投稿

5月, 2021の投稿を表示しています

【No.1168】「われ思うゆえに、そうである」という助言

イメージ
都知事がまたおかしなことを言い始めました。 今度は、「20時までに仕事を終え、帰宅」の号令です。 なぜ、20時にこだわるのかわかりませんが、というかなぜ、20時で仕事を切り上げることが感染症対策になるのか、教えてほしいものです。 「安全だけれども、安心ではない」などの発言からも、科学的な思考をお持ちではないのでしょうから、単に焦っているだけなのでしょう。 要請に従わないお店は増える一方、外に出る人も増える一方。 グローバルダイニングの裁判でも、ボロが出まくり。 日本は法治国家であり、憲法がある国ですので、「われ思うゆえに、そうである」というのは感情のままにワガママを言っているだけです。 首長にしても、専門家にしても、根拠を示さない我がままっ子ばかり。 私が仕事をしている上でも、この「根拠を示す」ということは大事だと考えています。 しかし、扱っているのが目に見えない「発達」ですので、ここが一番苦労するところでもあります。 まあ、研究者ではないですし、民間企業ですので、結果が出ればすべてOkという想いもあるのですが(笑) ただそれでもやはり根拠を説明できなければ、「大久保が分かる」=「大久保に頼めば良い」という感じになってしまい、それは宗教であり、ギョーカイがやっていることと同じになってしまいますので、科学的な根拠と合わせて、子どもさんのどういった様子が確認できるから、こうなんです、という説明はしていかないといけないと思っています。 いろいろなところで、医師や支援者からの診断、アセスメント、意見書の類を見せてもらうことがあります。 しかし、笑っちゃうぐらい全国どこでも同じようなことが書かれています。 児童デイのような自動でシートを作成してくれるアプリがあるのかもしれませんが、手書きのモノもあるので、そうではないようです。 全部、昔、私が学生時代に習ったような「見通しを持たせるために予定を事前に伝える」「コミュニケーションが苦手な子は、絵で伝える」「気が散りやすい子は、掲示物を減らす」「多動な子はトランポリン」。 だいたい、こういった決まり文句を接続詞だけ変えておけば、完成です。 こういったマニュアル的な決まり文句が令和になっても生き残っているのは、ギョーカイに知識の更新がないという表れです。 これはコロナ騒動で出てくる人達と同じで、ずっと「未知のウィルス」状態。 ですか

【No.1167】大人の余裕が子の発達を保障する

イメージ
昨年1年間で妊娠届があった件数が87万2227件で、これは前年比で4.8%減ということがわかりました。 計算すると、約4.4万人の命がこの世に生まれることができなかったといえます。 コロナは、長年、ガンで闘病していたとしても、家の中で倒れていたとしても、PCRでコロナウィルスが検出されれば、みんな、「コロナ死」になります。 で、そのコロナ死が1年間で4379人(2020/1/16~2021/1/15)。 天寿を全うできた人と、その機会すら与えられなかった人。 10倍以上違うこの差には、さらに多くの人数が隠されているのです。 生まれてきた子が親になると、また次の世代が生まれ、その次の世代が成長すると…、そのような想像ができると、4.4万人の新しい命の先にも、数え切れないくらいの命と未来があったわけです。 小学校生活が6年間あるのは、その6年間という時間の中でじっくり成長を促していこうという考えの表れだと思います。 「入学式のときは、大変でどうしようかと思ったのに、卒業式ではこんなに立派になって」 そんな言葉を見聞きしたことは一度や二度ではなかったはずです。 振り返れば、同級生の中にも、今なら診断がつく子がいたでしょう。 でも、そういう子も一緒に6年間学ぶ中で、いろいろな力を身につけ、それこそ発達のヌケや凸凹を育てていたのです。 教室から飛びだす子やすぐに手や足、口が出る子、勉強についていけない子もいましたが、先生はその都度、呼び戻してきて、勉強がわからない子にはフォローしていた姿が思いだされます。 それが近頃どうでしょうか。 こういった「自分が担任のときは、子ども達のために頑張る」「6年間でしっかり育ててみせる」という気概を持った先生はいなくなったのでしょうか。 以前は、課題がある子がいても、だいたい1学期の終わりや3学期の終わりなどに学校からの面談の申し込みがあったのに、今じゃあ、4月・5月の時点で、すぐに「専門家へ」「お薬は?」「支援級もありますよ」なんてことを言っています。 学校が率先して発達障害がある子ども達を区別し、分断しようとしているのがわかります。 年々、さじを投げるのが早くなりました。 「こういう取り組みや工夫をしたけれども、ダメだった」という話がなく、一方的に子どものできないことをあげつらうのは、教育ではなく、ただのダメ出しです。 ただのダメ出しが増

【No.1166】「やることがない」といえない人達

イメージ
「二週間後はインドになる」と言われていた、まさにその二週間後が福岡出張の予定日でした。 ですから、ずっと二週間、心配しながら福岡に飛び立ちましたが、福岡はインドになっていませんでした(笑) ラーメン屋でカレーは出てきませんでしたし、博多駅はインド人で溢れかえっていませんでした。 大好物の『誉れの陣太鼓』の新商品は、カレー味じゃなくて、抹茶味で一安心。 デパート、飲食店、人が大勢。 金土日と博多駅に行ったのですが、結婚式帰りと思われる団体さんがいたり、部活帰りの高校生がいたり、旅行バックを抱えた家族がいたり…。 今回もマスク警察とやらにはお会いできず残念! 反対に道を尋ねられることがありました。 やはり顔が見えるのは、信頼の一歩だと思いますね。 既に梅雨入りをしている九州ですから、鼻マスク、顎マスク率が高くなっていました。 当然ですよね、これからの時期はコロナよりも、熱中症のほうが危険ですから。 というか、みんな、わかっているんです、このバカバカしさに。 だけれども、メディアや保身まみれの首長達が煽るもんだから、みんな外すに外せない状態なんだと思います。 博多駅にあった電子広告は緊急事態宣言と感染症対策を訴える案内が流れていました。 でも、当然、誰もそんなところに立ち止まらないし、見てもいない。 ただ電子広告がむなしく、「感染対策をお願いします」と言い続けているだけ。 まったくもって税金の無駄だし、そもそも人の注意を惹きつけるような科学的な要素は何もない。 そんな電子広告を見ていて、ふと思ったのですが、どうして政府や知事たちは一年間、無駄なことを続けているのだろうか、と思ったのです。 たぶん、私が考えるに、シンプルに言えば「やることがない」んだと思います。 私達が対峙しているのはウィルスです。 そのウィルス、つまり、自然界にあるものに対して、具体的に何かできるようなものではありません。 人流を止めようが、お酒を禁止しようが、飲食店を20時で閉めようが、緊急事態宣言を発令しようが、ウィルスはいなくなりません。 一時的に息をひそめたように見えるだけで、私達の周りには、もちろん、体内にも数え切れないほどのウィルスは存在しています。 結局、人間ができることは限られていますし、根本解決はないのですから、ある程度の人間が罹って抗体を作り、共生していくしかないんですね。 つまり、唯

【No.1165】日本は未だに「脳の機能障害」笑笑

イメージ
IOCの人たちからすれば、日本はオリンピックをしたくないのだろうか、と思うのではないでしょうか。 欧米では日本と2ケタ違う陽性者数で、死者数も圧倒的に多い。 というか、昨年の日本は欧米で見られる超過死亡がないばかりか、むしろ、例年よりも亡くなる人が1万人近く減っている状態です。 一生懸命ワクチンを打っている欧米よりも、まだ少ない陽性者数を推移しているニッポン。 誰がどう見ても、「さざ波」 小学校3年生から図表の読みとりの勉強が始まりますので、これがさざ波に見えない人は算数が苦手な人なのかもしれません。 その「さざ波」ツイートに盛り上がっていたマスコミも、マンボウ中川はスルーのようですね。 マンボウの期間中、発起人となり100人規模のパーティーを開催・参加したことが一番の問題ではなく、医師・専門家としての職責を果たさなかったことが大問題だと私は思います。 本来、「どうすれば、経済活動・私達の健康と感染対策が両立できるか」を専門的な立場から情報提供、提言するかが社会に果たす医療従事者の役目だといえます。 本当にエボラのような怖い感染症だとしたら、100人も集まってパーティーなんかしないはずです。 自分たちも分かっているのです、この新コロの危険性を。 それにも関わらず、一方で国民をバカにしたように上から目線で「自粛」を一年以上も言い続けている。 結局、政治団体であり、自分たちのギョーカイの利益のために動いているのが実態なのでしょう。 日本の医療の信頼を地に落とす決定打の一つになったと思います。 医療に限らず、専門家と言うのは、より良い未来と社会のために働かなければなりません。 年端もいかない子の親御さんに「一生治らない」「生涯、支援を受ける子」などというのは、専門家のすることなのでしょうか。 それこそ、マンボウ中川のように特定のギョーカイ団体の方だけを向いた言動ではないのでしょうか。 そういったどん底に落とすような発言をいまだに繰り返しながら、一方で「親の虐待が重大事件に繋がっている」という研究結果を出したり、子の発達よりも親の精神疾患予防が大事としたりしている。 親になって数年しか経っていない親御さんを突き落とし、手を指し伸ばした先が特別支援のベルトコンベヤーの上。 「どうしたらこの子の課題がクリアされるか?」 「どうしたらこの子がより良く育っていくか?」 それが知りた

【No.1164】特別支援の世界におけるインフォデミック

イメージ
未だに新型コロナを「未知のウィルス」と表現している人がいて、それは「未知じゃなくて、無知だよね」と思います。 もう一年が経っているのですから、しかも世界同時多発的に生じた新型コロナですから、莫大な情報、知見が集積されているはずです。 でも、何故だか、感染経路について明確な情報提供がされていません。 日本国内においても、全国の保健所が聞き取り調査を行い、しかもクラスター班などという組織もあったわけです。 そろそろ感染経路が「飛沫」なのか、「接触」なのか、「空気」なのか、言ってほしいものですね。 もちろん、それぞれの確率がゼロではないと思いますが、2002年のSARSは飛沫と接触、特に排泄物からの感染が中心というところまで明らかにされたのですから、SARS-COV-2というくらい同じ系統の新コロなので、「この確率が高いですよ!」「ここからの感染が中心ですよ」と言ってくれれば、対策もできるわけです。 そうすれば、富岳も唾の計算ばかりさせられなくて済む(笑) 物事を本気で解決しようとすれば、その根っこを掴み、そこにアプローチしなければなりません。 「人流を止める」というのは、別の言い方をすれば、「飛沫か、接触か、空気か、わからないから全部止める」と言っているようなものです。 こんな乱暴な話ありますかね、これが専門家、首長、大臣のやることですかね。 原因分析は行わない、行っていたとしても言わない。 で、「わからない」と言えないから、カラオケ店も、美術館も、飲食店も、百貨店も、全部まとめて止めてしまう。 結局、自分たちの無能さを多くの国民に押しつけているわけです。 察しの良い方は、もうお分かりだと思いますが、これまたいつものように特別支援、ギョーカイの動きとリンクします。 2013年より世界は神経発達症になっているのに、いまだにギョーカイは「脳の機能障害」と言ってはばからない。 「脳の機能障害」は、「人流を止める」と同じですね。 結局、何が根本的な理由、障害となっているか、わかっていないのです。 いくら脳を調べても、共通する病因が見つからない。 だけれども、「脳で生じている問題だよね。たぶん、脳の不具合だよね」ということで、ひとまず「脳の機能障害」と言っている。 でも、世界は脳の不具合というざっくりしたものではなくて、多くの知見の集積から「神経発達の不具合である」というところま

【No.1163】最後に残るのが、その子の根本的な課題

イメージ
発達には順序がありますから、ある段階で発達のヌケが生じると、それ以降の発達全般に影響が出るものです。 なので、気持ちとしては「できるだけ始まりのヌケを育てたい」と思うのは当然でしょう。 私自身も、ある程度、発達の流れとどこにヌケがあるかがわかるようになってからは、「できるだけ根っこに近いものを掴み、アプローチしたい」と思ったものです。 しかし子どもさんの場合、こちらが育てたいところをあれこれ促したとしても、やってくれないことが多々あります。 それは自然なことです。 子どもに「やらせる」というのは、教示であり、訓練であり、発達ではありません。 発達とは、外からの促しによって行うものではなく、内側から突き動かされて思わず行ってしまうものだからです。 発達にヌケがある子ども達も、本能の赴くままに、自分がやり残してきた段階に戻っていく。 そこに定型発達の子ども達との違いはありません。 あるのは育て直すための退行を「発達」と見るか、「問題行動」「特性」と見るかの周りの目だけです。 私の支援者としてのスタンスは、「本人の発達を邪魔しない」 ですから、なるべく介入を減らし、本人が育てたいところをそっと後押しする、そんな感じです。 そうやって本人の内側にある発達する力に委ねるような支援をしていたら、この頃、気がついたことがありました。 最後に残るのが、その子の根本的な発達課題。 最初にお会いたときは、あれもこれも発達のヌケがあったお子さんが、時間が経って再びお会いすると、いくつもあった発達のヌケが育ちきっていることがあります。 親御さんはその時々の本人が育てたいところを育ちきれる環境を用意し、発達の後押しを続けていった。 その先に行き着くのが根本的な発達課題。 イメージで言えば、枝葉だった発達のヌケが育ち、幹の部分につきあたる感じです。 ですから、発達援助がうまくいったご家庭は、「あとは〇〇だけになりましたね」ということが多いです。 運動発達のヌケを1つずつ育てていくと、最後に愛着形成の課題が残ることがあります。 その子の場合、生きづらさの根っこが愛着の部分だったわけです。 他のお子さんでは、片足立ち、ハイハイ、寝返りを育て直したあと、背骨の課題が明確になり、そこを最後に育てようとしていました。 また運動や感覚面の発達のヌケを育てきると、家にあった玩具やテレビなどの興味を失い、外で