【No.1113】批判的な視点と合理的な判断

夕食のとき、上の子が「マスクするのって"日本のルール"なの?」と訊いてきました。
即否定しようと口先が動きましたが、せっかくの気付きでから、どうしてそのような疑問を持ったのか尋ねてみると、学校にマスクをつけたがらない子がいて、先生がその子を注意(?)するときに、「日本のルール」という言葉が出たとのことでした。
そのとき、なんだか変だなと思って、私に訊いたそうです。


まだ生まれて1桁しか生きていない子です。
なので、日本が法治国家であるとか、科学的な根拠がどうだとかの理解は難しいでしょう。
でも、自分なりに学校の外ではマスクしていないし、外を見ればマスクしていない大人がいるし(父さんしていないww)、なんかおかしいなと思ったようです。
私は基本的に、上の子が自分でつけようと思えばつければいいし、いらないと思えば外せばいい、と伝えています。
そして、マスクをつけていないことを指摘されて、嫌なことや自分で解決できないことがあれば、父さんに言いなさい、と言っています。
「そのときは徹底的にやっつけてやる」と(笑)


まあ、とにかく自分で疑問に思うこと、自分で考え行動することは、これからの長い人生の中でとても重要なことです。
今回のコロナ騒動は、子ども達にとってウィルスの害よりも、社会から受ける害のほうが圧倒的に多かったといえます。
しかし、そんな中でも唯一良かったことは、こうやって大人は嘘をつくことも、間違うこともある、という事実を体験することができたことでしょう。
上の子には常々、大人も、先生も、親である私も、間違うことがあるし、嘘をつくことがある、と伝えています。
大事なことは、「誰かが言ったから」というだけで思考停止して信じることは間違いであり、まず自分で考えること、例え多数派ではなかったとしても、自分がおかしいと思ったことはきちんと批判的に考えることだと思っています。


「もし自粛しなかったら、42万人が死ぬ」
今年も変わらず夏があり、お盆があり、シルバーウィークがあり、そしてGOTOもあった。
明らかに緊急事態宣言のときとは異なり、みんな、自粛はしていなかったのに、お亡くなりになった方は1600人ちょっと。
まあ、いまだに自粛して引きこもっている人もいるとは思いますが、この数字の開きはどういうことでしょうか。
私なんて、2月も出張していたし、緊急事態宣言が解除された日に飛行機に乗って出張していたし、その後は毎月2回のペースで全国に行っていたし。
42万人が正しければ、私もその中の一人だった可能性は高いでしょうし、少なくとも発症くらいはしていたでしょう。
ある程度、合理的に物事を考える人でしたら、最初の計算、想定値が誤りだったと気づくはずです。
しかも、そのお亡くなりになった方達の平均年齢は、日本人の平均寿命とほぼ一緒というか、それよりもやや高いくらい。
コロナが原因でお亡くなりになったのか、寿命がきてお亡くなりになった方の身体の中にコロナウィルスがいたのか。
この辺りの論理的な思考についても、中学校の数学レベルの話だと思いますね。


ついで言ってしまえば、毎日、東京都には周辺の県から多くの社会人や学生、私立に通う小中学生、幼稚園や保育園に行く乳幼児が電車に乗って移動してきます。
私も高校時代は、そんな満員電車に揺られて通学していました。
あのね、密が問題だったら、完全にアウトでしょ。
東京が多い(?)のは、人口と検査数の話であって、感染力は首都圏も、地方も変わらない。
ということは、密がどうのこうのではなくて、結局、長い時間、感染した人の飛沫を浴びれば、そりゃあ、感染するわな、という話。
若い人がバタバタと倒れていく。
ウィルスが1つでもついたら感染する。
そういった次元の話ならわかりますが、1月に騒動が始まって、もう10月。
なぜ、頭の中が1月・2月のままで更新されないのか、私には理解不能です。


私はこの騒動を通して最初に思ったのは、これほどまでに日本人の考える力は弱いのか、育っていないのか、ということです。
今までも仕事を通して、「どうして脳の機能障害のままで止まっているのだろうか」「私が学生時代に言われていたことを今もなお、発信し、行い続けているのだろうか」と疑問に思い続けていました。
今回、私はよくわかりました。
たぶん、日本の教育の仕方、方向性が悪かったのでしょう。
「御上の言うことに従っていれば」の精神が、学校教育の中にも流れ、先生の言うことを聞けば、先生の言った通りの答案を書けば、返事をすれば良い点数と評価が貰える、という限定的で誤った文化が多くの国民の中に根付いているのだと思います。


私は、私立や高等教育には期待している部分もありますが、公立の学校教育には1ミリも期待していません。
冒頭で紹介したエピソードのように、その子どもにとってはよい気づき、学びの機会だったのにもかかわらず、「日本のルール」というようなことしか言えない学校教育であり、何よりも先生自体が自分の考えで行動することができていないからです。
率直に言って、上から言われた通りにしか動けない、自分の頭で考え行動することのできない人には、これからを生きる子ども達を育てることはできないと私は思います。
コミュニケーションが苦手な子に、さあ、社会性を教えようかというときに、マスク姿でどうやって行おうというのでしょうか。
口では「子ども達の発達を」と言い、偉そうに学校の目標に、児童デイの窓にベタベタと掲げているのにもかかわらず、子ども達の酸素不足や他人の表情が見えないことに対する発達の影響が考慮されていない、いや、無視しているようにすら見える。
結局、子どもの発達、成長よりも、自分が批判されないことを、上から言われたことに従うことを選択しているのでしょう。
私は、親も、先生も、支援者も、専門家も、大局観的に物事を考えられない人は子どもの教育に向いていないと思っています。
発達も、成長も、今行ったことが今実を結ぶのではなく、5年後、10年後、それこそ、人生を振り返ったときに結果となって表れるからです。
本当の発達、成長は、5年、10年、20年と長いスパンで見ないとわかるわけはないのです。


早期診断を受け、早期療育を受け、特別支援教育も受け、そしてその子はどんな人生を歩んでいるのか。
そういった「良いこと」と言われたことを全部やって、それこそ、家族の時間、思い出よりも、優先させてきたのに、学校卒業後は福祉の支援を受けて生活している。
それだけのことをやって、社会人として自立した生活ができるようになっている人がたくさん。
そうだったら受け続ける意味はあるといえますが、やっても、やらなくても、行き先が同じなら「良いこと」という前提が間違っていると合理的に考えられるはずです。
むしろ、早期からの診断、療育は、誤診のリスクを高めますし、同年齢の子どもが体験していることが体験できないというネガティブな面もあります。


「マスクしなければならない」と言ったのは誰なのか?
それと同じように、「早期診断、早期療育を受けなければならない」と言ったのは誰なのか?
「42万人死ぬ」と言ったように、「療育を受けなければ、二次障害が」と脅した人間は誰なのか?
その言葉を信じ、自粛した先に、お店や職、希望ややりたかったこと、夢、人生の計画、そして命までをも失った人たちがいるのです。
同じことが、この特別支援の世界に起きていないでしょうか。
必死になって、年端もいかない子を抱え、診断を受けに行った、電車で1時間かけて療育機関に通った、専門家を集めた個別支援会議もやった、でも、今は福祉利用の待機待ち。
そんなご家族を見ていますと、特別支援という選択の裏に、どれほどのものを諦め捨ててきたのか、と思いますよ。


他の専門家の人達からの指摘によりますと、まず42万人という答えを出す前の元のデータの時点で誤りがあったといわれています。
まあ、その辺りは私にはわかりませんが、とにかく42万人は死んでいないし、「大変な2週間後」がいつまで経ってもやってきていない。
どんなに優秀な人でも、間違うことはあります。
特に現代のような、日々、情報が更新されていくような時代、しかもボーダレスに、今日正しかったことが明日過ちだったことなんて当たり前にあるのです。
科学的な論文だって、どんどん否定されて、新しい現象、結果が出る時代に、数年おきに改訂される学校の教科書がすべて正しい、事実だということなんてあり得ません。
そんな時代を生きる私達大人と、これから生きていく子ども達。


正しいと考えられていたことがひっくり返ることなんて当たり前。
だからこそ、過ちをすぐに認め、訂正・修正できる、情報を更新できる力が必要になってきます。
しつこいようですが、私が学生時代に正しいと言われていたのが「早期診断」「早期療育」「視覚支援」「脳の機能障害」ですよ。
あれから15年くらい経ち、いろんな研究が行われ、情報が更新されて、しかも、そういった正しいと言われていたことをすべて行ってきた人たちが大人になっているのです。
どこの誰が行ったか分からないような上記の言葉を、なぜ、批判的な視点を持つことなく令和の子ども達に当てはめようとするのか。
どうして自分の頭で考え、検証し、合理的な判断ができないのか。
本当に、心から、私は今の日本人の考える力の弱さにガッカリしています。


開業時から始めたこのブログも、更新回数が1100を超えました。
最初の頃のブログを読み返すと、恥ずかしくなるような、典型的な凡支援者が誰でも言えるようなことを綴っています。
本当は消去したい気持ちもありますが、こうやって情報が更新されていく姿、その当時はどんなことが信じられていたのか、正しいとされていたのかが、あとから読んでくださった方にもわかるようにと思い、そのまま残し続けています。


今日綴っていることが明日否定されるかもしれません。
一年前、私が助言したことが間違っていることだって多々あると思います。
そんなとき、ちゃんと謝罪し、訂正できる人間でありたいものです。
そしてそのためには、日々、学び続け、情報を更新し続ける必要があると考えています。
昔から「子は親の背中を見て育つ」と言われていますので。




コメント

このブログの人気の投稿

【No.1358】体軸が育つ前の子と、育った後の子

【No.1364】『療育整体』を読んで

【No.1370】それを対症療法にするか、根本療法にするかは、受け手側の問題