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【No.1001】2019年を振り返り

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今朝、ジム納めに行ってきました。 昨日は上半身だったので、今日は下半身を重点的にトレーニング。 その後、日課のランニングマシーンへ。 いつものNHKのテレビ前ゾーンに行く(空いているから)と、今日は『あさイチ』ではなく、『スカーレット』の総集編。 荒木荘のシーンを見ると、ずっと前の出来事のような気がしました。 午後からは『いだてん』の総集編がやっているようですが、まだ本編が録画一覧になっているのでスルー。 今日の函館は、この時期としては珍しい+5℃以上の気温なので、テレビから年末を感じていたのでした。 今年を振り返ってみますと、幾度となく、「情報の垣根はなくなった」と感じる一年だったような気がします。 発達障害を、改めて“神経”発達障害と捉えることから始まり、OO群の存在が「治っていく人達がいるのも当然だよね」という空気感を形成しました。 発達に遅れがある子がいれば、原始反射の残存を確認するのは当たり前、運動発達のヌケを確認するのも当たり前、愛着という土台の発達を確認するのも当たり前。 それにプラスして、左右の脳の育ちのバランスと、栄養面の過不足の確認が、今年のトレンドだったような印象です。 数年前の「発達障害は治るかな、治らないかな」といったレベルから先に進み、「原始反射」「運動発達」「愛着」「右脳&左脳のバランス」「栄養」から、発達障害という状態を読み解き、育て、治していく段階へ。 発達障害を治す方向へ進んでいる人たちにとっては、親御さんも、専門家も、差はなくて、これらの認識、アプローチが基本となっていると感じます。 ですから、単純に「情報」という観点から言えば、親御さんも、専門家も、違いはありません。 別の見方をすれば、ひと昔前は、専門家は専門家と言うだけで、優位性を持つことができたといえます。 療育や支援、〇〇療法をやっている、というだけで、なんだか専門的なことをやっているように見えたし、それを受けることに価値があったような気がした。 それは、「きっと専門家というのは、私達よりも勉強しているし、専門的だろう」と思っていたし、専門的な知識、情報へアクセスも限られていたから。 でも、今はそんなことはなく、親御さんも、専門家と変わらず、意思と行動力があれば、専門的な情報を得ることができます。 なので、以前の「専門...

【No.1000】「発達した」という声は、生きている証、生命そのもの

2019年は、1月、2月、3月と、3か月連続で新大阪駅前の同じホテルに宿泊。 関西と中部地方を行ったり来たりしながら、出張の発達相談を行いました。 そのあと、暖かくなってからは、九州と中国地方への出張。 今年は2ヶ月に1度のペースで、北海道以外の場所の訪問をさせていただきました。 完全に個別対応ですので、観光では行かないような場所に伺えたことが楽しみでもありました。 その土地土地の雰囲気、文化、空気感を感じ、またそれにどのように馴染んでいくアイディアを提供できるか。 単純に、ただ発達を促すだけの発達援助ではなく、その土地の、各ご家庭の文化、雰囲気、空気感に馴染むような発達援助。 そういった、もう一つ先の発達援助を目指し、努力を続けていきたいと思っています。 私は幸か不幸か、師匠と呼べるような存在がおりません。 教員免許は大学の講義で単位が取れたら取得できましたし、療育法に関する免許、資格に関しても、特定の人について学びはしましたが、それもトレーニングの期間だけのお付き合いでした。 ですから、基本的に独学で、その時その時で、必要だと思ったことを、なにか「これだ!」と感じることを、掘り下げていったら、今に至るという感じです。 若い頃は、それこそ、独立を考える前は、誰か特定の師匠について学んでいないことを後悔することもありました。 しかし、今考えると、反対にそれが良かったような気がします。 変なシガラミもなければ、誰の顔色を伺うこともありません。 それに、興味のまま、自分の感覚に従い、より良いものを瞬時に取り入れることができます。 私の仕事は、私が直接治す仕事ではなく、主に親御さんに治すアイディアを提供し、子どもさんが治っていく後押しをすること。 なので、私に特定の“型”がなくて良いのかもしれません。 型なしだからこそ、特別支援教育や療育などの狭い範囲に縛られることなく、少しでも発達に繋がるアイディア、知見を、幅広い世界から吸収しようと動けるのだと思います。 一昔前は、私のような型なし、師匠なしは、独立できたとしても、続かなかったでしょう。 でも、今はネットがあり、素晴らしい知見や視点、技術を持った人とつながることができます。 そういった優れた方達とネットを通して、リアルタイムでつながることによって、日々、自分自身の...

治る子、治りにくい子、治り切らない子

重い知的障害を持っている子、言葉がなかなか出ない子。 そのようなお子さんがいるご家族にとっては、「治る」という言葉が、希望よりも、プレッシャーや落胆という意味合いになっている場合があるように感じます。 実際、揺れ動く心のうちを話してくださった親御さん達が一人、二人ではなく、複数いらっしゃいます。 他のお子さんが治っていく姿に喜びや希望を感じるのも事実。 でも、その姿がまぶし過ぎて、また同じように育っていかない現実を受け止められず、苦しく思ってしまうのも事実。 確かに、子どもさんによって、治りやすさに違いがあります。 ポンポンと治っていくお子さん達というのは、「もともと発達障害の器質はないよね」っていう雰囲気があります。 胎児期の栄養、環境、刺激によって、発達に遅れが出た発達障害の子。 出生後、栄養、環境、刺激によって、発達のヌケが出た発達障害の子。 胎児期、また出生後に生じた愛着形成の不全が、主に社会性の部分で発達の遅れを生じさせ、発達障害と見られちゃう子。 トラウマが発達のストッパーになり、同年齢のように育っていかず、結果的に発達障害っぽくなっている子。 腸内環境の問題や脳内の炎症が、不適切な行動、不可解な症状となり、典型的な発達障害と誤解されてしまっている子。 首の育ちの遅れが、末梢神経と脳の行き来を阻み、刺激の目詰まりで順調に発達していけない子。 発達障害と診断された子ども達が、栄養や運動、原始反射の統合などによって治っていくのは、「だって、僕は発達障害ではないもんね」というのが真実のような気がします。 原因があって、結果的に発達に遅れが出た。 ですから、その子の本来の発達の流れを読み、その流れに乗っていけるような育みをすれば、治ります。 もしかしたら、「治る」というよりも、本来の姿に戻ったという表現が、実態に近いかもしれません。 「発達障害が治る」という言葉を聞いて、特に驚きも、高揚感もないのは、現在、診断される子ども達の中心が、遺伝的な要素以上に、その“引き金”の方の問題によって生じているからだと感じます。 一方で、治りにくい子ども達がいるのも事実です。 同じように、発達のヌケがあり、育て切ったとしても、同年齢の子ども達と違いがないくらい治っていく子もいれば、その部分での発達は進んだけれども、やっぱり認...

「心理的な自立」で、すぐに思い浮かぶ子

自立には、主に3つの側面があると思います。 身の回りのことが自分でできる身辺的自立。 収入を得て、自分で生計を立てて生活する経済的自立。 そして、昨日、お話しした自分の意思と選択によって生き方を決める心理的自立です。 この3つの自立で順位をつけるとすれば、私は心理的な自立が最も大事なことだと考えています。 「心理的な自立」という言葉で、すぐに思い浮かぶお子さんがいます。 その子は、まだ発語がなく、知的障害で言えば、重度の判定が出るお子さんです。 まだ子ども年代ですので、これからの発達、成長によって、変化していく可能性はあるでしょうが、もしかしたら、完全な自立は難しいかな、と思うことがあります。 実際、ご家族も、そのように仰っていました。 将来、身辺面でも、経済面でも、支援が必要になる可能性が高い。 でも、この子と接していると、悲しげな成人後の姿が見えてこないのです。 それは、心理的な自立ができる子だと感じているからです。 この子は、「好きなものは好き」「嫌いなものは嫌い」というように、とても意思がはっきりしています。 その意思表示も、言葉ではありませんが、しっかり態度や行動で示します。 そして何よりも、その意思表示に対して、家族みんなで、しっかり目や耳、感覚を傾け、ちゃんと分かり合えるまで向き合い続けるのです。 当然、「ダメなものはダメ」ではありますが、叶えられるものなら、時間が許す限り、応えています。 そういった本人、家族の姿を拝見すると、自分の好き嫌い、意思をしっかり表明できる機会があり、それが保障されている。 日々の生活の中に、本人が選択できる機会が自然にあり、その結果を含めて味わえている。 もちろん、本人の持って生まれた資質もあるでしょうが、このような育みが幼少期から将来の心理的な自立に向けた準備になっていると分かります。 たとえ、将来、支援を受けながら生きていくにせよ、この子は、ちゃんと意思表示をし、自らの選択によって生活を決めていくはずです。 「自分の意思と選択によって、今日一日を生きていく」 何の変哲もない、多くの人が意識することなく、当たり前に行っていることであり、保障されていること。 しかし、そんな当たり前のことが、保障されていない人たちもいるのです。 限られた資源で効率的に行おうと...

発達障害を治すだけでは、自立できない

児童デイに通っている子が、「今日は、お友達と遊びたい」と言いました。 そうすると、親御さんが「今日は、児童デイに行く日だからダメですよ」と言いました。 その子は友達の誘いを断り、しぶしぶ児童デイに行くのでした。 これは、ノンフィクションです。 この話を聞いて、私は、この子の自立を阻んでいるのは、親御さんだと思いました。 それは、「友達との遊びの方が、児童デイよりも、社会性が培える機会だから」という単純な話ではありません。 自分の一日をどう過ごすか。 それは、プライベートな話であり、本人が決めることです。 当然、家族の事情があり、考えもあって、本人の選択通りに行かないこともあるでしょう。 でも、そういった場合であっても、ちゃんと事情を説明し、納得、または妥協点を見つける作業は必要です。 相手が子どもだからといって、一方的に子の選択の機会を奪うことはやってはいけません。 何故なら、選択できることが、自立するために必要な力だからです。 私は、「選択する力」というのは、自立にとって重要なスキルだと考えています。 と言いますか、選択できない人は、自立できないでしょう。 自立にはいろいろあって、経済的な自立もあれば、身辺的な自立もあります。 しかし、いくら経済的にも、身辺的にも、自立できていたとしても、自分のことを自分で決められない人は、心理的な自立ができないのです。 よく支援者は、「完全に自立して生きている人間などいません。みんな、誰かに頼って生きています。食べ物だって自給自足していないでしょ。だから、できないところを支援を受けながら、生きるのは問題ないんです」と言って、「支援付きの自立」とかいう論理が破綻しているものを売ろうとします。 「うちの支援を受けて、自立した人達がいます」という事業所の話を聞けば、グループホームや作業所に通って支援を受けている。 いやいや、それは自立とは言わない。 24時間のうちの大部分が、支援を受けていることで成り立っているから。 そして何よりも、本人に選択できる場面がほとんどないから。 もう今の親御さん達はわからないかもしれませんが、構造化のアイディアの一つとして、スケジュールというものがありました。 その日の予定を、子どもの認知度に合わせて、絵カードや文字を使い、視覚的に示すアイデ...

「生涯に渡る支援」の熱狂を振り返る

まだ小学校教員を目指していた頃の学生時代、障害児教育の講義で海外では「ゆりかごから墓場まで」の支援が、社会のシステムとして実践されていることを知りました。 そういったシステムが構築され、障害を持った人が安心して生きていける社会は、なんて素晴らしい社会なんだと、当時は思ったのでした。 卒業後、就職した自閉症児施設では、アメリカノースカロライナ州で行われていたTEACCHプログラムから学び、それを日々の支援に取り入れていました。 TEACCHプログラムは、視覚支援、構造化のイメージが強いですが、本来は自閉症の人達、また家族を生涯に渡って支援していくための州公式のプログラムです。 10年前くらいで終了してしまいましたが、すべての支援サービスを無償で受けることができました。 学生時代から「生涯に渡る支援」という言葉をたくさん聞いてきましたし、日本でも、そのような仕組みができることが理想だと思っていました。 実際、今でも、その「生涯に渡る支援」を地域で作ろうとしている人たちがいます。 しかし、それは実現するのでしょうか? そもそも必要なのでしょうか? 本当に、障害を持った本人にとって、幸せなことなのでしょうか? いつしか、理想だと思っていた「生涯に渡る支援」に対し、私はネガティブな感情を持つようになったのです。 平成の世、有名支援者も、メジャーなドクターも、「この子達に必要なのは、生涯に渡る支援だ」と言い、特定の支援方法を広め、家族や教員、支援者に支援し続けることの重要性を説いていました。 ですから、一つ上の世代の親御さん達、当時、30代、40代でバリバリやっていた教員、支援者というのは、とにかく「生涯に渡って、この子達を支援していくんだ!」「小さいときから慣れ親しんだ支援を大人になっても使うんだ!」という想いで突き進んでいたように感じます。 ギョーカイを先導する人も、現場の教員、支援者も、各家庭の親御さん達も、みんながみんな、「支援、支援、支援」と口々に叫んでいました。 ある親御さんが言っていました。 「学校に通っていたときは、卒業後も、私達がサポートします、大人になっても支援し続けます、と言っていたのに、当時の先生たちから、誰一人、連絡がない」と。 結局、卒業後は、親が見ることになっている、とも言っていました。 そうです、...

捨てる覚悟

大河ドラマ『いだてん』が終わってしまいました。 視聴率が低かったそうですが、それは視聴者層の違いとリアルタイムで観た人が少なかっただけで、とても興味深い作品だったと思いました。 まだ、途中までしか観ていませんけれども(笑) 来年の大河は、萬平さんの明智光秀。 きっと織田信長の配下になるし、きっと12月ごろには本能寺に向かうし、最後はきっと落ち武者狩りに遭うに決まっています。 だから、今年中に最終話までいかない『いだてん』を観ようと思います。 今、関東大震災が起きたあと、国立競技場で運動会をやったところです。 前の国立競技場が建てられた当時は、今とは全然異なる神宮外苑、千駄ヶ谷辺りだったのが、よくわかります。 私は千駄ヶ谷が好きで、子どもの頃、よく行っていました。 スワローズの本拠地、神宮球場がありますし(オリンピック期間中、機材置き場なんてヒドイ!)、通っていた将棋会館もありました。 今は藤井聡太棋士ですが、私が通っていたときのスターは、羽生善治棋士。 大人になってからは、ほとんど指さなくなった将棋ですが、今でも羽生さんのことは応援しています。 そんな羽生さんの言葉で、とても印象に残っているものがあります。 それは、『山ほどある情報の中から、自分に必要な情報を得るには、「選ぶ」より「いかに捨てるか」の方が重要だと思います』という言葉。 どんな世界でも、1つのことを極め、続けてきた人の言葉には、様々な真理へと繋がる深みを感じます。 仕事を通してお会いする親御さんには、この『情報との付き合い方』に段階があるように感じます。 まず、まったく情報を持っていない段階。 「発達障害」という言葉は知っていたけれども、まさか我が子が診断されるなんて…。 そのような状況の親御さんは、限られた情報に飛びつく傾向があります。 ですから、このときの保健師、医師の言葉は絶大。 出会った人によって、「風邪みたいに治るもんじゃない」と言われれば、「そうか、治らないんだ。受け入れるしかないんだ」となりがちです。 反対に、「この時期の診断名は仮みたいなもんだから。子どもは発達するし、診断基準から外れる子もいますよ」と言われれば、「そうか、じゃあ、より良く育つには、どうしたらいいんだろうか」と前向きな情報獲得へと向かいます。 この情報...

『診断と投薬』の限界

息子を殺めた元農水事務次官の父親に懲役6年の実刑判決が言い渡された事件。 この判決や事件の状況、それまでの家庭生活などに対し、いろんな立場の人が、それぞれ長男の視点から、父親、家族の視点から意見が述べられていました。 そういった意見を目にするたびに、私は「どうしたら防げたのか?」という疑問が湧くのです。 父親がいわゆるエリートだったから、息子の気持ちがわからなかったんだ、その気持ちに寄り添えなかったんだ、世間体を気にして助けを求めることができなかったんだ。 確かに、そういった側面もあるかもしれません。 でも、それは事件の枝葉にすぎないと思います。 その幹は、「何やってんだ、専門家」 いや、「発達障害に関する専門家の無力さ」でしょう。 発達障害に関する専門家、支援者は、「診断があれば」「支援があれば」「理解があれば」と言います。 でも、本当にそうなのでしょうか。 この3つがあれば、こういった悲しい事件は起きなかったのでしょうか。 この息子さんは、診断を受けており、発達障害を自覚していたといいます。 しかも、服薬も受けていた。 つまり、『診断と投薬』という医療者のみに認められた専門的な援助を受けていたということ。 それなのに、息子さんの症状や生きづらさ、そして家族を心身共に追い詰めてしまう行為がなくならかったのです。 ということは、『診断と投薬』で問題は解決しない、限界があるという意味ではないでしょうか。 医療者が医療について、一般の人よりも専門的な知識、技術を持っているのは当然のこと。 魚屋さんが、一般の人よりも、魚に詳しく、さばくのがうまいのと一緒です。 専門家が一般の人よりも、その分野の専門性があったとしても、それイコール偉いわけでも、あらゆる面で一般の人よりも優れているというわけでもないのは当たり前。 今年も、いろんな地域で、多くのご家族とお会いしてきましたが、未だに専門家、支援者と親御さんが対等な関係を築けていない、もしくは、上下関係を維持しようとする場合が多いのが気になります。 専門家や支援者が、家庭生活のこと、進路に関すること、どんな支援を受けるか、また薬を飲む飲まないまで、口出ししている、指示していることが本当に多くあります。 そんなに発達障害の専門家とやらは偉いのか? その指示に従った後の...

発達援助とは、川底にある石を1つずつ拾っていくようなもの

日頃、子どもさんと関わる機会が多いので、ふと、自分の子ども時代を振り返ることがあります。 私は、水が好きな子どもでした。 特に、流れる水を見るのが好きだったように思います。 砂場で山を作り、そこに穴や道を作り、水を流して遊んでいました。 川に行けば、葉っぱや木などを流し、それを眺めているのが好きでした。 川の中に石を置いて堰き止めたり、流れる方向を変えたり…。 海に行っても、泳ぐよりも波の動きを見たり、波打ち際で遊んだりする方が好きでした。 私の思いだす子ども時代の原風景には、水の流れがあるのです。 この仕事をするようになり、「発達の流れ」という言葉を良く使うようになりました。 その子の『本来の発達の流れ』がある。 でも、なんらかの原因によって、その本来の流れから外れたり、停滞したりしてしまっている。 受精から現在に至る流れの中で、どこから流れが変わったのだろうか。 なにが、その流れを堰止めているのだろうか。 どうやったら、本来の流れに戻れるだろうか、そのために私達ができることはなんだろうか。 私が発達障害をイメージするときは、子ども時代に見た川と、私がその中に置いた石が目の前に浮かんできます。 発達の流れを堰止めている石には、大きいものもあれば、小さいものもあります。 一人ひとり、その子その子によって、どんな石がどれくらいあるかは違っています。 大きな石がドンと流れを堰き止めていたり、小さい石が複数積み重なることで、流れに変化を与えっていることがあります。 その石とは具体的には、栄養不足&偏り、原始反射の未統合、感覚系の未発達、運動発達のヌケ、長時間のメディア視聴、環境汚染、人工的な刺激など。 これらがあると、本来の発達の流れを変えたり、発達自体を緩めたりすることに繋がります。 しかし、これらは、取り除くことができるもの。 つまり、発達援助の核が、ここにあるといえます。 定型の子も、発達障害の子も、水は流れている。 しかし、特に上流のところに、大きな石、複数の石があって、本来の流れから変わってしまっている。 そして、上流から中流、下流へと進む中で、水の勢いがなくなってしまっている状態。 それが「発達の遅れ」となって表れている。 私達が行うこととは、栄養や刺激、環境を整え、ヌケの育て直しをし、その子...

子育ての喜び、親子の時間の楽しさ

今年、出張で伺ったご家族から丁寧なメールを頂戴しました。 お子さんに大きな変化が見られたこと。 我が子の発達、成長をそばで見て、心から嬉しく思っていること。 そして、診断を受ける前のような子育ての喜び、親子の時間の楽しさを再び感じられるようになった、と記されていました。 『子育ての喜び』『親子の時間の楽しさ』 この二つの言葉を目にしたとき、私は今の事業を起ち上げて良かったと心から思うことができました。 今は、こうして発達障害専門の仕事を起ち上げ、行っていますが、大学に入るまでは、自閉症という言葉すら知りませんでしたし、障害を持った人と関わったこともありませんでした。 しかし、障害を持った子ども達のボランティア活動に参加したことから、自閉症、発達障害を持った子どもさんとご家族との縁が生まれ、今に至ります。 学生時代は、主に放課後の余暇支援ボランティアを行っていたのですが、そこで出会った家族の姿に衝撃を受けました。 全員が全員ではありませんでしたが、私には我が子との時間を苦痛に感じているような家族が多かったように感じます。 「どうやって放課後を過ごそうか」 「今日は、午前授業だ、どうしよう」 「夏休みが近づいてくると憂鬱だ」 顔を引きつりながら、ときに我が子に余所余所しく、中には心身を病む方も…。 当時は小学校の教員を目指していましたし、それまでまったく知らない家族の姿でしたので、とても心が揺さぶられたことを覚えています。 学生時代、そして自閉症児施設で支援員として働き始めたときも、ずっと「何故、障害を持った子の家族は、子育てや家族の時間を楽しみ、喜べないのだろうか」と疑問に思い続けてきました。 その中で、教育の問題、医療・診断の問題、療育の問題、福祉の問題を感じました。 みんな綺麗事は言うけれども、実際、家庭で問題が生じても、誰も本気で向き合おうとしない。 というか、ほとんどアイディアを持っていない。 「家庭でのことに足を突っ込むと、それで解決しなかったとき、責任問題になるから」 そんな教員、支援者達の本音は、幾度となく耳にし、幾度となく憤りを覚えました。 ですから、私は24時間365日の施設職員になり、そこで学んだことを地域に還元したいと想い、家庭支援サービスを起ち上げたのです。 私の事業の理念は、この学生...

『我がこと』と感じられているか

発達障害が「栄養で治る!」というと、嘘くさく感じます。 しかし、発達障害と呼ばれている人達の中に、消化器系を含む、栄養面の課題を抱えている人達が大勢いるのがわかります。 そういった人達の場合、栄養面が、その状態、症状と深く関係し合っていますので、栄養が改善すれば、ガラッと変わることもあるのです。 ですから、「発達障害が栄養で治る」のではなく、「栄養面に課題を抱えている発達障害の人達が、その改善によって治っていく」というのが、真実に近いと思います。 同じように、「発達障害が運動で治る」のではなく、「運動発達に課題やヌケを持っている発達障害の人達が、そこを育てなおすことによって治っていく」というのが、真実だといえます。 ということは、「発達障害が栄養で、運動で治るなんて、おかしい!」と叫んでいる人達は、読解力の問題?と思えちゃうわけです。 発達障害は症候群です。 それならば、ターゲットにすべきものは、その人が持つ一つ一つの症状のはず。 現在、なんらかの困った症状が出ている。 だから、その症状の背景、根っこを探っていく。 そうすると、「ああ、うんちに未消化物が多いよね。ということは、うまく消化、吸収できていないんだね。だったら、栄養不足かもね。発達に必要な栄養が足りてないかもね。そりゃ、発達の遅れが出るよね」となる。 で、栄養面からのアプローチによって、症状が改善し、治っていった人達がいるのだから、そこから学び、我が子の子育てに活かしていくのは、親として自然な姿。 このように考えると、栄養アプローチや運動、身体、言葉以前へのアプローチを行う人と、ハナから信じない人の違いは、子どもをしっかり見ているか、細かく見れているか。 その“見れているか”に関わるのは、親御さんや支援者自身の身体性です。 自分の身体的な感覚が乏しいと、それこそ、育っていないと、目の前にいる子に生じている現象を『我がこと』のように感じることができません。 となると、デジタルの情報のみで、頭主導で物事を処理していってしまいますので、発達障害という自分とは全く異なる別個の存在として認識してしまいます。 ですから、自分が睡眠不足になると、イライラするのに、我が子の睡眠障害には、「それも障害だからね」と、自分と分離させた反応をしてしまう。 目の前の我が子が苦しんで...

『経過観察』の本来の姿、目的、意義

気が付けば、もう師走。 この一年を振り返ると、2歳とか、3歳とか、本当に小さいお子さんの発達相談が多かったな、と思います。 当たり前ですが、2,3年前まではお腹の中にいた、もしくは姿形もなかった子ども達ですよ。 それなのに、もう診断名が付いて、それに応じた生き方、環境の中を進んでいこうとしている。 脳性麻痺のような疾患を持った子ども達ならわかりますが、「言葉が出ない」「運動発達が遅れている」ということのみで、障害児にされてしまう。 医師が書いている健診に関する専門書をいくつか読みましたが、そこには「言語理解に問題がなければ、3歳まで言葉が出なくても異常とはいえない」とも記されていましたし、「発達の遅れ=障害ではない」「発達の遅れを見つけることは、診断のためではなく、丁寧な経過観察をし、子育て、子の育ちをサポートしていくために」とも述べられていました。 この辺のニュアンスが、同じ医師でも、産婦人科の先生や乳幼児健診を行うような小児科の先生と、ゴリゴリの発達障害専門ですみたいな先生と異なるような印象を受けます。 発達の遅れにも、問題ないレベルや個人差のレベルのものもあれば、即、「障害」「リスク」というレベルのものもあります。 しかし、私の乱暴な解釈かもしれませんが、「即、障害」というレベルのものは、単体ではなく、複数確認できたときに、初めて発達障害というリスクに繋がるのだといえます。 私が勉強した限りでは、「〇〇の遅れのみでは、発達のリスクとは言えない」ですとか、「〇〇の遅れが見られたとき、△△の発達を確認する」ですとか、そういった記述が多かった印象があります。 これは、私が子ども達と接しているときに感じるものと同じだったので、印象に残っているのです。 親御さんから「〇〇の遅れを指摘されて」「これができないんです」という訴えを聞いたあと、実際に確認してみると、「これは問題ないな」「このままにしておくと、まずいな」という感覚があります。 その正体は、発達の遅れの組み合わせであり、もっと言えば、原始的な脳から端を発した問題かどうか、原因の根っこに関するものだと思います。 発達の遅れにもいろんな種類があり、パターン、組み合わせがあります。 ですから、いかに本当のリスクを見つけ、そこを育てられるか、自然な発達、個体差の部分を見つけ、そこを...

『発達のヌケ』から一歩先に

『発達の“ヌケ”』という言葉は、初めて聞いた親御さんでも、すぐにピンときます。 「障害と言うよりも、“ヌケ”なんですね!」 「生まれつきでどうしようもないのではなくて、ヌケているから、そこを埋めていけばいいんですね!」 今日まで過ごした子どもとの数年間。 たった数年間ではあったとしても、そこにはその子の歴史があり、物語がある。 突然、現れた『発達障害』 うちの子は、本当に発達障害という存在なのだろうか。 そういった言葉にならない想い、『発達障害』という一言で片づけられてしまう状態に、ピタッとハマるのが、『発達のヌケ』という言葉なんだと思います。 たった二文字ではありますが、多くの親御さん達に前向きな気持ちと、「私がやろう」という行動の後押しをしてくれます。 たぶん、私がこの仕事を続けている限り、『発達のヌケ』という言葉は使い続けるはずです。 親御さんにとって、前向きな力を与えてくれる『発達のヌケ』という言葉。 ですから、親御さんの意識は、我が子のどこが“ヌケ”なのか、に向かいます。 一番分かりやすいのは、「ハイハイを飛ばした」というもの。 ハイハイをほとんどせずに立ったのは、そのときの家族にとってはハッピーな出来事だったかもしれませんが、本人の発達からしたら、アンハッピーな出来事。 こういった飛ばしは、家族の印象に残っていることが多く、そのニュアンスからも、発達のヌケを連想しやすいといえます。 他にも、印象に残っている動き、行動なんかが、そのまま、発達のヌケであることが多いので、親御さんも気づきやすいです。 そこを育て直すと、変わっていくのは確かです。 しかし、発達相談、出張の依頼で多いのが、「発達のヌケがわからないので、一度、確認してもらいたい」というものです。 この理由としましては、ハイハイなど、特別気になる運動発達のヌケはなかった場合と、ハイハイも抜かしていたけれども、他にも抜かしているところがあるという場合だといえます。 前者の運動発達に特別な問題はなかったお子さんの場合は、「本当に発達障害なのか?」という確認をします。 また、ハイハイができていたように見えても、実際、やり方が違ったり、身体の使い方が違ったりする場合もありますので、「本当にできていた?」「やりきっていた?」という確認もする必要があります...

発達障害と療育・支援は、相関関係にあらず

栄養面からのアプローチで、精神疾患や発達障害をどんどん治してしまう広島の藤川徳美医師。 その藤川医師の本が、障害児教育部門の書籍で1位になった、という情報を目にしました。 まあ、親御さんだったら、「我が子の発達障害を治したい」「治ってほしい」と願うのは自然な感情ですし、実際に、藤川医師のアプローチを取り入れ、治った人達が大勢いますので、書籍が1位になるのは不思議ではありません。 でも、私はその書籍ランキングを見て、不思議に思うことがありました。 それは、2位以下に「コグトレ」に関する書籍が複数入っていること。 たぶん、これも最近、新書で話題になった『ケーキの切れない非行少年たち』の治療プログラムとして「コグトレ」が紹介されていた影響だと推測されます。 本当に皆さん、なんとかプログラム、療法がお好きなんですね。 どうしても、発達障害がある子に対して、指導や支援をしたいんですね。 この新書は、発売後すぐに読みましたし、コグトレに関しても勉強のため、一通りは学んでいました。 しかし、それを敢えてプログラムとして、私が行う援助サービスの一つとしてやろうとは思いませんでした。 何故なら、これも他の療法と同じように、枝葉へのアプローチだから。 と言いますか、受精から2歳前後までに生じている発達のヌケを育てたら、これらの課題も治っちゃうから必要ないよね、って感じです。 ケーキが切れない課題の根っこは、視覚や認知の問題と繋がっており、そこにアプローチするのがコグトレ。 でも、視覚や認知に発達の遅れや未発達があるのは、原始反射が残っていたり、ハイハイ等の運動発達にヌケがあったり…。 だったら、ここが根っこなので、根っこから育てれば、そこに端をなす課題はすべてポジティブな方向へ進みます。 しかも、ハイハイのやり直しに、研修や資格は必要ありませんので、家庭でやれるときにいつでもできるもの。 第一、こういった療法は、ある程度、席に座っていられる、鉛筆が持てる、指示に従える、といった条件が入ります。 でもでも、ハイハイは、どの子も赤ちゃん時代に通った道ですので、遊びの延長として行えますね。 なにか、新しい療法が出たり、誰かが「イイ」って言ったりしたら、一時的なブームになるのは、今までずっとありました。 TEACCHに始まり、コミック会話だ...

名も無い遊びが脳を育てる

上の子は学校から帰ってくると、一分も経たないうちに遊びに出かけます。 まるで昭和のアニメのような、ランドセルを置くために帰ってくるような感じです。 「子どもの仕事は、遊ぶこと」と常々言ってきましたので、その教えを守り(?)、毎日、友達と一緒にあちこち行って遊んでいます。 この地域は、学年関係なしに、男女問わず、みんなで遊ぶ文化があるので、そういった面で大変ありがたいと思っています。 「子どもの仕事は、遊ぶこと」はキャッチフレーズのようですが、それくらい遊びは、子どもにとって、発達、成長にとって、とても重要なことだと考えています。 何故なら、遊びの中に様々な要素が入っているからです。 運動発達はもちろんのこと、危険への対処、答えのないものから遊びを考える想像性(創造性)、友達との交流を通して押したり、引いたりといった社会性を培っていきます。 また概念を培うのは、遊びを通してが一番だといえます。 その子が将来自立できるかどうか、非行やメンタルヘルスのリスクを回避できるか。 その基準が、「小学校4年生レベルの学力」と言われています。 これは小学生のうちに小学校4年生レベルの学力を身につけなければならないという意味ではなく、大人になるまで、また大人になってからも、この学力レベルが獲得できれば良いという意味です。 しかし、この『小学校4年生レベル』というのがミソになります。 小学校1,2年生というのは、暗記で乗り越えられます。 たとえ、知的障害があったとしても、繰り返し、繰り返し、学習を積み上げていけば、学力として獲得できます。 でも、3年生辺りから、学習の中に『概念』が入ってきます。 この概念は、単に暗記や反復学習では理解できません。 ですから、発達障害のある子ども達の多くは、3,4年生辺りから学習の遅れが出てくるのです。 学習面の躓きをきっかけとした相談は、このあたりの学年の家庭が多いです。 『概念』理解は、『自立』の条件の一つとも言えます。 概念が掴めない子ども達は、幼少期、または現在も、「外遊びをしない」「友達と遊ばない」という子がほとんどです。 なので、相談を受けたときに最初に尋ねるのが、「ちゃんと遊んでいますか?」というもの。 物事を1通りの理解しかできない子は、早期教育として絵カードを見せて、それに答える...

身体を遊び道具にする発達段階

11月中旬くらいから、おもちゃのチラシが入るようになります。 おもちゃ屋さんはもちろんのこと、いろんなところで「クリスマスラッピングやってます」「今なら玩具、20%オフ」など、クリスマスモード。 子ども、兄弟は少ないうえに、元気なジジババサンタが大勢いますので、貰えるプレゼントは多くなります。 孫が喜ぶ顔が見たくて、たくさんおもちゃを買ってあげたい気持ちもわからなくはないですが、子どものブームというのは、ほんの一瞬。 もらったその日に見向きもしなくなるなんていうのは、よくある光景ですし、それが自然な子どもの姿です。 「子どもに発達障害がある」となれば、なるべく興味関心があるものを、子どもの知育につながるようなものを、そばに置きたくなるのは、自然な感情だと思います。 特に、「手先が不器用」という様子があれば、手先をいっぱい動かせるようなおもちゃを、と考えます。 「おもちゃでたくさん遊んで、手先を育ててほしい」 そういった家族、親戚の願いが、おもちゃの数として表れます。 新しいおもちゃでも、すぐに飽きてしまうのは、発達障害だからではなく、子どもの特徴です。 しかし、不器用さが改善していかないと、エネルギーが「より良いおもちゃへ」と向かいます。 そして、ちょっとでも長く遊んでくれるおもちゃが見つかると安心し、また子が飽きると焦ってしまう。 そうこうしているうちに、月日とおもちゃが増えていくわけです。 おもちゃがたくさんある家庭は、そうではない家庭と比べて、子どもさんは上手におもちゃで遊べているように感じます。 でも、「おもちゃで遊べる」=「手先の発達」ではありません。 結論から言ってしまえば、手先が不器用な子に、道具(おもちゃを含む)は早すぎる。 もう少し手前の発達段階を育て切る必要があります。 道具を使うから手先が動くようになるのではなく、手先が自由自在に動くようになって初めて道具が使いこなせるようになるのです。 たとえ、おもちゃで上手に遊べるようになったとしても、結局は、そのおもちゃ限定の遊び方を習得したにすぎません。 おもちゃが変われば、また上手に遊べなくなる。 おもちゃ、また道具なども同じですが、そのモノの形態に身体を合わせている限り、根本的な課題は解決していかないのです。 自由自在に動かせる身体→道具を使...

発達に基づいたアセスメント、具体的な育み方の助言、そして結果、以上!

「親御さんの情報収集能力はすごいな」と感心することばかりです。 とても勉強熱心ですし、そこら辺の支援者よりも専門的な知識、情報を持っていると感じます。 専門家と呼ばれる人の中にも、自分の専門以外には疎かったり、価値がないものと最初から見向きもしなかったりする人がいますので、ヘタに頼るよりも、親御さん自ら突き進んだ方が良い場合もあります。 専門家、支援者は『対多数』ですが、親御さんは『我が子一人』のエキスパートになれば良いのです。 論文を書くわけでもありませんし、その専門領域内での権威の顔を伺う必要もありません。 ただシンプルに、我が子にプラスになること、より良く育つことができればいいだけ。 支援者、専門家のほとんどは、利用回数が増えると儲かる仕組みになっています。 でも、親御さんの希望は、我が子の自立。 つまり、支援、子育ての手が徐々に離れていくことが目指すべき方向。 なので、同じ知識、情報を持っていたとしても使い方が異なりますし、そもそも自立や治るという情報収集、研究をハナからしていないのです。 発達障害に関しては、親御さんと専門家&支援者との関係性が整理されていくと思います。 発達を促す場、育む場は家庭であり、それを後押しするのが専門家。 具体的には、現在の発達状況を確認し、具体的な育て方の助言を行う。 つまり、『アセスメント』と『具体的な育て方の助言』です。 今までのように、寄りそうとか、傾聴するとか、自己肯定感とか、褒めるとか、そんな抽象的で何とでも言えるようなものは、支援ではなくなりますし、公金で賄われるべき価値もなくなるでしょう。 人がどんどんいなくなっている社会ですので、共感は犬やイルカ、馬。 傾聴は近所の人か、ボランティア。 自己肯定感、褒めて欲しければ、ホステス、ホストさん。 あと、現行の〇✖クイズのような診断ならAIがやってくれると思います。 こういう私も支援者の一人であり、民間で公金なしにやっている身です。 ですから、『発達に基づいたアセスメント』と『具体的な育み方の助言』を磨き続けないと、真っ先にいなくなると思います。 あとは、それにプラスして、今の親御さん達が持つニーズに応えることです。 私のところにいらっしゃる親御さん達の中には、すでに色々な専門家のところに行ったり、自分で情...

他人に配慮できる人、気を使える人に育つには?

啓発活動では、「私達に、特性に、配慮を!」という具合に、支援だけではなく、配慮を求め、訴えていることがあります。 配慮が必要な場面で配慮するのは、当然です。 しかし、どうも、この『配慮』が一般的な人達の心に響いていきません。 何故なら、配慮とは、“お互い”が配慮し合うことだから。 常に配慮する側と、配慮を受ける側が替わらない。 とすれば、それは配慮を求めているのではなく、特別扱いを求めていると捉えられても仕方がありません。 職場でも、学校でも、仲間でも、一方的な配慮は、結果的に関係性を維持することができなくなるのです。 職場なら配慮するから、「仕事の成果を」 学校なら配慮するから、「しっかり勉強を」 仲間なら配慮するから、「お互いが楽しい時間を」 配慮を受けた側がそれに応えることと、反対に相手に配慮すること。 それは人と人の間で生きる人間が基本となす部分だといえます。 ですから、発達障害があるなしに関わらず、社会の中で、人との間で生きることを目指すなら、配慮を求めるだけではなく、配慮できる人に育つことが重要です。 では、どうやったら、配慮できる人に成長していけるか。 配慮をもう少し具体化すると、「気を使う」ということになると思います。 幼少期なら、それができなくても当然ですが、ある程度、大きくなったのに、気が使えないというのは、社会性の部分での未熟さを感じます。 学校だけではなく、家の中でも、啓発活動のように一方的な配慮を求める。 お母さんに対し、「僕に気を使え」というような要求をするのに、お母さんには全然配慮をしない、気を使わない。 「うちの中だからイイか」と思いがちですが、それが学校で、社会で、他人に対して表出すると、嫌われるか、仲間外れにされるだけ。 と言いますか、うちの中も、小さな社会ですので、家の中での言動も成長と共に変わっていかなければならないのです。 他人に気が使えるようになるには、2つの要素が必要になります。 まずは、空気が読めること。 そのためには、周囲からの情報をキャッチできる身体が必要であり、皮膚感覚が育っていることが重要。 同じように、内臓感覚や前庭覚、固有受容覚…の育ち、つまり、自己の確立。 自分という存在が感覚的に把握できている状態であることが、自分と空間、自分と他人を分ける...

土踏まずは、言語、認知、手先の発達へと続く道標の一つ

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ヒトは、二足歩行ができるようになって、言語や知性、手先を発達させていきました。 ですから、二足歩行ができる身体に育てることは、とても重要だといえます。 二足歩行ができていないのに、言語訓練をしたり、勉強を教えたり、ソーシャルスキルを暗記させたりしても、効果は期待できないでしょう。 中には、自然な二足歩行ができていないのにも関わらず、しゃべったり、学校の勉強ができたりする子もいます。 しかし、そういった子ども達の多くは、脳みそ、特に大脳皮質が頑張って、なんとかこなしているという雰囲気があります。 私達が意識することなく、しゃべり、学ぶことも、脳をフル回転させながら、考える力でカバーしながら進んでいる感じです。 なので、小学校低学年のときは良いですが、3年生、4年生くらいになって、概念や考える力が求められるようになると、ついていけなくなるのです。 ある意味、丸暗記の会話、パターンによる会話、小学校低学年の概念があまり入ってこない学習においては、発達の凸凹があろうとも、発達の遅れ、ヌケがあろうとも、続けていけば、身に付けることができます。 しかし、重要なのは、丸暗記や型が決まった会話ではなく、自然な会話、やりとりです。 それは学習面でも同じ。 決められた計算式で答えを出す、文章に当てはまる文字を書きぬく、文字を覚える…。 こういった基礎、土台から一歩進み、自ら考え、さらに答えのない答えを導き出していけるところまで成長していけることが、学ぶ目的でもあります。 そのために、単に「二足歩行ができる」ではなくて、“自然な”二足歩行ができることが必要になります。 普通級に在籍している子で、勉強や人間関係で躓き、初めて「発達障害では?」というようになる場合があります。 幼少期、物静かな子、勉強や運動が苦手な子も、小学校に上がり、概念と複雑性の世界に入ると、徐々にしんどくなっていきます。 そういったとき、「発達障害の子どもに合わせた方法で勉強を教えてほしい」と依頼が、私のところにきます。 しかし、そういった家庭教師としての役割は、ほとんど行うことがありません。 振り返れば、幼少期から何らかの発達の遅れ、ヌケはあったのでしょうが、特に指摘されることなく、診断を受けることなく、普通級に在籍しているわけです。 ということは、認知の面での根本...

「発達障害=療育」「診断→療育」「療育を受けさせるのが良い親」は誤り

ついこの間までは、「発達の遅れを指摘され、診断を受けたら、気が付いたときには申請書に記入し、療育施設に通っていた」とおっしゃる親御さんが多かったです。 でも、最近では、その療育とやらも、どこも枠がいっぱいらしく、利用できるまで間が開くようです。 ですから、その間にいろいろと調べて、自分で行動する親御さん達が出てきたように感じます。 私のところにも、そういった方達からの相談が来るようになり、半年待機なら、一年待機なら、「その間で1つでも治しちゃいましょう!」という具合に、せっせと発達援助を行い、ヌケや未発達を育てていきます。 半年あれば、できることはたくさんありますし、年齢が幼ければ幼いほど、発達は加速度的に進むものなので、育つのも早いです。 「結局、療育施設への希望は取り下げました」というお話を聞けば、公的な資源を使わず、自らの力によって必要性がなくなるほどに治したのだから、これも一種の社会貢献であり、やっぱり治すことは本人にとっても、家族にとっても、社会にとっても、喜ばしいことだな、と改めて感じます。 現状の療育では、治すことを目的としていませんし、症状の軽度化も達成できていません。 とにかく「適応力を上げる」が主であり、その適応力とは、社会への適応ではなく、支援への適応。 つまり、支援しやすい子に育つような支援です。 もっといえば、支援者が介護しやすい子にどう育てるか、というもの。 どうして、そんなことが言えるのか、と問われれば、早期診断→早期療育→特別支援15年で、ほとんどの人が自立できていないから。 ギョーカイの掲げる目標は、「支援を受けながらの自立」なので、まあ、見方を変えれば、思い通りに育てることができているわけです。 「生涯に渡る支援」を高々に謳っていますので、支援の仕方、指導の仕方は、どうしてもそのゴールに向かったものになります。 早ければ、1歳から人生を終えるその瞬間まで、支援を利用してもらいたい。 こういう事情がありますので、また結果として出ていますので、「どうして、早期から頑張って療育、支援を受けたのに、自立しないんだ」と怒ったところで意味がないのです。 社会の中の自立、症状の軽度化、発達のヌケや未発達を育て、治すことを目的としていないので。 これもつい最近まであった不思議な相談なのですが、「幼稚...

診断基準は変わる、進歩と人為によって

DSM-5が発表される際、アメリカ国内では騒動が起きました。 新しい診断基準になると、それまで該当していた人達の中に基準から外れてしまう人達が出る、と。 それでは、「今まで受けられていた支援、サービスが受けられなくなる!」「それは問題だ!」ということで、当事者、家族から声が上がったのです。 新しい診断基準へと改定を進めた人達も、当然、こういった反応は予想できたと思います。 (まあ、結論から言ってしまえば、ロビー活動によって、改訂前に診断を受けていた人は、それまでと同様に支援が受けられるようになりましたが)。 では、何故、改定する必要があったのか。 当然、多くの臨床からより実態に合ったものへ、それまで分からなかったことが明らかになったことによって、診断基準が変更されるという面があります。 DSM-5では、自閉症やADHD、LDなどが神経発達症という大きな括りの中に入ることになりました。 「どうも、“神経”発達が大きくかかわっているようだ」という具合に。 一方で、純粋に医学的、科学的な進歩によってのみ、診断基準が変わるわけではないこともわかります。 端的に言えば、診断基準に該当する人を減らしたかった。 先進国では、韓国、日本の順に、発達障害が増加していますが、アメリカでも同様に、ますます発症率も、発症者数も増えているのです。 ある程度、支援サービスが整っている国では、それに伴って、どんどん公的な予算、費用が増えていきます。 そこで有限であるリソースを効率的に分配するためにも、いや、もう予算がないから勘弁してくれ、ということかもしれませんが、開いた蛇口を閉め始める。 そういった側面も、あるのは当然だといえます。 このように人間が行うことには、少なからず思惑が入る余地があるのです。 発達障害が、神経の問題になったとき、神経なら育てられるし、アプローチできることが示されるようになりました。 また、長らく言われていた「生まれつきの障害」という言葉も根拠がなくなり、『発達期に生じる』という言葉によって、環境、アプローチの仕方によって変化が生じるという可能性、希望が見いだせるようになりました。 しかし、私達は医学、科学の進歩による恩恵だけではなく、その裏側にある意図にも目を向け、理解する必要があると思います。 つまり、未来は引き...

寄り添うのも、発達を後押しするのも、家族が行えます!

福祉の世界では、「障害者に“寄り添う”」という言葉が大切にされています。 私が施設職員として働き始めたときの入社式でも、福祉事業所が主体である会議、研修会、講演会でも、書籍やギョーカイ新聞においても、「寄り添う」という言葉が出てきます。 あたかも、その言葉を入れないといけない決まりがあるような、まるで締めくくりの定型句のような。 「寄り添う」は伝統芸能のように、代々受け継がれてきています。 しかし、その「寄り添う」の流れの始まりを見てみると、昭和の初め、何十年も前にさかのぼります。 当時は、障害を持った人達が座敷牢に入れられていました。 その社会的に消し去られた時代から、障害者の保育、福祉、教育に移り変わるとき、「寄り添う」という言葉が生まれ、本人、家族、福祉に携わる人達にとって意義をもったのだといえます。 社会的に排除され、地域、家族からも存在が否定されていた時代。 その時代においては、障害を持った人に寄り添う、それ自体に価値があったのだといえます。 では、現在においても、「寄り添う」は大きな意義を持つことなのでしょうか。 職業として、仕事として関わっている人間が、その職務の一番に「寄り添う」を掲げて良いのでしょうか。 今は、福祉だけではなく、医療や教育、行政など、あらゆる分野で「寄り添う」「共感する」「認め合う」などと言われています。 でも、寄り添い、共感し、認め合うのなら、赤の他人が税金を使ってやることではないと思います。 寄り添うだけだったら、犬の方が優れているのでは。 本人が福祉の世界に入ると、成長が止まる、むしろ、できたことすらできなくなるのは、未だに福祉の中心に「寄り添う」があるからだといえます。 その施設内で問題が生じても、その問題を解決するよりも、「その人はやりたくてやっているのではない。困っている人である。だから、私達が寄り添うのだ」という具合に流れてしまう。 本人の生きづらさを改善するよりも、生きづらさを抱えている本人を一人にしない、孤立させないと流れてしまう。 「これのどこが仕事なんだろうか」 「この作業を続けていくと、キャリアアップに繋がるのだろうか」 「この自立訓練では、一生、自立できないだろう」 そのような福祉が今もなお存在し続けるのは、職員の質の問題もあるでしょうが、それ以前に福...

生きづらさ保全の会

不登校や不登校気味の子の相談で多いのが、「クラスの子が泣いたり、叱られたりしていると、自分も悲しくなる、辛くなる」というものです。 その状況に耐えられなくなると、だんだんと心身に不調をきたし、学校に行けなくなる。 勉強や友人関係に問題はないのに、こういった理由から不登校になる子も少なくありません。 だいたい最初の対応として、「担任の先生にあまり叱らないように」とお願いをするようです。 しかし、いけないことをしたら指導するのは当然ですので、叱る場面をゼロにはできません。 それに子ども同士のやりとり、個人の感情はコントロールできませんので、クラスの子がネガティブになる状況はあり続けます。 となると、結局、本人が辛くなることは変わりませんので、もう一度、要望、話し合いが行われます。 先生としても、本人を叱っているわけではありませんし、クラスの子の感情をコントロールできるわけではありませんので、困ってしまいます。 一方、親御さんの方も、状況が変わらないことに焦り始める。 そういったとき、両者の流れが「発達障害」に向かい始めます。 担任が抱え込めない部分を受け持ってもらうための「発達障害」 特別な配慮をより認めてもらえるようにするための「発達障害」 ちなみに不登校になってから、診断を受けるケースが本当に多いです。 診断を受けると、その学校の不登校数にカウントされないというルールがあるのでしょうかね。 特別支援に関わる人、支援者、専門家の中には、こういった子どもさんに対し、「とても優しいお子さん」「他人の気持ちに共感できるのは長所」などと言います。 でも、本当に優しい子、他人の気持ちに共感できることが長所と言えるまでになる子というのは、ただ悲しんでいるだけではなく、行動に移せる子です。 悲しんでいる子の横で泣いている子は、ただ泣いている子。 そこから一歩成長し、悲しんでいる子に対して、どういった行動ができるか、それを考え実行できる子に育てるのが、また育ってもらうのが、子育てであり、教育でもあると思います。 このようなお子さん達は、一言で言えば、「自分が確立できていない」のでしょう。 自分と他人の境界線が曖昧ですし、その曖昧さは、自分の身体の範囲がわかっていない、ということ。 それは内臓の発達の遅れ、皮膚感覚、前庭覚などの...

「障害ゆえに生きづらい」と「生きづらいゆえに障害」という連想

誤学習ランキングをつけるとすれば、「発達障害ゆえに生きづらい」が上位に食い込んでくると思います。 面談でお話ししていると、「それって、発達障害、関係なくね」と思う場面がよくあります。 「私は発達障害だから勉強ができないんだ」 「僕は発達障害だから、みんなに嫌われる」 詳しくお話をきくと、同じ勉強方法にこだわっていたり、そもそも勉強していなかったり。 周囲の人達は、発達障害を嫌っているのではなく、迷惑行為を嫌っていたりする。 「そんなことをしていたら、発達障害じゃなくても、嫌われるよね」ということがあります。 失敗や嫌われるにしても、因果関係が掴めていない。 ゆえに、また同じミスを繰り返す、の無限ループ。 因果関係が掴めないのは、情報が読みとれない、空気感が捉えられない、という本人側の理由が考えられます。 まあ、これが「発達障害ゆえ」と言われたら、そういう面もあるでしょう。 しかし、こういった部分は脳の機能障害ではなく、感覚系の未発達。 ですから、育てれば発達するし、感覚的にわかるようになる。 感覚系に未発達がある→情報が読みとれない、となると、頭先行で物事を捉えてしまいがちになります。 そこに脳の余白がないと、先着一名様の思考と重なって、特定の考え方に縛られてしまう。 それが「発達障害ゆえに生きづらい」という考え方(?)文言(?)スローガン(?) 本やネット、メディアなどでは、「〇〇ができない」「〇〇で失敗する」という具合に、ネガティブワードで溢れています。 そもそも診断基準の記述が、そのような「できない探し」で構成されているので無理もありません。 因果関係は載っていないで、「〇〇ができない」という文言ばかりなら、「発達障害=できない」という図式が出来上がってしまいます。 本当は、できないことよりも、「何故、できないか?」が重要なのに。 当事者会に行けば、形式的な自己紹介後は、「今、困っていることは何ですか?」と、みんな、困っていること大前提で会が進行していく。 その困っていることは、悩んでいることは、同世代の人達も同じように悩んでいるかもしれない。 そういった視点が持てなければ、当事者会は「同じ悩みが共有できた」という心の軽さよりも、「発達障害は、あんな困難も、こんな困難もある」という心の重さが増すば...

強度行動障害と排便

施設では、管理栄養士が365日、朝昼晩のメニューを考え、それが提供されていました。 メニューに自由はありませんでしたが、偏り、過不足なく、必要な栄養が得られていたので、ある意味、同世代の大人たち、子ども達よりも、健康的な食事だったといえます。 そんな考えられ、健康的な食事が毎食摂れていたのにも関わらず、入所されている人達の多くは、排泄面で課題を抱えていたのです。 便秘の人は多かったですし、便が緩い人も多かったです。 当時、「どうして、こんなにも栄養バランスが整った食事を続けているのに…」とよく思いましたし、同僚とも話をしていました。 強度行動障害の人達は、精神科薬を服用していました。 ですから、当時は「精神科薬の副作用だろう」と捉えていましたが、今振り返ると、やはり内臓系の発達の遅れがあったのだと思います。 それは、新入所として入ってくる子ども達にも、排泄が未自立な子が多かったから。 排泄の課題の根っこを辿っていけば、幼少期からの排泄の課題、また排泄の自立がなかなかできない、という姿が見えてきて、さらに進めば、運動や感覚面だけではなく、内臓の発達の遅れとつき当たる。 精神科薬の束と、内科の薬の束が同じ高さくらいだったのが印象に残っています。 精神科薬を服用する前から、ずっと排泄の課題を抱えてきた、という人が多いのだと感じます。 便秘の人は、多動性が強かった。 便が緩い人は、衝動性が強かった(ちなみに、便が緩い場合、未消化物が多い)。 行動障害が激しい人は、排泄面で課題が多く、排泄の課題が大きい人は、行動障害が激しかった。 こういったのは、施設職員なら感覚的に理解しているような気がします。 排泄に課題がある人は特に、便の状態を確認することが、私達の大事な仕事の一つ。 なかなか健康状態を訴えることができない人も多かったので、排泄の状態は、体調の変化にいち早く気づくために重要な情報でした。 ですから、行動障害を持つ人や、知的障害、発達障害を持つ人の中には、排泄の課題を持った人が多いことがわかります。 またまた今思えば、行動障害を視覚支援や賞罰などで制止、改善しようとするだけではなく、「排泄の課題をクリアする」という視点があれば、内側から良い変化が得られたのではないか、と思います。 「他害を治す」と思えば、時間もかか...

本人が治そうとするその日まで

私は、良い縁に恵まれているな、と思うことが多々あります。 先日も、「仕事が続けられています。新しい仕事を任されました!」というような報告をいただきました。 そして今日も、「仕事が決まりました。一般の人として」という喜びの報告があったところです。 メディアやネットでは、生きづらさ120%の大人たちばかり登場しますが、ご縁があるのは前向きで、頑張っている若者たちばかり。 本当にありがたいことだな、と思っています。 私は、そんな大人の方達と接するときと、子どもさんとその親御さんと接するときで、相談、援助の方向性を変えているところがあります。 それは、治せるところ、未発達&ヌケを、すべて言うか、聞かれるまで言わないか、という違いです。 お子さんの場合は、特に親御さんに対して、そのセッションの間で気がついたこと、確認できたことを余すことなくすべて伝えるようにしています。 もちろん、後日の報告書においても、より詳しく、考えられることはすべて記述します。 一方で、当事者である若者たちに対しては、基本的に尋ねられるまで、相談があるまで、私からは言わないようにしています。 何故なら、育てる立場ではなく、育てる主体であり、選択する主体だからです。 どこを治し、どこを育てるか。 もっと言えば、どう生きるか、は本人の考えと行動によって決められるものであって、他の誰からも侵略されてはいけないものだと、私は考えているのです。 仕事をしている人、自立して生活している人。 そのような若者たちであっても、すべての発達課題がクリアされているわけではありません。 と言いますか、発達課題は人生全てをかけて育て、治していくものなので、未発達やヌケがある状態が自然なのです。 それこそ、生涯が「発達期」 たとえ、未発達やヌケ、発達課題が残っていたとしても、社会生活が送られていれば良いわけで、悩みや生きづらさを抱えつつも、「今日一日頑張って、ちゃんと休息して、また明日元気に活動できる」で良いのです。 ゲームの世界とは異なりますので、すべての課題がクリアできた人から、次のステージへ、みたいなことはありません。 大なり小なり、すべてのヒトが、未熟さを抱えつつ、社会生活を営んでいる。 それが実社会というものです。 本人と出会った際、「ここを治せば、もっと生き...

一方的な配慮ではなく、お互いに配慮し合う社会へ

「治らないから、”障害”なんだ!」と言われる人がいます。 確かに、身体などに障害を持った人たちは、そうかもしれません。 しかし、そもそも発達障害というのは、そういった確認できるような障害でなければ、何かが欠損しているような障害でもありません。 もし、発達障害と呼ばれる人達が、「神経が欠損している人」または、「神経発達が生じない人」ということを指しているのなら、発達障害は治らないし、治らないから障害だといえるでしょう。 でも、実際は発達障害ではない人と同じように、身体全身に神経が張り巡らされていますし、刺激によって神経同士が繋がっていくという機能も持っているのです。 違いがあるとすれば、その神経同士の繋がり方。 「この月齢なら繋がっているだろう神経ネットワークができていない」 「最も盛んな時期を過ごしているはずなのに、神経同士の繋がりがゆっくりだ」 すべての神経同士は、お互いに関連し合っていますので、発生初期から誕生後すぐの時期に生じるべき神経ネットワークが築かれなければ、それ以降の発達に影響が出ます。 これが発達のヌケ。 栄養不足や刺激の偏りによって、神経ネットワーク作りに滞りが生じれば、それが発達の遅れとなって、表面化するのだといえます。 発達のヌケや遅れがあるからといって、それが即、障害にならないのは、昨日、記した通り。 子どもなら子どもの、青年なら青年での、大人なら大人での、社会生活が支障なく、営まれていたのなら、発達の凸凹、違いは問題にならないのです。 ちなみに、どんな人にも発達の偏り、違いがあるのは当たり前であり、それと同じように、悩みや苦労のない人などはいませんので、社会生活に”まったく悩み、苦労がない”ではなくて、”支障がない”という表現になります。 じゃあ、「発達障害を治す」という表現を使わなかったとしても、共に生活している我が子に”支障”が生じたら、それを取り除こう、治そうと思うのは、どの親御さんでも一緒だと思います。 社会生活を送るのに支障となっているものの根っこを辿っていけば、神経発達に繋がります。 だったら、その神経発達を後押ししよう、運動、栄養、環境、遊び、家族の育みによって。 これは自然な親心であり、発達障害を治そうとするのは当然です。 どこの世界に、我が子が苦しむ姿を見て、「そのままで...

治すのは、より良い社会生活が送れるために

「発達障害が治る」と言うと、すべての困難が治り、普通の人になることをイメージされる方が多いと感じます。 しかし、「普通の人になる」というのが治るだとしたら、それは不可能です。 何故なら、普通の人などいないからです。 一人ひとり遺伝子は異なりますし、その遺伝子がどのタイミングで、何が発現するか、しないかは環境側が握っています。 当然、発達の仕方も、学習の仕方も、生まれたあとの環境によって違いを生みます。 同じような時代、環境の中で生きた人間でも、一人として同じ人間はいません。 つまり、定型発達と呼ばれる発達の順序があったとしても、偏りもあれば、バリエーションもありますので、どの人も個性的で、発達に凸凹、違いがあるといえるのです。 「じゃあ、発達障害が治るって何だよ」という疑問が生じます。 その疑問に答えるためのポイントは、『障害』という言葉、概念です。 発達障害、もっと丁寧に言えば、神経発達の障害であり、神経発達に遅れがありますよ、ということ。 でも、神経発達に遅れがある子は少なくありません。 乳幼児健診でも、指標となる行動と月齢がありますが、発達には幅があるという前提がありますので、月齢よりも発達が遅れていたとしても、すぐに問題にはなりませんし、当然、障害にもなりません。 神経発達が遅れていても、あとから追いつけば良いのですし、遅れたままであったとしても、社会生活に支障がなければ問題ありません。 そもそも個々の神経を詳細に調べることはできませんし、健診等でも、それこそ、発達障害の診断でさえも行えないし、行っていません。 発達障害と無縁と思われる人、いわゆる定型発達で育ってきた人の中にも、知られていないだけで神経発達の遅れや、一般的な神経同士の繋がり方とは異なる人もいるはずなのです。 そこで、『障害』という言葉、概念です。 発達障害、神経発達障害などと言われていますが、本当に神経の発達が遅れているか、そこに不具合が生じているか、は確認しているわけではありません。 つまり、「神経発達に遅れ→社会生活に支障」ではなく、「社会生活に支障→神経発達に遅れ“だろう”」ということ。 よって、障害の有無は医学的、生物学的、神経学的に決定しているのではなく、社会生活に支障があるかないか。 世の中に、変人、変わった人はごまん...

正常と異常の判断は、どうやるの?

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支援者の腕の見せ所が、正常と異常の判断だといえます。 その言動は、その子の発達は、正常なのか、異常なのか。 異常と見えるような事象でも、正常発達における個人差、発現のパターンだったりします。 母子手帳や育児書などには、この月齢はこんなことができる、こんな様子がみられる、という情報が載っています。 新生児、乳幼児、子どもの発達は、世界各国で研究されていますし、だいたいどこの国でも同じような発達パターンを辿ります。 いわゆる、その共通する発達パターンが定型発達と呼ばれるものです。 一方で、発達障害の子ども達は、その定型発達から外れたり、異なるパターンを辿ったりします。 しかし、定型発達のパターンから外れた、その通りに進まないからといって、すべてが発達障害になるわけではありません。 「この月齢ではこの運動」というような大体の目安はあったとしても、個人差がありますので、それよりも早い月齢でできたり、遅い月齢でようやくできるようになることもあります。 発達に関しては、早ければ良いものでも、遅ければ悪いものでもありません。 重要なことは、飛ばさず、ちゃんとやり切ること。 たとえ他の子ども達より遅れたとしても、やりきり、発達課題をクリアすればよいのです。 親御さんは、この子の言動は、正常なのか、異常なのか、その判断で迷い、悩まれます。 でも、その悩みに拍車をかけているのは、近くにいる支援者、専門家だと感じるのです。 ここ数年多いのが、達成する月齢から少しでも遅れようなら、「発達障害では」と言う支援者の存在。 面談し、お子さんの様子を確認すれば、ただの個人差の範疇というのに、それが発達障害の疑いとなってしまう。 もちろん、発達の指標は、障害やリスクがある子を見抜くためのものではありますが、そこから外れたら、即、発達障害ということではないのです。 あくまで、そういった可能性に早く気付き、経過を丁寧に見ていきましょう、という話です。 啓発活動の成果によって、発達障害が身近なものになり、できるだけ早く見つけるのが、そして支援に繋げるのが良いことである、というような認識が広がったような気がします。 その結果、発達の意味を深く理解し、学ぶことなく、流れ作業のように発達のリスク、障害というレッテルがつけられるようになりました。 何か一つで...

支援サービスと対価、支援サービスと結果

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ある親御さんが、「近頃、ボランティアが集まらない」という話をしていました。 ボランティアが集まらないから、余暇活動がどんどん乏しいものになっていく、ということも言っていました。 確かに親御さんも年齢を重ねていけば、子どものペースで活動に付き合うことが難しくなってくるもの。 でも、この話を聞いて、あたかもボランティアが来ることが前提、当たり前というような話ぶりに違和感を持ちました。 ボランティアは、あくまでボランティア。 ボランティアだって、意思があり、プライベートな時間がある。 しかし、ボランティアが来ることに慣れてしまった人からすれば、来ないのが異常になってしまう。 そういった現状に、「学生のやる気が」「社会の理解が」「障害児の余暇は乏しくて良いのか!」などという言葉が連なってくると、社会が離れて行っているのではなく、自分たちで社会を遠ざけてしまっていると思うのです。 以前、読んだ本に、難民キャンプの子ども達は「貰い慣れ」してしまっているために、自ら行動しよう、向上しよう、現状を抜け出そうという意思がなくなってしまう、という話が載っていました。 各国から、支援団体から食料や衣服、勉強道具、おもちゃまでが届きます。 ですから、貰うことが当たり前になる。 そんな環境に長くいれば、どんどん意欲が失われていくのは想像が難しくありません。 「だから、無条件に物資を与え続けるのはやめてくれ。彼らに必要なのは、モノではなく、教育とチャンスなんだ」というメッセージがあったと記憶しています。 この難民キャンプの話は、上記のボランティアを当たり前に感じてしまう姿にも重なります。 もしボランティアが来ないが前提だったら。 どうやれば、一人で、家族のみで、休日を過ごせるか、外出先で活動できるか、そういったことを考え、新たな学び、成長へと舵が切れたかもしれません。 手を借りるのが当たり前であれば、自立を想像するのが難しくなる。 学生時代、毎日のように余暇支援ボランティアとして活動していた私としても、彼らの余暇を支援していたようで、もしかしたら、彼らが自立する機会を妨げていたのでは、と思うことがあります。 発達障害の子ども達に必要なのは、生活を支援することではなく、学ぶ機会を支援していくこと。 失敗させないように環境を調整し、転ばぬ先の杖...