中途半端にではなく、きちんと嫌う
メールでの相談がくるようになってから何年も経ちますが、返信を受け取った人から「こんなにズバッと言われたのは初めてです」と言われることがあります。 問題があれば、それが問題であると指摘するのは当然のことです。 だって、今まで通りで、うまくいかないから、わざわざ相談しているわけです。 これは、メール相談でも、実際にお会いしての相談でも、一緒。 カウンセラーなら、共感するとか、否定せず受け入れるとかが大事なのかもしれません。 でも、私の仕事は、子どもさんがより良く発達、成長するための後押し。 親御さんが、主体的に子育てができる後押し。 ですから、具体的な行動として現れるくらいまでの後押しができなければ、意味がないと思っています。 中には、接待慣れしている当事者の人や親御さんからの相談もあります。 「あなたは悪くないよ、頑張っている。周囲の理解がないよね」 「お母さんの子育ての方向性は間違っていないですよ、今は結果が出ていないですが」 という私からの言葉が欲しいのがありありで、の人もいます。 そういった場合には、その問題点を指摘して、やりとりを終了します。 接待慣れしている人に、「誰それ構わず、接待を求めるのは間違いである」と指摘するのは、本人のためであり、社会のため。 接待はその場しのぎで合って、何も解決はしません。 接待しても、発達のヌケは埋まっていかない。 ただただ周りの人に迷惑をかけるだけであり、挙句の果てに、接待に応じてくれない一般の人に対して、抱く必要のない嫌悪感まで抱いてしまう危険性があります。 恨まれた一般の人は迷惑。 恨まなくていい人まで恨み、余計な社会への恨みを持つのは、自立を自ら遠ざけているようなもの。 ですから、嫌うときも、しっかり嫌います。 中途半端に嫌いません。 何が嫌だったか、問題だったかを具体的に言葉にして伝え、あとは拒否。 嫌いな人達にヘコヘコしたくないし、自分の時間を使いたくもない。 何より、そういった中途半端な対応が、誤った人間関係を学習させ、どれだけ多くの迷惑な人達を育ててきたのかって感じです。 支援者というのは、直言する人がほとんどいない。 それは、当事者、保護者をお客様だと思っているから。 それもあるけれども、根本的なところでいえば、愛着の土台が育っていないか