強度行動障害と排便

施設では、管理栄養士が365日、朝昼晩のメニューを考え、それが提供されていました。
メニューに自由はありませんでしたが、偏り、過不足なく、必要な栄養が得られていたので、ある意味、同世代の大人たち、子ども達よりも、健康的な食事だったといえます。


そんな考えられ、健康的な食事が毎食摂れていたのにも関わらず、入所されている人達の多くは、排泄面で課題を抱えていたのです。
便秘の人は多かったですし、便が緩い人も多かったです。
当時、「どうして、こんなにも栄養バランスが整った食事を続けているのに…」とよく思いましたし、同僚とも話をしていました。


強度行動障害の人達は、精神科薬を服用していました。
ですから、当時は「精神科薬の副作用だろう」と捉えていましたが、今振り返ると、やはり内臓系の発達の遅れがあったのだと思います。
それは、新入所として入ってくる子ども達にも、排泄が未自立な子が多かったから。


排泄の課題の根っこを辿っていけば、幼少期からの排泄の課題、また排泄の自立がなかなかできない、という姿が見えてきて、さらに進めば、運動や感覚面だけではなく、内臓の発達の遅れとつき当たる。
精神科薬の束と、内科の薬の束が同じ高さくらいだったのが印象に残っています。
精神科薬を服用する前から、ずっと排泄の課題を抱えてきた、という人が多いのだと感じます。


便秘の人は、多動性が強かった。
便が緩い人は、衝動性が強かった(ちなみに、便が緩い場合、未消化物が多い)。
行動障害が激しい人は、排泄面で課題が多く、排泄の課題が大きい人は、行動障害が激しかった。
こういったのは、施設職員なら感覚的に理解しているような気がします。
排泄に課題がある人は特に、便の状態を確認することが、私達の大事な仕事の一つ。
なかなか健康状態を訴えることができない人も多かったので、排泄の状態は、体調の変化にいち早く気づくために重要な情報でした。
ですから、行動障害を持つ人や、知的障害、発達障害を持つ人の中には、排泄の課題を持った人が多いことがわかります。


またまた今思えば、行動障害を視覚支援や賞罰などで制止、改善しようとするだけではなく、「排泄の課題をクリアする」という視点があれば、内側から良い変化が得られたのではないか、と思います。
「他害を治す」と思えば、時間もかかるし、身体的、心理的な負担も多くなります。
「いつか治まるのだろうか」なんて思いながら過ごしていると、そのいつかが来る前に、「精神科薬で抑え込む」という誘惑にかられることがある。
ここの気持ちのせめぎ合い、揺れは、どの施設でも、職員でもあると思います。


でも、「他害を治す」のではなく、「排泄面を改善しよう」であったら、生活を共にする支援員たちはアイディアもあるし、前向きにもなれる。
ということは、今、発達に課題がある子を育てている、他害等の気になる行動がある子を育てている親御さんなら、将来のリスク、または今起きている気になる行動を治すことができるのではないか、と思うのです。


私は施設職員として、多くの発達障害の子ども達、大人たち、そして強度行動障害を持った人達の生活支援を行ってきました。
そのとき、排泄に課題がある人達が多くいました。
今でこそ、「腸は第二の脳」「腸と脳は繋がっている」と言われていますが、当時の私にはわかりませんでした。
もちろん、最初に「内臓の未発達」という視点を与えてくれたのは、栗本啓司氏の著書『自閉っ子の心身をラクにしよう!』です。


親御さんなら、子どもさんがまだ幼いうちなら、排泄の状態をチェックすることは自然なことですし、内臓を育てることも家族が行いやすいと思います。
排泄の課題は、後々の心身状態、行動に影響を及ぼす可能性があるといえます。
なので、トイレットトレーニングというよりも、「どうやったら、気持ちよく、排泄ができるだろうか」という視点で、食事から、運動から、内臓を育てていってもらえたら、と思います。
まさに「快食快眠快便」が整うことが、重要な発達援助であり、大切な子育てだといえます。

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