【No.1164】特別支援の世界におけるインフォデミック

未だに新型コロナを「未知のウィルス」と表現している人がいて、それは「未知じゃなくて、無知だよね」と思います。
もう一年が経っているのですから、しかも世界同時多発的に生じた新型コロナですから、莫大な情報、知見が集積されているはずです。
でも、何故だか、感染経路について明確な情報提供がされていません。
日本国内においても、全国の保健所が聞き取り調査を行い、しかもクラスター班などという組織もあったわけです。
そろそろ感染経路が「飛沫」なのか、「接触」なのか、「空気」なのか、言ってほしいものですね。
もちろん、それぞれの確率がゼロではないと思いますが、2002年のSARSは飛沫と接触、特に排泄物からの感染が中心というところまで明らかにされたのですから、SARS-COV-2というくらい同じ系統の新コロなので、「この確率が高いですよ!」「ここからの感染が中心ですよ」と言ってくれれば、対策もできるわけです。
そうすれば、富岳も唾の計算ばかりさせられなくて済む(笑)


物事を本気で解決しようとすれば、その根っこを掴み、そこにアプローチしなければなりません。
「人流を止める」というのは、別の言い方をすれば、「飛沫か、接触か、空気か、わからないから全部止める」と言っているようなものです。
こんな乱暴な話ありますかね、これが専門家、首長、大臣のやることですかね。
原因分析は行わない、行っていたとしても言わない。
で、「わからない」と言えないから、カラオケ店も、美術館も、飲食店も、百貨店も、全部まとめて止めてしまう。
結局、自分たちの無能さを多くの国民に押しつけているわけです。


察しの良い方は、もうお分かりだと思いますが、これまたいつものように特別支援、ギョーカイの動きとリンクします。
2013年より世界は神経発達症になっているのに、いまだにギョーカイは「脳の機能障害」と言ってはばからない。
「脳の機能障害」は、「人流を止める」と同じですね。
結局、何が根本的な理由、障害となっているか、わかっていないのです。
いくら脳を調べても、共通する病因が見つからない。
だけれども、「脳で生じている問題だよね。たぶん、脳の不具合だよね」ということで、ひとまず「脳の機能障害」と言っている。


でも、世界は脳の不具合というざっくりしたものではなくて、多くの知見の集積から「神経発達の不具合である」というところまできているわけです。
だからこそ、身体に注目し、そこにアプローチしてきた人たちがどんどん良くなっているし、ギョーカイのできない自立ができるようになっているのは当然の結果なのです。
神経発達の不具合だったら、神経が育つようなアプローチを選択すれば良いわけです。
接触感染、それもトイレが危ないぞとわかれば、そこをおさえればうまくいきます。
一方で訳も分からず、「空気かもしれない」と雪が降る中、窓を開け、「飛沫かもしれない」と熱中症と脳障害という健康のリスクを無視して、顔にパンツをつけ続ける。
スーパーに入るときに、手にシュッシュ、スーパーから出るときにも、手にシュッシュ。
あんたの手は、どれだけ汚いのかと思ってしまいます。


あのアクリル板は、誰の発案なのでしょうか。
海外でやっているところがあるのでしょうか。
というか、あんなもんで感染症が減るなんて思うバカはいないし、そもそも何に対して防御しようとしているのでしょうか。
空気は関係ないし、飛沫だって大きな唾以外は空気中を舞うから意味ないし、接触感染でいえば、アクリル板にウィルスが留まるからリスクを高めているといえます。
結局、アクリル板でこの3つを防ごうとすれば、完全に囲んで密閉しなければなりません。
まるで、構造化の衝立のように、エスケープゾーンという牢のように。
たぶん、「なにか対策しています」風に見せるものなのでしょう。
まさに今の特別支援で行われている構造化も一緒。
支援やっています風の構造化。
ちなみにこういった衝立は、「視覚情報を制限する」という表向きの意味だけではなくて、裏の意味としては「あなたはここにいなさい」という場所の限定という意味もある。


特別支援教育、ギョーカイは、「脳の機能障害」と言っている限り、上辺だけの変化しか起こすことはできません。
発達障害の子ども達の根本的な課題、悩みには対処できないのです。
「脳の機能障害」は、脳に不具合が生じてる状態であり、原因ではないのですから。
象徴的なのは、「自閉症だから視覚支援」というやつです。
何も答えていないし、わかってもいない。
「ステイホーム」と同じです。
ただのパフォーマンス。


視覚優位だからというのなら、なぜ、視覚優位の状態になっているのか、その子その子の理由を明らかにする必要があります。
聴覚の未発達が視覚優位につながっているのか。
乳幼児期からの長時間のメディア視聴が視覚優位の脳へと歪ませているのか。
背骨が育っていないために、首から上で情報処理してしまっているのか。
運動発達のヌケが認知的な発達の遅れを生み、結果的に見て理解するしかできていないのか。
その「なぜ」を明らかにするのが専門家の役目であり、真のアセスメントというやつです。
今のギョーカイはアセスメントを行わないから、支援しています風の視覚的構造化に走る。
とにかくアクリル板立ててればイイみたいな。


尾身会長は「人流を止めるために魅力的なところを全部閉める」と言って、3回目の緊急事態宣言の説明をしていました。
もはや科学でも、専門家でもなく、個人的な思い込みです。
そして、どんな効果があったのかわからず、再び延長。
そもそも「人流」というのが科学的ではないので、検証のしようも無いのですが。
これまた「生まれつきの障害」と同じです。
生まれつきとは言うけれども、生まれたときに診断を受けた子はいない。
つまり、これも個人的な思い込み。
どちらかといえば、「そうであってほしい」という願望でしょうか。
ギョーカイのターゲット、お客さんは長期的に預けるという決定権を持っている親御さんなのですから。
支援者の多くは、「親を気持ちよくさせる」ことが支援だと思っている。
支援者がそういった本来の支援とは異なる方に進んでしまうのは、特別支援の世界が非科学的で、かつ権威主義だから。
「人流止めるってバカじゃね」と思っていても、医療従事者からの批判の声はほとんど聞こえてこない。


「原因が分からないから、人流止めちゃえ」という決定の裏に、失われたものが多くあります。
仕事はお金を得るだけではなく、それが生きがいだったり、自己実現だったり、居場所や心身の養生だったり、より良い社会を作るための行動であったり。
実際、どれほどの命、財産、喜び、人としての幸せが失われたことか。
同じように、ギョーカイの非科学的な思想、また自分たちの利益のために、親子の時間、家族の思い出、家庭での育ちが失われていることもあります。


原因がわからないときは、「わかりません」と正々堂々と言う。
もし過ちに気が付いたら、すぐに訂正し、謝罪する。
それが真摯に向き合うこと、専門家ならそれが職責を果たすということだと思います。
「脳の機能障害」も明確な根拠はありませんでした。
だから、「今のところ、"脳の機能障害"と言われています」が正しい表現の仕方だったと言えます。
それが「子育てじゃなくて(親のせいじゃなくて)、脳の問題だから」と強調したいばかりに、もっといえば、親に忖度し続けた結果、引くに引けなくなった。
それが2013年から世界が神経発達症に変わっても、日本のギョーカイだけ「脳の機能障害」から抜け出せない理由です。
煽り続けたマスコミ、専門家が今さら「インフルエンザよりも弱毒性だった」と言えないように。
「マスクも意味がありませんでした」「日本はニューヨークにも、ミラノにもなりませんでした」と前言撤回できないから、あとはインドで煽って、とにかくオリンピックを潰すしかなくなる、オリンピックを潰したあとの日本がどうなろうとも。
インフォデミックは、既に特別支援の世界で起きていましたね。




コメント

このブログの人気の投稿

【No.1358】体軸が育つ前の子と、育った後の子

【No.1364】『療育整体』を読んで

【No.1370】それを対症療法にするか、根本療法にするかは、受け手側の問題