2022年7月30日土曜日

【No.1294】「8歳までに治らなければ」

脳科学者の澤口氏は、「8歳までに治す」「8歳以降は治らない」と著書の中で主張されています。
確かに神経発達が盛んなのはそのくらいまでの年代ですし、8歳以降、神経発達のスピード、育ちきるまでの時間が長くなっていくのを感じます。
ですが、8歳以降治らないかといえば、そうではないと私は思います。


私が直接かかわった方で、治った記録、最年長は50代のお姉さんです。
もちろん、時間は年単位で掛かりましたが、生活を見直し、環境と身体を整え、コツコツと続けていった結果、それまでの課題が解決し、「充実した毎日を過ごせています」とおっしゃっていました。
昨日も、20代の方からメールがあり、「お蔭さまで、片づけができるようになりました」「仕事上のマルチタスクができるようになりました」という報告をいただいたところです。
ですから、子ども時代と比べれば、何倍も時間がかかりますが、大人になっても「治る」を実感できるわけです。
50代のお姉さんに比べれば、今の子ども達はまだ人生始まったばっかり。
「治る」を諦める理由はありませんね。


ただ実際、「8歳までに治らなければならない」と思っている人もいますね。
だけれども、そういった人たちも、敢えて引き離そうとしているアンチを除いて、8歳を過ぎたら本当に治らないとは思っていないはずです。
もし本気で8歳がリミットだと思っているのなら、それは知らないだけか、澤口信者(笑)
みんなわかっているけれども、そうやって言っているのは、保険をかけているんですね。
もし取り組みを行っても治っていかなかったとき、それは「8歳を過ぎたから」「8歳より前に始めなかったから」と自分の外に責任をおくことができる。
コロナ騒動を見ても分かりますが、世の中の多数派は「自分のせい」を過度に恐れている。
それは不安の裏返しでもありますし。
本来、ヒトの保育は共同保育ですので、今のようなワンオペ、夫婦だけの育児で不安を感じないほうが珍しい。
だから、そういった人を責めちゃダメ(笑)


「8歳までに治らなければ」というのは、別の言い方をすれば、まだ発達援助の準備が整っていないということ。
親御さんが不安に思うことが問題なのではなく、その不安を解消できないことが問題なのです。
だから、私は全国どこでも家庭に伺い、顔と顔を合わせて、時間と場所を共有し、親御さんが主体的に行っていける子育て、発達援助の準備をお手伝いしているのです。
不安は我が子のことだったり、未来のことだったり、親御さん自身の課題だったり。
実際に発達相談を受けた方は分かると思いますが、子どもさんのこと以上に、親御さんの課題、発達についてお話ししていますよね(笑)


私は常々、今診断を受けている子の90%は誤診、と言っています。
ただその時点で発達が遅れているだけ、発達のヌケがあるだけ、そもそも発達がゆっくり、環境側の要因によって発達が阻害されているだけ、という場合が大多数だといえます。
そういった子ども達は、年齢に関係なく、その根っこが解決できれば、本来の発達の流れに戻っていけます。
この戻った状態を「治った」というのは、個人的に微妙だと思いますが、ほとんどの子ども達はちゃんと根っこから育てれば治っていきます。


一方で10%の子ども達は、8歳を過ぎても発達の凸凹があれば、一般の人達がイメージするような「普通の人になる」という意味での治ったは難しいと感じます。
学生時代を含めれば、この世界に入って20年以上になりますが、自立していった人達を見ても、凸凹は残ったまま、ということばかりです。
完全に治ったから自立というよりも、凸凹を抱えたままでの自立という感じ。
周囲から見れば、変わった人に見えるけれども、子ども時代から見れば、発達の課題は解決していて、本人の実感では「生きやすくなった」。
発達相談の場面でも、親御さん自身に発達の凸凹があることも少なくありません。
だけれども、こうやって家庭を持ち、自立した生活を送っている。


しかし90%に入る子ども達にも、8歳を過ぎると治りづらい子がいます。
それは特殊な環境に脳と身体が適応してしまった子です。
ひと言でいえば、早期診断&療育の弊害。
誤診→特殊な環境(自然な刺激の制限)→脳が歪む。
こういった子ども達の場合、8歳までには生まれ出た環境への適応がひとまず完了するので、パーテーションで区切られた部屋、絵によるコミュニケーション、同世代の子ども達との触れ合いの欠如、過度なメディア視聴などが、その子にとっての当たり前の環境になり、脳がそれに適応してしまうのです。
そういった状態から、自然な空間、自然な人とのコミュニケーション、人との関わり合いに脳を戻そうとしても、なかなか難しい。
特殊な環境に対する適応によって障害者っぽくなっている子は少なくありません。
作られた障害者は治すのが難しく、それも環境に順応し終わった8歳を過ぎると大変になっていきます。
過剰な感染対策によって作られた障害児たちも、8歳を過ぎると元に戻るのは難しくなっていくでしょう。


端から治そうと思っていないし、治ると思っていない人は、「8歳までに治さなきゃ」とは言わないはずです。
大事なのは「8歳までに」と言っている親御さんが何に対して不安を感じ、どういった課題を持っているかだと思います。
親御さんだって一人ひとり違いますし、置かれた状況も違います、腹落ちするまでの時間も。
せっかく我が子に「治ってほしい」「治る道はないかな」と同じ想いを持っているのですから、私は応援したいと思います。
我が子とかは関係なく、同じ時代を生きている子ども達、次の社会を担っていく子ども達が一人でも多く治るというのは嬉しいことでしょ。
実際、発達相談でも同じようなことをおっしゃる方も少なくありませんが、焦りの根っこは別にあり、対話を通して腹落ちしたら、どんと構えてお子さんの発達の後押しができるようになっていくものです。


まとめますと、90%の子だろうが、10%の子だろうが、いつからでも治していけるし、いわゆる普通の人みたいにならなかったとしても、一つでも課題がクリアされれば、その子の明日は生きやすくなり、より豊かなものに変わっていけます。
成人した人達は課題がクリアし、治っていると実感できたとき、みなさん、このようなことをおっしゃいます。
「治って初めて自分がどれだけ大変な状態だったかと実感できた」
「治ったら、世の中の見え方がこんなにも変わるのかと思った」
「これからの自分の生活、人生が楽しみです!」
治って後悔する人に出会ったことはありませんね。
治ることを目指すのに遅すぎる人にも出会ったことがありませんよ。
大丈夫、今日から始めても遅くはありませんし、手遅れもないのです。




【福岡・九州出張のお知らせ】
8月25~28日の日程で福岡に行きます。
26日(金)は福岡を中心に、27日(土)はご希望があれば、福岡県内にこだわらずお受けしようと思っています。
もしこの機会に発達相談をご希望される方がいらっしゃいましたら、お問い合わせください。
内容はこちらのブログでご確認ください。


2022年7月28日木曜日

【No.1293】触れることで我が子と繋がる

学生時代、木曜日の夕方は決まって盲学校にいました。
生徒さんの放課後の活動、マラソン伴走のボランティアです。
お互いが一つの輪っかを手に持ち、その状態で走りだすのですが、最初は息を合わせるのが大変。
どうしても目が見える私は、視覚に頼ってしまい、生徒さんの動きを確認しながら走るペースを調整します。
が、それだと走りづらいんですね、生徒さんのほうが。
自分の動きを見られているのも感じるらしく、私が合わせようとする行為自体が却ってぎこちなさを生みます。


盲学校のボランティアは3年間続けました。
その中で、いつしか生徒さんの動きを見ないほうが、どのように走りたいのか、わかることに気がつきました。
視覚ではなく、手に持っている輪っかに意識を向ければいい。
その持ち方、力の入れ方、そして息づかいまでをもが一つの輪っかを通して私の手に伝わってくる。


手というか、触れることは、相手の感情、内側との繋がりを生む。
子どもと手をつなげば、その子がどちらに行きたいのか、どんな気持ちなのかが伝わってくる。
「病院、へっちゃら」と言っても、その手に力が入っていれば、その手に汗を感じれば、言葉とは違った感情を知ることができる。
「ママ嫌い」と言っても、その手に柔らかさや温かさ、ギュッと指を握ってくる感じがあれば、子どもからの愛を感じることができる。
だから、触れる、触れ合うという行為は、相手を知るためのコミュニケーション、やりとりでもある。


私はもっと親子で触れ合いの機会を持った方が良いと思っています。
スキンシップは小さいときだけ、というのが日本的な考え方、文化なのでしょうが、それにしても親子の触れ合いが少なすぎるような気がします。
特に胎児期から2歳前後の間に発達のヌケを持つことが多い発達障害の子ども達には、その触れ合いがとても重要です。
視力の発達から言っても、2歳くらいまでは視覚よりもその他の感覚のほうが先に機能していて、手や足、皮膚を通した感覚刺激が発達の土台を培っていくといえるのです。
皆さんが行っている金魚体操も、意識は揺らす、揺れるに向かいがちですが、本当はその手で子どもさんの足に触れることのほうが意味深いこともあるような気がします。
この時期の愛着形成に関しても、目や耳、モノや言葉ではなく、やはり肌と肌とが触れ合うことで培われていきますね。


親御さんだけではなく、支援者の中にも、子ども達が感じている快・不快が「わからない」とおっしゃる人は少なくありません。
たぶん、その多くは目で見て快・不快を感じようとしているからだと思います。
ですから、「楽しそうにやっているから」という理由で、それが快であると判断してしまう。
でも、子どもさんによっては、やることがないからやっている子もいるし、そのようにやれと教わったからやっている子もいる。
本当に快か、不快かは、見ただけでは分からないものです。


日々、親子での触れ合いがあれば、「触れるようにして見る」ことができるようになるものです。
私達支援者は、他人ですので、安易に子どもさんに触れることはできません。
だから、「触れるようにして見る」を訓練し、身につけていきます。
だけれども、親子なら自然に触れ合えるのですから、その触れ合いを通して子どもの内側と繋がり、その体験の積み重ねが見ただけで、まるで触れているかのように感じられるようになるのです。
難しい訓練も必要なく、ただ純粋に我が子を抱きしめ、触れ合いさえすれば良い。


そうはいっても、親御さんによっては、ご自身が「触れる」ことが苦手な人もいます。
触れて相手の内側を感じられないというのは、自分自身が子ども時代、親から触れられた経験が少ないから。
または自分の親に抱きしめてもらいたかった想いを無意識下に追いやった結果、なんだかわからないけれども、子どもに触れたくない、子どもに触れる行為自体がぎこちない、違和感がある、そもそも触れたいとは思わない、という状態になっている人もいるように感じます。


視覚に偏った生活をしていると、首から下の感覚が乏しくなっていくものです。
それもまた我が子との触れ合いを妨げる原因の一つになるでしょう。
快・不快も、治ったという感覚も、目で見ただけではわからない。
当然、ネットや本にも、それがどういった状態なのか、どうなったらそうだといえるのか、記されているわけでもありません。
そもそもが同じ身体の子はいないのですから。
個別に感じ撮るしかないのです。


やっぱり自分の身体を通して感じること。
そのためには親御さん自身の身体を整え、ヒトとして、動物として本来の感覚を撮り戻していく必要があると思います。
そして日々、我が子に触れ、我が子の内側と自分とが繋がっていることが大事。
この夏、外遊びも大切ですが、子ども達との触れ合いも大切にしていただければと思います。




【福岡出張のお知らせ】
8月25~28日の日程で福岡に行きます。
もしこの機会に発達相談をご希望される方がいらっしゃいましたら、お問い合わせください。
内容は一つ前のブログでご確認ください。


2022年7月26日火曜日

【No.1292】『身体アプローチ』という言葉がフラフラと歩き出したように感じる

『身体アプローチ』という言葉は、しっかり市民権を得ましたね。
5年前までは、そのような言葉もなかったですよ。
今みたいに多くの人が「身体アプローチ」を使い、しかも花風社クラスタ―と思われないような人達までもがフツーに使っている様子を見ると、たった5年くらいの月日ではありますが、ハッタツの世界も大きな変化が起きたのだと思います。
こういったものは、そのときは感じないもので、後から振り返ると、「おお、革命的な出来事だったんだな」「あれが分かれ道だったんだな」とわかるものです。


そもそも『身体アプローチ』とは、身体から整え、育てていくことで、発達障害の課題を解決していこう、という話だったと思います。
長年といいますか、始まりが発達障害を持った人たちの身体的な不具合をどうにかしたい、というところから花風社さんの出版活動ですから、身体への働きかけが中心だったといえます。
そして2013年より脳の機能障害から神経発達症になり、その神経は全身に張り巡らされていることからも、約20年間、花風社さんが提言し続けられてきた身体面からの働きかけの有効性が明らかになったのです。


で、それ以降、『身体アプローチ』という言葉が定着し始めました。
薬や療育、支援ではなく、頭の表面、大脳皮質に働きかけるSSTやナントカトレなどのアプローチではなく、運動や遊び、感覚への刺激を通して働きかけていく。
シンプルに言ってしまえば、旧来の療育の対比としての身体アプローチだったと思います。
それは治らない特別支援と、治る花風社クラスターという意味合いもあったでしょう。
治すを目指すなら、身体アプローチみたいな。


言葉は生き物です。
時間の経過とともに、使う人たちの捉え方によって、どんどん意味が変わっていきます。
コロナ騒動を2年あまり行っている間、2019年まで偉そうにしていた発達障害の専門家たち、支援者たちがみんないなくなってしまいました。
というか、いなくても困らないことが親御さん達にはわかったのでしょう。
ですから、旧来の療育&支援、治らない信仰の人達、生まれつきの障害説と対比としての身体アプローチの図式が崩壊。
ここ数年、まったく公的な療育や支援を受けずに、直接、私のところに相談があり、その後、そのまま家庭で治っちゃった子が珍しくなくなりました。
そこで身体アプローチが一つの方略へと変化した。
「うちは栄養療法と身体アプローチやってます」とおっしゃる親御さんが増えたのは、その表れだといえます。


で、ここからが本題で(相変わらず前段が長いww)、身体アプローチの概念の広がりが誤解を招いているようにこの頃、感じるのです。
発達に遅れがあり治そうとすると、多くの親御さんは栄養を整え、遊びや運動など身体面からの働きかけを行います。
栄養に関しては副作用、副次的な問題もありますが、遊びや運動、身体への働きかけにはほぼ副作用なしといえます。
ですから、身体への働きかけはどんどん行ってもらいたいのですが、身体アプローチをしたからって、すべてが治るわけではありません。


身体からアプローチして効果があるのは、主に運動発達のヌケ(ハイハイを飛ばしたなど)、感覚系の未発達、原始反射の統合、脳の分化、身体のバランスを整える、胎児期から乳幼児期の愛着形成といった感じでしょう。
裏を返せば、それ以外が原因になっている発達障害は効果が期待できない。
テレビやタブレット、早期教育の結果、脳が歪んだ場合、まずやらなければならないのは、スイッチを消すこと。
夫婦の考え方の不一致、不仲が伸びやかな発達を阻害しているのなら、まずは夫婦で話し合い、理解を深めることをやらなければなりません。
親子で似た特性があり、祖父母の代にも同じような人がいれば、そこは身体から働きかけるよりも、どうやってその特性のポジティブな面を伸ばしていくかを考える必要があります。
子どもの愛着障害を治す前に、親御さん自らの愛着障害を治す必要があるのも同じでしょう。


「自閉症、発達障害は生まれつきの障害」というのは童話の世界です。
「脳の機能障害」というのは、「気の弛みで感染爆発」というくらい非科学的で専門家側に都合よく作られた話。
そこから、自閉症、発達障害の人たちの身体に注目し、身体面からアプローチして治していこう、とより実態にあった、というかやっと当事者の視点に立った話が出てきたので、とても素晴らしいことだと思います。
だけれども、また当事者目線のアプローチから離れようとしているのが、私が気になっているところです。
正直、身体アプローチが一つの療法、方略の一つになってはいけないと思う。
療法、方略になったら、やる側とやられる側ができちゃうでしょ。
療法、方略になったら、アセスメントが荒くなり、その療法、方略側に本人を合わせようとしちゃうでしょ。


今まで数々の療法、方略が生まれては消え、を繰り返してきたのを見てきた私からすれば、身体アプローチの誤解がせっかく良かった理念、今までにはなかった当事者の視点に立った"後押し"をも消してしまうのではないかと思うのです。
「発達に遅れがあった→じゃあ、身体アプローチ」では治りません。
なぜ、発達に遅れが出たのか、そこに目を向けない限り、根っこから解決はできませんし、何よりも身体アプローチを"やらされて"しまう子ども達が出てきてしまいます。


身体面からアプローチしていく支援者が増えましたが、じゃあ、全員が全員、治るための知見を持っているか、もっといえば、ちゃんとアセスメントができるか、課題の根っこを掴めるか、といえば、話は違います。
どうも、身体からアプローチしていれば、すべてが良い、効果があると思っている人がいるようにも感じます、支援者側も親御さん側も。
身体からアプローチしても、そこが課題の根っこじゃなければ、解決していかない。
とにかく「発達障害児は、運動やらせて、栄養を盛って」というのは、「自閉症だから視覚支援」「問題行動にはABA」と同じ構造でしょ。
アセスメントも、クソもなく、ただ診断名でアプローチを決める。
まるで自動販売機のような療育、子育て。
「うちは身体アプローチやってます」という児発、児童デイの看板。
「冷やし中華始めました」を連想するのは私だけ(笑)


発達障害を持った人達が抱える身体的な不具合を想像することが大事で、そこを改善、解決するための働きかけが身体面からのアプローチになる、ということ。
同時に現在の発達障害は、90%が環境側の要因によって作られたものだと感じますので、身体アプローチの前に、発達を阻害している環境要因を取り除くことがまずやらなくてはならないことです。
「発達障害児には身体アプローチ♬」ではなく、「こういった身体的な不具合、課題があるから、身体面から働きかけるのが良い」という話ができるのが理想です。
私は「身体アプローチの人」ではなく(笑)、課題の根っこを辿り、どういった子育てが発達の後押しになるかをご家族と一緒に考える人、基本的に家庭支援が私の仕事。
なので、子どもさんが変わることよりも、親御さんに変わってもらうことを目指しているのです。
一見さんお断りではなく、一見さんこそ、ウエルカムです!




☆『医者が教えてくれない発達障害の治り方』のご紹介☆

まえがき(浅見淳子)

第一章 診断されると本当にいいことあるの?
〇医者は誤ることはあるけど謝ることはない
〇早期診断→特別支援教育のオススメルートは基本片道切符
〇八歳までは障害名(仮)でよいはず
〇その遅れは八歳以降も続きますか?
〇未発達とは、何が育っていないのか?
〇就学先は五歳~六歳の発達状況で決められてしまうという現実
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのメリット
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのデメリット
〇療育や支援とつながるほど、子育ての時間は減る

第二章 親心活用のススメ
〇親子遊びはたしかに、発達に結びつく
〇変わりゆく発達凸凹のお子さんを持つ家庭の姿
〇学校は頼りにならないと知っておこう
〇安定した土台は生活の中でしか作れない
〇支援者が行うアセスメントには、実はあまり意味がない
〇親が求めているのは「よりよくなるための手がかり」のはず
〇人間は主観の中で生きていく
〇専門家との関係性より親子の関係性の方が大事
〇支援者の粗探しから子どもを守ろう
〇圧倒的な情報量を持っているのは支援者ではなく親

第三章 親心活用アセスメントこそ効果的
〇子育ての世界へ戻ろう
〇その子のペースで遊ぶことの大切さ
〇「発達のヌケ」を見抜けるのは誰か?
〇いわゆる代替療法に手を出してはいけないのか
〇家庭でのアセスメントの利点
1.発達段階が正確にわかる
2.親の観察眼を養える
3.本人のニーズがわかる
4.利点まとめ
〇家庭で子どもの何をみればいいのか
1.発達段階
2.キャラクター
3.流れ
4.親子のニーズの不一致に気を付けよう

第四章 「我が子の強み」をどう発見し、活かすか
〇支援と発達援助、どちらを望んでいますか?
〇子ども自身が自分を育てる方法を知っている
〇親に余裕がないと「トレーニング」になってしまう
〇それぞれの家庭らしさをどう見つけるか
〇親から受け継いだものを大切に、自分に自信を持とう

あとがき(大久保悠)


『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』をどうぞよろしくお願い致します(花風社さんのHPからご購入いただけます)。全国の書店でも購入できます!ご購入して頂いた皆さまのおかげで二刷になりましたm(__)m


2022年7月22日金曜日

【No.1291】ヒトという動物としての躍動した発達を

人というのは、つくづく「外のことはよくわかるんだな」と思いますね。
裏を返せば、自分のことはよくわかっていない。
まあ、わかっていないから、他人のことをズケズケと言えるんだなとも思います。
私の仕事なんて、その最たるもので、ひと様のおうち、お子さんのことだから、客観的に見え、あれこれと言えているんだと思います。
違うのは、その自覚があるかと、他の療育機関、支援者と異なり、忖度&接待をしないところですかね(笑)
妻に訊けば、子ども達に訊けば、理想の父親とは程遠いでしょう。
だからこそ、あまりしゃしゃり出ずに、子ども達の生きる力、伸びる力をただただ信じようと私は思っています。


この仕事を続けていくと、多くの人達と出会います。
そして何よりも自分のことがよく分からないという人間の習性が見えるのです。
私はよく「発達障害のうち、90%以上は誤診」と言っています。
でも、勘の良い人はお気づきの通り、これは「90%以上の人は、環境側の要因によって発達障害に"されている"」と言っているわけです。
もし単純に、本人だけの問題で、本人が抜かした発達とその遅れが原因だとしたら、私が施設を起ち上げて、そこでセッションをすれば良いわけです。
遠方の人なら、一週間から1ヶ月くらい来てもらって、そこで毎日、プログラムをこなしてもらえばいい。
でも実際は、そんな施設を作っても無駄でしょ。


一応、私は日本に3施設しかなかった自閉症児の専門施設にいましたが、いくら専門的なスタッフが24時間、365日、計算されたプログラムを行っても、根本からの改善はできませんでした。
きっと今のような知識があったとしても、治るは無理。
まあ、リアルな自閉症の人、最重度から測定不能の知的障害を持った人、強度行動障害を持った人だったというのもあるけれども、そこまで問題をこじらせ、知的発達が進めなかったのは、本人側というよりも、環境、家族、成育歴の中に問題があるから。
そこから治していくためには、施設では限界があり、やはり家族、成育歴の中に立ち返り、戻っていくしかないのです。


「私は治った側です」というけれども、実際は「治っていないでしょ」と思うことがある。
反対に「私は治っていない側です」というけれども、実際は「治っているでしょ」と思うこともある。
そして「治った」と見える人の中にも、当然、治っていない部分があり、「もう少し行えばもっと治るんだけどな」「治り切ってはないよな」と思うこともあります。
たぶん、これは私が三代にわたる視点で、治ったを見ているからでしょう。


面談をすると、親御さんの中に発達障害の面影を見ることがあります。
このように働き、自立した生活をし、家族を持っているので、世間一般から言えば、治った人だといえるでしょう。
しかし実際には、我が子にも発達の課題が表れ、こうやって子育てに悩まれている。
親御さんの悩む根っこを辿っていけば…
・感覚的に「治った」「成長した」「良い方向に進んでいる」が分からない
・遊び方が分からない
・子どもとの関係性がうまく作れない
・マニュアル通りにはできるんだけれども、アプローチを創意工夫して変化させることができない
・続けることができない
・そもそも自分の身体を自由自在に動かせない
・よって日々の生活で精一杯で子育ては無理
・"愛する"が、"心地良い"が実感としてわからない
・自分の親への恨みが、してほしかったことが、子どもに、自分の子育てに乗り移る


で、これらの問題はどこで生じたかといえば、親御さんの子ども時代、その親御さんが育った環境、さらにいえば、親の親との関係性に始まっている。
親御さんが胎児だった頃から幼少期、子ども時代を通して作られていった問題が、いざ、自分が親になり、子育てとして向き合ったとき、我が子の「発達障害」という形で現れる。
ですから、三代続くといえますし、子どもの発達障害を治していくには、まずは親である自分の課題と向き合い、解決する必要があるのだといえます。
そこでけりをつけておかなければ、目の前にいる子を自立、治ったまで後押しできないし、その次の世代、我が子が親になったとき、自分と同じような状況と向き合うことにもなる。
小さいお子さんの場合、祖父母の方が同席されることもありますが、これを実感しますね。


自分自身の課題、そして我が子に発達が遅れた原因、その要因と向き合うことは、とても辛いことだと思います。
だけれども、大人である私達がそこから逃げてはいけないと思います。
何故なら、今の子ども達だけではなくて、その次の世代にも関わってくるからです。


日本の乳幼児、子ども達の死因で多いのは、先天性の障害・病気でも、不慮の事故でも、ガンでも、自殺でもありません。
この国では、一年間で15万人前後の人工妊娠中絶が行われ、命を失っているのです。
そのほとんどが若年層、10代、20代の若い世代の人。
つまり、妊娠適齢期があり、私達も動物であるということです。
平均寿命が50歳を超えたのは、戦後1950年代になってから。
人類700万年、祖父母の世代までは10代、20代で子を産み、我が子が子を持てる歳まで育った頃に、人は死んでいたのです。
もし妊娠に関する医療技術が向上しているというのなら、今頃、ベビーブームが起きているはずです。


祖父母の世代までは、「元気な子どもを産めるように」と食べ物や運動、姿勢やどういった刺激を受けるかまで、きめ細かく教えられてきたものです。
それが「時代錯誤だ」「人権侵害だ」などと言われますが、ヒトはどう頑張っても動物なのです。
自然の流れから逸脱したとき、動物としての生命に不具合が生じるのは当然の結末。
私達は、食べたいときに食べたいものを食べ、遊びたいときに遊びたいことを行ってきた。
そのときの欲求、欲望のままに生きてきてしまったのではないでしょうか。
そして誰も、それが問題だと、未来に繋がる問題だと教えてくれる大人たちがいなかった。
だから、今の子ども達が苦しんでいるのだと思います。
私達今の子育て世代は被害者でもあり、加害者でもある。


放射能もそうですが、「ただちに」は人体に影響を及ぼさないものです。
しかし、添加物、化学物質、石油由来の薬は、月日をかけて体内に蓄積される。
もちろん、親子の愛着形成の不全さ、トラウマ、脳や身体の歪みは、蓄積の形が思考や行動となって表れる。
だから、「発達障害を治す前に、まずは自分でしょ」と言っているのです。
「流産したあとの次の子は健康な子が生まれる」と言われているのは、体内に溜まった悪い物を全部子どもが持っていってくれるから。
動物としての解毒の形なんですね。
正直、発達障害児における解毒治療というのは、そこじゃないよなって思います。


今までの人生を振り返れば、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、東日本大震災というような大きな出来事がありましたが、今がもっとも不安定な時代だと感じています。
そしてまだ底を打っていない。
本当に大変な時期は、これからやってくると思っています。
ですから、チャンスは今しかない。
特にコロナ騒動で、みんなが「おかしいな」と気がついた今に。
日々生きるだけで精一杯になったら、自分のことを冷静に考え、変わろうと動けはしないはずです。
私達は、子どもに生じた不具合、発達障害という問題を通して、自分自身を顧みて、自分のダメさに向き合う必要があると思います。
大いに反省し、そして我が子と次の世代の子ども達に、動物として、日本人として大事なことを伝えていく責任があります。


「今だけ、カネだけ、自分だけ」で生きてきた戦後生まれの先輩たち。
そんな先輩たちを、GHQの占領政策を、政治家たちを「悪い」「あいつらのせいだ」とののしっても、何も生まれない。
わたしたちには、発達障害を治す責任があるし、これ以上、発達障害の子ども達を生まないように行動していく必要がある。
自分の寿命が尽きるとき、今が時代の分岐点だったと思うことでしょう。
私は発達援助という仕事をしています。
だから、発達援助という仕事を通して、より良い社会と未来を創っていくために行動しなければなりません。


今まで通り、「診断受けて、自分のせいじゃないって安心して、療育に通って、特別支援を受けて、進路指導の先生が勧めてくれる福祉事業所に行って、はい、親としての務めはおしまい」なんて無理。
子どもの発達はお金では買えないという当たり前の現実と向き合わなければなりません。
お金が無くなったとき、もう一度、日本が貧乏になったとき、本当の発達、ヒトという動物としての躍動した発達が起きるのだと思うのです。
そういった意味では、これからやってくる未来が楽しみでもあります。




☆『医者が教えてくれない発達障害の治り方』のご紹介☆

まえがき(浅見淳子)

第一章 診断されると本当にいいことあるの?
〇医者は誤ることはあるけど謝ることはない
〇早期診断→特別支援教育のオススメルートは基本片道切符
〇八歳までは障害名(仮)でよいはず
〇その遅れは八歳以降も続きますか?
〇未発達とは、何が育っていないのか?
〇就学先は五歳~六歳の発達状況で決められてしまうという現実
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのメリット
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのデメリット
〇療育や支援とつながるほど、子育ての時間は減る

第二章 親心活用のススメ
〇親子遊びはたしかに、発達に結びつく
〇変わりゆく発達凸凹のお子さんを持つ家庭の姿
〇学校は頼りにならないと知っておこう
〇安定した土台は生活の中でしか作れない
〇支援者が行うアセスメントには、実はあまり意味がない
〇親が求めているのは「よりよくなるための手がかり」のはず
〇人間は主観の中で生きていく
〇専門家との関係性より親子の関係性の方が大事
〇支援者の粗探しから子どもを守ろう
〇圧倒的な情報量を持っているのは支援者ではなく親

第三章 親心活用アセスメントこそ効果的
〇子育ての世界へ戻ろう
〇その子のペースで遊ぶことの大切さ
〇「発達のヌケ」を見抜けるのは誰か?
〇いわゆる代替療法に手を出してはいけないのか
〇家庭でのアセスメントの利点
1.発達段階が正確にわかる
2.親の観察眼を養える
3.本人のニーズがわかる
4.利点まとめ
〇家庭で子どもの何をみればいいのか
1.発達段階
2.キャラクター
3.流れ
4.親子のニーズの不一致に気を付けよう

第四章 「我が子の強み」をどう発見し、活かすか
〇支援と発達援助、どちらを望んでいますか?
〇子ども自身が自分を育てる方法を知っている
〇親に余裕がないと「トレーニング」になってしまう
〇それぞれの家庭らしさをどう見つけるか
〇親から受け継いだものを大切に、自分に自信を持とう

あとがき(大久保悠)


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2022年7月21日木曜日

【No.1290】子ども達から聞こえてくる「発達障害があって何が悪いんですか?」という声

西洋医学的に言えば、症状や問題を「消す」ことが治療であり、治るになる。
だから、自傷があれば精神安定剤を処方し、眠れないとなれば、睡眠導入剤を使って眠らせる。
その背景や原因は問わない。
とにかくターゲットとなる行動を、たとえ一時的であったとしても消せればOKなわけです。
症候群などという詐欺みたいな診断名を作りだし、チェックリストにいくつ印が付くかで診断が決まるというのも、それを端的に表しているのでしょう。


発達障害の分野においては、創成期からアメリカやイギリスの影響を強く受けていますので、医療はもちろんのこと、福祉、教育においても、西洋医学的な視点に立ち、展開されています。
ですから、療育に行っても、学校に行っても、福祉事業所に行っても、「〇〇ができない」というダメ出しが主になり、そのダメなところをいかに消していくか、少なくしていくかが支援の中心になります。
ハッタツの世界にいればいるほど、子ども達も、親御さん達も病んでいくのはこういった理由があるからです。
ズボンの中に手を入れるのなら、オーバーオールを着せよう。
聴覚過敏があるのなら、イヤーマフを付けよう。
言うことを聞けないのなら、結束バンドを付けて袋をかぶせて連れて行こう、もその流れの中にあると思います。


この「〇〇ができない」という視点に立った支援というのは、とても危険だといえます。
何故なら、「〇〇ができない」という評価が、既に本人ではない他者評価、他者の視点になっているからです。
発達相談を行っていても、「〇〇ができない。どうしたらよいか?」という話題が少なくありません。
で、「"〇〇ができない"というのは、本人がそれができなくて困っていますか?」と尋ねると、言葉に詰まってしまう。
親御さんばかり責めるわけではありませんが、ずっとそういった評価、支援の中にいれば、おのずとそういった思考、視点に立って子どもを見てしまうのかなと思いますし、親御さん自身がそういった育ちをしてきた、されてきた可能性もあります。
そういったご家庭は、症状を消すことができたとしても、根っこから育て、治すことはできない。


私はこの頃、強く思うのですが、「発達障害があって何が悪いんですか?」と叫びたくなることがあるのです。
商業目的で診断名をつけられる。
学校が管理しづらいからといって、特別支援の世界に追いやる。
親が自分の責任を放棄するために、「生まれつきの障害である発達障害」という言葉にすがる。
マスクや過剰な対策、遊びの欠如、長時間のタブレットなど、これは生まれつきでも、発達障害でもなく、ただの人災でしょ、そのように育てた当然の結末でしょ。
大人の都合によって作られた発達障害。
そんなんで診断つけられて、同級生と異なる世界にぶち込まれる子ども達を考えれば、「だったら支援も、療育も、受けなくていいから発達障害のままでいさせてくれ」と彼らは言うのではないでしょうか。


私も含めて、支援者なんてクソだと思います。
子どもは生まれ、日々の生活を送っているだけなのに、「この子には発達の遅れがある」「もう3歳になるのに〇〇ができていない」などと言われて、訳の分からない大人たちが現れる。
そうして今までの日常から非日常、同年代の子ども達とは異なる世界に連れて行かれる。
発達障害って問題なの?
フツーの子ども達が、フツーにやることを奪ってまでも、特別支援の世界に連れて行かないといけないの?
フツーの生活を奪ってまでも、やる意味があるの?
というか、それだけのものを私達は提供できているの?
結局、支援者のカネのためだったり、自己実現のためだったり、愛着障害を埋めるためだったり。
ホントばかみたい、みんなみんな。


自分の人生を振り返っても、できないことだらけでした。
でも、その"できない"を含めて、自分なんだと思う。
それは発達に遅れがある子ども達も一緒でしょ。
言葉が出なくて困っているのは、その子自身じゃなくて、親御さんのほうではないのでしょうか。
言葉が出なくて本人が不幸なのか。
元を辿れば、周囲からの目が、祖父母からの期待が、就学が目の前に迫ってきて、自分自身がダメな親だと思われるなど、親御さん自身が勝手に不幸になっているのではないでしょうか。
そう考えると、親御さんだって、あの憎い医者や支援者、先生たちのように、我が子を「〇〇ができない」という視点でダメ出しをしている。


ダメ出しをする家庭で、子どもさんが伸びやかに育っていけるのでしょうか。
「ハイハイを抜かした。だからハイハイをやらせる」で、ヌケは育ち、埋まっていくのでしょうか。
取り組みを行っているけれども、伸びていかない、育っていかない、治っていかない、というご家庭に伺うと、親子の波長、見ている先が合っていないことが往々にしてあるのです。
端的に言えば、子どもさん自身はハイハイのヌケを育て直そうと思っていない。
というか、そこに不便さを感じていないし、もっといえば、他のことを育てたい、満たしたい。


これまたよくあることですが、夫婦関係が崩れている場合、子どもは発達のほうに意識を向けられないことがあります。
特にお母さんの不安定さに、子どもは敏感に感じるもので、お母さんの危機は自分の危機のように捉えている子もいます。
どうやって子育て、発達援助していくかよりも、まずは夫婦関係の改善、お互いが腹のうちを出し合い、理解を深めていく方が先のこともある。
そうやって夫婦関係のこじれが解けたあと、子どもがハイハイをし始めるといったことはよくあります。


発達障害とは、発達が進んでいけない状況に問題があるのです。
ゆっくりだったとしても、発達が進んでいくのなら、それはいわゆる大器晩成の発達の仕方なだけで、問題ではありませんね。
ゆっくり発達することが問題だというのなら、それはゆっくりであることを認められない、受け止められない周囲の方の問題です。
ですから何故か、育ちが止まる、育っていかないから問題になるのだと思います。
そんなとき、我が子だけに問題があると捉えると、一向に前進していかないことがあります。


多くの子ども達に接していると、彼らにとっては運動発達のヌケ、手先の不器用さ、運動の苦手さ、集団生活の苦手さって、最優先課題ではないんだと思います。
それよりも愛着形成を育てていきたいし、それよりもお母さんには健康で笑顔でいてほしい。
子どもは安心安全が守られ、愛情という土台が満たされるから、発達に向けて動き始める。
栄養療法だって、本人は普段の食事で満足しているうえに、いくら栄養を盛っても、うんちや濃いおしっこになって排出されるだけでしょ。
それで育ってほしい、良くなってほしい、治ってほしいというのは、親のエゴ。
本人が食べたいけれども食べられない、という想いがあり、それを感じた家族が栄養でサポートするのとは全然違う。
子どもは電磁波の影響を取りたいから海に行くのではなく、海で遊びたいから海に行き、心地良いから波打ち際を裸足で歩く。


私は支援者としても、二人の子の親としても、一人の大人、社会人としてもポンコツだと思う。
そんなポンコツな人間が、可能性ばかりの子ども達と関わり、育てようとしている。
だから、うまくできなくて当然、やることは子どもにとっては迷惑なことばかり。
そういう自覚があるからこそ、そんなポンコツな自分と向き合おうとするからこそ、せめてをも彼らのマイナスにはならないことをしようと思います。
大人が子どもを評価しようと思った時点で、子どもの心は見えなくなる。
心が見えない大人たちが展開している特別支援の世界は子ども達にとっては悲惨です。
だからこそ、親御さんが変わり、家庭が変わる必要があります。
愛する我が子のためなら、自分の醜いところにも目が向けられるでしょ。
「発達障害とは、大人たちが造った幻想である」と私には思えてならないのです。
子どもを変えようとする前に変わる必要があるのは、私達大人でしょう。




☆『医者が教えてくれない発達障害の治り方』のご紹介☆

まえがき(浅見淳子)

第一章 診断されると本当にいいことあるの?
〇医者は誤ることはあるけど謝ることはない
〇早期診断→特別支援教育のオススメルートは基本片道切符
〇八歳までは障害名(仮)でよいはず
〇その遅れは八歳以降も続きますか?
〇未発達とは、何が育っていないのか?
〇就学先は五歳~六歳の発達状況で決められてしまうという現実
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのメリット
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのデメリット
〇療育や支援とつながるほど、子育ての時間は減る

第二章 親心活用のススメ
〇親子遊びはたしかに、発達に結びつく
〇変わりゆく発達凸凹のお子さんを持つ家庭の姿
〇学校は頼りにならないと知っておこう
〇安定した土台は生活の中でしか作れない
〇支援者が行うアセスメントには、実はあまり意味がない
〇親が求めているのは「よりよくなるための手がかり」のはず
〇人間は主観の中で生きていく
〇専門家との関係性より親子の関係性の方が大事
〇支援者の粗探しから子どもを守ろう
〇圧倒的な情報量を持っているのは支援者ではなく親

第三章 親心活用アセスメントこそ効果的
〇子育ての世界へ戻ろう
〇その子のペースで遊ぶことの大切さ
〇「発達のヌケ」を見抜けるのは誰か?
〇いわゆる代替療法に手を出してはいけないのか
〇家庭でのアセスメントの利点
1.発達段階が正確にわかる
2.親の観察眼を養える
3.本人のニーズがわかる
4.利点まとめ
〇家庭で子どもの何をみればいいのか
1.発達段階
2.キャラクター
3.流れ
4.親子のニーズの不一致に気を付けよう

第四章 「我が子の強み」をどう発見し、活かすか
〇支援と発達援助、どちらを望んでいますか?
〇子ども自身が自分を育てる方法を知っている
〇親に余裕がないと「トレーニング」になってしまう
〇それぞれの家庭らしさをどう見つけるか
〇親から受け継いだものを大切に、自分に自信を持とう

あとがき(大久保悠)


『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』をどうぞよろしくお願い致します(花風社さんのHPからご購入いただけます)。全国の書店でも購入できます!ご購入して頂いた皆さまのおかげで二刷になりましたm(__)m


2022年7月20日水曜日

【No.1289】治すことが役割になる子ども達

この前、私の発達相談を同席した支援者さんから、「愛着障害のあるなしって、どうやったらわかるんですか?」という質問がありました。
なぜ、わかるかと言われれば困っちゃうのですが、だいたい会った瞬間、わかります。
だって、顔に「愛着障害あり」って書いているんだもん(笑)
独特の雰囲気がありますね。
時間の経過の中でも、その愛着障害オーラ(?)が溢れたり、穏やかになったり。
そんなのもわかります。
ですから、その変化を見ながら、コアな部分を探っていくんですね。
もちろん、溢れすぎて危険な場合は、話を逸らすことも行います。


で、お子さんと親御さんの愛着障害の関係性を見ていきます。
お互いどんよりしているご家庭もありますが、だいたい子どもさんの愛着障害が薄くて、親御さんの愛着障害が濃い場合が多い気がします。
子ども達は気づいているんですね、親御さんが一生懸命愛そうとしていることを。
だけれども、親御さんのほうは、ちゃんと我が子を愛せているか、自分には母性がないのかもしれない、自信がなくて不安に思っている。
このように意識化できている親御さんは不器用ながらも、我が子を愛し、それに対して子ども達は愛情を感じている。
だから、親御さん>お子さん、という愛着障害の関係性が多い。


一方でお互いがどんよりしているご家庭というのは、親御さん自身が気がついていない場合が多い。
気がついていないというか、意識の下、無意識レベルでの認識という人が多いと思います。
冒頭でお話しした支援者さんも、「愛着障害があるって聞いてビックリした。反対に明るくて、愛情たっぷりなお母さんに見えていたから」と言っていましたので。
愛着障害のもっとも大変なところは、こういった無意識レベルの、もっといえば、無意識レベルに押しやっている、自分自身で無意識的に蓋を占めている人達なんです。


無意識レベルに愛着障害を持っている人達というのは、一人でいる場合、また表面的な付き合いをする場合、その問題が表出しません。
ですから、いわゆるよそ行きの顔のときは、むしろ明るくて元気なお母さんに見えたりする。
が、他人と関係性を結ぶような場面が来ると、愛着障害が顔を出す。


愛着障害とは、他人との関係性の障害、課題だといえます。
なんで、他人と関係性ができるとき、その歪みが出るんです。
その歪みを見て、私は具体的にどのあたりの、どの時期の、どういった出来事、環境に対して歪みが生じたかを当てを付けていきますね。
「ああ、胎児期、不安が強かったかな」
「お腹にいるとき、嫌な言葉を聞いちゃったかな」
「赤ちゃんの時、あまり目を合わせてもらえなかったかな」
「自分のタイミングではなく、おっぱいが終わりになったかな」
「きょうだいが生まれたタイミングでの不全さかな」
これまたイメージではありますが、目の前にいるお母さんに重なって小さな女の子が泣いているとか、赤ちゃんが丸まっているとか、そんな姿が見えるんですね。


振り返れば、7月頭の講座でも愛着障害について結構、強く言っていたように思います。
愛着障害も三代続きますし、ぶっちゃけ発達障害が治ってなくても、愛着障害が治った、ない人のほうが自立していますね。
別の言い方をすれば、なんか治っていかないよね、なんかもう一歩のところで止まっているよね、というご家庭を見れば、問題の本質が発達のヌケや遅れじゃなくて、愛着形成のほうだったりする。


胎児期から2歳前後、言葉を獲得する前の段階に起きる発達のヌケや遅れ。
となれば、その間の育つ環境は、どうしてもお母さんのお腹の中だし、お母さんとのおっぱの時間だし、お母さんとのスキンシップだったり、お母さんとの見つめ合い、遊びだったり。
そのお母さんという環境、つまり、お母さんと子どもの関係性に歪みがあれば、伸びやかな発達にならない、発達しきれない、というのは自然なことになるでしょう。


講座の中で、「なんのために発達障害を治そうとするのか?」という話をしたと思います。
我が子の発達障害がわかったあと、いろいろと調べていく中で、自分がやったことが発達を阻害していたことに気がつく人もいる。
もともと普通の子だったのに、誤った環境が脳や発達を歪ませた。
その子を必死に治そうとすることで、自分の過去の過ちをどうにかしたいと思う。
ここまでは愛着障害ではなく、普通の親心。
というか、"治す"ではなく、元の流れに戻れるよう"育てよう"になる。
だけれども、そんな我が子のことをもともと発達障害だったかのように言ってしまう点に、愛着形成の歪みを感じざるを得ません。
そこに無意識レベルの責任回避、責任は外にある、自己防衛、他者評価、他人の目が気になるなどの生き方が表れ、辿っていけば親御さん自身の親との関係性の歪みが顔を出します。
で、他の家庭、家族、親子関係が気になり、無意識的に同じような関係性で接してしまう。
またその子自身も他人の目を気にしながら生きようとする。


どの親御さんも、我が子を発達障害にしようなんて思っていないはずです。
できるだけのことをしてあげたい、より良い発達をしてもらいたいと思い、胎児からずっとあれこれやってきた。
ある意味、子どもにマスクをつけさせる親御さんも、同じなのかもしれません。
だけれども、もう隠しきれないくらいマスクの弊害、過剰な感染対策の影響が出てきています。
「言葉に遅れがあるんです」
「表情が出ないんです」
「他人と関わらず、一人で過ごしているんです」
そういった相談が増える一方で、これからが本番といった感じでしょう。
そんなとき、親御さんとして、自分がやってきたことに対して向き合えるか。


そこに向き合うためには、親御さん自身の愛着形成が関わってきます。
自分の親との関係性の中で、伸びやかな発達、成長ができていたのなら、根本に目を向け、腹を決めることができる。
一方で親御さん自身に課題があれば、「あのときは仕方がなかった」という想いが出て、そのバツが悪いのを隠すために、我が子を治そうとする。
意識、無意識を問わず、自分のために我が子を治そうとすれば、そこに新たな愛着形成の歪みが生じる。
治すことが役割になる子ども達。
たとえ、そのときの発達のヌケが埋まったとしても、愛着形成の歪みは残り続けます。
それが子どもさんの友達関係、親との関わり方に出てきて、それはそれで自立を妨げる。


愛着形成に歪みを持った人達は、自分の親にできなかった関わり、想いを他人にぶつけようとするものです。
発達障害といわれた若者たちからの相談もありますが、その根っこは発達のヌケではなく、愛着のヌケ。
だから、私に対して甘えたり、わざと怒らせるようなことをしたり、試し行動をしたり。
自分自身でもなぜ、こんな行動をしてしまうのかわからない人も多いですね。
言葉以前の愛着障害は言葉での認識ができませんので。
「社会性の問題・障害」といわれるものの中には、愛着形成の歪みによる他人との関係性を築けないことが本質ということが少なくないと思います。


というようなことをブログにすると、愛着障害を持つ人、無意識レベルで持っている人は、気がひけて問い合わせができなくなる(笑)
そういった方は、自分の課題と向き合う覚悟ができてからご連絡ください。
子どものことを「あれができない」「これができない」と言っている間は、どうしても対症療法になり、根本からアプローチできませんので。




2022年7月15日金曜日

【No.1288】家族が育てたらゼロ円

河野氏は隔離期間が終了したあと、こう言うだろう。
「私はワクチンを打っていたから、軽症で済んだ」と。
そして、きっとこの報道を目にした人達の中には、「ほらみろ、重症化予防だよ、ワクチンの効果は」となる。
自らの接種を肯定し、また4回目と言われれば、ホイホイと接種に出かける。


発達障害の世界においても、このようなパターンは20年以上、繰り返されている。
「早期診断、早期療育をしたから、落ち着いて過ごせている」
「療育を頑張ったから、毎日、学校に通えている」


早期診断、療育を受けたから、落ち着いて過ごせているのかはわからない。
もしかしたら、早期診断、療育を受けなくても、落ち着いて過ごせる子だったかもしれない。
そればかりか、支援の世界では「落ち着いていること」「毎日学校に行けていること」が評価ポイントになるが、それは支援の目的が将来、介護しやすい障害者を作ることなので、本当に落ち着いていることがその子の幸せか、本当の資質かはわからない。
この前も長年通っていた療育、特別支援の世界から離れ、一つずつヌケを育て直していったご家庭の男の子は、久しぶりに会うと活発で、よくしゃべるひょうきんな子になっていた。
この子は穏やかな子だったのではなく、自らが出せなかった子なのでしょう。


私はありがたいことに(?)、治る系支援者のほうに分類してもらっています(笑)
「大久保の発達相談を受けてから、息子が治った」なんてことをおっしゃる親御さんや、SNS等で私のセッションを紹介してくれてポジティブな感想を発信してくれる親御さんもいますが、それもまったく同じパターン。
順序で言えば、発達相談→良い変化、治る、かもしれませんが、私がきてもこなくても、治ったかもしれない。
むしろ、私のアドバイス、見立てが間違っていて、発達の妨げになっていることすらあるでしょう。


結局、その子が発達障害かどうかすら怪しくて、世界中、誰にも証明することができないのです。
なので、療育の効果も、支援の効果も、私の発達相談、援助の効果も、誰にも分かりません。
よって、そんなわけもわからないもんを提供している私達支援者よ、「偉そうにするな!」と言いたい。
なにか自分たちが良いことをしているような気になっているが、なにか自分たちが専門的な知識と技能をもって特別なことをやっているような気になっているが、すべて勘違い。
反対に、発達を妨げているかもしれないし、自立を遠ざけているかもしれない。
もともと放っておいても治っていたかもしれない子に対して無駄に介入してる可能性だってある。
そんな自覚と思いがあるから、私は公的な資金が入る形態にはしなかったのです。
自分の財布から出たお金で失敗しても、それは勉強料になるが、出先が税金だったらただの無駄遣いだし、社会全体のマイナスになる。


民間の支援者、療育者でいえば、この頃、細分化が目立ちます。
私が開業した10年くらい前は、障害を持った人が利用するのはほぼ公的なところでした。
福祉法人、医療法人がやっているところでも、必ず公的な資金が入っていたのです。
だから、私のように100%、利用者のお金というところはほぼなかった。
それから10年が経ち、私も相当怪しいと思いますが、そんな私が見ても、「やばいな、この人達」と思うような支援者、療育者が増えました(笑)
しかもやっていることが、とてもマニアックで、重箱の隅を突っつくような感じで、「愛着障害を持つ人が食いつくんだろうな」「うちよりも儲かりそうだな」と見ています(笑)


このマニアック化の流れは、続いていくと思います。
何故なら、「専門的な」「特別な」「あなただけが気づいている」というメッセージは、安心と優越感につながるから。
ぶっちゃけ発達障害の世界は、不安商法でしょ。
子どもの発達の"不安"、子育てをしていく"不安"、就学の"不安"、進路の"不安"、自立の"不安"、親亡き後の"不安"。
その不安を対象に商売が成り立っている世界。
もしなんの不安もない親御さんが、我が子の発達の遅れに気がついたら、「どうやって、そこの苦手な部分を育てていこうかな」と考えるでしょう。
そうやって家族が育てたらゼロ円。
そこに発達障害というレッテルを貼り、療育という名をつければ、医療と福祉にお金が入ります。


〇〇療法とか、〇〇メソッドとか、いろんなのがありますが、ちょっと通っただけで劇的に変わるなんてことはあり得ません。
もちろん、神田橋先生のような達人、神様みたいな人もいるでしょうが、99.99%の人にそんな力はない。
そんなに効果があるのだったら、列をなさないでしょう。
そんなに効果があるんだったら、SNSなんか必死にやってないはず(笑)
お客さん殺到で、その地域だけ発達障害が減少に転じているのならホンモノだと思いますが。
だからみんな、親御さんの不安軽減を目指して忖度し、いかに「あなたは特別な方略を選択したか」を伝えているのです。


私は、そもそもが「誰かに治してもらおう」「なにか外に特別なものが、答えがある」という考えだから、治っていかないのだと思っています。
誰の子なのですか?
我が子のためにあれこれやってあげることが子育てだと勘違いしている人が多い気がします。
それは子どもの頃からずっと点数や目に見える形、モノで評価され、モノの多い少ないが己の価値だと錯覚している愛着形成に不全を抱えた人の特徴になります。


子どもにしてみれば、「外にばっかり目を向けないで、行かないで」となるでしょう。
発達の遅れは外にはありません。
目の前にいる我が子の内側にあるのです。
「私の内側にある発達の遅れを、私が育てて行くから、応援してね、お母さん、お父さん」
そんな声が聞こえてくることが少なくありません。
知らないおっさん、おばさんに背中を押してもらうよりも、お母さん、お父さんに背中をおしてもらいたいはずです。
新幹線や飛行機に乗って、遠くの専門家に会いに行くより、お母さん、お父さんと一緒に遊びたいはずです。


世の中が不安定になればなるほど、世の中の流れが早くなればなるほど、人々の意識は外側に向いていきます。
見通しの持てない時代だからこそ、なにか確実で目に見えるものを欲するようになります。
それが肩書や権威だったり、お金だったり、インスタントな変化だったり。
でも、子育てって、これらすべてと離れたところに存在している。


子育てって時間がかかるし、不測の事態ばかりだし、答えがないもの。
だからなによりも己の軸が必要なんです。
どんな時代、状況、環境になろうとも、こうやって育てて行くんだ、こうやって育ってほしいんだ、という軸。
しかし軸を作るには、自分が見たくないところまで見なければならない。
どうして我が子の発達に悩むのだろうか。
どうしてゆっくりな発達にイライラするのだろうか。
どうして私は我が子を心から愛せないのだろうか。
どうして自分の子育てに自信が持てないのだろうか。
そして、どうして我が子に発達の遅れが出たのだろうか。
どうして我が子は治っていかないのだろうか。
どうして我が子が治るまで、待ってあげられないのだろうか。
それを信じ切れないだろうか。


アセスメントも、発達援助も、根っこを掴み、問題の本質からアプローチすることが大事です。
親御さんご自身の悩みや不安を支援者は一時的にしか軽くすることができません。
発達とは生活の場で生じることであり、日常であり、子育ての中に存在するものです。
なので、よりよく育つための環境としての家庭、親に向けて、根本から変わることを目指してもらいたいと思っています。
私の仕事は家庭支援であり、親御さんがよりよく変わることで、子どもと一緒に発達、成長していくことを目的としています。
治ること以上に、家族の幸せ、子ども時代のきらめくような思い出、親になって良かったなと心から思えること。
社会に飛び立っていった若者たちを見ていますと、これが一番大切で、自立に繋がっていると思わずにはいられないのです。




☆『医者が教えてくれない発達障害の治り方』のご紹介☆

まえがき(浅見淳子)

第一章 診断されると本当にいいことあるの?
〇医者は誤ることはあるけど謝ることはない
〇早期診断→特別支援教育のオススメルートは基本片道切符
〇八歳までは障害名(仮)でよいはず
〇その遅れは八歳以降も続きますか?
〇未発達とは、何が育っていないのか?
〇就学先は五歳~六歳の発達状況で決められてしまうという現実
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのメリット
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのデメリット
〇療育や支援とつながるほど、子育ての時間は減る

第二章 親心活用のススメ
〇親子遊びはたしかに、発達に結びつく
〇変わりゆく発達凸凹のお子さんを持つ家庭の姿
〇学校は頼りにならないと知っておこう
〇安定した土台は生活の中でしか作れない
〇支援者が行うアセスメントには、実はあまり意味がない
〇親が求めているのは「よりよくなるための手がかり」のはず
〇人間は主観の中で生きていく
〇専門家との関係性より親子の関係性の方が大事
〇支援者の粗探しから子どもを守ろう
〇圧倒的な情報量を持っているのは支援者ではなく親

第三章 親心活用アセスメントこそ効果的
〇子育ての世界へ戻ろう
〇その子のペースで遊ぶことの大切さ
〇「発達のヌケ」を見抜けるのは誰か?
〇いわゆる代替療法に手を出してはいけないのか
〇家庭でのアセスメントの利点
1.発達段階が正確にわかる
2.親の観察眼を養える
3.本人のニーズがわかる
4.利点まとめ
〇家庭で子どもの何をみればいいのか
1.発達段階
2.キャラクター
3.流れ
4.親子のニーズの不一致に気を付けよう

第四章 「我が子の強み」をどう発見し、活かすか
〇支援と発達援助、どちらを望んでいますか?
〇子ども自身が自分を育てる方法を知っている
〇親に余裕がないと「トレーニング」になってしまう
〇それぞれの家庭らしさをどう見つけるか
〇親から受け継いだものを大切に、自分に自信を持とう

あとがき(大久保悠)


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2022年7月12日火曜日

【No.1287】夏の宮島にて想う

月曜日の午後、広島出張から函館に戻ってきました。
厳密に言えば、呉市の出張になります。
呉市の相談員さんが毎年呼んでくれていて、今年がちょうど5年目でした。
5年前はというと、ちょうど広島県の豪雨災害のときで、「行くのやめにしますか?」と尋ねると、「待っている人達がいるから」とそのまま決行したのを思い出します。
道路もあちこち寸断されていて、発達相談のあとは車が入れない場所に住む方に一緒に水を運ぶこともしました。


私は支援者という人達が嫌いですし、学校の先生も嫌いです。
ですが、この呉市の相談員さんは違うのです。
目の前にいる子ども、大人、家族が少しでも良くなるのなら、どんなことでもやる。
たとえ朝早くだろうが、夜遅くだろうが、すべてを投げ打ってさえも必要なことは行う。
しかも全部、無意識に、本能でやっている。
もちろん、それくらいの人だからこそ、間違ったことに対しては心から叱るし、拒否もする。
一緒に泣いたり、笑ったり。
その人が自立したと聞けば、わんわん泣ける人なのです。
なかなかいませんよ、こういった相談員さん、支援者さん。


5年前、初めてお会いした瞬間、「この方は、目一杯、子ども時代に愛されて育った人だ」というのが見えました。
実際、お話ししても、やはり特に母親からの深い愛情を受けて育ってきたことがわかりました。
溢れるくらいの愛情を受けて育ってきたからこそ、溢れるくらいの愛情を周囲に手渡すことができる。
まるで瀬戸内海に登る太陽みたいな方です。


「スーパーバイザーをお願いしたい」
「うちの事業所でコンサルをしてもらいたい」
「雇ってください」
「一緒にそばについて、学ばせてください」
といったお話はいただくことがあります。
でも、無理。
まず愛着障害の人と長い時間、一緒にいるのが疲れるんですね。
純粋にアセスメントの視点や発達援助のアイディアなどを教えたいのに、というかまずは目の前にいる子が一番大事で、その子がよりよく変わっていけるための時間にしたいのに、どうして私があなたの愛着障害をケアしないといけないの。
まずはご自身で治してからお越しくださいって感じ。


時々、強者がいて、「私、昔愛着障害があったんですけど、治したんですよ」という人がいます。
しかし愛着障害は、そんなに簡単なものではない。
どの時期の愛着障害かもあるし、階層的でとても複雑です。
だいたい意識レベルに上がっている愛着障害は氷山の一角であって、その下、無意識レベルはその何倍も深くて大きいものがあります。
ここが根っこ。
だから、「愛着障害治った!」という人も、次の衝撃があると、ポキッと折れたり、元通りになったりしているのです。
だから、それまで頼ってくれていた存在が自分から離れようとすると、心がざわつき、不安定になるのです。
「治った」と「ラクになった」のはき違えですかね。
愛着障害は治す必要があるものですが、時間がかかるし、思考パターン、支援者で言えば、その助言、援助、支援方法すべてに影響を与えるので、また同時に愛着障害を持つ当事者、親御さんと対峙すると揺り戻しが生じるので難しい。


呉市の相談員さんは、溢れるくらいの愛情を受けて育っているので、常にポジティブだし、助言が的確。
その助言は発達障害が治るといった範囲ではありませんが、その子が、その家族が、幸せな方向へと進んでいけるための助言です。
治せる知識、技術は後天的に学んでいけば身につき、実践することができる。
だけれども、心からの充実感、幸せを感じる心と身体、そしてこの世に対する、この世に生まれてきたことに対する安心感は体感している人にしか伝えられることができない。


技術や知識レベルで素晴らしい先生や支援者さんはいます。
でも、心、感覚、身体、無意識レベルで、その人の人生全般に影響を与えるような支援、援助ができる人は稀有。
だって、与えるよりも、与えて欲しいから人と関わる仕事を選んでるんだもん。
無意識レベルのドロドロとした課題が、対象者の自立を妨げているのに気づくことができない。
そういった意味でも、特別支援、福祉の世界には近づかないほうがいいし、近づいても短期で離れる必要がある。


呉市に行くと、朝8時から夜の8時までみっちり発達相談です。
移動の車中も、訪問したご家庭のまとめと、別のケースについて助言。
5年間で、50家族以上の家庭訪問を行い、ほとんどのご家族が良い変化と卒業をされています。
分単位のスケジュールではありますが、その限られた時間でも、真剣に話を聞いてくださる親御さん達、本人達。
さらに相談員さんが、私が帰ったあとも、定期的に確認しながら、本人の自立、卒業のために頑張ってくださっている。
愛着障害のない、むしろ愛情あふれるような相談員さんだからこそ、3日間の発達相談を一緒に行なうことができていると思っています。
たぶん、この相談員さんじゃなかったら、私はムリ。
支援者を育てるくらいなら、一人でも多くのご家庭に行き、本気で我が子のことを想う親御さんに私の持っているすべてをお渡しした方が良いと思っているから。


例年なら2泊3日の滞在で、着いた瞬間から帰りの飛行場で車を降りるその瞬間まで仕事なのですが、今回は午後の便がないため、3泊4日にしました。
そのため、初めて呉市以外に行くことができ、宮島・厳島神社まで観光に出かけました。
宮島についたのは、もう夕方だったのですが、多くの観光客がいてビックリ。
ちゃんとノーマスクの啓発活動もしてきて、外国人観光客、たぶん米軍基地の家族5~6組くらい、あと日本人カップル、小さな子ども達多数が、私の顔を見たあと、マスクを外してくれました♪
日本を占領している軍人が、日本の意味不明な空気を読むんじゃないよ、って感じ。
何よりも5年前に買った広島観光の雑誌が役に立ってよかったです(笑)
夏の夕方の宮島から見た海はとてもきれいでした。
今回も、多くのご家庭、子ども達とご縁を頂き、ありがとうございました。
頑張って報告書を作成します!




2022年7月6日水曜日

【No.1286】夏休み活用講座をやりきることができました!

講演会と出張相談を終えて函館に戻ってきてからは、急遽、広島出張が決まったり、緊急で函館のご家族から依頼があったり。
そして昨日、関東でお会いしたご家族の元へ作成した報告書を郵送しました。
そうこうしている間、今回の講座を主催してくださった花風社の浅見さん、花風社さんの書籍にはなくてはならないイラストを描かれている小暮画伯さんがブログを書いてくださっていました。



また当日参加してくださった方々、リアルタイムでご視聴頂いた方々からも、SNSやメールにてご感想を頂戴しておりました。


6月の上旬、花風社の浅見さんからメールをいただきました。
「夏休み前に」「テーマは学校&過剰な対策からのリハビリ」というご提案でした。
夏休みは、子ども達の発達、成長において、とても重要な1か月間になります。
この夏休みをどう過ごしたかが、秋以降のいわゆる”ドカン”といった大きな成長として表れるのは、浅見さんも、私も、もちろん花風社クラスタの皆さんも実感されていることだと思います。
ですが、2022年の夏休みは、それまでの発達の後押しにまい進するだけの夏休みとは異なるのです。


ほとんどの国は、コロナ騒動を止め、次の危機までの小休止をしているのに、相変わらず日本はマスクだ、ワクチンだ、陽性者数が、なんて言っている。
しかも、子ども達がおかれている状況は1年目よりも2年目、2年目よりも3年目というようにどんどんひどいことになっています。
子ども達の1年を取り戻すには、その何倍も時間がかかります。
それが3年目ですよ。
2年間の発達のヌケ、誰がどうやって育て直しを行うのですか?
2歳の子どもだったら、人生すべてが発達のヌケ。


私達大人は、とんでもないことを今の子ども達にしていると思います。
もちろん、私だってそういったひどい大人の一人です。
何度も何度も、自分の無力さを感じました。
どんなに頭を下げても、どんなに涙を流しても、彼らの2年間は戻ってきません。
だからこそ、今回、『夏休みを活用しよう!~発達援助とリハビリのための時間を大切に~』という講座名を頂き、自分の持っているものすべてを出そうと決心しました。
この2年間を心から申し訳なく思うからこそ、彼らの抜けた発達だけではなく、これから歩んでいく人生をも後押しがしたかった。


いろいろな場所で講師を務めさせていただく機会がありますが、花風社さんの講座は特別です。
それは本を出版して頂いたからというレベルの話ではありません。
花風社さんの書籍を愛読し、治そうと実践されている皆さんに、ただ「夏休みにはこういったことをしたら発達できますよ」なんていう話をしては失礼に当たると思うからです。
何よりも、常に時代の10年先を歩み、道を作ってきた花風社さんであり、読者さん達の力を信じ、決してマニュアル本を作ってこなかった花風社さんが主催する講座です。
いわゆる専門家の知識披露、独りよがりの内容に、決して社会と切り離した蛸壺の内容にはなってはダメ。


レジュメは最初にメールをいただいてからすぐに作りましたが、具体的にどんなお話をするかは講座開催の週に入ってから決めていきました。
できるだけ鮮度が良いものを、また参加してくださる皆さまが何を求めているか。
そうです、講座の内容を決めるのは私ではなく、主催者さんと参加者さんですから。
一つだけ決めていたのは、高い熱量をもって、それを伝えること。
子ども達の発達に、彼らの未来、人生にとんでもないことが起きているのは、言葉だけでは伝わりません。
やっぱりこの危機感は、熱を持った言葉や態度、空気感で伝えなければと思いました。


今回、いろいろな方達からのご感想を読ませていただくと、私の熱量、私の火がみなさんの心に移った感じがしました。
是非、その火を燃え上がらせてください。
子ども達は、大人たちの真剣さ、熱い想いを望み、それを見ているのです。
彼らは10年後、20年後、現在を振り返り、大人たちの嘘、保身、私たち子どものことを犠牲にしていたことに気がつく日がくるでしょう。
そんなとき、「私の周りには、私達のために真剣に闘ってくれる大人がいなかった」と思われるのは、悲しいじゃないですか。
この2年間でたくさん辛い思いをさせてきて、さらに大人になってからも傷つくなんて本当に申し訳ない。
だからこそ、私達おとなが心に火をともし、一生懸命な姿を見せる必要があると思います。
「クソつまんない2年間だったけれども、お母さんは、お父さんは、担任の〇〇先生は、僕たちのために闘ってくれていた」と。


デジタル通貨になれば、今のお金の価値はなくなるでしょう。
いくらお金を持っていても、一瞬で紙切れになることもある。
物質的な豊かさだって、いつかは消えてなくなるもの。
だけれども、生きている限り、決して奪われないものがある。
それは最後にお話しした〇〇です。
それを子ども達にプレゼントするには、夏休みという時間がいいですし、もしかしたらそれができる最後の夏休みになるかもしれません。


主催してくださった花風社の浅見さん、配信&録画の準備をしてくださったボリンゴさん、当日会場にお集まりいただき一緒に熱い講座を作ってくださった参加者の皆さん、リアルタイムでご視聴頂いた皆さん、誠にありがとうございました!
素敵な夏休みをお過ごしください☆彡
なんと函館蔦屋書店での出版記念イベントと、今回の「夏休み活用講座」の両方に参加してくださったママさんから写メをいただきました↓




2022年7月5日火曜日

関西出張のご案内(8月4日)

*7月5日15:30、訪問させていただくご家庭が決まりましたので、募集を終了いたします。また関西に行くことがあれば、告知します!

急遽、8月2~4日の日程で広島に出張することが決まりました。
函館から広島ですと、直行便がないため、また函館~伊丹のホテルパックの方が安いため、大阪市内のホテルに泊まり、3日(水)1日をかけて広島市内を回ろうと思います。
そこで8月4日(木)の午前中でしたら関西地方にお住まいの方の発達相談の時間が作れます。
もしこの機会にご希望される方がいらっしゃいましたら、お問い合わせください。


【日程】
8月2日(火)午前 ×  / 午後 函館→伊丹
8月3日(水)一日、広島市内
7月3日(日)午前 『大阪』 / 午後 伊丹→函館

*ご希望が重なった場合は、先着順とさせていただきます。


詳細を確認したい方は【出張相談問い合わせ】と件名に書き、お問い合わせいただければ、ご説明いたします。
出張相談についての内容は、てらっこ塾ホームページをご覧ください。
ご依頼&お問い合わせ先:メールアドレス