【No.1377】とある施設の問題ではなく、我が国が歩んできた特別支援の問題として

昨晩、録画しておいた番組『鍵をあける 虐待からの再出発』を観ました。
放送は8月12日(土)23時から。
県立の障害者施設の話で、虐待や不適切な対応が確認され、そこから改善に向けた2年間を追ったドキュメンタリーでした。


入所者の中には強度行動障害を持つ人もいて、自傷や他害行為があるため、長時間施錠された居室内で過ごしているという実態も映されていました。
もちろん、そういった状態、実態は不健全であり、人権を無視した行為だと言われても仕方がないと思います。
しかし同じような施設、強度行動障害を持つ人の支援に携わっていた過去を持つ私は「やむなし」という想いもあります。
限られた人数で、夜間など一人体制でそういった自傷や他害を持つ人をケアしなければなりません。
何よりも、本人に怪我させてはいけませんし、ほかの入居者を守る責務もあります。
決して自ら進んでそういった行為をしているわけではなく、身体拘束や向精神薬で心身をマヒさせるよりは、居室のカギをかけるほうがまだよい、という感じなのでしょう。
虐待ということであれば、そういった施設、職員も虐待であり、障害者を隔離するという環境・社会の思想も虐待であり、そういった施設に入所せざるを得ない状態までにしてしまった家族、支援者、教員、専門家、すべての人も同様だと私は思います。


強度行動障害を持つ人の生活場面で、視覚支援が使われているのがわかりました。
しかし、それは実態に合わせて日々改善しているような様子はなく、長年、ずっと同じものを使い続けていたように見えます。
しかもそのアイディア自体、1990年から2000年代に主流だったものです。
なぜ、その支援が使われているか、そんなものは次々と入れ替わる職員の中で引き継がれることなく、ただただ「使っていたから使ってます」という状態だったのでしょう。
本人も、職員も、その意味がわからず、ただのルーティンとして、道具の一つとして使っている。
視覚支援、構造化は「形として見える」という利点はありますが、その意味が見えないため、形骸化した視覚支援が全国各地に残骸として散らばっているように思えます。


この番組の中で私が注目したのは、なにも置かれていない居室が映ったとき、「刺激が自傷やパニックにつながるため」という理由が述べれた報告書とナレーションがあったときです。
そうです、構造化の弊害のもう一つの側面は、この「刺激を無くす」というところです。
確かに感覚過敏や重い知的障害を持つ人にとって、刺激がパニックの引き金になることはあります。
しかし、それは対症療法であって、感覚や認知を育てる面においては、刺激こそ必要なのです。
豊かな刺激によって、私達人間は感覚、運動面を育てていくのに、刺激が制限された環境では発達が生じません。
だからずっと感覚や認知は発達せず、だから必然的に刺激を与えない環境となりの負のループ。


この施設自体、いや、この国の特別支援自体、ずっと対症療法をしているのです。
認知に遅れがあるから、教えるレベルを下げよう、簡単にしよう、やらなくても免除しよう、そういった感じじゃないですか。
感覚に過敏さがあるから、衝立をしよう、声掛けを減らそう、視覚的に伝えよう、できる限り刺激を無くそう、そういった感じじゃないですか。
その前提は、彼らは発達しないし、治らない。
IQは変わらないし、感覚過敏は特性だ、と言っていませんか。
そういった考え方で進んできた日本の特別支援の先に、番組で取り上げられた入所施設があるのではないでしょうか。
彼らの多くは強度行動障害という特性があるのではなく、そういった特別支援によって強度行動障害を作られた人たち。
支援で寄り添い、理解する人の顔をしていても、実は加害者だったということがあるのです。


赤ちゃんや幼児さんを「泣いてばかりいるから」「動き回って仕方がないから」と言って、鍵をかけた部屋の中に入れるなら、立派な虐待です。
でも見方を変えれば、同じことをしてきませんでしたか、発達障害、自閉症の人たちに対して。
それが特性なのか、ただ育っていない未発達なのか、そんな区別はしないで、「すべてが特性で、彼らは変わらない」という周囲の勝手な思い込みで、視覚支援や環境調整、賞罰を使った行動変容、向精神薬の服用をさせてきませんでしたか。
もし今回の施設が虐待で問題なら、それは施設だけの問題ではなく、日本の特別支援の歴史、歩んできた道すべての問題。
まさに私がよく言っている「フラクタル構造」なのです。


再出発するのはこの施設だけではなく、日本の特別支援。
「発達障害も発達する」
「支援から発達援助へ」
私がやっているてらっこ塾も、施設で働いていた自分、支援、深い反省からの再出発なのかもしれないと、この番組を観て思うのでした。
再放送もあると思いますので、見逃した方も是非、ご覧ください。
とある施設の問題ではなく、特別支援の問題として。




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