頑張っていた時期がありますので、良く分かりますが、とにかく時間と労力がかかります。 特に子どもさんの場合、発達・成長が著しいですから、せっかく丁寧に作った視覚支援も、すぐに作りかえる必要が出てきます。 その都度、作っては変え、作っては変えを繰り返していましたが、それを仕事以外で、つまり、家庭でやろうと思えば、とにかく大変です。 親は支援者ではありませんので、支援グッズだけ作っていれば良いわけではありません。 仕事や家事、兄弟がいれば、他の兄弟のこともする必要があります。 あるとき、泣きながら電話をくださった親御さんがいましたが、某支援者から「構造化が合っていないから、問題行動が起きるんだ」と責められたということがありました。 一時期、それこそ、当地でも構造化ブームがあったとき、結構、構造化のダメ出しをされた親御さんが多く、子どもが寝たあと、夜なべして支援グッズを作っていた、なんて話も良く聞いたくらいです。 確かに、構造化、支援グッズ制作にはコストがかかります。 コストがかかる分、できる人とできない人が出てくるのは当然なことであり、結局は一部の熱狂的な人がいろんなものを投げ打ってやり続けたというのが実際のところだと言えます。 しかし、構造化された支援だけではなく、その後もいろんな療法が流行っては消え、流行っては消えを繰り返した様子を見ていると、「コスト」だけが理由だったようには思えないのです。 私が思うに、本人ができないものは根付かない。 つまり、どの療法も、その療法を行う支援者なり、親御さんなりが必要なわけです。 本人がいくら必要性を感じ、アクセスしようとしても、それができない。 また自分なりにカスタマイズするにも、支援者や親

【No.1070】世代特有の発達

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この前、息子たちを連れて郊外の大きな公園に行ったら、驚くことがありました。 公園の入り口のところに『三密に注意してください』と書かれていたのです。 おいおい、ここは札幌ドームが2つくらい入るくらいの広さ。 三密を作ろうと思えば、10万人は集めなきゃなりません。 どう見ても100人もいませんでしたし、函館の人口の3分の1が一堂に会するとも思えません。 つまり、これも脊髄反射の人たち向けのお仕事で、「ちゃんと対策やってますから」と言いたいがためなのでしょう。 そんな広い公園にも関わらず、子ども達の中にはマスク姿の子もいました。 さんさんと陽が降り注ぐ中、マスクをつけて走り回る子ども達。 やっと「熱中症の危険がある」という声明が出ましたが、真っ赤な顔をしている子ども達を見ると、本当に大丈夫かなと思ってしまいました。 ここでコロナに罹るリスクと、熱中症になるリスクはどちらが大きいのか。 これからの季節、熱中症も心配なのですが、それ以上に酸欠、息が深く吸えないことが子ども達の発達に及ぼす影響のほうが私は気になります。 幼児さん達は走り回ることで呼吸を育てますし、呼吸を育てたいから走り回るともいえます。 そうやって酸素が思いっきり摂り込める身体を作り、それが加速する脳や神経の発達に繋がっていく。 当然、息が深く吸えないというのは、それだけで心身にも影響を及ぼすことになります。 赤ちゃん時代からの運動発達がひと段落し、さあ、ここから呼吸を、動きを育てようという時期の子ども達。 そのような子ども達にとってこのマスク生活は、後々に影響を及ぼしていくのでは、と心配しています。 既に夜の寝つきが悪くなったお子さんや、学校や幼稚園などですぐに疲れてしまう子ども達が出ているようです。 子ども達だけではなく、親御さん、特に妊娠されているお母さんへの影響も心配しているところです。 それはコロナに罹る心配ではなく、お母さんが浅い息を続けることで体調が悪くなったり、胎児への酸素の供給が少なくなったりする心配です。 胎児が生きるためにも、神経発達を続けるためにも、母体から届けられる酸素が必要になります。 その酸素の量が減れば、胎児期の神経発達に影響が出るのは自然なことです。 また

【No.1069】"感覚的"に分かるために

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栄養を摂取する面から、「危険の察知」という生き抜く面から、そして何よりも、そこが発達の始まりである面から『口』に注目しています。 小児科の医師の中には、乳児のおっぱいの吸い方を見て、発達のリスクを捉えるという人もいるくらいです。 飲む力が弱いということだけではなく、むせたり、吐き戻したり、口からこぼし続けるようなお子さんは、経過観察の対象になるとも記されていました。 確かに、私が関わるご家族の中にも、「おっぱいが上手に吸えなかった」と言われるお子さんがいらっしゃいます。 赤ちゃんは、胎児期に羊水を飲んだり、吐いたりして哺乳の練習をしますので、胎児期からすでに何らかの発達のズレ、課題が始まっていたのだと考えることができます。 ということがわかれば、育て直しの箇所が絞られてくるのです。     習慣として口に注目していますと、近頃、面白い関係性が見えてきました。 それは他人の感情が読めない子の中に偏食の子が多く、その偏食の根っこは味覚の課題と繋がっている、ということです。     味覚も育ち、育てるものですので、当然、そこに発達の遅れが出る子もいるわけです。 味覚が育っていないと、栄養の偏りに繋がり、それが神経発達、日々の生活にも影響を及ぼす可能性があります。 ですから私は、味覚を育てることも提案してきました。     すると、あるとき、「偏食が直った」と仰っていた親御さんが、「近頃、私が機嫌が悪いと、それに気づくようになったんです」という変化を教えてくれたことがありました。 最初は、「味覚は発達の土台になる部分だから、そこが育って社会性の発達に繋がったのだろう」と思っていましたが、気になって他のご家族、お子さんにも注目してみました。 すると、同じようなお子さんが複数いらっしゃって、どうも味覚と感情を読みとる、理解するが繋がっているような気がしたのです。     その答えは、ヒトの進化に関する本の中に記されていました。 「進化の初期で獲得した脳機能を転用させ、脳を大きくしてきた」 つまり、ヒトで言えば、生きるために必要な機能、呼吸や感覚、消化吸収などを人間らしい機能、発達へと転用してきたということです。 どうも、イメージでは、進化と共にヒトは高度な脳機能を獲得していった