2019年7月10日水曜日

「一貫性のある支援」の意味

ジョギングの記録をスマホのアプリで行っていましたので、「古いままでいいや、どうせ汚れるし」と思っていたのですが、そろそろ新しいものに換えなきゃならないくらい不具合が出てきました。
仕事が一段落したら、機種変しに行こうと思います。
そんなことを考えていたら、今の通信会社に変えてから、だいぶ時間が経ったのに気が付きました。


高校、大学くらいは、通信会社を変えるのはそんなに大変じゃなかったのですが、それ以降、長らく「ナントカ縛りだ」「高額な解約料だ」「データ移行がー」と言って、他社に変えづらい時期が続きました。
でも、最近は他社への移行もスムーズです。
一つの通信会社のままなら、ラクは楽かもしれませんが、それによって選択できないサービスも生まれてしまいます。
本来、もっと自由で選択肢があるものが。
自分の生活、ニーズに合わせて、カスタママイズするものが。


特別支援の世界では、「一貫性のある支援」などと言われます。
私も、若いときには、そのように教わりました。
「一貫性がないと、自閉症の人達は混乱してしまう」と。


しかし、年齢と経験を重ね、いろんな研修やトレーニング、文献から学び続けていると、「一貫性のある支援」という意味の使われ方に違いがあることがわかりました。
特に、欧米と日本の間で。
欧米では、「一貫性のある支援」を、それぞれの組織、療法の理念という意味で使っていました。
たとえば、「アセスメントから始めましょう」「その人に合った最適なものを作るために、絶え間なく工夫や見直しをしましょう」など。
でも、日本は、特定の療法、方法、宗派、はたまた支援者までをも、「一貫性」にしてしまう。
「一貫性=最初に決めた療法、方法、宗派を貫こう」という意味で使われている場合が少なくありません。


世の中には、いろんなアイディアがあるわけです。
それぞれ、療法には組織があって、推奨し、専門にしている支援者たちがいます。
どちらかといえば、その支援者達に向けて、支援者達の方向性を統一させるために、「掲げた理念に一貫性を持たせて支援にあたるように」という意図だと思います。
決して、ある療法を選んだら、「その療法を生涯、ずっと選択し続けるように」「他の療法には手を出さないように」という本人や親御さんに対するメッセージではないはずです。


アメリカのある療法のトレーニングを受けていたとき、そこのトップの人に質問したら明快な答えが返ってきました。
「私達の療法は、私達の理念と整合性のあるものだったら、他の療法、考え方を積極的に取り入れていく。そうやって今までも、進化させてきました」と。
つまり、一貫性のある支援とは、「私達の支援方法を生涯選択し続けなさい」という意味ではないのです。


人間の発達は多様ですし、ひと時も同じ状態だということはありません。
常に揺らぎ、変化しています。
ですから、特定の療法、方法、支援者にこだわるのは、賢い選択だとはいえません。
幼少期、必要だった支援が、就学後にはマイナスになることもあり得るのです。
同じ自閉症といわれた子どもであっても、うちの子と〇〇くんは、必要な支援、アイディアは違うのです。
支援者だって同じこと。
ある時期、大変お世話になった支援者だとしても、本人の状態、生活、発達が変われば、足を引っ張るような存在にもなる。
だからこそ、その時々で、本人の状態、ニーズを見極め、ベストな選択をしていかなければなりません。


それなのに、日本では、一部(?)のギョーカイでは、親御さんに対して「一貫性のある支援」を、特定の療法に絞るように、という誤ったメッセージを与えてしまっています。
一時期の「ケータイ2年縛り」みたいなものです。
他社に、他療法に、お客さんを奪われないために、という意味で使っている。


マジメな親御さんは、「そうか、いろんなアイディアのいいとこどりではなく、一貫してやり続けなければ、効果が出ないのか」なんて思い、必死に特定の療法に傾倒していくわけです。
ですから、地域ごとに色が出てしまう。
当地なら、視覚支援一本。
だって、最初に支援者が取り入れたのが、視覚支援だから。
それぞれの地域で、誤った「一貫性のある支援」ができてしまうのです。
自分の子に合うか合わないかではなく、その地域で最初に提供された支援をやり続ける。
大人になっても、幼児期に使っていた視覚支援を使い続けている人達を見ると、誰のための支援なのか、と思ってしまいます。


最初に入った通信会社のスマホを使い続けているように、幼少期に勧められた支援をいくつになってもやり続ける。
もちろん、それによって、本人も、家族も、助かる部分はあると思います。
でも、特に発達に関しては、失った選択肢が多いように思えます。
「うちは、視覚支援しかやりません」などと言っている親御さんがいます。
ずっと視覚的な手立てを使い、活動をするときは、個別で、パーティションの中。
もしかしたら、幼少期は、頭の中が混乱していた時期は、それがベストな支援だったかもしれません。
だけれども、成長と共に、他の刺激も必要だったかもしれません。
情報や刺激を統制するよりも、バリエーションのある刺激が、その子の発達を促したかもしれません。
支援よりも、発達のヌケを育て治す方が、その子の未来の選択肢を増やしたかもしれません。


意図的かどうかはわかりませんが、未だに「一貫性のある支援」を、一つの療法を幼児期から大人まで使い続けましょう、という意味で使っている人達がいます。
支援する側としたら、一度勧誘に成功すれば、営業活動はしなくていいし、自分たちの支援の質をせっせと向上させる必要もありません。
自由競争が機能しているのなら、支援者は選ばれなくてはならないので、常に進化し続ける必要がありますので。


同時に親御さんとしては、一つの療法に決めたら、それだけを見ていけばいいので、ある意味、その支援者を信じさえすればいいので、ラクです。
本当は、日々変化する子どもの状態によって、選択し続ける必要があるのに。
そこを「一貫性のある支援」という言葉が免除してくれる。
「12年間、放課後、児童デイでトランポリンを跳んでて大丈夫??」と思ってしまう。


ある程度、大きくなれば、言葉による表現ができる子なら、自分のニーズを表明することができます。
でも、それができない子もいるわけです。
本当は、その支援は今の僕には必要ない、と思っていても、そういった選択肢が目の前に現れないこともあるのです。
だからこそ、こういった子ども達のそばにいる大人は、子どもの状態、発達、ニーズの変化に敏感になる必要があるのです。


私がトレーニングを受けた療法の指導者たちは、毎朝、始まる前に、私達に自分たちの理念を暗唱させていました。
その一つが、「アセスメントから始める」
何か、新しい指導、支援を始めるときだけではなく、問題が起きたときだけではなく、常に子どもと顔を合わせたらアセスメントを行う。
朝、おはようと顔を合わせたその瞬間から、その子の状態は、変化はないか、と見る姿勢。
そうやって常にアセスメントを意識し、支援者の思い上がりで支援を組み立ててはならない、と教わりました。
もし、親御さん達に伝える「一貫性のある支援」を挙げるとすれば、しっかり子どものことを見て、そこから支援や援助を考えましょう、ということになりますね。


同じ療法、方法、考え方、支援者に縛られるのは、ラクを手に入れると同時に、子どもの可能性と選択肢を失うことでもあります。
子どもの発達、可能性、ニーズは、一つの療法でカバーできないのですから。

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