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【No.1371】目に見えない『発達』を捉え、後押ししていく

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前回の更新からちょうど1か月経過してしまいました。 YouTubeを始める前は、3日に1回のペースで更新していましたが、やっぱりパソコンの前に座ってポチっとスタートを押して思ったままにしゃべるほうが楽で速い(笑) だから、ついついYouTubeの方へ気持ちが流れていっていたのでした。 しかし、更新していない間も、このブログへのアクセスは続いており、一度、書いたものは残り続けるので、それはそれで意義のあることかなと自分では思っています。 情報や考えは時間の経過とともに古くなっていくでしょうが、そのキモの部分は変わっていないと思います。 そもそもこのブログを綴っていたのは、もちろん、てらっこ塾を知ってもらうための広告媒体というのが一番ですが、私個人としては「発達」という目に見えないものをどう言語化するか、その技能を磨こうと考えたからです。 一言で「発達」と言っても、それが何を指すのか、どんな行動や変化を言うのか。 はたまた人によってその解釈の仕方も違います。 というか、「発達」って目に見えない。 だけれども、じゃあ、「発達」というものが存在しないのか、感じられないモノか、といえばそうじゃないと思います。 子どもと関わっている人、特に親御さん、ご家族は子どもの発達をかなり適格に捉えているように“見えます”。 発達障害は神経発達症なので、そこには神経が関わっているのでしょう。 でも、その神経は身体中に張り巡らされていて、その数も膨大で、この瞬間にも神経細胞は死に生まれ繋がっている。 そんな神経全体をリアルタイムで観察することはできないし、どことどこがつながったから「発達した」またはどことどこがつながっていないから「発達していない」「遅れている」ということもできませんね。 つまり、誰一人として「発達」を明確に捉えられている人はいないわけです。 目で確認できないけれども、確実に存在しているといえる「発達」 たぶん、それはまだ人類が測定方法を見つけられていないレベルの話。 だから、「確実に測定できるようになるまでは何もしない」なんてことはないわけで、それは「エビデンスが出てから子育てします」と同じような戯言。 私たちは(現時点では)感覚的に捉えている発達を目以外のもので見ながら子育て、発達援助をしていく必要があるのです。 我々人類が700万年行ってきたように。 YouTubeを始

【No.1370】それを対症療法にするか、根本療法にするかは、受け手側の問題

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目指すべきところは、本人のよりよい発達成長であり、自立した自由な人生、幸せな人生を送られること。 とすれば、どんな療法でも、アプローチでも、名もなき遊びでも、地域の習い事でも、日光浴でも、名前のないような関りであっても良いわけです。 ですから、「栄養療法が大事なんです!」「ABAが大事なんです!」「ビジョントレーニングが大事なんです!」って、枝葉末節の話でしょ。 そりゃあ、栄養療法が効く子もいれば、効かない子もいるし、逆にネガティブな反応がある子だっている。 物事には陰と陽があり、時と場合があり、一方的に良いも、悪いもない。 治験中の注射があたかもノーリスクで利点しかない、と言われてきた2年間をお忘れでしょうか。 物事の一面しか述べられないとき、そこには発信者の別の隠された意図があるものです。 発達障害の人に対するアプローチで、みんながみんな、同じ反応があるとしたら、それはその人の資質や個別性を無視できる次元の話になります。 叩いたら痛い。 食事を与えない。 劇薬を飲ませる。 つまり、同じ反応が得られると主張する人も、それを信じてアプローチを続ける人も、対象である個人の人権を無視した行為だということ。 一人ひとり免疫の具合、国や人種による違いがあるのに、一律にマスクしろ、社会的距離を取れ、注射を打て、なんてことは人権侵害だってわかるでしょ。 まあ、ひとは恐怖心をあおられると、冷静な思考や判断ができなくなるもので、最初に入った情報を更新することが苦手という特徴もありますが。 だから、特定のアプローチには、特定の脅し文句がある。 そこに繋ぎとめるためには、恐怖や不安を煽る必要があるから。 「二次障害になる」はそういった類の言葉でした。 ただでも発達の遅れ、知的の遅れがあるのだから、さらに二次障害となれば、不安が増長されるのは自然な反応。 そうやって飲みたくもない精神科薬を飲み、泣き叫ぶ子を連れ家事をほったらかし療育に通い、効果があるかどうかわからないアプローチを必死に続ける。 第一、続けないと維持できないアプローチなんて、問題の本質に迫れていないでしょ。 「栄養療法、1年続けています」 「毎日、サプリを摂って、丸3年」 「金魚体操を始めて2年半」 ビジョントレーニングは1年で、原始反射の統合は1年3か月。 挙句の果てには、療育に通って12年。 「降圧剤を飲んで正常の値で

【No.1369】心から治ってほしいと思っている人はほとんどいない

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YouTubeのおススメ動画にあがってくる発達障害の子を持つママの再生数が数千から1万を超えている。 私の動画は頑張っても300再生なのに(笑) まあ、再生数を稼ぐことを目的としていないので良いのですが、私の見立ては間違っていたのかと思ったりする。 YouTubeってニッチな内容が受けるんじゃないのかな。 一般的な教科書や書籍、講演会で聴けないような話、情報を求めてYouTubeにやってくる。 発達障害の分野でいえば、「本に書いてあることでもうまくいかない」「講演会や支援者の話を聞いてもピンとこない」「療育も、発達相談にも行ったけどよくならない」「だからYouTubeで違った視点、情報が欲しいんです」でYouTubeにアクセス!じゃないんですかね。 教科書に書いてあることを教科書通り動画にしてもつまんないでしょ。 そんな風に思ってYouTubeを始めたんですけど、1か月やってみて私の勘違いだということがよくわかりました。 まず本を読まない、読めないから動画って人が多いってこと。 日本人全体として本を読まないのも知っていたし、Twitterなど、あんな少ない文字数でも読み間違える人がいるのは肌身でわかっていた。 だけれども、我が子の問題ですよ。 そりゃあ、日ごろ、本を読まない人でも、ある程度、本を買って読むでしょ。 でも違うんです。 「大久保さんの本が発達障害の分野で初めてです☆彡」みたいな人もいます(褒めてますw)。 「私、本苦手で、全部ネットで検索して情報集めたんです」というツワモノもいます。 だから、本や講演会代わりにYouTubeって人もやっぱり実際にいるんだなと思いました。 そういった人たちにとっては、ニッチな内容よりも、教科書通りの情報のほうがニーズですね。 あとこれは以前から言ってきたように、治ってほしいと思う親御さんは実は少ないということ。 まあ、一般的に障害と聞けば、治らないと思うでしょうし、そもそもが我が子に根本からは良くなってほしいと思っていない。 これは「うちの子に治ってほしいんです」と言っている親御さんの中にもある話。 なぜ、それがわかるかといえば、ほとんどの人が「(この子だけ)治して」と言うから。 「言葉が出ないんですけど、出るアプローチ教えてくれませんか?」 「発達のヌケが埋まるアプローチを教えてください」 「集団行動ができるようになって

【No.1368】てらっこ塾開業10周年

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ブログ は1368本(閲覧数:52万6632)。 ラジオ は111本(再生数:4万6524)。 YouTube は28本(再生数:3224)。 書籍2冊 (『医者が教えてくれない発達障害の治り方①親心に自信を持とう!(2021)』『ポストコロナの発達援助論(2022)』花風社)。 発達相談は1000名以上。 出張した都道府県は20県。 てらっこ塾が10年間で積み上げてきたものです。 2013年4月2日に開業したてらっこ塾は、本日丸10年を終え、11年目に突入します。 いま、この景色が見られるのも、多くの方たちが利用してくださったからであり、家族の理解と支えがあったからだと思っています。 心より感謝申し上げます。 開業当初と考えていた形態、仕事の内容とは今はまったく違います。 こんなにも乳幼児さんからの相談があるとは想像していなかったし、こんなにも「治る」方向で援助をするとは思ってもみなかった。 重度の知的障害を持つ自閉症児、または行動障害をもっている人。 そんな人たちが少しでも生きやすくなるように、自立してできることが増えるようにと考え始めた事業です。 しかし今では、自立のための支援、個人や家庭の発達援助の枠を飛び越え、社会問題として「発達障害を予防していくか」に向かっています。 「神経に不具合が生じたから、その神経を整え、育てる」から「神経に不具合を生じさせた原因の除去と予防のための啓発」です。 「モデルや参考になる支援者、事業はないだろうか」 そんなことを考え、開業の準備をしていましたが、同じようなことをやっている人は見つかりませんでした。 ですからこの10年間、その時々で「ベスト」だと思う道、方法を選択し、個人事業ゆえの強みである機動性、柔軟性、独立性をフル活用してきました。 心がけてきたのは社会の3年先を読むことと、自然な流れに身を任せ、自分の直感を信じて判断すること。 「3年間、無給でも大丈夫なくらい」の貯金をして始めたてらっこ塾。 こうやって11年目のスタートを切れたのは、まだまだやるべき仕事、責任があるからだと思います。 起業時、30歳の私も、40歳になりました。 まだ老け込む年齢ではないので新たなことにも挑戦を続け、同時に次の世代、今の子ども達によりよい社会を作って引き継いでいけるような命の使い方をしていきます! 今後とも応援、またご指導のほどよろし

【No.1367】おススメ動画に出てくる涙ぐむママたちを見て

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ユーチューバーになってからというもの、やたらとおススメに発達障害を持つママの動画が流れてきます。 もちろん、今までもそうやって動画をあげてる親御さんがいるのは知っていたけれども、まったく観る気が起きなかった。 だって邪気に溢れているでしょ(笑) それに勝手に「私は障害者として生きます」宣言がよりによって親にされちゃっている子が不憫で仕方がないから。 でもいくつかの動画を観てみました。 そこで気が付いたのは、編集が上手ってこと(笑) つまり、どんなフラクタル構造化と言えば、現実も編集したいという想いなんですね。 私が見た限りですが、全員、我が子の発達の遅れを受け止めることができていない、そして根本から変わっていくことを諦めている。 別に現時点で遅れているからっていって、1年後も、2年後も、遅れ続けているかはわからないのにね。 だけれども、「遅れ=生涯変わらないモノ」なっているから、編集に「変わるものなら変わりたい」「あのときのあの選択をやめたい」という願望を乗せている。 また編集って「見せたいところを見せる」と同時に、「見せたくないところは見せない」なんですね。 これまたフラクタル構造の「表面に目を向け根本を見ない(見れない)」「自分が見たくないところは見ない(=自分は悪くないと思いたい)」が出ている。 どの子も重度と言うけど、脳のダメージは見えないし、「やれば、本来の発達の流れに戻るよな」って感じ。 でも根本に向き合えないご家庭は(本人の問題じゃなくて)治るのは無理だよな~と思う。 まあ、またまたフラクタル構造で、世の中、こんなご家庭ばっかりで治したくない、治ってほしくない親御さんが大多数なのでしょう。 私が「根本」「根本」というのは、治っていかない、本来の発達の流れに戻っていけない、という理由もあるけれど、根っこという土台の部分が治らなきゃ、結局のところ、発達の凸凹が大きくなって新たな生きづらさが生まれるし、人生で出くわす困難がやってきて倒れたあと、ぽきっと折れちゃって立ち上がれない元発達障害児たちを見てきたから。 そして何よりも、次の世代に影響が出ちゃうでしょ。 まあ、頑張れば、対症療法だけで、〇〇アプローチだけで治る子、元の流れに戻る子はいる。 だけれども、「どうして発達が遅れたのか?」「どうして発達が遅れたままなのか、そこから育っていかなかったのか?」がわか

【No.1366】まずは私たち大人が本気にならなきゃ

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悲観する親御さんを慰め、不安をもつ親御さんに「私が支えます」と言う。 「こういったアプローチがありますよ」と伝え、親御さんに手取り足取り教えてお金をいただく。 結果的によくなったり、変わらなかったり。 よくなれば、「ああ、教えてもらったアプローチが効いたんだ」と親御さんが喜び、変わらなければ「うちの子に合う別のアプローチが(どこかに)あるだろう」と外に意識が向かっていく。 そして年月は過ぎていく。 みなさんはこんな支援、援助、サービスをお求めなのでしょうか。 私も一応、大学を出ているので(笑)、世の中の状況を見て、どんな商売の仕方が儲かるのか、想像することができます。 たぶん、上記のような寄り添い、意識を外へ外へと向かわせるようなサービスのほうがお客さんがくるでしょう。 ちまたのなんとかセンターの支援者のように偽善の優しい言葉を掛けることだってできる。 ちまたの心理カウンセラーのように、偽善の仮面をかぶり、笑顔を振りまくことだってできる。 だけれども、私はそんな仕事はしたくない。 そんな自分の信念を曲げるような商売はしたくない。 散々見てきたじゃないですか。 特別支援が始まって20年、このような親御さんを接待するだけの支援を。 親御さんの心は軽くなるかもしれない。 だけれども、その陰で子ども達の発達や成長、彼らの生活、人生が後回しにされてきたのを。 「支援があれば」が本当だったとしたら、今頃、発達障害をもった人たちも自分の人生を歩んでいけているはずです。 なぜ、幼少期から診断と支援を受け、大人になった今も、誰かの庇護のもと、他人の決定に従い生きているの? 私は根っこから治っていくことを目指しているのだから、自動販売機のような「この症状にはこのアプローチ」みたいな仕事はすることができません。 できたとしても、それは急性期の非常事態がその子や家族に迫っているときだけ。 基本的に発達障害は慢性疾患の部類で、発達を遅らせている根っこから改善していかなければならないものです。 「発達障害は親御さんの頑張りで改善します」と言っている一方で、「発達障害は親御さんの過ちによって悪くなることがある」とは言わない。 私と同じような「治る」を目指している援助者の中にも、そこには触れない人もいる。 そういった人を見かけるたびに「あなたも、親御さんの力、家族の力を見くびっているのか、低く見積

【No.1365】身体アプローチと身体育て

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昨日は下の子の卒園式でした。 お兄ちゃんの卒園式の時は「ちゃんとできるかな」と心配であまり周りが見えていませんでしたが、うちの子だけではなく、クラスの友達、全員の顔とリズム体操(毎年、園活動の集大成として跳び箱や側転、太鼓、駒回しなどを行います)を見ることができました。 兄弟でお世話になった保育園で、ここに通う子ども達と保育士さんから「指先、つま先に神経が通るってどういうことなのか」「躍動する動きはどうやって培われていくか」など、多くのことをその姿から教わったと思います。 神経発達は目で見て動きで確認するだけではなく、「音やにおい、体温や肌の質感など五感を通して感じ、伝わってくるものだ」というのは今後も忘れることのない学びでした。 子ども達は縦横無尽に駆け回る。 そこで行う身体活動自体も難易度が高いものなのに、お互いがぶつかることなく、次々と披露している。 20名近い年長の子ども達が一斉にあれだけ走り回ってもぶつからないというのは、我が身を自在にコントロールできるだけの身体が育っているからだといえます。 どこからどの子がやってくるかはわからない。 つまり、周りの環境自体を変えることはできない。 だからこそ、周囲の環境から独立した自分が必要であり、その独立性は身体の自在性によって確保されている。 「身体を育てる」というのは、その子の独立を守るということです。 身体アプローチの本質もここにあると思います。 身体アプローチはただ発達障害を治すだけのツールではないのです。 感覚過敏や感覚の未発達をそのままにしておくのは、外からの刺激によってその個人が左右されることであり、独立性が揺さぶられるということになります。 発達のヌケだってそうで、自由自在に身体が動かせられなければ、首から上は自分のものだけれども、首から下は借り物の付属物となりかねません。 神経発達症の子ども達の身体を見ると、自分が制御できる部位、機能とそうではない部位と機能が混在してるため、自分と他者が混在してる雰囲気があります。 自分の身体なのに、自分ではない部分がある。 ですから彼らは他者との境界線が曖昧ゆえに、他者や環境と対峙するだけの段階にはなく、それが一言で「社会性の問題」と表現されてしまっているのです。 お世話になった保育園では、なにかトレーニングを行ったわけではなく、四季それぞれの遊びをとことんやりき

【No.1364】『療育整体』を読んで

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従来の知的障害を伴うような自閉症児、発達障害児の親御さん達は共生を求めていました。 一般の人たちに向けて「理解を」 社会に向けて「支援を」 彼らに必要な支援を受けながら、同じ社会の一員として遊び、学び、働き、生活していけることを願っていました。 しかし2005年を境にし、新たな概念として発達障害の枠に入ってきた人たちは、「うちの子に必要な支援があれば、自立できるのに」と考えているように見えました。 『自立するための支援』と『共生するための支援』の違いです。 『自立するための支援』はいつしか特別な支援、特化した支援、個別化した支援へと変貌していきました。 それが発達障害児と定型発達の子ども達とを分けていくことにつながります。 放課後、同じ公園で遊んでいるのに、かたや約束をして集まってきた子ども達、かたや児童デイの車に乗せられてきた子ども達。 同じ地域の同じ学校に通っている子ども達なのに、だったら一緒に遊べばいいのに、支援者の管理のもと同じ児童デイに通っている子ども同士でしか遊ばせない異様さ。 子ども同士もお互い視界に入っているのに、どちらからも関わりを求めようとはしない。 「住む世界が違う」というのは、子ども時代に培われる。 私が子ども時代は、今でいう発達障害と言われる子とも一緒に学び、一緒に遊んでいたものです。 勉強ができなくても排除するわけでもなく、運動が苦手でも自然とハンディをつけながら共に遊びました。 そうやっていろんな子どもがごちゃまぜになって遊び、子ども同士で成長していた時代。 そういった子どもを仲間外れにしようもんなら先生にこっぴどく怒られたものですが、いまは先生が率先して「発達の専門家に診てもらったら」「お薬飲んでみたら」「支援級に行ってみたら」と仲間外れを行っている。 そんな時代だからこそ、親心をもった支援者、専門家が求められるのでしょう。 『療育整体』を考案された松島眞一さんは我が子を楽にしてあげたいその一心で身体に働きかけを行いました。 整体師としての技能を我が子に応用したわけです。 でもその間には大事な親心があった。 整体の技能と発達に課題のある我が子の間をつないだのです。 整体が療育整体へと純化していく過程には「よいとこどり」と「応用」の原型があります。 発達障害に特化したものを行おうとすればするほど、発達障害ばかりが前面に出て、一人の人間と

【No.1363】YouTubeチャンネル開設の経緯

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いつも本ブログを読んでくださり、ありがとうございます。 2013年てらっこ塾開業とともに始めたブログも、今回で1363本目の記事。 3日に1回のペースで10年間、自分でもよく積み上げてこれたなと思います。 「よくネタが尽きないね」と言われることが多々あったのですが、むしろネタはあるけれども文章にできないものばかりで(笑)、そういった話は直接お会いした人だけに伝えていました。 なんで、書くことよりも、書かないことを意識するほうが大変だったといえますね。 もちろん、ブログを書くのは、てらっこ塾を知ってもらうためであり、知ってもらったあと、どれだけの人に実際に利用していただけるかが一番の目的です。 どんなに良いことをやっていたとしても、商売として成り立たなければいずれ消えてしまい、それによって利用できない未来の人が生まれてきてしまいますしね。 おかげさまでブログを通して知っていただき、発達相談を依頼してくださった方が多数あります。 その一方で、私の中でモヤモヤした気持ちが大きくなってきました。 それは「伝えたいことが伝わっていない」モヤモヤ感です。 コロナ前から幼児さんが多かったのですが、コロナに突入してからというもの、さらに低年齢化が進み0歳、1歳、2歳くらいの子どもさんの相談が増え続けています。 当然、親御さんの年齢も若くなるわけで、ブログを始めた10年前はまだ20代、なかには「学生でした」などという場合も出てきたのです。 そのような親御さん達はもちろん、10年前からブログを読むわけはないですし、2000年代に起きた高機能ブーム、2010年代の児童デイの乱立、ここ最近の発達障害一大ビジネスも知らないわけです。 最初から身体アプローチはあったし、栄養療法は当たり前だし、「治る」という言葉も自然と受け止めている。 これはいい悪いじゃなくて、20年間ですがこのハッタツの世界にいた者として、きちんとそういった歴史、背景を伝えていく役割があるのだと思ったんです。 その前提がなければ、簡単に発達障害というウソに騙されてしまうし、流さなくてよい涙を流すことにもなる。 挙句の果てには、支援の世界に突き進み、中には就学前の子どもが精神科薬を常用しているなんて状況が起きています。 2000年代は「自閉症の理解を!」「発達障害に支援を」でしたが、理解を広げ、発達障害のハードルを下げ、結局儲

【No.1362】汗をかく子は治りが早い

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この頃、過去のブログの記事をツイートするようになったのは、新作をサボるためでも、ネタ切れなためでもありません(むしろ、ネタはたくさんあるけど、オープンな場で書いちゃいけないことが多くて困ってます)。 一言でいえば、調査目的です。 ずっと同じ内容は避けるようにしていたのですが、私自身も忘れていることが多いし、読んでくださっている方も同じだと思います。 そして時間が経つと、同じ内容でも感じ方や捉え方が変わることもあるでしょうし。 何よりも、ブログを書き始めて10年ですから、今の親御さんの中には「当時10代でした」という人も多くなっています。 なので、過去の内容でもニーズがあるのか、またそのニーズがあるのならもう一度、ブラッシュアップをしつつ、新しい世代の親御さん達、支援者さん達に新たな方法でも紹介できないかと考えていました。 今のところですが、新作と同じくらいプレビューがあるので、もうちょっと続けていきますね。 新ネタといえば、「汗をかく子は治りが早い」というお話。 自閉っ子、発達障害を持つ子で、「汗がかけない」子は少なくないですね。 今日の函館は久しぶりの真冬日ですが、こんな日でも少し身体を動かせば、「暑い」といって汗をたくさんかくものです。 年がら年中、汗がかけるのが子どもの特徴。 ですから、汗がかけないのも、なんらかの発達の遅れであり、身体の不具合だといえます。 で、そんな子が内臓を整えることにより汗がかけるようになってくる。 そうすると、そこからの発達のスピードが速くなる気がします。 「快食快眠快便が整うと、発達が加速する」と言われますが、そこに「汗をかく」をプラスしても良い感じです。 で、そんな私の観察が3年ぐらい経って、その理由がわかった気がします。 もちろん、エビデンスのない私の作り話としてお聞きください。 汗の目的は体温調節と体内に不要になったものの排出です。 近年の発達障害の増加、神経に何らかの不具合がある子の増加は、遺伝だけでは説明できません。 むしろ、環境要因の大きさを物語っているといえます。 アトピーやアレルギー、ぜんそくや腸の問題を抱えている子が多く、親世代、またその前の世代から蓄積された毒が子の神経にダメージを与えた結果、神経発達に不具合をもった子が増え続けているとも考えられます。 実際に子ども達とお会いすると、苦しそうな雰囲気が出ている子が

【No.1361】子育てという非合理的で非効率的な営み

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子どもというのは社会やコミュニティ、集団の中にいればよいのであって、必ずしも自分に、我が家にいなきゃいけない存在ではない。 それは動物を見ればわかることで、群れに子どもがいればみんなで守り、みんなで育てる。 「うちの子だけ、特別な食べ物を与える」 「自分の子じゃなければ、鬱陶しい」 そんなお猿さんも、魚も、虫もいないわけで、人間自体、動物から離れた不自然な存在だといえます。 公園の子どもの声がうるさいと役所に電話を掛けるバカ。 周りのためにといって、子どもにワクチンを打たせるバカ。 ある意味、人間としての完成形なのかもしれません。 子どもは動物本来の姿を持っている存在です。 子ども自体が自然そのもの。 自然というのは非合理的で、非効率的をいう。 天災はあらゆるものを破壊し、飲み込む。 そしてまたそのあとに、それまであった自然が戻ろうと動き始める。 だったら最初から天災などなければよいのに。 そう考えるのはまさに人間の大人であって、東北沿岸にならんだ防潮堤がそれを表している。 人の子も、合理的に、効率的に育てようとする動きがみられるのは当然だといえます。 非合理であり、非効率である自然を体感しないまま、大人になった私たちですから。 当然、社会もそんな大人たちが作ってきたので、学校なんか見ても、一律の授業で、一律のルールで、できるだけ合理的でかつ効率的に子ども達を管理しようとしている。 学校が大人になるための場所だとしたら、不登校が増えても仕方がないと思えてくる。 「クラスに3人くらいは発達障害の子がいる」というのは、それだけ効率性が求められるようになった結果であり、「だから支援級が必要なんです」というのは、それだけ合理的な振り分けがしたいという表れだと思う。 発達障害は医療に作られるが、そもそもは社会全体が合理的、効率的になっているからであり、私たち人間が長らく自然を遠ざけようとして努めてきた結果なのでしょう。 コロナ騒動の3年間を見ても、この日本という社会は子どもという自然な存在が嫌いで、だったら自然さを持ち続ける発達障害の子ども達はなおのことと思うのです。 発達相談を行っていますが、どこかに「一発逆転」を狙っている節があるのを感じます。 なにかスペシャルな方法があって、それを教えてくれるスペシャルな人がいるはずで、私もそれと出会えれば、子どもも劇的に変わり、今まで

【No.1360】「隠れて〇〇問題」に視る構造

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「うちの夫、隠れてテレビ見せているんです」 「うちの夫、決めた時間以上、ゲームをさせているんです」 「うちの夫、子どもと出かけたときは、糖質だらけのお菓子を食べさせているんです、なにしてんねん」 う~ん、何百回も聞いた悩み(笑) 結構、お母さんは一度決めたらストイックにやるけれども、多くの日常生活はお母さんが主で、子どもと二人の時間が長いので、週末限定ルールにイラっと来る。 「せっかく平日は頑張っているのに、週末になると…」 ここにジジババが加わると、カオス状態に。 ジジババはただ目の前にいる子がかわいいだけだから、孫が喜べばテレビは見せるし、お菓子もあげる(で、ごはん食べない)。 そしてこそっと「ママには言ったらあかんよ」と言ったりする(油投下!)。 子どもなんて反応が良いから、実家に行かなくても、どんな時間を過ごしてきたのか、手に取るようにわかるものを(笑) 夫やジジババに対する不満の気持ちは、よくわかります。 でも、「(隠れてテレビ見せているから)発達していかへん」というのは違うと思います。 昔は「一貫性のある支援」とよく言われたもので、家庭で暴れると、「ほら、学校と同じ支援ができないから」と根拠のない責任転嫁がなされていたものです。 それと一緒で、平日はテレビを見せないように頑張っているけれども、週末、私のいないところではテレビを見せちゃっているから…というのは、表面的な理由探しにほかならないですね。 確かにそういったご家庭は発達が進んでいきません。 それは夫が隠れてテレビを見せているからではなく… ●夫婦で子育ての方針がかけ離れている ●夫婦間の理解が足りない、コミュニケーションができていない ●妻(夫)の言葉を理解してくれるだけの信頼がない ●夫のせいにしてしまっている「私は悪くない」という思考 ●自分自身で解決できない、解決に向かえない姿勢 ●パートナーに本音が言えない=自分の親との関係性の問題、愛着のヌケ ●自分ではない他人が解決してくれるという甘え ●「テレビ=悪」という白黒思考による解釈の薄さ ●環境をコントロールできたら、子供の成長もコントロールできると思う傲慢さ ●問題の根っこを見ようとしない、そこから逃げようとしていること ●物事を単純化することで、本当は自分自身も子どもと関わりたくない、責任を持ちたない ●言ってることやってることの一貫性

【No.1359】治るからこそ、治らない人がいる

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この頃、「大久保さんって、ほんとうに優しい人」と言われることが続いていました(笑) 別になにかを変えたわけではないのに。。。 自分のキャラもあるし、90%以上のご家庭が1回の発達相談で終わるし、限られた時間でアセスメントから具体的な援助法までお伝えする必要があるし。 だから言うことは言うし、一切忖度も、お世辞も言わない。 そんな感じで10年間、てらっこ塾をやってきましたが、最近やたらと私の優しさがクローズアップされる。 なんかおかしいなと思って考えてみると、「そうか、ブログの内容が“親御さんのせいでしょ、しっかりしなきゃ」という内容が続いていましたね。 これを見た親御さんは、「どんなことを言われるのか」と思うでしょう。 なので、実際の発達相談を受けてみて、「意外と優しいじゃん」の「意外と」が消えて、「大久保さんって、ほんとうに優しい人」と言われちゃうのでしょう(笑) 意図せず、好印象で終われるのなら、この作戦は続けようかな♪ じゃあ、なんでこの頃、とくに昨年末から1月にかけて「親御さんしっかり!」という内容が多くなったのかと言えば、今年は療育整体の年になるからです。 実際、私も昨年、療育整体を提唱されている松島さんの講座で学ばせていただきました。 今までいろんな療法がありましたが、たぶん、一番即効性があり、見た目にも効果を実感しやすいのが療育整体でしょう。 だから流行るし、これで「治った!」と感じるご家庭も増えると思います。 じゃあ、なんで「治った!」がさらに増える年に、私が親御さんの意識を問うか。 それは治る子どもさんが増えれば増えるほど、治らない家庭が浮き出てしまうから。 今までも神田橋先生の診療、アイディアによって「治った!」人が増えた。 さらに身体アプローチも出てきたし、愛着障害も治るようになったし、栄養療法だって花盛りで、整体やカイロも実績を上げている。 私の感覚では90%以上の子ども達が誤診であり、一時的な発達の遅れなだけなので、このいずれかの療法と巡り会えたら、ほとんどの子の発達の問題がクリアされると思います。 で、今年はさらにそこに療育整体が加わる。 正直、コロナ前から「もう治るアイディアは十分っしょ(北海道弁)」と思っていた私なので、てらっこ塾の役目は治らない、治りにくい10%の子ども達とご家族をどう後押ししていくか、だと考えていたんです。 私のと

【No.1358】体軸が育つ前の子と、育った後の子

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コロナ前までは「学校くらい通えなきゃダメだろ」と思っていた。 特に小中高くらいまでは、とってもシンプルなシステムだし、別に授業を聞いていようが聞かまいがどうってことはないし、テストだって0点取っても命を取られるわけじゃない。 乱暴な言い方をすれば、ただ学校に行って帰ってくれば良いだけの活動なので、ここで躓くのなら成果や責任を求められる社会ではやっていけないよなって。 だから、相談があっても、「学校に行けるレベル」を一つの目標、基準にしていた。 だけれども、コロナ騒動を経て、公教育のダメさ加減をまざまざと見せつけられてしまった。 管理職と話をしても、「道教委が」「国が」という。 挙句の果てには、「外すように言っても、今の子は外さないんですよ」とブチ切れ発言。 だって3年間、ずっと学校にいる間中、下手したら登下校、放課後公園で遊んでいても、マスクをつけてなければ、「マスクつけなさい!」と注意してきたのですよ、教師が。 それをあたかも「子どもが」「主体的に」「外さない」ときたもんだから、こんな学校、教育、教師に自分の子は任せられないと思いましたよ。 多様性と言いながら、個人の事情や意見に耳を傾けない。 「自ら考え、行動できる人間を」と言っている管理職が上からの指示待ちで思考停止。 戦後、GHQが教育の世界に多くの左系の人間を入れたとは聞いていたけれども、まさに学校自体が共産主義体制そのものといえるでしょう。 今までを振り返っても、本気で子ども達のために動いている先生は僻地に飛ばされていましたね。 教員も個性を奪われる世界ですから、学校に通っていては個性的な子が育つわけないのです。 うちの子ども達を見ても、「学校教育は危険だ」と思うくらいですから、発達障害の子、とくに体軸が育っていない子と学校教育の相性は抜群に悪い。 より具体的に言えば、ちゃんと椅子に座れない子は、先生の話を真に受けてしまう。 発達相談で伺っても、軸がない子ほど、かたくなにマスクをし続けようとしている。 一見すると律儀なように見えるが、軸がない分、他人軸で自身の行動が規定されてしまっている。 まあ、最悪マスクくらいなら良いが、社会に出て悪い奴にコントロールされてしまう危険性があるってことにもなります。 幼児期の体軸は、自由自在に動き回れる身体を作る意味を持つ。 一方で小学生の体軸は、自分という人間の軸を作る

【No.1357】そこに育ち愛はあるんか?

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私が働いていた施設には、全国各地から入所者が集まってきていました。 当時は措置制度でしたので、まずは家での養育が困難であることを児相に相談、判定が行われます。 そうすると、その地域の施設で空いているところに入所が決まる(または養護学校の寄宿舎が先の場合も)。 だけれども、その施設でも生活が困難だとなると、今度はその都道府県で大変な状態の子を受け入れる施設に移行し、またそこでも難しければ、近畿圏というような範囲であたり、でそこでもダメならといって最後にたどり着くといった感じの施設が、私の働いていた場所でした。 そういった施設でしたので、入所してくる子も様々でした。 結構怪しい手術やサプリなどをやっている子も少なくなかったですね。 頭の中に金属を入れていたり、数万円のドリンクを飲んでいたり、不思議なメガネや道具を使っていたり、腸内洗浄や手術を定期的にしていたり。 今よりもずっと情報が限られていた時代でしたし、そうやって多くの困難をもってたどり着いた子ども達でしたので、民間療法でも何でもよいので「この最悪の状態を抜け出せるように」と親御さんも求めていたのだと思います。 で話を令和5年に戻しますと、自傷がなくなるサプリや発達の遅れが元通りになる手術があれば、我が子に利用したいと思うでしょうか。 ここが同じ身体アプローチや発達援助を「やってます!」という人でも、違いが出てくる部分だといえますね。 もちろん、家庭での養育が困難で、いくつもの施設を転園するような子どもさんなら、その困難を解決するために手術でも、何万円もするサプリでも、なんなら祈祷でも、壺でも、利用したいと考えるのは自然だと思います。 でも、そういった子どもさんってどのくらいいるのでしょうか。 24時間、交代で職員がそばについていないと、自傷して死んじゃうくらいの子って、他害がひどくて部屋が破壊されたり、周囲の人間が大怪我しちゃうような子って、どのくらいいるのでしょうか。 最近、私が気になるのは、身体アプローチ、発達援助の対症療法化です。 ある課題があって、それが身体アプローチによって解決できるのなら、それは良いことだと私も思います。 しかし、それは子どものことをしっかり見て、理解できていることが前提です。 だって、家族だし、親子なんですよ。 申し訳ないけれども、我が子に対する理解がないままで、方法論に終始している

【No.1356】アセスメントと聞いてイメージするのは?

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みなさんは「アセスメント」と聞いて、どういったものを頭に浮かべるでしょうか? それは知能検査のようなものでしょうか。 はたまた「できる」「できない」「芽生え」というような様々な技能の達成状態を確認するものでしょうか。 あとは視覚優位、聴覚優位といった脳の使い方や、得意不得意の機能を見て、認知機能のバランスを確認するものでしょうか。 「寝返りは5,6か月」といった定型の運動発達がクリアできているかを調べるのもあると思います。 私も発達相談の内容を説明する際、「アセスメント」という言葉を使っていました。 すると中には、大久保が訪問して検査をすると捉えられる親御さんがいます。 そして私が子どもさんが遊んでいる様子を見ながら、ときに一緒に遊んだり、会話をしたり、おやつを食べたりしながらアセスメントをしているのを見てビックリされることがあるのです。 それは無理もありませんよね。 だって、世の中、とくにギョーカイの言うアセスメントって検査のことだから。 検査シートがあって、それをチェックしていくタイプ。 または検査道具を使って、「はい、やってみて」といってパスできるかを確認するタイプですから。 別にそういった検査ができないわけではないです(笑) 一応、バリバリギョーカイにいましたし、結構、研修受けたり、資格を取ったり、それなりには勉強していましたから。 だけれども、なぜ、そういった検査みたいなアセスメントをしないかと言えば、それ(検査結果やシート)見せられても、「じゃあ、今日から何をやろうか、育てようかってアイディアが出てこないから」が理由です。 「あなたの子は、視覚優位です、キリッ」って言われても、じゃあ、身体の使い方が不器用で、座位も保てないのはどうしたらよいの?っていうのには答えられていない。 正しい椅子の座り方を絵に描いて、教室の机に貼っておけば、ちゃんと座ってられるようになるの?? 「言語性IQが高いけれども、ワーキングメモリーが標準値以下で低くなっていますね、キリッ」で、どうやって人間関係を育てていけばよいかってわかりますかね。 「歩き始めが1歳6か月と遅かったですね」と言われても、言葉の発達の後押しのアイディアは浮かんでこない。 親御さんが欲しいのは、「だから、どうやって育てていけばいいの?」っていう方法の部分でしょ。 いつも一緒にいる親御さんが「あなたの子は、ボ

【No.1355】「神経発達症」に変わって10年

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「脳の機能障害」から「神経発達症」に定義が変わり、今年で10年になる。 いまだに「脳の機能障害」と言い張る人もいるが、それは不勉強なのか、利権を守るためなのか、どちらかでしょう。 とにかくそれまでは支援一辺倒で、(本人や特性は変わらないので)「周りが理解する!」方向ばかりから「育てよう!」「発達を促そう!」という方向へと変わったのは良かったと思います。 一方で課題というか、懸念されることも多くなってきました。 神経発達症に認識が変わって10年ということは、今の赤ちゃん、幼児さん、小学生の子ども達の親御さんは、最初から「神経発達症」だったわけです。 なので、「支援の仕方を知りたい」「地域に理解の輪を広げたい」と考えるよりも、「どうやって育てたらよいの?」という考えが中心。 つまり、「やりようによっては(子が、症状が)変わる」という前提で子育てをされている。 だからこそ、私が感じるのは、「なんでもかんでも、変わるものって思いすぎていませんか」ということなんです。 発達障害は神経の発達にかかわる問題です。 神経は生まれたあと、刺激によって変化しますので、環境側の働きかけや本人の行動によって変わりますし、改善することができます。 しかし、発達に遅れがある子がみんな、神経の発達の問題ではありませんね。 子どもはただでも最も神経発達が盛んな時期を過ごしていて、日々変化し、ある意味、不安定な存在です。 それは発達的にも、感情的にも、外面も、内面も。 ですから、今感じている発達の遅れは、一時的な可能性もあるし、そういったゆっくり育つパターンだったり、遺伝的な表れだったり、たまたまそう見えているだけということもあるし、そう見たいという場合もある。 園や学校で手に負えない子は、よく「発達障害」と言われる。 だけれども、単純に授業がつまらないだけで、正常な子供の反応ということもあります。 いくら毎日ハイハイをやっても、先生の教え方は変えられない(笑) ここからは私の反省点でもあるのですが、「発達のヌケ」というお話。 結論から言っちゃえば、発達のヌケを育てなおしても、治らない子はいます。 ハイハイを抜かした子に、ある一定期間、ハイハイをもう一度、やり直しさせたら、発達障害が治るかと言えば、そういう子もいるし、そうじゃない子もいる。 私の中では当然だと思っていて、あくまで前提として「(運動発

【No.1354】対処なの?根本解決なの?

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ある支援者さんから「原始反射の統合は、根本治療じゃないんですか?」と質問を受けた。 その支援者さん曰く、「原始反射の統合をした子ども達はガラッと変わって、支援が必要ないくらいまで成長する」とのこと。 確かに発達のストッパーとして原始反射の残存があり、それを統合することで全体的な発達が前に進んでいくという姿は私も何度も遭遇してきました。 でも、原始反射の統合も、対症療法でしょ、というのが私の認識。 同じように栄養療法も、根本治療だという人がいます。 ヒトの神経発達に必要な栄養を整えることで、土台から育っていく。 だからこそ、根本治療のように目に映る。 でも、これも私の認識では対症療法。 私は「課題の根っこ」「根本治療」「根っこへのアプローチ」などとよく言い、とにかく“根っこ“にこだわています。 なぜなら、根っこから治れば、それ以降の発達全般が前に進んでいくから。 また根っこである土台が育てば、揺り戻しや後戻りなどが生じないから。 そして何よりも、根本解決がいち早く他者の支援や介入から抜け出し、自分の力で治っていけるようになるから。 原始反射の残存は結果であって、問題の根っこは「なぜ、原始反射が統合されずに残っているのか」だと思うのです。 どうしてうちの子だけ、原始反射が消失する時期を過ぎても残っているのでしょうか。 脳神経の問題? 単純にその運動ができずにやり切れていないだけ? 栄養療法も、なぜ、フェリチンの値が低いのか、同じだけ食べても吸収できていないのか、そちらの原因を考え、そこにアプローチしていくことが根本治療だといえます。 内臓が未発達でうまく消化吸収ができない子に、いくらサプリを盛ってもさらなる消化不良を起こすだけ。 サプリを盛るよりも、大事なのはその未発達な内臓を育てることであり、ちゃんと食事から消化吸収できる身体、そして口を中心とした「食べる運動」を育てていくこと。 内臓の未発達ばかりじゃなくて、そもそも食べる意欲が乏しくて、あまり食べないから栄養不足になっていることもある。 そもそも丸呑みしていて、よく噛むことができないから吸収されずにうんちになって出て行ってしまうこともある。 日中の運動、遊びは足りていて、ちゃんとお腹が空いているのか? 食事は楽しい雰囲気で食べられているのか? 手づかみ食べをやらせないで、大人が食べさせていないだろうか? そうやって

【No.1353】「発達障害」という言葉から伝わってくるメッセージ

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なぜ、あなたのお子さんは“発達障害“なの? 医者がそういったから、そのように診断したから。 だったら病院に行かなければ、発達障害じゃないの。 医者が「あなたの子は発達障害ですね」といえば、その瞬間から発達障害になるの? 医者が「あなたの子は発達障害じゃないですね」といえば、その瞬間から発達障害じゃない普通の子になるの? 「だって、うちの子、歩き始めが遅かったから」 「まだ言葉が出ていないから」 「集団行動ができないから」 「お友達とうまく遊べないから」 でも、それって全部発達障害だから起きることなの? 歩き始めが遅くても、普通に大学に行き、就職し、家族を持っている人もいる。 言葉が出ていないのは現時点での話であって、まだその子の話始めるのが先ってこともある。 集団行動ができない人は世の中にごまんといるし、友達とうまく遊べないのはただ遊びたくないだけ、今は一人で遊びたいと思っているからかもしれない。 幼稚園で一人で砂遊びをしている子は発達障害なの? 学校の休み時間、教室に残り、一人で絵を描いている子は発達障害なの? 私は子どもを発達障害にしているのは、周りにいる大人たちだと思っています。 どんなにできないことがあったとしても、「いま、発達が遅れているね」とはいえるが、「この子、発達障害だよね」ということはできない。 この世の中に科学的に発達障害を証明できる人も、その方法もないのだから。 とすれば、「ああ、この子は発達障害だな」と言っているのは、子ども本人ではなく、大人たち。 よく「うちの子、発達障害で」という親御さんがいるが、横で聞いている子どもさんはどんな気持ちだろうか、と思うことがあります。 自分の親が自分のことを説明するのに、毎度「発達障害があって」と言うのは、それで傷つく子もいるだろうし、「そうか、自分は発達障害なんだ」と思考が作られていくこともあるでしょう。 私の発達相談を希望される親御さんは、私に対してなにか特別な、そしてダイナミックに変化するようなアプローチ、方法を教えてくれるものと期待している場合があるでしょう。 しかし、そのようなアプローチの方法を教える前に治ってしまうケースがあります。 それは親御さんが自分の子に対して持っている「発達障害」という言葉、態度、認識を改めること。 特に口癖のように「うちの子、発達障害があって」「重度なんで」と言っている

【No.1352】発達障害も「重症化予防」だった

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「1日のコロナ死者数が最多を更新(503名)」と言っていたのが昨日。 (ちなみに年間死亡者数は約130万人で、365日で割れば、1日3,500人亡くなっている) で全国の重症者数を見ると、693名で前日からマイナス2名。 ECMOを使用しているのが17名。 そこで思い出すのが、「ワクチンは重症化予防」という話。 これが本当だとしたら恐ろしい。 重症にはならないけれども、死んじゃうんだから。 たしかに重症化は防いでいると言えなくもないな、なんて思ってる(笑) 発達障害を治すわけじゃないんだから、どうして病院に行くのだろう、という疑問。 医療のガイドラインでは「生まれつきの障害」であり、「治らない障害」になっている。 「治りませんよ」と言っている医師のところに行って、「どうして治さないんだ」と怒るのは患者側の間違いですね。 とにかく「治さない場所に何を求めていくのか?」という疑問は残ったまま。 そしてワクチンの「重症化予防」という奇妙な説から、ふと連想したことがある。 そうか、お医者さんの言い分としては発達障害も「重症化予防」だったりして、ということです。 治らないけれども、治さないけれども、病院には通ってもらう。 それは「二次障害(仮)」にならないために。 それは問題が大きくなる前に介入できるように。 そう考えると、救急医療や外科的治療以外の慢性疾患はぜんぶ「重症化予防」なのかもしれない。 うつ病だって神経伝達物質の調整は行うけれども、どうしてうつ病を発症したのか、どうすれば発症しないのか、そこのところには入っていかない。 職場のパワハラでうつ病発症したのなら、最初にやらないといけないのはパワハラをやめさせること。 会社が潰れて多額の借金を背負ってうつになったのなら、病院に行く前に弁護士事務所や公的な相談所に行き、借金をどうにかするかのほうがずっと症状を改善させる。 いくら薬を飲んでも、カウンセリングを受けても、パワハラや借金はなくならない。 服薬して社会復帰は治っていないのと一緒でしょ。 「悪化する手前で(それを)教えてくれる」 それを求めて、定期的に病院に通うことは良いのかもしれません。 だけれども、多くの人たちは病院に行くのは治るためと考えている。 だったら、本当に必要なのは、治るための医療。 医療がその目的を果たせないのなら、自分自身で治していくしかありません

【No.1351】「うちの子、治りますか?」

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「うちの子、治りますか?」と訊かれるたびに、「どうして、そのような言葉が出たのかな」と私はそちらのほうへ意識が向かいます。 治っても治らなくても、親子は変わらないし、大事な我が子には違いありません。 どの子も独り立ちができるように、その子がよりよい人生が送れるように見守り、教えていくのが親の務め。 だけれども、こういった言葉は、きれいごとに過ぎないと思うのです。 親御さんによっては、心から我が子を愛せない人もいる。 普通の子が基準で、遅れがあることを受け入れられない人もいる。 そういった我が子の状態を見るたびに、自分がダメ親だというメッセージを受け取り傷つく人もいる。 SNSで流れてくる「治った」という言葉を真に受け、勝手に我が子、親としての自分と比べてしまっている人もいる。 自分に負い目があり、いっときでも早く、そこから抜け出したいと思う人もいる。 本当は我が子に治ってほしくない、そんなことを求めていない人もいる。 私の仕事の形態が、「家庭訪問」であり、「1回切りの単発」ということもあり、こういったドロドロした想いを吐露してくださる親御さん達が少なくありません。 「我が子の発達の遅れ」は表面的な悩みであり、本当は親御さん自身、自分の内側に悩んでいる人が多いと感じます。 とどめを刺すようで申し訳ないのですが、親御さんの課題がそのまま子どもさんに出ているのが現代の発達障害のキモでしょ。 いくら医療や学校が発達障害を増やそうとしても、「いいえ、結構です」と突っぱねられれば、診断も、投薬も受けなくて済むことができます。 ワクチン、マスク同様、診断も、投薬も強制ではなく、個人の意思と選択次第ですから。 もちろん、生物学的・神経学的な問題を持ち発達障害になっている子もいますが、ほとんどの子は「何らかの原因で一時的に発達が遅れている普通の子」じゃないですかね。 この仕事をして10年ですが、最初のころは発達障害を持つ子の親御さんは、自身の課題で悩んでいる人がたまたま多いと感じていました。 途中から愛着障害の概念が加わり、愛着障害ゆえに関係性を築くのが難しかったり、子育てでより悩み、動けなくなっていることがさらなる発達の遅れとつながっていると思うようになりました。 しかし今は違います。 特にコロナ騒動を経た今、私たち世代の問題がダイレクトに子どもの発達に出ている、という認識に変わり

【No.1350】発達援助は何から始めればいいの?

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昨年から引き続き、0歳代、1歳代という幼いお子さんからの相談が続いています。 「本読みました!発達援助、やりたいです!」という親御さんが多いのですが、実際、そのくらいの赤ちゃん達でできることは限られちゃいますよね。 もちろん、できることはあるのですが、それでも「ハイハイ抜かしたから、もう一度、ハイハイを」なんていうのは難しい。 このような赤ちゃん以外にも、育てなおしや発達援助の考え方をあとから知って取り組もうとされている親御さん達がいますね。 「どこから始めれば?」「何から始めれば?」という相談を受けることも多いです。 そして見ていると、いきなり「〇〇を育てなおそう」と始められるご家庭がありますが、思ったよりも良い変化が生じない、うまく育っていかないケースが多い印象です。 発達援助を始めるにあたり、大事な順序があると思います。 実際は同時並行で行っても良いですが、まずはこれから、その次には、というのがあるので、今回ご紹介します。 「うちの子、発達に遅れがあるかも」と思ったら、まずやってほしいのは「この子の発達にはよくないな」と思うものを減らしていくことです。 家の中を見渡して、またお子さんの一日の活動を振り返り、「テレビ見せすぎかも」「そういえばずっと家の中にいるな」「床がつるつるじゃ、ハイハイできないな」「お菓子ばっかり与えてるかも」「噛まなくてよい食事ばっかりでは」「夜も遅くまで電気がついてるな」「夫婦喧嘩の声を聴かせちゃっているな」など、子どもさんの視点に立って影響がありそうなものを改善していきましょう。 どうしても「何かやらねば」「〇〇アプローチが良いだろう」と思いがちですが、案外、発達を阻害しているものを排除していくだけでも、本来の発達の流れに戻ることがあります。 全員が全員、発達のヌケがあるわけでも、神経発達に問題があるわけでもありませんので、まずは子どもさんの発達に影響がありそうなものを減らしていくことが大事ですね。 そういったものを無くしていったあと、やっと「育てなおし開始!」と思いがちですが、その前にも一つ準備が必要です。 それはよりよく発達するための準備です。 発達に遅れがある子が、同世代の子どもさんと同じペースで発達していくだけでは、発達の差は埋まっていきませんね。 ですから、具体的にはよりよく神経発達が生じていく条件を整えていくのです。 神経

【No.1349】「名もなき遊び」は前頭葉からの解放

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「名もなき遊び」は、子ども達にとって発達そのもの。 私たち、大人から見れば、「その行為にどんな意味があるの?」「なんで、そんなことを繰り返すの?」と思ってしまうような行動であっても、その子にとっては今まさに神経を育てている瞬間だといえます。 発達相談でも、子ども達のそんな名もなき遊びに注視し、それがどんな発達につながるのか、自身で何を育てようとしているのか、をお母さん、お父さんに伝えることが大切な役割だと思っています。 じゃあ、どうして「名もなき遊び」が発達につながるのか。 特に発達にヌケがある子ども達にとって重要なのかについては、あまり言語化できていなかったと思います。 でも、この頃、皆さんに説明できるような言葉が浮かんできたので、今日は紹介します。 「名もなき遊び」は、私たち大人の脳みそで見れば、意味のない、無駄な行為にも見えてしまいます。 石を摘まんで穴に落とすのを繰り返す。 椅子の上に登って棚の扉を開け閉めする。 わざわざ縁石の上を歩く。 だけれども、子ども達の表情や身体を見ていますと、内側からその楽しさがあふれ出ています。 そこに時間の概念はなく、ただひたすらその行為を繰り返すことに喜び、没頭していますね。 私はそんな姿を見るたびに、脳の前頭葉、人間脳の部分から解放されているように感じるのです。 私たち大人は合理的にその行為を見る。 だけれども、子ども達はそういった脳の前頭葉から解放され、ただ楽しいから行うという原始的な脳の部分を中心に遊んでいる状態。 発達障害と言われる子ども達は、胎児期から2歳前後に発達のヌケがある場合が多いので、まさにこの原始的な脳の部分に発達のヌケがあるといえます。 ですから、そのヌケの育てなおしを行うには、前頭葉を介さない「名もなき遊び」が最も有効で、必要な行動だと考えられるのです。 身体アプローチも、コンディショニングも、その他のアプローチも、大人側がやらせようとした瞬間、発達につながらなくなるのは、みなさん、体験してきたことだと思います。 「20回、トランポリン跳ぶ」とした時点で、それは脳の前頭葉、人間脳が反応します。 同じ跳ぶ行為にしても、子どもが自分で椅子の上に登り、そこからジャンプするのとは表情や反応がぜんぜん違いますよね。 それは動物として、動物の脳が活発に動いている違いだといえます。 発達援助が上手な親御さんは、子ど

【No.1348】子どもの問題としてとらえるか、自分の問題としてとらえるか

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「栄養療法を始める条件、どういう子に合う合わないはありますか?」といったご質問を時々、受けます。 私は医師ではありませんし、検査の数値からどうのこうのといえるような専門性はありませんので、別の視点から回答しています。 「『親の借金を子どもが払う』という認識を持てるかどうかだと思います」と。 栄養療法はもう何十年も前から研究や実践がされてきたもので、それが発達障害の世界に入ってきたからここ5年間くらいでブームが起きた。 栄養療法が流行ったのは、発達障害の世界において真新しい考えだったのと、実際、栄養の問題で発達障害っぽく見えちゃう子が多かったのと、ほかのアプローチと比べてとにかくシンプルで工夫が必要ないという3つがあったからだと私は分析しています。 私も最初の1,2年は「こんなアプローチもありますよ」と紹介していたほうですが、いつからか「栄養療法=サプリ」みたいになって基本である日々の食事に目が向けられなかったのと、一言でいえば愛着障害増産中みたいになっていたのとで、ほとんど紹介するのはやめちゃいました。 動物にとって食べることは生きるために必要な行為であり、発達障害を治すための行為ではありませんね。 そして子どもにとっては、食物を嚙みちぎり、粉々にし、飲み込むことは生きていくための発達の機会になり、味わうことは毒物と自分に必要な栄養を判断する訓練になります。 じゃあ、サプリやプロテインで口や感覚は育つのでしょうか。 また毒物かどうかの判断をしないまま、飲み込むことは問題じゃないのでしょうか。 フェリチンの値が200も、300も、なってしまうご家庭が少なくありませんでした。 栄養療法を勧めている医師の見解では、子どもの場合は(サプリ等を)やめれば徐々に値が低くなっていく、とのことでした。 ある意味、どの親御さんも一生懸命なんですが、一方で「私は良いことをやっている」「それがこの子のためだ」という勘違いがあるような気がします。 ここで冒頭の「親の借金を子どもが支払っている」という視点が必要で、子どもの問題と捉えていることが新たな問題を生じさせているんだと感じるのです。 「この子のためなら」と思えば、どんなことでもやれてしまうのが親心というものでしょう。 でも、どんなことでもやれてしまうが過剰に働いているケースも少なくないような気がします。 過剰な栄養だけではなく、過剰な

【No.1347】動物として生きることは変わらない

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年末年始、帰省したのですが、飛行機の中は家族連れが多かったですね。 飛行機が揺れると、あちこちで「キャー」「キャー」と聞こえてきました。 うちの子も、兄ちゃんは「ジェットコースターみたい♪」と言い、弟は「こわーい」と言っていました。 前回、飛行機に乗ったとき、下の子は飛行機が揺れても平気だったのに。 周りにいたほかの子供たちのリアクションも面白かったですね。 一番怖がるのが幼児さん達で、この時期はちょうど内耳が育つ時期で揺れに対する反応が強い時期。 一方でまだ内耳が本格的に育つ前の0~3歳くらいまでの子は、飛行機が大きく揺れてもノーリアクション。 10歳前後になると、想像力と論理的思考が育ち始めるので、揺れる→落ちる→爆発→「落ちたらどうしよう」などの怖さが出てくるわけです。 同じように怖がっていたとしても、その意味合いが違いますね。 そして小学校高学年くらいになると、怖がっている自分を隠そうとするような「俺、平気だし」という振る舞いが出るようになり、もう少し大きくなると、飛行機の墜落する確率はほぼゼロ%、雲を抜ければ揺れは収まるなどと冷静に考えられるようになり、おじさんになれば「この操縦士さんが、岩倉学生だったりして。でもCAさんのほうが良いかも」とかくだらないことを考えるようになる(笑)。 大人で知的障害のない人でも、内耳の発達の遅れがあるケースは結構多い。 聴き洩らしが多かったり、電話応対が苦手だったり。 他人とコミュニケーションが苦手と一言でいうけれども、そもそも聴いているようで聴いていない、耳が育っていない場合があって、それじゃあ、やりとりができないよなって思いますよね。 当然、揺れや回転などの入力に問題があって、身体の位置関係がつかめなければ、他人との距離感がつかめなくなって、極端に距離が近かったり、遠かったりする状態へとつながります。 SNSでトラブルを起こしている人たちを見ると、距離感が掴めていない人ばかりで、単純に身体感覚を伴わないコミュニケーションをやろうとしているからずれが生じているのだと感じます。 つまり、内耳が育っていない人というのは、SNS上のみでコミュニケーションしているような感じで、実生活でも生きているのでしょう。 文字情報だけに偏り、身体感覚を伴わないコミュニケーション。 それじゃあ、うまく人付きあいができないのは当然で、だからこそ

【No.1346】2023年ご挨拶

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新年あけましておめでとうございます。 30歳で始めたてらっこ塾(あのとき、私は若かった)。 気が付けば私は40代に突入し(2度目の成人式)、てらっこ塾も丸10年。 「10年続けられて、はじめて一人前かな」と思っていましたので、嬉しくもあり、ようやく独り立ちができる、といった気持ちでいます。 この3年間は、子ども達が可哀そうで、不憫に思う日々でした。 この3年間で失ったものは、子ども時代のどの3年間だったのかによって意味が違ってくると思います。 そして全員ではありませんが、子どもによってはとても深刻なダメージを受けた3年間になったでしょう。 ですから、今年はそういった子ども達のケアを、今まで以上に子ども達の発達と幸せのために気合を入れて頑張ります。 2023年は揺り戻しが起き、人と人が関わることが望まれ、求められるでしょう。 てらっこ塾としましても、家族、人と人との関わりあいを通した発達援助を大切にし、また分野を問わずいろんな人と交わることで発展させていきたいと考えております。 人の間で生き、人の間で成長し、人の間で幸せになる。 そんな想いを持ちながら、今年も突き進んでいきます。 みなさま、本年もどうぞよろしくお願い致します。 いま、アマゾンを見たら、「ポストコロナの発達援助論」が児童心理部門8位、障害児教育部門で77位と縁起が良い数字が並んでいました。 今年はよい一年になりそうです☆彡