【No.1001】2019年を振り返り
今朝、ジム納めに行ってきました。 昨日は上半身だったので、今日は下半身を重点的にトレーニング。 その後、日課のランニングマシーンへ。 いつものNHKのテレビ前ゾーンに行く(空いているから)と、今日は『あさイチ』ではなく、『スカーレット』の総集編。 荒木荘のシーンを見ると、ずっと前の出来事のような気がしました。 午後からは『いだてん』の総集編がやっているようですが、まだ本編が録画一覧になっているのでスルー。 今日の函館は、この時期としては珍しい+5℃以上の気温なので、テレビから年末を感じていたのでした。 今年を振り返ってみますと、幾度となく、「情報の垣根はなくなった」と感じる一年だったような気がします。 発達障害を、改めて“神経”発達障害と捉えることから始まり、OO群の存在が「治っていく人達がいるのも当然だよね」という空気感を形成しました。 発達に遅れがある子がいれば、原始反射の残存を確認するのは当たり前、運動発達のヌケを確認するのも当たり前、愛着という土台の発達を確認するのも当たり前。 それにプラスして、左右の脳の育ちのバランスと、栄養面の過不足の確認が、今年のトレンドだったような印象です。 数年前の「発達障害は治るかな、治らないかな」といったレベルから先に進み、「原始反射」「運動発達」「愛着」「右脳&左脳のバランス」「栄養」から、発達障害という状態を読み解き、育て、治していく段階へ。 発達障害を治す方向へ進んでいる人たちにとっては、親御さんも、専門家も、差はなくて、これらの認識、アプローチが基本となっていると感じます。 ですから、単純に「情報」という観点から言えば、親御さんも、専門家も、違いはありません。 別の見方をすれば、ひと昔前は、専門家は専門家と言うだけで、優位性を持つことができたといえます。 療育や支援、〇〇療法をやっている、というだけで、なんだか専門的なことをやっているように見えたし、それを受けることに価値があったような気がした。 それは、「きっと専門家というのは、私達よりも勉強しているし、専門的だろう」と思っていたし、専門的な知識、情報へアクセスも限られていたから。 でも、今はそんなことはなく、親御さんも、専門家と変わらず、意思と行動力があれば、専門的な情報を得ることができます。 なので、以前の「専門...