2021年5月31日月曜日

【No.1168】「われ思うゆえに、そうである」という助言

都知事がまたおかしなことを言い始めました。
今度は、「20時までに仕事を終え、帰宅」の号令です。
なぜ、20時にこだわるのかわかりませんが、というかなぜ、20時で仕事を切り上げることが感染症対策になるのか、教えてほしいものです。
「安全だけれども、安心ではない」などの発言からも、科学的な思考をお持ちではないのでしょうから、単に焦っているだけなのでしょう。
要請に従わないお店は増える一方、外に出る人も増える一方。
グローバルダイニングの裁判でも、ボロが出まくり。
日本は法治国家であり、憲法がある国ですので、「われ思うゆえに、そうである」というのは感情のままにワガママを言っているだけです。
首長にしても、専門家にしても、根拠を示さない我がままっ子ばかり。


私が仕事をしている上でも、この「根拠を示す」ということは大事だと考えています。
しかし、扱っているのが目に見えない「発達」ですので、ここが一番苦労するところでもあります。
まあ、研究者ではないですし、民間企業ですので、結果が出ればすべてOkという想いもあるのですが(笑)
ただそれでもやはり根拠を説明できなければ、「大久保が分かる」=「大久保に頼めば良い」という感じになってしまい、それは宗教であり、ギョーカイがやっていることと同じになってしまいますので、科学的な根拠と合わせて、子どもさんのどういった様子が確認できるから、こうなんです、という説明はしていかないといけないと思っています。


いろいろなところで、医師や支援者からの診断、アセスメント、意見書の類を見せてもらうことがあります。
しかし、笑っちゃうぐらい全国どこでも同じようなことが書かれています。
児童デイのような自動でシートを作成してくれるアプリがあるのかもしれませんが、手書きのモノもあるので、そうではないようです。
全部、昔、私が学生時代に習ったような「見通しを持たせるために予定を事前に伝える」「コミュニケーションが苦手な子は、絵で伝える」「気が散りやすい子は、掲示物を減らす」「多動な子はトランポリン」。
だいたい、こういった決まり文句を接続詞だけ変えておけば、完成です。


こういったマニュアル的な決まり文句が令和になっても生き残っているのは、ギョーカイに知識の更新がないという表れです。
これはコロナ騒動で出てくる人達と同じで、ずっと「未知のウィルス」状態。
ですから、ずっと「脳の機能障害」状態ですね。
「未知のウィルス」ゆえに、緊急事態宣言、お店は時短、収容人数は50%。
同じように「脳の機能障害」ゆえに、生まれつき、治らない、生涯支援。
でも、もう「未知」ではないし、「脳の機能障害」でもない。


あと思うのが、「未知」も、「脳の機能障害」も、その一言だけで、なんも説明していないんですね。
よくあるのが、「どうして、うちの子、不器用なんでしょうか?」「多動なんでしょうか?」「不安が強いのでしょうか?」と親御さんが訪ねると、それは「脳の機能障害だから」「特性だから」「発達障害だから」と専門家、支援者、教員は返してきます。
でも、これはなにも答えていないのと一緒です。
不器用=脳の機能障害とはいえません。
不器用な理由は、体軸の課題かもしれないし、感覚の課題かもしれないし、運動発達のヌケからかもしれないし、栄養不足かもしれないし、経験不足かもしれない。
そこの原因、根っこを捕まえ、説明するのが専門家の仕事です。
「人流を止める」というのはバカでも言えます。
同じように、「脳の機能障害」というのも、バカでも言えます。
バカで言えないことを言うから、お金を頂いて仕事ができるのです。


学校の先生や現場の支援者からも、相談を受けることがあります。
医師の意見書やなんとかセンターの助言や指示などを受けることがあるけれども、言われた通りにやっても全然うまくいかない、と。
そりゃそうです。
だって、書いてあることが視覚支援とか、ご褒美とか、環境調整とか、だけなのですから。
どうして視覚支援が、この子に必要なのか、根拠の部分、もっといえば、「この子」の部分が抜けているのです。
これだったら、発達障害という診断を受けた子なら、誰でもいいよな、というものばかり。
どうして、この子が学校で不安を強く感じているのか、その子の特徴、背景と合わせて、理由が説明されていないので、うまくいくわけないのです。
常日頃、エラソーに言っている有名支援者、医師、大学教授たちも、「なんだ、こんなもんしか書けないのか」と思うことが多々ありますね。
名前だけ変えたコピペ診断書、意見書、アセスメントばっかりです。
この前、行動療法系の支援者が書いたものを見せてもらいましたが、主語を犬に変えても成り立っていて、苦笑いもできませんでしたね。


でも、こういう私も、すべての根拠が説明できているわけではありません。
そしてこの発達という分野は、1対1で原因と結果が成り立っているわけではありません。
一言で、「言葉の遅れ」といっても、その背景は複雑です。
なので、できるだけ多く考えられる理由、背景を挙げていき、その中でも課題の改善に有効だと考えられるものを絞って伝えていく。
その有効性の基準は、「その子が育てようとしているところから育てる」「育てやすいところから育てる」「根っこ(胎児期に近い方)から育てる」です。
私の場合は、この並びで優先順位を付け、助言するようにしています。


さあ、みなさん、お手元にある専門家からもらった資料を見返してみましょう。
その文章の中に、根拠や理由、背景が記され、説明されていますか。
その文章の中に、我が子の姿を感じますか。
その助言、あなたの息子さん、娘さんだけに当てはまりますか。
よく入門書のようなものを読んで、「ああ、うちの子のことが書かれている」と思われる親御さんがいらっしゃいますが、その感覚のまま、専門家・支援者と対峙してはなりませんね。
似ているのは表面に現れる特性であり、その特性からは具体的なアプローチの仕方は組み立てられないのですから。
その子をしっかり見て、いろいろなところを確認して初めて具体的なアプローチが見えてきます。
年齢や環境、成育歴、資質、体験したもの、受け継いだもの…。
そういった個が表れる助言を貰っていますか??
「われ思うゆえに、そうである」という助言は最悪です。




2021年5月26日水曜日

【No.1167】大人の余裕が子の発達を保障する

昨年1年間で妊娠届があった件数が87万2227件で、これは前年比で4.8%減ということがわかりました。
計算すると、約4.4万人の命がこの世に生まれることができなかったといえます。
コロナは、長年、ガンで闘病していたとしても、家の中で倒れていたとしても、PCRでコロナウィルスが検出されれば、みんな、「コロナ死」になります。
で、そのコロナ死が1年間で4379人(2020/1/16~2021/1/15)。
天寿を全うできた人と、その機会すら与えられなかった人。
10倍以上違うこの差には、さらに多くの人数が隠されているのです。
生まれてきた子が親になると、また次の世代が生まれ、その次の世代が成長すると…、そのような想像ができると、4.4万人の新しい命の先にも、数え切れないくらいの命と未来があったわけです。


小学校生活が6年間あるのは、その6年間という時間の中でじっくり成長を促していこうという考えの表れだと思います。
「入学式のときは、大変でどうしようかと思ったのに、卒業式ではこんなに立派になって」
そんな言葉を見聞きしたことは一度や二度ではなかったはずです。
振り返れば、同級生の中にも、今なら診断がつく子がいたでしょう。
でも、そういう子も一緒に6年間学ぶ中で、いろいろな力を身につけ、それこそ発達のヌケや凸凹を育てていたのです。
教室から飛びだす子やすぐに手や足、口が出る子、勉強についていけない子もいましたが、先生はその都度、呼び戻してきて、勉強がわからない子にはフォローしていた姿が思いだされます。


それが近頃どうでしょうか。
こういった「自分が担任のときは、子ども達のために頑張る」「6年間でしっかり育ててみせる」という気概を持った先生はいなくなったのでしょうか。
以前は、課題がある子がいても、だいたい1学期の終わりや3学期の終わりなどに学校からの面談の申し込みがあったのに、今じゃあ、4月・5月の時点で、すぐに「専門家へ」「お薬は?」「支援級もありますよ」なんてことを言っています。
学校が率先して発達障害がある子ども達を区別し、分断しようとしているのがわかります。
年々、さじを投げるのが早くなりました。
「こういう取り組みや工夫をしたけれども、ダメだった」という話がなく、一方的に子どものできないことをあげつらうのは、教育ではなく、ただのダメ出しです。
ただのダメ出しが増えたのも、裏を返せば、「私達のせいではない」という保身と、婉曲的な「支援の世界へ」という促しだといえます。


人を育てるということは、時間がかかるということだと私は考えています。
特に発達に遅れやヌケがある子どもさん達は、就学のタイミングとその遅れやヌケが埋まるタイミングが合わないことが多々あります。
でも、それは当然で、小学校低学年くらいまでは神経発達が盛んな時期なのですから、まだまだ未熟なのが自然です。
未熟な年代の子ども達が入学する小学校で、育つ時間が待てないというのはどういうことかと思います。
教師が管理しやすい子だけを選び、教育するようになったら、日本の学校教育というか日本という国は終わりの始まりではないでしょうか。


小学校の就学に限らず、発達の遅れやヌケを育て直すには時間がかかりますので、タイミングのズレ、もっといえば、その時間を確保するための時間稼ぎが必要なわけです。
そういったときに必要なのが、その場しのぎの対処法です。
たとえば、見通しが持てるようになるまで、絵で描いたスケジュールを使ったり、言葉での注意では記憶に残らなければ、文字で気を付けることを箇条書きにしたり。
どうしても授業中、落ち着いて座ることができない子がいれば、休み時間の間に心拍数が上がる運動をしたり、補助の先生をお願いするのも良いと思います。
こうやって支援や補助を受けながら、根本的な課題である発達の遅れとヌケを育てていく。


しかし、どうでしょうか。
根本的な育ちがない支援や補助が溢れていませんか。
いつまで補助の先生をお願いするの?
いつまでご褒美シールを使い続けるの?
いつまで薬は飲み続けるの?
で、そのあからさまな姿が、学校側から提案される「専門家」「服薬」「支援級」だと思います。
普通級の先生からしたら、扱いにくい子を支援の世界へ送っているだけでしょ。
教え育てるというのが教育なのに、少しでも課題が見つかれば、「特別支援」という美名のもとに、教えもしないし、育てもしなくなる。


文部科学省は、社会のプレッシャーに押され、いろんな要素を学校教育の中に盛り込んできました。
それが現場の先生の余裕をうばい、結果的にじっくり育てるよりも、支援級へ、専門家へ丸投げという事態を招いているのだと思います。
ギョーカイのほうも、長年、親だけではなく、学校の先生も下に見る傾向が強かったので、ヘタに指導するくらいなら、専門家に任せろ、というメッセージを送り続けていました。
ですから、長期的な視点ではなく、「今日、うまくいくかいかないか?」で判断されてしまっている。
そうなると、6年間かけてじっくり成長していけば、ちゃんと育っていく子ども達も、排除分断の対象となってしまう。


昨年、花風社さんの主催で、栗本さんと対談、ご一緒させていただく機会がありました。
その際、栗本さんが「僕は、3代見て指導している」とおっしゃっていました。
子どもだけではなく、その子どもの子、そしてその次の代の子。
3代が元気で、やりたいことができる身体になって、初めてちゃんと指導ができたということになる、というお考えを伺いました。
私はその時、感動し、また自分の援助も、100年先を見据えたものに高めていかなければならないと思ったのでした。


子どもを育てるというのは、100年までは見なくても、年単位、5年、10年という長いスパンで見ていなかければならないと思います。
しかし、日本全体として、くだらない陽性者数の上がり下がりに一喜一憂するくらいの人間が多くなってしまったので、あらゆることに短期的な視点でしか捉えられなくなってしまっています。
まだ5月の段階で、どうしてもう普通級で学んでいくのが無理ってなっているの?
残りの5年10か月で、どれだけの多くの学びと成長があるのでしょう。
それを今、本人ではなく、担任又は学校が「無理」と感じ、その未来を切り捨てて良いのでしょうか。
支援級に行っても、同じだけの教育、機会が保障されているのなら良いですが、そこは考えていないと思います。


長年、発達の遅れ、ヌケがあった状態だったのですから、パッと1,2週間、取り組みを行ったからといって、ガラッと変わるわけはありません。
変わったとしても、それは表面的な変化です。
根っこから育てるというのは、それなりに時間がかかりますし、本当に育ったかどうかは、5年、10年とフォローして見続けないとわからないのです。
「治った」と思い、同年代と同じ生活の中に入っていった子も、思春期や親元を離れるタイミング、社会に出てから、実はまだ治っていなかったね、ということも少なくありません。
それこそ、私がお会いする親御さん達の中には、子どもさんの発達相談の機会に、ご自身の長年のヌケ、課題を知ることもあるのです。
自分しか自分の身体、感覚がわかりませんので、結婚して子ができて初めて気づく、自分の生きづらさ、不具合もある。


ですから、栗本さんがお話ししてくださった「三代を見る指導」は、その通りだと思います。
余裕がないと、短期的な視点、結果を求めてしまいがちなのは、人間の特性です。
ということは、子育てには余裕が必要で、その余裕は時間や環境などの物理的な面だけではなく、親御さん自身の身体、心を整えていくことでも、作られていくのだと思います。
現在の学校は余裕がありません。
余裕がないところに、余裕がない親御さんがぶつかると、短絡的な方向へと進んでしまいます。
なので、子が育つ時間を待てるようになるために、大人が心身を整える。
余裕があれば、余裕の無い学校からの言動に、しなやかに対処することができますので。




2021年5月20日木曜日

【No.1166】「やることがない」といえない人達

「二週間後はインドになる」と言われていた、まさにその二週間後が福岡出張の予定日でした。
ですから、ずっと二週間、心配しながら福岡に飛び立ちましたが、福岡はインドになっていませんでした(笑)
ラーメン屋でカレーは出てきませんでしたし、博多駅はインド人で溢れかえっていませんでした。
大好物の『誉れの陣太鼓』の新商品は、カレー味じゃなくて、抹茶味で一安心。
デパート、飲食店、人が大勢。
金土日と博多駅に行ったのですが、結婚式帰りと思われる団体さんがいたり、部活帰りの高校生がいたり、旅行バックを抱えた家族がいたり…。
今回もマスク警察とやらにはお会いできず残念!
反対に道を尋ねられることがありました。
やはり顔が見えるのは、信頼の一歩だと思いますね。


既に梅雨入りをしている九州ですから、鼻マスク、顎マスク率が高くなっていました。
当然ですよね、これからの時期はコロナよりも、熱中症のほうが危険ですから。
というか、みんな、わかっているんです、このバカバカしさに。
だけれども、メディアや保身まみれの首長達が煽るもんだから、みんな外すに外せない状態なんだと思います。


博多駅にあった電子広告は緊急事態宣言と感染症対策を訴える案内が流れていました。
でも、当然、誰もそんなところに立ち止まらないし、見てもいない。
ただ電子広告がむなしく、「感染対策をお願いします」と言い続けているだけ。
まったくもって税金の無駄だし、そもそも人の注意を惹きつけるような科学的な要素は何もない。
そんな電子広告を見ていて、ふと思ったのですが、どうして政府や知事たちは一年間、無駄なことを続けているのだろうか、と思ったのです。


たぶん、私が考えるに、シンプルに言えば「やることがない」んだと思います。
私達が対峙しているのはウィルスです。
そのウィルス、つまり、自然界にあるものに対して、具体的に何かできるようなものではありません。
人流を止めようが、お酒を禁止しようが、飲食店を20時で閉めようが、緊急事態宣言を発令しようが、ウィルスはいなくなりません。
一時的に息をひそめたように見えるだけで、私達の周りには、もちろん、体内にも数え切れないほどのウィルスは存在しています。
結局、人間ができることは限られていますし、根本解決はないのですから、ある程度の人間が罹って抗体を作り、共生していくしかないんですね。
つまり、唯一の解決方法は「時間」だといえます。


私は同じことを発達障害の子ども達と関わることで感じています。
「子どもの発達に、何が一番必要ですか?」と尋ねられれば、真っ先に私は「時間」と答えるでしょう。
もちろん、酸素も重要ですが、やはりそれでも時間が解決することが多いと思うのです。
いま、発達障害と言われている子ども達の多くは、脳にダメージがあるわけでも、生まれつきで変わらない特徴を持っているのでもなく、単に未発達な状態の子ども達です。
未発達は障害でも、問題でもありません。
ただまだ育っていない状態なのです。
そういった子ども達に必要なのは、まだ育っていない部分を育てる時間になります。


定型発達にこだわり過ぎると、「同じ時間に同じことができる」が正しいように錯覚してしまいます。
従順な保健師や保育士、幼稚園の先生たちがどんどん幼児さん達をピックアップしていきます。
たぶん、この人達は真面目に、上から言われたことを守っているだけ。
根拠なく、会社や上司がそういうから、といってマスク通勤をしている人達と同じです。
別に何か考えやモットーがあって、やっているわけではなく、仕事として行っているのです。
だから、「もう少し時間があれば、ちゃんと育つよね」という普通の感覚を持ちづらくなります。
で、未発達の子ども達が特別支援の世界に入っていき、そこで診断がつけられ、気が付けば療育を受け、それが過去の事実となり、いつの間にか障害児となるのが今の日本の状態です。


では、なぜ、いち早くピックアップしようとするか、その方向へどんどん進んでいくかといえば、やることがないからです。
とっくの昔に早期療育の有効性は否定されました。
むしろ、そういったものを早期から利用しない子の方が自立している。
つまり、科学的な根拠も、子どもにとってはメリットもない。
じゃあ、なんでそんなことを税金使って行うのかといえば、それくらいしかできることがないからだと思います。
PCR検査と一緒です。
早く見つけて、それを本人に伝え、自己隔離をしてもらう。
でも、結局、ウィルスから回復するには、その人の自己免疫が働き、対処するしかないのです。


政府は本来、「コロナウィルスに対して、私達が直接できることはありません。国民一人ひとりで自己免疫を高めてください」としか言えないはずです。
だけれども、そんなことを言うと、批判を浴びるから、やってます風にしているだけ。
都知事なんかまさにその典型。
レインボーブリッジを赤くし、フリップ芸を行い、繁華街の電気を消し、見回り隊を結成し、公園の遊具をグルグル巻きにする。
国や自治体は予算をスッカラカンにして、無駄なことをやり続けている。
でも、直接、ウィルスには関係ないし、そんなんで治るわけでもない。
同じように、ギョーカイはずっと「治らない」「生涯変わらない」「生まれつき」「脳の機能障害」と言い続けているのだから、やれることはないと言っているのと一緒ではないでしょうか。


生涯変わることのない生まれつきで脳の機能障害だとしたら、特別支援、医師会のような利益団体のギョーカイなんていらないでしょ。
ギョーカイは治らないと言ってるし、治す意志も能力もないのですから。
だから、レインボーブリッジではなく、東京タワーを青くするのです。
直接、子ども達の生きづらさや課題を解決することはできない。
だけれども、それじゃあ、「何もやっていないじゃないか!」と批判を浴びるから、理解だ、啓発だ、対処療法だ、と言っているだけです。
はっきりいって、これだけ発達障害が身近になった現代に、ギョーカイは必要ありません。
冷蔵庫マザーの時代で、既に役割は終えているのです。
棚ぼた、おこぼれで、高機能ブームに乗じて、息をつないでいるだけ。


冷静に、そして客観的に見て、療育を受けたから、支援を受けたから、良くなった、成長したというのは限りなく怪しいと私は思います。
緊急事態宣言が出る前に、GOTOを止める前に、ピークアウトしていたのと似ています。
つまり、療育を受けようが受けまいが、発達する子は発達する、成長する子は成長します。
特に未発達な状態の子ども達は、その未発達を育てる時間が他の子よりもかかるというだけです。
だから、昨年の4~6月の自粛期間中、全国どこでも、子ども達がググッと伸びた。
この期間、療育や支援、園や学校にも行っていなかったのですから、時間が彼らを育てたのだと思います。


個人がコロナを発症しないためにも、発症してから治癒するためにも、他人ができることはほとんどありません。
同じように、発達の主体は子どもさん本人ですから、他人ができることは限られているのです。
私達周囲の人間ができることは、彼らが発達のヌケ、未発達を育てようとするとき、そのやりきれる時間を保障してあげること、やりきれる環境を整えること。


「我慢の3連休」は、「問題行動は無視」
「新しい生活スタイル」は、「構造化された環境」
「気のゆるみが」は、「周囲の無理解が二次障害」


医師会も、ギョーカイも、専門家というわりには、エビデンスを重視せず、出てくるのは周囲の我慢と精神論のみ。
言うことがないなら出てこなければいいのに、と思うのですが、緊急事態宣言中の札幌から緊急事態宣言中の東京に理由は、彼女と美味しいお寿司を食べるため。
どっちかといえば、彼女に札幌すすきのに来てもらった方が、新鮮なネタが食べられると思うのですが。
やはり銀座が良いのでしょうね、シャンパーニュも飲めるし。


理解という割には、神経発達症という理解は無い。
「強度行動障害への支援」を講義しながら、実際目の前にすると、逃げて隠れてしまう。
一緒に生活したことがないのに、家庭の子育てにダメ出し。


今回も中川会長のおかげで、特別支援、ギョーカイをさらに理解することができました。
あざーす!
ちなみに私はお寿司ではなく、水炊きをいただきましたよ♪




2021年5月12日水曜日

【No.1165】日本は未だに「脳の機能障害」笑笑

IOCの人たちからすれば、日本はオリンピックをしたくないのだろうか、と思うのではないでしょうか。
欧米では日本と2ケタ違う陽性者数で、死者数も圧倒的に多い。
というか、昨年の日本は欧米で見られる超過死亡がないばかりか、むしろ、例年よりも亡くなる人が1万人近く減っている状態です。
一生懸命ワクチンを打っている欧米よりも、まだ少ない陽性者数を推移しているニッポン。
誰がどう見ても、「さざ波」
小学校3年生から図表の読みとりの勉強が始まりますので、これがさざ波に見えない人は算数が苦手な人なのかもしれません。


その「さざ波」ツイートに盛り上がっていたマスコミも、マンボウ中川はスルーのようですね。
マンボウの期間中、発起人となり100人規模のパーティーを開催・参加したことが一番の問題ではなく、医師・専門家としての職責を果たさなかったことが大問題だと私は思います。
本来、「どうすれば、経済活動・私達の健康と感染対策が両立できるか」を専門的な立場から情報提供、提言するかが社会に果たす医療従事者の役目だといえます。
本当にエボラのような怖い感染症だとしたら、100人も集まってパーティーなんかしないはずです。
自分たちも分かっているのです、この新コロの危険性を。
それにも関わらず、一方で国民をバカにしたように上から目線で「自粛」を一年以上も言い続けている。
結局、政治団体であり、自分たちのギョーカイの利益のために動いているのが実態なのでしょう。
日本の医療の信頼を地に落とす決定打の一つになったと思います。


医療に限らず、専門家と言うのは、より良い未来と社会のために働かなければなりません。
年端もいかない子の親御さんに「一生治らない」「生涯、支援を受ける子」などというのは、専門家のすることなのでしょうか。
それこそ、マンボウ中川のように特定のギョーカイ団体の方だけを向いた言動ではないのでしょうか。
そういったどん底に落とすような発言をいまだに繰り返しながら、一方で「親の虐待が重大事件に繋がっている」という研究結果を出したり、子の発達よりも親の精神疾患予防が大事としたりしている。


親になって数年しか経っていない親御さんを突き落とし、手を指し伸ばした先が特別支援のベルトコンベヤーの上。
「どうしたらこの子の課題がクリアされるか?」
「どうしたらこの子がより良く育っていくか?」
それが知りたいのに、ギョーカイは明確な答えを教えてはくれない。
まるで「我慢の3連休」と同じ。
親子の自然な関わり、家族での思い出の時間は、つねに「自粛」と言い渡し、「支援を受けない親はとんでもない親だ。障害受容できていない親はとんでもない親だ」とメッセージを送り続ける。
それに同調する自粛警察のママ友が、そんなギョーカイに手を貸している。
「あそこに、児童デイ、退所した親がいるよ」
「あの子は、支援級から普通級に転籍したらしいよ」
と石を投げ、「どうせ、戻ってくるから」と感染するのを待ちわびるかのような発言をする。


日本という国は、権威と権力が分離している珍しい国です。
だから、「権力を失うと権威も失う」というものに慣れていない。
問題を起こし権力を失う人は知っているけれども、権威は別のところに存在している。
そのため、権威を感じれば、無条件に信じてしまうところがあると思います。
マンボウ中川がどんな人間か、ほとんどの人は知らず、その医師会会長という権威で無条件に正しいことを言っているように感じてしまう。
同じように、特別支援という世界を全く知らない親御さんが、初めて会う発達障害の専門家の前では、強い権威を感じ、無条件に信じてしまう傾向があると思います。
最初から特別支援の世界における専門家、医療の実態を知っていれば、何を言われようともどん底まで落ちないはずです。
多くの親御さん達は無条件で信じていたところに、「一生治らない」などと言われるもんだから、何倍も悲しい思いをするのだと感じます。


ですから事前に、「おや、うちの子、発達に遅れがあるかも」と思ったときに、幅広い情報を得ることが大事ですし、いろんな選択肢、方法、そして先を歩いている子ども達、親御さん達がいることを知ることが大事だと思います。
ギョーカイが流す情報は相変わらず、親子の子育ての自粛です。
その「自粛」の裏には、親と子の分離があり、そして目的は自分たちの支援を利用することになります。
もし、課題を解決する具体的な助言、より良く育つための援助があるのなら、こんなにも発達障害児の自粛は続かないはずです。


欧米では当たり前のように神経発達症が使われているのに、今もなお、「脳の機能障害」に固執し続けている日本のギョーカイ。
欧米からすれば、why?what's?
さざ波のような発達の遅れの状態、ヌケの状態なのに、あたかも大きな波が生じているかのように誇張し言い続けるギョーカイとメディア、そしてギョーカイ脳の人達。
「いやいや、このくらいの凸凹は育ててあげればいいじゃないですか」というのも、「障害特性だ」「治らないんだ」「生涯の支援が必要だ」と脅かし、自分たちの利益を確保しようとしている。
たまに外から「この程度は"未発達"。これで生涯支援、治らない、診断が外れないとかいうと笑笑」というと、ギョーカイ活動家とギョーカイ脳の人たちが騒ぎ出す。


昨晩も医療的ケア児の番組がやっていました。
発達障害は障害全体から見れば、限りなく健常寄りですし、軽度の障害です。
とっとと自粛は止めて、親子の子育て、関わり、家庭生活の中でヌケを育て直し、未発達は丁寧に育てていけばいいのです。
ギョーカイが恐れているのは、支援以外で育ち、自立していく人達の存在が公になること。
そうです、自分たちの不要不急の支援が切り捨てられることが一番怖い。
ワクチンのように、精神科薬で儲けたい人たちがいるのも事実。
ですから、やっぱり一人ひとりが考え、選択し、口先だけではなく実際に行動できることだと思います。
あとはテレビを消すこと、観ないこと。




2021年5月10日月曜日

【No.1164】特別支援の世界におけるインフォデミック

未だに新型コロナを「未知のウィルス」と表現している人がいて、それは「未知じゃなくて、無知だよね」と思います。
もう一年が経っているのですから、しかも世界同時多発的に生じた新型コロナですから、莫大な情報、知見が集積されているはずです。
でも、何故だか、感染経路について明確な情報提供がされていません。
日本国内においても、全国の保健所が聞き取り調査を行い、しかもクラスター班などという組織もあったわけです。
そろそろ感染経路が「飛沫」なのか、「接触」なのか、「空気」なのか、言ってほしいものですね。
もちろん、それぞれの確率がゼロではないと思いますが、2002年のSARSは飛沫と接触、特に排泄物からの感染が中心というところまで明らかにされたのですから、SARS-COV-2というくらい同じ系統の新コロなので、「この確率が高いですよ!」「ここからの感染が中心ですよ」と言ってくれれば、対策もできるわけです。
そうすれば、富岳も唾の計算ばかりさせられなくて済む(笑)


物事を本気で解決しようとすれば、その根っこを掴み、そこにアプローチしなければなりません。
「人流を止める」というのは、別の言い方をすれば、「飛沫か、接触か、空気か、わからないから全部止める」と言っているようなものです。
こんな乱暴な話ありますかね、これが専門家、首長、大臣のやることですかね。
原因分析は行わない、行っていたとしても言わない。
で、「わからない」と言えないから、カラオケ店も、美術館も、飲食店も、百貨店も、全部まとめて止めてしまう。
結局、自分たちの無能さを多くの国民に押しつけているわけです。


察しの良い方は、もうお分かりだと思いますが、これまたいつものように特別支援、ギョーカイの動きとリンクします。
2013年より世界は神経発達症になっているのに、いまだにギョーカイは「脳の機能障害」と言ってはばからない。
「脳の機能障害」は、「人流を止める」と同じですね。
結局、何が根本的な理由、障害となっているか、わかっていないのです。
いくら脳を調べても、共通する病因が見つからない。
だけれども、「脳で生じている問題だよね。たぶん、脳の不具合だよね」ということで、ひとまず「脳の機能障害」と言っている。


でも、世界は脳の不具合というざっくりしたものではなくて、多くの知見の集積から「神経発達の不具合である」というところまできているわけです。
だからこそ、身体に注目し、そこにアプローチしてきた人たちがどんどん良くなっているし、ギョーカイのできない自立ができるようになっているのは当然の結果なのです。
神経発達の不具合だったら、神経が育つようなアプローチを選択すれば良いわけです。
接触感染、それもトイレが危ないぞとわかれば、そこをおさえればうまくいきます。
一方で訳も分からず、「空気かもしれない」と雪が降る中、窓を開け、「飛沫かもしれない」と熱中症と脳障害という健康のリスクを無視して、顔にパンツをつけ続ける。
スーパーに入るときに、手にシュッシュ、スーパーから出るときにも、手にシュッシュ。
あんたの手は、どれだけ汚いのかと思ってしまいます。


あのアクリル板は、誰の発案なのでしょうか。
海外でやっているところがあるのでしょうか。
というか、あんなもんで感染症が減るなんて思うバカはいないし、そもそも何に対して防御しようとしているのでしょうか。
空気は関係ないし、飛沫だって大きな唾以外は空気中を舞うから意味ないし、接触感染でいえば、アクリル板にウィルスが留まるからリスクを高めているといえます。
結局、アクリル板でこの3つを防ごうとすれば、完全に囲んで密閉しなければなりません。
まるで、構造化の衝立のように、エスケープゾーンという牢のように。
たぶん、「なにか対策しています」風に見せるものなのでしょう。
まさに今の特別支援で行われている構造化も一緒。
支援やっています風の構造化。
ちなみにこういった衝立は、「視覚情報を制限する」という表向きの意味だけではなくて、裏の意味としては「あなたはここにいなさい」という場所の限定という意味もある。


特別支援教育、ギョーカイは、「脳の機能障害」と言っている限り、上辺だけの変化しか起こすことはできません。
発達障害の子ども達の根本的な課題、悩みには対処できないのです。
「脳の機能障害」は、脳に不具合が生じてる状態であり、原因ではないのですから。
象徴的なのは、「自閉症だから視覚支援」というやつです。
何も答えていないし、わかってもいない。
「ステイホーム」と同じです。
ただのパフォーマンス。


視覚優位だからというのなら、なぜ、視覚優位の状態になっているのか、その子その子の理由を明らかにする必要があります。
聴覚の未発達が視覚優位につながっているのか。
乳幼児期からの長時間のメディア視聴が視覚優位の脳へと歪ませているのか。
背骨が育っていないために、首から上で情報処理してしまっているのか。
運動発達のヌケが認知的な発達の遅れを生み、結果的に見て理解するしかできていないのか。
その「なぜ」を明らかにするのが専門家の役目であり、真のアセスメントというやつです。
今のギョーカイはアセスメントを行わないから、支援しています風の視覚的構造化に走る。
とにかくアクリル板立ててればイイみたいな。


尾身会長は「人流を止めるために魅力的なところを全部閉める」と言って、3回目の緊急事態宣言の説明をしていました。
もはや科学でも、専門家でもなく、個人的な思い込みです。
そして、どんな効果があったのかわからず、再び延長。
そもそも「人流」というのが科学的ではないので、検証のしようも無いのですが。
これまた「生まれつきの障害」と同じです。
生まれつきとは言うけれども、生まれたときに診断を受けた子はいない。
つまり、これも個人的な思い込み。
どちらかといえば、「そうであってほしい」という願望でしょうか。
ギョーカイのターゲット、お客さんは長期的に預けるという決定権を持っている親御さんなのですから。
支援者の多くは、「親を気持ちよくさせる」ことが支援だと思っている。
支援者がそういった本来の支援とは異なる方に進んでしまうのは、特別支援の世界が非科学的で、かつ権威主義だから。
「人流止めるってバカじゃね」と思っていても、医療従事者からの批判の声はほとんど聞こえてこない。


「原因が分からないから、人流止めちゃえ」という決定の裏に、失われたものが多くあります。
仕事はお金を得るだけではなく、それが生きがいだったり、自己実現だったり、居場所や心身の養生だったり、より良い社会を作るための行動であったり。
実際、どれほどの命、財産、喜び、人としての幸せが失われたことか。
同じように、ギョーカイの非科学的な思想、また自分たちの利益のために、親子の時間、家族の思い出、家庭での育ちが失われていることもあります。


原因がわからないときは、「わかりません」と正々堂々と言う。
もし過ちに気が付いたら、すぐに訂正し、謝罪する。
それが真摯に向き合うこと、専門家ならそれが職責を果たすということだと思います。
「脳の機能障害」も明確な根拠はありませんでした。
だから、「今のところ、"脳の機能障害"と言われています」が正しい表現の仕方だったと言えます。
それが「子育てじゃなくて(親のせいじゃなくて)、脳の問題だから」と強調したいばかりに、もっといえば、親に忖度し続けた結果、引くに引けなくなった。
それが2013年から世界が神経発達症に変わっても、日本のギョーカイだけ「脳の機能障害」から抜け出せない理由です。
煽り続けたマスコミ、専門家が今さら「インフルエンザよりも弱毒性だった」と言えないように。
「マスクも意味がありませんでした」「日本はニューヨークにも、ミラノにもなりませんでした」と前言撤回できないから、あとはインドで煽って、とにかくオリンピックを潰すしかなくなる、オリンピックを潰したあとの日本がどうなろうとも。
インフォデミックは、既に特別支援の世界で起きていましたね。




2021年5月7日金曜日

【No.1163】最後に残るのが、その子の根本的な課題

発達には順序がありますから、ある段階で発達のヌケが生じると、それ以降の発達全般に影響が出るものです。
なので、気持ちとしては「できるだけ始まりのヌケを育てたい」と思うのは当然でしょう。
私自身も、ある程度、発達の流れとどこにヌケがあるかがわかるようになってからは、「できるだけ根っこに近いものを掴み、アプローチしたい」と思ったものです。


しかし子どもさんの場合、こちらが育てたいところをあれこれ促したとしても、やってくれないことが多々あります。
それは自然なことです。
子どもに「やらせる」というのは、教示であり、訓練であり、発達ではありません。
発達とは、外からの促しによって行うものではなく、内側から突き動かされて思わず行ってしまうものだからです。
発達にヌケがある子ども達も、本能の赴くままに、自分がやり残してきた段階に戻っていく。
そこに定型発達の子ども達との違いはありません。
あるのは育て直すための退行を「発達」と見るか、「問題行動」「特性」と見るかの周りの目だけです。


私の支援者としてのスタンスは、「本人の発達を邪魔しない」
ですから、なるべく介入を減らし、本人が育てたいところをそっと後押しする、そんな感じです。
そうやって本人の内側にある発達する力に委ねるような支援をしていたら、この頃、気がついたことがありました。
最後に残るのが、その子の根本的な発達課題。


最初にお会いたときは、あれもこれも発達のヌケがあったお子さんが、時間が経って再びお会いすると、いくつもあった発達のヌケが育ちきっていることがあります。
親御さんはその時々の本人が育てたいところを育ちきれる環境を用意し、発達の後押しを続けていった。
その先に行き着くのが根本的な発達課題。
イメージで言えば、枝葉だった発達のヌケが育ち、幹の部分につきあたる感じです。
ですから、発達援助がうまくいったご家庭は、「あとは〇〇だけになりましたね」ということが多いです。


運動発達のヌケを1つずつ育てていくと、最後に愛着形成の課題が残ることがあります。
その子の場合、生きづらさの根っこが愛着の部分だったわけです。
他のお子さんでは、片足立ち、ハイハイ、寝返りを育て直したあと、背骨の課題が明確になり、そこを最後に育てようとしていました。
また運動や感覚面の発達のヌケを育てきると、家にあった玩具やテレビなどの興味を失い、外で砂遊びを始めた子もいます。
たぶん、このお子さんの本質的な課題は自然の中で遊べなかったことなのでしょう。
それぞれの子どもに、それぞれの根本的な課題がある。
別の言い方をすれば、そこに辿りつけない不完全燃焼さが今の生きづらさとなって表れている。


子どもの発達を見ていると、それぞれの子にはそれぞれのテーマがあるのがわかります。
数ある発達のヌケも、どこから育てるかは一人ひとり異なります。
そしてどこを育てたら、ドカンという全体的な発達が生じるかも、一人ひとりで異なります。
ですから、この発達援助という仕事にはマニュアルを作ることができません。
あるのは、「育てやすいところから育てる」という方針であり、その育てやすいところは、往々にして本人が今、育てようとしているところになります。


この春より普通級に進学した親御さん達は、おもしろいように同じことをおっしゃっていました。
「その都度、子どもが育てたいところを後押ししてきたら、自然と治っていた。最後に残った課題は小学生のうちに育つと思います」
枝葉の発達のヌケと比べて、幹の部分、本人のテーマである発達のヌケ・課題は育ちきるまで時間がかかるように感じます。
今までにも、その課題を持ったまま、小学校に入学していった子ども達がいましたが、みなさん、時間をかけて課題と向き合い、クリアしていきました。
成人した人たちが、最後の課題を社会の中で治していったように、子ども達も学校生活という時間の中で最後の課題をクリアしていけば良いはずです。
普通級の中にも、いろんな課題を持って過ごしている子ども達が大勢いますから。
課題をきれいさっぱりなくしてあげることよりも、自らで向き合い、クリアしていける土台を育てる方が大事かもしれませんね。




福岡出張(5/14~16)は、すべての日程が決まりました。どうもありがとうございました。
沖縄出張(6/18~21)は19日のみ空いておりますので、引き続き、発達相談の受付を行っております。どうぞよろしくお願い致します。