発達障害と療育・支援は、相関関係にあらず
栄養面からのアプローチで、精神疾患や発達障害をどんどん治してしまう広島の藤川徳美医師。
その藤川医師の本が、障害児教育部門の書籍で1位になった、という情報を目にしました。
まあ、親御さんだったら、「我が子の発達障害を治したい」「治ってほしい」と願うのは自然な感情ですし、実際に、藤川医師のアプローチを取り入れ、治った人達が大勢いますので、書籍が1位になるのは不思議ではありません。
でも、私はその書籍ランキングを見て、不思議に思うことがありました。
それは、2位以下に「コグトレ」に関する書籍が複数入っていること。
たぶん、これも最近、新書で話題になった『ケーキの切れない非行少年たち』の治療プログラムとして「コグトレ」が紹介されていた影響だと推測されます。
本当に皆さん、なんとかプログラム、療法がお好きなんですね。
どうしても、発達障害がある子に対して、指導や支援をしたいんですね。
この新書は、発売後すぐに読みましたし、コグトレに関しても勉強のため、一通りは学んでいました。
しかし、それを敢えてプログラムとして、私が行う援助サービスの一つとしてやろうとは思いませんでした。
何故なら、これも他の療法と同じように、枝葉へのアプローチだから。
と言いますか、受精から2歳前後までに生じている発達のヌケを育てたら、これらの課題も治っちゃうから必要ないよね、って感じです。
ケーキが切れない課題の根っこは、視覚や認知の問題と繋がっており、そこにアプローチするのがコグトレ。
でも、視覚や認知に発達の遅れや未発達があるのは、原始反射が残っていたり、ハイハイ等の運動発達にヌケがあったり…。
だったら、ここが根っこなので、根っこから育てれば、そこに端をなす課題はすべてポジティブな方向へ進みます。
しかも、ハイハイのやり直しに、研修や資格は必要ありませんので、家庭でやれるときにいつでもできるもの。
第一、こういった療法は、ある程度、席に座っていられる、鉛筆が持てる、指示に従える、といった条件が入ります。
でもでも、ハイハイは、どの子も赤ちゃん時代に通った道ですので、遊びの延長として行えますね。
なにか、新しい療法が出たり、誰かが「イイ」って言ったりしたら、一時的なブームになるのは、今までずっとありました。
TEACCHに始まり、コミック会話だ、ソーシャルストーリーだ、PECSだ、平成初期の映画のCMのように「全米ナンバーワン!」みたいに鳴り物入りで輸入されてきたものも、今、どれくらいが残っているのでしょうか。
やっているところがあるとすれば、かつての先進地域と、増えすぎた有資格者が食い扶持ゲットのために地方で細々とやっているくらい。
部分的な効果しか得られないようなものは、支援者が食いついても、親御さんはすぐに撤退するものです。
発達障害は、療育や支援によって、改善、解決するものなのでしょうか。
別の言い方をすれば、療育や指導の不足が、症状の悪化、または改善していかないことに繋がるか、ということ。
私は、発達障害と療育、支援は、影響することはあっても、相関関係にはないと考えています。
つまり、療育や支援が、神経発達を促すものではない、という意味です。
発達障害とは、なんらかの要因によって、神経発達に滞りが生じている状態だといえます。
なので、重要なのは、その滞りがどこかを確認し、その原因を取り除くこと。
私の捉えでは、本来、その子が持っている自然な発達の流れがあって、そこからズレている状態が「発達障害」と呼ばれる状態。
どの子も、発達する力は自身の内側に持っているものであり、与えられるものではない。
ですから、発達のヌケがその後の発達の遅れにつながっているのなら、そのヌケの段階に戻って育て直す。
栄養面の問題なら、摂取する栄養を改善していき、本来の発達の流れに戻っていけるよう後押しする。
左右の脳のバランスが崩れているのなら、そこを整え、本来の能力が発揮できるようにしていく。
心身に余裕がなくて、脳に余白がないのなら、身体を整えることによって、発達、成長の余白を作っていく。
私がなんとか療法に傾倒していかないのは、発達援助の本質が、「その子の内側に流れている発達の流れに戻していく」というイメージだからかもしれません。
ですから、決められたプログラムがあって、その型通りにやっていくみたいなのは、本人の流れとは別の流れを作ろう、というような雰囲気がするので嫌なのだと思います。
発達は授ける物、訓練し習得するものではなく、後押しするものでしょ。
だって、もともと、本人の内側に存在しているものだから。
本来の発達の流れに戻れば、それ以降、何を学び、成長していくか、は本人次第です。
なので、治すのは、本来の発達の流れに戻る手前まで。
治すを矯正と勘違いする人がいますが、治すのは、その人の持つ資質を開花させるため。
つまり、その人らしく自由に、伸び伸びと人生を歩んでもらうために治すのです。
私の仕事も、そういった本来の姿を、自然な姿を取り戻すためのお手伝い。
ですから、表面的なアプローチではなく、発達の流れが生じた最初のズレまで戻り、根っこから育てることを仕事の核にしています。
その藤川医師の本が、障害児教育部門の書籍で1位になった、という情報を目にしました。
まあ、親御さんだったら、「我が子の発達障害を治したい」「治ってほしい」と願うのは自然な感情ですし、実際に、藤川医師のアプローチを取り入れ、治った人達が大勢いますので、書籍が1位になるのは不思議ではありません。
でも、私はその書籍ランキングを見て、不思議に思うことがありました。
それは、2位以下に「コグトレ」に関する書籍が複数入っていること。
たぶん、これも最近、新書で話題になった『ケーキの切れない非行少年たち』の治療プログラムとして「コグトレ」が紹介されていた影響だと推測されます。
本当に皆さん、なんとかプログラム、療法がお好きなんですね。
どうしても、発達障害がある子に対して、指導や支援をしたいんですね。
この新書は、発売後すぐに読みましたし、コグトレに関しても勉強のため、一通りは学んでいました。
しかし、それを敢えてプログラムとして、私が行う援助サービスの一つとしてやろうとは思いませんでした。
何故なら、これも他の療法と同じように、枝葉へのアプローチだから。
と言いますか、受精から2歳前後までに生じている発達のヌケを育てたら、これらの課題も治っちゃうから必要ないよね、って感じです。
ケーキが切れない課題の根っこは、視覚や認知の問題と繋がっており、そこにアプローチするのがコグトレ。
でも、視覚や認知に発達の遅れや未発達があるのは、原始反射が残っていたり、ハイハイ等の運動発達にヌケがあったり…。
だったら、ここが根っこなので、根っこから育てれば、そこに端をなす課題はすべてポジティブな方向へ進みます。
しかも、ハイハイのやり直しに、研修や資格は必要ありませんので、家庭でやれるときにいつでもできるもの。
第一、こういった療法は、ある程度、席に座っていられる、鉛筆が持てる、指示に従える、といった条件が入ります。
でもでも、ハイハイは、どの子も赤ちゃん時代に通った道ですので、遊びの延長として行えますね。
なにか、新しい療法が出たり、誰かが「イイ」って言ったりしたら、一時的なブームになるのは、今までずっとありました。
TEACCHに始まり、コミック会話だ、ソーシャルストーリーだ、PECSだ、平成初期の映画のCMのように「全米ナンバーワン!」みたいに鳴り物入りで輸入されてきたものも、今、どれくらいが残っているのでしょうか。
やっているところがあるとすれば、かつての先進地域と、増えすぎた有資格者が食い扶持ゲットのために地方で細々とやっているくらい。
部分的な効果しか得られないようなものは、支援者が食いついても、親御さんはすぐに撤退するものです。
発達障害は、療育や支援によって、改善、解決するものなのでしょうか。
別の言い方をすれば、療育や指導の不足が、症状の悪化、または改善していかないことに繋がるか、ということ。
私は、発達障害と療育、支援は、影響することはあっても、相関関係にはないと考えています。
つまり、療育や支援が、神経発達を促すものではない、という意味です。
発達障害とは、なんらかの要因によって、神経発達に滞りが生じている状態だといえます。
なので、重要なのは、その滞りがどこかを確認し、その原因を取り除くこと。
私の捉えでは、本来、その子が持っている自然な発達の流れがあって、そこからズレている状態が「発達障害」と呼ばれる状態。
どの子も、発達する力は自身の内側に持っているものであり、与えられるものではない。
ですから、発達のヌケがその後の発達の遅れにつながっているのなら、そのヌケの段階に戻って育て直す。
栄養面の問題なら、摂取する栄養を改善していき、本来の発達の流れに戻っていけるよう後押しする。
左右の脳のバランスが崩れているのなら、そこを整え、本来の能力が発揮できるようにしていく。
心身に余裕がなくて、脳に余白がないのなら、身体を整えることによって、発達、成長の余白を作っていく。
私がなんとか療法に傾倒していかないのは、発達援助の本質が、「その子の内側に流れている発達の流れに戻していく」というイメージだからかもしれません。
ですから、決められたプログラムがあって、その型通りにやっていくみたいなのは、本人の流れとは別の流れを作ろう、というような雰囲気がするので嫌なのだと思います。
発達は授ける物、訓練し習得するものではなく、後押しするものでしょ。
だって、もともと、本人の内側に存在しているものだから。
本来の発達の流れに戻れば、それ以降、何を学び、成長していくか、は本人次第です。
なので、治すのは、本来の発達の流れに戻る手前まで。
治すを矯正と勘違いする人がいますが、治すのは、その人の持つ資質を開花させるため。
つまり、その人らしく自由に、伸び伸びと人生を歩んでもらうために治すのです。
私の仕事も、そういった本来の姿を、自然な姿を取り戻すためのお手伝い。
ですから、表面的なアプローチではなく、発達の流れが生じた最初のズレまで戻り、根っこから育てることを仕事の核にしています。
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