2022年7月26日火曜日

【No.1292】『身体アプローチ』という言葉がフラフラと歩き出したように感じる

『身体アプローチ』という言葉は、しっかり市民権を得ましたね。
5年前までは、そのような言葉もなかったですよ。
今みたいに多くの人が「身体アプローチ」を使い、しかも花風社クラスタ―と思われないような人達までもがフツーに使っている様子を見ると、たった5年くらいの月日ではありますが、ハッタツの世界も大きな変化が起きたのだと思います。
こういったものは、そのときは感じないもので、後から振り返ると、「おお、革命的な出来事だったんだな」「あれが分かれ道だったんだな」とわかるものです。


そもそも『身体アプローチ』とは、身体から整え、育てていくことで、発達障害の課題を解決していこう、という話だったと思います。
長年といいますか、始まりが発達障害を持った人たちの身体的な不具合をどうにかしたい、というところから花風社さんの出版活動ですから、身体への働きかけが中心だったといえます。
そして2013年より脳の機能障害から神経発達症になり、その神経は全身に張り巡らされていることからも、約20年間、花風社さんが提言し続けられてきた身体面からの働きかけの有効性が明らかになったのです。


で、それ以降、『身体アプローチ』という言葉が定着し始めました。
薬や療育、支援ではなく、頭の表面、大脳皮質に働きかけるSSTやナントカトレなどのアプローチではなく、運動や遊び、感覚への刺激を通して働きかけていく。
シンプルに言ってしまえば、旧来の療育の対比としての身体アプローチだったと思います。
それは治らない特別支援と、治る花風社クラスターという意味合いもあったでしょう。
治すを目指すなら、身体アプローチみたいな。


言葉は生き物です。
時間の経過とともに、使う人たちの捉え方によって、どんどん意味が変わっていきます。
コロナ騒動を2年あまり行っている間、2019年まで偉そうにしていた発達障害の専門家たち、支援者たちがみんないなくなってしまいました。
というか、いなくても困らないことが親御さん達にはわかったのでしょう。
ですから、旧来の療育&支援、治らない信仰の人達、生まれつきの障害説と対比としての身体アプローチの図式が崩壊。
ここ数年、まったく公的な療育や支援を受けずに、直接、私のところに相談があり、その後、そのまま家庭で治っちゃった子が珍しくなくなりました。
そこで身体アプローチが一つの方略へと変化した。
「うちは栄養療法と身体アプローチやってます」とおっしゃる親御さんが増えたのは、その表れだといえます。


で、ここからが本題で(相変わらず前段が長いww)、身体アプローチの概念の広がりが誤解を招いているようにこの頃、感じるのです。
発達に遅れがあり治そうとすると、多くの親御さんは栄養を整え、遊びや運動など身体面からの働きかけを行います。
栄養に関しては副作用、副次的な問題もありますが、遊びや運動、身体への働きかけにはほぼ副作用なしといえます。
ですから、身体への働きかけはどんどん行ってもらいたいのですが、身体アプローチをしたからって、すべてが治るわけではありません。


身体からアプローチして効果があるのは、主に運動発達のヌケ(ハイハイを飛ばしたなど)、感覚系の未発達、原始反射の統合、脳の分化、身体のバランスを整える、胎児期から乳幼児期の愛着形成といった感じでしょう。
裏を返せば、それ以外が原因になっている発達障害は効果が期待できない。
テレビやタブレット、早期教育の結果、脳が歪んだ場合、まずやらなければならないのは、スイッチを消すこと。
夫婦の考え方の不一致、不仲が伸びやかな発達を阻害しているのなら、まずは夫婦で話し合い、理解を深めることをやらなければなりません。
親子で似た特性があり、祖父母の代にも同じような人がいれば、そこは身体から働きかけるよりも、どうやってその特性のポジティブな面を伸ばしていくかを考える必要があります。
子どもの愛着障害を治す前に、親御さん自らの愛着障害を治す必要があるのも同じでしょう。


「自閉症、発達障害は生まれつきの障害」というのは童話の世界です。
「脳の機能障害」というのは、「気の弛みで感染爆発」というくらい非科学的で専門家側に都合よく作られた話。
そこから、自閉症、発達障害の人たちの身体に注目し、身体面からアプローチして治していこう、とより実態にあった、というかやっと当事者の視点に立った話が出てきたので、とても素晴らしいことだと思います。
だけれども、また当事者目線のアプローチから離れようとしているのが、私が気になっているところです。
正直、身体アプローチが一つの療法、方略の一つになってはいけないと思う。
療法、方略になったら、やる側とやられる側ができちゃうでしょ。
療法、方略になったら、アセスメントが荒くなり、その療法、方略側に本人を合わせようとしちゃうでしょ。


今まで数々の療法、方略が生まれては消え、を繰り返してきたのを見てきた私からすれば、身体アプローチの誤解がせっかく良かった理念、今までにはなかった当事者の視点に立った"後押し"をも消してしまうのではないかと思うのです。
「発達に遅れがあった→じゃあ、身体アプローチ」では治りません。
なぜ、発達に遅れが出たのか、そこに目を向けない限り、根っこから解決はできませんし、何よりも身体アプローチを"やらされて"しまう子ども達が出てきてしまいます。


身体面からアプローチしていく支援者が増えましたが、じゃあ、全員が全員、治るための知見を持っているか、もっといえば、ちゃんとアセスメントができるか、課題の根っこを掴めるか、といえば、話は違います。
どうも、身体からアプローチしていれば、すべてが良い、効果があると思っている人がいるようにも感じます、支援者側も親御さん側も。
身体からアプローチしても、そこが課題の根っこじゃなければ、解決していかない。
とにかく「発達障害児は、運動やらせて、栄養を盛って」というのは、「自閉症だから視覚支援」「問題行動にはABA」と同じ構造でしょ。
アセスメントも、クソもなく、ただ診断名でアプローチを決める。
まるで自動販売機のような療育、子育て。
「うちは身体アプローチやってます」という児発、児童デイの看板。
「冷やし中華始めました」を連想するのは私だけ(笑)


発達障害を持った人達が抱える身体的な不具合を想像することが大事で、そこを改善、解決するための働きかけが身体面からのアプローチになる、ということ。
同時に現在の発達障害は、90%が環境側の要因によって作られたものだと感じますので、身体アプローチの前に、発達を阻害している環境要因を取り除くことがまずやらなくてはならないことです。
「発達障害児には身体アプローチ♬」ではなく、「こういった身体的な不具合、課題があるから、身体面から働きかけるのが良い」という話ができるのが理想です。
私は「身体アプローチの人」ではなく(笑)、課題の根っこを辿り、どういった子育てが発達の後押しになるかをご家族と一緒に考える人、基本的に家庭支援が私の仕事。
なので、子どもさんが変わることよりも、親御さんに変わってもらうことを目指しているのです。
一見さんお断りではなく、一見さんこそ、ウエルカムです!




☆『医者が教えてくれない発達障害の治り方』のご紹介☆

まえがき(浅見淳子)

第一章 診断されると本当にいいことあるの?
〇医者は誤ることはあるけど謝ることはない
〇早期診断→特別支援教育のオススメルートは基本片道切符
〇八歳までは障害名(仮)でよいはず
〇その遅れは八歳以降も続きますか?
〇未発達とは、何が育っていないのか?
〇就学先は五歳~六歳の発達状況で決められてしまうという現実
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのメリット
〇現行の状況の中で、発達障害と診断されることのデメリット
〇療育や支援とつながるほど、子育ての時間は減る

第二章 親心活用のススメ
〇親子遊びはたしかに、発達に結びつく
〇変わりゆく発達凸凹のお子さんを持つ家庭の姿
〇学校は頼りにならないと知っておこう
〇安定した土台は生活の中でしか作れない
〇支援者が行うアセスメントには、実はあまり意味がない
〇親が求めているのは「よりよくなるための手がかり」のはず
〇人間は主観の中で生きていく
〇専門家との関係性より親子の関係性の方が大事
〇支援者の粗探しから子どもを守ろう
〇圧倒的な情報量を持っているのは支援者ではなく親

第三章 親心活用アセスメントこそ効果的
〇子育ての世界へ戻ろう
〇その子のペースで遊ぶことの大切さ
〇「発達のヌケ」を見抜けるのは誰か?
〇いわゆる代替療法に手を出してはいけないのか
〇家庭でのアセスメントの利点
1.発達段階が正確にわかる
2.親の観察眼を養える
3.本人のニーズがわかる
4.利点まとめ
〇家庭で子どもの何をみればいいのか
1.発達段階
2.キャラクター
3.流れ
4.親子のニーズの不一致に気を付けよう

第四章 「我が子の強み」をどう発見し、活かすか
〇支援と発達援助、どちらを望んでいますか?
〇子ども自身が自分を育てる方法を知っている
〇親に余裕がないと「トレーニング」になってしまう
〇それぞれの家庭らしさをどう見つけるか
〇親から受け継いだものを大切に、自分に自信を持とう

あとがき(大久保悠)


『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!』をどうぞよろしくお願い致します(花風社さんのHPからご購入いただけます)。全国の書店でも購入できます!ご購入して頂いた皆さまのおかげで二刷になりましたm(__)m


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