2021年4月28日水曜日

【No.1162】子ども達を守れるのは親御さんしかいない

先週末は出張で東京に行っていましたが、いずれも良い天気で、着ていった長袖が暑いくらいでした。
あんな暑い中、そして気持ちよい日差しの中、マスクするなんてもったいないですね(今回もマスク警察には会いませんでした)。
どこもかしこも人は多く、ジム用のウェアを買いに行った新宿のデパートでは、店員さんが激おこで「明日から休業ですよ、百合子様のせいで(怒)」と言っていて、私がうんうんと頷きながら時々「デパートでクラスター起きてないんだから、無視すればいいんですよ」と慰める始末。
ツンデレ百合子はストレートにモノが言えないもんだから、ちゃんと東京に行き、あちこちを移動して仕事をしながら、いろいろ買い物や食事をしてお金を使ってきましたよ。


1400万人都市の東京で、重症者数が50人前後。
で、どうして医療崩壊するのかがわかりませんが、それにしても大阪の重症者数が多い気がします。
でも、よく考えると、この重症者という定義って東京と大阪は同じなのでしょうか。
調べてみると、①ICUで治療 ②人工呼吸器を使用 ③エクモを使用 のいずれかに該当する場合が厚労省が定めた重症者の定義になっていました。
これをみて思ったのですが、病状が重症度を決めるわけではないんですね。
ということは、新コロの症状が重いからではなく、「高齢者だから」「基礎疾患を持っているから」「まだ空いているから(?)」という現場の判断で、たとえ危険な状態ではなかったとしても、人工呼吸器がつけられていたら重症者にカウントされる場合があるということではないでしょうか。
重症者ベッドは「より多くの加算が税金からつけられている」ということは、今までの日本の医療の流れから言えば、できるだけ埋めたくなる、常に満床にしておきたいような気がします。


「重症者により多くの加算が付く」というのは障害者福祉でも同じです。
国としても、より重く、介護等のニーズが大きい方達を積極的にケアしてほしい、と願うのは当然です。
だから、重い症状、重い介護度の人に、お金の重みをつける。
一方で現場としては、馬鹿正直に重い人ばかりをみるわけではありません。
人権と労働基準法がない福祉の現場で、働く人を集めるのは大変です。
たとえ見つけたとしても、すぐに辞めていくような職場です。
そんな職場で、儲かるからと言って重度の人ばかり受け入れられるわけはないのです。
専門性も、人も、足りないのですから。
だけれども、経営としては「重度の人」が欲しい。
そこでペン先を嘗めるのです。
本当は軽度の人を重度にする。
軽度だけれども、問題行動があればそれをオーバーに表現する。
「二次障害」というワードは、現場の支援者にとっても使い勝手が良いわけです。
施設利用者は、あたかも施設内で問題が大きいような報告をする。
それを親御さんが、または支援者が直接、医師や心理士に伝える。
で、軽度の人が重度に早変わり。


ギョーカイがなぜ、「二次障害」という概念を広めようとするのか。
それは予防的な意味合いから、早い段階で支援に繋げようとする意図と、軽度やそもそも発達が遅れているだけで問題のないような子を、重度や支援対象に移行する可能性を示すことで、いつでも囲い込めるようにしておくためです。
誰にでもくる思春期の揺れを、誰にでもある学校や職場、人間関係での悩みを、二次障害という言葉に置き換えることができる。
その可能性が一つあるだけで、いつでも彼らを「支援対象」にすることもできるし、「重度」にすることもできる。
だからこそ、「二次障害」という言葉を多用し、啓発するのです。
だって、「二次障害」という概念、言葉があっても、当事者の人たちにとってはプラスにはならないでしょ。
当事者の人たちが少しでもラクになる、生活が豊かになる、自立度が上がるための言葉でなければ、それは当事者以外の人が利を得るためのものでしかないのです。


「高齢者だから、(今は必要ないけれども)予防的に人工呼吸器をつけよう」は、「発達に遅れがあるから、(今は必要ないけれども)予防的に療育を受けさせよう」と同じ匂いがします。
仕事でお会いする相談者の年齢が低くなればなるほど、必要性のない療育、支援が横行している気がします。
私から見れば、「ただの遅れでしょ」「いま、ゆっくり育っているだけでしょ」という子ども達が、訳も分からず療育に繋げられ、通わされている。
その療育に通う意図は?と尋ねても、明確な答えが返ってこない。
百歩譲って療育を受けることは良いとしても、ギョーカイの狙いはそこじゃないことを承知しておく必要があると思います。
子ども達が子ども時代、療育を受ける→それが儲けになる、だけではありません。
本当の狙いは、生涯支援が必要な人になること、金の卵を産み続けるメンドリになることです。


一度、診断名をつければ、かたくなに外そうとしないのもそれです。
一度つけれさえすれば、いくら安定していても、もう支援が必要ではない状態に育ったとしても、「思春期」「二次障害」という概念がある限り、いつからでも「支援が必要な人」「重度の症状を持つ人」に変えることができる。
だからこそ、欧米では子ども時代の診断名は(仮)であり、外れる可能性があるといっているのにも関わらず、いまだに日本だけは、というか日本のギョーカイだけは「一度付いた診断名は外れない」としている。
それは当事者のためではなく、自分たちの都合のため。
当事者の人たちにとって、また親御さんたちにとって、「外れる」ことがあるというのは希望になり、発達・成長、子育ての希望と力になります。
だけれども、ギョーカイは必死に否定する。


「人工呼吸器を付けている人が重症者」というのも、「療育や支援を受けている人が障害者」というのに似ていると思います。
必要のない、意図が明確ではない療育、支援を受けている子ども達は山ほどいます。
だけれども、傍から見れば、療育や支援を受けているのだから、障害を持っているのだろう、ということになります。
我が子の発達の遅れがわかった親御さんは、勧められるがままに療育、支援を受ける。
そのときの心境としては、「療育を受ければ症状が良くなる」「自立できる子になる」でしょう。
だけれども、療育の効果がないことに気づくのは、ある程度、受け続けたあとになります。
しかし療育を受けた事実は、診断名が付いた事実は、障害者として認めたという意味になる。
だから就学相談の手紙が届くのです。
そして地域によっては、療育と診断が既成事実になり、特別支援の道へ入れられてしまうことがある。


ギョーカイも「発達障害も発達する」は認めています。
これを認めないと、療育や支援を受ける意味がなくなってしまうからです。
だけれども、一方で「一度付いた診断は外れない」「IQは下がることはあっても上がらない」「治ったのではなく寛解」と真逆なことを言っています。
これはどういうことかといえば、状態が変わることを知ってほしくない、自分たち以外は。
本当にその人が人工呼吸器が必要なのか、コロナの影響で、コロナの症状が重いから人工呼吸器が必要なのか、が一般の人が判断できるようになれば、都合の悪いこともあるでしょう。
同じように症状が変わることが分かれば、症状を良くできない自分たちは責められますし、日常茶飯事に行われている症状の重さの書き換え、ペン先舐めて「今すぐにでも支援が必要な状態」と表現すること、ただの未発達を「自閉症」「発達障害」という診断名にしてしまうことができなくなってしまいます。
その妥当性を突っ込める人がいないから、ギョーカイは自由にやりたい放題ができるのです。
だから診断の権限は渡さないし、症状の重さ、支援の必要性の判定は内輪でやってしまう。


マスメディアは視聴率、購入部数を増やすことが目的です。
真のジャーナリズムとは、こういった一般の人が知らないこと、見えていないことを調べ、報道することだと思います。
本当に重症者病棟の使用率は100%を超えているのか。
どういった人たちが重症者として利用しているのか。
この重症者の定義、運用は適切に行われているのか。
個人が調べるには限界があるので、ジャーナリストが必要なんだと思います。
ジャーナリストが調べた事実をもとに、一人ひとりが考え、行動するのが健全な社会というもの。
いま、ギョーカイ内の歪んだ状態を述べる人は限られているので、また多くの親御さん達が知らずにギョーカイの手の内に入っていってしまっているので、私は見てきた真実を発信し続けていきたいと思います。
子ども達を守れるのは親御さんしかいないので。




2021年4月21日水曜日

【No.1161】一次情報を二次情報へ

私の子ども時代は、毎日アニメ番組がやっていたし、「かとちゃんけんちゃん」や「ものまね王座歌合戦」「スターどっきりマル秘王国」などのバラエティ番組が面白かった。
私と弟がそんなテレビを観て馬鹿笑いしていると、決まって親が「こんなくだらないテレビばっかり観てから」と小言を言っていた。
だから今、実家に帰ると、私は「こんなくだらないテレビばかり観てから」と叱っています(笑)


私があれこれコロナについて指摘すると、「私だって、いろいろ調べて勉強している」と反撃をしてきます。
だけれども、「何で勉強しているの?」と尋ねると、テレビに出てくる専門家の解説を聴いて勉強しているという…。
だから私は決まって「スイッチ押したらタダで見れるもんで、勉強なんかできるもんか」と突っ込むのです。
どうして昭和の大人たちは、テレビがためになる情報をタダで教えてくれると思うのでしょうか。
どうして昭和の大人たちは、NHKはいつも正しいと信じているのでしょうか。
どうして昭和の大人たちは、最後には「みんなも言っている」といい、その内訳は仲の良いお茶友の3人くらいなのでしょうか。
「だって、〇〇さんも、お医者さんがそういっていたって言っていたもん」というけれども、その〇〇さんも同じ朝のワイドショー観てるんだから、結局一緒でしょうよ。


現代社会は無料の情報で溢れています。
そういう私のこのブログも、ラジオ配信も、すべて無料です。
だからテレビと同じように、勉強するものではないと思っています。
あくまで、読んだり、聴いたりしてくださる方たちにとっては考えるきっかけにすぎないのです。
もちろん、私が記す内容は、素晴らしい実践家の方たちから教わったことや文献等から学んだものもあります。
しかし、基本は私の実践と経験です。
できるだけ私の偏見が入らないように、生のまま、感じたままをお伝えしようとは思っていますが、どうしても私の思考が影響を与えてしまいます。


そういった私の思考がにじんでいる情報を、どのように捉え、どこに注目し、なにを活かすか、は受け手の皆さんにかかっています。
同じものを見て、同じように感じられないのが、人間なのです。
だからこそ、受け取った情報を自分の頭で精査し、考えるプロセスが重要になります。
よく「あの子がうまくいったから、うちの子も」という親御さんがいますが、それはとても危険なことです。
あの子とうちの子は、まったく別の人間。
あの子でうまくいったことが、うちの子にとっては毒になることもあるのです。
ですから、「どうしてあの子は、その方法がポジティブに働いたのだろう」と、一呼吸おいて自ら考えることが重要になります。
試行錯誤が上手な親御さんは、発想が豊かな面もありますが、実はちゃんと他人の様子を見て、どこが良いのか、悪いのか、うちの子との共通点は、活かせるところは、という視点で考えている方が多いと感じます。


「我が子のことをちゃんと見ましょう」と訴える支援者は多いし、私もその一人です。
だけれども、それは「我が子だけを見る(他人は見ない)」ではなく、我が子始まりで子育てをしていく、という意味です。
「あの子がうまくいったから、うちの子も」は、他人が始まりになっています。
一方で、「あの子がうまくいったのは、こういった点、理由においてで、それだったらうちの子にもうまくいきそう」と考えるのが、我が子始まりです。
書籍からの情報や専門家の言葉を聴いて、同時に「うちの子は…」と思い浮かんでいるのも、そうです。
常に「我が子」という軸があるからこそ、もっといえば、「私がこの子を育てるんだ」という親御さんの軸がしっかりしているからこそ、冷静に周りのことを見つつ、我が子のことをしっかり見れているのだと思います。


子育てに苦手意識を持つ親御さんが多いのもよくわかります。
だって、与えられた情報をそのまま読み、求められる答えを導き出すのは得意だけれども、一次情報から真実を見つけ、自分の考えや意見を導き出すのは苦手としているから。
なんだか「間違ってはいけない」と考えている人が多い気がします。
その「間違ってはいけない」も、科学的な真実よりも、多数派と違う方向に進んではならない、みたいな。
だから少しでも評判の、ある意味、多数派の療育、支援者に流れていく。
この世の中の多数派は、怖がりで、自分の頭で考えるのが苦手な人達ということは押さえておく必要があります。
「人気の療育機関に通えているから」は、「マスクをしているから大丈夫」というように、まったくもって科学的ではないのです。
「先進地域」「有名支援者」「早期療育」そのすべてを持っていたとしても、みなさん、自立できていないという結果が出ています。


東大の研究グループが行った実験も、密閉された水槽の中にマネキンが向かい合わせに置かれ、20分間も飛沫(コロナ入り)を浴びさせ続けて、「マスクがどのくらい防いだか」を調べています。
そんな話を親にしたら、びっくりしていました。
マスコミは都合の良い部分だけを切り取って流す。
実際、水槽のような密閉空間で、口を開けて向かい合うことがあるだろうか。
フツー、咳しそうになったら、相手の顔とは別の方向を向くだろう。
そのまま、咳を目の前にいる人に浴びせ続けないでしょ、人は。
「そんなことテレビで言っていなかった」というが、言わないのがテレビです。
「東大」「研究」「富岳」と3つのワードでイチコロだから、テレビは自らの姿勢を改めていかないのだと思います。
こんなインチキが、今も続く飲食店いじめにつながっているかと思うと、怒りを通り越して哀しくなります。


コロナ騒動のおかげで、ウィルスについて勉強することにもなりましたし、何よりも情報との向き合い方、日本人の現状、論理的な思考とは、を考えるきっかけになりました。
日本人にとって『不安』とは、科学的な真実を超える。
ということは、より良い子育て、発達援助の条件は、大人が不安に対処できている状態、不安をコントロールできている状態だといえます。
ですから私の仕事では、ギョーカイが不安を煽ることで商売をしているのと正反対の、子どもの可能性や前向きな未来を感じられるような視点とアイディアで頑張っていきたいと思います。
親御さん達も、不安を煽るような情報とは距離を置き、また手にした一次情報から自分の頭で考え活かす二次情報への作り替えを目指していただければ、と思います。
子ども達の未来が少しでも明るいものとなるように。
さあ、子ども達、若者たちは、たくさん空気を吸い、たくさん遊び、たくさん学んでください。
その環境を用意するのが、大人たちの役目です。




2021年4月20日火曜日

【No.1160】自由を守るための発達援助

大阪知事の顔を見たら、急に施設時代を思いだした。
あの目は、24時間寝ないで勤務している人間の目である。
見ているようで見ていない。
現実にいるようで、非現実の世界にいる。
そんな感じがする。
きっと眠れない日が続き、心身が限界に達しているのだろう。
そういった人間は、短期的な判断しかできず、だから今までの方針をガラッと変えたのだ、つい1ヶ月、2ヶ月前はいち早く緊急事態宣言を解除し、誇らしげな顔をしていたのに。
維新というのは、子育て世代と次世代をみた政策が方針だったと思うが、それをぶん投げ、いち早く子ども達から部活動と学校で学び合う権利を奪った。
これはコロナ騒動が終わったあとを考えると、維新の存在意義、政治家生命までをもぶっ壊す判断だったと思う。


スウェーデンは、国民の「移動の自由」「営業の自由」、そして何よりも子ども達の「教育を受ける権利」を守るために、緩和政策をとった国である。
当然、日本とは人口も、経済も、大きな違いがある国で、そのまま比べるわけにはいかないが、他国からとやかく言われようとも、ブレない方針には敬意を表する。
実際、強い強制力を働いた国と比べても、陽性者数は変わらないし、むしろ、少なく収まっているくらいである。
しかも医療崩壊すら起きていない。


こういったスウェーデンの背景には、死生観が強く影響しているといえる。
スウェーデンでは積極的な延命治療は行わない。
だから寝たきりの高齢者もほとんどいない。
自然のまま、それまでの生活、幸せを維持しながら静かに人生の幕を閉じていく。
彼らに言わせれば、管を何本もつなぎ、胃ろうまでして呼吸のみを維持させようとする状態は、虐待に見えるらしい。


今年、青いお祭りは開催されたのだろうか。
今の世の中、自閉症の"じ"の字も出てこない。
真っ先に子ども達の権利や学び、遊びが切り捨てられる日本において、さらにマイノリティーの特別支援の世界はほとんどの人が意識にすら上がってこない。
いま、「自閉症の理解を」と言って、誰が振り向いてくれるだろうか。
結局、この問題は身内が身内のために行っていたのである。
テレビなどのメディアで取り上げられたりすると、「社会全体が考えてくれている」と勝手に勘違いしていただけ。
あくまで一般の人たちからすれば、特別支援に関する問題は、「そうやってマイノリティ、弱者のことも考えられる自分」というファッションの一つなのだ。
飲食業を中心に中小企業をいじめ、自らの不安解消のために、他人の権利や自由を差し出す自分のことしか考えられない大人たちが多数なのだから。


スウェーデンのことを調べていると、先に挙げた管でつながれた高齢者のように、福祉施設そのものが虐待に見えるのではないか、と思う。
欧米と比べれば、さざ波程度の陽性者数で、厳しい面会禁止が行われ、一年以上も家族と会えない期間を過ごしている。
子どもの一年が尊いのと同じように、高齢者の一年も尊い。
「とにかくコロナだけでは死なせてはならない。他の病気ならいいけど」
そんな対応にも私にはみえる。
ご高齢の方たちにとって子どもや孫、友人と過ごすことはどれほど尊く、それ自体が豊かな時間になるのに。
高齢者の幸せと残り少なくなった時間は、名もなき施設職員によっていとも簡単に奪われる。


同じことは障害者施設でもいえるのではないだろうか。
いま、全国にある施設の中で、どれほどの施設が、利用者たちが「移動の自由」「営業の自由」「学ぶ自由」が守られているのだろう。
というか、これはコロナ騒動の前から指摘されていたことである。
彼らは自由に買い物や遊びに出かけることはできない。
移動介護を担当する職員の都合によって決められる。
特別支援学校を卒業した子は、それだけで就職の幅が狭くなる。
ましてや、就労支援を利用しようもんなら、福祉の枠から飛びだすことは難しくなる。
特別支援学級も、支援学校も、教科書すら配られないこともある。
小学校6年間、ずっとひらがなの練習なんてこともざらであり、中学、高校と進めば、「就労のために」といって教科学習の時間は減らされ、作業学習中心になっていく。


そう考えると、特別支援の世界は、ずっと非常事態なのかもしれない。
誰一人、彼らの権利や自由が奪われていることを訴えない。
しかも、保護者すらそれを望んでいるように、また自ら我が子の権利や自由を差し出しているようにも私には見える。
本当は彼らの学ぶ権利を主張すべきなのに、「社会に理解してほしい」、問題があれば「社会の理解」「支援者、先生の力が足りない」と外にのみ原因を見ようとする。
常に悪いのは自分以外の誰か。
まるで「気の弛み」と非科学的な感染理由を主張しているバカなコメンテーターと専門家のよう。
マスク警察は、「あのうちの子、療育やめたんだって」「普通級に転籍したんだって」「どうせ崩れて戻ってくる」と後ろ指さすママ友か。
衝立のみは、先取りアクリル板で良かったかも。


私は依頼があれば、全国どこへでも自由に移動し、仕事をしている。
子ども時代の、とくに神経発達が盛んな時期の時間はとても貴重である。
その時間をより良いものにするために、彼らの発達を守るためにできることを続けていこうと思う。
もし私が雇われの身なら、もし私自身が怖がりだったのなら、役割を果たすことができなかっただろう。
そして何よりも、今のように仕事の依頼は来なかったはずである。
この保身の国で商売をするには、「怖がりではない」ことが優位に働く。
この「怖がりではない」というのは、愛着の土台とリスクを判断できる感覚、そして選択と行動の主体である身体が育っていることが重要である。
これはそのまま発達援助の基本であり、発達障害の人たちがクリアすべき課題でもある。
まさに発達援助は子育てで、子育ては発達援助。


スウェーデンの死生観は、裏を返せば、よりよく主体的に自分の人生を歩むことの決意だといえる。
そのような決意がないから、その場しのぎに明け暮れる。
だから、一つの県が緊急事態宣言を要請すれば、「うちのところも」と自分のところの状況判断をすっ飛ばし他県が追随する。
特別支援も同じように、その場しのぎをしているから、問題の根っこが解決せず、時間と場所が変わってぶり返す。
結局、「今、落ち着くこと」「私が担当している間、問題が起きないこと」それがメインで進んでいるからだろう。


誰も、この子の将来の幸せについて語らない。
堂々と語られるのは悲観的な未来の姿である。
専門家と称される人たちも、こぞって「2週間後の日本はN.Y。3週間後はミラノ」「来月には目を覆うようなことになる」と言うように、「思春期になれば崩れ、二次障害を起こし、生涯支援を必要する」と不安を煽る。
なぜ、視覚支援しているのか、賞罰で行動を変容させているのか、絵に描いた餅で社会性を教えようとしているのか、誰も答えることができない。
だって、一方では自分たちで不安を煽っているから。


発達障害を治すのは目的ではない、治すのは子ども達に主体的に、より良い人生を歩んでほしいからだ。
平気で他人の自由と権利を奪う社会、大人から自分の人生を守るために。




2021年4月16日金曜日

【No.1159】改めて『原始反射』について

2年前くらいからだったと思いますが、産婦人科、小児科、乳幼児健診に関わる本や情報を集め、勉強していました。
たぶん、その勉強の量が一定に達したのでしょう。
今年に入ってからは未診断の子ども達だけではなく、1歳代の子ども達の発達相談が続けてくるようになりました。
個人事業ながらも、事業を起こしてから経営や経営者その人に注目し学び始めると、「適当な人のところに仕事はやってくる」というように感じます。
先ほども、1歳代のお子さんのご家族から依頼がありましたので、これからも当分、続きそうです。


この頃、続いていることと言えば、「原始反射」に関する相談が増えています。
栄養療法が落ちついたように感じていたので、また原始反射のブームがやってきたか、それに関する支援者・療法が生まれたのか、などと思うのでした。


「我が子に原始反射がある、ゆえに原始反射を統合するエクササイズをすれば、今の課題が解決できる」と思うのは自由ですが、あまりにも浅はかな考えだと思います。
それは「自閉症は視覚優位だから視覚支援していればOK」と同質です。
問題の本質が見えていないと言えるでしょう。
もっとも大事なのは、「なぜ、原始反射が残っているか?」です。


原始反射は胎児期から生後1年くらいに出現し、消失するものです。
じゃあ、なぜ、ヒトは原始反射が必要なのかといえば、未成熟で生まれてくる胎児、乳児が生き延びるため。
そもそも大脳、中枢神経が育つまでの、端的に言えば意識して運動ができるようになるまでの反射なのです。
(大脳を介さず)脊髄や脳幹に伝わり、無意識に筋肉などが動きます。


ということは、単にその動きだけに注目し、アプローチしてもダメ。
もちろん、ある程度、大きくなってからは、その動きだけを取り上げ、繰り返し、統合を目指すことは有効だといえますが、特に就学前の子ども達でいえば、そこじゃないし、そもそもその年代の子ども達にエクササイズをさせようというのが、(定型・ヒトの)発達を理解していない証拠。


結局、認知の部分、人間脳の部分が育っていないから、原始反射が残っているのです。
あとは、中枢神経の繋がりが悪くて、認知と運動が途切れてしまっているから別々に運動しちゃっている。
つまり、原始反射のみに注目していても課題は解決できず、やはり全体的な発達を目指すことが中心なのです。
「発達のヌケを育て直す」
「発達の遅れ、未発達を育てる」
発達のヌケが埋まり、人間脳、認知の部分まで育っていけば、意識して身体を動かせるようになるのです。
認知の部分が育っていない子に、いくら統合のエクササイズをしても、それは特定の運動のパターン学習にしかなりません。


「口周辺に何かが当たると、自然とそちらの方を向いてしまう」というのは、そのものが何であるか、を認識できるだけの感覚、脳が育っていないのです。
突然の刺激に身体が勝手にびっくりするのも、予測、周囲の状況判断、適切な刺激の受け取り方が育っていないから。
刺激によって身体がクネクネしちゃうのは、運動発達のヌケ、背骨&背面の未発達。


このように背景にはいろいろなヌケと未発達がありますので、やはり全体的な発達を目指していくことが大事です。
どうしても「〇〇エクササイズ」みたいなのには魅力がありますが、発達って1対1対応にはなっていません。
親御さんはよく「気が付いたら育っていた」「治っていた」「解決していた」とおっしゃいますが、それが自然な発達の姿です。
神経ネットワークというように神経は無数につながっていますので、ある特定の機能、神経をとりだして育てようとするのは無理な話。
特に原始反射を卒業するには、意識のレベルを育てる必要があり、そこに到達するためには原始的な脳の部分、つまり土台から育てていかなければなりませんね。




2021年4月14日水曜日

【No.1158】保身列島ニッポン

道内でもワクチン(?)、新薬(?)の摂取が始まり、高齢者施設での様子が伝えられていました。
摂取したご高齢の方が「これで安心しました」と言っていましたが、その"安心"とは何をもっておっしゃっているのか。
たぶん、2019年まで長い間、mRNAワクチンが認可されなかったという事実も、長期的な効果と副反応についてはまだ明らかになっていないということも知っているわけではなく、ただ施設職員や病院関係者、またマイクを向けてきた人たちから「ああ、よかったね、安心だね、おばあちゃん」と言われたのを素直に受け取り、純粋に「これで安心しました」とコメントしていたのでしょう。


たまたまテレビをつけると、「ワクチンが足りない」と叫んでいるコメンテーターが出ていました。
いつから日本は、「自分さえ良ければそれでいい」というような人間を生むようになったのでしょうか。
どう考えても、欧米に比べればさざ波程度、誤差程度でしかない波と陽性者数なのですから、他国で作ったものを優先して持ってくる必要はないでしょう。
欧米からすれば、また途上国からすれば、「日本よりも我々だろう」と思うはず。
私がこの国の指導者なら、「どうぞお先に使ってください」とワクチンを本当に必要な国に渡します。
それこそ、ワクチン外交ってやつです。


国内の利権争いで勝手に自分たちで医療崩壊を起こそうとしていて、その一方で他国よりも先にとワクチンをもってこようとする。
しかも、その利権争いの中心が、「発熱者はお断り」などと病院の扉に貼る始末。
病気で苦しんでいる人がいるのに、自分がかかったら困るからと患者さんを診ない、なんてことはあり得るのでしょうか。
そんなんだったら「医者を辞めてしまえ」と思うのです。
たとえ自分が病気にかかる危険性があったとしても、患者さんを救おうとするのが医学を志した人間の務めだと思うのです。


学校の一番の目的は、子ども達の学びと成長をサポートすることだと思います。
それがいつの間にか、「子どもの命が大事」とそれらしいことを言い、マスクを強要しているのです。
19歳以下で一人も死者が出ていない病気で、全国2100万人くらいの子ども達、若者たちがもう1年以上も脳神経に悪影響を及ぼす酸欠状態で日に何時間も過ごしている。
神経発達に問題が生じる子ども達は2020年を機に、また増加の一途を辿るでしょう。
それも子ども達の成長を保障すべき学校が後押ししているのです。
「マスクを任意にすると、する子としない子がいて…」が学校の常套句になっています。
これは学校が平等の意味をはき違えている証拠。
平等とは皆が同じ条件、状態になることではなく、それぞれに合った方法を取捨選択できる自由を保障することです。
ただ管理しやすいように、ただクレーマー対策のために、もっといえば、保身のために「一律〇〇」としているだけを「平等」と言ってほしくない。
コロナ騒動を経験し、日本に特別支援教育の理念は根付かないし、実現は不可能だと私は悟りました。


学校同様、子どもの発達を守るべき存在である小児科の医師からぜんぜん声が上がってこないのはどうしてでしょうか。
何度か小児科の組織から声明が出されましたが、そば屋の出前状態で、一向に実物のそばがやってこない。
ただ声明を出すだけではなく、周知徹底できるように啓発しないんでどうするんです。
結局、あんたたちも保身で仕事をやっているのか、と思ってしまいます。


そして日頃、発達障害を専門にしている医師、支援者たち。
この一年間で何をしていたのか。
まったくもって存在感がありませんでした。
やったことといえば、あいも変わらず、決まり切った支援方法のレクチャーと、惰性でやっている青いお祭りくらい。
専門にしているのが「神経発達症」の子ども達なのですから、神経発達の観点からコロナ騒動が及ぼす発達の影響を訴えることができたのに、と思う一方で、やっぱり「神経発達症」と捉えていないから、「自分たちには関係がない」というスタンスなんだと感じます。
手の洗い方の手順書??
家での過ごし方の構造化??
神経発達に注目できない専門家たちに、そもそもが神経発達症の子ども達の課題を解決するアイディアも、知見もなく、期待するだけ無駄だということです。


国民に安心を与えるべきトップが、一年中、不安を煽っています。
専門家は客観的なデータよりも、自己顕示欲にまみれた個人的な意見を述べ、医師は患者を診ることを拒否し、マスコミは切り貼りした情報を垂れ流す。
この日本に、自らの職責を果たそうとする人間、たとえ批判にさらされたとしても真実を伝えようとする人間、我が身よりも世の中全体の幸福のために行動できる人間はいなくなってしまったのでしょうか。


外でマスクをして歩いている高齢者に、「すれ違っただけでうつることはない」というのを伝えてあげる人はいないのか。
あんなペラペラのマスク一枚で得られる安心とはなんだろうか。
そんなものにすがることでしか生きられないほど、この社会の大人たちはだらしないのか、考える力がないのか、と改めて思うのです。


ヒトはいずれ死にます。
長く生きてもたかだか100年くらいなものです。
そうやって700万年の間、ヒトは生まれ死んでいった。
だからこそ、次の世代に何を残すか、少しでもより良いものを渡していけるか、が重要になってくるのだと思います。
自分の仕事を全うするということは、まさに次の世代により良いものを残すための務め。
子ども達はその未来そのものなのですから、発達・成長・命を守るために闘える大人たちがもっと増えなければならないと思います。
そのためには、まず大人たちが学び、考え、行動できるようになる必要がある。
ですから、これからもこの仕事を続けている限り、子ども達のポジティブな変化のための後押しと、特に親御さん一人ひとりが闘っていけるための情報提供を続けていきたいと考えています。




2021年4月4日日曜日

福岡出張について(5月14日~16日)

*すべての訪問予定が決定しました。どうもありがとうございました。

5月14日から3泊4日で福岡に伺うことになりました。


【予定】
5月14日(金)訪問宅決定!
5月15日(土)訪問宅決定! / 訪問宅決定!
5月16日(日)訪問宅決定! / 訪問宅決定!


既にひと家族のお申し込みがありましたので、残りは最大で4家族です。
もしこの機会に発達相談を受けたい方がいらっしゃいましたら、お申し込みください。
先着順で4家族が決まり次第、募集は締め切らせていただきます。
*4月5日15:30現在、3家族の訪問が決定しました。
*4月7日15:00現在、4家族の訪問が決定しました。残りひと家族です。


詳細を確認したい方は【出張相談問い合わせ】と件名に書き、お問い合わせいただければ、ご説明いたします。
出張相談についての内容は、てらっこ塾ホームページをご覧ください。
ご依頼&お問い合わせ先:メールアドレス


どうぞよろしくお願い致します!


2021年4月2日金曜日

【No.1157】開業9年目を迎えて

昨日で丸8年が経ち、今日からは開業9年目に突入します。
開業当初は学生時代、施設職員時代に繋がりがあった方達の依頼が中心で、そこから不登校やひきこもり、大学内での相談など、既存の支援の枠に当てはまらない方達の依頼へと変わりました。
それから4年目を過ぎたあたりから、どんどん低年齢化が進み、幼児さんから小学生の子の相談がググッと増えてきました。
そして今は未診断の子どもさんからの依頼が増えてきています。
たった8年間ではありましたが、このような変化がありました。
この変化は社会のニーズの変化だと思います。


ですから9年目のテーマは、「家庭の子育ての中に、発達援助の視点を!」に決定しました。
診断を受ける前に、「あ、ちょっと発達が遅れてきたかも、遅れてるかも」と親御さんが気づいたときに、力になれるような存在になりたいと思います。
子どもさんが小さいということは、親御さんも親になってまだ数年しか経っていないわけです。
そのような親御さん達に発達援助の視点をお伝えすることで、子育てと子どもの発達・成長をより楽しめるように、そして親御さん自身がその家族の子育てのスタイルを確立していけるように、お手伝いしていきたいと考えています。


ありがたいことに、既に遠方のご家族からも出張相談のご依頼をいただいております。
ただ私もまだ小さい子達がいて共働き世帯なので、新年度の日程を調整している最中です。
日程の調整ができ次第、既に正式な依頼をいただいているご家族には連絡差し上げます。
その後、「〇月〇日から、〇〇地方へ出張します」と皆さまにもブログ等でアナウンスをする予定です。
ちなみに「たとえ私達ひと家族の依頼になったとしてもお願いしたい」とおっしゃってくださっているご家族は、福岡と東京にお住まいの方ですので、こちらには出張するつもりでいます。


先ほど、ラジオ配信のほうでも9年目のテーマと皆さまへの感謝の気持ちを述べさせていただきました。
よろしければ、こちらも聴いてみてください。
ラジオ配信『てらっこ塾 大久保の【発達援助のこころ】』ではお便りも募集しています。
改めまして9年目も、どうぞよろしくお願い申し上げます!


2021年4月2日 てらっこ塾 大久保悠