2021年2月26日金曜日

【No.1143】エビデンス足りてます

一番、科学から遠いのが精神医学であり、発達障害の分野だといえます。
「薬の処方があるじゃないか」と言われそうですが、症状のみに対して処方しているので、そこのどこが科学か、科学的な治療だろうかと思うのです。
だって、治療というのは病因があって初めて行われるもので、その症状がどんな病因からきているかが特定されずに「こんな症状にはこの薬」というのは科学というよりも主観の世界だと感じます。
未だに脳のどこに病因があるか、見つかっていない。
神経発達の問題だろうというのに、その問題の根っこがわからない。
そうだとしたら、原因、病因はわからないけれども、その症状を抑え込むために処方しています、というのが実態ではないでしょうか。


客観的に発達障害、自閉症を診断できる方法はありません。
ということは、診断も主観が入り、対処法にも主観が入る。
ですから、他の科と比べて、科学から遠いと思うのです。
では、発達障害、特別支援の分野に科学は存在するのでしょうか。
誰がどう見ても正しいと判断できるような"答え"が存在するのでしょうか。


結論から言えば、そんなものはありません。
時々、「エビデンスがある」というようなことを述べる療育者がいますが、根拠となる研究内容を見れば動物実験のレベルであったり、あると言われる効果も、純粋な効果か、単純に時間とともにその子が発達成長しただけなのか、よくわからないものばかりです。
効果だって、長期的な効果が見られるモノはほぼなし。
何故なら、子どもの発達、成長は目まぐるしく、しかもそれに繋がる刺激は環境の中に無数あるのです。
そうです、つまり、これは子育ての分野なのです。
偉そうに、なんとか療法、エビデンスのある専門的な、とか言っていますが、一人の子が育つプロセスであり、それぞれの家庭の子育てに違いないのです。


発達に遅れがあるのは、障害ではありません。
発達に遅れがあるままにしておくから、発達の凸凹が大きくなり、脳や能力の凸凹が大きくなり、実生活に支障をきたすのです。
確かに定型発達という指標はありますが、現代社会においてどんどん今までの人類とは育つ環境が異なっていますので、動物らしい標準的な発達から外れる子ども達が増えるのは仕方がないことです。
しかし基本はヒトの育ち、子どもの育ちなので、ヒトの発達に準じて育てていくのが当たり前なのです。
それを商業的に、発達障害という名を使い、カテゴリー化し、顧客を作り、儲けようとする組織があるから、おかしなことになっているのだといえます。
端から特別なことをやろうとするのではなく、各家庭の子育てをサポートするのが自然な形なのです。


特別支援の世界がいくらエビデンスのある方法を見つけようとしても、それが見つかることはないでしょう。
今まで発達障害に関わらず、子どもの子育て、教育に対していろいろな方法が出てきましたが、万人に良いものは、客観的なエビデンスがあるものは生まれてきませんでした。
子どもは一人ひとり違います。
これは特別支援に関わる人間も言ってきたことです。
それなのに、特定の療育を勧めてくる、「自閉症には視覚支援」などと言ってくるのなら、それは個を見ず、括りで、商売相手として見ているにすぎないのです。


発達のヌケ、遅れ、未発達に対して、医療はなにをするのでしょうか。
発達のヌケ、遅れ、未発達は病気なのでしょうか、治療する対象なのでしょうか。
同じように支援や療育機関だって、子が育つ中のアイディア、刺激、資源の一つでしかないのです。
「発達障害の人は、専門的な機関へ」というのは、「水のトラブルはこちらへ」と書かれたいつもらったかわからないマグネットと同じです。
発達の遅れというトラブルに対応してくれるでしょうが、そこが絶対なわけではない。
多数あるうちの一つ。
別に子どもの発達なのだから、その子の発達につながればなんだっていいのです。


「エビデンスがある=絶対」ではありませんし、エビデンスにはレベル(段階)があります。
「よくなった」というエピソードも、エビデンスのレベルで言えば低い方ですが認められているのです。
論文や発表の形にするというような規定がありますが、エピソードは症例報告になりますので、専門家の意見よりもエビデンスのランクで上位になります。
ということは、「社会が理解すれば生きやすくなる」という専門家の意見、「あなたは自閉症です」という専門家の意見、「脳機能障害です」「生まれつき」「治らない」という専門家の意見よりも、「治った」「良くなった」という症例、エピソードのほうが信頼性があるといえます。


私も仕事をしていると、「それはエピソードにすぎない」と言われることがあります。
いくら支援級から普通級へ転籍しても、IQが10も、20も上がっても、診断基準を満たさない状態まで発達したとしても、「なんのエビデンスも無い」「科学的ではない」と言われます。
しかし私は動じません。
だって、そのように言ってくる専門家は、良くなったエピソードすらないのですから(笑)
あるのは、エビデンスの信頼度で言えば、最下位の「専門家の意見」です。
専門家の意見って食べれるの?煮れば食えるの?って感じ。


「私は素人だから」というお母さんが多いですが、大丈夫です。
一人の子を育てている今は、その子の専門家は親御さん。
しかも、かっこ良く言えば、日々の成長の記録、エピソードは症例報告。
何か専門家が言って来たら、こう言いかえしましょう。
「それって専門家の意見だからエビデンスの信頼度の最下位ですよね。残念ながら、我が家にはたくさんのエピソードがありますから♪エビデンス足りてま~す☆」と。




2021年2月25日木曜日

【No.1142】18歳で福祉を目指すより、進学を目指したほうが入りやすい

この地域にも、「親が頑張らなければならない」と叱咤激励する先生がいました。
学校に任せっぱなしではいけない。
将来の福祉はどうなるかわからない。
だから、親が家でできることを行い、ちゃんと基本的な生活習慣などを身に付けさせていかなければならないんだ。
そうやって当たり前のことを当たり前に言う、保護者に対しても忖度しないような先生でした。
もちろん、もうこの地域にはいません。
共感する先生や保護者もいましたが、多くの同僚からは疎まれ、管理職からつるし上げられ、あらゆる支援者たちを敵に回し、結局、自ら職を辞し、この地を去っていったのです。
学生時代から目をかけてもらっていた先生だったので、それを知ったときには残念な気持ちと、「あの先生でもダメだったのか」という想いがしました。


当時(今も?)、多くの先生たちが「将来は施設のお世話になるし」と言っていました。
しかし、もう20年くらい前の親御さん達ではありますが、その当時から「この子達が大人になる頃には、施設利用の枠が残っていないはず」と話題になっていたのです。
だから、自分たちで施設を起ち上げよう、居場所づくりをしようと動いたグループがいましたし、とにかく自分たちでできることをしなきゃ、この子に教えなきゃとする親御さん達もいました。
しかし、実際に何をすれば良いかわからず…。
で学校や相談施設に相談すれども、具体的な答えは返ってこず…。
大部分の親御さん達が「たぶん、うちの子は大丈夫」「今まで通り学校が見つけてくれる」というような姿勢でしたが、そんな家庭と同じように、頑張ろうとした家庭の多くも、卒業後は週に1回でも通所できれば良い状態で、18歳から先の人生を歩んでいるのです。


特別支援教育を受ける子ども達の数が増加し続けているのは、みなさん、ご存じの通り。
しかしこれだけ人数が増加し続けているのに、医療崩壊ならず、学校崩壊になっていないのは、少子化の影響で子どもの数が減っているのが大きいと言えます。
もし子どもの数が増えていて、かつ特別支援教育を受ける子ども達も増え続けていたら、従来通りのシステムでは対応できないはずです。
特に義務教育は「待機」や「利用を断る」というのはできませんので。
新しい支援学校ができたり、支援級が増設されたりしているところもありますが、その多くは少子化によって統廃合して空いた学校を支援学校にしたり、学級数が減ったところにその分、新しく支援級を設けたり、です。
つまり、特別支援教育を受ける子ども達が増えたからといって、国の予算が特別増えたわけでもなく、従来の枠組みの中でやりくりをしているのです。


じゃあ、一方で福祉、特に障害者福祉の世界はどうでしょうか。
国の予算から見ても、教育関連の予算が4兆303億円、障害者福祉関連の予算が2兆1422億円(令和2年度)で2分の1。
で、障害者福祉の中には、発達障害だけではなく、精神障害や機能障害の方達に対する分もありますし、学齢期のみではなく、成人もひっくるめて、この予算になっています。
大きな経済成長が見込めない日本ですから、予算自体が大きく増えることはないでしょう。
となると、今、障害者福祉を利用している人がどかないと、新しい人、これから成人していく子ども達は利用できないのです。
今の利用数を維持するだけで、この予算の大部分が使われている。


福祉の現場を見れば、低賃金で重労働、もちろん、離職率の高い職場です。
支援の質、専門性(?)なんかは夢のまたの夢の話。
まずは今日一日の人手を確保するだけで目一杯なのですから。
現場だって維持するのが難しいのに、これから新しい人を、特にどんどん増え続ける特別支援教育を受けた子ども達を受け入れるだけの枠も、余力もありません。


福祉の枠が空くときは、その人が亡くなるときです。
福祉は一般的な自立を目指していないからです。
常に支援付きの自立ですので、いつまで経っても利用者が減ることはありません。
だから、亡くなるときしか、その枠が空かない。
となると、限られた枠をみんなで奪い合う状態が続きます。


子ども時代、希望すれば特別支援教育を受けることは可能です。
このまま、少子化は続くでしょうから、特別支援教育を受ける子どもが増えても大丈夫でしょう。
しかし、卒業後、成人後は、180度違う世界が待っているのです。
同様の支援を受けるには、福祉から選ばれる人間になっていなければなりません。
既に重度の人達は、なんだかんだ理由をつけて断られている事態が一般化しています。
そりゃそうです、余力のない福祉の現場は、問題がなくてラクな、それこそ、グレーの人たちを選びます。
ギョーカイは「ありのまま」を謳いますが、それはギョーカイの宣伝戦略であって、現場は知ったこっちゃないのです。
「ありのまま」の人を拒否するのが、福祉の現場。


ですから、問われるのは、子ども時代をどう過ごしてきたか。
何を学び、身に付けてきたか。
この地域にいた先生が言うように、親の頑張り、家庭の頑張りが問われるのです。
育てられるところは育て、課題があればクリアしておく。
国のほうも、肢体不自由の人や医療的ケア児のほうに予算の重きをつけるようになっていますので、発達障害児者の人達はできることを各々でしなければなりません。


大学が全入時代と言われています。
私立の小中高だって、子どもが少なくなり、児童生徒獲得が至上命令になっているくらいです。
その時代に、なぜ、診断を受けようとするのか、特別支援教育の世界に入ろうとするのか、私にはよくわからないのです。
18歳で福祉利用を目指すより、18歳で大学受験した方が、専門学校を目指した方が入りやすいし、その後の将来の選択肢も多いと思うのですが。
昔は、職業訓練校、より良い高等支援学校なんて言われてたけど、今なら育てられるところは育て、教科学習も頑張り、進学した方がよっぽど就職先があると思います。
福祉が丸抱え?自立生活のサポート?
それは昭和平成の人達の話であって、令和の子ども達が大人になる頃、そんなのは不可能に決まっていますよ。




2021年2月24日水曜日

【No.1141】科学的によりも、人為的に造られてきた世界

自閉症や発達障害が「治らない」という根拠は、それが「生まれつきの障害だから」ということになっています。
しかし「生まれつきの障害」と言ってはいるものの、出生時に診断される赤ちゃんはいないわけです。
これだけ長い年月、「生まれつき」と言っているのですから、誰か一人でも、出産に立ち会い、その新生児の脳を調べてみればよいのに、と思いますが。
「生まれつき」というのに、生まれたときに診断された人がいない。
じゃあ、「生まれつき」ってなんなのでしょうか。


結局、「生まれつき」に科学的な根拠はありません。
だって、誰も確かめた人、確認した人、証明した人がいないのですから。
ということは、この「生まれつき」は、「たぶん、生まれつきだろう」という専門家の意見です。
「脳の機能障害」という仮説が出てから、世界中の専門家がその原因を脳に確認しようと、長年研究してきました。
しかし莫大なお金と時間をかけても、その根拠が出てこなかったのです。
それを受けて、2013年、DSM-5では「脳の機能障害」ではなく、「神経発達症」という捉え方になりました。
もちろん、この「神経発達症」も仮説であり、現在、その原因と根拠を探っている最中です。


このような歴史と事実があるのにも関わらず、「生まれつき」という意見に固執する人達というのは、それがその人たちにとって都合の良い言葉だからだといえます。
もともとは「冷蔵庫マザー」の時代があり、私が学生時代も、「しつけがなっていない」「子を自由にさせているからだ」と親族や他人に言われた、と話してくれた親御さん達がいました。
つい20年くらい前までは、しつけ、特に親の問題という時代があったのです。
まあ、どっちにしろ、しつけや訓練、指導では発達のヌケは埋まりませんので、一応、「生まれつき」という言葉は、親御さん達を守るためには必要だったといえます。


しかし過ちはここからです。
当時の専門家たちが「生まれつき」という個人的な意見を述べることは問題なかったと思いますが、その「生まれつき」を検証することなく、仕組み、制度づくりがなされてしまったのです。
もちろん、生まれつきを検証するために、脳の研究をしているグループもいましたが、その人達は今の特別支援をリードし、作ってきたグループの外だったのです。
じゃあ、中心は誰か、いわゆるギョーカイを作ってきた中心は何かと言えば、そうです、我が子に発達障害を持つ親でかつ医師や専門家だった人達です。


この世界に入って20年くらいです。
しかし一度たりとも、当事者、子どもが中心になり、制度設計や支援方針が決定されたことがありません。
どちらかといえば、親のために、また親のほうを見て進んできた印象が強いです。
早期診断、早期療育のシステムができて、子ども達はどうなりましたか?
幼児期は近しい関係の家族との信頼関係、愛着形成が重要な時期です。
発達に遅れがあるから愛着形成が遅れるのか、発達に遅れがある子が療育機関で過ごすようになったから愛着形成が遅れるのか。
そのどちらかはわかりませんが、実にこの問題、課題を抱えている家庭が増えたように感じます。
そもそも、早期診断、早期療育が二次障害の予防、将来の自立につながっているとはいえないのが、結果として表れています。


養護学校が支援学校に変わり、特別支援教育が始まりました。
でも教育の内容、子ども達の卒業後の進路は大きく変わっていません。
何が変わったかと言えば、従来、支援の対象ではなかった子ども達が診断名がつけられ、教育の対象になっただけです。
その子達は、特別支援教育によって救われたのでしょうか。
確かに普通教育の中で味わったであろう困難は回避できたかもしれませんが、卒業後の生活、長い人生はより良いものになったのでしょうか。
同時に、知的障害や症状の重い子ども達の学びの機会と保障、そして卒業後の進路が、新しく支援対象になった子ども達に奪われていないか、その枠が埋められていないか、考えるべきだと思います。


社会に理解を求めて、当事者の人の感覚過敏の苦しさは良くなったのでしょうか。
発達障害の若者たちが、特性や症状はそのままで、周囲に理解されるだけで働けるようになったのでしょうか。
コロナ騒動でのマスコミの姿を見れば、困難をセンセーショナルに映し、視聴者を獲得しようというのは明白です。
「あなたも、私も発達障害かも」というメッセージを送り、多くの関心を得ようとしているのです。
いくら自閉症の特性がわかっても、その特性で苦しむ人がラクになるわけではないのは、百も承知でしょうから。


このように、直接的な困難の解決、生活の質の向上、人生の選択肢の拡大など、本人目線で、また本人のためになされたことはないのです。
本人たちからすれば、生まれつきだろうが、脳の機能障害だろうが、神経発達症だろうが、どうでもよいわけで、「どうにかしろよ、専門家たち」というわけです。
その専門家たちというと、「生まれつき」という言葉がとても便利な言葉であり、少しでも良くなれば、「私のお蔭。支援のお蔭」となり、良くならなくても「生まれつきの障害だから」と逃げることができる。
このような激甘の商売を続けている人たちに、自浄努力ができると思いますか?
未だに「生まれつき」なんて言っているんですから、そこにしがみついているのですよ。


「生まれつき」が否定されると、じゃあ、支援者の質は、専門家の質は、となるので、そこを恐れているわけです。
制度設計から見ても、特別支援は成果ではなく、利用回数で評価されているのですから、支援者、支援機関同士の競合ではなく、共存共栄を図ります。
地域の支援者、支援機関同士なんかは繋がっていて、「今回はそっちに回すから、次回はこっちね」なんて当たり前です。
学校だって、来年度の職員配置のために、「誰かいない?」「あのうちはプッシュしたら、診断受けてくれるんじゃない」なんてこともよく耳にします。
その子の人生よりも、利用回数の「1」、3の倍数で3番目、6番目の子が重要。


あとは「生まれつき」が他人に迷惑をかけて良いことにも、子育てや家庭の責任を放棄しても良いことにはなりません。
一部の成人、保護者に「生まれつき」つまり、私のせいではないと言いたい人たちがいます。
そういう一部の人達に忖度することで、未来ある子ども達の人生を犠牲にしてはいけないと思います。


「生まれつき」を証明した人がいなければ、「自閉症」を証明できた人もいない。
つくづく発達障害の世界は、特別支援の世界は、政治的な意図、社会全体ではなく一部の人の利益のために作られた人為的な世界なんだと感じます。
彼らが「生まれつき」を手離さない限り、本人ではなくて、周囲にいる人達の都合の良い未来が造られていきます。
コロナ騒動同様に、一人ひとりが賢くなるしかありません。
ましてや、子の人生に関わる親の責任は重大です。
今の特別支援の世界に専門家の意見があっても、科学的な根拠はないのですから。




2021年2月4日木曜日

関東出張について(3月20・21日)

*2月5日14時30分、すべての日程が決まりましたため、募集を終了いたします。ご検討中だった皆様、次の機会によろしくお願い致します。


3月20日(土)と21日(日)に関東で出張の発達相談を行います。

既に21日(日)の午前は訪問するご家庭が決まっていまして、今のところ、20日(土)の午後と21日(日)の午後の2枠が空いております。
もしこの機会に「子どもの発達について確認してもらいたい」「今後の子育ての方向性を一緒に話し合ってほしい」などのご希望がありましたら、【出張相談希望】と件名に書き、メールをください。


【予定】
3月20日(土)AM 移動 PM 〇
3月21日(日)AM 埼玉 PM 〇


詳細を確認したい方がいらっしゃいましたら、【出張相談問い合わせ】と件名に書き、お問い合わせいただければ、ご説明いたします。
出張相談についての内容は、てらっこ塾ホームページをご覧ください。
ご依頼&お問い合わせ先:メールアドレス


2021年2月2日火曜日

【No.1140】自閉症も、発達障害も、診断名です

自分から「期日は2月7日にします」と言っておいて、「あと1ヶ月、延長します」とはどういうことだろうか、と思いますね。
こんなの民間企業がやったら、即アウト。
自分たちの見立て違い、選択の誤りを棚に置き、「いま、宣言を解除したら、気のゆるみが~」なんて、国民をバカにし過ぎです。
本来なら暴動が起きても仕方がない状況なのに、多くの日本人はホッと胸をなでおろす。
この島は天災が起きやすい場所なので、不安の強い遺伝子が多く残ったとも言われています。
でも、そういった器質があろうとも、論理的な思考、科学的な思考が育っていれば、この理不尽さ、不合理さがわかると思うのです。


いわゆる専門家が「気のゆるみ」という言葉を使っています、しかもメディアを使って。
この「気のゆるみ」とか、「二週間後にはN.Y」とか、「医療崩壊ガー」「我慢の三連休」は科学なのでしょうか。
これってすべて個人的な見解であり、意見であり、「私はそう思います」というレベルだと思います。
だから、本来なら「気のゆるみ(個人的な見解)が、感染拡大(個人的な解釈)に繋がった(個人的な意見)」という具合に注釈が入ると思うんです。
本当はこんなもの、高校卒業していたらわかる話です。
でも、多くの日本人は分からない。
今も、「GoTo」が悪いと思っている。
今も、「緊急事態宣言が出たから、PCR陽性者数が減った」と思っている。
というか、今も「陽性」と「発症」と「感染」の違いが分かっていない。


この日本という国は、特に日本の教育は「考える力」「論理的に物事を捉え、説明する力」を育ててこなかったのだと思います。
いつまで経っても、戦後から高度経済成長期の成功体験から、その価値観から脱することができないのでしょう。
だから、均一化、均質化の製造業のように、上から指示されたことをその通りこなす、という姿勢、人間そのものが作られていったのだと思います。


コロナ騒動を機に、「科学」「論理的」ということを私も勉強し直しました。
科学の基本は、「いつでも」「どこでも」成り立つ普遍的な事実を述べる、ということです。
だから、コロナで言えば、「手を10秒以上流水で洗えば、手に付着していたウィルスが100分の1になる」は科学であり、「飲食店を20時に閉めれば、感染者が減る」は非科学、個人的な意見です。


同じように「自閉症である」「発達障害である」も非科学であり、個人的な意見です。
厳密に言えば、自閉症も、発達障害も、障害名ではありません。
それらは、すべて「診断名」です。
ここのところがわかっていない人が多すぎます。
自閉症も、発達障害も、もちろん、知的障害も、ADHDも、生物学的な根拠はなにもないわけです。
つまり、「この子が自閉症である」という証明はできないのです。
そもそも自閉症は1つのカテゴリーの名前にしかすぎず、「同じ特徴がある人を自閉症と呼ぼう」と決めているだけです。
なんの科学的根拠もありません。
ここのところがわかっていれば、それこそ「障害名」ではなく、「診断名」にこだわる必要がないのです。


「うちの子は、自閉症と診断された」
それは〇〇医師の見解では、個人的な意見では「自閉症」というカテゴリーの中に入るだろう、というレベルの話です。
それ以下でも、それ以上でもありません。
それなのに、コロナと一緒で、「専門家が42万人死ぬ」と言ったから大変だ~というように、専門家の医師が我が子を自閉症と言った、この子は生涯言葉が出ないと言った、生涯支援を受け続ける子と言った、ギャ~となっている感じです。


昨年一年間、立ち替わり入れ替わり、「専門家」が出てきましたけれども、誰か正しいことを言った人はいましたか?
ちゃんと「二週間後」を予測できた人はいましたか?
占い師でも、ここまで外したら怒られますよ。
私は人は未来を予測できないし、科学も未来を予測できない、と思います。
だからこそ、人の限界、科学の限界を知るべきだし、専門家もそれをわきまえるべきなのです。


特別支援の現状は、自閉症という障害を証明することはできていません。
だから、障害名ではなくて、診断名なのです。
診断名は個人的な見解、意見。
その限界、事実に目を向けることが分をわきまえることだと思います。
今のように、そもそも本当に障害があるのかどうかわからないのにもかかわらず、その子の将来まで予測して言うなんて言語道断、とても失礼なことなのです。
だって、「あなたの子は無理」と言っているようなものだから。
子どもの未来を予測することはできません。
子どもの発達、成長を予測することはできません。
「生涯、支援」は、その専門家の個人的な意見なのですから、怒って良いですし、怒るべきです。
「偉そうなことを言う前に、分をわきまえろ、専門家」です。


数字で見れば、12月の緊急事態宣言が出る前に、既に陽性者のピークが来ていたことがわかります。
世界を見れば、ロックダウンしている国が日本の何倍も多い陽性者を出している。
こういった客観的な事実をみれば、あと1ヶ月延長することは非科学的だといえます。
そう考えると、最初から3月まで行う算段で、それを最初から言うと批判を浴びそうだから、予定通り「延長」という形にしていたとも考えられます。
あとは、飲食店に相当な恨みがあるのか、日本を潰そうとしているのか、そこに科学や論理が見えなければ、個人的な見解、意見、思惑があるのだと思います。
それこそ、端から「生涯、支援」「治らない」というのは、そこに行かせたい個人的な思惑があると疑われても、「そういっておけば自分にとって都合がよい」という考えがあると思われても仕方がありません。


今回の緊急事態宣言の延長の思惑がなんなのかはわかりません。
それこそ、人は未来を予測することができませんので、数年後、過去を振り返ったときに明らかになるのでしょう。
同じように、「この子は生涯、支援」「言葉は出ない」「症状は重くなるだけ」ということも、将来、過去を振り返ったときにしか明らかにならないのです。
だから、専門家がこういったから、と鵜呑みにするのではなく、子どもの未来、可能性を信じて、今日も進むのみです。
親が子の可能性、未来を信じられなくて、誰が信じるのです。


専門家は根拠のない予言をする。
そして外しても、謝らないし、責任を取らない。
2020年、何度も見てきた姿です。
科学とは、普遍的な事実を述べるのであって、個人的な意見を述べるのではない。
普遍的な事実、たとえば「現時点で発達の遅れがある」は良いけれども、だからといって「この子は生涯、支援を受ける」と言うのは間違い。
科学が個人の価値を決めるものではないのです。
何が良いか、真実かは「時と場合」によります。
当然、その人によって違います。
だから、科学は個人が使いこなさなければなりません。


そのためには、まずは大人が考える力、論理的な思考を行う必要があります。
情報を誰かに読み解いてもらうのはラクだけれども、個人的な価値観まで侵略されてしまう危険性がある。
まずは知ることから。
自閉症も、発達障害も、診断名です。
診断名が子の未来を決めるのではありません。