身体を遊び道具にする発達段階
11月中旬くらいから、おもちゃのチラシが入るようになります。
おもちゃ屋さんはもちろんのこと、いろんなところで「クリスマスラッピングやってます」「今なら玩具、20%オフ」など、クリスマスモード。
子ども、兄弟は少ないうえに、元気なジジババサンタが大勢いますので、貰えるプレゼントは多くなります。
孫が喜ぶ顔が見たくて、たくさんおもちゃを買ってあげたい気持ちもわからなくはないですが、子どものブームというのは、ほんの一瞬。
もらったその日に見向きもしなくなるなんていうのは、よくある光景ですし、それが自然な子どもの姿です。
「子どもに発達障害がある」となれば、なるべく興味関心があるものを、子どもの知育につながるようなものを、そばに置きたくなるのは、自然な感情だと思います。
特に、「手先が不器用」という様子があれば、手先をいっぱい動かせるようなおもちゃを、と考えます。
「おもちゃでたくさん遊んで、手先を育ててほしい」
そういった家族、親戚の願いが、おもちゃの数として表れます。
新しいおもちゃでも、すぐに飽きてしまうのは、発達障害だからではなく、子どもの特徴です。
しかし、不器用さが改善していかないと、エネルギーが「より良いおもちゃへ」と向かいます。
そして、ちょっとでも長く遊んでくれるおもちゃが見つかると安心し、また子が飽きると焦ってしまう。
そうこうしているうちに、月日とおもちゃが増えていくわけです。
おもちゃがたくさんある家庭は、そうではない家庭と比べて、子どもさんは上手におもちゃで遊べているように感じます。
でも、「おもちゃで遊べる」=「手先の発達」ではありません。
結論から言ってしまえば、手先が不器用な子に、道具(おもちゃを含む)は早すぎる。
もう少し手前の発達段階を育て切る必要があります。
道具を使うから手先が動くようになるのではなく、手先が自由自在に動くようになって初めて道具が使いこなせるようになるのです。
たとえ、おもちゃで上手に遊べるようになったとしても、結局は、そのおもちゃ限定の遊び方を習得したにすぎません。
おもちゃが変われば、また上手に遊べなくなる。
おもちゃ、また道具なども同じですが、そのモノの形態に身体を合わせている限り、根本的な課題は解決していかないのです。
自由自在に動かせる身体→道具を使いこなす、が自然な流れ。
赤ちゃんは、起きている時間が長くなると、腕や足をバタバタと動かします。
これは意識的な運動ではなく、付随運動である反射によって引き起こされます。
この段階では、赤ちゃんはまだ自分の手足という意識はなく、例えるのなら頭中心で生きている状態です。
見えているもの、聞こえているもの、匂っているもの、口を中心に触れているもので世界が成り立っています。
その段階から一歩進むと、徐々に自分の手が自分のものである、という意識が芽生えていきます。
最初は舐めて確認できた手が、見て自分の手だと理解できるようになる。
そうしているうちに、反射の段階から意識して動かせる段階に発達していく。
でも、まだこの段階では、手先まで自由自在に動かすことができません。
手先、指を発達させるには、他の身体、運動機能と同じように、『重力を感じる』ことが必要です。
うつ伏せになり、自分の身体を支え、起き上がる。
ズリバイに始まり、ハイハイ、高這い、動物歩きなど、立位に至るまでの運動発達をやり切る。
その過程において、手先がしっかり開くようになり、自由自在に動かせる手、指への一歩が始まります。
指が開くようになったら、すぐに手先が器用に動かせるわけではありません。
大事なのは、『自分の手を遊び道具にする』という過程です。
いろんなものに触れる、そして、手から、指から刺激を感じる。
手で押す、引く、手を叩く、手を振る。
モノを持つ、掴む、つまむ。
手で砂を掘る、手で積み重ねる、手で固める。
このような道具以前に、自分の手をまるで道具のように使う段階、手で遊ぶ段階を経て、子ども達は自由自在に動かせる手、指を手に入れていくのです。
ですから、「手先が不器用」というお子さんがいらっしゃいましたら、手に持っているその道具、おもちゃを一旦置いてみるのも必要かもしれません。
手全体が丸まっていたら、手がまだ重力との付き合い方を学びきっていないかもしれません。
土や泥などに直接、触ろうとしなかった。
砂場で、泥で遊ぶよりも、おもちゃで遊んでいる方が多かった。
砂場にいたけれども、手ではなく、スコップばかりで遊んでいた。
そういった場合、手を遊び道具として使う発達段階を飛ばしているかもしれません。
いろんなお子さん達と出会い、そしてこの仕事が長くなるにつれ、子どもにとって一番の遊び道具は、「子どもの身体そのもの」だと思うようになりました。
デジタル技術やいろんな道具、テクノロジーが身近で利用できるようになりましたが、どんな素晴らしい道具があったとしても、それを使いこなす身体に不自由さがあれば、恩恵を得ることができません。
特別支援の世界も、どんどん専門化していき、アプローチの仕方がマニアックになっています。
でも、発達障害は、発達にこそ、答えがあるのだと思います。
赤ちゃんがどのように手を育てていくか、自由自在に動かせる身体を培っていくか。
赤ちゃんは、手先をピンポイントで育てているのではなく、付随運動から始まる運動発達の過程を通して、ゆっくりゆっくり、全身を通して育んでいくのです。
だからこそ、子どもは全身を使った遊びが大好きであり、本能的な活動になります。
おもちゃで遊ぶのは学習。
なので、子どもが身体を遊び道具にして思いっきり遊べるような環境と、モノの数の配慮が必要です。
「遊び道具を片づけたら、全身を使って遊ぶようになった」
こうやって発達のヌケを育て直し、手先の不器用さを治した子ども達も多くいます。
おもちゃ屋さんはもちろんのこと、いろんなところで「クリスマスラッピングやってます」「今なら玩具、20%オフ」など、クリスマスモード。
子ども、兄弟は少ないうえに、元気なジジババサンタが大勢いますので、貰えるプレゼントは多くなります。
孫が喜ぶ顔が見たくて、たくさんおもちゃを買ってあげたい気持ちもわからなくはないですが、子どものブームというのは、ほんの一瞬。
もらったその日に見向きもしなくなるなんていうのは、よくある光景ですし、それが自然な子どもの姿です。
「子どもに発達障害がある」となれば、なるべく興味関心があるものを、子どもの知育につながるようなものを、そばに置きたくなるのは、自然な感情だと思います。
特に、「手先が不器用」という様子があれば、手先をいっぱい動かせるようなおもちゃを、と考えます。
「おもちゃでたくさん遊んで、手先を育ててほしい」
そういった家族、親戚の願いが、おもちゃの数として表れます。
新しいおもちゃでも、すぐに飽きてしまうのは、発達障害だからではなく、子どもの特徴です。
しかし、不器用さが改善していかないと、エネルギーが「より良いおもちゃへ」と向かいます。
そして、ちょっとでも長く遊んでくれるおもちゃが見つかると安心し、また子が飽きると焦ってしまう。
そうこうしているうちに、月日とおもちゃが増えていくわけです。
おもちゃがたくさんある家庭は、そうではない家庭と比べて、子どもさんは上手におもちゃで遊べているように感じます。
でも、「おもちゃで遊べる」=「手先の発達」ではありません。
結論から言ってしまえば、手先が不器用な子に、道具(おもちゃを含む)は早すぎる。
もう少し手前の発達段階を育て切る必要があります。
道具を使うから手先が動くようになるのではなく、手先が自由自在に動くようになって初めて道具が使いこなせるようになるのです。
たとえ、おもちゃで上手に遊べるようになったとしても、結局は、そのおもちゃ限定の遊び方を習得したにすぎません。
おもちゃが変われば、また上手に遊べなくなる。
おもちゃ、また道具なども同じですが、そのモノの形態に身体を合わせている限り、根本的な課題は解決していかないのです。
自由自在に動かせる身体→道具を使いこなす、が自然な流れ。
赤ちゃんは、起きている時間が長くなると、腕や足をバタバタと動かします。
これは意識的な運動ではなく、付随運動である反射によって引き起こされます。
この段階では、赤ちゃんはまだ自分の手足という意識はなく、例えるのなら頭中心で生きている状態です。
見えているもの、聞こえているもの、匂っているもの、口を中心に触れているもので世界が成り立っています。
その段階から一歩進むと、徐々に自分の手が自分のものである、という意識が芽生えていきます。
最初は舐めて確認できた手が、見て自分の手だと理解できるようになる。
そうしているうちに、反射の段階から意識して動かせる段階に発達していく。
でも、まだこの段階では、手先まで自由自在に動かすことができません。
手先、指を発達させるには、他の身体、運動機能と同じように、『重力を感じる』ことが必要です。
うつ伏せになり、自分の身体を支え、起き上がる。
ズリバイに始まり、ハイハイ、高這い、動物歩きなど、立位に至るまでの運動発達をやり切る。
その過程において、手先がしっかり開くようになり、自由自在に動かせる手、指への一歩が始まります。
指が開くようになったら、すぐに手先が器用に動かせるわけではありません。
大事なのは、『自分の手を遊び道具にする』という過程です。
いろんなものに触れる、そして、手から、指から刺激を感じる。
手で押す、引く、手を叩く、手を振る。
モノを持つ、掴む、つまむ。
手で砂を掘る、手で積み重ねる、手で固める。
このような道具以前に、自分の手をまるで道具のように使う段階、手で遊ぶ段階を経て、子ども達は自由自在に動かせる手、指を手に入れていくのです。
ですから、「手先が不器用」というお子さんがいらっしゃいましたら、手に持っているその道具、おもちゃを一旦置いてみるのも必要かもしれません。
手全体が丸まっていたら、手がまだ重力との付き合い方を学びきっていないかもしれません。
土や泥などに直接、触ろうとしなかった。
砂場で、泥で遊ぶよりも、おもちゃで遊んでいる方が多かった。
砂場にいたけれども、手ではなく、スコップばかりで遊んでいた。
そういった場合、手を遊び道具として使う発達段階を飛ばしているかもしれません。
いろんなお子さん達と出会い、そしてこの仕事が長くなるにつれ、子どもにとって一番の遊び道具は、「子どもの身体そのもの」だと思うようになりました。
デジタル技術やいろんな道具、テクノロジーが身近で利用できるようになりましたが、どんな素晴らしい道具があったとしても、それを使いこなす身体に不自由さがあれば、恩恵を得ることができません。
特別支援の世界も、どんどん専門化していき、アプローチの仕方がマニアックになっています。
でも、発達障害は、発達にこそ、答えがあるのだと思います。
赤ちゃんがどのように手を育てていくか、自由自在に動かせる身体を培っていくか。
赤ちゃんは、手先をピンポイントで育てているのではなく、付随運動から始まる運動発達の過程を通して、ゆっくりゆっくり、全身を通して育んでいくのです。
だからこそ、子どもは全身を使った遊びが大好きであり、本能的な活動になります。
おもちゃで遊ぶのは学習。
なので、子どもが身体を遊び道具にして思いっきり遊べるような環境と、モノの数の配慮が必要です。
「遊び道具を片づけたら、全身を使って遊ぶようになった」
こうやって発達のヌケを育て直し、手先の不器用さを治した子ども達も多くいます。
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