【No.1163】最後に残るのが、その子の根本的な課題

発達には順序がありますから、ある段階で発達のヌケが生じると、それ以降の発達全般に影響が出るものです。
なので、気持ちとしては「できるだけ始まりのヌケを育てたい」と思うのは当然でしょう。
私自身も、ある程度、発達の流れとどこにヌケがあるかがわかるようになってからは、「できるだけ根っこに近いものを掴み、アプローチしたい」と思ったものです。


しかし子どもさんの場合、こちらが育てたいところをあれこれ促したとしても、やってくれないことが多々あります。
それは自然なことです。
子どもに「やらせる」というのは、教示であり、訓練であり、発達ではありません。
発達とは、外からの促しによって行うものではなく、内側から突き動かされて思わず行ってしまうものだからです。
発達にヌケがある子ども達も、本能の赴くままに、自分がやり残してきた段階に戻っていく。
そこに定型発達の子ども達との違いはありません。
あるのは育て直すための退行を「発達」と見るか、「問題行動」「特性」と見るかの周りの目だけです。


私の支援者としてのスタンスは、「本人の発達を邪魔しない」
ですから、なるべく介入を減らし、本人が育てたいところをそっと後押しする、そんな感じです。
そうやって本人の内側にある発達する力に委ねるような支援をしていたら、この頃、気がついたことがありました。
最後に残るのが、その子の根本的な発達課題。


最初にお会いたときは、あれもこれも発達のヌケがあったお子さんが、時間が経って再びお会いすると、いくつもあった発達のヌケが育ちきっていることがあります。
親御さんはその時々の本人が育てたいところを育ちきれる環境を用意し、発達の後押しを続けていった。
その先に行き着くのが根本的な発達課題。
イメージで言えば、枝葉だった発達のヌケが育ち、幹の部分につきあたる感じです。
ですから、発達援助がうまくいったご家庭は、「あとは〇〇だけになりましたね」ということが多いです。


運動発達のヌケを1つずつ育てていくと、最後に愛着形成の課題が残ることがあります。
その子の場合、生きづらさの根っこが愛着の部分だったわけです。
他のお子さんでは、片足立ち、ハイハイ、寝返りを育て直したあと、背骨の課題が明確になり、そこを最後に育てようとしていました。
また運動や感覚面の発達のヌケを育てきると、家にあった玩具やテレビなどの興味を失い、外で砂遊びを始めた子もいます。
たぶん、このお子さんの本質的な課題は自然の中で遊べなかったことなのでしょう。
それぞれの子どもに、それぞれの根本的な課題がある。
別の言い方をすれば、そこに辿りつけない不完全燃焼さが今の生きづらさとなって表れている。


子どもの発達を見ていると、それぞれの子にはそれぞれのテーマがあるのがわかります。
数ある発達のヌケも、どこから育てるかは一人ひとり異なります。
そしてどこを育てたら、ドカンという全体的な発達が生じるかも、一人ひとりで異なります。
ですから、この発達援助という仕事にはマニュアルを作ることができません。
あるのは、「育てやすいところから育てる」という方針であり、その育てやすいところは、往々にして本人が今、育てようとしているところになります。


この春より普通級に進学した親御さん達は、おもしろいように同じことをおっしゃっていました。
「その都度、子どもが育てたいところを後押ししてきたら、自然と治っていた。最後に残った課題は小学生のうちに育つと思います」
枝葉の発達のヌケと比べて、幹の部分、本人のテーマである発達のヌケ・課題は育ちきるまで時間がかかるように感じます。
今までにも、その課題を持ったまま、小学校に入学していった子ども達がいましたが、みなさん、時間をかけて課題と向き合い、クリアしていきました。
成人した人たちが、最後の課題を社会の中で治していったように、子ども達も学校生活という時間の中で最後の課題をクリアしていけば良いはずです。
普通級の中にも、いろんな課題を持って過ごしている子ども達が大勢いますから。
課題をきれいさっぱりなくしてあげることよりも、自らで向き合い、クリアしていける土台を育てる方が大事かもしれませんね。




福岡出張(5/14~16)は、すべての日程が決まりました。どうもありがとうございました。
沖縄出張(6/18~21)は19日のみ空いておりますので、引き続き、発達相談の受付を行っております。どうぞよろしくお願い致します。


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