生涯をかけて治していく

「完璧な発達」というのは、ないと思います。
大なり小なり、みんな、発達の偏りはあるでしょうし、凸凹しているでしょう。
でも、それでいいんです。
それが自然な姿だと思います。
ヒトは、生涯かけて発達していくもの。
人生の途中を切り取って、「発達が整っていない」と指摘するのは、意味のあることなのか、という思いもあります。


人生の始まりの頃に、発達の遅れがあると、今の世の中では「発達障害」となります。
しかし、早期療育を受けた結果、発達の遅れには手をつけず、刺激を与えず、グレーがグレーのまま、むしろ、色が濃くなっていく若者たちを見ますと、早期に診断されるということが果たして良いことなのだろうか、と思うのです。
発達障害保存の会・・・。


発達の遅れを指摘することが、その子の発達につながらない。
ただの言いっぱなしになっている現在。
本来、生涯かけて発達するものが、幼少期にストップがかけられているような現状。
だったら、発達の遅れを、わざわざ指摘してくれるなよ、と思います。


親御さんの中にも、発達の凸凹を感じることがあります、その名残を、雰囲気を感じることがあります。
「子ども時代の私もそうだった、同じだった」という話は、よくあることです。
お子さんと同じように、お父さん、お母さんも、子ども時代、発達の遅れがあった。
じゃあ、何が違うのか。


今、仕事をし、結婚をし、子どもを授かり、生きている親御さんと子は何が違うのか。
発達障害が産業の一つ、子育てが商売の一つになってしまった社会の違いもあるでしょう。
自由自在に遊べた環境の違いもあるでしょう。
でも、一番の違いは、生涯かけて発達するという前提が保障されているかどうか。
私は、この世界に入ってつくづく思うのが、発達が急かされ、余白がどんどん失われていく窮屈さ。


できるだけ早く発達し、小さな"大人"になることが求められる。
元発達障害を持っていた親御さん達が、自由な人生を謳歌している一方で、1歳、2歳、3歳で「発達障害です」と告げられ、相談に来られる子ども達の「生き苦しさ」ではなく、息苦しさ。
私は、親御さんが自分自身を育て、治してきたように、子どもも同じような子ども時代、人生を歩めばよいと思うのです。
野山を駆け巡り、呼吸を育て、感覚を育て、動きを育てたように。
でも、今は時代が許そうとしない。


ヒトは、生涯をかけて発達するのだから、人生のある時点で発達の遅れがあろうとも、本当はどうでもよいことなのでしょう。
それなのに、就学前の子どもに、「字が書けるか?」「計算ができるか?」と尋ね、それで普通級、支援級の判断をするような教育者がいる。
これからの社会、日本も、いろんなバックグランドを持った多様な人達と共に生きていく時代になっていくのに、それに抗うような下校時、校門の前にずらっと並ぶ車の数々。
早期療育だなんだといって、同世代の子ども達が体験することが体験できず、受けれる刺激が受けられず、人工的な環境へと隔離されていく。
挙句の果てに、「発達障害を持った人が住みやすい社会を」という意味不明な主張さえ展開される。
私には、発達の機会から敢えて離れることで、発達障害というマイノリティを保持し続けようとしているようにさえ見える。


私は、お会いした人には、よく言います。
「発達に遅れがあることが問題なのではなく、発達する機会、猶予、自由が与えられないことが問題なんだ」と。
元発達障害の親御さん達も、生まれる時代が遅ければ、診断名が付き、早期療育という名の分断の中に組み込まれてしまっていたかもしれません。
そうなれば、今の自由な生活があったかどうか。
今、共に歩むパートナーと出会えたかどうか、我が子と出会えたかどうか。


発達とは長距離走です。
自分のペースで、足を前に出し続ければいいのです。
途中で歩いたっていいし、走ったっていい。
でも、今は短距離走のような雰囲気になっています。
就学というゴールテープに向かって、みんなが脇目も振れず、全速力で走っている感じ。
しかし、人生100年時代の子ども達でいえば、たった6年間の話であり、発達する時間はまだ十二分に残っています。


20歳を過ぎてからも、発達のヌケを育て直し、どんどん治っている若者たちがいます。
元発達障害の親御さん達だって、今もなお、発達の途中であり、治している最中だといえますし、そのように感じることもあります。
そうやって人生をかけて、治していく人がいても良いのではないでしょうか。


神田橋先生のお言葉を借りれば、「あなたも、私も、みんな発達障害」
だからこそ、生涯かけて発達し、治していく。
「治るなんてインチキだ」という人もいますが、私はそうは思いません。
だって、あなたも、私も、生涯かけて治しているのだから。
どうせ治すのなら、自分で試行錯誤しながら、楽しくいこうじゃありませんか!

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