【No.1123】揺らぎ、言語化
いつも好き勝手書いているこのブログではありますが、読んでくださる方達に向けて2つのねらいがあるんです。 それは「揺らぎ」と「言語化」です。 「揺らぎ」っていうのは、心の揺らぎ、身体の揺らぎ、感情の揺らぎ、いろんな揺らぎがありますね。 「自分はこう考えていたけれども、もしかしたら別の道があるかも」 「もしかしたら、私が捉えていたものは、一側面でしかなかったかも」 とにかく何でもいいんで、揺らぎが起きて欲しいなと思って綴っています。 揺らぎがないと変化が生じないわけで、変化が生じないということは後退がなければ、進歩もないということですし、一切揺るがないというのは危険でもあるんですね。 その道を極めるような職人さんならそれども良いのだと思いますが、相手は生きているヒトですし、我が子とは言え、他人です。 しかも、私たちが関わろうとしているのは、発達という現象です。 その発達こそが、揺れ動く存在そのもの。 非定型なんて言われますが、定型発達だって安定ばかりではありませんね。 発達とは揺れ動きながら前に進んでいくものなので、そういった発達と向き合う大人たちも日頃から揺れ動く体験をしておく必要があると考えています。 「ああ、これでよかったのかな」 「もっと別の方法があったかも」 それがあるから、子どもさんの発達の流れ、揺れに合わせて柔軟な後押しができるのでしょう。 揺れない人っていうのは、子どもに見られる自然な揺れを自分の型の中に収めようとする傾向があり、子どもさんとお会いすると息苦しさを訴えていることが多くあります。 もう一つの「言語化」というのは、一人ひとりの内側にある感覚を言葉に表すことです。 発達相談で感じるのは、既に親御さん達の中ではアセスメントも、どうやって育てたら良いかも気がついている場合が多いということです。 ただ皆さん、それが言語化できていない。 無意識レベルでは捉えているし、日々の生活の中で察している。 だけれども、その感覚に見合う言葉が出てこないから、モヤモヤされているように感じます。 そのモヤモヤの状態が続くと、自分の内側から離れた言葉に身を寄せ始める。 「発達のヌケ」という言葉と出会えず、「それが"障害特性"だから」という言葉で無理やり自分の内側にあるものに命名している感じです。 これまで多くの親御さん達とお会いしてきましたが、察して