土踏まずは、言語、認知、手先の発達へと続く道標の一つ
ヒトは、二足歩行ができるようになって、言語や知性、手先を発達させていきました。
ですから、二足歩行ができる身体に育てることは、とても重要だといえます。
二足歩行ができていないのに、言語訓練をしたり、勉強を教えたり、ソーシャルスキルを暗記させたりしても、効果は期待できないでしょう。
中には、自然な二足歩行ができていないのにも関わらず、しゃべったり、学校の勉強ができたりする子もいます。
しかし、そういった子ども達の多くは、脳みそ、特に大脳皮質が頑張って、なんとかこなしているという雰囲気があります。
私達が意識することなく、しゃべり、学ぶことも、脳をフル回転させながら、考える力でカバーしながら進んでいる感じです。
なので、小学校低学年のときは良いですが、3年生、4年生くらいになって、概念や考える力が求められるようになると、ついていけなくなるのです。
ある意味、丸暗記の会話、パターンによる会話、小学校低学年の概念があまり入ってこない学習においては、発達の凸凹があろうとも、発達の遅れ、ヌケがあろうとも、続けていけば、身に付けることができます。
しかし、重要なのは、丸暗記や型が決まった会話ではなく、自然な会話、やりとりです。
それは学習面でも同じ。
決められた計算式で答えを出す、文章に当てはまる文字を書きぬく、文字を覚える…。
こういった基礎、土台から一歩進み、自ら考え、さらに答えのない答えを導き出していけるところまで成長していけることが、学ぶ目的でもあります。
そのために、単に「二足歩行ができる」ではなくて、“自然な”二足歩行ができることが必要になります。
普通級に在籍している子で、勉強や人間関係で躓き、初めて「発達障害では?」というようになる場合があります。
幼少期、物静かな子、勉強や運動が苦手な子も、小学校に上がり、概念と複雑性の世界に入ると、徐々にしんどくなっていきます。
そういったとき、「発達障害の子どもに合わせた方法で勉強を教えてほしい」と依頼が、私のところにきます。
しかし、そういった家庭教師としての役割は、ほとんど行うことがありません。
振り返れば、幼少期から何らかの発達の遅れ、ヌケはあったのでしょうが、特に指摘されることなく、診断を受けることなく、普通級に在籍しているわけです。
ということは、認知の面での根本的な問題があるわけではありません。
よく勉強についていけなくなると、それ知的だ、認知面の問題だ、それが発達障害の特性だ、となりがちですが、そうではないと思います。
ついていけなくなったのは、大脳皮質でカバーしきれなくなった表れ。
別の言い方をすれば、認知面が優れていた、そこは普通だからこそ、幼少期、指摘されることなく、普通級で勉強が続けられてきたわけです。
家庭教師の依頼があり、相談に伺うと、こういった共通した姿があります。
姿勢が悪い、長く座ってられない、鉛筆の持ち方が不自然、身体が傾いている…。
そして足の裏を見せてもらうと、みなさん、まるで赤ちゃんのような綺麗な足をしていて、土踏まずがない状態。
もちろん、個別のヌケがあり、個人の発達の物語がありますので、一概には言えませんが、「勉強を教える前に、土踏まずを作りましょう」という提案をさせてもらうことがあります。
まさに土踏まずを作るのは、あらゆる活動の土台作りです。
「勉強がしんどくて家庭教師」ではなく、「勉強がしんどくならないような家庭教師」
「発達障害は治らない!」と主張する人も、土踏まずを作ることに異論はないと思います。
土踏まずを作るのにエビデンスは必要ありません。
土踏まずができれば、自然な姿勢が保てるようになります。
何故なら、立位後、重力と一番お付き合いしている身体は足の裏だから。
足の裏に土踏まずがないということは、たとえ立ったり、座ったり、歩いたりしていたとしても、それはどこか別のところ、機能がカバーしているのです。
つまり、土踏まずができ、自然な姿勢ができるようになれば、そこに使っていた分、カバーしていた機能が、本来、自らが受け持つ役割に専念できるということ。
脳みそに余白ができれば、その分、考えること、発達することにエネルギーを回せます。
土踏まずを作るのには、お金も、薬も、療育も、必要ありません。
その方法は、とてもシンプル。
足の指で踏ん張ることと、踵に重心を置くこと。
この運動の繰り返しで、土踏まずが育っていきます。
足の指で踏ん張る運動は、寝返り、ズリバイや高這い、動物歩きなど。
こういったトレーニング的な運動が嫌なら、坂道を上ったり、下りたりすれば、良いのです。
あとは、砂場や海辺、土の上を裸足で歩く。
イメージで言えば、「地面を足の指で掴む」です。
踵は、階段の昇り降りが良いでしょう。
そして重いものを背負うのも良いです。
飛んだり、跳ねたりしていれば、自然と足の裏が重力との付き合い方を学んでいきます。
自分のリュックにお弁当を入れて、山登り、ピクニックに行けば、楽しいし、土踏まずもできるから一石二鳥。
ただし、高性能の子ども靴は、勝手に足が進んでしまいますし、足の裏への刺激が軽減されてしまいますので、どういったものがいいか、考える必要はありますね。
先日、会った小学生のお子さんは、「土踏まずができた」と、足の裏を見せてくれました。
家庭教師の依頼から、私が土踏まずの提案をし、「また半年後に」と言って終わったご家庭でしたが、お母さんが言うには、「以前よりも、勉強の遅れが気にならなくなった。会話の内容が変わった」とのことでした。
土踏まずができたから、勉強や会話の面で良い発達があったのか、土踏まずができ、脳に余裕が生まれたから、本来の力が発揮できるようになったのか、はわかりませんが、それでもお金をかけず、楽しみながら、遊びながら足の裏を育てたのは良かったと思います。
発達障害ぬきに、足の裏に土踏まずがない足は、不便ですよね。
「土踏まずぐらいで」と思う人もいるはずですが、進化の過程、人類が600万年、ほとんどの時間を舗装されていない道を歩いたり、走ったりしていたと思えば、その重要性はわかるはずです。
自然な二足歩行がどういったものか、ちゃんと運動発達しているかどうか、がわからなくても、土踏まずがあるかないか、は皆さん、確認することができます。
土踏まずは、言語、認知、手先の発達へと続く道標の一つです。
*土踏まずや母指球の育て方、その意義については 『自閉っ子の心身をラクにしよう!』 (栗本啓司著 花風社)に詳しくありますので、是非、参考になさってください。Kindle版(電子書籍)もあり。
ですから、二足歩行ができる身体に育てることは、とても重要だといえます。
二足歩行ができていないのに、言語訓練をしたり、勉強を教えたり、ソーシャルスキルを暗記させたりしても、効果は期待できないでしょう。
中には、自然な二足歩行ができていないのにも関わらず、しゃべったり、学校の勉強ができたりする子もいます。
しかし、そういった子ども達の多くは、脳みそ、特に大脳皮質が頑張って、なんとかこなしているという雰囲気があります。
私達が意識することなく、しゃべり、学ぶことも、脳をフル回転させながら、考える力でカバーしながら進んでいる感じです。
なので、小学校低学年のときは良いですが、3年生、4年生くらいになって、概念や考える力が求められるようになると、ついていけなくなるのです。
ある意味、丸暗記の会話、パターンによる会話、小学校低学年の概念があまり入ってこない学習においては、発達の凸凹があろうとも、発達の遅れ、ヌケがあろうとも、続けていけば、身に付けることができます。
しかし、重要なのは、丸暗記や型が決まった会話ではなく、自然な会話、やりとりです。
それは学習面でも同じ。
決められた計算式で答えを出す、文章に当てはまる文字を書きぬく、文字を覚える…。
こういった基礎、土台から一歩進み、自ら考え、さらに答えのない答えを導き出していけるところまで成長していけることが、学ぶ目的でもあります。
そのために、単に「二足歩行ができる」ではなくて、“自然な”二足歩行ができることが必要になります。
普通級に在籍している子で、勉強や人間関係で躓き、初めて「発達障害では?」というようになる場合があります。
幼少期、物静かな子、勉強や運動が苦手な子も、小学校に上がり、概念と複雑性の世界に入ると、徐々にしんどくなっていきます。
そういったとき、「発達障害の子どもに合わせた方法で勉強を教えてほしい」と依頼が、私のところにきます。
しかし、そういった家庭教師としての役割は、ほとんど行うことがありません。
振り返れば、幼少期から何らかの発達の遅れ、ヌケはあったのでしょうが、特に指摘されることなく、診断を受けることなく、普通級に在籍しているわけです。
ということは、認知の面での根本的な問題があるわけではありません。
よく勉強についていけなくなると、それ知的だ、認知面の問題だ、それが発達障害の特性だ、となりがちですが、そうではないと思います。
ついていけなくなったのは、大脳皮質でカバーしきれなくなった表れ。
別の言い方をすれば、認知面が優れていた、そこは普通だからこそ、幼少期、指摘されることなく、普通級で勉強が続けられてきたわけです。
家庭教師の依頼があり、相談に伺うと、こういった共通した姿があります。
姿勢が悪い、長く座ってられない、鉛筆の持ち方が不自然、身体が傾いている…。
そして足の裏を見せてもらうと、みなさん、まるで赤ちゃんのような綺麗な足をしていて、土踏まずがない状態。
もちろん、個別のヌケがあり、個人の発達の物語がありますので、一概には言えませんが、「勉強を教える前に、土踏まずを作りましょう」という提案をさせてもらうことがあります。
まさに土踏まずを作るのは、あらゆる活動の土台作りです。
「勉強がしんどくて家庭教師」ではなく、「勉強がしんどくならないような家庭教師」
「発達障害は治らない!」と主張する人も、土踏まずを作ることに異論はないと思います。
土踏まずを作るのにエビデンスは必要ありません。
土踏まずができれば、自然な姿勢が保てるようになります。
何故なら、立位後、重力と一番お付き合いしている身体は足の裏だから。
足の裏に土踏まずがないということは、たとえ立ったり、座ったり、歩いたりしていたとしても、それはどこか別のところ、機能がカバーしているのです。
つまり、土踏まずができ、自然な姿勢ができるようになれば、そこに使っていた分、カバーしていた機能が、本来、自らが受け持つ役割に専念できるということ。
脳みそに余白ができれば、その分、考えること、発達することにエネルギーを回せます。
土踏まずを作るのには、お金も、薬も、療育も、必要ありません。
その方法は、とてもシンプル。
足の指で踏ん張ることと、踵に重心を置くこと。
この運動の繰り返しで、土踏まずが育っていきます。
足の指で踏ん張る運動は、寝返り、ズリバイや高這い、動物歩きなど。
こういったトレーニング的な運動が嫌なら、坂道を上ったり、下りたりすれば、良いのです。
あとは、砂場や海辺、土の上を裸足で歩く。
イメージで言えば、「地面を足の指で掴む」です。
踵は、階段の昇り降りが良いでしょう。
そして重いものを背負うのも良いです。
飛んだり、跳ねたりしていれば、自然と足の裏が重力との付き合い方を学んでいきます。
自分のリュックにお弁当を入れて、山登り、ピクニックに行けば、楽しいし、土踏まずもできるから一石二鳥。
ただし、高性能の子ども靴は、勝手に足が進んでしまいますし、足の裏への刺激が軽減されてしまいますので、どういったものがいいか、考える必要はありますね。
先日、会った小学生のお子さんは、「土踏まずができた」と、足の裏を見せてくれました。
家庭教師の依頼から、私が土踏まずの提案をし、「また半年後に」と言って終わったご家庭でしたが、お母さんが言うには、「以前よりも、勉強の遅れが気にならなくなった。会話の内容が変わった」とのことでした。
土踏まずができたから、勉強や会話の面で良い発達があったのか、土踏まずができ、脳に余裕が生まれたから、本来の力が発揮できるようになったのか、はわかりませんが、それでもお金をかけず、楽しみながら、遊びながら足の裏を育てたのは良かったと思います。
発達障害ぬきに、足の裏に土踏まずがない足は、不便ですよね。
「土踏まずぐらいで」と思う人もいるはずですが、進化の過程、人類が600万年、ほとんどの時間を舗装されていない道を歩いたり、走ったりしていたと思えば、その重要性はわかるはずです。
自然な二足歩行がどういったものか、ちゃんと運動発達しているかどうか、がわからなくても、土踏まずがあるかないか、は皆さん、確認することができます。
土踏まずは、言語、認知、手先の発達へと続く道標の一つです。
*土踏まずや母指球の育て方、その意義については 『自閉っ子の心身をラクにしよう!』 (栗本啓司著 花風社)に詳しくありますので、是非、参考になさってください。Kindle版(電子書籍)もあり。
コメント
コメントを投稿